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西日本旅客鉄道の鉄道路線 ウィキペディアから
北陸本線(ほくりくほんせん)は、福井県敦賀市の敦賀駅から滋賀県米原市の米原駅までを結ぶ西日本旅客鉄道(JR西日本)の鉄道路線(幹線)である[1]。
北陸本線 | |||
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北陸本線を走行する681系「しらさぎ」 (2018年1月、新疋田駅にて) | |||
基本情報 | |||
通称 | 琵琶湖線(米原駅 - 長浜駅間) | ||
国 | 日本 | ||
所在地 | 滋賀県、福井県 | ||
種類 | 普通鉄道(在来線・幹線) | ||
起点 | 敦賀駅[注釈 1] | ||
終点 | 米原駅[注釈 1] | ||
駅数 | 12駅 | ||
電報略号 | ホリホセ[2] | ||
路線記号 |
(米原駅 - 敦賀駅間) (近江塩津駅 - 敦賀駅間) | ||
開業 | 1882年3月10日 | ||
全通 |
1889年7月1日(米原駅 - 敦賀駅間) 1913年4月1日(米原駅 - 直江津駅間) | ||
所有者 | 西日本旅客鉄道 | ||
運営者 |
上記第1種鉄道事業者および 日本貨物鉄道(第2種鉄道事業者) | ||
車両基地 |
金沢車両区敦賀支所 網干総合車両所宮原支所(米原) | ||
使用車両 | 使用車両の節を参照 | ||
路線諸元 | |||
路線距離 | 45.9 km | ||
軌間 | 1,067 mm(狭軌) | ||
線路数 | 複線 | ||
電化区間 | 全区間 | ||
電化方式 | 直流1,500 V 架空電車線方式 | ||
閉塞方式 | 自動閉塞式(下記以外) | ||
保安装置 | ATS-PおよびATS-SW[3] | ||
最高速度 | 130 km/h[3] | ||
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元々は新潟県上越市の直江津駅から米原駅までを結んでいた路線であった。2015年および2024年に北陸新幹線延伸開業に伴って、第三セクター鉄道に移管された区間については「概要」節で挙げた各記事も参照。
区間表記については、『鉄道要覧』では敦賀駅が起点、米原駅が終点となっている[1]が、JR西日本が発行している『データで見るJR西日本』では米原駅を起点とする記載であり[4]、市販の『JR時刻表』などでも米原駅から敦賀駅に向かう方向を「下り」として扱っている。距離を示すキロポストも米原起点である(後節も参照)。
本項では後者にならって、区間表記順を「米原駅→敦賀駅(→金沢駅→直江津駅)」とし、上下方向も「米原駅→敦賀駅」を下り、「敦賀駅→米原駅」を上りとして記述する。
北陸本線は、滋賀県の米原市から北上して福井県敦賀市に至る路線であり、米原駅では東海道新幹線と東海道本線ならびに近江鉄道本線に、敦賀駅では北陸新幹線と小浜線ならびに第三セクター鉄道のハピラインふくい線に接続している。
ハピラインふくい線、IRいしかわ鉄道線、あいの風とやま鉄道線、えちごトキめき鉄道日本海ひすいライン、東日本旅客鉄道(JR東日本)の信越本線・羽越本線・奥羽本線とともに、日本海に沿って近畿と北陸・東北を結ぶ日本海縦貫線の一部を構成している。「サンダーバード」や「しらさぎ」といった京阪神・名古屋の各都市圏から北陸新幹線と連絡する特急列車が数多く運転され、日本貨物鉄道(JR貨物)による貨物列車の往来も多い。
元々は米原駅から福井県・石川県・富山県を経て新潟県上越市の直江津駅までを結ぶ353.8 kmの路線であり、北陸地方の大動脈としての役割を担い続け、敦賀駅 - 直江津駅間も京阪神方面の「サンダーバード」「雷鳥」「白鳥」「日本海」や米原・名古屋方面の「加越」「しらさぎ」などの特急列車が多数行き交う「特急街道」であった。
2015年3月14日の北陸新幹線の長野駅 - 金沢駅間の延伸開業に伴い、並行在来線となる金沢駅 - 直江津駅間 (177.2 km) がJR西日本から経営分離され、石川県部分は「IRいしかわ鉄道」、富山県部分は「あいの風とやま鉄道」[5]、新潟県部分は「えちごトキめき鉄道」とそれぞれ各県ごとに設立された第三セクター鉄道会社に移管された。さらに2024年3月16日には北陸新幹線の金沢駅 - 敦賀駅間の延伸開業に伴い、敦賀駅 - 金沢駅間 (130.7 km) もJR西日本から経営分離され、敦賀駅 - 大聖寺駅間が「ハピラインふくい」に、大聖寺駅 - 金沢駅間が「IRいしかわ鉄道」に移管され、北陸本線は米原駅 - 敦賀駅間の45.9 kmの路線となった。第三セクターに経営分離された区間の距離としては全国最長である。これにより、北海道旅客鉄道(JR北海道)の留萌本線・日高本線に次いでJR線で3番目に短い「本線」となった。また、北陸本線という路線名でありながら、全線のうち北陸地方を通るのは、北陸地方である福井県に含まれる新疋田駅から敦賀駅までの一駅間のみとなった。
区間 | 距離 | 事業者 | 路線名 | 移管(廃止)日 |
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米原駅 - 敦賀駅 | 45.9 km | JR西日本 | 北陸本線 | 存続 |
敦賀駅 - 大聖寺駅(福井県区間) | 84.3 km | ハピラインふくい | ハピラインふくい線[6] | 2024年3月16日 |
大聖寺駅 - 金沢駅(石川県区間) | 46.4 km | IRいしかわ鉄道 | IRいしかわ鉄道線 | |
金沢駅 - 倶利伽羅駅(石川県区間) | 17.8 km | 2015年3月14日 | ||
倶利伽羅駅 - 市振駅(富山県区間) | 100.1 km | あいの風とやま鉄道 | あいの風とやま鉄道線 | |
市振駅 - 直江津駅(新潟県区間) | 59.3 km | えちごトキめき鉄道 | 日本海ひすいライン |
