東久邇宮
日本の宮家のひとつ ウィキペディアから
概要

1906年(明治39年)11月3日、久邇宮朝彦親王の第9王子である稔彦王を初代として創設された[1]。本来、宮家を継ぐ第1王子以外の男子は、爵位を賜って臣籍降下(皇籍離脱)することが多かったが、当時は明治天皇の直系の男系子孫が少なかったことから、将来的に皇位を継ぐ可能性をもっていた伏見宮系の宮家との血縁関係を近める意図で、明治天皇の第9皇女である聡子内親王を王妃に迎え、新たに宮家を立てた。更に、継嗣の盛厚王も、昭和天皇の第1皇女である成子内親王を王妃に迎えた。1947年(昭和22年)10月14日、皇籍離脱。現在の旧宮家の祭祀継承者は、稔彦王の曾孫にあたる3代・征彦。上記のように、2代にわたり皇女を王妃に迎えたことから、現在の皇室の直系との血縁は深く、平成中期以降の皇位継承問題に関しては、東久邇家の構成員の皇籍復帰の可能性が取りざたされている。
系図
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.