立命館大学 (りつめいかんだいがく、英語 : Ritsumeikan University)は、京都府 京都市 中京区 西ノ京朱雀町1に本部を置く日本 の私立大学 。1900年 創立、1922年 大学設置。略称は立命、立命大、Rits(リッツ)。近畿地方 では立大も使用される[注 1] 。
大学全体
「立命館」の由来は、『孟子 』盡心章句(じんしんしょうく)にある「殀寿貳(ようじゅたが)わず、身を修めて以て之を俟(ま)つは、命を立つる所以(ゆえん)なり」(人間の寿命は天命によって決められており、修養に努めてその天命を待つのが人間の本分である)から採られた。
立命館憲章
学問研究の自由に基づき、価値の創造と人類的諸課題の解明に力を入れる。建学の精神と教学理念に基づき、「未来を信じ、未来に生きる」の精神をもち、学力精進を保ったうえで、正義と倫理をもった地球市民として活躍できる人間の育成に努める。この憲章の本旨を踏まえ、教育・研究機関として世界と日本の平和的・民主的・持続的発展に貢献する[2] 。
理事長・総長(学長)・副学長
理事長 森島朋三
総長・立命館大学長 仲谷善雄
副総長・立命館大学副学長 松原洋子
副総長・立命館大学副学長 伊坂忠夫
副総長・立命館大学副学長 徳田昭雄
学風および特色
末川博記念碑(衣笠キャンパス)末川博 名誉総長のことば「未来を信じ 未来に生きる」が刻まれる記念碑。末川記念会館 前の木立に立つ。
従来、立命館大学は戦前 から戦中 にかけて、世相を反映して国家主義的傾向 が強まっていったとする評価が支配的であった[注 2] 。しかし最近の研究で、学園創立者の中川小十郎 は、学校運営や学生の受け入れに対して国家主義的な思想に与せず、従来考えられていたよりも自由な空気を大事にしていたことが明らかにされつつある[3] 。
滝川事件 (立命館大学では「京大事件」と呼称)の際には、同事件に連座して京都帝国大学 を退官した教員を受け入れているが、これは中川小十郎が重視した自由な空気に理由があったのではないかとする最近の研究もある[4] [注 3] 。終戦直後には、同事件に連座した、京都大学法学部 教授の末川博 を総長へ招聘した。その末川を中心に大学の改革へ乗り出す。憲法 と教育基本法 を尊重して「平和と民主主義」を守ろうという末川の思想が中心となって、立命館大学は「民主的な学園運営」「自主的学習の尊重」の2本柱によって構成され、以下に記載する取り組みが現在の立命館大学に至るまで実施され続けている。末川が立命館大学に与えた影響は極めて大きく[5] 、これらの功績を讃えて、同大学では末川を名誉総長 として顕彰している。また、末川が構成した思想を「立命館民主主義[6] [7] 」と呼んでいる。
立命館大学全学協議会
立命館大学全学協議会
立命館大学には最高の協議機関である「立命館大学全学協議会」を設置している。
1948年9月25日 に名誉総長の末川博 によって創設された[8] 。
参加者は常任理事会、学友会 、院生協議会連合会、教職員組合および生活協同組合(オブザーバー)の各代表となっている。
特に学生や大学院生の代表を大学自治の重要な担い手として位置づけ、正式な構成員としている点が特徴的であり、立命館大学の掲げる「全構成員自治」の要となる民主的制度である。
この全学協議会では、学園の重要な課題である長期計画や教学課題、学生生活課題、学費課題など正課や課外を問わず、大学運営や学園創造に関するすべての重要な事項について協議をし、学園の構想に反映させ教育やキャンパス環境の高度化を図っている。
通年は一般には非公開で「全学協議会代表者会議」が行われているが、原則4年に1度「公開全学協議会」の形で開催される。公開全学協議会には、立命館に在籍する学生および教職員が傍聴することできる。
校章
所在地
立命館 朱雀キャンパス(京都府京都市中京区)
立命館大学 衣笠キャンパス【略称:KIC】(京都府京都市北区 )
立命館大学 びわこ・くさつキャンパス【略称:BKC】(滋賀県草津市 )
立命館大学 大阪いばらきキャンパス【略称:OIC】(大阪府茨木市)
立命館 東京キャンパス(東京都 千代田区 )
立命館 大阪梅田キャンパス(大阪府大阪市北区 )
校歌
1931年 (昭和6年)制定。作詞は明本京静 、作曲は近衛秀麿 による。全2番構成だったが、内容が国家主義的 と受け取れるものであった2番目の歌詞は、戦後歌うことが憚かられるようになった。また、1番の歌詞は「あかき血潮」が「若き血汐」、「天の明命」が「天の命名」と改変されたりしたが、1976年 (昭和51年)に作詞当初の表記をもとに、一部を平仮名として統一した[33] 。
1990年 (平成2年)5月25日、理事会は校歌の改廃について再検討を行い、戦後歌われなくなっていた2番を正式に廃止した。現在は、長く歌う必要がある時は、1番を2回繰り返して歌う[34] 。
現在、学校法人立命館 傘下の諸学校ではこの校歌が共通の学園歌として歌われている[35] [36] 。
校歌
あかき血潮 胸に満ちて
若人 真理(まこと)の泉を汲みつ
仰げば比叡 千古のみどり
伏す目に清しや 鴨の流れの
かがみもとうとし 天の明命
見よ わが母校 立命 立命
廃止された2番の歌詞は次の通り
見よや緑 永久の映えは
あふぐもかしこき 平安の御所
よき師友どち 和みてここに
契ひて結べる 禁衛 立命
躍進日本の輝きを得る
見よ わが母校 立命 立命
白井道造作詞、高橋半 作曲。「グレーター立命」の歌詞で知られる。
尾崎久夫作詞、高橋半作曲。
岩崎紘久作詞、長谷川良夫 作曲。
作詞・作曲者は不明。作成時期は1950年から1951年頃と考えられている[38] 。
スローガン・タグライン
2007年にコミュニケーションマーク「R」が制定されたのと同時に、同学のスローガン・タグラインとして、「+R 未来を生み出す人になる。 」が制定された。これに合わせて毎年、川口清史 元総長と同学の卒業生が京都の名所旧跡で語り合う、という内容のイメージ広告が、首都圏・近畿圏の鉄道ターミナル駅や新聞に掲載された。
2013年1月からは、「Beyond Borders ~ 超えていけ。RITSUMEIKAN 」として、同学の活動全般(教育活動、産学連携 、社会貢献、体育会・文化会各部、サークル等)を紹介する内容のイメージ広告が展開されている[39] 。
ランキング
2024年版の、QS世界大学ランキング では、立命館大学は 631 - 640 位にランクインした。QS世界大学ランキング にランクインした、日本国内の私立大学で4位となる[40] 。また、2023年版のQSアジア大学ランキングでは、立命館大学は126位にランクインした。日本国内の私立大学で3位となる[41] 。2022年版のQSエンプロイアビリティランキングでは、立命館大学は 201-250 位にランクインしている[42] 。前述の3つのランキングで西日本(近畿、中国、四国、九州)の私立大学で、1位となっている。
2023年版のTHE世界大学ランキング日本版で、立命館大学は31位にランクインした。特に「産学連携収入」「国際性」といった項目で評価され、西日本(近畿、中国、四国、九州)の大学では11位、近畿の私立大学で1位となる。同年版のTHE世界大学ランキング では、1201-1500位、THEアジア大学ランキングでは401-500位、THEインパクトランキングでは、201-300位にランクインしている[43] 。
研究
「歴史都市防災研究センター」(京都市北区 衣笠キャンパス)21世紀COEプログラム「文化遺産を核とした歴史都市の防災研究拠点」
グローバルCOEプログラム
立命館大学アート・リサーチセンター(衣笠キャンパス)21世紀COEプログラム「京都アート・エンタテイメント創成研究」拠点、グローバル COEプログラム「日本文化デジタル・ヒューマニティーズ拠点
グローバルCOEプログラム として、3件のプロジェクトが採択されている。
教育
採択されたプログラム
魅力ある大学院教育イニシアティブ
国際通用性を高めた言語教育専門家の養成
国際力を備えた技術系大学院生の育成
ローカル・ガバナンスの政策実践研究
プロジェクトを基礎とした人社系研究者養成
法科大学院等専門職大学院形成支援プログラム
大学・大学院における教員養成推進プログラム
派遣型高度人材育成協同プラン
現代的教育ニーズ取組支援プログラム
映像文化の創造を担う実践的教育プログラム
琵琶湖 で学ぶMOTTAINAI 共生学
人文学的知の地域還元で変わる歴史都市京都
IT人材育成のための実践的キャリア教育
グローバル人材養成のためのキャリア教育
地域活性化ボランティア教育の深化と発展
産学協同アントレプレナー教育プログラム
Japan and World Perspectives Program 仕事で英語が使える日本人の育成
大学教育の国際化推進プログラム
大学院留学生の入学前教育プログラムの開発
海外先進教育研究実践支援プログラム
特色ある大学教育支援プログラム
産官学地域連携による人材育成プログラム―京都地域におけるインターンシップの展開―
ツイニングによる国際化への積極的取組
立命館土曜講座
立命館土曜講座は、大学の社会的開放および生涯教育 への対応として実施している無料公開講座 。当時の学長であった末川が提唱して開講されたもので、第一回目の講座は1946年 3月31日 に実施された。また、これに関連して、1962年 から1965年 にかけて、読売テレビ と共同して『テレビ大学講座』を制作していた。現在は、衣笠キャンパスで実施している土曜講座のほかに、びわこ・くさつキャンパスで『立命館びわこ講座』、学校法人立命館の学校や事務所なども使用して公開講座が開催されている。
留学
海外留学に関する教育プログラムが用意されている。詳細については他大学との協定に関する説明を多数含むため、留学協定 を参照。
学生会館(衣笠キャンパス)
リンクスクエア (BKC)
立命館大学学園祭セントラルステージ(びわこ・くさつキャンパス)
立命館大学学園祭大夜祭ステージ(衣笠キャンパス)
立命館大学学友会
立命館大学には、新歓運動や学園祭などの全学行事の他、新入生支援等の互助活動や大学との交渉を前提とした要求実現運動といった自治活動などを統括する組織「立命館大学学友会」がある。
全員加盟制をとっており[50] [51] 、学生は学友会に加盟することで立命館大学の掲げる「全構成員自治」の一員となり、その代表は「全学協議会 」などで教学やキャンパス高度化、学生生活、学費、学園の事業など大学の運営に関する議論に参加している[6] [52] [53] 。
同組織は中央委員会を基幹の会議体と位置づける。同会を形成する組織には様々ある。まず同会の基幹パートとして、中央常任委員会、学園振興委員会、全学自治会、中央事業団体の機関が置かれている。中央事業団体は応援団(チアリーダー部・吹奏楽部を内包する)、新聞社、体育会、放送局(RBC)の四部から成る。
体育会は、管轄下に置かれる学友会所属団体(公認団体、部・同好会)を統括する。
また中央常任委員会の事務を担う組織として、中央事務局(財務部、特別事業部、調査企画部を内包する)が置かれている。
財務部は学友会全体の財務処理を担い、特別事業部は新歓期および学祭期の業務を担う。
