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千葉工業大学

千葉県習志野市にある私立大学 ウィキペディアから

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千葉工業大学(ちばこうぎょうだいがく、英語: Chiba Institute of Technology)は、千葉県習志野市津田沼2丁目17番1号に本部を置く日本私立大学1942年創立、1942年大学設置。大学の略称は「千葉工大(ちばこうだい)」または「工大(こうだい)」、英称では「CIT」または「ChibaTech」。

概要 千葉工業大学, 大学設置/創立 ...
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概観

要約
視点

大学全体

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第一期生入学式記念写真(1942年6月8日、玉川学園内にて撮影)

千葉工業大学は、成城学園の創立者である澤柳政太郎玉川学園の創立者である小原國芳が、明治から昭和にかけて行ってきた教育活動とその研究に基づいて設立された理工系大学である[1]。明治以来一般的だった単なる専門家技術者といった養成を超えて、国家や世界を導く創造的なリーダーの育成を目指して設立された。大学の教育理念は、欧米の進歩主義教育と、江戸時代の吉田松陰広瀬淡窓などの先哲たちの思想を融合したもので、松下村塾咸宜園の精神を基盤とし、20世紀初頭の欧米で起きた新教育運動の影響を受けている(詳細は「興亜工業大学設立趣意書」参照)。

大学は、第二次世界大戦中に、大戦後の創造的な人材の育成も視野に設立され、初代学長は京都帝国大学の元総長である小西重直が務めた。大学の教育は理工系人材たる前に紳士たれという理念のもと、全人教育を基本にリベラルアーツ教育と人間教育などが重要視され、制服は一般的な学生服ではなく、紳士服を採用し、日本の「ジェントルマン」たる姿勢を備えた人格形成を目指し、個性の伸長にも注力した(千葉工業大学50年史より)。

計画当初、小原ら関係者は滝川事件などの経験から国立教育の限界[2]を感じ、自由と多様性がある私学こそ国家を支える人材を養成するのに相応しい環境であると考え「明治維新の大業は私学が成した[3]」と私学教育の重要性を説いた。幕末期の日本の松下村塾やヨーロッパのパブリックスクールなどの影響を受け、当初「玉川塾工業大学」として玉川学園が経営するプライベートの全寮制大学として計画された[4]が、当時の社会的風潮(全体主義や軍国主義)に反する教育理念(個性尊重や自由主義)を掲げていたため、軍部や旧来の教育をする関係者からの反発や圧力が強く、設立は難航しました。しかし、橋田邦彦文部大臣をはじめ、皆川治広東京市教育局長、小西重直京都帝国大学総長、本多光太郎東北帝国大学総長、平賀譲東京帝国大学総長、八木秀次東京工業大学学長、西田幾多郎京都帝国大学名誉教授、波多野精一同教授などの教育界関係者はじめ、政治家の東郷実森コンツェルン森矗昶森曉親子、東京川崎財閥川崎守之助をはじめとする財政界の支援を受けていた。また、数は少なかったものの、皇族で、陸軍大将の東久邇宮稔彦王を筆頭に、大日本帝国海軍では永野修身元帥海軍大将財部彪海軍大将、山梨勝之進海軍大将などが、大日本帝国陸軍では菱刈隆陸軍大将土肥原賢二陸軍大将などの軍関係者も小原の考えに共感し、長年に渡って小原を支援していた。特に、激しい反対・抵抗勢力がいる中で、大学設立計画が成功したのは東久邇宮稔彦王・永野修身海軍元帥の働きかけと、橋田邦彦文部大臣の尽力が寛大だったと言われている。大学設立申請の途中(近衛文麿内閣時)で、文部省(現:文部科学省)の指導によって、日本だけでなくアジアや世界を視野に国策的な意図をもった大学へと発展して、太平洋戦争中の1942年5月15日東条英機内閣時)に「興亞工業大學」の名称の6年制の理工系大学として玉川学園内に設立された[5]

戦前当時の日本で6年制の理工教育を行うことを許可されていた大学は帝国大学各校と東京工業大学、そして私立大学では早稲田大学理工学部と慶應義塾大学理工学部(旧藤原工業大学)と千葉工業大学(旧興亞工業大學)の3校のみであった。また、当時の旧制大学の中では珍しく創立時から大学院の設置も構想されていたという[要出典]

