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津軽海峡を通る北海道新幹線・海峡線の鉄道トンネル ウィキペディアから
青函トンネル(せいかんトンネル)または青函隧道(せいかんずいどう)[3][注釈 3]は、本州の青森県東津軽郡今別町と北海道上磯郡知内町を結ぶ鉄道トンネルである。世界最長の海底トンネルおよび三線軌条のトンネルであり、2016年にスイスのゴッタルドベーストンネルが開通するまでは、世界最長のトンネルであった。
青函トンネルの位置[注釈 1] | |
概要 | |
---|---|
路線 | 北海道新幹線、海峡線 |
位置 | 津軽海峡 |
現況 | 供用中 |
起点 | 青森県東津軽郡今別町浜名(北緯41度10分39.4秒 東経140度27分30秒) |
終点 | 北海道上磯郡知内町湯の里(北緯41度35分32.2秒 東経140度19分18.5秒) |
運用 | |
建設開始 | 1961年(昭和36年)3月23日 |
開通 | 1988年(昭和63年)3月13日 |
所有 | 鉄道建設・運輸施設整備支援機構[1] |
管理 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
用途 | 鉄道トンネル |
技術情報 | |
軌道長 |
53.85 km(全長) 23.30 km(海底部) |
軌間 |
海峡線:1,067 mm(狭軌) 北海道新幹線:1,435 mm(標準軌) (三線式スラブ軌道) |
電化の有無 | 有(交流25,000 V・50 Hz) |
設計速度 |
260 km/h(新幹線)[2] 110 km/h(在来線) |
最低部 | -240 m |
勾配 | 12 ‰ |
最小曲線半径 | 6,500 m |
日本鉄道建設公団によって建設され、後身の鉄道建設・運輸施設整備支援機構が保有し、北海道旅客鉄道(JR北海道)が管理および列車運行を行っている。
津軽海峡の海底下約100 mの地中を穿って設けられたトンネルで、全長53.85 kmは交通機関用のトンネルとしては日本一である。全長は約53.9 kmであることからゾーン539の愛称があった。
海底トンネルおよび三線軌条のトンネルとしては世界一の長さと深さを持つトンネルである。1988年3月13日の開通時から2016年6月1日までは世界一の長さを持つトンネルでもあった[新聞 1]。
名前は「青函トンネル」であるが、青森市と函館市を結ぶトンネルではない。
青函トンネルの木古内駅方には、非常に短いシェルターで覆われたコモナイ川橋梁、さらに長さ約1.2 kmの第1湯の里トンネルが続き青函トンネルに一体化しており、これらを含めたトンネル状構造物の総延長は約55 kmになる。なお、トンネルの最深地点には青色と緑色の蛍光灯による目印があったが、北海道新幹線の開業前に撤去された。
青函トンネルを含む区間は当初海峡線として開業したが、当初より新幹線規格で建設されており、2016年3月26日から三線軌条を北海道新幹線が走行している。
また、トンネルを利用して通信ケーブルや送電線が敷設されており、通信や送電の大動脈でもある(後述)。
日本鉄道建設公団により建設工事が行われ、公団を引き継いだ独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構がトンネルを所有している。トンネルを走行する列車を運行しているJR北海道は、機構に対してトンネルの使用料を払っている。その額は租税および管理費程度とされており、年額4億円である。また、トンネル内の鉄道敷設部分についてはJR北海道所有として整備されており、この部分の維持管理費は年間約8億円となっている。1999年度から改修事業が行われており、事業費のうち3分の2を国の補助金でまかない、3分の1をJR北海道が負担している[1][5]。海底にあるため施設の老朽化が早く、線区を管轄するJR北海道にとって、青函トンネルの保守管理は大きな問題になっている[5][新聞 2]。