調査企画部は同会の官報の発信、学友会所属団体の管理・支援を行う。学友会所属団体には団体区分があり、各上から順番に中央事業団体、中央パート、公認団体、部・同好会、任意団体、登録団体とあり、それぞれ学内で行使できる権利に差異がある。このうち調査企画部は、登録団体を統括する。
次に中央パート団体として、全学自治会の管轄下に各学部自治会、学術部及び学芸総部が置かれる。各学部自治会は、各学部単位における要求実現運動を主眼とし、学術部及び学芸総部は、管轄下に置かれる学友会所属団体(公認団体、部・同好会、任意団体)を統括する。
このような課外活動の主な拠点は、学生会館(衣笠)およびセントラルアーク (BKC)、リンクスクエア (BKC)、スチューデントラウンジ (OIC) となる。また、体育会所属団体は各部の練習グラウンドにあるクラブハウスが活動の中心となる。
学園祭
学友会が中心となって運営する立命館大学学園祭実行委員会の主催による「立命館大学学園祭」が例年11月に行われている。従来はびわこ・くさつキャンパス (BKC) で2日間、衣笠キャンパスで2日間の計4日間開催されていた。3キャンパスとなった2015年は各キャンパスで1日ずつの計3日間となり、1週間ごとの日曜日に開催された。しかし、3キャンパスを移動しながら展示会場などを設置することには無理があったこともあり、2016年度は開催日程の発表が極めて遅れた上、びわこ・くさつキャンパスの1キャンパスのみで1日だけの開催となった。2017年度以降は、新型コロナウイルス感染症の影響で中止された2020年度を除き、11〜12月にかけて2週間ごとの日曜日に、各キャンパスで1日ずつの計3日間開催で落ち着いている。
4日開催の時の来場者数は、延べ約10万人[54] [55] と公表されている。
学生文化の集大成を発表する場として、各課外活動団体やサークルによる一般企画や学園祭実行委員会による実行委員会企画(模擬店、フリーマーケット、野外ステージ企画、タレントによるコンサートなど)などが催される。
学園祭運営体制
学園祭の運営は立命館大学学園祭実行委員会によって行われる。
学園祭実行委員会は、中央常任委員会の責任の下、中央委員会から予算の決定を含めた全ての権限を移譲される。ある程度の企画および立案は、中央事務局特別事業部をはじめとした関係各所が企画・立案し実行委員会でその企画意図や立案趣旨、予算などの審議が行われる。学園祭の理念に相応しい企画であるか、学友会費を支弁するに相応しいかなどの視点から幾度も審議が重ねられ、最終的に実施の可否について参加委員の多数決にて結論を出す。
実行委員会は、学園祭実行委員長、学園祭実行委員長補佐、学園祭副実行委員長(衣笠祭典委員長)、学園祭副実行委員長(BKC祭典委員長)、学園祭副実行委員長(OIC祭典委員長)、学園祭副実行委員長補佐、中央事務局特別事業部長により構成されている。実行委員長は年度により異なる。各キャンパス内のみで終結する企画については、キャンパス別会議が開かれ、審議が行われる。また形式上、実行委員会の委員には大学教職員からの委員は入っておらず、大学職員と緊密に連携を取りつつも、ほぼ学生による自治・創造性に任された運営が行われている。
実行委員会の実務を担う組織として、中央事務局特別事業部に衣笠支局(さいぢ)、OIC支局(ふぇすぢ)およびBKC支局(いべぢ)が設けられている。
新歓祭典
学友会が中心となって運営する立命館大学新歓実行委員会の主催による「新歓祭典」が、例年4月下旬にびわこ・くさつキャンパス (BKC) で1日間開催される。運営体制については、学園祭に準ずるかたちとなる。新入生を歓迎する祭典として、各課外活動団体やサークルによる企画や新歓実行委員会企画、新歓事務局による模擬店、野外ステージ企画など、様々な催しが行われる。
衣笠・BKC・OIC各キャンパスの全新入生の参加が推奨されており、歓迎の対象となる新入生が自ら小規模演習の各クラスから模擬店を出店することが恒例となっている[56] 。
部活動
スポーツ
大学創立当初より、文武両道 の精神からスポーツ には力を入れていたが、衣笠キャンパスの産業社会学部 に「スポーツ学科(スポーツ社会)」が設けられた後、2010年には、びわこ・くさつキャンパスに「スポーツ健康科学部」が設けられたことにより、運動に長けた選手が入学し、アメリカンフットボール や女子駅伝 等、大学上げての強化が成功し、各部、実績を上げている。
文化系
立命館大学では文化系のクラブ活動 も盛んである。以下に特筆される文化系の部活動の活動実績を記す。
1939年に初号が発行された学生新聞 『立命館』を源流とし、2019年に創刊80周年となった立命館大学新聞社 は、上述した学友会の中央事業団体に所属する立命館大学最大の学生メディア団体である。紙媒体の新聞を季節毎に発行するほか、ウェブサイトでニュース配信を積極的に行っており、学生運営でありながら、立命館大学から独立した報道機関として、マスメディアの役割を担っている。
1982年に設立した立命館大学クイズソサエティーでは、現役生やOB・OGを問わず、同会出身の解答者がテレビのクイズ 番組で優秀な成績を残す者も多く存在するなど、極めてレベルの高いクイズクラブであり、私立大学の中ではトップ級のクイズ研究会である。
また、1989年より年に1回、概ね毎年秋に、立命館大学クイズソサエティーの最大のライバルで、また国立大学のクイズ研究会ではトップ級である、名古屋大学 のクイズクラブである名古屋大学クイズ研究会との対抗戦「名立戦」[注 6] が、国立大学と私立大学との壁を超えて開催されている[58] 。
立命館大学将棋研究会も、近年、学生将棋でトップクラスの成績を収めており、多くのアマチュア将棋強豪を輩出している。
大学関係者組織
立命館大学の同窓会 は「立命館大学校友会 」と称し、立命館大学を卒業した者により構成される。
立命館大学には生活協同組合 があり、「立命館生活協同組合 」と称する。
立命館大学には保護者組織があり、「立命館大学父母教育後援会 」と称する。
キャンパス
衣笠キャンパス
航空写真(2020年)
衣笠山 と等持院学舎(昭和10年代)
京都市 北区 等持院北町56-1に所在する。
1224年 (元仁 元年 )、西園寺公経 が西園寺 と北山第 (山荘 )を建てた。14世紀 末、室町幕府 第三代将軍 ・足利義満 が、西園寺家から北山第を譲り受けたが、義満の北山第は、西は衣笠山 、東は天神川 、南は衣笠総門町辺りまで含む広大な敷地であった。北山第が足利義満に譲られた後、西園寺家は再び近くに邸宅を構え、それは15世紀半ばまで衣笠山南麓に存在したとされる。1939年 (昭和14年)、立命館大学が現在の衣笠キャンパスの開発に着手したところ、地下約90センチメートル(三尺)の位置から約300年前のものと思われる多数の屋根瓦片が発掘され、屋根瓦には西園寺家の紋章が確認された[59] 。さらなる調査の結果、太政大臣 ・西園寺公経邸のものと推定されるに至ったことから、現在の衣笠キャンパス一帯には、西園寺家の邸宅が建っていたと考えられている[60] [61] [注 8] 。
幕末 の頃、現在の「衣笠キャンパス」およびその周辺には薩摩藩 の藩兵調練場(小松原調練場)、弾薬庫、陣屋、勤番屋敷などを置く広大な緑地が広がっていた[注 9] [注 10] 。明治維新 の「鳥羽・伏見の戦い 」では、この調練場の弾薬庫から大量の弾薬等が運び出されたと記録されている[66] 。
1939年 (昭和14年)、満州国 皇帝の愛新覚羅溥儀 [注 11] が立命館に寄付した約50万円のうち20万円で衣笠山 の麓に6万坪の土地を購入し、理工系学科の学舎を建設したのが現在の「衣笠キャンパス」の始まりである。この寄付金の残額で学生向けの奨学金の基金も創設された[18] [注 12] [注 13] 。
等持院 に隣接していることから、かつては「等持院学舎」と呼ばれていた。昭和20年代にはプロ野球「松竹ロビンス 」が本拠としていた衣笠球場 が現在の中央広場付近にあり、1954年まで「洋松ロビンス」の準本拠地球場として使用されていた[68] 。
設立当初より文系学部を「広小路学舎(中京区)」に、理工系学部を「等持院学舎(現・衣笠)」に置くという棲み分けがなされていた。戦後、急速に増え続ける入学志願者に対応すべく、京都市右京区 西院方面に約6万坪の土地を購入し教養部を移転させるという「緑の学園」構想が持ち上がった[69] 。この構想は1957年 (昭和32年)12月10日 の学校法人立命館理事会で「現状では広小路、等持院を中心に充実をはかるべきである」という結論に達したため実現こそしなかったが、文系理系全学部を「衣笠キャンパス」に集約させるというその後の「衣笠一拠点政策」の契機となった。衣笠一拠点化は、1981年 (昭和56年)に実現している。しかし、更なる学園拡大の流れにより、衣笠キャンパスでは手狭となったことから衣笠一拠点化は10年程度で終息し、複数キャンパス体制になっている。
現在の「衣笠キャンパス」周辺は、金閣寺 、龍安寺 、仁和寺 、等持院 などが点在する京都屈指の観光名所として知られる。キャンパス北側にはこれら名刹を結ぶ観光道路「きぬかけの路 」が通る。中でも隣接する等持院の墓地には、室町幕府 将軍 の足利尊氏 、足利義量 および足利義勝 、映画監督 の牧野省三 や衣笠貞之助 、画家 の山元春挙 、木島桜谷 、役者 の尾上松之助 、学園創立者である中川小十郎が眠っている[70] 。
衣笠キャンパスから北へ徒歩10分程度、金閣寺西部には西園寺記念館 がある。飛び地の形で立地しているため「氷室キャンパス」と俗称で呼ばれることがあるが、これは公式なものではなく、衣笠キャンパスの一部である。付近一帯は1224年 (元仁元年)に藤原公経 が「西園寺」を建立した場所で、寺は西園寺家の家名の由来とされていることから立命館学園とはとりわけ縁の深い場所である。
衣笠キャンパスの設計者と外壁意匠
1955年から1988年までに衣笠キャンパスに建設された学舎のほとんど(合計64棟)が、昭和を代表する建築家 ・富家宏泰 の手によって設計された[71] [72] 。富家は、自身が設計した学舎の外壁建材の多くに「泰山タイル」を採用した。「泰山タイル」は一枚一枚色調が異なる手作りの布目タイルであり、大量生産品では決して出せない風合いがあり、また、釉薬 が醸し出す美しい色彩が特徴的で、衣笠キャンパス全体に統一感を作り出すのに役立っている。なお、「泰山タイル」とは、1917年(大正6年)に東九条大石橋高瀬川にて池田泰山が設立した泰山製陶所が製造した装飾タイルである。泰山製陶所は1973年(昭和48年)に閉鎖したものの、1980年代初めまでに建設された学舎の多くに泰山タイルが使われた可能性が高いとされる。ただし、泰山製陶所による生産だけでは追いつかなかったため、外注されたタイルが混じっている場合があることも確認されている。加えて、経年劣化により一部タイルは後に張り替えられており、富家宏泰が設計した衣笠キャンパス学舎の全てに泰山タイルが使用されているわけではない。富家宏泰は1988年(昭和63年)まで同キャンパスの学舎設計に携わったが、その後に設計された建築物(例えば、創思館(2001年竣工)、充光館(2007年竣工)、育友館(2008年竣工)、学内ATMの建物、守衛所など)でも、泰山タイルとの調和を考慮して、ほとんど同じ見た目の布目タイルが外壁に利用されている。
BKC(びわこ・くさつキャンパス)と並べる必要がある際は、KIC(読み:キック)と略されることがある。
