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以前西友が「西武」ブランドで運営していた店舗については「リヴィン」をご覧ください。 |
西武の店舗一覧(せいぶのてんぽいちらん)では、株式会社そごう・西武が運営する百貨店のうち、「西武」ブランドの店舗(2009年まで株式会社西武百貨店が運営していた当時の「西武百貨店」の店舗を含む)を掲載する。2024年時点、日本国内では関東地方を中心とし、一部は東北地方・北陸地方に展開している。東南アジアにも店舗がある。日本の店舗数は、百貨店4店舗、ショッピングセンターが2店舗である。東南アジアでの展開は、地元資本への商標貸与の形で行われており、直接経営に参画している訳ではない。
かつてはセゾングループの中核企業であった株式会社西武百貨店による運営で、店名も西武百貨店であった。現在のそごう・西武は西武鉄道及び西武ホールディングスと直接の資本関係はない(かつての親会社のセブン&アイ・ホールディングスと西武ホールディングスは「連携強化」のために株式を持ち合っており[1]、業務提携関係にあった。詳細は「そごう・西武#西武グループとの関係」を参照)。2023年9月1日にセブン&アイ・ホールディングスが、アメリカ合衆国の投資ファンドであるフォートレス・インベストメント・グループに2200億円で売却したため、現在はフォートレス・インベストメント・グループが株主である。
かつての西武百貨店は電鉄系百貨店の中でも店舗網の全国展開が最も進んでおり、2000年時点で北は北海道の旭川市から南は高知県に至るまでの24店舗を展開していた[2]が、2003年にバブル崩壊の後遺症によるセゾングループ崩壊から経営危機に陥ったことから私的整理に関するガイドラインに基づいた「西武百貨店グループ再建計画」を発表した[3]。それ以降、持株会社ミレニアムリテイリング傘下入りによるそごうとの経営統合、さらにセブン&アイ・ホールディングス傘下入り、そごう・ミレニアムリテイリングとの合併によるそごう・西武発足などを経ていく中で、地方店・郊外店を中心とした不採算店舗の整理が進んだ。そごう・西武発足後に吸収合併したロビンソン百貨店の2店舗(埼玉県春日部市および神奈川県小田原市)を「西武」ブランドに転換することで西武の店舗が増加したこともあったが、それらも僅かな期間で閉店している。
関西と東海地方(静岡県を除く)の店舗は、1976年に開店した大津店(滋賀県大津市)を皮切りに地域子会社の「西武百貨店関西」によって運営されていたが、業績不振やイトマン事件の煽りを受け、西武百貨店(本社)へ統合された。その後も年を追うごとに、周辺地域の同業他社およびショッピングセンターとの競合に敗れるなどして、東海三県では本社への統合後に出店した岡崎店(愛知県岡崎市)のみ、関西地区でも2019年10月以降は前述の大津店のみが残り、2020年8月31日以降は両店舗の閉鎖により、関西(日本百貨店協会で近畿地方として扱われる後述の福井県を除く)・東海地方からは完全に撤退した。
北陸地方や北海道についても、同様に1988年に「西武北陸」や「西武北海道」が設立され運営に当たっていたが、前者は1993年に本社に吸収合併された。後者も1997年の吸収合併の後、2016年9月30日の旭川店閉店をもって完全に撤退した。
その他の地方にも出店実績のある地域(県)が存在するが、2021年3月現在の営業店舗は6店舗のみとなっており、関東地方の店舗に経営資源を集中させている。残った6店舗の中では、東京都区部の池袋本店と渋谷店が基幹店である。特に池袋本店はそごう・西武の中で最大の売上を誇り、「ファッションの西武」の代表的存在であり、店舗別国内売上高においては第3位を誇る。また、所沢店(埼玉県所沢市)や東戸塚店(神奈川県横浜市)は直営売場を全廃ないしは大幅に削減したショッピングセンター(SC)への転換を行なっている[4]。
関東地区以外の店舗は、東北・北海道地方で唯一の店舗である秋田店(秋田市)と、北陸地方で唯一の店舗である福井店(福井市)のみとなっている。
旧西武百貨店時代は「地名(あるいは旧運営法人名)+西武」を店舗名の略称としていたが[2]、そごう・西武発足後は「西武(地名)店」「西武(地名)ショッピングセンター」となっている(そごうも同様)[5]。
東北
秋田店
- 秋田県秋田市中通2-6-1 秋田中央ビルディング 秋田駅前 売場面積10,739m2。
- 1984年4月27日、本金と西友との合弁により「本金西武」として開店。
- 2005年3月1日、吸収合併により西武百貨店直轄店となった。
- 開業当初からイトーヨーカドー秋田店(後のファッションビル「フォンテAKITA」)と隣接しており、地下連絡通路で繋がっている。そごう・西武が、セブン&アイグループ入りしてからは合同セールも実施。また、フォンテにはロフトが出店し補完関係となっているほか、ザ・ガーデン自由が丘SEIBUも出店していた。2013年9月1日、ザ・ガーデン自由が丘SEIBUは、シェルガーデンからそごう・西武本体へ運営が移管され、西武秋田店内に同店への経路を示す案内看板が設置された。しかし、2019年10月にセブン&アイ・ホールディングスが、大規模な人材削減、及び店舗の閉店を発表し、ザ・ガーデン自由が丘SEIBUは、2021年2月をもって閉店した[6]。3月には本館3階を閉鎖し、さらに売場面積を減少させることになった[7]。
関東
池袋本店・ヨドバシHD池袋ビル
概要 西武池袋本店 SEIBU IKEBUKURO, 地図 ...