また、開業当初は、乗車券のみで乗れた青函連絡船の代替という意味もあり、主たる輸送が快速「海峡」にて行われ、特急「はつかり」は一部速達性を要する時間帯のみであったが、2002年12月1日の東北新幹線八戸開業に伴い列車体系が大幅に変更され、特急・急行列車のみの運行となった[報道 1][注釈 4]。2016年3月26日の北海道新幹線開業以降、青函トンネルを走行する定期旅客列車は北海道新幹線のみとなっている。
ちなみに、青函トンネルの中央部は、公海下の建造物という点から、開業前にその帰属および固定資産税の課税の可否が問題となったが、トンネル内には領土と同様に日本の主権が及ぶものと判断された。それに伴い各自治体へ編入され、固定資産税もそれに応じて課税されることとなった[注釈 5]。
全工程においての殉職者は34名。青森方にある竜飛崎に殉職者の碑が建っている。
青函トンネルは「日本最長の海底トンネル」[注釈 6]という特殊条件であることから、万が一の事故・災害防止のために厳重な安全対策が施されており、トンネル内は終日禁煙・火気使用厳禁となっている。トンネル内には一般建物用より高感度の煙・熱感知器が多数設置されているので、微量な煙を感知しただけでも列車の運行が止まってしまう。なお、開業初日には3か所の火災検知器が誤作動を起こし、快速「海峡」などが最大39分遅れるトラブルが発生している。
なお、2015年4月に発生した特急列車の発煙トラブル(後述)を踏まえ、JR北海道は青函トンネルにおける乗客の避難方法や避難所設備などを改善していく考えを示している[新聞 3]。定点など陸底部にある施設を拡充し、定点のケーブルカー(定員15名)の荷台に座席を取り付け、定員を増やすほか、待避所のベンチやトイレなども増設する。また、トンネルの陸底部に4つある資材運搬用の斜坑を新たに避難路として活用する[新聞 4]。
青函トンネルは通信の大動脈でもある。青函トンネルの中には開通当時の日本テレコム(のちソフトバンクテレコム、ソフトバンクモバイルを経て、現在のソフトバンク)と、KDDIが光ファイバーケーブルを敷設しており、北海道と本州を結ぶ電信・電話の重要な管路となっている[注釈 8]。
青函トンネルを利用し本州と北海道を結ぶ送電線の建設が進められ、2019年3月に「新北本連系設備」として運用を開始した[6]。この送電線は、30万 kW分の送電を行える直流送電線である。従来北海道と本州を結ぶ送電線は海底ケーブルによってまかなわれていたが、船舶のいかりが引っかかって損傷するなどのトラブルが起こっており、青函トンネルを利用すれば安全性が確保され、敷設費用も抑えられる利点もあるとされ、従来の海底ケーブルでのルートと合わせて90万キロワット相当の電力の送電が可能となった[7]。
かつて青森駅と函館駅を結ぶ鉄道連絡船として、日本国有鉄道により青函航路(青函連絡船)が運航されていた。しかし、1950年代に朝鮮戦争によるものと見られる浮流機雷がしばしば津軽海峡に流入し、また1954年(昭和29年)9月26日には台風接近下において誤った気象判断によって暴風雨の中出航した連絡船のうち洞爺丸他4隻が函館港外で遭難するという大惨事(洞爺丸事故)が発生するなど、航路の安全が脅かされる事態が相次いで発生した。
これらを受けて、第二次世界大戦前からあった本州と北海道をトンネルで結ぶ構想が一気に具体化し、船舶輸送の代替手段として長期間の工期と巨額の工費を費やして建設されることとなった。
計画時、青森県東津軽郡三厩村(現在の外ヶ浜町)と北海道松前郡福島町を結ぶ西口ルートと、青森県下北郡大間町と北海道亀田郡戸井町(現在の函館市)を結ぶ東口ルートが検討された。当初は距離が短い東口ルートが有力視されたが、東口ルートは西口ルートよりも水深が深い上、海底の地質調査で掘削に適さない部分が多いと判定されたため、西口ルートでの建設に決定した。なお、もし東口ルートに決定していれば、かつて青函連絡船代替航路(大間 - 函館)開設目的として建設されていた大間線第2期線および大日本帝国陸軍津軽要塞の兵員や軍事物資輸送の目的で建設されていた戸井線(いずれも未成線)の建設が再開され、開通していた可能性もある。