2020年8月25日、映像学部と映像学研究科が、2024年4月より大阪いばらきキャンパスへ移転することが発表された[73] 。
ランゲージセンター(2002年竣工・言語教育情報研究科基本棟)
サブウェイ立命館大学衣笠キャンパス店(第一体育館1階にあったが、同体育館の解体に伴い閉店)
Cafe "Junge"(学生会館・1973年竣工)
立命館大学・アートリサーチセンター(1999年竣工)
諒友館食堂「Cafe Rosso」、コンビニ「リッチェ」などを併設する
1935年(昭和10年)に学祖・西園寺公望から寄贈された南天竹と山梔子。植樹に際し記念碑も立てられた。
衣笠キャンパス施設[74] [75]
図書館 (University Library)
図書館、ピア・ラーニングルーム(ぴあら)
存心館 (Zonshinkan Hall)
教室棟。1階に法学部 事務室、マルチメディアルーム。地階に生協食堂、書籍部など
存心館時計台 の大時計 はシチズン 製[76] 。
名称の由来:本心を放失することなく、存し養ふ。(出典:孟子 尽心章 上)
興学館 (Kogakukan Hall)
セミナールーム、自習室など
名称の由来:礼記 王制篇 「楽事勧功、尊君親上、然後興学」(事を楽しみ功に勧み、君を尊び上を親しみ、然る後に学を興す)。1953年に名称公募され、佳作に「洗心館」、「恒心館」があった。
志学館 (Shigakukan Hall)
教室棟。1階に保険センター、心理・教育相談センター
名称の由来:論語 為政篇 「吾十有五而志於学」(吾十有五にして学に志す)
以学館 (Igakukan Hall)
教室棟。主に産業社会学部 の教室。1階に産業社会学部事務室。地階に生協食堂、多目的ホールなど
名称の由来:学を以って身を修め、学を以って人をなし、学を以って世を経する。(出典:荀子 勧学篇)
上から見ると立命館の「立」の字に見えると言われることがあるが、詳細は不明。
設計は富家建築事務所(代表・富家宏泰 )、施工は清水建設 [77] 。
1998年まで経済・経営学部が基本学舎として使用。2000年からは産業社会学部の基本学舎として使用されている。以学館前の石畳は、かつて京都市電 の路線の敷石に使用されていたものを移設したもの。
研心館 (Kenshinkan Hall)
教室棟。1階にキャリアオフィス、障害学生支援室、エクステンションセンター。2階に学生オフィス(衣笠)、スポーツ強化オフィス、学生サポートルーム
名称の由来:顧炎武 の詩「古隠士」から。または「心を研く」という日本語的発想から付けたと推察される。1953年に名称公募され、佳作に「博心館」、「黎明館」があった。
学而館 (Gakujikan Hall)
一般教室棟
名称の由来:論語 学而篇「学而時習之」(先輩に就いて学び、而して常に反復練習する。「習」は幾度も反復練習するという意味で、「時」は「常に」という意味。
1970年から1994年まで産業社会学部が基本学舎として使用。
有心館 (Yushinkan Hall)
教室棟。1階にRAINBOWサービスデスク、共通教育課、サービスラーニングセンター
西園寺記念館 (Saionji Memorial Hall)
清心館 (Seishinkan Hall)
主に文学部 の教室・共同研究室。1階に文学部事務室
名称の由来:清らかな心。また、心を清らかにする。(出典:後漢書 西域傳論)
啓明館 (Keimeikan Hall)
主に文学部の学生共同研究室、実験実習室
名称の由来:毛詩 小雅・大東篇「東有啓明、西有長庚」(東に啓明有り、西に長庚あり)
洋洋館 (Yoyokan Hall)
教室・研究室など。1階にマルチメディアルーム
名称の由来:充実しているさま、美しくすばらしいさま。(出典:論語 泰伯 第八篇)
恒心館 (Koshinkan Hall)
主に国際関係学部 の教室・研究室。1階に国際関係学部事務室
名称の由来:如何なる事件や境遇に遭遇しても決して変わらぬ道徳心(出典:孟子 梁恵王篇 上)
1965年の竣工時は六号館と呼ばれ、理工学部化学科と土木工学科が基本学舎として使用した。1994年から2000年まで産業社会学部の基本学舎だった。
諒友館(Ryoyukan Hall)
教室棟。1階、地階に生協食堂、コンビニなど
名称の由来:論語 李氏篇「友直、友諒、友多聞、益矣」(直きを友とし、諒を友とし、多聞を友とするは、益なり)
修学館 (Shugakukan Hall)
個人研究室棟。リサーチオフィス(衣笠)
名称の由来:史記 儒林伝「薫仲舒・・・至卒、終不治産業、以修学著書為事」(薫仲舒は、卒するに至るまで、終に産業を治せず、学を修め書を著すを以て事と為す)
ランゲージセンター (Language Center)
言語教育センター、言語習得センター (CLA)、言語教育企画課
尽心館 (Jinshinkan Hall)
教員研究室棟、地階に情報処理演習室、情報語学演習室など
名称の由来:孟子 盡心篇 上「盡其心者、知其性也」(其の心を尽す者は、其の性を知るなり)
明学館 (Meigakukan Hall)
教室棟。1階に衣笠国際教育センター、京都国連寄託図書館など
名称の由来:孟子 盡心章「日月明有り、容光をも必ず照らす」(その他の候補に、良知館、良智館、愛智館があった)
尚学館 (Shogakukan Hall)
教員研究室棟
名称の由来:孟子 万章篇 下「以友天下之善士為未足、又尚論古之人、(中略)是尚友也」(天下の善士を友とするを以て未だ足らずと為し、又古の人を尚論す、(中略)是れ尚友なり)
敬学館 (Keigakukan Hall)
教室棟
名称の由来:礼記 学記篇「師厳然後道尊、道尊然後民知敬学」(師厳にして然る後道尊し、道尊くして然る後民学を敬するを知る)
至徳館 (Shitokukan Hall)
旧称「中川記念会館」
1階にキャンパスインフォメーション、衣笠キャンパス事務課、教職支援センター。2階に入学センター。3階に役員室。4階に教務課など
名称の由来:孝徳、即ち年長者への敬愛(出典:孝経 開宗明義章)
末川記念会館 (Suekawa Memorial Lecture Hall)
末川名誉総長のメモリアルルーム、ホール、松本記念ホール陪審法廷、会議室。地階にレストラン「カルム」など
名称の由来:学校法人立命館の名誉総長である末川博 の功績をたたえて名付けられた。
第一体育館 (Gymnasium 1) =解体
トレーニングルーム、道場、サンドイッチ「サブウェイ」などがあったが、2013年に解体。跡地には新図書館が建設される。
第二体育館 (Gymnasium 2) =解体
京都衣笠体育館 (Kyoto Kinugasa Gymnasium)
旧第一・第二体育館を統合して2013年に新設。3つのアリーナ・柔道場等
学生会館 (Student Center)
学生施設、サークルボックス、練習ホール、小ホール(劇場)、「Cafe Junge」(ゆんげ)
アート・リサーチセンター (Art Research Center)
アカデメイア立命21 (Academeia Ritsumei 21)
歴史都市防災研究センター (Research Center for Disaster Mitigation of Urban Cultural Heritage)
展示ルーム、研究室
国際関係学部後期博士課程共同研究室
創思館 (Soshikan Hall - Human Research Center)
研究棟。1階にカンファレンスルーム、独立研究科事務室
名称の由来:遠い将来を見通して、はかりごとを立てる(出典:人物誌 三国時代)
アトリエ棟 (Atrium)
クレオテック (Creotech)
充光館 (Jukokan Hall)
映像学部 基本棟(学部事務室)、映像学部ラウンジ
名称の由来:充実し、光り輝いている(出典:孟子 「尽心章句」)
育友館 (Ikuyukan Hall)
小学校教員養成課程実習教室
名称の由来:小規模な建物であることから漢籍からの引用せず、使用目的から命名
究論館 (Kyuronkan Hall)
衣笠キャンパスにある記念館
西園寺記念館
「學然後知不足」(墨蹟)1915年(大正4年)、西園寺公望が神戸須磨逗留の際に作った墨蹟。学校法人立命館に寄贈されたオリジナルである。ことばは『禮記』からの引用。
学校法人立命館総長 谷岡武雄のことば「西園寺記念館」竣工と「国際関係学部」開設を記念して、学祖・西園寺公望のことば『學然後知不足』を贈るとともに、西園寺の思想を通して建学思想と教学理念を説くものである。現在は墨蹟とともに「至徳館」玄関ホールに掲げられている。
紅葉の西園寺記念館庭園後方に見えるのは鹿苑寺(金閣寺)庭園の森
概要
西園寺記念館は、衣笠キャンパスから徒歩約10分の所に位置(北区 衣笠 氷室町9)し、京都市営バス 「立命館西園寺記念館前」(M1系統 )バス停下車徒歩すぐの所にある。記念館のある辺りは、元仁 元年 (1224年 )に藤原公経 が「西園寺」を建立した場所に当たり[60] [61] 、寺は西園寺家 の家名の由来とされている。衣笠キャンパスからは独立した飛び地に存在するが、衣笠キャンパスの一部である。「氷室キャンパス」と言われる場合があるが、これは正式な名称ではない。
建築家 ・小林一彦(京都建築事務所)により設計され、1988年 3月 に竣工[78] 。ギリシャ 神殿 風の威風堂々とした外観の校舎に西洋 庭園 を備え、緑に囲まれた落ち着いた環境にある。1991年 にはそのデザインが評価され「京都市都市景観賞市長賞」を受賞している[79] 。上から見ると立命館の「命」の字に見えるといわれることがあるが、故意にそうデザインされたわけではない[80] 。
1988年 に開設された国際関係学部 の基本棟として使用されていたが、2000年 に同学部が恒心館へ移転されたため一時閉鎖。2003年 には法科大学院 基本棟として再び使用され始めたが、2005年 に法科大学院が立命館朱雀キャンパスの中川会館(京都府京都市中京区)に移転したため再び閉鎖した。2009年10月20日 より衣笠セミナーハウスとして使用されている。
宿泊室は洋室33室、和室2室で合計収容人数は192名。各会議室やカンファレンスルームもある。その他ランドリールームやカフェテリア、シャワールームなども完備している[81] [82] 。
敷地内には、かつて『駿河台 邸』と呼ばれた西園寺邸(東京都 千代田区 神田 )の庭園にあった石灯籠 と庭石 が寄贈され飾られているほか、館内ロビーには、名称の由来となった西園寺のレリーフ 塑像 (高さ67cm)が飾られている。このレリーフは、日展 評議員で京都教育大学 名誉教授 の杉村尚によるもので、西園寺記念館の竣工を記念して制作されたものである。また記念館定礎石 の題字は、住友銀行 名誉会長 の堀田庄三 によって揮毫 されたものである。
名称の由来