このほか、JR貨物が第一種鉄道事業者として線路を保有していた「敦賀港線」とも通称される敦賀駅 - 敦賀港駅間 2.7 km の貨物支線があったが、2016年4月1日に休止された後、2019年4月1日に廃止された[7]。
1969年の全線電化完成後は交流電化と直流電化に電化方式が分かれており、このため当路線を走行する電車や機関車は両方の電源に対応した交直流車両が用いられていた。しかし米原側では1987年の国鉄分割民営化後の1991年と2006年に直流電化の区間が延伸され、米原駅から敦賀駅までが直流電化区間となった。これにより、新快速など京阪神地区の東海道・山陽本線(琵琶湖線・JR京都線・JR神戸線)や湖西線を走る直流電車が敦賀駅まで乗り入れるようになり、敦賀市と関西方面間のアクセスが向上した(詳細後述)。北陸新幹線が敦賀駅まで延伸開業し、敦賀駅以北の交流電化区間が第三セクター鉄道に転換された2024年3月16日以降は直流電化区間のみとなり、博多南線と七尾線津幡駅構内を除いてJR西日本が管轄する電化されている在来線は全ての路線が直流電化となった。
JR西日本発足後、長浜駅 - 米原駅間は東海道本線の米原駅 - 京都駅間とともに「琵琶湖線」の愛称が付けられ[8]、1999年より近江塩津駅 - 米原駅間が旅客営業規則の定める大都市近郊区間の「大阪近郊区間」に編入された。また、敦賀駅 - 米原駅間の全線がIC乗車カード「ICOCA」エリアに含まれている[9]。
2024年3月14日に近江塩津駅 - 敦賀駅間の公衆移動体通信不感が解消され、同月16日に敦賀駅以南のみとなって以降の北陸本線内で携帯電話等の通信が使用できないのは余呉駅 - 近江塩津駅の一駅間のトンネル部のみ、他社含む滋賀県内の鉄道路線全体でもこの区間のみとなっている。
本路線は、国鉄時代に制定された「日本国有鉄道線路名称」では米原駅が起点、直江津駅が終点であった[10][11][12]が、1987年(昭和62)年4月1日の国鉄分割民営化によりJR西日本が承継した際に直江津駅が起点、米原駅が終点となり、国鉄時代とは逆になった[13]。これは、民営化当時の運輸省に提出された「事業基本計画」によるもので、そこには「直江津から米原まで及び敦賀から分岐して敦賀港まで」と記載されている[13][注釈 2]。
ただし、前出の『データで見るJR西日本』やJR各社が公示している「JR線路名称公告」では米原駅が起点、金沢駅が終点となっており、また鉄道趣味誌や書籍は、北陸本線を「米原〜金沢間」など[14][15][16][17][18][注釈 3]と記載しているため、役所への提出書類とJR西日本発行冊子や一般向けの書籍などでは、起点駅・終点駅の表記が逆になっている。
鉄道路線の正式な区間や営業キロなどは、『鉄道要覧』や前述の「事業基本計画」の記載を基にすれば、起点駅は敦賀駅、終点は米原駅となる[1][注釈 4]。また、路線名は北陸本線ではなく北陸線となっている。一方で、冒頭で記載した通り、市販の時刻表では米原駅を起点とする国鉄時代からの慣例的な路線名・区間の表記を採用している。
本節では、官設鉄道として建設された長浜駅 - 敦賀港駅間からの北陸本線全体の歴史・沿革を、その後の輸送改善策なども含めて記述する。
北陸本線は全線が官設鉄道として建設された。1882年3月10日に長浜駅 - 柳ヶ瀬駅および洞道口駅(後の洞道西口駅) - 敦賀港駅(当時:金ヶ崎駅)が開業した[21]。木ノ本駅 - 敦賀駅間は、当初の計画では塩津経由とされていたが、柳ヶ瀬駅経由で敷設された。これは柳ヶ瀬駅 - 今庄駅間に連絡線を敷設する意図や当初塩津街道沿いの塩津(近江塩津駅)経由であると最急勾配が37‰に対し、北国街道沿いの柳ヶ瀬駅経由であれば25‰となり、勾配が緩やかで建設上有利となるなどの理由があったため、変更を上申した結果である[21]。柳ヶ瀬トンネル掘削工事が難航し、柳ヶ瀬駅 - 洞道西口駅間は徒歩連絡であったが、1884年4月16日にトンネルが開通し長浜駅 - 敦賀港駅間が全通した[21]。1889年には米原駅 - 長浜駅間が開業。1895年に線路名称が定められた際は米原駅 - 敦賀駅間は東海道線の一部とされた[22]。なお、敦賀港が1899年に国際港として開港するとロシアなど大陸との定期航路に連絡する列車が運行されるようになった。その後、後述の紆余曲折を経て、1957年の近江塩津駅経由の新線への切り替えに伴い、当初の計画通りの路線に落ち着いた。
福井・金沢・富山方面への延伸にあたっては、政府の財政難から民間資本による建設が計画されたが、不況で資金が集まらず会社設立まで至らなかったことや、鉄道敷設の仮免状下付にまで漕ぎ付けたものの内紛から着工することができなかったため、結局その後、敦賀以北も官設鉄道として建設することが決定され、1893年に着工された。
1896年に敦賀駅 - 福井駅間が開業し、同年に北陸線と命名された。この時、敦賀駅 - 今庄駅間は険しい山地を避け海側の杉津駅経由で建設されたが、それでも25‰の急勾配と12か所のトンネル、4か所のスイッチバックが連続する難所となった。「北陸線の盲腸」とまで謂われた路線ではあるが、その路線風景の美しさは鉄道唱歌にも詠われたほどである。時の大正天皇が行幸行脚した際には杉津駅で汽車の発車を止めて、しばし眼下に広がる敦賀湾の眺望を堪能したという逸話も残っている。
路線はさらに延伸され、1899年には富山駅まで開業した。当時の富山駅は神通川の付け替え(馳越線)の計画があったことなどから、1903年に神通川が付け替えられた後の1908年に神通川橋梁が完成するまで神通川左岸にあたる田刈屋に設けられた。
富山駅 - 直江津駅間は富山線(富山東線・富山西線)として建設された。途中、北陸最大の難所といわれる親不知海岸を通る。また、三日市(現・黒部)駅 - 泊駅間については山側を通って愛本(現・黒部市宇奈月町愛本)を経由するルートも検討されていたが、勾配の関係等で生地駅や入善駅を経由する海側にて建設されることになった[23]。
1909年の線路名称制定時には米原駅 - 魚津駅間が北陸本線とされ、その後、糸魚川駅までは北陸本線として開業し、その先の糸魚川駅 - 直江津駅間は信越線の一部として開業した。1913年に最後の青海駅 - 糸魚川駅間が開業したことで、米原駅 - 直江津駅間の全線が北陸本線となった。
