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日本の実業家 ウィキペディアから
木谷 高明(きだに たかあき、1960年〈昭和35年〉6月6日 - )は、日本のゲームクリエイター、起業家。株式会社ブシロード代表取締役社長兼CEO。株式会社ブロッコリーおよび株式会社ブシロード創業者。石川県金沢市出身[1]。東京都練馬区在住[2]。学位は経済学士(武蔵大学・1984年)。血液型はA型[3]。
ブシロードの株式の多くを保有しており、資産管理会社である「株式会社中野坂上」および親族・銀行信託の間接出資を含めると、出資比率は58.33%(2022年9月27日現在)となり、同社の支配株主に位置付けられている[4]。また、ブシロード傘下のプロレス団体「新日本プロレスリング」「スターダム」のオーナーとしても知られている。
ブシロードレスリングなどではキッダーニ男爵(キッダーニだんしゃく)名義での活動を行っている。
株式会社ブロッコリー代表取締役社長、株式会社ブシロードグループパブリッシング代表取締役社長、新日本プロレスリング株式会社取締役会長、株式会社ブシロードメディア代表取締役社長、株式会社ブシロードミュージック代表取締役社長などを歴任した。
星稜高等学校を経て武蔵大学経済学部を卒業後、1984年に山一證券入社。アメリカ勤務などをこなし、同世代の勉強会である透水会の初代会長を務めた。同僚には鮎川純太がいた。
1994年に山一證券を退職。同年3月25日、ベンチャー企業のブロッコリーを設立し、代表取締役社長に就任した。当初はイベント運営を主な業務とし、1994年から1998年まで同人誌即売会「コミックキャッスル」を開催した。1996年にはキャラクターグッズ販売店「ゲーマーズ」の1号店を開店。「DC(デジタルキャラクター)マーケット」のキャッチフレーズを掲げ、キャラクタービジネスを中心にアニメ、ゲームなど多角的に展開した。1998年に始まるデ・ジ・キャラットのヒットで業績を伸ばし、2001年にはJASDAQに上場を果たした。
しかし急激な事業拡大が祟り、2000年には赤字転落。2003年にタカラ(現・タカラトミー)の支援を受け同社の傘下に入った。
2005年5月26日には代表取締役社長を辞任し、代表取締役会長兼最高開発責任者となりコンテンツ開発機能の強化を行うとされた[5]。2006年10月19日にはブロッコリーの代表権を返上し、取締役会長兼最高開発責任者となり、経営は現経営陣に一任し企画開発・プロデュースに専念するとされた[6]。その後、2007年4月26日付で取締役会長兼最高開発責任者を辞任、自ら創業したブロッコリーの経営から完全に離れた[7]。
2007年5月、カードゲーム商品等を手がける会社としてブシロードを設立し、代表取締役社長に就任した。社名の由来は、ブロッコリー時代に自ら主導で企画しながら諸事情で映像化が果たせなかった『熱風海陸ブシロード』にちなんでいる。小説版の執筆や世界観設定・監修を担当していた吉田直は2004年に既に他界していたため、吉田の両親に対し「どうか、新会社の名に直君の作品名を下さい」と直接相談し、了承をもらったうえで命名している[8]。
2012年1月、自身が所有するブシロードグループパブリッシングを通じて、ユークスから新日本プロレスリングの全株式を5億円で取得した。それにともない、谷口行規の後任として新日本プロレスリング取締役会長に就任した[9]。同年2月には新日本プロレスリングより第三者割当増資を引き受け、発行済み株式の23.3%を保有する株主になった。なお、2013年9月24日に会長を辞任を発表し[10]、以降はオーナーとしてバックアップに専念することを宣言している。
2013年12月31日、社名の由来となった『熱風海陸ブシロード』が特別番組としてテレビアニメ化され、木谷にとっての10年越しの悲願を果たした(完成に合わせて吉田の実家を訪問し、墓前報告を行っている)。