西園寺記念館の名称は、最後の元老 にして自由主義者 としても知られる西園寺公望公に因むものである。これは学校法人立命館が、1940年(昭和15年)の「学祖敬仰決議」以来、西園寺公望を学祖として敬仰しており、西園寺公のもつ国際性が国際関係学部の基本学舎の名称にふさわしいと考えられたからである。現在の立命館大学は、1900年(明治33年)に中川小十郎らによって設立された京都法政学校が、西園寺公望が1869年(明治2年)に京都御所 内の私邸に開設した私塾立命館からその名称を受け継いで発展したものである。その後立命館学園は、西園寺公望から私塾立命館の「名称と精神」を継承するものと認められるとともに、直接間接の支援を受けて今日の発展に至っており、こうしたことが西園寺記念館の命名の背景にある。西園寺記念館の竣工と命名について学校法人立命館総長・谷岡武雄 は次のような言葉を銘板に刻み学生に送っている。
明治二年(一八六九)秋九月、私邸に『立命館』を創始した西園寺公望は、長期にわたる海外生活の経験から国際感覚に優れ、先見性に富み、近代日本の政局に深くかかわってきた。ことに思想の自由と社会の平等を尊び、常に「世界の中の日本」を主張してやまなかった。
かかる学祖の思想は、本学の建学思想として教学理念の根底をなし、今日に至るまで脈々と受け継がれている。
昭和六三年(一九八八)春三月、西園寺家の発祥地である北山殿の址、すなわち現鹿苑寺(金閣寺)の傍に、国際社会に活躍しうる人材を養成するため、新に学舎を建設し、『西園寺記念館』と名付けることにした。ここに掲げる『禮記』から引用された墨蹟は、学祖が大正四年(一九一五)須磨逗留の折に作られており、学を志す人々に学問の深さを諭したものである。
新しい学舎において真理を探究し、幅広い教養をもち、調和のとれた国際人を目指して自己研磨に励む諸君に、このことばを送りたい。立命館総長 大学長 谷岡武雄
施設概要
地下1階地上3階建:延5,380.59m2
竣工年:1987年12月
衣笠セミナーハウス
受賞:京都市都市景観賞市長賞(1991年 )
立命館朱雀キャンパス
京都市 中京区 西ノ京朱雀町1に所在する。
2006年9月開設。京都法政学校創設者である中川小十郎の姓を冠した中川会館の一棟で構成され、大学本部(学校法人立命館の本部機能も担う)も衣笠キャンパスの旧中川会館から移転した。平安京 の朱雀大路 に当たる千本通 に面し、付近に朱雀院 跡があること、朱雀第一学区 に立地することが、キャンパス名の由来である。
中川会館
中川会館(朱雀キャンパス)
中川会館の塔屋(学校法人立命館)
建物正面側のデザイン陶板(校章)
建物裏側のデザイン陶板 (Rits)
概要
学校法人立命館が、学園全体の総合的な連携を機能的かつ高度に遂行できる施設を目的に計画して建設した建物で、学園学校法人本部、校友会本部、大学院(法務研究科、教職研究科)、が入居している。
中川会館の名称は、立命館大学の前身「京都法政学校 」を創立した中川小十郎 に由来する。現在の中川会館は3代目で、初代中川会館は、1936年 (昭和11年)に学園創立35周年と中川小十郎の長寿を記念して当時の広小路学舎に建設されたものである。1979年 (昭和54年)には、広小路学舎から衣笠キャンパス への大学全面移転事業に伴い、2代目の中川会館が衣笠キャンパスに竣工された。2代目会館は、2006年(平成18年)9月まで主に学園本部機能を担う管理棟として利用されていたが、今回の3代目中川会館の竣工でその役割を終えた。現在、2代目中川会館は「至徳館」と名称を変更し、キャンパスインフォメーションセンター、会議室、生協購買部などが入る複合施設として機能している。
特徴
近代京都建築を手本に設計され、外壁には輸入 英国 製煉瓦 、屋根 部分は緑青 銅板、白壁部分はテラコッタ 、建物土台部分には御影石 が使用されている。また建物正面(東側)と裏側(西側)の壁部分には、白いデザイン陶板が貼られている。陶板のデザインは、建物正面側が立命館の校章が、建物裏側には「Rits(立命館シンボルマーク:商標登録番号:4393342および4393343)」が彫刻されている。
会館正面(千本通側)の建物左上部には、学園コミュニケーションマーク「R」のロゴが2008年4月より掲示されている。それ以前はシンボルマーク「Rits」が掲示されていたが改修された。
会館南東部の屋上には、会館のシンボルとして「塔屋」が設けられている。塔の四面には、工芸 ガラス を利用してデザインされた四神 の図柄がはめ込まれており、北面に玄武 、南面に朱雀 、東面に青龍 、西面に白虎 が描かれ、夜にはこれらがライトアップ される。
1階正面玄関 を入ると、創立者・中川小十郎の胸像 に迎えられる。胸像の背後には、創立以来立命館学園を援助するとともに、学園の精神と名称を与えたことなどから学園の「学祖」として敬仰される西園寺公望 公が揮毫した「立命館」の扁額のレプリカ が掲げられている。現在、オリジナルの扁額は総長 室に飾られているが、これは1905年 (明治38年)、京都法政学校 が「立命館」の名称を継承することを許した西園寺公望から寄贈されたもので、「立命館」の三文字が力強く書かれている。
1階正面奥には「メモリアルホール」と呼ばれる空間があり、立命館学園の発展の歴史を伝えるパネルや映像を見ることができる。ホールには、学祖・西園寺公望の石膏 像(直径約41センチ)も飾られている。これは、彫刻家 ・武石弘三郎 が大正 時代に手がけた西園寺公望の銅像 をもとに複製されたものである。この銅像のオリジナルはもともと神田駿河台 (東京都 千代田区 )の西園寺邸にあったが、関東大震災 で破損してしまったものである。その後西園寺側近が破片から復元したものが静岡県 清水市 の清見寺 で保管されていたことが判明。立命館がこれをもとに再度複製したものである。西園寺は自身の銅像・彫刻を残すことを嫌ったため[83] 、完全な立体像としては清見寺のものを除き、これ以外に残っていないとされる。なお、衣笠キャンパス 西園寺記念館 の1階ホールにも、杉村尚が作製した西園寺のレリーフ 塑像 が飾られてあるが、これはほぼ平面に近い。
4階、5階部には全472席の大ホールがあり、シンポジウム やイベント に利用されている。
旧中川会館
中川会館(立命館大学広小路学舎)初代中川会館として1936年に竣工。
至徳館(立命館大学衣笠キャンパス)二代目・中川会館として1979年に竣工。2006年まで学園本部機能を担う管理棟であった。地階には立命館大学生協・購買部がある。
初代・中川会館
初代中川会館は、1935年 に立命館学園創立35周年と学園創設者・中川小十郎の長寿を祝って広小路校地に建設された。もともと立命館大学校友会評議員会は、盛大な記念祝賀会や中川小十郎の銅像建設などを予定していた。これを知った中川から、銅像建設や祝賀会に資金を回すより、学園の施設を充実してほしいと要望があり、1935年1月12日 の校友大会で「中川会館」の建設が決定された。中川会館の建設費用は寄付金によって賄われ、教職員、学生・生徒、学園縁故者の協力で総額73,970円81銭[84] が集まった。会館は1936年 5月に着工され、同年12月13日 に竣工。鉄筋三階建で陸屋根造り、モルタル 吹き付けの白亜の外壁に、腰は人造石洗出で仕上げられた。建坪は85坪・280m2 (延300坪・990m2 )[84] で、地階は学生控室・食堂にあてられ、存心館に通じる地下通路があった。1階部分は出版部、職員室、学生研究室、2階は学長室、法学部研究室、文学科研究室、予科研究室、高等商業科研究室、3階は総長公室、校友集会室、特別講義室、応接室にあてられた。記念室には久邇宮邦彦 王から中川総長に贈られた自作の詩の御書と銅製花瓶、西園寺公望から寄贈された書、白川義則 大将 寄贈による「天壌無窮」の銘がある花瓶、総長が明治天皇 像に奉献した靖広作の神剣や師の御霊が陳列された。このほか尾竹竹坡 の風俗画、大理石でできた西園寺の肖像などが飾られていた。竣工式前日に西園寺公望 から送られた南天 と山梔子 各30株が会館玄関脇などに植樹 された。
二代目・中川会館
二代目の中川会館は、1979年 に衣笠キャンパスに竣工。同年、広小路校地から学園本部が移転した。地上4階、地下1階建で延面積は6,079.13m2 [85] 。総長室や学園本部などが入る学園管理棟として機能した。地階には生協購買部が入居していた。2006年、朱雀キャンパスに新・中川会館が完成すると同時に学園本部機能が移転し、旧中川会館は映像学部 の講義などに利用されていた。その後、名称を「至徳館」と変更し、現在に至っている。
びわこ・くさつキャンパス
使用学部:経済学部 、理工学部 、生命科学部、薬学部、スポーツ健康科学部、食マネジメント学部
使用研究科:経済学研究科、理工学研究科、生命科学研究科、薬学研究科、スポーツ健康科学研究科
使用附属施設:立命館グローバル・イノベーション研究機構、理工学研究所、SRセンター、VLSIセンター、国際食文化研究センター、社会システム研究所、ファイナンス研究センター、防災フロンティア研究センター、古気候学研究センター、バイオシミュレーション研究センター、バイオメディカルデバイス研究センター、生物資源研究センター、環境テクノロジー・マネジメント研究センター、エネルギーイノベーション材料研究センター、先端マイクロ・ナノシステム技術研究センター、ロボティクス研究センター、先端ICTメディカル・ヘルスケア研究センター、創薬科学研究センター、システム視覚科学研究センター
敷地面積:629,521.88 ㎡
交通アクセス:
滋賀県 草津市 野路東1-1-1に所在する。
滋賀県が整備を進める「びわこ文化公園都市 」の一角に、1994年に開設されたキャンパス。愛称は"BKC"。延面積611,078.32m2 [85] の敷地は、滋賀県から無償で提供された。キャンパス内に設置されたクインススタジアムという陸上競技場の地下には木瓜原遺跡が完全保存されている。なお、クインス (quince) とは瓜 のことで、木瓜原という遺跡の名称から採られた。びわこ・くさつキャンパスの西隣には、広さ延面積は45,590m2 [85] の運動施設「BKCグリーンフィールド」がある。3階建てのクラブハウス、全面人工芝 のラグビー 競技場、アメリカンフットボール 専用グラウンドなどがある。
近江鉄道バス が乗り入れており、大津営業所運営路線のうち立命館大学バス停を停車バス停に持つ全路線ではIC乗車券が使用出来る。また草津田上インターチェンジ に隣接する利便性から、びわこ・くさつキャンパスと京阪本線 中書島駅 を結ぶ直通短距離路線バス「立命館大学 (BKC) 線」が京阪バス により(立命館では「高速バス」としている。かつては京阪京都交通 も運行)運行されている。また、かつては同キャンパスと飛島グリーンヒル を経由して近鉄京都線 ・京都市営地下鉄烏丸線 竹田駅 および京都駅 を結ぶ高速バス「MKハートシャトル 」がエムケイ観光バス(MKグループ )により運行されていた。
2004年にはBKCの開学10周年と産業社会学部創立40周年、および倉木麻衣 の歌手活動5周年を記念して産業社会学部の4回生、倉木麻衣による「Rits倉木麻衣メモリアルライブ2004」が行われ、約2万5000人を集めた。
2016年9月、BKCスポーツ健康コモンズが完成。
2020年8月25日、情報理工学部 と情報理工学研究科が、2024年4月より大阪いばらきキャンパスへ移転することが発表された[73] 。
フロンティアーアヴェニュー正門からセントラルサーカスへと続く遊歩道
C-CUBE(カフェレストラン)リニューアル前のもの、2010年撮影
Creation Core (Biwako Kusatsu Campus, Ritsumeikan University, Japan).JPG
