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メディアフランチャイズを意味する和製英語 ウィキペディアから
メディアミックス(media mix)は広告用語で、商品を広告・CMする際に特性の異なる複数のメディアを組み合わせることにより、各メディア間の補完と相乗効果によって認知度を高め購入意向を喚起する手法。また、そこから転じたマーケティング用語で、特に小説や映画、漫画やアニメ、コンピュータゲームの分野において特定の娯楽商品(商業作品)が一定の市場を持ったり、あるいは持つことが期待されるとき、元の商品から派生した商品を幾種類の娯楽メディアを通して多数製作することでファンサービスと商品販促を拡充する手法を指す[1]。
キャラクターなどの著作権を始めとする知的財産(IP)を企業やメディアの垣根を超えて扱うという性質から、メディアミックスによる作品は業界用語でIPコンテンツないしはIPものなどと呼ばれている[2][3]。メディアミックスは和製英語であり、北米などではIPを他の企業やメディアにフランチャイズするという意味でメディア・フランチャイズ(media franchise)やマルチメディア・フランチャイズ(multimedia franchise)と称される。
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語の起源としてはメディアは「媒体」からミックスは「プロモーションミックス」からとられている。広告が効果を発揮するには3回の接触が必要、1人につき3回の広告接触頻度で十分[要検証]とする大木克幸の「スリーヒッツ理論」を発展させた考えを基礎理論として、複数の異種媒体を用いてそれに合わせた最適な広告手段を計画すること。決められた広告費用で最大の広告効果を得ることが目的となる。
日本では、1973年に小松左京の小説『日本沈没』の刊行直後から間髪を入れずに映画、ラジオドラマ、テレビドラマ等様々な形態で相次いで制作され、それらが相乗効果を生んでベストセラーとなったケースが大規模メディアミックスの嚆矢といえるが、代表的な成功例として挙げられるのは、その後角川書店が1970年代後半に自社発行書籍(小説作品)の映画化を行い、その原作作品を映画イメージと連動させた新装カバーを付けて売り込み業績を伸ばしたことで「メディアミックス」という言葉と共に注目された広告手法である[4]。これらの手法は当時、角川商法などと呼ばれたが[4]、角川は出版という宣伝メディアを持っていたため[5]、大規模な広告展開が出来た[4][5]。現在でも角川書店とその関連会社(アスキー・メディアワークス、富士見書房など)は「日本のメディアミックス商業展開の元祖的存在」として取り上げられることが多い[4]。ただし、自社の書籍を映画化するという手法は徳間書店がそれよりも早く試みており、こちらを元祖だとする見方もある。
メディアミックスのような事例は日本でも昔からあり、例えば『月形半平太』などの作者行友李風が小説「修羅八荒」を大正14年(1925年)10月27日から、大正15年(1926年)8月12日まで大阪・東京朝日新聞で250回連載したが[6]、連載終了前に松竹蒲田、日活、マキノ映画が参戦した三社による映画の競作が行われ[6]、さらにラジオ劇、レコード化、浪曲化、舞台劇にも連載終了前に波及した[6]。昭和3年(1928年)から昭和4年(1929年)には文学者の菊池寛が、自作の小説『東京行進曲』を、溝口健二監督で29年に映画化(映画自体は興行的に失敗)し、舞台化と主題歌のレコード化を共にヒットさせた[7]。大正から昭和の戦前期はこうしたケースも珍しくなかったといわれる[6]。