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池袋駅東口直結。旧セゾングループの中核店舗。通称は「池袋西武」を略した「イケセイ」(登録商標第5396548号[15])で[16]、「イケセイアウル」というローカルヒーローが存在する(意匠登録第1533283号[17])[18]。
2005年8月までは「西武池袋店」(「池袋西武」[2]」)であったが、同年9月のそごう心斎橋本店(大阪市)の開店に合わせて「西武池袋本店」に名称変更した(2009年にそごう心斎橋本店は閉店したため、そごう・西武の西武側にのみ「本店」が残る形になっている)[19][20]。2022年5月には、そごう・西武の登記上の本店および本社機能がセブン&アイHD本社近くの東京都千代田区二番町(二番町センタービル)から移転してきており、名実ともに、そごう・西武の本店となった[21][22][23]。
元々西武鉄道グループ内の百貨店事業からスタートしているため、南側は西武池袋線池袋駅の上に建てられており、池袋本店の敷地の6割は西武ホールディングスからの借地である[11]。
2021年春の日経リサーチによる「商業施設の利用実態調査(首都圏版)」によれば、首都圏の商業施設で集客力1位[24]。2023年2月期の売上高は1,768億36百万円(法人外商含む)で、そごう・西武の店舗では最も多い[25](2021年2月期は1,385億82百万円、2022年2月期は1,540億2百万円)。日本の百貨店業界全体でも伊勢丹新宿店・阪急うめだ本店に次ぎ国内3位に位置する[26][27]。
ファッションに関心が高い顧客層に根強い人気があり、西武百貨店時代には前述のように「ファッションの西武」と呼ばれ[注 1]、マーチャンダイジング(MD)や売場編集能力も高かった。1999年にはデンマークのインテリアショップであるイルムスと提携して、「イルムス館」(現在:別館)をオープンさせ、スカンジナビアモダンの流行のさきがけをつくった。また、池袋本店のデパ地下は、ザ・ガーデン自由が丘を出店させるなど、昔から他を圧倒する品揃えと人気があり、デパ地下ブームの火付け役になった。
『日経MJ』の2002年の調査や、インターワイヤードの2005年の調査では、首都圏人気デパ地下ナンバーワンにも選ばれている。としまえんや豊島園 庭の湯、ラクーアなどが近いことから水着の売上枚数も国内有数であった。しかし、2020年代になると豊島園が閉園したこともあってか伸び悩んでおり、むしろ、そごうがかつて得意とした浴衣の売上が堅調である。
西武百貨店時代の1975年に、現代美術を展示する西武美術館(後のセゾン美術館。1999年閉館)が置かれたほか[28]、数多くの文化施設から次々に新鮮な企画が打ち出された。新進作家の小物を展示即売する「クリエイターズスペース」、ビデオ・舞踏・落語などのイベントが行われた「スタジオ200」、ソフトが豊富だった「ビデオポート」、ビデオ制作の「スタジオテック」、出張撮影が依頼できる「キネテック」、貴重盤の多い「ディスクポート」、演劇ショップの「ワイズフール」など、メセナ・ソフト事業も幅広く手掛けた。2021年時点でも6階に「西武アート・フォーラム/アート・ギャラリー」を設置している[29]ほか、店舗の内外に西武百貨店当時に設置された鹿目尚志らの現代美術作品が残されている[30]。
2008年6月に東京メトロ副都心線が開業した際には、池袋の顧客が新宿・渋谷等の百貨店に流出するのを防ぐため、長年ライバル関係にあった池袋駅西口の東武百貨店と協力して様々な取り組みを行った[31][注 2]。
2021年には、西武ホールディングスと共同で、WEBで発注された池袋本店の一部スイーツやギフトなどの商品を西武鉄道池袋駅、富士見台駅、所沢駅構内に設置されたスマートコインロッカーで受け取れるサービス「BOPISTA(ボピスタ)」を2月8日から3月31日までの間実証実験として行う[32]、出前館などを使って食品売場の弁当や総菜などを近隣地域に宅配するサービスを開始する[33][34]など、新たな取組を行っている。
2010年のリニューアル
2008年から2010年にかけて、「ファッションの西武」の復権を賭け、総額400億を掛けて構造改善・耐震化工事を含むリニューアルを実施した[35][36][37]。副都心線開業に伴い、池袋本店と渋谷店を連動させてブランドイメージの復権を狙った。この大改装の仕上げとして、地下1階の旧ルノートルカフェ部分には、新たに「光の時計口」を新設し[38]、JRの池袋駅南口方面や地下鉄有楽町線方面から西武池袋線への乗り換え客をデパ地下へと誘導しやすい作りへ変更した。また、地下・地上すべてのエントランスにおいてリニューアル工事を行い、白を基調とした明るい感じへと刷新された。
旧セゾングループの象徴的なものでもあった、東池袋方面からも確認できる大看板からは「Loft」「PARCO」の文字が消え、西武東口を出た箇所の壁面にある袖看板も新しいものに変更。また、懸垂幕広告も以前は大看板のすぐ真下・8階部分まで掲示していたが、レストラン街リニューアルに伴い、8階部分の展望可能な窓を増やし、懸垂幕については7階の高さまでの掲示へと変更した。
長らく「イルムス館」として営業していた別館には無印良品の旗艦店が新たに入居し[35]、すべてのフロアの床面をリニューアルし、インテリアフロアとこども服フロアを入れ替え、都内百貨店としては近年稀にみる大掛かりな改装となった。
最後に改装の締め括りとして、三越池袋店の閉鎖に伴い地下1階にて期間限定ショップとして仮入店していたLouis Vuittonが、旧第一勧銀池袋支店[注 3]跡である、1階PARCO寄りに約14年ぶりに復活入店した。
2023年8月31日のストライキ
2023年8月31日、セブン&アイ・ホールディングスは臨時取締役会を開き、そごう・西武のフォートレス・インベストメント・グループへの売却実行を決議した[39]。これに対し、そごう・西武労働組合は同日にストライキを決行した。これにより西武池袋本店は全館で終日臨時休業となり、納品も全て停止された[40]。大手百貨店のストライキは、1962年5月の阪神百貨店以来61年ぶりとなった[41]。
フォートレス・インベストメント参画後
2023年9月1日付けを持って、西武池袋店の不動産(西武ホールディングス所有分は除く)を約3000億円で売却[42]。ヨドバシホールディングス傘下となった。そして、南側地下二階にあった「ザ・ガーデン自由が丘池袋店」(2024年1月31日営業終了)を皮切りに、ルイ・ヴィトン、グッチ、プラダなどのテナントとの移転交渉や、各店舗の閉店等を進め、5月末までに約200のテナントが営業を終了[43]。2024年6月30日には本館地下1階と本館9階屋上の「食と緑の空中庭園」で営業するうどん店「かるかや」が営業を終了した[44][45]。
ヨドバシ建物への継承
2024年8月からは本格的に改装を開始したほか、同年9月1日より西武池袋本店の建物と後述する出店店舗、9〜12階フロアの運営・管理をそれぞれヨドバシホールディングス傘下のヨドバシ建物に継承の上、新たに「ヨドバシHD池袋ビル」として同建物内のテナント形態に変更して営業を継続している。このテナント形態変更に合わせ、そごう・西武は西武池袋本店における同ビルの9~12階のフロア全体および出店する店舗(池袋ロフト、ダイニングパーク池袋内の飲食店全店舗、ペットショップ ラビータ、美容室air〈エアー〉、鶴仙園)の営業とサービスを同年8月31日をもって終了した[13][46][47]。2025年中に同ビル(本館)内の地下2階全面、地下1階の3分の1程度、1階は百貨店に配慮して3分の2程度[48]、2-8階の南側部分、別館、書籍館を池袋本店の営業部分[13]として改装前の面積から半減(改装前の55%程度)の約4万8000平方メートルの売り場に約380店が入店[43]し、リニューアルオープンする予定(残りの売り場はヨドバシカメラ及びそのグループ企業の店舗となる見込みとなる[49])。
渋谷店
概要 西武渋谷店 SEIBU SHIBUYA, 地図 ...
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1968年4月19日開店。開店初日のセレモニーには、ライバルでかつ渋谷に地盤を持つ東急グループ総帥(当時)五島昇も出席した。
旧西武百貨店時代は「シブヤ西武」と表記された[60]。池袋本店の「イケセイ」に対応して「シブセイ」と略称されることもある[61]。
A館とB館の売場面積の合計40,033m2。2023年2月期の売上高は317億65百万円(法人外商含む)[62](2021年2月期は255億91百万円、2022年2月期は264億6百万円)。
建物の所有権は、フォートレス・インベストメント・サービスに売却される以前は、ロフト館及びMovida館の土地及び建物を保有していた。しかしながら、売却に伴い全ての不動産を消失した。以下は、2023年9月1日以降の所有権の状態を示す。
さらに見る 建物名称, 元建物 ...