クリエーションコア
びわこくさつキャンパスの施設
アクロスウイング (Across Wing)
KC国際教育センター、国際交流ラウンジ、情報語学演習室、メディアラボ、メディアライブラリー、ぴあら(学習施設)、大学院共同研究室、教員個人研究室、リサーチオフィス (BKC)、マルチメディアルーム、RAINBOWサービスデスクなど
アドセミナリオ (Ad-Seminario)
経済学部 事務室、BKC大学院課(テクノロジーマネジメント研究科事務室)、教室
コラーニングハウス I (Co-Learning House I)
情報処理演習室、情報語学演習室、教室
コラーニングハウス II (Co-Learning House II)
ンスティテュート研究室、演習室、教室、立命館高等学校スーパーサイエンス施設など
コラーニングハウス III (Co-Learning House III)
エクステンションセンター公認会計士オフィス・自習室
プリズムハウス (Prism House)
キャリアオフィス、エクステンションセンター、インターンシップオフィスBKC、学びステーション(BKC教学課)、プリズムホール、情報語学演習室、情報処理演習室、教室
クリエーションコア (Creation Core)
情報理工学部事務室、教員個人研究室、研究実験室
リンクスクエア (Link Square)
生協食堂、書籍部、サークルスペースなど
フォレストハウス (Forest House)
教室
レクセル (Rexl)
RI実験室
ウエストウイング (West Wing)
理工学部の研究・実験室、教員個人・院生研究室、保健センター
コアステーション (Core Station)
キャンパスインフォメーション、理工学部事務室、生命科学部事務室、薬学部事務室、BKC地域連携課、教員個人研究室、役員室、会議室など
イーストウイング (East Wing)
理工学部、生命科学部、薬学部の研究・実験室、教員個人・院生研究室
メディアセンター (Media Center)
開架図書、新聞・雑誌閲覧室、ぴあら、マルチメディアルーム、グループ学習室、セミナールームなど
ユニオンスクエア (Union Square)
学生関連施設、BKC教職支援センター、生協食堂・ショップ、ホールなど
立命館大学ローム記念館 (Ritsumeikan University Rohm Plaza)
大会議室、教員個人研究室、リサーチオフィス (BKC)
テクノコンプレックス (Techno-Complex)
リサーチオフィス (BKC)、SRセンター、産学連携ラボラトリー、ハイテクリサーチセンター、マイクロシステムセンター、ロボティクスFAセンターなど
立命館大学BKCインキュベータ (Ritsumeikan BKC Incubator)
(独)中小機構による大学連携起業家育成施設(開発・実験・研究施設)、リサーチオフィス (BKC)
防災システムリサーチセンター (Research Center for Disaster Mitigation System)
理工学部・情報理工学部の研究・実験室
セル (Cel)
理工学部の研究・実験室
エクセル 3 (Exl 3)
理工学部の研究・実験室
ワークショップラボ (Workshop Lab)
機械工作室
エクセル 2 (Exl 2)
理工学部、生命科学部、薬学部の研究実験室
エクセル 1 (Exl 1)
理工学部・情報理工学部の実験室
学術フロンティア共同研究センター (Frontier Research Center)
理工学部関係の研究・実験室、情報理工学部の実験室
アクトα (Act α)
サークルラボ
BKCジム (BKC Gymnasium)
第1・2アリーナ、トレーニングルームがある。第1アリーナでは、バスケットボール2面、バレーボール3面、ハンドボール2面の利用が可能。第2アリーナでは、バスケットボール1面、バレーボール2面、バドミントン6面、卓球6面、剣道2面、ハンドボール1面、その他武道6面などの利用が可能。トレーニングルームには最先端のトレーニングマシン、フリーウェイト機器があり、体育会部員だけでなく一般学生にもおおいに利用されている[86] 。
アスリートジム (Athlete Gym)
ポーツ強化オフィス (BKC)、トレーニングルーム、ミーティングルーム
BKCグリーンフィールド アスリートクラブハウス (BKC Greenfield Athlete Clubhouse)
アクトβ (Act β)
音楽練習場
アクトμ (Act μ)
音楽練習場
ビーイングスクエア (Be-ing Square)
エポック立命21 (Epoch Ritsumei 21)
多機能型セミナーハウス
セントラルアーク (Central Arc)
学生オフィス(BKC)、スポーツ強化オフィス(施設貸与受付)、学生サポートルーム、サービスラーニングセンター、学生関連施設など
喫茶・グリル「シー・キューブ」 (C-Cube) 2021年9月リニューアル[87] (2019年12月に一旦閉店[88] )
燃料電池 研究センター (Office of Fuel Cell Research)
キャノピー (Canopy)
キャンパスインフォメーションセンターなど
BKCグリーンフィールド、アスリートクラブハウス (BKC Green Field)
サイエンスコア (Science Core)
生命科学部・薬学部の基本棟。模擬薬局、動物実験施設など
インテグレーション コア・ラルカディア (Integration Core/Rarcadia)
スポーツ健康科学部の教室。2階にスポーツ健康科学部事務室
トリシア (Tricea)
理工学部の研究・実験室、教員・院生研究室
セントラルアーク
セントラルアーク
サブウェイ立命館大学BKC店
セントラルアーク(英語表記:CENTRAL ARC)は、学生交流施設。2005年 2月 竣工。竣工式は2005年3月23日 。
地上4階建、延面積4,935.02m2 [85] 。
学生の学びと成長を促進する施設として「交流」「伸長」「発信」をテーマに設定しており、ドリームクロスラウンジ、ステージ、サテライトブース、表現のジャングルジム、アカデミックワークショップ、作業ラボ、作業テラス、コンセプトルーム、プレゼンテーションスペース、ミーティングルーム、練習ブース、セントラルアクトオフィス(BKC自治会)、学生オフィス、スポーツ強化センターなどがある。また、セントラルアークの2階には、国際交流や言語学習を中心としたグローバルコモンズとしてBeyond Borders Plaza(BBP)が設置されている。
2000年12月6日 に開催された「第2回BKC自治会代表委員会総会」にて、コンセプトを高度化した「学生交流施設」の建設を短中期的課題として要望する決議をしたのが建設議論の始まり[89] 。
「学生交流施設」とは、既存の学生会館とは違う、正課・課外を問わない学生の交流の場を目指した新しいコンセプトの施設をイメージして名づけられた。
2001年 には要望が具体化され、2003年度には学生署名約1万2000筆が集まった。これを受けて、2003年 10月8日 の立命館大学全学協議会 にて建設が正式に決定した。
名称は公募され、919件の応募の中から猪狩大輔の作品が選ばれた[90] 。
大学の中心(セントラル)に建つ、弧(アーク)型の建物であることに由来する[91] 。
2008年 6月20日 、サンドイッチ・チェーン「サブウェイ 」が1階にオープンしたが、2016年 度中に閉店した。
エポック立命21
エポック立命21
エポック立命21(えぽっくりつめいつーわん、英語表記:EPOCH RITSUMEI 21)は、多機能型セミナーハウス。着工は2000年 8月1日 で、竣工は2001年 4月30日 。
鉄筋コンクリート造地上4階建(一部鉄骨・鉄骨鉄筋コンクリート造)。建築面積2,388.51m2 、延床面積6,851.70m2 [92] 。延面積6,019.92m2 [85] 。
会議室、宿泊室、父母教育後援会記念エポックホール、交流室、スポーツハウス、茶室(蓬窓庵)、屋上庭園、ミーティングルーム、食堂などがある。また2014年3月22日まで、琵琶湖ホテル が運営するフレンチレストラン「EPOCHラウンジ」が、学生・教職員の他、一般客にも開放されていた[93] 。
セミナーハウス機能を持つ施設の建設は、びわこ・くさつキャンパス開設当初の1994年 より学生がその必要性を挙げていた。1999年 には学生による大規模な運動が行われたこともあり、建設を求める声が高まりを見せ、1999年秋に行われた建設を求める学生署名には実質7日間で9663筆が集まった。これを受け、1999年10月6日 に開催された全学協議会 では、全学的な議論を経て建設が正式に決定された。
建設にあたっては、設計当初より大学側と学生の代表であるBKC自治会との議論を重ねられ、当初の宿泊機能に加えてホール、茶室、スポーツハウスなど、当初計画に含まれていなかった機能が備えられることとなり、学生の声が取り入れられる形での建設となった。
名称は、立命館大学そしてBKCの新しい時代 ― EPOCH ― を創造する一歩として、5つのコンセプト、Exchange(交流)・Personality(個性)・Oasis(いこい)・Co-learning(学びあい)・Humanity(人間らしさ)を追求できる新時代のセミナーハウスを目指して、当時経営学部3回生の庄山由多加が名づけた[94] 。
大阪いばらきキャンパス
A棟
A棟エントランス
B棟と岩倉公園
A棟と岩倉公園
キャンパス内からのH棟(新棟)
南エントランスからのH棟(新棟)
使用学部:経営学部 、政策科学部 、情報理工学部 、映像学部 、総合心理学部、グローバル教養学部
使用研究科:経営学研究科、政策科学研究科、情報理工学研究科、映像学研究科、人間科学研究科、テクノロジー・マネジメント研究科、経営管理研究科
使用附属施設:立命館グローバル・イノベーション研究機構、アジア・日本研究所、地域情報研究所、グローバルMOT研究センター、イノベーション・マネジメント研究センター、医療経営研究センター、デザイン科学研究センター、サステイナビリティ学研究センター、認知科学 研究センター、稲盛経営哲学 研究センター
敷地面積:108,179.82 ㎡
交通アクセス:東海道本線 (JR京都線 )茨木駅 、阪急京都本線 ・大阪モノレール線 南茨木駅 、大阪モノレール線宇野辺駅
大阪府 茨木市 岩倉町2-150に所在する。
2010年8月27日、大阪府 茨木市 岩倉町1番地のサッポロビール 大阪工場跡地に新キャンパスをつくる構想があると報道された[95] 。その後、構想があることを認め[96] 、2010年11月12日に学校法人立命館が同用地の取得と新キャンパス開設することを理事会で決定したと公式に発表した[97] 。
新キャンパスの面積は12万1,891平方メートルで、2015年4月に開設された。キャンパスの名称は「大阪いばらきキャンパス」となり、略称は「OIC」である。
2018年6月18日、大阪府北部地震 で被災し、復旧までの約1週間立ち入り禁止となり、同キャンパスでの授業は休講となった[98] 。