大学設立の際には東京帝国大学東京工業大学から全面的な支援を受けたが、不足していた実験設備や実験機器などは東大・東工大の取り計らいにより共同利用させてもらうことで対処した。

創立時は戦争中だったこともあり、日本全体が国への奉公一辺倒の時代だったが、興亜工業大学(現・千葉工業大学)では、まだ自由な雰囲気があり急な大学設置で、開校当初はすべての建物がまだ完成していなかったため、大学予科の英語や音楽、古典、道徳などの教養科目の授業を青空教室で行なったという。だが結果的に、この授業方式は生徒と先生との関係(先生を囲んでの授業)において建学の精神である「師弟同行」に近いものとなり、好まれたという。当時の在校生の回想録では『いずれの授業も和気あいあいとした授業で、文字通り、いい意味での「エコール・ビュイソエール(みどりの学園)」であった』と称している。授業は学内のみでなく神社や寺、河川敷、喫茶店などでも行われ、ある時は「百聞は一見に如かず」「百聞は一労作に如かず」との教育理念のもと、小原國芳の発案で観光バスを連ねての東京名所の見学会が行われたり、第一ホテルなどでテーブルマナーの講習会などが行われたりもしたという[要出典]。しかし、当時の学生の中には軍国思想に染まっているものも少なくなく、こういった自由な雰囲気に馴染めず、大学を中退して軍学校などに入りなおす者もいたという。

1944年(昭和19年)には大学本部と本科を東京都千代田区に大学予科を神奈川県川崎市へ移転。この時、学徒出陣によって空となっていた上智学院の校舎に移転した際、同学院との合併問題が文部省筋で浮上、実際に合併した際の校名を『麹町大学』とし具体的な要綱も作られ併契約書の案文を作成するところまできたが、上智学院側の役員だったナチスドイツの神父の署名が得られず、交渉は1945年(昭和20年)5月22日に打ち切りとなった。

戦時を通じ一部の理工系学生は徴兵を猶予されていたため、1943年(昭和18年)に実施された学徒出陣壮行会には出席していない。代わりに1944年(昭和19年)8月23日から学徒勤労令に基づき、兵器開発や生産など、陸軍・海軍関係の研究所や工場、松代大本営の造営などに動員された。この時、航空工学科の学生は東大航空研究所(現・宇宙航空研究開発機構-JAXA)に派遣され、糸川英夫のもとで航空機の研究開発を手伝った。中島飛行機三鷹工場の動員先では空襲で学生1名、引率の教員1名が犠牲となっている。また、この時期になると技術将校養成の高まりから陸軍士官学校海軍兵学校などの士官学校と合同訓練が行われるようになった。

太平洋戦争が終結すると1946年(昭和21年)には千葉県君津町(現・君津市)へと移転し、校名を「千葉工業大学」と改称[6]。一時は創設準備中の千葉大学芝浦学園早稲田大学中央大学法政大学等との合併も検討されたが[7]1950年(昭和25年)に同県津田沼町(現・習志野市)の津田沼校地へ移転し現在に至っている。

設置科は3学部11学科、大学院3研究科修士課程8専攻・博士後期課程3専攻で、学生数は約1万名[8]。また津田沼駅前にある津田沼キャンパスと新習志野キャンパス、および東京スカイツリーキャンパスの3つのキャンパスを有する[9]

2018年度の志願者数は78,905人で、日本の私立大学[10]の中で第10位である。2023年度には志願者数は14万5128人で、全国第2位[11]に達している。2024年度の志願者数は全国1位となる16万2005人となり、これまで史上最多の志願者数だった早稲田大学(1989年度)の記録(16万150人)も更新した[12]

現在、千葉工業大学は、日本の私立理工系大学としては藤原工業大学(後の慶應義塾大学理工学部)に続き、国内で2番目に古い歴史を持ち、現存する私立理工系大学としては最古の歴史を有する[5][13]。なお国公立の理工系大学を含めても東京科学大学(旧東京工業大学)に次ぐ歴史を持つ(2024年10月に東京工業大学が東京科学大学へと統廃合したため、日本国内の工業大学としては現存最古の大学となった)[注 1]