全通してからは輸送力増大のため、勾配緩和や複線化などの路線改良が課題となった。
木ノ本駅 - 敦賀駅間は日本初のダイナマイト掘削による柳ヶ瀬トンネルなどを含む鉄道敷設黎明期の旧規格の急勾配区間であり、開業時より土砂崩落、雪害、線路凍結やヤスデ異常繁殖による車輪空転事故、トンネル内の窒息事故などが頻発していた。なかんずく、1928年12月の柳ヶ瀬トンネル内の窒息事故を契機に深坂経由の新線を敷設することが決定した。戦争を挟んで工事が一旦、中断したものの戦後第一次5か年計画として1952年に再開。不況により再度中断するもの1957年に木ノ本駅 - 敦賀駅間が近江塩津経由の新線に切り替えられた。この時、同区間の旧線は柳ヶ瀬線として分離される。その後、柳ヶ瀬線は勾配区間用にエンジン2基搭載したディーゼル車キハ52を投入したものの、赤字線から脱することができず、北陸本線並走区間複線化への路盤提供のためもあり、1964年に廃止されている。詳しくは当該項目を参照。
引き続き第二次5か年計画として敦賀駅 - 今庄駅間の改良工事に着手。1962年には全長13,870mの北陸トンネルが開通し、敦賀駅 - 今庄駅間が新線に切り替えられ、杉津駅経由の旧線は無事故を記録したまま廃止された(詳細は北陸トンネル、旧線各駅の項を参照)。
現在、木ノ本駅 - 敦賀駅 - 今庄駅間の旧線ルートの大半には北陸自動車道が通っている。刀根(下り)、杉津(上り)両パーキングエリアはかつての駅跡である。この路線変更によりかつての急行停車駅であった中ノ郷駅・今庄駅近辺は寂れ、杉津駅が廃止されたことにより、越前海岸に停車する駅が失われた。柳ヶ瀬区間および杉津区間の記録フィルムが2004年に再発見されJR西日本金沢支社の手で編集、DVD化されている。旧線区間に残されたトンネルは複数の文化財に登録・または選奨されている(旧北陸線トンネル群を参照)。
路線改良はこれに留まらず、勾配緩和を目的とした倶利伽羅峠越えや、海岸沿いの断崖に沿って急曲線の続く親不知付近や、さらにはフォッサマグナ西縁部にあたり、地盤が脆弱で地すべりによる脱線転覆事故が多発していた浦本駅 - 直江津駅間など、いずれも長大なトンネルを含む新線に付け替えられ、輸送力や速度向上、輸送障害の減少などが計られた。一方で風光明媚な海岸線の眺望などの喪失を残念がる年配者の声もある。
電化および複線化も順次進められた。1957年に田村駅 - 敦賀駅間が電化され、1969年には全線の電化・複線化が完成した。田村駅 - 梶屋敷駅間の電化では交流60Hzが採用されたが、交流電化としては仙山線に次いで日本で2番目、60Hzは日本初である。なお、民営化後に新快速など京阪神方面との直通運転のため1991年9月に田村駅 - 長浜駅間が直流電化に転換され、2006年9月24日には長浜駅 - 敦賀駅間が湖西線の永原駅 - 近江塩津駅間とともに直流電化に転換された。
2015年3月14日には北陸新幹線の長野駅 - 金沢駅間が開業し、金沢駅 - 直江津駅間はJRの経営から分離された。同区間のうち金沢駅 - 倶利伽羅駅間はIRいしかわ鉄道、倶利伽羅駅 - 市振駅間はあいの風とやま鉄道、市振駅 - 直江津駅間はえちごトキめき鉄道が運行している[注釈 5]。
2024年3月16日には北陸新幹線の金沢駅 - 敦賀駅間が延伸開業し、敦賀駅 - 金沢駅間もJRの経営から分離された。同区間のうち敦賀駅 - 大聖寺駅はハピラインふくい、大聖寺駅 - 金沢駅間はIRいしかわ鉄道が運行している。
本節では、北陸本線の各区間における輸送改善の歴史・沿革について、各区間ごとに記述する。
本節では、前述のような理由により旧・柳ヶ瀬線経由となったが、その後の電化などに伴う当該区間の輸送改善について説明する。
1889年(明治22年)に米原駅で東海道本線と接続する形になってから長い間、普通列車もそのほとんどが米原駅 - 敦賀駅間およびそれ以北の長距離列車で、この区間のローカル需要に合致したものではなかった。昭和初期に近江鉄道(米原駅 - 彦根駅間)や、米原駅 - 長浜駅間のバス路線開通に対抗するためにガソリンカーキハニ5000形とその後キハニ36450形が運転されていた。
明治初期に開通した柳ヶ瀬トンネルを経由するルートは勾配が輸送力のボトルネックになっており、その解消のため木ノ本駅から疋田に塩津経由の新線が開通し、普通列車を含む北陸線列車は新線経由となった。旧ルートは柳ヶ瀬線として気動車列車での運転となったが、のちにこの区間は廃止になった。深坂トンネルを含む新線区間は田村から交流電化で開業し、客車で編成された普通列車を電気機関車が牽いていた。米原駅 - 田村駅間の方は蒸気機関車、のちにディーゼル機関車による牽引で、田村駅で機関車交換を行っていた。古くは大阪や名古屋方面との直通であった普通列車は東海道線普通列車の電車化によって米原駅を始発終着とするようになったが、機関車に牽かれる客車の長い編成で運転され、大阪駅や東京(隅田川駅)に直通する郵便車や荷物車を繋げているものも多かった。また彦根駅 - 中ノ郷駅を連絡していた気動車列車は柳ヶ瀬線廃止後も米原駅 - 木ノ本駅間の区間列車を中心に、一部が彦根駅まで運転されていた。
一方で湖北地区は以前は北陸本線がローカル輸送を主にしていないことから、バス網が発達していた。国鉄バスが木ノ本に支所を置き、柳ヶ瀬線の列車廃止代替路線などのほか最盛期は名神米原や敦賀、近江今津まで路線を持っていた。また近江鉄道(バス)は米原 - 長浜 - 木ノ本間で20分おきの高頻度運転を行っていた。その後、長浜直流化を契機としてバス網の縮小・撤退が相次ぎ、多くが駅を起点とするコミュニティバスに衣替えされ残るのみである。