当初は在来線規格での設計であったが、整備新幹線計画に合わせて新幹線規格に変更され建設された。整備新幹線計画が凍結された後、暫定的に在来線として開業することになったものの、軌間や架線電圧の違いを除けば、保安装置(ATC-L型)も含めて新幹線規格を踏襲しており、のちに考案されるスーパー特急方式の原型となった。
トンネルは在来工法(一部TBM工法・新オーストリアトンネル工法)により建設された。トンネル本体の建設費は計画段階で5384億円であったが、実際には7455億円を要している[新聞 5]。取り付け線を含めた海峡線としての建設費は計画段階で6890億円、実際には9000億円に上る。なお、工事での犠牲者は34名だった。
青函航路全盛期の着工当時と打って変わって、東日本ですら北海道への旅客輸送は既に航空機が大半を占める状況であり、完成時には北海道新幹線の建設が凍結になっていた。貨物側も、ストライキや遵法闘争の多発をはじめとする当時の国鉄の労使関係の悪化もあって、貨物輸送もフェリーや内航海運にシェアを奪われて低迷が続いていた。さらに完成後も大量の湧水を汲み上げる必要があるなど維持コストも大きいことから、巨額な投資といえども埋没費用とみなし、放棄した方が経済的であるとまで言われ、「昭和三大馬鹿」、「無用の長物」、「泥沼トンネル」などと揶揄されたこともあった。
しかし開通後は、北海道と本州のJR貨物による貨物輸送に重要な役割を果たしており、一日に21往復(定期列車。臨時列車も含めると上下合わせて約50本)もの貨物列車が設定されている。天候に影響されない安定した安全輸送が可能となったことの効果は大きく、特に北海道の基幹産業である農産物の輸送量が飛躍的に増加した。
また首都圏で印刷された、雑誌類の北海道での発売日のタイムラグが短縮されるなど、JR北海道にとっては赤字事業であるものの、外部効果は高い。2010(平成22)年度では年間貨物輸送は450万トンでシェアは42%に達しており、フェリー輸送とほぼ同等となった。
「青函トンネルカートレイン構想」として、1997年には財団法人東北産業活性化センター(現 東北活性化研究センター)が狭軌かつ津軽今別駅 - 知内駅間においてカートレイン構想を提言している[8]が、実現には至っていない。
対照的に、旅客はバブル崩壊以後の国内観光客の減少や、旅客機輸送の多頻度化・格安航空会社の登場により、航空機との激しい競争になっている。
2007年(平成19年)9月1日には、青森・函館間を1時間45分で結ぶ高速船ナッチャンReraが、2008年(平成20年)5月2日にはナッチャンWorldが就航し、青函トンネル旅客輸送における新たな競合相手となっていたが、これらは2008年(平成20年)11月1日で運航休止となった[注釈 9]。
当初はTBM(トンネルボーリングマシン)を使用して掘削していけば、ほぼ計画通りの工期で完成すると考えていたが、実際には軟弱な地層に進むにつれ多発した異常出水や、機械の自重で坑道の下へ沈み込み前進も後退もできなくなり、やむなくTBMの前方まで迂回坑道を掘って前から押し出さざるを得なくなるなどあまり役に立たず、早々にTBMでの掘削を諦めた。そこで、本坑に先駆けて先進ボーリングで先進導坑を掘り進み、それにより先の地質や湧水の状況を調査しながら本坑が後を追うという方式で掘り進むことになった。しかし、先進ボーリングは水平方向でボーリング調査を行うため水平を維持するのが難しく、ボーリングした孔内の圧力を維持できずに孔壁が崩れたり湧水が噴出したりしたため、最初の頃は月に100 mも進まなかった。そこで、従来はボーリングのロッド管内から送った水を先端のビットから管外に出してビットを冷却しつつ、その水で孔を開く際に出る粘土や泥をロッド管と孔壁の間から取り除いていたのに対して、ロッド管と孔壁の間から送った水で孔を開く際に出る粘土や泥をロッド管内に回収する「リバース工法」を考案した。これにより、ボーリングの掘進速度は月に数百メートルに向上した[26]。