建物の所有権のあらまし
建物名称 |
元建物 |
家主 |
備考 |
西武渋谷店 A館 |
渋谷松竹映画劇場 |
松竹映画劇場株式会社 |
全棟借りで入居 |
西武渋谷店 B館 |
渋谷国際(東急系) |
国際株式会社 |
三井住友銀行を除く部分を賃貸契約で入居 |
西武渋谷店 パーキング館 |
渋谷松竹映画劇場 |
松竹映画劇場株式会社 |
全棟借りで入居(地下1階部分を、株式会社良品計画に転貸契約) |
西武渋谷店 ロフト館 |
複数地権者 |
株式会社ヨドバシホールディングス |
株式会社ロフトが全棟借りで入居 |
西武渋谷店 Movida(モヴィーダ)館 |
山手教会敷地 |
株式会社ヨドバシホールディングス |
株式会社良品計画が賃貸契約で入居 |
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A・B館の間における都市伝説として「両館の間にある井の頭通りの地下には暗渠化された宇田川が流れているため、両館のあいだには地下連絡通路はなく、代わりに3階、5階、屋上階に空中連絡路が設置された」と言われることが多く、そのような記述の著作もある[63] が、実際には地下3階に宇田川の下を通る形で地下連絡通路があり[64]、従業員用並びに取引先用として利用されている。
当初、シブヤ西武は、駅から離れているため集客・売上が伸び悩んだ[65]。東横百貨店のある渋谷駅から買い物客を呼び込むため、宇田川町一帯を魅力的な市街地に変身させる「街づくり」に着手した。
歴史
堤清二セゾンにとって渋谷は非常に重要な拠点としての位置づけが行われた。それは、第二次世界大戦以前にまで遡る。なぜならば、当時西武百貨店の母体であった箱根土地建物と東急電鉄の傘下にあった小田急電鉄の間で、箱根開発を巡る競争があったためである。特に、渋谷という場所は、東急グループが開発をした場所であり、そこで大きな発信力を有することは、堤清二及び当時の西武流通グループにとっては、父親であった堤康次郎への承認欲求だったといっても過言ではない。
また、当時の西武百貨店幹部は東急グループの経営手法である「生活総合企業」という面を非常に研究しており、本来ならば鉄道というインフラからビル経営、不動産開発、商業に至るまでの多次元的な展開によってなされるべきであったが、西武流通グループには鉄道及びバスというインフラを保有していないため、以下のような展開が実施された。
渋谷においてはセゾングループ全体で新しい商業ビルを続々オープンさせることになった。また、公称地名とは異なる公園通り、スペイン坂といった新ネーミングをつけることによって町のイメージも一新、「セゾン文化」の流行発信基地として成長させていった。
こういった一連の動向が東急グループにも波及、1979年ファッションコミュニティ109、1988年Bunkamura等が開業し、渋谷は東京一の最先端のファッション・タウンとして発展することになっていった。さらに、東急グループが実施すれば、西武百貨店も追随するなどの、「専門大店」構想の実験のための、アンテナショップ運営が実施された。これは、のちにロフトとして結実する。
以下は、年表にまとめた各店舗の成立年代である。2023年時点では、そごう西武においてパルコ、THE PRIMEは現存しない。しかしながら、年表以下の記述との整合性において残存することにした。
さらに見る 年, 開設館 ...
年 |
開設館 |
閉鎖館 |
概要 |
住所 |
1968年4月19日 |
西武渋谷店 A館・B館 |
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百貨店の主売場 |
渋谷区宇田川町21-1 |
1973年5月23日 |
渋谷パルコビル |
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ファッションビル |
渋谷区宇田川町15-1 |
1975年12月5日 |
渋谷パルコビル パート2 |
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ファッションビル |
渋谷区宇田川町3-7 仁愛ビル |
1985年4月12日 |
THE PRIME |
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テナントビル |
渋谷区道玄坂2丁目29-5 |
1986年4月12日 |
シード館(現在:Movida館) |
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催事場・売場 |
渋谷区宇田川町18-1 |
1986年12月10日 |
クアトロ・バイ・パルコ |
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ファッションビル |
渋谷区宇田川町15-1 渋谷パルコ |
1987年5月12日 |
ロフト館 |
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ロフト本店 |
渋谷区宇田川町18-2 |
1992年3月13日 |
キッズファームパオ |
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子供用品 |
渋谷区神南1-22-14 |
1994年11月30日 |
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キッズファームパオ |
売上減少に伴う、閉店 |
渋谷区神南1-22-14 |
2006年3月10日 |
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西武渋谷店 A館・B館 |
大規模構造改善工事に伴う一時閉館 |
渋谷区宇田川町21-1 |
2007年8月1日 |
西武渋谷店 A館・B館 |
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大規模構造改善工事終了に伴う再開店 |
渋谷区宇田川町21-1 |
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1973年に西武劇場を開設、同時に、若年層にターゲットを絞ったファッションビル渋谷パルコを開設(ブティック入店のタイプでは、銀座の松屋に並び称させる)。
1975年にはパルコパート2を開設[65]。
1985年にはTHE PRIMEを開設。
1986年にシードホールを備えたシード館(現在:Movida館)を開設、同年にはクアトロ・バイ・パルコ(現在は、渋谷パルコビル)を開設。
1987年にはロフト館など、新しいコンセプトの別館も開館。
1992年には西武百貨店は小田急百貨店の母と子の原宿カリヨン館の成功を真似た 「キッズファームパオ」を公園通り入口に開業した。
1994年には閉鎖され、建物は現在タワーレコード渋谷店となっている。
2007年3月、大規模改装を実施[60]。それに伴い、西武渋谷店として、以下の独自展開が行われた。
- 高級品に特化した店舗として、高感度なファッションを独自に提案する「自主編集売場」を設置。
- 54のブランドが出店する「ラグジュアリーゾーン」を設置。
- エステなどが揃う「ビューティーゾーン」を設置。
- 地階の食品売場も「グルメマルシェ」として再開(現:西武食品館)。
2008年4月 開店40周年に際しては、デザイナーズブランドを一堂に集めて販売する「クリエーターズ・ウィーク」の開催などの各種イベントが行われた。
2011年3月には、西武渋谷店独自の展開として「Art meets Life」をコンセプトとして掲げることになる。しかしながら、東日本大震災のため、後述するように4年間の計画を経て実施に移されることになる。
2015年8月には「Art meets Life」のコンセプトで店舗の一部をリニューアルし、アートとデザインを体感できるフロアや空間の強化を実施。
- A館1Fに変化し続ける光の柱“アートゲート”を設置[66]。
- B館8階に、オルタネィティブスペースの設置(個展会場)。
- P(パーキング)館1FにChoose Base Shibuyaの設置。
2019年5月には、ジャニーズ事務所と契約を結び「ジャニーズアイランドストア」を設置。
2022年12月には、フランク・ミュラー西武渋谷店が撤退。
2023年4月には、グッチ西武渋谷店が撤退。
2023年9月には、「ジャニーズアイランドストア」が閉店。
以前は、催事に強い店舗であったが、現在はそごう横浜、そごう千葉、そごう広島の売上に抜かれ、そごう西武全体では5位となっている。
建築物としての西武渋谷
1968年開店部分にあたる、A館・B館の外装モダン・アールデコ様式であり清水建設の設計・施工。モヴィーダ館は菊竹清訓の設計、清水建設による施工。ロフト館も同様にして、菊竹清訓の設計監修、清水建設による施工。これらの建設要素も西武渋谷店のコンセプトである「Art meets Life」のコンセプトにつながったとされる。
しかしながら、バブル期に可能だった美しい建造物は、デフレの時代において標準建築材などを用いて補修が困難なため、修繕には多額のコストを必要とするという問題を抱えている。
各フロア案内
公式サイトのフロアガイドを参照。
ウィキメディア・コモンズには、
西武渋谷店に関連するカテゴリがあります。
西武渋谷店(1970年4月)
「シブヤ西武」時代のA館(2008年)
A館1F 光の柱“アートゲート”
西武渋谷店B館
ロフト館
所沢S.C.