1974年7月20日に湖西線が開業し、近江塩津駅 - 敦賀駅間で3往復の湖西線直通の普通列車が気動車で運転されるようになったが、本数が少なく、北陸線列車との接続も悪かった。多くの客車普通列車は1985年3月14日の改正で交直流電車の475・419系電車に置き換えられたものの、長らく電化方式の違いにより交直流電車をローカル用に新製することはできず、北陸線ローカル列車は本数も少なく、東海道線と米原駅で乗り換える必要があり不便であった。また気動車の彦根駅までの運転は1989年3月11日に米原駅発着の新快速増発により廃止になった。
そこで地域を活性化する手段として京阪神からの新快速の直通運転を滋賀県と長浜市が主体で計画し、費用の地元負担により1991年9月14日に米原駅 - 長浜駅間が直流電化に切り替えられた。これは坂田駅 - 田村駅間に設置されていた交直のデッドセクションを長浜駅 - 虎姫駅間に移設し、長浜駅まで直流電車の乗り入れを可能とさせたものである。この結果本数の増発などで観光客の増加・地元人口の増加などの効果を呼び、大きな成果を上げた。この長浜駅までの直流化により、木ノ本駅までの区間運転も電車に置き換わり、本数も増発された。のちに区間運転の一部は琵琶湖環状線構想の一環として近江今津駅まで延長され、湖西線北部区間との直通運転が始まった。さらに福井県と敦賀市が観光客誘致を目的に敦賀駅までの直流化を計画し、2006年9月に直流へと電化方式が変更され、同年10月21日より京阪神から新快速が直通し、現在に至っている。
敦賀駅までの直流化のもう一つの目的である琵琶湖環状線構想の実現として、湖西線経由の敦賀駅発着の新快速と近江塩津駅折り返し米原駅経由新快速が同一ホーム乗換で短時間接続となるようにダイヤ設定された。また1時間あたり1本の新快速以外に、一部時間帯に米原駅・長浜駅 - 近江塩津駅・敦賀駅間列車が設定されており、湖北地区では一部時間帯を除き1時間あたり2本が、また湖北 - 湖西間も近江塩津駅乗り換えで1時間あたり1本の列車が運行されていたが、2011年3月12日の改正で一部列車が廃止または臨時列車(土曜日・休日のみ)に変更された。長浜駅以北の各駅でホームの整備が行われた。直流用125系電車の増備(従来の小浜線用車と増備車が小浜線も含め共通運用)と交直両用の新形式車両521系電車新製により、この区間は京阪神直通の223系とローカル用の両形式で運転されることとなった。
なお、JR化後のこの区間のローカル輸送関連では地元自治体が駅舎や駅前広場整備、あるいは利用促進のための自治体広報PRや、京阪神からの観光客呼び込み施策などを積極的に行っている。直流化工事も地元負担によるものが大きく、利用促進の一方でさらなる増発要望をJR西日本に出している。さらに、同区間では北陸本線内で完結する列車(ほかに近江塩津駅から湖西線へ乗り入れ、近江今津駅以北のみ運転する列車)と、米原駅から琵琶湖線へ乗り入れる列車(ほかに近江塩津駅から湖西線へ乗り入れ、近江今津駅以南も運転する列車)との間で、列車番号の奇数・偶数が逆になっている。これは前者が米原駅起点を基準とした北陸線の上下方向に、後者が琵琶湖線(JR京都線)の上下方向に列車番号を合わせているためである。
親不知・子不知に沿って走るこの区間は災害多発区間であり、1922年には親不知駅 - 青海駅間の勝山トンネル付近で90名の死者を出した北陸線列車雪崩直撃事故が発生している。そこで複線化にあたっては、市振駅 - 親不知駅間は親不知トンネル(新)を含む新線を建設して旧線をすべて放棄、親不知駅 - 青海駅間は上り線専用の新子不知トンネルを山側に建設し、旧線を下り線へ転用することで複線化を実施した。
うち、線路移設を伴った市振駅 - 親不知駅間については、中間にあった風波信号場を境に、1965年(市振駅 - 風波信号場間)と1966年(風波信号場 - 親不知駅間)の2回にわたって、複線化を実施した。なお、風波信号場 - 親不知駅間については、後に北陸自動車道(親不知IC)の用地として転用された。
親不知駅 - 青海駅間については、1965年9月30日に青海駅から1.1km米原よりの勝山トンネル青海側坑口付近に黒岩信号場を新設し、新設と同時に以東は線増による複線化を実施、親不知駅 - 黒岩信号場間については、それと同時に新設した上り線(新子不知トンネル)を暫定的に単線で供用した。1966年9月30日に旧線を下り専用としてトンネル間をロックシェッドで強化、および電化することにより再度供用を開始し、複線化を達成した。なお、電化は単線区間が残る1965年9月30日の時点で実施されている。
最後まで残った非電化単線区間を有する本区間では、従来のルートでは、地質学的に今後も地すべりの被害が予想されたこと、海岸至近を走るために波浪等の影響や電化設備の塩害も無視できないこと、地形的に狭隘な場所を通っているために複線化の用地を確保するのが非常に困難なことなどから、この区間の線形を山側へ振り、一直線にトンネルで抜ける経路が模索された。
その結果、浦本 - 能生間を浦本トンネルと木浦トンネル、能生 - 名立間を頸城トンネル、名立間 - 有間川間を名立トンネル、有間川 - 谷浜間を長浜トンネル(新)、谷浜 - 直江津間を湯殿トンネルで短絡するルートが設定された。各駅も移転を余儀なくされ、能生駅・名立駅は従来線より山側に、トンネル間の明かり区間を用いて設置され、適当な明かり区間のない筒石駅は保安面の管理の役割も兼ねて頸城トンネル内へ設置された。また、郷津駅は代替駅を設置せず廃止している。
頸城トンネルをはじめとしたトンネルの工事および電化複線工事は1966年(昭和41年)3月に着工、1969年(昭和44年)9月29日に供用を開始し、浦本駅 - 直江津駅間の新線切り替え区間は計2.4km短縮された[24]。旧線のうち、浦本 - 谷浜間は新潟県道542号上越糸魚川自転車道線、谷浜 - 直江津間は国道8号拡幅用地として転用された。
停車場・施設・接続路線 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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北陸本線には優等列車として以下の列車が運転されている。なお、各列車の沿革など詳細については、各列車記事を参照。