海底にさしかかるに従い次第に地質が軟弱になり、出水も増えてきた。そのため青函トンネルで培われた技術が、新オーストリアトンネル工法による「注入」と「吹付コンクリート」と呼ばれるものである。注入とは、セメントミルクと水ガラスの混合物である注入材を注入用高圧ポンプを用いて超高圧で岩盤へ注入し、注入材が固まった後そこを掘っていく工法であり、坑道の太さ以上にセメントで硬い岩盤をあらかじめ作っておき、そこを掘り進む理屈である。しかし、注入材は強度を上げようすると流動性を保つ時間が短くなり注入できなくなる問題があった。そこで、竜飛岬にある試験場において、最適な水ガラスの種類や配合物を解明するとともに、流動性を保つ時間帯をストップウォッチを使用して計測した。吹付コンクリートとは、掘削直後にコンクリートを岩盤に吹き付けて緩みや崩落を防ぐ工法であり、1950年代にヨーロッパで開発されていたのだが、吹き付け圧による跳ね上がり・剥落・管詰まりなどのトラブルが多かったため、トンネル内に模擬トンネルを造って試行錯誤の繰り返し行い、急結剤の改良や耐圧ホース・吹き付け用自動アームなどを開発した。それでもなお大量の出水を防ぐ事ができず、坑道の途中で進む事を断念し坑口を塞いだうえでその坑道を避けて掘った箇所が先進導坑に数カ所存在する[26]。
掘削が終わり、鉄道が開通した後も湧水(塩水)が常に出続けている。そのため竜飛側と吉岡側のそれぞれ先進導坑最下部にポンプが備えられており(竜飛側はさらにもう1か所)、常時ポンプで湧水を汲み出すことでトンネルが維持されている[注釈 12]。
全長53.85 kmの本坑は9つの工区に分けて掘削が行われた。そのうち、本州寄りの4つの工区と北海道寄りの3つの工区は陸上部の地下を掘り進めるもの、残る2つの工区が津軽海峡の海底下を掘り進めるものであった。各工区の長さ及び施工業者を以下に示す[27]。
2005年(平成17年)に北海道新幹線の新青森 - 新函館北斗間が着工され、青函トンネルについては貨物・夜行列車なども引き続き通れるように三線軌条とし、トンネル両側の奥津軽いまべつ駅[注釈 13]と湯の里知内信号場[注釈 14][新聞 15]に待避施設を建設する事になっている。2007年(平成19年)には保安装置の動作確認などの試験目的で、上下線6 kmの三線軌条化工事が行われた。また、これらの工事のために吉岡海底駅は休止されていた。
また、速度が大きく異なる貨物列車と新幹線を同時に走らせることによるダイヤへの負荷などを解消すべく、狭軌用の貨物列車を列車ごと標準軌用列車に乗せ、新幹線用レール上を高速で走行させるトレイン・オン・トレイン技術がJR北海道によって研究されている。だが費用面などの問題があり、2019年現在、実現の見込みは立っていない[28]。
これとは別に、当初の予定通り青森側・北海道側にそれぞれターミナルを建設してカートレインを運行させようという構想もあるが、実現の目処は立っていない。
2014年(平成26年)3月15日に北海道新幹線の開業工事に伴い、2つの海底駅(竜飛海底駅・吉岡海底駅)が廃止された[注釈 15]。
青函トンネルは海底の長大トンネルであるため、走行する車両には運輸省(現在の国土交通省)が省令で定めた防災基準を満たす構造であることが要求されている。なお明示された条件ではないが、本トンネルは海底を通ることから湿度が常に100 %であるため、これに耐えうる構造であることも重要である。
火災事故防止のため、トンネルを通行する営業用列車が電車または電気機関車牽引の客車・貨車のみに制限されており、内燃機関を用いる車両(気動車・ディーゼル機関車)は救援目的のディーゼル機関車を除き、当線内は自走および牽引はできない。さらに青函トンネルを通る冷凍コンテナは、熱感知機の反応で列車が足止めされないよう、機関車の運転席からの遠隔操作によりコンプレッサーの動力となるディーゼルエンジンを切るための専用回路を搭載したタイプに限られている[注釈 16]。
本州と北海道間で車両を輸送する際は、内燃機関を停止した上で基本的に電気機関車の牽引により甲種輸送される[注釈 17]。
なお、1988年(昭和63年)10月にはオリエント急行の車両が本トンネルを通行している[29]が、オリエント急行に使用される車両は内装に木材を使用している[29]上、食堂車では石炭レンジを使用しており[29]、火災対策上通行が認められない車両であった[29]。しかし、この時には津軽海峡線内では調理しないことと、各車両に車内放送装置と火災報知器を設置した上[29]で、さらに防火専任の保安要員を乗務させるという条件[29]で特別に通行が認められている[29]。
