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キングス・カレッジ・ロンドン(King's College London、略称 KCL)は、1829年に英国国教会によって設立された、イギリス・ロンドンに本部を置く英国屈指の名門国立総合大学である。ロンドン大学連合の構成カレッジであり、日本ではロンドン大学キングス・カレッジとも呼ばれる。これまでに14名のノーベル賞受賞者を輩出している。
1829年にジョージ4世の勅令を受けて、首相であった初代ウェリントン公爵アーサー・ウェルズリーの下、英国国教会によって設立されたイングランドで4番目に古い大学である[1]。ロンドンに5つのキャンパスを持つ総合大学で、学生数は3万名ほどで、ロンドン大学のカレッジの中で最大規模を誇る。
イギリスのエリート大学群であるゴールデン・トライアングル(英国版アイビーリーグ)の1校で、イギリスの名門研究大学連盟ラッセル・グループの加盟校でもある。これまでに14名のノーベル賞受賞者を輩出している[2]。
フローレンス・ナイチンゲールが本校で世界初の看護学校を設立したことも有名で、その背景もあり医学系の学科、特に看護学や歯学の分野で非常に評価が高く、世界ランキングで常にトップ5に位置している。
また、社会科学の分野においても影響力が強く、国際関係の分野では世界最高峰の大学の一つとして知られている。戦争学部を世界で唯一持つ大学であり、この学部は英国統合軍指揮幕僚課程の一部としても機能しているため、防衛・外交関係の研究機関として高い地位にある。
日本の私立大学2校のモデルになっている。キングス・カレッジ・ロンドン設立時の附属高校であるキングス・カレッジ・スクールは同校を訪れた福沢諭吉によって慶應義塾のモデルとされ[1][3]、医学部は高木兼寛によって東京慈恵会医科大学のモデルとされた。
1829年、ジョージ4世の勅令を受けて英国国教会によって設立された[1]。当時、オックスブリッジは男性・イギリス国教徒・貴族出身者のみに入学を許可していた。これに対し「万人に開かれた大学」を実現すべく、哲学者ベンサムが1826年に性、宗教、人種、政治思想による入学差別を撤廃したロンドン・ユニバーシティ(後のユニバーシティ・カレッジ・ロンドン)を設立した。
しかし、この動きは、既得権益を失う事を恐れたオックスフォード大学、ケンブリッジ大学や聖公会から激しい反発を受けた。ジョージ・ドイリー主教は非宗教的な大学の在り方を批判し、公開書簡の中でロンドン市内に対抗する宗教的で聖公会の意図を反映した大学機関の設立を提言した。この書簡に刺激を受けた時の首相ウェリントンは、1828年6月21日のジョージ4世が開いた本件に関する会議の中で議長を務め、大学設立は実現に向かっていった。こうして1829年8月14日のジョージ4世の勅許により、正式な設立となった。
なお、このようなウェリントンの聖公会やカトリック救済法案への過剰な肩入れは、カトリック教会に対しほとんど完全な市民権を与えることになるとウィンチルシー伯ジョージ・フィンチ=ハットンによる抗議があり、これは1829年3月21日のバターシー・パークにおける決闘へつながった。結果は両者とも意図的に相手を外した射撃によって決着した。KCL内でもこの決闘の日は特別な日として祝われており、様々なイベントが毎年の伝統的に開かれている。
こうして1831年に、オックスフォード大学に似た大学運営のKCLが開校した。しかしこのような設立経緯にもかかわらず、最初の入学案内書では非聖公会信徒の入学が認められている。開校時に提供されたコースは化学、英文学、商学である。
この時期はまだKCLもロンドン・ユニバーシティも、大学の学位の授与が出来なかった。これは特に、臨床実習を希望する医学専攻の学生にとって問題となった。そこで時の大法官であり、ロンドン・ユニバーシティ運営委員会の会長であったヘンリー・ブロハムが問題解決へ向けて関わることとなった。この経緯により、ブロハムはKCLの学長も兼ねるようになる。
当時イギリスでは、1つの都市で1つの機関のみが学位の発行の権限を持つ制約があった。そのため、政府がロンドン市内の2つの大学に学位発行権限を与えることは非現実的であった。この経緯から、2つの大学は統合の形で話し合いが行われ、1836年に2つの大学がカレッジになる形でロンドン大学が発足した。こうして、ロンドン大学のカレッジとして正式に発足したKCLは、夜間コースという形ではあるが女性・労働者階級に対しても開かれたカレッジとなる。
KCLの180年にわたる歴史の中では多くの重要な研究がなされ、中でもロザリンド・フランクリンとモーリス・ウィルキンスによるDNAの螺旋構造の発見は有名である。
ストランドを中心にロンドン市内中心部のテムズ川沿いに4つのキャンパスと、デンマークヒルに1つのキャンパスがある。
KCLは以下の学部、学科、スクールで構成されている。
ここでは外部機関の評価について述べる。
2023年版のTHE世界大学ランキングでは世界35位[4]、QS世界大学ランキングでは世界37位[5]と評価されている。
分野別の評価では、2023年版のTHE世界大学ランキングにおいて、臨床医学(Clinical&Health)が世界10位[6]、心理学が世界8位[7]と評価されている[8]。2021年版のQS世界大学ランキングでは、生命科学が世界15位[9]、看護学が世界2位[10]、歯学が世界1位[11]、薬学が世界20位[12]、政治学が世界15位[13]、哲学が世界8位[14]、法学が世界15位[15]、歴史学が世界14位[16]、神学が世界17位[17]、心理学が世界20位[18]と評価されている。
ロンドン大学が2018年に発表したデータによると、KCLの学部入学志望者39102人のうち、4728人が実際入学した[19]。換算すれば合格率が約12%で、倍率が8.3だった。また大手留学斡旋会社であるBeoによると入学難易度は超難関とされている[20]。
英国の大学研究力を測る指標としてREF(Research Excellence Framework)がある。REFはイギリス政府が同国の研究機関に対して行う研究成果の公的な調査および査定である。イギリスの研究機関で行われている研究を36の分野に分け、その分野の専門家がお互いの研究成果を査定し、イギリス政府はその結果に基づいて国内の研究機関への資金配分を決める。REFは2008年までResearch Assessment Exercise (RAE) と呼ばれていたものを質・規模の観点から再構築したものである。
2014年12月18日発表のREF2014年によると、KCLで行われている研究の平均水準(GPA)はイギリス第7位である[21]。評価方法が変更されているので正確な比較はできないが、これは2008年RAEの22位から大きく飛躍したものである。特に評価の高い分野は法学と医学であり、それぞれが1位、3位といった評価を受けている。
法学教育においては、イギリス国内でもっとも歴史のある大学のひとつであり、Law Schoolは「イギリス国内のトップ5に入るLaw Schoolとして広く認識されている(recognised globally as one of the UK's top five law schools)」との評価を得ている (Guardian University Guide 2011: Law)。
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