水本裕貴

日本のサッカー選手 ウィキペディアから

水本 裕貴(みずもと ひろき、1985年9月12日 - )は、三重県度会郡御薗村(現:伊勢市)出身の元プロサッカー選手。現役時代のポジションはディフェンダー(センターバック)。元日本代表

概要 水本 裕貴, 名前 ...
水本 裕貴
名前
愛称 ミズ、モンちゃん
カタカナ ミズモト ヒロキ
ラテン文字 MIZUMOTO Hiroki
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1985-09-12) 1985年9月12日(39歳)
出身地 三重県度会郡御薗村(現:伊勢市
身長 183cm
体重 72kg
選手情報
ポジション DF(CB)
利き足 右足
ユース
1998-2000 伊勢SCジュニア(伊勢市立御薗中学校
2001-2003 三重高等学校
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2004-2007 ジェフユナイテッド千葉 76 (2)
2008 ガンバ大阪 7 (0)
2008-2010 京都サンガF.C. 85 (3)
2011-2020 サンフレッチェ広島 235 (11)
2019 松本山雅FCloan 13 (1)
2020 FC町田ゼルビア(loan) 41 (1)
2021 FC町田ゼルビア 24 (0)
2022 SC相模原 22 (0)
通算 503 (18)
代表歴
2005  日本 U-20 4 (0)
2008  日本 U-23 3 (0)
2006-2015 日本 7 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。
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来歴

要約
視点

プロ入り前

御薗小学校の少年団である御薗SSSでサッカーを始める[1]。小学校6年次に伊勢市の選抜チームに選出されている。この選抜チームには他に森下俊も参加していた[2]。小学校卒業後御薗中学校へ進学したが同校にはサッカー部がなかったため、サッカー部がない中学校に通う選手たちのためのクラブチーム、伊勢SCジュニアに入団。練習試合への出場で経験を積んだ[2] が全国的には無名な存在だった[3]

注目されるようになったのは三重高等学校に進学後、林一章らから指導を受けてからである。1年先輩に野崎陽介がいる。県予選を突破してインターハイに出場。また、県選抜メンバーとして高知国体にも出場したほか、2003年にはU-18日本代表にも選出された。高校卒業時には名古屋グランパスエイトジェフユナイテッド市原を含めた5クラブからオファーがあった[3]

ジェフ千葉

2004年、ジェフユナイテッド市原とプロ契約。同期入団は水野晃樹市原充喜。1年目からイビチャ・オシム監督の薫陶を受け[4]オシムチルドレンの一人となる[5]。同年7月29日プレシーズンマッチ対レアル・マドリード戦において、ルイス・フィーゴを相手に対応したことにより名が知られるようになる[3][5]。2005年にはU-20日本代表としてFIFAワールドユース選手権に出場[5][6]。2006年シーズンから千葉の主力に定着し、さらに同2006年に日本代表監督に就任したオシムによってA代表メンバーに初選出され、同年10月4日、ガーナ戦でA代表初出場を果たした[5][7][8]。2007年末、名古屋、京都サンガF.C.FC東京ガンバ大阪の4チームからオファーが届き、千葉からは残留要請されるも、移籍を決意する[9][10]

ガンバ大阪

2008年、ガンバ大阪へ移籍。移籍金は3億円(推定)[9]。補強の目玉として注目を集めた[10] が、千葉時代のようなパフォーマンスを発揮できず、定位置を中澤聡太に奪われ、出場機会を減らしていった[4]6月19日北京オリンピック出場に向けて出場機会を確保するため、本人からの申し出によってわずか6ヶ月でのG大阪退団が決定した[11][12][13]

京都サンガ

6月22日、京都サンガF.C.へ完全移籍。移籍金は4億円(推定)[14]加藤久秋田豊森岡隆三の元日本代表DFから指導を受け[15] 不動のレギュラーに定着し守備の中心として活躍[4]李正秀[16] らとDFラインを構築した。同年北京オリンピックの代表メンバーにも選出され、キャプテンとして[17] グループリーグ3試合に出場した。 2010年には公式戦全試合に出場している[4]