1970年代前半には、当時の岡田茂東映社長が、日本映画の将来の見通しが暗かったことから[8]、経営多角化の一つとして[9]、1973年に出版事業に乗り出し[10]、黒崎出版と提携して『テレビランド』を創刊したり[10]、徳間書店社長・徳間康快と組んで『アサヒ芸能』と原作を連動させ、映画『山口組三代目』を製作したり[11]、成人向け劇画雑誌『コミック&コミック』を創刊したことがあり[10][12][13]、この『コミック&コミック』で岡田と徳間が構想した目玉企画が、東映の映画監督が原作を担当した劇画作品を雑誌に連載した後、映画化するというもので[12][13][14]、この雑誌で連載された鈴木則文監督の『聖獣学園』が映画化された[13][14]。当時『アサヒ芸能』の特集部に在籍した鈴木敏夫は『コミック&コミック』で、東映の気難しい監督たちと若手劇画家を繋ぐ調整役だったといわれる[12][15]。大塚英志は「映画と劇画を平然と往復しようとする大胆な感覚は、以降のスマートなメディアミックスを先取りしており野心的。岡田茂と徳間康快という二人の怪物による"劇画"と"映画"という『コミック&コミック』の近さは、やはり『ナウシカ』における"まんが"から"映画"への近さの問題と地続きだと私には思える」などと論じている[12]。
1970年代後半には、自主映画、CMディレクター出身の大林宣彦が東宝で映画『HOUSE』を撮ろうとして、企画としては1975年に東宝の会議を通ったものの[16]、撮影所の助監督経験のない大林が監督することに、当時の東宝の助監督たちが猛反対し、その後2年の間、映画製作は始まらず[16][17]。この事態に業を煮やした大林は「『HOUSE』映画化を実験するキャンペーン」と銘打って、映画製作より先に『HOUSE』ブームを起こしてやろうと積極的にメディアに露出したり、『HOUSE』をラジオドラマにしたり、コミック化、ノベライズなど、大林主導で「メディアミックス」を仕掛けていき、これらが功を奏して知名度が上がって話題となり、東宝も企画を進めざるを得なくなって、2年後の1977年にようやく本体の映画化が決まったことがあった[16][18][19][20][21][22][23]。既存の映画界とは別のところで仕事をしていた大林と角川春樹は、ほぼ同時期にそれぞれの方法で「メディアミックス」を仕掛けていた[16]。これを「メディアミックス」の先駆と評価する見方もある[16]。大林の「メディアミックス」の成功は、助監督経験のない、撮影所育ちでない映画監督の出現という映画界に新しい流れを生み出している[18][24][25][26]。大林と角川が「メディアミックス」のヒントを得たのは、ともに1970年のアメリカ映画『ある愛の詩』である[16]。なお『ある愛の詩』を手掛け、当時はパラマウント映画の製作担当副社長だったロバート・エヴァンスは、1968年にロマン・ポランスキー監督の『ローズマリーの赤ちゃん』で、既にメディアミックスの手法を用いている[7]。
1980年代には月刊少年キャプテン(徳間書店)、月刊コミックコンプ(角川書店)、月刊コミックNORA(学習研究社)などのいわゆるマイナー系の漫画雑誌が登場し、やがてメディアミックス企画の漫画を多数連載することになる。
近年は、元々一つのメディアでしか表現されていなかった作品(原作)を、小説、漫画、アニメ、ゲーム(コンピュータゲーム)、音楽CD、テレビドラマ、映画、タレント、トレーディングカード、プラモデルなど、複数メディアを通じて展開するビジネスモデルを指して、「メディアミックス」と呼ばれるのが一般的である。
従来のビジネスモデルであったキャラクター、小道具、施設など、作品内に登場する物をモチーフとした商品の販売、いわゆるグッズ戦略が、あくまで作品要素を模写・抽出した製品の製造と販売によって当該作品の経済効果を受容する戦略であったのに対し、メディアミックスの売買対象は厳密にいえば作品そのものであり、いわゆる副次的なものではあるが創作物そのものを商品として経済効果を吸収する媒体とした点に大きな相違がある。その結果、創作活動の多軸化によって創作物の量産を可能にし、そして何より従来路線にはなかった爆発的な市場開拓力を持ち、認知性(知名度)の拡大、支持層の開拓、「商品」展開によるさらなるブーム刺激と、それによるブームの長期化・持続化の効果をもあわせ持つに至った。
