川又堅碁
日本のサッカー選手 ウィキペディアから
川又 堅碁(かわまた けんご、1989年10月14日 - )は、愛媛県西条市出身のプロサッカー選手。Jリーグ・アスルクラロ沼津所属。ポジションはフォワード(FW)。元日本代表。
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名前 | ||||||
愛称 | ケンゴ、マタ | |||||
カタカナ | カワマタ ケンゴ | |||||
ラテン文字 | KAWAMATA Kengo | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1989年10月14日(35歳) | |||||
出身地 | 愛媛県西条市 | |||||
身長 | 184cm | |||||
体重 | 76kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | アスルクラロ沼津 | |||||
ポジション | FW | |||||
背番号 | 20 | |||||
利き足 | 左足 | |||||
ユース | ||||||
2005-2007 | 小松高校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2006-2007 | 愛媛FC(特別指定) | 2 | (0) | |||
2008-2014 | アルビレックス新潟 | 75 | (26) | |||
2010 | → カタンドゥヴェンセ(loan) | |||||
2012 | → ファジアーノ岡山(loan) | 38 | (18) | |||
2014-2016 | 名古屋グランパス | 65 | (18) | |||
2017-2019 | ジュビロ磐田 | 73 | (26) | |||
2020-2022 | ジェフユナイテッド市原・千葉 | 29 | (6) | |||
2023- | アスルクラロ沼津 | 36 | (4) | |||
通算 | 318 | (98) | ||||
代表歴2 | ||||||
2015-2018 | 日本 | 9 | (1) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2024年12月23日現在。 2. 2018年10月12日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
クラブ経歴
要約
視点
愛媛FC
愛媛県立小松高校在学中の2006年、地元の愛媛FCに特別指定選手に登録される。同年、J2リーグ第41節水戸ホーリーホック戦で現役高校生ながらもJリーグデビューを果たし、第42節モンテディオ山形戦では田中俊也のゴールをアシストした。
アルビレックス新潟
高校卒業後はアルビレックス新潟に入団し、2010年はブラジルのサンパウロ州2部リーグに所属するカタンドゥヴェンセに半年間の期限付き移籍。2011年はリーグ戦こそ23試合に出場して無得点に終わったが、シーズンを通して試合出場を重ね、ヤマザキナビスコカップ準々決勝・名古屋グランパス戦でプロ初ゴールを決めた。
2012年はファジアーノ岡山に期限付き移籍。得点ランキングで2位となる18得点を挙げた。
2013年に新潟へ復帰。第9節の清水エスパルス戦でJ1初得点を決めると、第11節のサガン鳥栖戦では、プロ入り初となるハットトリックを達成。第30節の湘南ベルマーレ戦では、ザッケローニ代表監督が視察する前で[4] 2度目のハットトリックを達成。 同試合でリーグ20点目を決めたが、これは前年J2所属の日本人選手としては初である[5]。最終的にリーグ2位となる23ゴールを記録し、Jリーグアウォーズでは優秀選手賞を受賞。新潟の選手としては2010年のマルシオ・リシャルデス以来、日本人選手では初のベストイレブンにも選出された[6]。
2014年も新潟でプレーを続けたが、W杯による中断明け以降はベンチ外要員となった。
名古屋グランパス
2014年8月、名古屋グランパスへ完全移籍[7]。2015年は、レギュラーとして33試合に出場し、3月には自身初の日本代表にも選出された。
2016年は、新加入のシモビッチの活躍で出場機会が減り、17試合5得点と思うような結果が出ず、チームもクラブ史上初のJ2降格となった。シーズン終了後に新GMや新監督が決まっていない状況で契約更改交渉を行う事になり、約4割の大幅減俸での単年契約でオファーを受けた[8]。
ジュビロ磐田
2017年シーズンより名古屋からジュビロ磐田へ完全移籍する事が発表された[9]。3月11日、第3節の大宮アルディージャ戦で移籍後初得点を決めた。昨シーズンまで在籍したジェイが昨季14得点に対して川又は昨季5得点しか決めておらず、名波浩監督の元にも「『点を取っていないFWを獲ってどうするんだ』という声が自分まで届いてきた」と批判的な声もあったが、「外国人FWを獲らないということは、川又に対する『お前が年間を通して出続けなければいけないんだぞ』『そういう覚悟を持って、練習から常に全力でやれよ』という無言のメッセージでもあります」、「興梠慎三、佐藤寿人、前田遼一とか、多くのストライカーが30歳あたりから改めて点を取り出している。それを考えれば、27歳はまだ若い。にもかかわらず、外国人FWを獲ってしまえば、その可能性にフタをしてしまうことになりかねない」と川又を信頼し[10]、第24節のヴィッセル神戸戦で自身4シーズンぶりの2桁得点を記録した[11]。最終的には、昨季のジェイと同じシーズン14得点を挙げた。