教育および研究

大学全般

  • 本学の基礎は、教養教育においては小西重直博士、小原國芳博士、本間俊平によって、工学教育においては本多光太郎博士、八木秀次博士によって築かれた(千葉工業大学五十年史刊行委員会『千葉工業大学五十年史』千葉工業大学、1992年を参照の事)。

研究活動の特徴

  • 2003年には全国初の学校法人直轄の研究所として「未来ロボット技術研究センター」を設置している。同じように2009年には「惑星探査研究センター」を、2015年には「人工知能・ソフトウェア技術研究センター」を、2016年には「国際金融研究センター」と「次世代海洋資源研究センター」を設置した。

運用システム

  • 2005年より、多機能ICカード型の学生証を導入している。
  • 2007年より、NTTドコモの端末が当時の芝園校舎全教室(翌年からは津田沼校舎も)に設置され、全授業でICカードによる出欠確認システムの運用が開始されたが、2015年度をもって使用終了し、端末も2016年度後期までに撤去された。
  • 2016年より、入学時に貸与されるiPad miniにインストールされているアプリを用いた出席システムの運用が開始された。
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組織

学部・学科

  • 工学部
    • 機械工学科
    • 宇宙・半導体工学科
    • 先端材料工学科
    • 電気電子工学科
    • 情報通信システム工学科
    • 応用化学科
  • 創造工学部
    • 建築学科
    • 都市環境工学科
    • デザイン科学科
  • 先進工学部
    • 未来ロボティクス学科
    • 生命科学科
    • 知能メディア工学科
  • 情報変革科学部
    • 情報工学科
    • 認知情報科学科
    • 高度応用情報科学科
  • 未来変革科学部
    • デジタル変革科学科
    • 経営デザイン科学科

大学院

  • 工学研究科博士前期課程博士後期課程)※2019年度入学生まで
    • 機械サイエンス専攻
    • 電気電子情報工学専攻
    • 生命環境科学専攻
    • 建築都市環境学専攻
    • デザイン科学専攻
    • 未来ロボディクス専攻
  • 工学研究科(博士前期課程・博士後期課程) ※2020年度入学生から
    • 機械工学専攻
    • 機械電子創生工学専攻
    • 先端材料工学専攻
    • 電気電子工学専攻
    • 情報通信システム工学専攻
    • 応用化学専攻
  • 創造工学研究科(博士前期課程・博士後期課程) ※2020年度入学生から
    • 建築専攻
    • 都市環境工学専攻
    • デザイン科学専攻
  • 先進工学研究科(博士前期課程・博士後期課程) ※2020年度入学生から
    • 未来ロボティクス専攻
    • 生命科学専攻
    • 知能メディア工学専攻
  • 情報科学研究科(博士前期課程・博士後期課程)
    • 情報科学専攻
  • 社会システム科学研究科(博士前期課程・博士後期課程)
    • マネジメント工学専攻

廃止された学科

(旧制大学時)
(新制大学時)
  • 工学部
    • 機械工学科(1950-2003・機械サイエンス学科に改組)
    • 金属工学科(1950-2003・機械サイエンス学科に改組)
    • 工業経営学科(1950-2001・社会システム科学部に改組)
    • 電気工学科(1953-2003・電気電子情報学科に改組)
    • 電子工学科(1961-2003・電気電子情報学科に改組)
    • 工業化学科(1961-2003・生命環境科学科に改組)
    • 土木工学科(1963-2003・建築都市環境学科に改組)
    • 建築学科(1963-2003・建築都市環境学科に改組)
    • 精密機械工学科(1966-2003・機械サイエンス学科に改組)
    • 工業デザイン学科(1988-2003・デザイン科学科に改組)
    • 情報工学科(1988-2001・工学部から情報科学部に改組)
    • 情報ネットワーク学科(1997-2001・工学部から情報科学部に改組)
    • プロジェクトマネジメント学科(1988-2001・工学部から社会システム科学部に改組)
(2003年工学部再編時)
(2024年情報科学部、社会システム科学部再編時)
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沿革

年表

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創設時に校舎が存在した玉川学園1942年
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一時期校舎を構えた上智大学1944年 - 1945年
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移転当初の津田沼キャンパス(1950年
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津田沼キャンパス(2012年
さらに見る 年, 月日 ...
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新聞広告「科学者に告ぐ」の公示