この「商品」展開による過熱化効果は、規模が大きいものだとその重複効果が倍加され社会現象規模のブームをも産み出す可能性を持つ(例:『新世紀エヴァンゲリオン』など)とも云える。
1990年代、角川書店は『スレイヤーズ』シリーズにおいて、小説、漫画、アニメ、映画、ゲーム、イベントなどをほぼ同時進行させ、常にいずれかのメディアで商品を提供し続ける手法で、同タイトル作品の長期的な人気の持続に成功した。そして同時期に大ヒットした『新世紀エヴァンゲリオン』における製作委員会方式の確立によって角川書店のメディアミックスは大成功を収める。
また最近では、TV局方面での映画・ドラマのメディアミックス化が活発となっている。漫画のドラマ化・映画化が一般的になり始め、さらに逆にある程度TV放送で視聴率のとれたドラマなどを漫画連載化するという形での進出も試み始められている。
2000年代中半以降、大手・中堅出版社から刊行されたり、テレビ系メディアやプロダクションが企画した若者世代向けのフィクション作品の多くが「何らかのメディアミックス展開」を導入している状況がある。現在では2ジャンル程度のメディアミックス展開がなされている作品はごくありふれたものであり、その程度の規模で大衆の格別の関心を引くことはもはや不可能に近い。
そのため、メディアミックスの展開自体も手間やコスト負担が増す傾向にあり、従来型のメディアミックスというそれ自体の費用対効果に対しても疑問を持つ企業が出てきており、「新たなメディア展開」を考えるべき時期にさしかかっている。
2000年代以降の大半のメディアミックス作品では、製作委員会方式を利用した出資・制作・収益確保のシステムが構築されている。そのため、利点・問題点については制作委員会方式のそれと多くは共通しており、資金面で見た場合には、出資した各企業が利益を上げる、裏を返せば赤字を出さないことが、作品が成功したと判定されるための絶対条件となる。その一方で、出資者側の都合などにより、テレビアニメなどを従来型システムの作品よりも遥かに低予算で制作する必要に迫られることも少なくない。これにより、資金面でいえば収益の管理の他に、制作初期の段階から予算管理が極めてシビアなものになることが見られる。
それらは、アニメ作品などでは予算超過への懸念から制作スタッフが作画、特に枚数を要するアクションシーンなどで大幅な方針転換を余儀なくされたり、バンクシステムの過剰な多用に追い込まれる、あるいは当初予定していた高い実力と知名度を持つスタッフが起用できないなどといった事態が発生する要因となっている。また、アニメ・声優業界の歴史的経緯や「ランク制」などの業界内部の制度面の事情もあって、声優のギャラなどのコストカットは脇役・端役であろうとも極めて困難であり、結局はそれらのしわ寄せが最終的に作画部門などに集まってしまうことが多く、作画・動画の実制作の現場でコストカットを突き詰め過ぎた結果、品質管理がままならなくなり、最終的に海外のプロダクションに下請けに出していた部分や予算の都合からスタッフの「穴」を埋められなかった部分などで品質面の破綻が起きてしまう、作画監督などのポストに責任を負える力量の人物を配置できずに『アラン・スミシー』的な架空名義が発生してしまう、などの異常な事態にも繋がってくることになる。
日本の製作委員会方式による著作権管理は大変に厳格なものとなっており、近年の世界でブームとなっている「日本のアニメ・漫画」を利用・訳案した映画作品を制作したいハリウッドなどから不満が出ている。
1990年代には、作品の横方向展開に留まらず、クリエイターそのものがチャネルを分散させることも、メディアミックスを象徴する風潮であったが、これは現在にも時折見られることがある。
わかりやすい例ではアニメーターと漫画化担当者の間において、表現・画風は同一でありながらメディア毎に異なる名義を用いるケースがある。単一の人物が複数名義を駆使して複数の人物を演出するケース以外にも、単一スタジオでの分業制でメイン担当者の名義としたり、税金対策を目的に複数名義を駆使したりと、作品・クリエイター毎に事情は異なるが、メディアミックスという言葉が連想させる象徴的な創作スタイルである。