- 埼玉県所沢市日吉町12-1 ワルツ所沢 西武鉄道所沢駅西口 売場面積23,667m2。
- 1986年4月25日開店。所沢駅西口第一種市街地再開発事業[67]。
- 所沢市には西武鉄道本社(西武ホールディングス本社は池袋に移転)があり、埼玉西武ライオンズ優勝時には記念セールが大々的に開催される。ただし現在の「そごう・西武」と「西武ホールディングス」には上述のように直接の資本関係が無いため、あくまで業務提携しているグループ同士・および球団のスポンサーとしての関係である(そごう・西武はライオンズのスポンサーとして、各種セールを開催する権利を持つ)。
- 店内8階には、1986年4月25日の開店と同時に開館した映画館「シネセゾン所沢」があったが、2003年5月28日に閉館。閉館後に改装されてイベントスペース「ワルツホール所沢」となっている。
- 2007年に改装を実施。「自主編集売場」「食のゾーン」「ビューティー&ケアゾーン」を設置した。
- 2012年3月30日、店長と正社員全員を女性とする新しい取り組みを開始[68]。
- 2017年5月26日、婦人服売り場であった1階を食品売り場に改装し、既存の地下1階部分とあわせ、2フロアを食品売り場とした西武食品館がグランドオープンした[69][70]。
- 2019年9月5日、店名を西武所沢店から西武所沢S.C.(ショッピングセンター)に変更し、百貨店から郊外型ショッピングセンターへ業態転換。同年11月末までにかけて、店舗の75%をテナントとした大型リニューアルを行い、ビックカメラ、GU、無印良品、ABC MARTなどの大型店舗等が出店する[71][72]。
東戸塚S.C.
- 神奈川県横浜市戸塚区品濃町537-1 オーロラシティ 東戸塚駅前 売場面積35,367m2。
- 1999年10月7日開店。郊外型「2核1モール」ショッピングセンターを展開するに当たって立ち上げたデベロッパー「株式会社ミレニアム企画」による第1号。当初は、オーロラモール及びオーロラモールアネックスは、株式会社ミレニアム企画の運営だったが、現在はオーロラモール及びオーロラモールアネックスについてもそごう・西武の運営。東戸塚西武+オーロラモール、駐車場棟、オーロラモールアネックス、イオンスタイル(旧ダイエー)で構成されている[73]。
- 2020年3月1日、店名を西武東戸塚店から西武東戸塚S.C.(ショッピングセンター)に変更し、百貨店から郊外型ショッピングセンターへ業態転換。6月11日、全館テナント型の郊外型モデル商業施設としてリニューアルオープンした。
中部
福井店
- 福井県福井市中央1-8-1 福井駅前 売場面積25,691m2。
- 1928年7月6日「だるま屋」として創業。セゾングループ資本参加後は、地域法人「だるま屋西武」「西武北陸」による運営期間を経て1993年、西武百貨店に吸収合併され直営店舗となる。西武百貨店運営の下でも長らく「だるまや西武」の名称であったが、2006年「福井西武」へと改称され、そごう・西武の運営となってからは「西武福井店」となった。
- 長い間福井駅前を支えてきた福井店だったが、2019年10月にセブン&アイ・ホールディングスが、大規模な人材削減及び店舗の閉店、縮小を行うと発表し、2021年2月末で新館が閉館となり、2021年3月からは本館のみとなったため新型コロナウイルス感染症が終息するまで新館のビルは準備中となっている[6][74][75]。
小型店
2011年10月から展開を開始したセレクトショップ。同じセブン&アイグループのイトーヨーカ堂店内に、西武のサテライトショップを設けることによって、従来百貨店でしか扱っていなかったブランドを、より身近な場所で購入できるよう顧客の便宜を図った。また、アリオ仙台泉出店時からは新戦略として「SEIBU KIREI」も導入。こちらもまた百貨店でしか扱えなかったブランド化粧品をコンサルティング販売する[76]。イセタンミラーが首都圏の駅ビル中心なのに対し、地方都市郊外店からスタートさせた。
しかし不採算を理由に、旧沼津店(後述)の代替として営業している三島ショップを除いて、2017年中に閉店する方針であり、2016年以降順次閉店している[77][78]。「西武・そごう」名義の小型店についても、後に武蔵小杉SHOPが、西武拝島ショップと同じく2017年8月27日(当初は31日の予定だったが、後に変更)に閉店と発表された[79][80]。一方で柏SHOP(旧そごう柏店の代替)は引き続き営業を継続するため、2017年9月以降、小型店は西武三島ショップと西武・そごう柏SHOPの2店舗のみになったが[81]、2021年4月に武蔵小杉に西武ブランドで再出店することになった(後述)。
現存する西武ショップ、西武・そごうショップのWEB上の案内は池袋本店のサイト内にあり、「西武池袋本店の特長をギュッと凝縮した小型ショップ」と紹介されていることから、運営は池袋本店で行われていると考えられる[82]。
西武三島ショップ
イトーヨーカドー三島店2階、2015年9月4日開店。前述のとおり、旧西武沼津店の代替店の位置づけで、西武・そごう柏SHOP(旧そごう柏店の代替店)と共に2017年9月以降も存続する小型店。
西武武蔵小杉ショップ
グランツリー武蔵小杉1階。2021年4月28日開店[83]。セブン&アイ・クリエイトリンクが運営するグランツリー武蔵小杉には2014年から2017年まで「そごう・西武」連名の「西武・そごう武蔵小杉SHOP」として出店していたが、販売不振で撤退[84]している。このため、そごう・西武としては再出店となるが、今回は西武ブランドのみとなった。ファッション中心だった前回出店時とは違い、池袋本店で扱っている和洋菓子やギフト品を中心にした売場構成となっている[85]。
以下は、過去に存在した西武百貨店の店舗である(△は現在建物が解体された店舗)。
直轄店
関東
筑波店
- 茨城県つくば市吾妻1-7-1 つくばクレオスクエア つくば駅直結 売場面積25,258m2。
- 1985年3月8日開店。1968年着工した筑波研究学園都市では、センターゾーンに居住民の便益に資するようショッピングセンター(SC)の建設が予定された[86]。だが当時の開発地域圏の人口は3万人にも満たない程度であったため、国や地元自治体から出店を要請された百貨店各社は、採算ベースに乗らないとしていずれも要請を固辞していた[87]。そのような中、西武百貨店は当時の社長であった坂倉芳明が強硬に出店に反対するも、会長であった堤清二が押し切り出店を決定した[88]。
- 筑波店は、同月に開幕したつくば万博に照準を合わせて建設されたCREO(クレオ)と命名されたSC内に、堤からの「第二のパビリオンを作りましょう」との指示を具現化すべく、ストア・オートメーションなどの先端技術を一般消費者に理解させる店舗として[89]、「ロボット・インフォメーション係」「自動倉庫」などが設置されオープンした。見学に訪れる客は多かったものの、買い物をする客は僅少で集客の目玉として併設された映画館には客が1人も入らない日はザラで、マスコミには「閑古鳥が鳴いている」と報じられた[90]。
- 万博終了後はパビリオン的構成から、地元の顧客志向にあった商品を販売するマーチャンダイジング(MD)に変更したため、購入客も増え業績も上向きに転じた[91]。その後CREO、MOG(モグ)、Q't(キュート)の3部分からなる「つくばクレオスクエア」に発展した。2005年につくばエクスプレスが開通するまで、公共交通機関によるアクセスは路線バスのみであった。