2022年5月千葉工業大学は『千葉日報』に「科学者に告ぐ」という表題の全面広告を掲載した。これは科学技術が軍事力に転用されることに警鐘を鳴らすものである[18]

基礎データ

所在地

  • 大学本部(津田沼キャンパス本号館・〒275-0016 千葉県習志野市津田沼2-17-1)
  • 津田沼校地(津田沼キャンパス・千葉県習志野市津田沼)
  • 芝園校地(新習志野キャンパス・千葉県習志野市芝園
  • 茜浜校地(茜浜運動施設・桑蓬寮・椿寮・千葉県習志野市茜浜
  • 千種校地(千種寮・千葉県千葉市花見川区千種町)

象徴

逍遙歌
桑蓬の歌
1946年(昭和21年)学生作詞、学生作曲。
たれ邯鄲の夢に酔ひ
1946年(昭和21年)松藤淳 作詞、山口猛 作曲。
あゝ狂瀾の
?年(昭和?年)作詞、? 作曲。
饗宴の賦
?年(昭和?年)逍遙歌。? 作詞、? 作曲。
スクールカラー
紫紺色でDICカラーガイドのDIC256が指定されている。
モニュメント「永久の環」(芝園校舎)
メビウスの帯無限の記号「∞」をモチーフにしたアルミ製のモニュメント。
東日本大震災後の修復工事の際に撤去された。
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所有施設

附属の研究所

千葉工業大学工学研究所

1970年から1975年にかけて設置されていた、社会貢献産学連携に主眼を置いた研究所。

地球学研究センター

2019年7月設立。分析化学など自然科学と、人文科学に属する考古学学際的研究に取り組む。古代エジプトツタンカーメン墓所副葬品である鉄剣の解析などで実績を上げている[19]

学校法人直轄の研究所

未来ロボット技術研究センター

2003年(平成15年)6月1日から、morph3の研究開発チームは科学技術振興機構北野共生システムプロジェクトから千葉工業大学・未来ロボット技術研究センター(fuRo)に移籍。「人とロボットの共生」をテーマに未来のロボット技術に関する研究を行っている。

惑星探査研究センター

2009年(平成21年)4月から、松井孝典東京大学新領域創成科学研究科教授を所長に「惑星探査研究センター」を学内に開設した。センターではロボットによる宇宙探査を視野に入れ、研究を実施している。

人工知能・ソフトウェア技術研究センター

2015年に米澤明憲を所長に迎え、学内に設立された研究所の一つ。センターでは幼児の言語獲得や学習過程の解明などを目標として研究をしている。

国際金融研究センター

2016年に小林孝雄を所長に迎え、学内に設立された研究所の一つ。国際的な金融システムの創造や創出などを目的に研究をおこなっている。

次世代海洋資源研究センター

2016年に学内に設立された研究所の一つ。日本の次世代を担う海洋資源の調査や、新たな関連産業の創出・発展を目的とした研究がなされている。
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研究

中島「橘花」

基礎科学にも優れた同大教授で海軍航空技術廠所属の中口博海軍技術大尉を中心に開発が進められた日本のジェット航空機。当初は中島飛行機内で開発が進められていた単座式エンジンをもとに計画されていたが、不調だった為、計画を大幅に変更し、石川島播磨重工業(IHI)の永野治によって開発されたネ20をベースに、大日本帝国海軍の双発ジェット戦闘攻撃機としてナチス・ドイツメッサーシュミット社よりデザイン等概要図を受け、日本国内で手に入るパーツや燃料等の材料で製造できるように細部を含め内部構造設計された。日本初の国産ジェット機でもある。

鯨生態観測衛星「観太くん」

この取り組みは謎が多い鯨の生態を、衛星を使って宇宙から解明することを目的に立ち上げられた試みである[20]。このプロジェクトは、学生達が人工衛星の設計、制作に携わる日本で初めてのケースとなった[要出典]。また、衛星は学内の学科の域を超えて電気・電子分野、土木分野、機械工学分野、工業デザイン分野、建築分野などの学生が参加して開発された[要出典]。鯨生態観測衛星「観太くん」は、2002年12月14日種子島宇宙センターからH-IIAロケット4号機で打ち上げられ、予定の軌道上に乗った[21]。「観太くん」から送られてきた観測情報は、学内外で研究に役立てられている[22]