2024年4月、びわこ・くさつキャンパスから情報理工学部 と情報理工学研究科が、衣笠キャンパスから映像学部 と映像学研究科が移転。
大阪いばらきキャンパスの施設
A棟
講義室、演習室、学部・研究科事務室、コモンズ、研究室、セブン-イレブン、レストラン、診療所、文化系クラブ部室、学生課、キャリアセンター、学びステーション
B棟(立命館いばらきフューチャープラザ)
講義室、図書館(OICライブラリー)、音楽練習室、イベントホール、グランドホール、コモンズ、茨木商工会議所、スターバックス 、GARDEN TERRACE LION(銀座ライオン )
C棟
講義室、OICセミナーハウス、生協食堂 (OIC Cafeteria)、生協売店 (OIC Shop)、RAINBOWサービスデスク
D棟
体育館(OICアリーナ)、トレーニングルーム、体育系クラブ部室、ロッカールーム
E棟
エネルギーセンター
F棟
OICフィールド(主にホッケーに使用されるグラウンド)のスタンド
立命館大学OIC分林保弘記念国際交流館(仮称)
グローバル教養学部を中心とした国内学生と国際学生の混住型国際寮機能を兼ね備えた国際交流拠点となる施設
H棟(新棟)
講義室、クリエイティブ・コンプレックス、保健センター、フードコート(OIC FOOD PARK)
かつて存在したキャンパス
立命館大学広小路学舎(1956年)
養性館(のちの興学館)1926年(昭和元年)、図書館として竣工。1950年(昭和25年)に図書館は大学院校舎に移転した。1953年(昭和28年)に興学館に改称。
旧・恒心館(広小路学舎)河原町通から望む。衣笠キャンパスに移転した経営学部に代わり、産業社会学部が基本棟として使った。衣笠キャンパスへの全面移転後は宗教法人に売却されたが、2020年に建物は解体された。
旧・立命館大学体育館(現・京都府立医科大学体育館)1958年(昭和33年)鴨川畔に竣工。広小路通から300メートルほど北上したところに位置する。
広小路学舎
広小路学舎は京都法政学校設立当初の1901年 (明治34年)に設置された京都市 上京区 広小路通 河原町西入にあったキャンパス。当初の敷地面積は2,200m2 [99] で、衣笠キャンパスに全面移転する1981年 (昭和56年)頃の総面積は40,000m2 [99] であった。校舎の一部(尽心館、存心館、養性館)は『孟子』尽心篇・首章の次の一文に拠って命名された。選者は立命館長・中川小十郎の委託を受けた講師の鷹取田一郎であった[84] 。
「其の心を尽す(尽其心)者は其の性を知るなり。其の性を知らば則ち天を知らん。其の心を存し(存其心)其の性を養う(養其性)は、天に事(つか)う所以なり。妖寿たがわず身を修めて以て之をまつは、命を立つる所以なり。」
全盛期には学園本部 のほか、法学部 、経済学部 、文学部 、経営学部 、産業社会学部 と各二部と各研究科が、狭隘な土地に所狭しと立ち並んでいた。学園の拡大政策のもと衣笠キャンパスへの全学統合が計画された。
1965年 (昭和40年)の経済・経営両学部移転を皮切りに順次各学部や研究科が移転し、1981年 (昭和56年)には最後に残った法学部が移転し全学が衣笠に移転完了し、「広小路学舎閉校祭典」が開催された。広小路学舎は、1981年(昭和56年)3月末日をもって「京都府土地開発公社」に売却された。現在跡地には「立命館学園発祥の地」記念碑が建っているが、大部分は隣接する京都府立医科大学 図書館として活用されている。「広小路学舎閉校祭典」で当時の総長・天野和夫 は次のように挨拶している。
「広小路学舎は草創期からの学び舎で、多くの卒業生が学び、役員、教職員、学生が守ってきた。この地を離れるにあたって寂寥の感が深い。この学舎はたんに教育、研究の場であっただけでなく、御所の東という立地条件に恵まれ、市民にもなじまれた。これから衣笠で八〇年代の学園の発展に向け飛び立とうするが、広小路学舎の歴史に学び、諸先輩の足跡を教訓としたい(『京都新聞』一九八一年二月六日付)。」
[100]
広小路学舎にあった施設は以下の通りである[101] 。
養性館(1926年竣工) - 旧立命館文庫。中川会館ができるまでは本部事務室も入っていた。1953年に建物を90度回転させ「興学館」と改称[102] [103]
尽心館(1927年竣工) - 戦前は大学予科 校舎。戦後はII部事務室などに使用
存心館(1928年竣工) - 1954年4階建てに増築。法学部、II部、会計課、長期計画事業事務局
入徳門(養性館と存心館・尽心館とを結ぶ地下道)
国清殿(1932年竣工) - 旧・中央講堂
中川会館(1936年竣工) - 学園本部
第一新館(1948年竣工) - 学生会館
第二新館(1949年竣工) - 文学部
第三新館(1950年竣工) - 大学院研究室・教室、図書大閲覧室、人文科学研究所、学園ホール
鴨川運動場(1950年開設)
立命会館(1952年竣工) - 広小路学生会館、食堂
研心館(1953年竣工) - 第四新館。大講堂、大教室、図書大閲覧室、法学部・経済学部行政施設、学生課、就職課、学友会など
清心館(1957年竣工) - 文学部、文学部事務室、大食堂、診療所
尚学館(1957年竣工) - 教員研究棟
敬学館(1958年竣工) - 会議室兼図書室[104] [105]
体育館(1958年竣工) - 現・京都府立医科大学 体育館[106]
有心館(1961年竣工) - 外国語教育用小教室[104]
恒心館(1962年竣工) - 経営学部学舎、1965年から産業社会学部学舎。現在は世界救世教 いづのめ教団の京都救世会館
寮
Rits International House Tokiwa(京都市右京区常磐)
Rits International House Utano(京都市右京区太秦)
Rits International House Taishogun(京都市北区大将軍)
国内寮
短期留学生用の学生寮 が「衣笠キャンパス」近くに2棟ある[107] 。主に中長期留学生用の学生寮が「びわこくさつキャンパス」隣接地に1棟ある[108] 。短期留学生用の寮は、すべて一人部屋(ベッド ・デスク 備え付け)で、トイレ ・バス 完備。インターネット 対応。共用のキッチン 、ラウンジルーム、洗濯機 ・乾燥機 、コンピュータールームなどを備える。約20の国、地域から集まる留学生が、BUDDY(バディ)と呼ばれる日本人学生ヘルパー、学校教員らとともに居住している。
Rits International House Tokiwa(京都市 右京区 常盤)
京福電鉄 「鳴滝駅 」から徒歩5分、西日本旅客鉄道 (JR西日本)山陰本線 (嵯峨野線 )「花園駅 」から徒歩10分のところに位置する。収容人数53名。内訳は留学生 49名、BUDDY(バディ、原則として最低1名は男性)2名、教員2名。寮費は月額36,000円(水光熱費含む)。建物面積1,661,19m2 。
Rits International House Utano(京都市 右京区 太秦 )
京都市バス 26系統、59系統「ユースホステル前」バス停徒歩1分の所に位置する。旧嵯峨野セミナーハウスの敷地を利用して建設され2002年9月より利用が開始された[109] 。収容人数37名。内訳は留学生 34名、BUDDY(バディ)が1名、教員2名。Rits International House IIは、各部屋にバルコニー 、冷蔵庫 、トイレ 、洗面台 が備え付けられている。寮費は月額45,000円(水光熱費含む)。建物面積1,233.54m2 。
Rits International House Taishogun(京都市 北区 )
京都市バス 等持院道バス停徒歩すぐ所に位置する。地上4階建。寮室190室、アクセシブルルーム1室、ゲストルーム(研究者向居室)5室、ドミトリールーム(短期宿泊室)12室(4人室)、LDK4室、スタディルーム4室を備える。寮費は月額44,000円(寝具レンタル料含む)。延床面積5,400m2 。
立命館大学BKCインターナショナルハウス(滋賀県大津市松が丘六丁目)
びわこくさつキャンパス南側隣接地(大津市松が丘六丁目)に存在する。鉄筋コンクリート5階建。延床面積約4,500m2 。学生用居室152室。身障者対応居室1室。研究者用居室7室。セミナー宿泊室8室。多目的室1室。
かつて存在した寮
立命館大学は、合計11の学寮を持っていた。その後、入寮希望者の減少に歯止めがかからず、1987年 (昭和62年)に学寮の全廃を決定。1991年 (平成3年)3月をもって全廃された[10] , [110] 。
出町寄宿舎(後に出町南寮)
1906年 (明治39年)、上京区寺町今出川上ルに木造二階建て(約160坪)の家屋を買収し学寮として改築したもの。
吉田寮
1941年 (昭和16年)に開設した立命館大学として二番目の学寮。1964年(昭和39年)に廃止。
衣笠寮
1950年 (昭和25年)、京都市北区等寺院西町に開設。
春菜寮
1951年 (昭和26年)、京都市左京区田中春菜町に男子寮として開設。1964年(昭和39年)に女子寮に転用開始(定員34名)。1977年(昭和52年)閉寮。
出町寮(出町北寮と出町南寮)
1953年 (昭和28年)、京都市上京区出町枡形上ル鶴山町に開設(1964年時点の学生数は、北寮が38名、南寮が40名)。1973年(昭和48年)に閉寮。
百万遍寮
1954年 (昭和29年)、京都市左京区田中関田町に開設(定員 60名)。1969年(昭和44年)閉寮。
下鴨寮(女子)
1954年 (昭和29年)、京都市左京区下鴨上河原町に設置(1964年時点の収容定員 22名)。1977年(昭和52年)閉寮。
学思寮
1964年 (昭和39年)、京都市北区鷹ヶ峰南鷹ヶ峰町に設置(定員 200名)。1988年(昭和63年)閉寮。
双ヶ岡寮
1972年 (昭和47年)設置、京都市右京区常磐神田町に開設(定員 102名)。1988年(昭和63年)閉寮。2024年現在は「インターナショナルハウス常磐」として国際学生を受け入れている。
新衣笠寮(2部男子)
1973年 (昭和48年)、京都市北区等寺院西町にに開設(定員 70名)。1991年(平成3年)閉寮。
朱雀寮(1部・2部女子)
1978年 (昭和53年)、京都市中京区西ノ京右馬寮町に春菜寮と下鴨寮を統合し開設(定員 62名)。1991年(平成3年)閉寮。
立命館プラザ
2007年に立命館大学は、同学および立命館アジア太平洋大学の入試情報提供等のサービスを行う拠点として、「立命館プラザ」を設置した。地元京都や近畿地方 だけでなく、全国規模で入試情報等を提供することが目的。同じ関西でも京都からやや遠い神戸市のほか九州 (福岡市 )、東海地方 (名古屋市 )、北海道 札幌市 の4都市に設けられている。
2009年3月26日には、衣笠キャンパスの至徳館2階に「立命館プラザ京都」が、また2011年6月1日には、びわこ・くさつキャンパスの「キャンパスインフォメーション・キャノピー」に「立命館プラザBKC」も設置された。
サテライトキャンパス・オフィス
大阪富国生命ビル に2011年1月6日開設。立命館大阪オフィス、立命館孔子学院 ・大阪学堂を併設。
2010年12月までは、大阪市中央区北浜・淀屋橋駅 前に「立命館アカデメイア@大阪」が設けられていた。
2013年度より、当初の「大阪キャンパス」から、2015年度開設の「大阪いばらきキャンパス」との区別のため、名称変更された。