2018シーズンは、第5節の浦和レッズ戦でシーズン初得点を記録[12]。第10節のV・ファーレン長崎、第11節のセレッソ大阪戦、第13節の柏レイソル戦で得点を挙げ、チームを暫定5位へ押し上げた[13]。10月30日、ルヴァンカップ王者の湘南ベルマーレとの試合では前半34分に決勝点を挙げ、チーム7戦ぶりの勝利と自身初のJ1リーグ2年連続2桁得点を達成[14][15]。11月3日、J1第32節・サンフレッチェ広島戦で得点を挙げたが、後半27分に負傷交代[16]。12月1日、J1第34節の川崎フロンターレ戦で先発復帰した[17] が、得点は挙げられず、チームは16位に転落。J1参入プレーオフに回った[18]。プレーオフでは、足の調子が良くなかった[19] ことから、ベンチスタートとなった。自身の出場は最後まで無かったが、先制点を挙げた小川航基について「代わりに航基がしっかり決めてくれたから。最高です」と喜んだ[20]。
2019年シーズン、開幕戦の松本山雅FCとの試合は怪我の影響で後半途中出場となったが、同点ゴールを決めてプロ12年目で初となる開幕戦でのゴールを挙げた[21]。第2節から第4節まで先発でフル出場を果たすも、怪我で離脱[22]。4月28日、第9節の札幌戦で途中出場から復帰を果たすも、後半74分にCKの際に勢い余って右肘をゴールポストにぶつけて途中交代となってしまった[23]。後日、右肩関節脱臼と発表され、一時は腕が動かず、日常生活にも支障をきたすほどの大怪我となり、長期離脱となった[24]。第26節の川崎戦で復帰を果たすも、得点は開幕戦で決めた1得点のみで、チームもJ2降格となった。シーズン終了後の12月9日に、自身初の契約満了により契約しないという「0円提示」を受けて、3年間在籍した磐田を退団する事が発表された[25]。
ジェフユナイテッド千葉
磐田退団後は、移籍先が決まらず2020年1月13日から始まったジェフユナイテッド市原・千葉の沖縄キャンプに練習生として参加[26]。そこでのアピールが実り、同月24日に千葉へ完全移籍で加入すると発表された[27]。2023年1月5日をもって退団が正式決定。
アスルクラロ沼津
足の手術の影響もあり、千葉退団後は所属先が決まっていなかったが、2023年8月3日、アスルクラロ沼津に加入が決まった[28]。同年10月8日に行われたJ3リーグ 30節 FC岐阜戦にて移籍後初ゴールを決めた。
日本代表
2015年3月、負傷の小林悠に代わって日本代表に招集され、27日のチュニジア戦でA代表デビューを果たし、31日のウズベキスタン戦で初ゴールを記録。 2017年12月4日、EAFF E-1フットボールチャンピオンシップ2017に挑む日本代表メンバーに2年4ヶ月ぶりに追加招集された[29]。
2018年10月8日、FW浅野拓磨の怪我による不参加に伴い、キリンチャレンジカップ2018のパナマ戦・ウルグアイ戦に追加召集された[30]。10月12日、パナマ戦に南野拓実と交代で66分から出場し、85分には自身A代表2点目となる追加点を挙げたと見られたが、オウンゴールに訂正された[31][32]。
エピソード
- プロデビュー戦の2008年ナビスコカップ第4節横浜F・マリノス戦ではわずか11分で交代となった[33]。
- 2011年Jリーグ第11節柏レイソル戦でブルーノ・ロペスの離脱により、リーグ戦初先発の可能性があったが、胃腸炎になり出場出来なかった。代わりに酒井宣福が初先発となり、チームは0対3で敗れた[34]。
- 2011年のナビスコカップ準々決勝、対名古屋戦で「誰だよ、お前?名前を教えてくれよ」と田中マルクス闘莉王にすごまれた[35]。
- 2011シーズンまではゴールを決めることが出来ず、ポストを叩くことが多かったため「ポストマン」というあだ名がつけられていた[36]。
- 特技は習字で[37]、その腕前を生かして2013年の初めに向こう3年の目標を、1年ごとに書にしたためた。内容は「絶対に言いたくない」という[35]。
- ロングスローには自信を持っており、2018年のJ1第15節・湘南戦でクイックリスタートから投じたロングスローには、磐田と湘南の両チームのサポーターから歓声が起こった。試合後に「岡山でも投げてましたけど、たぶんJリーグで俺が一番ロングスロー投げれますよ(笑)」と語っている[38]。
- 2017年シーズンのジュビロ磐田加入後、アダイウトンと坊主頭に左右対称的な剃り込みを入れた。
- 私生活では、モデルで女優の田中道子と結婚したことを2024年4月22に田中が自身の所属事務所の公式ホームページにて発表した[2]。
所属クラブ
- 周布スポーツ少年団
- 2002年 - 2004年 東予市立東中学校
- 2005年 - 2007年 愛媛県立小松高校
- 2008年 - 2014年8月
アルビレックス新潟
- 2010年 - 同年6月
グレミオ・カタンドゥヴェンセ・ジ・フチボウ(期限付き移籍)
- 2012年
ファジアーノ岡山FC(期限付き移籍)
- 2010年 - 同年6月
- 2014年8月 - 2016年
名古屋グランパス
- 2017年 - 2019年
ジュビロ磐田
- 2020年 - 2022年
ジェフユナイテッド市原・千葉
- 2023年8月 -
アスルクラロ沼津
個人成績
国内大会個人成績 | |||||||||||
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年度 | クラブ | 背番号 | リーグ | リーグ戦 | リーグ杯 | オープン杯 | 期間通算 | ||||
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2006 | 愛媛 | 29 | J2 | 2 | 0 | - | 0 | 0 | 2 | 0 | |
2007 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | ||||