- 以後、県内でも数少ない百貨店として、また、比較的可処分所得の高い層が多く住む筑波研究学園都市における高品質な商店として、これに筑波山帰りの観光客なども加わり飲食・食品フロアを中心に賑わいを見せていたが、2017年2月28日、「業績の低迷」などを理由に閉店した[92][93]。一部店舗はMOG・Q'tに移転した。一方で中心街のSC需要は引き続き高く、西武のあったフロアは後に一部オフィスとなったものの日本エスコンが手掛ける「トナリエ」のテナントとして他社スーパーマーケットや家電量販店、飲食店などが入居している。また、西武撤退によって生まれた百貨店空白地域を穴埋めするべく京成百貨店がQ'tに小規模店舗で進出している。
西武スポーツ吉祥寺
- 東京都武蔵野市吉祥寺本町1-10-1 いなりやビル
大宮店
- 埼玉県さいたま市大宮区宮町1-60 三栄ビル
- 1969年11月14日、「大宮西武」として開店[97]。1975年3月に「大宮西武」を吸収合併して直営店化。1998年4月閉店。
- 同年6月ロフトに転換。2013年4月24日閉店。
- 2013年4月、パチンコ店を営む浜友観光の系列会社へビルの営業権を譲渡。複合商業施設「大宮RAKUUN(ラクーン)」(パチンコ楽園他)として2014年6月27日開業[98]。
- そごうと経営統合後はそごう大宮店がそごう・西武の大宮地区での営業拠点となっている。
鎌倉店
- 神奈川県鎌倉市小町1-4-1
- 1959年9月に開店。1973年2月閉店。
- 食料品中心の小型店ではあるが、開業当時は唯一の東京資本の店として人気があった。しかし1970年代に入ると隣地に東光ストア、隣接する藤沢市に大型店の出店が相次いだため求心力を失い閉店するに至った。
- 跡地は第一勧業銀行ATMコーナーを経て、御代川に譲渡され「日本料理鯉之助」と「すし処きみ」となっている。
八王子店
- 東京都八王子市中町2-1[95]
- 1970年10月29日直営店として開店。1993年8月閉店。
- 八王子は古くから繊維産業と甲州街道の交通の要所として栄え、大手百貨店も多数進出した。1970年代には八王子西武と伊勢丹八王子店、八王子大丸、ダイエー八王子店、丸井八王子店がそろい踏みしたが、地元商店街の反対や自治体の意向から、いずれも1万m2程度の小規模であった。このため、1983年に八王子駅ビルに3万m2を超える規模で開業した八王子そごう(現在:セレオ八王子)の進出を期に淘汰されていくことになった。
- コスト削減を目指して1991年6月に西友百貨店事業部へ移管、組織上「株式会社錦糸町西武」八王子店となったが、業績は回復することは無かった[103]。
- 閉店後、建物は売却され、1998年より「グランド東京ビル」となり、日帰り入浴施設「ホテルグランスパ八王子 やすらぎの湯」となった。1階はパチンコ店「コスミック八王子店」。なお、錦糸町西武は西友と東京楽天地の合弁会社だったが、1997年3月に西友本体へ吸収合併されている。
春日部店
- 埼玉県春日部市粕壁東2-5-1 2-5-1、東武鉄道春日部駅東口徒歩7分。売場面積23,260m2。
- 1985年11月28日「ロビンソン百貨店春日部店」として開店。2013年3月1日に転換[104]。
- セゾングループ時代にも出店する予定だったものの、建設計画中に開店時期を巡って契約を解除したため、代わってイトーヨーカ堂が「ロビンソン百貨店」として出店[105][106]。
- 開店当初は売り上げが好調であったものの、その後ロードサイド店の進出や、2013年3月に開業したイオンモール春日部に顧客を取られ、売り上げ不振に陥ったため2016年2月29日をもって閉店[107][108]。
- 閉店後は、「匠大塚」が土地・建物を買い取り[109]、「匠大塚 春日部本店」として2016年6月29日開店[110]。
- 匠大塚開店後、そごう・西武は年末の歳暮やおせち料理の販売を本店内に特設会場を設けて行っていた[111]。なお、駅の反対側のイトーヨーカドー春日部店の旧店舗に大塚家具が存在していたが、現在は業績不振と建物老朽化と再開発の予定が重なっており、撤退している。
船橋店
- 千葉県船橋市本町1-2-1[95] 船橋駅南口 売場面積34,649m2。
- 1967年9月22日開店[112]。本格的な多店舗展開のスタートになった店舗。1977年増築。
- 本館とロフト館からなり、本館と京成船橋駅直結の船橋フェイスビルは地下道で繋がっており、同系列のイトーヨーカドーも隣接していた(ヨーカドーは駅北口側)。
- 1991(平成3)年度の売上高551億円をピークに業績が低下、駅と直結する東武百貨店船橋店や、ららぽーとTOKYO-BAY、さらに2012年4月に隣の東武野田線新船橋駅前に開業したイオンモール船橋などとの競争に晒され、2016(平成28)年度の売上高は169億円とピーク時の3割まで低迷していたことなどを理由に、2018年2月28日を以て、西武、ロフトともに営業終了[113]、跡地については複合施設化を検討中。[114]。
- ロフトのみ2018年11月2日にイトーヨーカドー船橋店西館2階で再開業した[115]。
小田原店
- 神奈川県小田原市中里208。鴨宮駅より箱根登山バス利用10分。店舗面積31,200m2。
- 2000年9月28日にイトーヨーカドーとTOHOシネマズ 小田原からなるダイナシティウエストモール内に「ロビンソン百貨店小田原店」として開店したものを、2013年3月1日に転換。
- イーストモールのイトーヨーカドーとともに「2核1モール」を構成していた。
- 2016年には売場面積を縮小するなど梃入れを行ったが、業績が低迷していることなどを理由に、2018年2月28日を以て閉鎖。これに伴いダイナシティの商業施設には系列のイトーヨーカドーを残すのみとなった。
- ちなみに、かつて小田原市中心部に存在した「志澤西武」とは全く無関係。
西武百貨店関西
1971年に「株式会社西武百貨店関西」(本社:大阪市南区)が日本生命保険など地元企業と合弁で設立され、同社が関西地区初出店となる高槻店を開店した。
高槻店
- 大阪府高槻市白梅町4-1 オーロラモール JR高槻駅前 売場面積38,964m2。
- 1974年11月15日開店。「西武タカツキショッピングセンター」として開店。
- 高槻市の「国鉄高槻駅前再開発事業」に対応して、1971年「株式会社西武百貨店関西」を設立しての1号店。
- 1973年に大規模小売店舗立地法が施行されたのを受け直営売場を削って各フロアに専門店を入居させる試みを行った、モール併設型店舗の先駆けであった。
- 2017年(平成29年)10月1日付でエイチ・ツー・オー リテイリンググループのエイチ・ツー・オー アセットマネジメントに事業が譲渡されている。
- 2019年10月1日付で「高槻阪急」に改称[132]。
八尾店
- 大阪府八尾市光町2-60 オーロラシティ八尾(現在:八尾光町駅前ビル) 売場面積38,169m2。
- 1981年5月27日開店。2017年2月28日閉店。
- 「西武八尾ショッピングセンター」として開店。開店時のイメージキャラクターはB&Bなどが務めた。
- 2005年3月4日、「オーロラシティ八尾」としてリニューアルオープン。船橋店(2004年8月27日)、高槻店(2004年9月10日、オーロラモールへ改装)、筑波店(2005年2月)に続く全館リニューアルとなった[133][134]。
- 2006年12月4日、隣接地にアリオ八尾が開店して接続することになり、セブン&アイ・ホールディングス2店でシナジー効果を狙った「2核1モール」関西1号店となった。アリオ八尾の開業時に開通したアリオ・西武・近鉄八尾駅を結ぶペデストリアンデッキ新設を皮切りに、店舗を増築するなどして店内外の大規模な改修工事が継続的に実施され、2010年代に入ってからは八尾西武の名物であった「水時計」が撤去されるなど、大がかりなリニューアルが行われた。
- しかし、グループの思惑とは裏腹にアリオにのみ顧客が集中し、相乗効果を得るどころか業績悪化の歯止めがかからず、2017年2月末に閉店した[92][135]。