レスキューロボット・原発調査ロボット

東日本大震災後に福島第一原子力発電所へ最初に投入された国産ロボット「Quince」は、千葉工業大学と東北大学の共同開発である[23][24]。また、千葉工業大学は遠隔操縦ロボット「SAKURA」を原子力緊急事態支援センターで試験運用したり、NEDOのプロジェクトによる「櫻壱號」の開発を行ったりしている[25]

流星観測カメラシステム「メテオ」+流星観測衛星「S-CUBE」

アメリカ航空宇宙局(NASA)と協力して行われた流星観測プロジェクト。

はやぶさ2

宇宙航空研究開発機構(JAXA)と協力して行われている観測プロジェクト。

水星探査

宇宙航空研究開発機構 (JAXA) や欧州宇宙機関 (ESA) と協力した水星探査計画。
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教育

採択されているプログラム

特色ある大学教育支援プログラム

2005年、文部科学省]が選定する「特色ある大学教育支援プログラム」に「マルチメディア教材による教育・学習支援」(副題:シミュレータをベースにした理工学教育 e-Learning)が採択された[要出典]。情報インフラの整備、学生の授業評価や国内外の教育機関による第3者評価などを行い、シミュレータをベースにしたマルチメディア教材の作成と、それらを補助教材とする教育による教育効果が評価され採択された[要出典][26]

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学生生活

サークル活動

以下の学生を主体とした自治組織によりサークルの運営・企画などが行われている(2020年(令和2年)5月現在)。

体育会
  • 38サークル(28部、6同好会、4愛好会)が所属する。
  • 例年『体育会誌』が発行されている。
文化会
  • 35サークル(30部、5同好会)が所属する。
  • 2012年(平成24年度)より『文化会誌』が発行されるようになった[要出典]

イベント

文化の祭典
毎年5月下旬に文化系サークルを中心に学生の企画・運営で開催される文化祭。
スポーツフェスティバル
毎年10月中旬に体育会を中心に学生の企画・運営で開催されるスポーツイベント。自由参加で体育会(部活)に所属していない学生も参加できる。卓球やサッカーなど球技が主体。
津田沼祭
毎年11月下旬に津田沼祭実行委員会・学友会執行委員会を中心に学生の企画・運営で開催される学園祭。1970年代頃からキャンパスが立地する地域との交流促進のため、当地の地名を取って「津田沼祭」と呼称するようになった。[要出典]

大学関係者と組織

大学関係者組織

  • 千葉工業大学同窓会 - 学生・卒業生・教職員による同窓会[27]
  • 千葉工業大学PPA - 保護者・教職員による後援会組織[28]

大学関係者一覧

施設

キャンパス

津田沼キャンパス

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津田沼キャンパス正門
2006年からのキャンパス再開発5か年計画によって、2008年に新1号棟が完成した。2010年に学生ホールが、2011年に新2号棟が完成した。2013年に、新1号棟を2号館、新二号棟を1号館、学生ホールを3号館と名称変更した。

新習志野キャンパス

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新習志野キャンパス正門
  • 所在地:千葉県習志野市芝園
  • 使用学年:1・2年
  • 使用学部:全学部
  • 使用研究科:stub
  • 使用附属施設:クラフトハウス
  • 敷地面積:123,574.00 ㎡
  • 交通アクセス
    • 鉄道:JR東日本京葉線新習志野駅下車、南口より徒歩6分[29]
    • バス:京成バス「千葉工業大学入口」停留所下車、徒歩3分[29]
幕張新都心に隣接している。千葉工業大学では「環境と人にやさしいキャンパス」と標榜している。2013年4月に、芝園キャンパスから新習志野キャンパスに名称変更した。

東京スカイツリータウンキャンパス

東京スカイツリーソラマチ8階に設けられたサテライトキャンパス。レスキューロボットや超巨大ロボティックスクリーンなどが展示されている。

運動施設

茜浜校地(運動場)

  • 所在地:千葉県習志野市茜浜
  • 敷地面積:98,304.00 ㎡
  • 交通アクセス
    • 鉄道:JR東日本京葉線新習志野駅下車徒歩20分
    • バス:京成バス(習志野市ハッピーバス)「海浜公園」停留所下車すぐ[30]
新習志野(芝園)キャンパスの南方に存在し[29]、野球場、サッカー場などがある。1987年に設置された[31]