北陸本線での特急列車は、1961年のキハ82系気動車による「白鳥」(大阪駅 - 青森駅・上野駅間)が最初で、その後初の交直流特急電車(481系)により「雷鳥」「しらさぎ」の運転に続き、さらには上野駅発着の電車特急「はくたか」[注釈 9]や「白山」も運転を開始した。並行する新幹線がなかったため、大阪・名古屋方面および新潟・越後湯沢(上越新幹線と接続して東京)方面への特急列車が多数運転されていた。
1975年3月10日のダイヤ改正から大阪駅発着の特急列車は湖西線を経由するようになり、近畿地方と北陸地方の所要時間短縮が実現した。湖西線では時折比良おろしと呼ばれる強風などで運転見合わせが発生することがあり、この場合は湖西線経由の特急も米原駅経由で運転される[注釈 10]。一方湖西線開業後の東海道新幹線米原接続のため、同改正で特急「加越」が新設された。この「加越」は2003年10月1日のダイヤ改正で「しらさぎ」に統合されて米原・名古屋方面への特急は1時間あたり1本程度運転されている。
上越線経由の「はくたか」と信越本線経由の「白山」が運転されていた北陸と東京を結ぶ特急列車は上越新幹線、さらにはほくほく線の開業後は越後湯沢までの「はくたか」として1時間あたり1本運転された。
このほか、臨時列車ながらほぼ定期列車化された「トワイライトエクスプレス」があった。豪華な車内でマスコミ等にもよく取り上げられ、知名度の高い列車であるが、もともと観光列車でありツアーなどの利用も多く、近畿地方・北陸地方と北海道間の移動が主で、北陸線内のみの移動には適さない。深緑の車体は非常に目立ち、北陸本線の被写体としてよく取り上げられていた。
かつては高山本線経由の列車が金沢駅 - 富山駅間を走っていた。高山本線の特急「ひだ」は運転開始当初は金沢駅発着であり、また急行「のりくら」の一部は金沢からさらに七尾線へも乗り入れていたが、現在は高山本線との直通列車はない。また福井県内の連絡列車として福井駅発着の小浜線直通の急行「わかさ」も運転され、小浜線直通の急行としては山陰本線出雲市駅まで乗り入れていた「あさしお」(のちに「大社」に統合)もあったが、これも現在は運転されていない。
また、北陸本線全線を通じて運転される近畿地方と北陸地方・東北地方を結ぶ夜行列車として、2012年3月16日まで寝台特急「日本海」が青森駅まで(1988年3月13日から2006年3月17日まではさらに青函トンネルを潜って北海道に渡り函館駅まで)毎日運転されていたほか、大阪駅 - 新潟駅間の「きたぐに」も583系電車を使用して毎日運転されていた。またこの「きたぐに」は郵便・荷物車の連結があった客車時代には名古屋と北陸地方の荷物・郵便の受け渡しも担っており、名古屋 - 北陸地方間の深夜帯列車でもあった。電車化後は荷物郵便車は連結されていないが、「きたぐに」は2012年3月17日のダイヤ改正で定期運転を終了するまで米原駅経由で運転し、名古屋方面との接続を行っていた。
一方、東海道新幹線開業後も上越新幹線開業前は東京と北陸地方の移動は直江津駅経由による夜行列車が主であった。東京と北陸地方間の最短経路ながら輸送力に制限のある信越線経由に加え、距離が長くなる上越線経由でも夜行列車が存在していた。
以前は北陸本線の全線を運転する客車で編成された長距離普通列車が多かったが、国鉄末期にはほぼ全列車が急行から転用の475系や特急車両改造の419系により電車化された。電車化により列車の運転区間は徐々に短くなり、区間運転の列車も増加した。
2006年10月21日の新快速の敦賀乗り入れ開始で敦賀駅を境に、2011年3月12日の敦賀駅 - 金沢駅間(小松駅 - 金沢駅間の一部列車を除く)の新型車両521系への置き換え完了により金沢駅を境に、運転系統が原則として分断された。金沢駅を越えて松任・小松方面と七尾線・富山方面を直通する列車は2014年3月14日限りで消滅し、敦賀駅を越えて長浜や湖西線方面と福井方面を直通する列車も2023年3月17日限りで消滅した。
種別\駅名 | 直通先 | … | 原 | … | 浜 | … | 津 | … | 賀 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
特急しらさぎ | 名古屋 | 東海道本線← | 0.5本 | ||||||||||||
米原 | 0.5本 | ||||||||||||||
特急サンダーバード | 大阪 | 湖西線← | 1-2本 | ||||||||||||
新快速 | 姫路 | 東海道本線← | 1本 | ||||||||||||
湖西線← | 1本 |
おおむね、1時間に1 - 2本程度設定されている。敦賀駅に近づくほど列車の本数は少なく、日中は基本的に新快速のみ運転されている。
北陸本線内では新快速は各駅に停車するが、列車種別は普通には変更せず「新快速」のまま運行される。
新快速は敦賀駅・近江塩津駅・長浜駅のいずれかから発着し、山科駅までの間は東海道本線・山陽本線(琵琶湖線・JR京都線・JR神戸線)または湖西線のいずれかを経由して、姫路駅・山陽本線網干駅・赤穂線播州赤穂駅まで直通運転している。このうち、日中の敦賀駅発着の新快速は湖西線経由で運転されている。ほかに、山陽本線上郡駅から近江塩津駅まで運転される新快速がある。ホーム長の関係から、長浜駅発着は8両だが、敦賀駅・近江塩津駅発着は4両で運転されている[注釈 11] 。
日中時間帯の敦賀駅発着は湖西線経由のため、長浜駅経由の近江塩津駅発着も1時間に1本程度運行されている。琵琶湖環状線構想の実現として、日中の新快速は湖西線経由の敦賀駅発着の列車と長浜駅経由の近江塩津駅発着の列車同士で対面乗り換えができるようになっている。ほかに、朝と夕方以降では長浜駅発着も運行されている。
快速は敦賀駅 - 京都駅間で1往復(敦賀発は早朝、京都発は夜間)運転されている。2006年10月21日から運転を開始。湖西線経由のため北陸本線は近江塩津駅 - 敦賀駅間のみ運転されており、新疋田駅も含め北陸本線内は各駅に停車する。