サンフレッチェ広島

2011年より、京都のJ2降格に伴いサンフレッチェ広島に完全移籍[4]。主力としてチームの好調を支える[11][18] も、5月7日ヴァンフォーレ甲府戦にて相手DFダニエルとセットプレーでの競り合いにおける接触により頭蓋骨骨折および急性硬膜外血腫を負い緊急手術した[19]5月20日に退院[20]7月12日からヘッドギア着用のもと軽い練習に復帰し[21]8月7日から実戦に復帰した[18]。なお、医師の了解もあり翌2012年からヘッドギアを外してプレーしている。

2012年、アルベルト・ザッケローニ率いるA代表に選ばれ、4年ぶりに代表に復帰した[22]。この年、クラブでは広島のリーグ初優勝に貢献し、自身初のJリーグベストイレブンに選出された。

2013年、リーグ連覇を達成。

2015年5月16日のJ1ファーストステージ第12節・鹿島戦にて、フィールドプレーヤーではJ1新記録となる127試合連続フルタイム出場を樹立。また、3度目のJ1リーグ優勝を果たす[23]

2017年5月20日、J1第12節・ヴァンフォーレ甲府戦で、史上47人目となるJ1通算350試合出場を達成した[24]

2018年10月6日、J1第29節・柏レイソル戦で史上22人目となるJ1通算400試合出場を達成した[25]

松本山雅

2019年8月4日、松本山雅FCに期限付き移籍で加入することが発表された[26]

町田ゼルビア

2020年シーズンはFC町田ゼルビアに期限付き移籍で加入することが発表された[27]

2021年より町田へ完全移籍[28]。シーズン終了後、退団が発表された[29]

SC相模原

2022年1月8日、SC相模原への加入が発表[30]。 同年4月17日の試合で負傷。右下顎骨骨折で手術日から6〜8週間との診断を受けたが、医者からは即引退を促される重傷であった[31]。 同年11月7日、SC相模原は契約期間の満了と契約を更新しないことを発表[32]。2023年1月15日、現役引退を発表した[33]

プレースタイル

1対1の局面で激しさと強さを誇るセンターバックで、マンマークに長ける。時には左右のサイドバックもこなすなど、戦術的な柔軟性を持ち合わせる[3][4][16][17]

所属クラブ

個人成績

さらに見る 国内大会個人成績, 年度 ...
国内大会個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦 リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点 出場得点出場得点 出場得点
日本 リーグ戦 リーグ杯天皇杯 期間通算
2004市原/千葉27J150101070
20051503020200
2006425111010371
20073115010371
2008G大阪70--70
京都81810010191
200943325020402
20103406121422
2011広島1810021202
20123426000402
20133432050413
20143411020371
20153311010351
20161702020210
20173432010373
20183100030340
201900001010
松本41131--131
2020町田4J2411--411
2021240-00240
2022相模原J3220--220
通算日本J1 4161745127248820
日本J2 651--651
日本J3 220---220
総通算 5031845127257521
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その他の公式戦

さらに見る 国際大会個人成績, FIFA ...
国際大会個人成績 FIFA
年度クラブ背番号出場得点出場得点
AFCACLクラブW杯
2008G大阪440-
2012広島-30
201360-
201470-
201650-
201930-
通算AFC 25030
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その他の国際公式戦

経歴

代表歴

出場大会

試合数

  • 国際Aマッチ 7試合 0得点 (2006年 - 2015年)
さらに見る 日本代表, 国際Aマッチ ...
日本代表国際Aマッチ
出場得点
200620
200810
201220
201410
201510
通算 70
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出場

指導歴

  • 2023年 横浜FC スクールコーチ
  • 2023年 ONODERA FC コーチ
  • 2024年 - SC相模原 コーチ

タイトル

クラブ

ジェフユナイテッド市原・千葉
サンフレッチェ広島

個人

  • Jリーグベストイレブン:1回(2012年)
  • Jリーグフェアプレー個人賞:2回(2014年、2017年)
  • Jリーグ・優秀選手賞:1回(2015年)

脚注

参考資料

関連項目

外部リンク

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