男子寮の名称は「桑蓬」と称する。この名称は中国の故事「桑蓬之志」に由来。

桑蓬寮(そうほうりょう)
新習志野キャンパス傍にある男子寮で[29]、2014年に完成[31]
椿寮(つばきりょう)
新習志野キャンパス傍にある女子寮で[29]、2014年に完成[31]

対外関係

要約
視点

他大学・高専との協定(国内)

包括提携校

大学
高等専門学校

単位互換協定校

四年制大学
短期大学

連携大学院

中高等学校との協定

その他

海外学術交流(大学/機関)

文部科学省資料[32]による。

アジア地域
中東地域
アフリカ地域
ヨーロッパ地域
アメリカ地域

留学プログラム

語学研修

  • グアム大学(英語)
  • コンピエーニュ工科大学(フランス語)
  • ハルビン工業大学(中国語)

短期留学

  • ハルビン工業大学(中国)
  • パシフィック大学(アメリカ)
  • コロラド大学ボルダー校(アメリカ)

長期留学

  • ハルビン工業大学(中国)
  • スウェーデン王立工科大学(スウェーデン)
  • コンピエーニュ工科大学(フランス)
  • ペンシルベニア州立大学(アメリカ)

産官学間での連携

千葉工業大学では、企業、研究機関及び自治体、地域組織と連携して共同研究を行っている。

主な連携団体(判明分)

企業との連携

  • 大和ハウス筑波大学(高齢者在宅健康管理・支援システムを共同開発)[33][34]
  • ツクバリカセイキ筑波大学富士ソフト(布ベルト用自動走行計測ロボットの開発)[35]
  • 習志野市産学官連携プラットホーム事業[36]
  • 千葉銀行(中小企業向け助成制度「ちばぎん・研究開発助成制度」。千葉銀行、千葉大学と連携した中小企業向け助成制度)
  • 三菱重工業(技術提携。原発ロボット「櫻弐號」などのロボットを共同で開発)
  • 大成建設(自律型鉄筋結束ロボット「T-iROBO Rebar」などの建設用ロボットの共同で開発)
  • パナソニック(ロボット家電の開発拠点を共同で設置)
  • ジェフユナイテッド市原・千葉(包括連携。トレーニング施設の共同利用及びスポーツ交流)

自治体との連携(協定)

千葉県

研究・教育機関との連携(協定)

工大の煉瓦門(文化財)

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千葉工業大学通用門(旧鉄道第二連隊表門)
現在千葉工業大学が使用している通用門は、かつて同敷地内にあった鐵道聯隊が使用していた営門を残したもので、銀杏並木がならぶ通用門は国土の歴史的景観に寄与しているとして、1998年登録有形文化財に登録された[37][38]。一般には「工大の煉瓦(れんが)門」[37][38]、または「工大の赤煉瓦(あかれんが)門」[39]と呼ばれている。

メディア

撮影協力・製作協力

事件・不祥事等

  • 2012年に千葉工業大学側の報告によって経済産業省からの研究費使用に関して不正のあったことが発覚した[40]。具体的な不正の内容としては、千葉工業大学の研究者が物品などを購入していないにも関わらず、取引業者より購入したとする偽装工作を行い、同研究費から業者に物品購入代金として金を支払っていたというのが一点[40]、もう一点は千葉工業大学の研究者が同研究費を私的目的に使用し、その金の流れを取引業者に研究目的のための物品購入であったことを偽装工作させるなどした[40]、というものであった。これら千葉工業大学の不正に関し経済産業省は、交付した研究費の返還、一定期間研究費交付停止、などの処分を行った[40]
  • 2017年1月10日に大学教員が学生の成績情報などの個人情報をメールに添付し外部の複数の人物に送信してしまう事件が発生した[41]。流出した情報は、学生の氏名や学籍番号、成績などであったという[41]

企業からの評価

出世力

  • ダイヤモンド社の2006年年9月23日発行のビジネス誌『週刊ダイヤモンド』94巻36号(通巻4147号)「出世できる大学」と題された特集の出世力ランキング(日本の全上場企業3,800社余の代表取締役を全調査[42][43])で、千葉工業大学は、2006年時点で存在する全国の744大学中、第50位にランキングされた[44]

脚注

参考文献

関連項目

Wiki関係他プロジェクトリンク

外部リンク

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