2024年3月16日の北陸新幹線の開業により、それまで運転されていた朝の米原行きと夜の米原発の特急「しらさぎ」(米原駅で東海道新幹線と接続)が廃止されたことを受けて、同日よりその代替として米原駅 - 敦賀駅間で臨時快速が運転を開始した。敦賀発は6時台、米原発は22時台で、また途中停車駅はなく、これらはその時間帯で廃止された特急「しらさぎ」のダイヤを踏襲している。JR西日本としては需要の見極めが難しいとの判断で定期列車とはせず臨時列車としたが、当面は毎日運転する。車両は223系または225系の4両編成で、車両側の表示は『臨時』となっている。なお、この列車はハピラインふくい線敦賀駅 - 福井駅間の快速列車と接続している。
普通は、前記の新快速・快速を補完する形で朝と夕方以降に運行される。全区間を走る列車のほか、長浜駅・近江塩津駅発着の区間列車も設定されている。ただし、近江塩津駅 - 敦賀駅間のみを走る普通列車はない。
湖西線と直通運転する近江今津駅発着もあり、多くは敦賀方面との直通である。ただし、敦賀発湖西線経由京都行きの普通も夜19時台に1本あるほか、近江塩津経由(同駅でスイッチバック)の近江今津駅 - 米原駅間の普通も1往復運転されている。また、琵琶湖線から直通運転する京都発長浜行き(平日2本、土曜・休日1本)の普通列車もあるが、その逆の長浜発京都行きは2014年3月15日の改正で消滅した。
琵琶湖線・JR京都線と直通する普通の中には、京都駅または高槻駅以西を快速列車として運転するものもあり、これらは京都駅または高槻駅で普通から快速(大阪方面からはその逆)に種別が変更され、新快速と同じく米原駅を境に列車番号が変わる。なお、現在は京都駅で種別変更する快速は早朝の大駅発のみに限られているが、2011年3月11日までは朝5時台の長浜発で京都駅から快速として運転する列車(京都駅 - 大阪駅間は長岡京駅・高槻駅・茨木駅・新大阪駅に停車)も設定されていた。
かつて、米原駅 - 長浜駅間が直流化された直後の日中は、同区間を日中は1時間に大阪方面からの新快速と快速(但し北陸本線内は「普通」)が1本ずつ乗り入れていたが、のち2本とも新快速となり、現在は新快速1本のみとなっている。
種別\駅名 | 敦賀 | … | 福井 | … | 小松 | … | 金沢 | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
特急 | 3本 | ||||||||
普通 | 1本 | 1本 | |||||||
1本 |
日中は敦賀駅 - 福井駅 - 小松駅間で1時間に1本程度、小松駅 - 金沢駅間で1時間に2本程度が運行されていた。敦賀駅 - 金沢駅を直通する列車は2022年3月12日以降、敦賀発の設定がなくなり金沢発のみ毎日2本と非常に少なく、ほとんどの列車が福井駅で乗り換えとなっていた。朝夕のラッシュ時には武生駅・芦原温泉駅で福井駅方面へ、大聖寺駅・美川駅・松任駅で金沢駅方面へそれぞれ折り返す列車も運転されていた。2015年3月13日までは松任駅 - 金沢駅間が平日2.5往復、土曜1.5往復、日曜・祝日は片道1本だったが、14日のダイヤ改正で、土曜は1往復、日曜・祝日は2往復増加している。2017年3月4日のダイヤ改正より、一部列車でワンマン運転が実施されていた。
かつては日中にも武生駅・芦原温泉駅折り返し系統があったが、2010年3月13日のダイヤ改正で武生駅 - 福井駅間の1往復を除いて廃止された[200]。
また、 越前花堂駅 - 福井駅間では越美北線(九頭竜線)の全列車が乗り入れる。かつては芦原温泉発九頭竜湖行き(九頭竜湖駅開業前は勝原行き)の普通列車も存在した。
2021年3月12日以前は、朝4時台の福井発敦賀行きで快速運転が行われていた。1982年11月14日まで急行「くずりゅう」として運転されていた福井発米原行きの早朝1本が快速に格下げされ[注釈 12]、のちに何度か普通列車に格下げされたり快速に格上げされたりしながら、2006年の長浜駅 - 敦賀駅間の直流電化への切り替え以降は、敦賀駅で新快速と連絡する上り快速列車として運転されていた。しかし、利用客の減少により2021年3月13日のダイヤ改正で廃止されたため[201]、これにより前述の湖西線直通の快速を除いて北陸本線の快速が全廃されたが、2024年3月16日のハピラインふくいへの転換後、再び同区間に快速が設定された。
福井駅 - 金沢駅間においても、かつては快速列車や途中駅から快速運転を行う列車が設定されていた。普通列車が客車で運転されていた1960年代に、福井駅 - 富山駅間で471系電車6両編成[注釈 13]による快速「こしじ」がおおよそ1時間おきに運転されていたことがあった(年代によってはうち1往復は特別快速)が、のち普通列車の電車への置き換えにともない廃止となった。その後は都市間を移動する旅客の特急列車利用への移行もあって快速列車の設定は少なく、国鉄時代とJR時代にそれぞれ快速が設定されては廃止されている。ただし両者の性格は異なるものであり、国鉄時代は前述の快速「こしじ」の流れを汲むもので停車駅は福井駅 - 春江駅 - 丸岡駅(一部停車) - 芦原温泉駅 - 大聖寺駅 - 加賀温泉駅 - 動橋駅 - 粟津駅 - 小松駅 - 寺井駅 - 美川駅 - 松任駅 - 金沢駅と全区間で快速運転されていたのに対し、JR発足後に設定された快速は福井駅 - 小松駅間が各駅停車で小松駅 - 金沢駅間は途中美川駅と松任駅に停車する都市近郊型の区間快速的な性質の列車となり、小松駅 - 金沢駅間運転の普通列車とセットで運転されていた。またラッシュ時には寺井駅や西金沢駅にも一部の快速が停車していた。
種別\駅名 | 金沢 | … | 津幡 | … | 高岡 | … | 富山 | … | 直江津 | |||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
普通 | 1本 | 1本 | ||||||||||
1本 | ||||||||||||
1本 |