こうした結果、特定のクリエイターのファンとなり、その仕事についての追跡を極めようとする場合においても、混乱を招くことがあった。単一の原作・企画から複数のメディアで展開された版権物に携わる人物についても、「キャラクターデザイナーAと漫画家Bは同一人物であるか否か」「イラストレーターCと漫画家Dが同一人物であるか」などを見極める余地も無いまま、継続的かつハイペースで増加していくさまざまな関連商品を、混乱しながら片っ端から購買することを迫られ、経済的負担とともにストレスが高まり疲弊していった。
視聴者が原作や他メディアの派生作品にも同時並行的に目を通すことを前提として、複雑なプロットや多すぎる設定を盛り込み過ぎた結果、メディアミックス作品については原作の設定を活かしきれず、プロットは説明不足かつ詰め込み過剰で、派生作品を精読せずに本編単体を見ただけではストーリーや主要キャラクターの関係さえもよく理解できないという、本末転倒の結果になることがある。
また、特にアニメにおいては、造詣の深いアニメファン・出演声優に対するファン・制作プロダクションの固定ファンなどを取り込むことを目的に、主要なスタッフが過去に携わった他作品や出演声優にまつわる話題などの楽屋落ち的な小ネタを随所に織り込むなど、「アニメファンと比較して原作ファンを軽視している作品内容」と言われても反論ができない様な作品は、ギャグ作品はもとよりシリアス系の作品ですら決して珍しいものではない。極端な場合、アニメに対する興味が普段は比較的薄い原作ファンが見たところで全く理解のできない(ギャグ・パロディにしても何が面白いのかがわからない)小ネタが頻出するような作品もあり、この様な作品では結局は原作ファンが取り残されることになってしまう。
メディアミックスでは多すぎる設定の詰め込みという問題とは逆の問題も起き得る。
連載が順調にスタートした人気作家の作品や、読者アンケートの高評価を背景にシリーズ化の展開が決定した作品においては、作品のスタート開始からわずか数ヶ月の短期間でメディアミックス展開が決定するものが珍しくない。さらには、原作の作家・クリエイターが持つ高い人気・ファンへの訴求力を利用することを前提とした作品や、アニメ業界やテレビゲームソフトのメーカーなどとの強いコネクションを持つ人物・企画スタジオが原作を手掛ける作品などでは、まず最初に複数のメディアミックス作品をほぼ同時にスタートさせることを前提とした企画が立案されて、この企画が出版社や映像会社などへ持ち込まれるという順序のものや、出版社が企画を立ち上げるにしても、出版の企画立ち上げとほぼ同時に何らかのメディアミックス展開の実施が決定するものが見られる。
このような作品の場合、物語や各種設定の蓄積が原作作品とその作者側でもまだ不足している状態で、関連作品の制作が行われることになる。その結果、関連作品は製作開始時点での原作の雰囲気にすり合わせても独自性の高いものが中心となるが、結果として物語が進行していく内に原作との間で作品内容に乖離が発生し、主要キャラクターの能力や設定を巡って大きな矛盾が発生してしまうこともある。また、原作作品が長期シリーズとなった場合、物語の進展や変化に伴って、結果的に性格・雰囲気・主旨が全く異なる作品となってしまうこともある。
これらの結果として、一定期間を空けて再度のメディアミックス展開を行おうとした場合、以前のメディアミックス作品との整合性が付けられなくなってしまうことがある。そのため、場合によってはメディアミックス作品側の計画している内容に原作側をすり合わさせるという主従転倒の事態が起きたり、以前のメディアミックスで製作された関連作品を「全てなかったこと」として扱わなければならなくなる羽目におちいることもある。
