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ペルーの小説家、ノーベル文学賞受賞 (1936 - ) ウィキペディアから
ホルヘ・マリオ・ペドロ・バルガス・リョサ(Jorge Mario Pedro Vargas Llosa, 1936年3月28日 - )は、ペルーの小説家。アレキパ出身。ラテンアメリカ文学の代表的な作家でありジャーナリスト、エッセイストでもある。主な作品に『都会と犬ども』『緑の家』『世界終末戦争』など。1976年から1979年、国際ペンクラブ会長。2010年ノーベル文学賞を受賞。
マリオ・バルガス・リョサ Mario Vargas Llosa | |
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マリオ・バルガス・リョサ(2016) | |
誕生 |
ホルヘ・マリオ・ペドロ・バルガス・リョサ 1936年3月28日(88歳) ペルー・アレキパ |
職業 | 作家 |
国籍 | ペルー スペイン |
主な受賞歴 |
ビブリオテーカ・ブレーベ賞(1962) アストゥリアス皇太子賞(1986) プラネータ賞(1993) セルバンテス賞(1994) エルサレム賞(1995) ドイツ書籍協会平和賞(1996) ノーベル文学賞(2010) |
配偶者 |
Julia Urquidi (1955-1964) Patricia Llosa (1965–現在) |
署名 | |
公式サイト | http://www.mvargasllosa.com |
ウィキポータル 文学 |
1936年、ペルー南部のアレキパに生まれる。生活のためにさまざまな職業につきながらリマの国立サンマルコス大学にて法律、文学を学ぶ。1958年よりスペインのマドリード・コンプルテンセ大学に入学、同大学で博士号を取得した後はパリに渡りAFP通信社などで働いた。また19歳のとき10以上年上の義理の叔母と結婚しており、1964年に彼女と離婚したのち、翌年に従兄妹にあたる女性と再婚している。
1959年、短編集『ボスたち』でデビュー。1963年に初長編『都会と犬ども』を発表し、同作でビブリオテーカ・ブレーベ賞を受賞。軍人養成学校での体験をもとに社会の欺瞞と腐敗を告発した作品で、将校が反発して本を焼却するなどして国際的な注目を浴びた。1966年、ペルーのアマゾン地域などを舞台に娼婦、原住民、軍、僧院など5つの物語が同時進行するスケールの大きな作品『緑の家』を発表し作家的地位を確立。70年代に入ってからは、それまでのリアリズムによる全体小説的な作風がいくぶん変化し、軍隊社会を風刺したユーモラスな作品『バンタレオン大尉と女たち』(1973年)、スラップスティックな半自伝的青春小説『フリアとシナリオライター』(1977年)などを発表している。この2作はのちに映画化もされた。
1974年にペルーに帰国、76年から79年にかけて40歳の若さで国際ペンクラブ会長を務めた。1981年、ブラジルの19世紀末のカヌードスの乱を題材にしたエウクリデス・ダ・クーニャ『奥地』(1902年、ブラジル)をリライトした『世界終末戦争』を発表、この作品で85年にリッツ・パリ・ヘミングウェー賞を受けた。以後は民話の要素を作品に取り入れた『密林の語り部』(1987年)、ポルノグラフィックな『継母礼讃』(1988年)などを発表。1993年にスペイン国籍を取得。1994年に『アンデスのリトゥーマ』などの作品で、スペイン語圏最大の文学賞セルバンテス賞を受賞した。バルガス・リョサはこのほかにガルシア・マルケスやフローベールを題材にした文芸批評やジャーナリズムの作品も手がけている。
他の多くのラテンアメリカ作家と同様に、バルガス・リョサもまた社会・政治に対する発言を積極的に行なっている。その政治思想は当初の左翼的なものから次第に保守的・自由主義なものに移っており、1987年にはガルシア政権の銀行国有化政策に対し共産主義的だとして反対を表明した。1990年には新自由主義的な改革を唱道する考えから、中道右派連合「民主戦線」よりペルーの大統領選に出馬したが、決選投票でアルベルト・フジモリに敗れている。その後バルガス・リョサは穏健的保守政党の支持にまわっており、2021年大統領選挙においても中道右派のケイコ・フジモリの支持を表明した[1]。
2010年、「権力構造の地図と、個人の抵抗と反抗、そしてその敗北を鮮烈なイメージで描いた」[2]としてノーベル文学賞を受賞。1982年のガルシア・マルケスの受賞以来、長年の間有力候補とされ続けて後の受賞であった。ペルー国籍のノーベル賞受賞は史上初である。
2021年、アカデミー・フランセーズ会員に選出された。2010年から会員への立候補は75歳未満が条件となっているが、特例として認められた。フランス語で執筆していない作家としては初の選出である。ノーベル文学賞受賞者の会員はフランソワ・モーリヤック以来となる。
リョサとガルシア・マルケスは1960年代半ばにリョサがマルケスについての論文を書き、対面を求めて以来親交があった。1976年2月12日、リョサ夫妻とマルケス夫妻はメキシコ国立芸術院で開かれた試写会で偶然出会った[4][5]。マルケスが挨拶をしようと近づくとリョサは突然マルケスの顔にパンチを食らわし、マルケスは倒れ、割れた眼鏡の破片で出血した[4]。
原因については両者とも語っておらず、政治的立場の対立かとも言われたが、友人らによるとリョサの妻パトリシアを巡る行き違いが発端という。リョサ夫妻が旅行中にリョサが他の女性と懇ろになったため、パトリシアは一人帰宅しマルケス夫妻に事の次第を話した[4]。その際、マルケスがパトリシアに離婚を勧め、思わせぶりな発言をしたとパトリシアが誤解、リョサと復縁後そのことをリョサに告げたため、リョサが焼きもちからマルケスを殴ったのが真相という[4]。
マルケス夫妻は事件の翌日友人のカメラマンを訪ね、目の縁が痣で黒く変色したマルケスの顔を撮影させた。マルケス自身は写真を公けにすることはなかったが、2007年にカメラマンが公開した[6]。2019年にはこの事件が『Boom. Historia de un puñete』のタイトルでコミック化された[5]。
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