2014年10月18日現在、この区間の普通列車は金沢駅・富山駅(一部は高岡駅発着) - 黒部駅・泊駅・糸魚川駅間の普通列車、金沢駅・高岡駅 - 富山駅間、富山駅 - 直江津駅間の運行や、直江津発金沢行きが基本となる(金沢発直江津行きの普通列車は2014年3月15日のダイヤ改正で消滅している)。そのほか、早朝に青海始発の直江津行きが1本ある。かつては糸魚川駅 - 直江津駅間や直江津発青海行きなどの普通列車もあった。金沢駅 - 津幡駅間では七尾線の全列車が乗り入れる。そのため、金沢駅 - 津幡駅間・高岡駅 - 富山駅間は列車の本数が比較的多いが、富山駅を過ぎると新潟県に近づくにつれて運転本数が減り、糸魚川駅 - 直江津駅間は1 - 2時間間隔と北陸本線内のなかでは最も本数が少なかった。
日中時間帯の一部車両の余力を活用して、新型車両521系電車による運転が2012年3月17日より金沢駅 - 富山駅間で始まり[202]、日中のほとんどの列車が富山駅で運転系統が分断された。日中時間帯(10 - 15時台)は1時間あたり金沢駅 - 津幡駅間で2 - 3本程度、津幡駅 - 富山駅 - 泊駅間で1本(高岡駅 - 富山駅間は1 - 2本程度)列車の本数が確保されている。ただし、日中の運行系統・運転本数は一部時間帯・曜日・区間によって例外もあった。
また、平日・土曜日の朝には城端線城端駅から富山駅までの片乗り入れがある。反対に、富山駅から城端駅まで乗り入れる列車は2001年3月3日以降ない。城端線直通列車はかつて東富山駅発着であった時期がある。また、氷見線から乗り入れる列車や信越本線と直通運転する長岡駅発着の普通列車などもあった。
2014年10月18日時点で、土曜日・休日に快速「ホリデーライナーかなざわ」が富山駅 → 金沢駅間で1本が設定されていた。金沢駅 - 富山駅間を走る快速列車の停車駅は国鉄時代から変更されていなかった。
普通列車が客車で運転されていた1960年代に、福井駅 - 富山駅間で電車6両編成による快速「こしじ」がおおよそ1時間おきに運転されていたことがあったが、のち普通列車の電車への置き換えにともない廃止となった。その後は都市間を移動する旅客の特急列車利用への移行もあって快速列車の設定は少なかったが、2007年3月18日のダイヤ改正では、久々に快速列車が設定された。2006年11月に開業した商業施設金沢フォーラスへの買い物客の利用を見込み、土曜日・休日の午前中に富山発金沢行上り2本が「ショッピングトレイン」として新設された。このうち1本は以前からも休日のみ運転の快速列車(後に普通列車に降格)として同区間を往復する形ですでに設定されていたが、2004年3月6日に同区間を運行する高速バス「金沢 - 富山線」が設定され利用客の流出が起こったため、当該列車の快速列車への再昇格および増発に踏み切った経緯がある。停車駅は、富山駅・小杉駅・高岡駅・福岡駅・石動駅・津幡駅・金沢駅で、時刻表には列車名が記載されていないが、専用のヘッドマークが掲示された。なお、金沢駅構内に新たな商業施設として金沢百番街「くつろぎ館」がオープンした2007年5月26日からは列車名を「ホリデーライナーかなざわ」に変更し、ヘッドマークも新規のものが掲示された。2010年3月20日には金沢市内を出発し砺波市を経て高岡市内を結ぶ高速バス「金沢 - 高岡線」が運行されたことに伴ってか、この列車も1本に減便され、ヘッドマークも使われなくなった。その後も列車名は時刻表などには掲載されているものの駅や車内アナウンスでは単に「快速金沢行」と発せられることが多かった。
富山駅 - 直江津駅間においても、かつては快速列車や途中駅から快速運転を行う列車が設定されていた。
原則として、始発駅によって列車番号が決まる。米原駅 - 敦賀駅間を始発駅とする列車は下り電車が121、上り電車が120の順番に付番され、末尾にMが付く。
前述したように、北陸本線内で完結する列車と新快速および東海道本線(琵琶湖線)方面から直通する普通との間で列車番号の奇数・偶数が逆になっている。
日本海縦貫線の一部である北陸本線では、貨物輸送が盛んである。大半の貨物列車はEF510形電気機関車が牽引するコンテナ車で編成された高速貨物列車である。南福井駅でコンテナ貨物の取扱をしている。
貨物支線である敦賀駅 - 敦賀港駅間では1往復の高速貨物列車が運行されていたが、2009年4月1日から運行休止となった。
かつては多くの駅で小口扱いの貨物を扱っており、またセメントや石油など多くの専用貨物施設も線内に点在していた。私鉄への直通(社線連絡運輸)も多く、武生駅(福井鉄道)・福井駅(京福電気鉄道)・西金沢駅(北陸鉄道)には貨物取扱駅コードも割り当てられていた。現在は小口扱い駅や社線連絡は消滅している。
以下の各項目を参照。
北陸本線では、全列車がJR西日本の車両によって運転され、以下の車両が使用されている。
詳細は各列車記事を参照
223系などの直流専用車両と交直両用車両の521系との間で、優先座席の位置が逆転している。
JRでは沿線地域向けに、普通列車に関しては乗り放題タイプの特別企画乗車券「北陸おでかけパス」の発売や快速「ホリデーライナーかなざわ」の運行、特急列車に関しては往復タイプの特別企画乗車券「タウン特急往復きっぷ」・「金沢富山往復きっぷ」、定期券と併用する自由席回数特急券「トクらく」や特急用定期券「パスカル」の発売、途中停車駅の増加と停車間隔の均等化などが実施されている。このほかプリズム福井(現・くるふ福井駅)のオープンやマリエとやまの増改築、金沢百番街トレンド館を全面改装して「Rinto」としてリニューアルオープンさせる[206] など、駅ビルおよび周辺を開発して買い物需要の発掘による鉄道利用の増加に努めている。
また遠方からの旅行需要を喚起するため、通年(一部商品は利用制限期間あり)で、JR東日本からは往復プラス乗り放題タイプの特別企画乗車券「北陸フリーきっぷ」が首都圏エリアの主な駅のみどりの窓口および主な旅行代理店で、往復タイプの特別企画乗車券「北陸往復きっぷ」[注釈 16] が新潟エリアの主な駅のみどりの窓口および主な旅行代理店で、JR東海からは往復タイプの特別企画乗車券「北陸往復割引きっぷ」と往復プラス乗り放題タイプの特別企画乗車券「北陸観光フリーきっぷ」が名古屋地区および周辺の主な駅の窓口および主な旅行代理店で発売されている。ほかにも半年および1年おきに見直しがあるものの、通年に近い状態で発売されている北陸方面への旅行者向け特別企画乗車券が多数存在する。