- 閉店後は八尾市が株式会社ザイマックスに運営を委託し、約半年をかけて改修を行った上で新たな商業施設として営業を続けることが発表された[136][137]。
- 2017年3月1日、西武時代から引き続き営業するテナント店舗で「八尾光町駅前ビル」として営業を継続しつつ改装工事を行い、2017年9月15日に「LINOAS」としてリニューアルオープンした[138]。
塚新店
- 兵庫県尼崎市塚口本町4-8-1 つかしん 売場面積29,000m2(開業時)→8,260m2(縮小後)。
- 1985年9月開店。2004年5月9日閉店[139]。
- 1972年、この地に婦人用靴下を生産する塚口工場を有していたグンゼは、業績不振のため同工場を閉鎖した。それと同時に約2万坪に及ぶ工場跡地の再開発プロジェクトを立ち上げた[86]。時を同じくして、関西地区への本格的な進出を計画していた西武百貨店がグンゼの再開発計画を察知。1974年、西武百貨店とグンゼは跡地の再開発利用計画に関して合意し、塚口開発プロジェクトは始動した[140]。しかし、西武百貨店と地元商店街との交渉は難航を極め、百貨店、スーパー部門、専門店部門は当初計画から大幅に営業面積を削減され合意に達した[141]。
- 塚新店は街づくりをコンセプトに百貨店内部で検討が重ねられた「つかしん」の中核施設として出店。堤清二は施設一帯を生活遊園地と名付けた[142]。斜行式エレベーター「つかしんケーブル」等が話題になった。開業当初は物珍しさで集客し、同時期に開業して規模も大差ない京阪百貨店守口店や近鉄百貨店橿原店と共に郊外型百貨店のプロトタイプとして注目されていた[143]。しかし、当店はレジャー要素が優先したため、地域密着型の両百貨店に比べてすぐに飽きられてしまい、売上高もピーク時の1987年の280億円から80億円まで落ち込んだ。これは「直下型立地理論」(中心市街地、つかしんの場合は梅田から10㎞圏には大型百貨店が成立しない)及び庶民的な地域特性を無視したショッピングセンター作りを目指した失敗例とされている[144]。
さらにイトマン事件において運営会社の西武百貨店関西が「闇の紳士」許永中との不正な絵画取引を問題視される中で、同店の店外商課長が偽造の鑑定評価書を「西武百貨店塚新店美術部」[145]名義で乱発していたことが報じられ闇の事件の舞台となったことも、店のイメージを大きく傷付けることとなった。
- ミレニアムリテイリングでは対策として同店を2002年9月にネイバーフッド型ショッピングセンター「リボン館」に転換。直営売り場を大幅に縮小し、無印良品、ユニクロ、ミドリ電化(現在のエディオン)、ダイソー、コープこうべ等の新規テナントを導入した。しかし、それも郊外型ショッピングセンターとして中途半端なものとなり、その1ヵ月後に2kmほど北側のJR伊丹駅前にジャスコを核とする大型ショッピングセンター「ダイヤモンドシティ・テラス」(現在のイオンモール伊丹)が開業すると、完全にとどめを刺され、撤退に至った。
- つかしんはグンゼ開発の子会社であるつかしんタウンクリエイトが引き継いで運営することになり、大規模なリニューアルを経て2006年4月に「グンゼタウンセンター つかしん」と改称された[146]。
- 一時、尼崎市からは百貨店がなくなったが、JR尼崎駅前の麒麟麦酒工場の跡地に建設された「あまがさきキューズモール」[147]の核テナントとして、阪急阪神百貨店が運営する「あまがさき阪神」が、当店の閉店から5年後の2009年(平成21年)10月20日に開業した[148]。
神戸店
- 兵庫県神戸市中央区東川崎町1-3-3 神戸ハーバーランドセンタービル
- 別会社「株式会社神戸西武百貨店」を設立し1992年9月1日開店[149]。1994年12月25日閉店[150]。
- 国鉄湊川貨物駅跡地の再開発地域に阪急百貨店子会社が開設した神戸阪急と2核で開業。神戸ハーバーランドの街開きと同時に開業し、港を一望できる観光スポットとして注目された。
- JR神戸駅前に立地し、地下街のデュオこうべを通じて直結する好立地ながら、阪神高速3号神戸線や国道2号に地上の動線を遮られており、旧来からの繁華街である新開地地区や三宮・元町地区から離れていることもあり客足は伸び悩んだ。そして業績も振るわず、結局僅か2年で撤退した。
- 入居していた神戸ハーバーランドセンタービルの商業棟は、運営会社や核施設の変更と共に「神戸ハーバーサーカス」→「ビーズキス」→「ファミリオ」と変遷を繰り返し、2014年7月以降は「ハーバーセンター」として営業している。
豊橋店△
- 愛知県豊橋市駅前大通1-55
- 1932年「丸物豊橋支店」として開業後、豊橋駅前に移転と共に分社化して「豊橋丸物」。1971年、資本提携により「豊橋西武」に改称[151](豊橋丸栄、長崎屋の進出に対抗のため)。「西武百貨店関西」を経て、直営店化された。店内には映画館『豊橋西武東宝』(旧称丸物会館、270席)があった[152]。
- 経営破たん後の「私的整理に関するガイドラインに基づく再建計画成立の再建計画」で函館店、ams西武仙台店、川崎店とともに不採算店リストに載り、2003年8月10日閉店。4店合計250人の正社員が全員解雇された(希望退職募集等の実施は無かった)[153]。
- 跡地は、2004年7月に地元のガステックサービス(サーラグループ)が土地を取得し再開発事業に着手。2008年8月11日、複合ビル「ココラフロント」が開業。
- 心斎橋店△
- 1975年5月開店[154] - 1991年閉店。跡地は心斎橋パルコ(初代)を経て、現在は心斎橋ゼロゲート。前述の通り、当初は西武百貨店関西による出店だった。
西武北陸
1988年、セゾングループの再編にともない、「だるまや西武」、富山西武、小松西武の3店により「株式会社西武北陸」を設立。1993年、西武百貨店に吸収合併。
富山店△
富山県富山市総曲輪3-4-15、地下1階-地上8階 売場面積12,470m2。
1972年2月17日、総曲輪商店街で大火が発生。それを契機に市街地再開発事業が進展し、整備された総曲輪再開発ビルに、1976年7月2日、西友ストアー北陸が富山店を出店する。開店初日には10万人が訪れ、売り上げは1億円を記録した[170]。
西友ストアー北陸は1973年に設立され、1975年に小松店、翌年に富山店を開設する。両店の運営は西友の百貨店事業部が管掌していた。1981年に富山店の運営は西武百貨店に移管され、だるまや西武と一体的に運営する方針が執られた[171]。
1980年に社名を西友ストアー北陸から富山西武に変更し、小松店を西友の直営店舗として分離した。1986年11月に富山西武は、西友ストアー北陸時代からの開店経費等による累積債務を一掃するため西武百貨店富山を設立。営業権を新会社に移管した。また累積債務は西武流通グループによって処理された[172]。1988年3月1日に、だるまや西武と富山西武は対等合併し西武北陸として新発足した[173]。また西友が運営していた小松西武の運営も西武北陸に移管された。
1993年10月1日、西武百貨店に復帰した和田繁明の進める店舗の標準化などによる経営改革に沿って、西武北陸は西武百貨店に吸収合併された[174]。その後、市郊外に建設されたショッピングセンターの攻勢などから富山店の売上は最盛期の4割弱に落ち込み、採算が悪化。これによって2006年3月31日に閉店した[123][175][176]。
閉店後、跡地は永らく放置されていたが、2013年2月「総曲輪3丁目地区市街地再開発準備組合」が発足[177]。大和ハウスにより23階建てのプレミストタワー総曲輪の建設が進められ、2019年5月に竣工した。1階から4階までを商業施設、5階が業務施設、6階から23階を分譲マンションとし、総事業費は約156億円。このうち約60億円は国、県、市からの補助金があてられた[178]。
小松店△