これらの問題の他、経済効果の期待値が最大となる作品人気の「旬」(売り時)を逃さないよう、有力な出資者が現場の実情を無視して設定した強引なスケジュールや納期の設定なども要因となって、品質面・内容面で重大な問題を抱えた作品となってしまい、結局は原作作品の販売促進という意味でまるで役に立たなかったり、メディアミックス作品から入ったファンに無用の誤解を与えてしまう。さらにひどければ、品質面・作品内容の破綻だけが話題になってしまうなど、メディアミックスとしては本末転倒の結果と低評価に終わってしまう企画は、アニメ・映画・テレビゲームなど、ジャンルを問わず少なからず見られる。
基本的にはアニメ作品を基にメディアミックスがなされる数珠繋ぎ戦略が一般的である。なお、漫画から直接実写作品化が認められている出版社やジャンルもあることはあるが、アニメ作品を作ってから実写作品を作らなければいけない事例もサブカルチャー系の出版社[注釈 1]や少年漫画作品を中心に存在するので、同じ会社によってテレビアニメと実写映画の同時展開がなされる抱き合わせ製作が用いられることもある[注釈 2]。漫画雑誌によっては、アニメ化しか認められていない事例もあるので、掲載誌をウェブコミック配信サイトなどの名義に変更することで実写作品が作られている例[注釈 3]も存在する。
漫画化・ゲーム化・映画化・ノベライズなど。アニメの場合、原作者が個人(自然人)名義でクレジットされることはほとんどなく、合同のペンネーム(擬人名称)か法人名義(アニメ制作会社など)か製作委員会のチーム名でクレジットされることが多い。これは著作権登録の際、法人名義が認められず、個人名義でなければならない時期があった頃の名残として残されていることに起因する[注釈 4]。
映画化・アニメ化・漫画化・ノベライズなど、特に21世紀以降はハリウッドで映画化される展開が多い。
漫画化・アニメ化・ドラマ化・ゲーム化・映画化など。特に1990年代以降メディアミックス展開の中心核となり、アニメ業界と強力なコネクションを築いた角川ホールディングス系列の各出版社のレーベルから刊行されているジュブナイル・ライトノベルの作品については、人気が出れば即アニメ化・漫画化という形で直結する傾向が強い。
また、脚本家兼小説家であるあかほりさとるや、様々なジャンルの作品で原作を手掛けるマルチクリエイターの広井王子に代表される様な、ライトノベル・テレビアニメ・テレビゲームなど複数の業界に多岐にわたるコネクションを持つ人物が、小説形式で原作を担う場合、当初からライトノベルのシリーズの企画と各種メディアミックスの企画が平行して進められてゆくこともある。
漫画化・ノベライズ・ゲーム化など。
同時進行で展開されたケースも含む。
アニメショップのマスコットキャラから派生しメディアミックスした物もあり、ブロッコリーが展開する「ゲーマーズ」の『デ・ジ・キャラット』とアニメイトの『アニメ店長』がある。前者はブシロードの設立者で、『ミルキィホームズ』・『カードファイト!! ヴァンガード』・『BanG Dream!』といった名作メディアミックスを数多く手掛けた木谷高明が最初に手掛けたメディアミックスであり、テレビアニメ化、アニメ映画化、ドラマCD化、漫画化、ライトノベル化している。ブシロードと共同でリメイクもなされた。後者はドラマCD化、漫画化、アニメ化[注釈 16]しており、また『らき☆すた』に一部キャラクターが登場するなど他作品とのタイアップも果たしている。
現実のアイドルグループの活動と平行したメディアミックスもあり、2000年から2004年まで活動した『ミニモニ。』などがある。この頃はモーニング娘。の全盛期で、これらの人気が女児にまで行き届いたこともあり、最初から女児向けの姉妹グループとして作られ、女児の支持をミニモニ。に分散する狙いで結成された経緯がある。メディアミックスに使われているのは当時の小学館プロダクションが手掛けた2頭身に作られた海外のアニメーションをモチーフとしたキャラクターが主であり、アニメ作品は殆ど無く、キャラクターグッズを主に展開していた。漫画化やビデオゲーム化もなされた。
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