北海道新幹線開業時に、青函トンネルを含む海峡線の架線電圧を新幹線にあわせて25,000 V (50 Hz)に昇圧し[30]、保安装置もそれ以前のATC-LからDS-ATCに変更された[31]。
北海道新幹線の新青森駅 - 新函館北斗駅間開業を1年後に控えた2015年4月3日には、青函トンネル内を走行していた特急「スーパー白鳥34号」の車両下で発煙する事故が発生し、青函トンネル開業後初めて乗客・乗員が竜飛定点を経由して地上へ避難する事態になった[報道 9][報道 2][新聞 10]ほか、2日後の4月5日には江差線の札苅 - 木古内間の「き電線」の吊り下げ絶縁碍子が、老朽化や塩害での腐食が原因で破損したために送電トラブルが起き、青函トンネル内で停電が発生した。これにより特急「スーパー白鳥」など4本が運休し、6本に最大で4時間15分の遅れが発生した[新聞 12][新聞 13]。北海道新幹線が経由予定である青函トンネルにおいて管理面での事故が1週間以内に連続して発生し、北海道新幹線の安全性に疑問の声が上がった[新聞 11]。それに対し、JR北海道は4月7日から8日にかけて、江差線の停電に対する説明および青函トンネルに関する防災設備・避難に関する説明と車両状況の報告を行った[報道 20][報道 2]。また、4月10日には記者会見で避難誘導マニュアルの改定を実施する旨と、4月7日に社内委員会を設置したことを発表した[新聞 16]。
その一方、JR貨物側にも問題が起きた。青函トンネルで貨物列車を牽引するEH800形電気機関車の故障が2015年8月21日に起きていたことが判明した。大阪貨物ターミナル駅発札幌貨物ターミナル駅行きの貨物列車(20両編成)牽引時において、8月21日17時半頃に運転士が故障告知ランプが点灯を確認したため、知内町側の出口まで約5 kmのトンネル内に緊急停車し、電圧変換装置に電流が流れないよう応急処置の後に運転再開。木古内駅に到着後に社員が故障を確認した。電気系統の異常によるもので、電圧変換装置のボルトの締め付け不足が原因で過大な電流が流れ絶縁体の樹脂が溶結したという経緯で故障に至った。この障害を国土交通省北海道運輸局に報告したものの、「単なる車両故障と認識し、発表する内容ではないと考えた」(広報室)として公表していなかった。JR北海道の発表では、この障害の影響で特急列車4本が最大53分遅延した[新聞 14]。
2016年2月9日にも竜飛定点での合同異常時訓練中に停電が発生し、救援列車が緊急停止するトラブルがあった[新聞 17][報道 11]。
津軽海峡は「いわゆる国際海峡」である特定海域にあたり、また青函トンネルは一部主権が及ぶ領海ではない領域を通るが[33]、日本政府の見解では国際法に基づき青函トンネル全体に対して日本国の管轄権が及ぶと解されている[34][35][36][37][38]。
扁額の揮毫は、本州側が中曽根康弘、北海道側(正確には第1湯の里トンネル)が橋本龍太郎である。扁額には「青函トンネル」ではなく「青函隧道」と書かれている。
中曽根は1985年3月のトンネル貫通および1987年4月の国鉄分割民営化当時の内閣総理大臣、橋本は1987年4月当時の運輸大臣であった。
開業当日は民放各局が開業式典から生放送した。その中継は函館駅・青森駅[注釈 18]だけではなく吉岡海底駅・竜飛海底駅からも行われた。さらには旅客一番列車[注釈 19]の函館発盛岡行き特急「はつかり」10号がトンネルに入った様子を車内からも生放送した。
列車内からの中継はNHKが代表取材し、その映像を運転席に設置したFPUから地上に送信し、地上ではその電波を受信し再度中継した。開業一番列車の写真を見ると運転席に「NHK」と書かれたパラボラアンテナが映っているのはそのためである。民放各局はこのNHKの映像を受信し再送信したため、なんの前振りもなく突然NHKアナウンサーの木原秋好が民放の画面に現れた。
また、海底駅からの中継には当時実用化され始めていた放送中継用の光ファイバー伝送装置が使用された。