石川県小松市土居原町10-10尚成ビル 西友小松店(GMS)として1975年に開店。1983年、西友「小松西武」店に転換[180]。グループ再編により「西武北陸」を経て吸収合併された。1996年12月25日閉店[181]。1998年に小松大和が開業したが、2010年6月に閉店。ビルは大和が解体、土地を4億2000万円で小松市に売却[182]、2017年12月に複合施設「こまつアズスクエア」が開業[183]。
その他
高知店△
- 高知県高知市南はりまや町1-8-1
- 1958年3月「土電会館」として開業。1971年10月20日 業務提携[184]。資本提携により1973年11月30日「とでん西武」、1992年からは「高知西武」に改称。2002年12月25日 閉店[185]。
- 運営会社については1986年までは「株式会社とでん西武百貨店」、1989年6月12日までは「株式会社西武百貨店関西」、以降は直営。
- 建物はバスターミナルとして2005年11月10日まで使用されたが2006年6月に解体。跡地は永らく放置されてきたが、2011年4月28日延田エンタープライズ「パチンコ123はりまや橋店」を核とする複合ビルが開業。
有楽町西武
- 東京都千代田区有楽町2-5-1 有楽町マリオン
- 1984年10月6日開店[186]。2010年12月25日閉店[187]。売場面積は14,931m2。
- 朝日新聞東京本社、東宝日本劇場・松竹・丸の内ピカデリーの跡地再開発に対応しての出店。当初は西武単独出店を予定していたが、東宝がグループ会社である阪急百貨店の数寄屋橋からの移転を主張したため、2社で分け合い、同店は松竹サイドへ入居する形となった。
- 当初は「株式会社有楽町西武」という別会社を設立。「感性劇場(マインド・シアター)の有楽町」「メカトロ店の筑波」「街づくりのつかしん」と称された堤清二・三部作のひ一つ。同店の開店に際し、堤は新聞インタビューで「銀座の西武百貨店で買い物をして、西武特急で軽井沢へ向かうことが夢だった」と語っていた。このため呼称も「銀座西武」を予定していたが、銀座地域の商店街からの猛反対[注 4]で「有楽町西武」になったという経緯がある。
- 堤の「大きいことはいいことではない」「モノからコトへ」「百貨店でもなく、量販店でもない情報発信基地」「生活全領域に対応する小売業の新しい形態」というコンセプトから、クレディセゾン、西武オールステート生命のファイナンシャルサービス、西武都市開発の国内外の別荘・住宅販売、映画・演劇のチケット販売(プレイガイド事業)のチケットセゾン(→SSコミュニケーションズ→現在:イープラス)など、非物販に注力するセゾングループのショーケース(情報発信基地)と位置づけられていた[188][189]。
- 開業当初は28万人が来店したものの、堤の高級志向な「感性商法」は必ずしも実売には結びつかなかったため、初期投資を回収できないままの累積赤字が膨らむ状態に陥っていた。その結果、バブル崩壊後はミレニアムリテイリング傘下で直営化された。利益率追求のあまりレディース専門館へと大規模なリニューアルを実施。地下食料品売場も廃止したが、それも起死回生とはならずかえって逆効果となり、結局、2010年のクリスマスいっぱいで閉店するに至った[190][191]。後継テナントとしてはルミネが2011年10月28日に入居[192][193]。
川崎西武
- 神奈川県川崎市川崎区日進町1-11川崎ルフロン
- 1988年3月11日開店。2003年8月10日閉店[194]。
- 有楽町西武と同様、別会社「株式会社川崎西武百貨店」を設立して開業したが、後に直営化。業績不振により撤退した。
- 後継として、2004年3月にヨドバシカメラマルチメディア川崎ルフロンなど、ルフロン専門店が入居している。また西武の名残として数年間紀伊國屋書店が入居していた。
小型店
- アリオ橋本1階、2012年3月2日開店。2016年8月28日閉店。
- 2013年4月27日開店。
- アリオ仙台泉2階、宮城県仙台市泉区泉中央1-5-1
- 小型店形態だが、西武百貨店としては、2003年のams西武仙台店の閉店以来、約10年ぶりの出店[195]。2016年9月19日閉店。
- アリオ上尾1階、2013年6月29日開店。2017年1月29日閉店。
- アリオ松本、2011年12月16日開店。売場面積420m2[196]。2017年1月29日閉店。
- アリオ鷲宮1階。2012年11月22日開店[197]。2017年2月26日閉店。
- イトーヨーカドー葛西店2階(東京都江戸川区東葛西9-3-3)。2012年10月5日開店[198]。
- イトーヨーカドー立場店(神奈川県横浜市泉区中田西1-1-15)。2012年4月27日開店。売場面積310m2[199]。
- イトーヨーカドー大和鶴間店2階(神奈川県大和市下鶴間1-3-1大和オークシティ)。2012年10月25日開店。
- アリオ上田、2011年4月21日開店。
- イトーヨーカドー拝島店2階(東京都昭島市松原町3-2-12)。2012年3月2日開店。2017年8月27日閉店。
西武百貨店以外が運営していた店舗
西友(百貨店事業部→SEIBU事業部→大型店事業部運営)
西武百貨店と同じ意匠や包装紙などを使用していたものの、店舗営業や商品の仕入れ自体は「西友」の管轄店舗であった。厳密には百貨店ではないため、百貨店を抜いた「西武」の名称のみを使用。「西武」を名乗っていた店舗では、ローマ字タイプの「SEIBU」の「I」部分のロゴの配色も異なり、緑色を使用(西武百貨店は赤・青)。
西武百貨店と資本参加した地方百貨店
上記店舗は各店の項目を参照
2023年12月時点、「SEIBU」ブランドの海外店舗はインドネシアとマレーシアに合計3店ある[200][201]。そごう・西武による自社直営や資本参加はせず、現地企業に商標を貸してテナント誘致や店舗運営ノウハウ提供で協力し、売上高に合わせてライセンス収入を得る契約で、リスクを抑えながら収益を確保する戦略をとっている[200]。「SOGO」(そごう)もある国では、より高級な店舗とすることで棲み分けを図っている[200]。
現存する店舗
インドネシア
- インドネシア西武:Seibu Department store, Indones
- 初代:1996年、西友とインドネシアのA.ラティーフ(ALatief Corporation)が合弁会社を設立、ショッピング・センター「パサラヤ・ブロックM」(Pasaraya Blok M.)に出店したが、撤退。
- Jl. Iskandarsyah II No. 2, Melawai, Kebayoran Baru, Jakarta
- 跡地はA.ラティーフが「パサラヤ・グランデ」(Pasaraya Grande)として営業している。
- 2代目:2007年5月 香港西武(迪生グループ)の現地法人で、そごう・西武の資本は入っていない。
- ショッピングモール「グランド・インドネシア(英語版)」(Grand Indonesia Mall)に出店[注 5]。
- Grand Indonesia Mall, Jalan M.H. Thamrin No.1, Jakarta, Indonesia
- 地下1階 - 地上4階。売り場面積27,000m2。
- ポンドック・インダー・モール3(PIM3)店[201]
- 2022年開業[200]。
過去存在した店舗
- 香港西武百貨
- 1990年、香港現地法人を設立。1号店として、アドミラリティのパシフィック・プレイスに出店したが、1996年に「迪生創建」(ディクソン・コンセプツ・インターナショナル)[注 6]へ売却。商標のライセンス契約で営業。漢字ロゴは日本の西武と同様のものを使用しているが、ローマ字はシンプルフォントタイプ(かつての五番館西武、有楽町西武、高知西武で使用していたもの)。シンボルマークは、ディクソン独自のものとなっている。