2008 | 新潟 | 18 | J1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 |
2009 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | |||
ブラジル | リーグ戦 | ブラジル杯 | オープン杯 | 期間通算 | |||||||
2010 | カタンドゥヴェンセ | サンパウロ州2部 | |||||||||
日本 | リーグ戦 | リーグ杯 | 天皇杯 | 期間通算 | |||||||
2010 | 新潟 | 18 | J1 | 4 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 6 | 0 |
2011 | 23 | 0 | 2 | 1 | 2 | 2 | 27 | 3 | |||
2012 | 岡山 | 20 | J2 | 38 | 18 | - | 2 | 0 | 40 | 18 | |
2013 | 新潟 | J1 | 32 | 23 | 6 | 1 | 2 | 0 | 40 | 24 | |
2014 | 14 | 3 | 5 | 0 | 1 | 0 | 20 | 3 | |||
名古屋 | 32 | 15 | 4 | - | 0 | 0 | 15 | 4 | |||
2015 | 33 | 9 | 6 | 2 | 1 | 0 | 40 | 11 | |||
2016 | 17 | 5 | 6 | 1 | 1 | 0 | 24 | 6 | |||
2017 | 磐田 | 20 | 34 | 14 | 0 | 0 | 2 | 2 | 36 | 16 | |
2018 | 31 | 11 | 2 | 1 | 2 | 3 | 35 | 15 | |||
2019 | 8 | 1 | 0 | 0 | 1 | 0 | 9 | 1 | |||
2020 | 千葉 | 44 | J2 | 27 | 6 | - | - | 27 | 6 | ||
2021 | 9 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | |||
2022 | 2 | 0 | - | 0 | 0 | 2 | 0 | ||||
2023 | 沼津 | 20 | J3 | 8 | 1 | - | - | 8 | 1 | ||
2024 | 28 | 3 | 1 | 0 | 1 | 0 | 30 | 3 | |||
2025 | |||||||||||
通算 | 日本 | J1 | 213 | 70 | 29 | 6 | 15 | 7 | 257 | 83 | |
日本 | J2 | 69 | 24 | - | 2 | 0 | 71 | 24 | |||
日本 | J3 | 36 | 4 | 1 | 0 | 1 | 0 | 38 | 4 | ||
ブラジル | サンパウロ州2部 | |||||||||||||| | |||||||||
総通算 | 318 | 98 | 30 | 6 | 18 | 7 | 366 | 111 |
- 2006年、2007年は特別指定選手として登録。
- 出場歴
- Jリーグ初出場 - 2006年9月23日 J2第41節 水戸ホーリーホック戦 (笠松運動公園陸上競技場)
- Jリーグ初得点 - 2012年4月1日 J2第6節 徳島ヴォルティス戦 (鳴門・大塚スポーツパークポカリスエットスタジアム)
タイトル
個人
- Jリーグベストイレブン:1回(2013年)
- Jリーグ・優秀選手賞:1回(2017年)
代表歴
出場大会
- U-17日本代表(2006年)
- U-18日本代表(2007年)
- U-19日本代表(2008年)
- 日本代表
- 2015年 - 東アジアカップ
- 2017年 - EAFF E-1フットボールチャンピオンシップ2017
- 2018年 - キリンチャレンジカップ2018
試合数
- 国際Aマッチ 9試合 1得点(2015年 - 2018年)
出場
No. | 開催日 | 開催都市 | スタジアム | 対戦国 | 結果 | 監督 | 大会 |
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1. | 2015年3月27日 | ![]() | 大分スポーツ公園総合競技場 | ![]() | ○2-0 | ヴァイッド・ハリルホジッチ | キリンチャレンジカップ2015 |
2. | 2015年3月31日 | ![]() | 味の素スタジアム | ![]() | ○5-1 | JALチャレンジカップ2015 | |
3. | 2015年8月2日 | ![]() | 武漢体育中心 | ![]() | ●1-2 | EAFF東アジアカップ2015 | |
4. | 2015年8月5日 | ![]() | △1-1 | ||||
5. | 2015年8月9日 | ![]() | △1-1 | ||||
6. | 2017年12月9日 | ![]() | 味の素スタジアム | ![]() | ○1-0 | EAFF E-1サッカー選手権2017 | |
7. | 2017年12月12日 | ![]() | ○2-1 | ||||
8. | 2017年12月16日 | ![]() | ●1-4 | ||||
9. | 2018年10月12日 | ![]() | デンカビックスワンスタジアム | ![]() | ○3-0 | 森保一 | キリンチャレンジカップ2018 |
ゴール
脚注
関連項目
外部リンク
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