本中継の番組ではないが、NHKで開通前の1970年(昭和45年)3月23日に新日本紀行「青函トンネル」を、1983年(昭和58年)1月21日にNHK特集「検証・青函トンネル」を、2000年(平成12年)4月11日に『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』で「友の死を越えて〜青函トンネル・24年の大工事〜」を、それぞれ放送。2016年(平成28年)2月28日には北海道新幹線開業を前に、この後者2番組を再編集したNHKアーカイブス「北海道新幹線 開業へ〜青函トンネルに懸けた情熱〜」が放送された[39]。また、青森放送でも1988年(昭和63年)に『竜飛の二人』という青函トンネルをテーマにしたドキュメンタリー番組も制作、放送した。
開通直後の1988年(昭和63年)4月4日には月曜・女のサスペンス初回拡大スペシャル「青函特急から消えた男」(夏樹静子原作のトラベルサスペンス)がテレビ東京系列で放送されている。
2014年7月9日付河北新報によれば、青森県議会議長は同年6月30日の定例記者会見にて、国土交通省事務次官に対し非公式ながら「もう1本掘ってください」と伝えていたことを明らかにしている[新聞 18]。
2014年-2015年頃、複数のゼネコン、コンサルタント会社により「鉄道路線強化検討会」が発足。2016年、青函トンネルの西側に、貨物専用の第2青函トンネルを建設する構想を取りまとめている。工費は約3900億円、工期は約15年を想定した[新聞 19]。第一の背景として、2004年に国土交通省が「平成16年度の整備新幹線建設推進高度化等事業」における「青函トンネルにおいて貨物列車が新幹線上を走行する場合の安全性の検討などを行う」調査を実施し、それを受けて2012年7月には国土交通省内で「青函共用走行区間技術検討WG(ワーキンググループ)」も設置され、その議事録で「北海道新幹線札幌延伸の10年後には現在の青函トンネルも大改修が必要となり、そのときに減速しながらの作業となってしまっては意味がない」という意見もあった事や、2016年12月の豪雪の際に航空便が欠航した際も札幌-新函館北斗間の特急列車が大混雑となった事や貨物列車の増発に現状の青函トンネルでは容量不足であるという需要の必要性が挙げられる[新聞 20]。
2017年2月14日付の北海道新聞によれば、日本プロジェクト産業協議会は同年2月13日、貨物列車用と自動車用の2本のトンネルを新たに建設し、トンネル内に送電線やガスパイプラインを敷設することで、既存の青函トンネルを新幹線専用とする構想を発表した。事業費は約7500億円、工期は約20年間を想定し、地上から海に向かって掘り進む際の傾斜を急にすることで延長を約30 kmに短縮するとしている[新聞 21]。その後2020年には道路案と貨物列車案を折衷し上部に2車線の自動運転車専用の本線車道と下部に貨物列車用単線鉄道と緊急車用路・避難路を設けた事業費約7200億円・工期15年・延長約31 kmの構想を発表している[40]。
また有人運転に対応した道路専用トンネルとして、「第二青函多用途トンネル構想研究会」が延長30 km、内径14.5 mの円形トンネル事業費7299億円、工期10年から15年、道路構造規格第1種第3級、上部に完成2車線本線車道と下部に緊急車両用道路及び避難路、設計速度80 km/hの想定計画を発表しており、レベル3以上の自動運転に対応する場合に内径を2 m程縮小することも織り込まれた[41][40]。
ちなみに現在、本州・四国間には瀬戸大橋を渡るルートなど3本の本州四国連絡道路が、本州・九州間は関門トンネルや関門橋といった道路がすでに開通しているが、本州・北海道間を自動車で走って行き来できる道路は存在せず津軽海峡フェリーまたは青函フェリーといったカーフェリーを必ず利用することとなるが、本州・北海道間に自動車トンネルが完成すれば、日本の4つの主要な島全てを自動車で走って行き来できるようになる。
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