JR東京駅 前・サピアタワー 内:立命館東京オフィス、立命館孔子学院・東京学堂を併設。
「立命館東京オフィス」は2011年12月まで、東京都 中央区 八重洲 のビル内に別個に設けられていたが、2012年1月10日より、サピアタワー内の「立命館東京キャンパス」に移転・統合された。
海外大学・機関との協定
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留学協定
学部生留学協定
共同学位プログラム協定
アメリカン大学共同学位プログラム (AU-DUDP)[112]
1992年にスタートしたプログラムで、AU-DUDP (Dual Undergraduate Degree Program) と呼ばれる。立命館大学とアメリカン大学 (ワシントンD.C. )が相互に単位を認定し合うことで、双方の学生が最短4年間で両校の学位 (学士 号)を取得できるプログラムである。立命館大学からのプログラム参加生(派遣生)は原則として入学試験(アメリカン大学とのデュアル・ディグリー制度履修者選抜入試)合格者で、アメリカン大学(教員)による出願書類審査とプレースメント試験(英語による筆記・論述・個人面接)を経て選抜される。若干名ではあるが、毎年1回生を対象に当該プログラムへの参加募集が入試選抜枠とは別枠で行われ、選抜されれば「共同学位プログラム派遣生」として1回生後期から3回生前期までの2年間をアメリカン大学で過ごすことになる。両校の学位を取得するためには、アメリカン大学で80単位以上を取得し、かつ現地所属学部の卒業要件を満たすことが条件となる。全体の定員は最大27名(各年度)。法学部、経営学部、国際関係学部、政策科学部、文学部、国際インスティテュート所属生のみが参加可能である。アメリカン大学では、国際関係学部、文理学部、経営学部、公共政策学部、コミュニケーション学部のいずれかに所属する。
サフォーク大学共同学位プログラム (SU-DUDP)[113]
アメリカ合衆国 マサチューセッツ州 ボストン にあるサフォーク大学 との間で2009年 にスタートした共同学位プログラムでSU-DUDPと呼ばれる。初年度は、参加希望者に実施された「グローバルゲートウェイプログラム (GGP) 履修者選抜入学試験」を突破した国際関係学部所属生のみが参加。定員は原則として国際関係学部から最大20名(各年度)。ただしGGP履修者およびその他の学生(1回生)からも若干名の募集がある。プログラム派遣生は、2回生後期から2年間をサフォーク大学教養学部 公共政策学科 国際政治コースで過ごし、最低80単位取得する必要がある。当該プログラム修了生は、最短4年で立命館大学とサフォーク大学の両校の卒業資格を取得することができる。
ブリティッシュ・コロンビア大学との留学協定
立命館・UBCジョイント・プログラム[114]
1992年にスタートしたプログラムで、立命館大学の学生(主に2回生)約100名をカナダにあるブリティッシュコロンビア大学 (UBC) に9か月派遣するプログラム。帰国後、一定の条件を満たせばUBCでの取得単位を立命館大学の単位として認定することができるため、4年間で立命館大学を卒業することが可能。在学中は、現地にある寮(立命館UBCハウス など)に入寮し、現地の学生と共同生活を行うこともできる。姉妹校の立命館アジア太平洋大学 (APU) からも若干名の参加者がある。立命館大学で経営学を専攻する学生は、Sauder School of Businessの授業を受講、単位を取得することが可能。
UBCサマーセッション・プログラム[115]
立命館・UBCジョイント・プログラム修了生が、さらに滞在期間を延長し、UBCでの正規開講科目を受講できるプログラム。5月から6月の夏学期 (Summer Session) に授業が行われるため、帰国後の復学は当該年度の後期(9月)からとなる。
UBC2年目派遣プログラム[116]
立命館・UBCジョイント・プログラムを優秀な成績で修了した学生を対象に選考が行われるプログラムで、参加者はさらに1年間現地で正規開講科目を受講することを許される。UBCの卒業資格(学士)は得られないが、帰国後取得単位を立命館大学の単位として認定することで、4年間で大学を卒業することができる。
カリフォルニア大学デービス校との留学協定
2010年(平成22年)開始の「カリフォルニア大学デービス校 アメリカの言語・文化・社会」プログラムでは、全学部2回生以上から約10名を選抜し派遣する。派遣期間は6か月間で、将来的に英語圏の大学への正規留学ができるレベルにまで語学力を引き上げるプログラムが組まれている。派遣生はデービス市内または近郊の町にホームステイ する[117] 。
アルバータ大学(カナダ)との留学協定
2010年(平成22年)開始の「アルバータ大学 北米の言語・文化・社会」プログラムでは、全学部2回生以上から若干名を選抜し派遣する。派遣期間は8か月。大学寮に滞在するが、ホームステイの場合もある。当該プログラムでは、一学期目を英語能力の向上にあて、二学期目は、語学力が所定のレベルにあることを条件に、現地正規開講科目を受講することができる。正規受講した場合、最大16単位まで立命館大学において単位認定可能[117] 。
交換留学協定
交換留学プログラム[117]
立命館大学との間で学生交流協定を締結している海外の大学に、1学年間留学をするプログラム。2009年4月現在、世界24カ国・地域にある89の大学と協定を結んでおり、立命館大学から約200名の交換留学 定員が認められている。
国際インスティテュート海外スタディ(9コース)[117]
国際インスティテュートが主催する全学部生対象の短期留学プログラム。春期休暇または夏期休暇を利用して開催され、海外の大学で学ぶ「アカデミック・ラーニング」、国連本部 やJICA などで実践的な経験を積むことができる「フィールドワーク・ラーニング」の二種類がある。派遣期間は2週間 - 4週間。滞在先は、寮、ホテル、ホームステイ。英語圏以外では派遣国の言語講座を受講することも可能。
「アカデミック・ラーニング」
サイモンフレーザー大学(カナダ)- 日本の未来像(カナダの多文化社会)
リナウス大学(スウェーデン)- 日本の未来像(スウェーデンの共生社会と福祉)
ハワイ大学(米国)- 多民族社会ハワイで学ぶマルチカルチャリズムとその歴史
ラトガーズ大学(米国)- アメリカの大学生と学ぶ日米関係
サザンクイーンズランド大学(オーストラリア)- オーストラリアの社会・文化と国際関係
ASKOヨーロッパ財団(ドイツ等 西欧4か国)- EUの拡大とその現状(政治・経済・文化)
グラナダ大学(スペイン)- スペインで学ぶ欧州の国際関係とイスラム世界
「フィールドワーク・ラーニング」
インドネシア国際協力(インドネシア大学他)- 国際協力をこの目で
国連本部 (米国)- 国連本部で学ぶ国際公務
JWP留学制度[118]
「JWP立命館大学全学募集枠」と「JWP交換留学」の二種類がある。後者では「国際インスティテュート生」が優先して派遣される。派遣先は、北米 (米国 、カナダ)とヨーロッパ (アイルランド 、スウェーデン )にある下記大学。
米国
アラバマ大学
アルフレッド大学
イリノイカレッジ
ウェスタンミシガン大学
オハイオノーザン大学
サンフランシスコ大学
ジョージアカレッジ州立大学
フロリダ国際大学
ニューメキシコ大学
サフォーク大学
アーカンソー州立大学フォートスミス校
カナダ
アイルランド
スウェーデン
ISEP交換留学制度[119]
International Student Exchange Programの略。ISEP加盟大学との間で交換留学を実施している。加盟大学は米国大学のみ。
その他の短期プログラム[117]
1セメスター留学(9 - 14週間のプログラム)
ショートステイプログラム(4週間程度のプログラム)
立命館・ボストン大学 「英語研修」プログラム
立命館・シモンズカレッジ「アメリカ社会とアメリカの国際関係」プログラム
立命館・昭和ボストン「文化・社会調査」プログラム
立命館・ブリュッセル外国語大学「フランス語研修」プログラム
異文化理解セミナー(13コース)- 6言語(英語 、中国語 、韓国語 、フランス語 、ドイツ語 、スペイン語 )を基本に、下記13大学への派遣。毎年300名以上が参加する。
大学院生留学協定
共同修士学位プログラム (DMDP)[120]
アメリカン大学(アメリカ)- 全研究科博士課程前期課程(理工学研究科、テクノロジーマネージメント研究科、法務研究科を除く)
オランダ国立社会科学大学院大学(オランダ )- 国際関係研究科博士課程前期課程
グラナダ大学 (スペイン )- 全研究科博士課程前期課程(理工学研究科、テクノロジーマネージメント研究科、法務研究科を除く)
ランカスター大学(イギリス )- 国際関係研究科博士課程前期課程
ロンドン大学 ロイヤルハロウェイ校(イギリス)- 国際関係研究科博士課程前期課程
ヨーク大学 (イギリス)- 国際関係研究科博士課程前期課程
慶煕大学校 (韓国 )- 国際関係研究科博士課程前期課程
中央大学校 [121] (韓国)- 社会学研究科博士課程前期課程
日仏共同博士課程プログラム
交換留学制度
立命館大学との間で学生交流協定を締結している海外の大学院に、1学年間留学をするプログラム。2008年1月現在、世界18カ国・地域にある46の大学院と協定を結んでいる。
学外機関による留学プログラム
JALスカラシッププログラム[122]
スタンフォードVIA AUSLプログラム[123]
フライブルク大学・日本人学生のためのサマープログラム(ドイツ語とドイツ文化)[124]
淑明女子大学校 「SMU Summer School on Korean Language and Culture 2009」[125]
慶煕大学校夏期短期韓国語研修 [126]
ソウル市立大学校 「韓国語・韓国学サマーコース」[127]
PNU Summer Korean Program <釜山国立大学>[128]
香港中文大学インターナショナルサマースクール中国語コース[129]
南台科技大学中国語語学および台湾文化体験研修プログラム[130]
亜州・香港中文コース[131]
広島 INU Student seminar[132]
留学生受け入れ協定
学部生
一般留学
「正規留学生」として日本人学生と同じプログラムを修了し卒業資格を得るもの。薬学部を除く全学部で実施されている。国際関係学部の定員は25名(前期・後期合計)。他の学部では若干名。受験者は立命館大学の指定する「日本留学試験」および面接試験と通して選抜される。国際経済学科および国際経営学科では、英語検定試験(TOEFL、TOEICなど)の受験が必須。
アメリカン大学学部共同学位プログラム
立命館大学とアメリカン大学が相互に単位を認定し合うことで、双方の学生が4年間で両校の学位(学士号)取得できる留学プログラムである。1992年にスタートし、学内では通称DUDPと呼ばれる。
交換留学プログラム
立命館大学との間で学生交流協定を締結している海外の大学から、1年間留学生を受け入れるプログラム。2008年1月現在、世界18カ国・地域にある52の大学と協定を結んでいる。
JWP交換留学制度