さらに2004年からJR東日本とJR西日本で[207]、2006年からはJR東海も加わって[208]、JR本州3社共同でキャンペーン「Japanese Beauty ホクリク」を実施している。その後キャンペーン名称が「JAPANESE BEAUTY 北陸キャンペーン」に変わり[209]、2010年からは「Japanese Beauty Hokuriku キャンペーン」となっている[210]。期間中、駅ポスターなどの交通広告を中心に3社共通の宣伝を展開したり、旅行商品ラインナップや期間限定の特別企画乗車券を充実させたり、鉄道利用者用の特典や体験メニューを用意したりして、各方面からの北陸地域の利用促進を図っている。
集計当時の路線である米原駅 - 直江津駅間では、普通列車の輸送密度は主要駅ごとに区切ると、あいの風とやま鉄道とえちごトキめき鉄道へ移管された泊駅 - 糸魚川駅間が最も低く[211][212]、特に富山県と新潟県の県境がある越中宮崎駅 - 市振駅間の利用者数は1列車あたり20人程度、1車両あたり7人程度である[213]。
2007年11月13日における北陸本線石川県内区間の旅客流動は以下の通りである[214]。ただし以下の数値には夜行列車の利用者が含まれていない。
輸送人員(人/日) | 全列車合計 | 普通列車 | 特急列車 |
---|---|---|---|
合計 | 61,415 | 41,276 | 20,139 |
県内相互 | 34,968 | 33,930 | 1,038 |
県内 - 富山県方面 | 9,337 | 5,321 | 4,016 |
県内 - 福井県方面 | 11,470 | 1,964 | 9,506 |
県内を通過 | 5,640 | 61 | 5,579 |
2005年11月15日における北陸本線富山県内区間の旅客流動は以下の通りである[215]。ただし以下の数値には夜行列車の利用者が含まれていない。
輸送人員(人/日) | 全列車合計 | 普通列車 | 特急列車 |
---|---|---|---|
合計 | 49,576 | 36,721 | 12,855 |
県内相互 | 31,680 | 30,521 | 1,159 |
県内 - 石川県方面 | 12,127 | 5,693 | 6,434 |
県内 - 新潟県方面 | 2,881 | 483 | 2,398 |
県内を通過 | 2,888 | 24 | 2,864 |
各年度の平均通過人員(人/日)は以下のとおりである。
駅ナンバー [229] |
駅名 | 駅間 営業キロ |
累計 営業キロ |
接続路線 | 所在地 | |
---|---|---|---|---|---|---|
JR-A12 | 米原駅 | - | 0.0 | 西日本旅客鉄道: 東海道本線(琵琶湖線) 東海旅客鉄道: 東海道新幹線・ 東海道本線 (CA83) 近江鉄道:本線 (OR01) |
滋賀県 | 米原市 |
JR-A11 | 坂田駅 | 2.4 | 2.4 | |||
JR-A10 | 田村駅 | 2.3 | 4.7 | 長浜市 | ||
JR-A09 | 長浜駅 | 3.0 | 7.7 | |||
JR-A08 | 虎姫駅 | 5.1 | 12.8 | |||
JR-A07 | 河毛駅 | 2.8 | 15.6 | |||
JR-A06 | 高月駅◇ | 2.6 | 18.2 | |||
JR-A05 | 木ノ本駅 | 4.2 | 22.4 | |||
JR-A04 | 余呉駅 | 4.1 | 26.5 | |||
JR-A03 | 近江塩津駅 | 4.9 | 31.4 | 西日本旅客鉄道: 湖西線 (JR-B10) | ||
JR-A02 | 新疋田駅 | 7.8 | 39.2 | 福井県 敦賀市 | ||
JR-A01 | 敦賀駅◇ | 6.7 | 45.9 | 西日本旅客鉄道: 北陸新幹線・■小浜線 ハピラインふくい:■ハピラインふくい線 |
敦賀駅 (45.9 km) - 南今庄駅 - 今庄駅 - 湯尾駅 - 南条駅 - 王子保駅 - 武生駅 (81.0km) - 鯖江駅 - 北鯖江駅 - 大土呂駅 - 越前花堂駅 -(貨)南福井駅 - 福井駅 (99.9 km) - 森田駅 - 春江駅 - 丸岡駅 - 芦原温泉駅 (117.6km)◇ - 細呂木駅 - 牛ノ谷駅 - 大聖寺駅 (130.2 km) - 加賀温泉駅 (134.3km) - 動橋駅 - 粟津駅 - 小松駅 (148.2km) - 明峰駅 - 能美根上駅 - 小舞子駅 - 美川駅 - 加賀笠間駅 -〈西松任駅〉- 松任駅◇ - 野々市駅 - 西金沢駅 - 金沢駅 (176.6 km) -(貨)金沢貨物ターミナル駅 - 東金沢駅 - 森本駅 - 津幡駅 (188.1 km) - 倶利伽羅駅 (194.4 km) - 石動駅 - 福岡駅 - 西高岡駅 -〈高岡やぶなみ駅〉- 高岡駅 (217.2 km) - 越中大門駅 - 小杉駅 - 呉羽駅 - 富山駅 (236.0 km) -(貨)富山貨物駅 -〈新富山口駅〉- 東富山駅 - 水橋駅 - 滑川駅 - 東滑川駅 - 魚津駅 (261.5 km) - 黒部駅 (267.8 km) - 生地駅 - 西入善駅 - 入善駅 - 泊駅 (285.1 km) - 越中宮崎駅 - 市振駅 (294.5 km) - 親不知駅 - 青海駅 - 糸魚川駅 (315.0 km) -〈えちご押上ひすい海岸駅〉- 梶屋敷駅 - 浦本駅 - 能生駅 - 筒石駅 - 名立駅 - 有間川駅 - 谷浜駅 - 直江津駅 (353.8 km)
名称(駅・信号場などの別含む)は廃止時点のもの。柳ヶ瀬線も参照。( )内は起点からの営業キロ。
#廃止区間にある駅を除く。括弧内は米原駅起点の営業キロ。
第三セクターへの経営移管区間
#廃止区間にある信号場を除く。括弧内は米原駅起点の営業キロ。
第三セクターへの経営移管区間
第三セクターへの経営移管区間
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