2014年8月5日、ブシロードのトレーディングカードゲームおよび日本のエンターテインメントを東南アジアや世界に広げるため、3年程シンガポールを拠点に活動する予定であると本人のTwitterで明かした[11]。
2016年、内藤哲也がIWGPヘビー級王座奪取以降何かとリングの上やインタビューなどで口撃のターゲットにされている。
2017年10月20日に開催される株主総会においてブシロード代表取締役社長の座を降り、一取締役としてデジタルコンテンツ部本部長兼広報宣伝部部長、並びに子会社であるブシロードミュージックの代表取締役社長に就任し、“コンテンツ作りの最前線”についた。その理由として木谷は「役員クラスとなると、どうしても現場から離れがちになる」「ブランドと版権と流通力がない会社は、役員クラスが現場を熟知する必要がある」とし、「徐々に自分自身から後進へとバトンタッチさせて行く」意向も明らかにしている[12]。
2018年3月までで先述のシンガポール常駐を終え、日本を拠点に戻し本格的にものづくりに力を入れていくとしている[13]。
2020年6月19日、コンテンツ作りの最前線で一定の成果を出せたこと、また新型コロナウイルス感染症によるリスク回避のためこれまで以上に確実で迅速な経営判断ができる体制へ強化することを目的として、2代目のブシロード代表取締役社長に就いている橋本義賢をそのままに、新たに木谷が代表取締役会長に就任した[14]。
2022年7月1日付で、再びブシロード代表取締役社長に就任した[注釈 1]。これは同年7月26日公表予定の中期経営計画に基づくものとされている[15][16]。
メガネ、スーツ、七三分けがトレードマークで、イベントやラジオ番組によく出演する。1990年に結婚し[17]、1男2女をもうけている。
2012年4月9日に行われた、ダルビッシュ有のデビューマウンドでもあるアメリカ大リーグのシアトル・マリナーズ対テキサス・レンジャーズの試合の始球式を務めた。これはブシロードが2012年から、レンジャーズ本拠地であるレンジャーズ・ボールパーク・イン・アーリントンのバックネット裏広告を展開したことによる[要出典]。
趣味はプロレス、特にWWEとPRIDEのファンで時間を見つけては海外まで行く程である。酒豪であるが、大の甘党でもあり、特に和菓子、チョコレート等が好物である。
あかほりさとると親交が深く、月刊コミックブレイド2012年11月号より連載された『業界偉人伝 ジンカン 〜人の間はおもしろく生きる〜 木谷高明物語』では脚本を担当している。長島☆自演乙☆雄一郎と交流があり、2010年には木谷の誕生日パーティーと長島の壮行会が合同で開催された[18]。
「ブシロードレスリング」では、黒の帽子や仮面で正体を隠し、「キッダーニ男爵」を名乗ってリングに登場することがある。プロレスの試合中はセコンドを務めているが、相手側陣営から「あれ、木谷社長だろ」と指摘されることもある[19]。自身が企画を担当する『ヴァンガードTV』においても、いつもどおりの衣装で木谷として出演することもあれば、正体を隠してキッダーニ男爵として出演することもあった[20]。同番組中において、レギュラー出演者の森嶋秀太より、木谷とキッダーニ男爵が同一人物であることが明かされた[21]。なお、ブシロード傘下のプロレス団体である新日本プロレスやスターダムでは、キッダーニ男爵としては登場しない。
星稜高校の1年後輩である元プロレスラーの馳浩を、文部科学大臣在任中の2016年3月31日・4月1日に開催された東京ドームでの「ラブライブ! μ's Final LoveLive!〜μ'sic Forever♪♪♪♪♪♪♪♪♪〜」に招待している[22]。
BanG_Dream!でリアルバンドとしても活躍しているPoppin'Partyの楽曲で一番好きなのは走り始めたばかりのキミに[23]。
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