北アメリカ (米国・カナダ)の12大学およにヨーロッパ(アイルランド・スウェーデン)の2大学から留学生を受け入れるプログラム。
ISEP交換留学制度
International Student Exchange Programの略。ISEP加盟大学(米国の大学のみ)から留学生を受け入れている。
大学院生
一般留学
「正規留学生」として日本人学生と同じプログラムを修了し大学院修了資格を得るもの。
アメリカン大学大学院共同学位プログラム
立命館大学大学院とアメリカン大学大学院が相互に単位を認定し合うことで、双方の学生が4年間で両校の学位(修士号)取得できる留学プログラムである。1992年にスタートし、学内では通称DMDPと呼ばれる。
Advanced Program in English(原則英語による開講のみ)
Master's / Doctoral Program in International Technology & Management
学内ではIPAITとよばれ、博士前期課程および博士後期課程があり、授業は原則英語のみで行われる。前期課程の学年定員は約20名で、修了年数は2年。学生は3つのコース ("Material-Energy Science and Engineering," "Civil, Environmental and Biological Engineering," "Information Science and Systems Engineering") のいずれかに所属する。授与される学位は、"Master of Science"または"Master of Engineering"である。後期課程の学年定員は最大5名。修了年数は原則3年。授与学位は"Doctor of Science"または"Doctor of Engineering"である。
Global Corporation Program
学内ではGCPと呼ばれる国際関係研究科の留学生受け入れプログラムである。4月入学と9月入学があり、修士論文を加え合計30単位が修了要件である。修了年数は2年。当該プログラムの特徴は、3 - 6か月の間、国際機関、政府機関、国際企業、非政府組織 (NGO)、国内の地方公共団体などでインターンシップ生として参加することが可能なことである。また、1年間、アメリカン大学、オランダ国立社会科学大学院大学、またはグラナダ大学政治社会科学大学に留学することもできる。そこで得た単位を卒業単位認定することも可能。GCP修了生に授与される学位は、"Master's Degree in International Relations"である。
Master's Program in Economic Development
通称MPEDと呼ばれる博士前期課程のみのプログラム。2002年に開設されたプログラムで原則的に授業は英語のみ。修了年数は2年で論文を含む32単位の取得が必要。授与される学位は、"Master's Degree in Economics"である。
Planning and Administration Program in Policy Science
通称PAPPSと呼ばれる政策科学研究科の博士前期課程プログラム。授業は原則英語で行われ、修了年数は2年。授与される学位は"Master's Degree in Policy Science"である。
その他の留学生受け入れプログラム
Study in Kyoto Program
学内ではSKPプログラムと呼ばれ、海外の学生を1セメスターから2セメスター受け入れるというもの。参加留学生は、A - Eの五段階にレベル分けされ日本語を学ぶほか、華道 、茶道 、三味線 、陶器 制作などさまざまなプログラムに参加できる。毎年50名前後の留学生が参加する。
Ritsumeikan Summer Japanese Program
5月から6月の約1か月間で日本語を学ぶプログラム。午前中は日本語を勉強し、午後は日本の文化の体感学習を行うというプログラム。参加留学生は日本語レベルごとに15名以下からなるグループに分けられ学習する。
国内大学・機関との主な協定
他大学との連携協力協定
その他の協力協定
世界学生湖沼会議 (2008年)
日本商工会議所 (2008年7月24日 )[140] (学校法人立命館系列校全てとの協定)
留学生の受入促進、育成および就職支援に関する事業
企業の国際化展開・人材育成支援に関する事業
学生と企業とのインターンシップおよび就職マッチングに関する事業
教育活動およびキャリア支援に関する事業
地域連携事業等への取り組みと情報提供
創業塾等の冠講座の実施
企業トップ、起業家育成、事業承継、キャリアアップセミナー等の開催
特色ある教育プログラム開発に向けての協力
海外展開企業向け研修の充実
地域活性化や地域振興に対する協働事業や共同研究
アサツー ディ・ケイ (2008年3月21日 )[141]
企業連携を基礎とした教学プログラムの構築
広告・ブランドマーケティング分野の人材育成
松竹株式会社 および京都府(2007年10月1日)[142]
デジタル分野の共同研究
松竹グループでのインターンシップ実施
京都撮影所内への立命館実習施設の設置
撮影機材の貸与、講師の派遣・斡旋など実習協力
日本プロ野球選手会 (2009年6月29日)
学校法人立命館と同選手会との間で、スポーツを通じての社会貢献を目的とした包括協定を締結。記念イベントとして同年12月6日に、びわこ・くさつキャンパス (BKC) において、「ベースボール・クリスマス2009 IN びわこ・くさつ」が開催された。
関西4大学学長フォーラム
協定ではないが、共同事業として2004年より「関関同立 」の4校である、関西大学 、関西学院大学 、同志社大学 、立命館大学が主催し、読売新聞社 が共催する各大学学長によるフォーラムが、全国の主要都市で年一回開催されている。同フォーラム会場では、4大学合同の入試説明会も開かれている。
全国私立大学FD連携フォーラム
立命館大学が中心となり、2008年に発足させたファカルティ・ディベロップメント に関する日本で初の私立大学連携協定。発足当初からの連携校は関西大学 、関西学院大学 、慶應義塾大学 、中央大学 、同志社大学 、法政大学 、明治大学 、立教大学 、早稲田大学 。
ぐるなび (食関連産業に関する産学連携 協定を2018年締結)[143]
立命館一貫教育部により小・中・高は附属校 に位置づけられている。また、立命館高等学校は「1905年9月京都法政大学の附属校として清和普通学校を設立」と明記している。
注釈
桑原武夫 の研究(「左派の長者」『追悼 末川博』(1979年)有斐閣 pp.247-248)によると学生が「禁衛隊」を名乗り京都御所 の警護を申し出ていたために、GHQ は神宮皇學館 とともにとり潰す大学の筆頭としたという。
山崎有恒は中川の教育理念について中川の発言を以下の通り引用する:「私は学園の園丁である。自由放任主義で干渉しない、諸君を立派な有望の人物としたい。勉強することを望む。諸君も『国家有為の在幹』となるため勉強することを望んでいるはず。目的が一緒なので放任主義でいく。諸君は勉強してほしい。そのための条件は私ができる限り整える」。その上で山崎は、「要は自由放任主義だった。自由放任主義だからこそ生まれてくる力強さ、たくましさ、それこそが中川にとって、もっとも美しいものであって、これは<中略>学生育成方針に反映されていた。<中略>戦前の立命館大学に、極めて自由な空気が流れていた原点はここにあった」と述べている(「中川小十郎の教育理念と戦後を創った卒業生たち : 戦前期立命館大学再考」『立命館史資料センター紀要』 第1巻 (2018年3月)立命館史資料センター p.10)。
改組後も「大学」の学生募集は行わており、5月に全面改正された寄附行為 においても財団法人立命館 が設置経営する学校として「大学令ニ依ル立命館大学」を挙げていた[22] 。
このマークは、1960年(昭和35年)に法学部三回生だった学生によりデザインされたもの。学園創立60周年を記念して新たなマークを公募した中から選ばれた。デザインがカメに似ていることから、当時の学生からは「カメ・マーク」「亀の子マーク」等と呼ばれていた
この大学対抗戦のみ、立命館大学の他の大学対抗戦とは異なり、例外的に「立名戦」とは称さずに、名古屋大学側と同じ「名立戦」と公式に称している(立命館大学クイズソサエティーの公式ホームページ[ 要文献特定詳細情報 ] でも「名立戦」と記述している)。これは「立名」とすれば同大学の略称の一つである「立命(りつめい)」と読みが同じとなることから、混乱を防止するためである。
「元来衣笠山周辺一帯の地域は西園寺家の所領であったが、足利三代将軍義満が所望して、大和の某地を替地として交換したという古い記録がある。校地の整地中、西園寺家の定紋である左巴のついた古瓦が、続々と掘り出された事実と称号して、この地がかつて壮麗を誇った西園寺の遺址であることは明らかである。いずれにしても西園寺公望に臣仕した中川小十郎(総長)が、その終生の事業をこの地に選んだことは、偶然とはいえ奇しき因縁といわざるを得ない[63] 。」
島津久光 は洛北衣笠山のふもとに、1万6千余坪の土地を取得し調練場にした。場内に弾薬庫、陣屋、休息所、勤番所を設け、常に動番士10数名を置いた。西郷隆盛 を従えてたびたび小松原の陣屋を訪問したという[64] 。
薩摩藩家老の桂久武による『桂久武日記』には、「この日、きん笠山(衣笠山)下へ調練場おとりなされたき吟味もこれあり候処、見分(検分)のため参るべしと申し談ず」と記されている[65] 。
立命館大学[畑中和夫名誉教授は、愛新覚羅溥傑氏への名誉法学博士号贈呈の経緯について問われた際、以下のように述べている。(以下、引用)『昭和14,5年頃の日満高等学校の設立にあたり、当時のお金で50万円という巨額の寄付を愛新覚羅溥儀から受けた。そのうち20万円で、衣笠の6万坪の土地を購入し、校舎を建て、さらに学生向けの奨学金の基金も創設できた。満州国皇帝からの寄付を受けたのは立命館と秋田工業専門学校(現秋田大学 の前身)の2つだった。この寄付の一件について、満州国と立命館の仲介をしたのが、当時、満州国駐日大使として日本にいた溥傑氏であった。月日が流れて、溥傑氏が中国全人代の中の常務委員としての肩書きで訪日し、清水寺を訪ねた折のこと、思い出話の中で、この寄付の一件を溥傑氏が覚えていて「そのような縁のある立命館を見てみたい」と言っているとの話が、清水寺ルートで畑中教授に伝わった。この話を受けて、畑中教授が学内外の人と相談を重ね、「まさか返してくれとはおっしゃるまい」など心配もしながら、元侯爵 嵯峨氏などにも相談し、嵯峨侯爵から「然るべき処遇をすれば良い」とのアドバイスを得て、総長の判断で、当時の溥傑氏肩書きに相応しい名誉学位としての「法学博士」号を贈ることとなった。』(立命館大学千葉校友会サイト「ちば校友の集い」[ 要文献特定詳細情報 ] にて、畑中和夫名誉教授談として紹介)
1939年(昭和14年)3月16日、満州国補助金交付の通達が財団法人立命館に発せられた。補助金の内容は1939年度30万円、40年度20万円の二カ年継続合計50万円であった[67]
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