- その後、中華人民共和国本土4都市でも「西武百貨」の名前で展開を図ったが、香港市場と同様に富裕層をターゲットにした高級な内容だったため、一般庶民の手の届かないものとして支持は得られなかった。100%香港資本でありながら反日デモのターゲットとなり、襲撃された例もあった。その結果、各店で赤字を出し悉く失敗・撤退している。
- 旺角(モンコック)店
- 香港九龍 旺角亜皆老街8号 朗豪坊(Langham Place ランガムプレイス) 2004年11月開店。2013年閉店。
- 金鐘道(アドミラリティ)店
- 香港中西区 中環金鐘道88號 太古廣場(Pacific Place パシフィック・プレイス)
- 1990年開店。2011年6月閉店。90,000m2。跡地は、イギリスの ハーヴェイ・ニコルズが進出。
- 銅鑼湾(コーズウェイベイ)店
- 香港島 銅鑼湾告士打道311號 皇室大廈(ウィンザーハウス)1997年開店。2006年5月閉店。30,000m2。
- 尖沙嘴(チムサーチョイ)店
- 香港九龍 尖沙嘴彌敦道19-21號 九龍酒店(カオルーン ホテル)2006年開店。2011年9月閉店。
- 深圳西武百貨
- 羅湖東門店 広東省深圳市羅湖区東門南路38号 土畜産大廈 1993年開店。
- 中信城広場店 広東省深圳市福田区深南中路1095号 中信城広場店 2012年9月30日閉店[202]。
- 成都西武百貨:四川省成都市錦江区華興上街9号 地上5階 売り場面積1万3000m2。
- 2006年4月7日開店。2009年12月31日閉店[203]。
- 瀋陽西武百貨:2010年9月開店。閉店済。
- 長春西武百貨:新世紀鴻源廣場 2008年10月開店。2009年7月閉店。
- ロサンゼルス西武:アメリカ合衆国
- 1962年堤康次郎の直接の指示で出店(ロサンゼルスのウィルシャイヤー(Wilshire)ハリファックス(Fairfax)交差点)。わずか2年で撤退した。その後Ohrbach's百貨店を経て、現在はPetersen Automotive Museumとなっている。
- 1960年代前半、旧釧路スガイビル立地区画と栄町公園に挟まれている中間区画を整理・再開発して西武百貨店釧路店を建設・出店する計画が持ち上がった。栄町公園地下にも駐車場を造り、地上部分(公園周辺のみ)にもペデストリアンデッキを建設、公園周縁空中通路・西武百貨店 同店だけでなく市内老舗百貨店であった丸三鶴屋本館・丸ト北村とも繋げ(各店ともに、2階部分にも入口玄関を増築)、地上2階の歩行者専用通路を設ける事で市内主要商業施設間を車両の往来を気にせず行き来できるだけではなく、同デッキ床が屋根の役目も果たす事で下の歩道部分もアーケード街内の様に雨天時での傘が不要になる(ただし、こちらは車道・横断歩道で分断されているので、信号で通行が止まる事もある)。全国大手百貨店の進出を恐れた丸三鶴屋・丸ト北村から賛同を得られず、釧路市内への大企業進出を拒んでいた(商業施設も例外では無かった)当時の山口市長まで反対を表明した事で、この構想はそのまま潰えてしまう。丸三鶴屋の新館店舗はまだ地上2階・地下1階のみ、くしろデパート、オリエンタルデパートも開業されていなかった(のちにオリエンタルデパートが建設される場所には、市内老舗レストラン・トキワグリル初代店舗と映画館オペラ座がまだ立地していた)。もしも実現していたとしても、競合百貨店の凋落が前倒しされていたり、或いは他競合百貨店の新規起業が鈍っていた可能性もある。
- 30年後に栄町公園地下駐車場構想のみ再び浮上するが、「1990年代当時の釧路市の財政ではもはや困難」と判断され、結局実現せず。
- 1977年、青森駅前の賑わい創出のため駅前第一地区と第二地区にそれぞれ再開発ビルを建設する計画が提出され、都市計画が1987年に決定された。しかし、1993年11月に入りバブル崩壊による長期不況によって、第一地区ビルのキーテナントとして進出を予定していたビジネスホテルが進出撤回を表明。さらに、1994年5月にはセゾングループ入りしていた松木屋と共に第二地区への出店を予定していた西武百貨店も業績悪化から出店辞退を申し入れた。その後、第二地区には2001年1月に、青森市民図書館などが入る再開発ビルアウガがオープンした[204][205][206]。
- 1957年(昭和32年)に開店した西武ストアー(後の西友)平店の後継として、平駅前(現在のいわき駅前)に売場面積5,600m2、地上5階地下1階の店舗を出店する計画であった[207]。
- 平店の隣接地を物色していたが、妨害工作があり、難航。最終的に、1959年(昭和34年)11月20日での部長会議での席上、堤康次郎会長が「地元に迷惑をかけてまで無理に進出する必要がない」と判断したことや、ロサンゼルス店開店に伴う合理化も重なり、西武百貨店開店計画の中止と西武ストアー平店の閉鎖を発表した[207]。
- 1973年に西武百貨店が出店予定地の一部を取得。1977年には出店を表明するも、大規模小売店舗法の規制や1982年4月のams西武仙台店出店などで中断。1990年代には構想の具体化が進展するも、2001年西武百貨店の経営悪化で出店を断念した。2003年には大丸が西武百貨店出店予定地に進出を表明[注 7]。続く2004年にはそごうの出店表明と紆余曲折を遂げてきた[209][210]。その後、JR仙台駅西口で商業ビルなどを建設する「駅前中央南地区再開発構想」に西武百貨店が参画を表明し、2006年には本社内に「仙台店開設準備室」を設置したが[211]、2008年12月に西武百貨店が地権者6法人でつくる「中央南地区まちづくり協議会」から脱退し、計画していた商業ビルへの百貨店の出店を見送った。再開発計画は2009年1月にも準備組合を発足させ、2015年12月の仙台市地下鉄東西線の開通に合わせ事業完了を予定していた[209]。再開発予定地の面積は約1万5600m2。協議会は、西武百貨店の出店を前提として12階建ての商業ビルと、35階建てのオフィスビル建設を計画。西武百貨店も地権者の一者で、所有面積は約1800m2であった。
- 三井不動産の開発・運営による「春日部三井ショッピングセンター」の核店舗として出店する予定で、西武百貨店・西友ストアー(現在:西友)・西武都市開発の3社によって設立された現地法人「春日部西武」も1982年9月設立されていた[105]。しかし、西武側が開店時期の延期要請を三度した事を巡り、三井不動産側等と対立した末、西武側が出店契約解除を申し入れて出店中止となった[106]。出店中止を受け、イトーヨーカ堂が「ヨークマツザカヤ」として出店を表明し、それがロビンソン百貨店春日部店となった[106]。2013年3月1日に、西武春日部店として約27年余り経過して直営店で出店する形となったが、2016年2月29日をもって閉店した。
- 1991年、新宿貨物駅跡地を所有する国鉄清算事業団は百貨店17社に対し、出店の意向があるか否かを探るため聴聞を実施。西武百貨店、髙島屋、伊勢丹、そごう、丸井が出店の意思を表明し事業団に事業計画を提出した[注 8]。この際、西武百貨店は財務状態が良好でないことに加え、そこに新規に1000億円超の資金負担を抱えるのは無理と事業団から判断され、早々に脱落した[212]。入札担当者は、「都内の出店状況のバランスを考慮して高島屋に決めた」と話している。[要出典]
- 1983年、新百合ヶ丘駅南口に店舗面積約38,000m2(専門店を含む)の規模で出店する計画であった[213]。新都心再開発(業務核都市)を進める川崎市にあって同地における最大の商業施設として建設が進められる予定であった「新百合丘西武ショッピングセンター」のテナントとして出店を表明。地権者による管理会社と西洋環境開発が出店を調整してきた。計画によれば、西武百貨店と専門店が入る地下3階地上8階からなるパート1ビルと飲食・サービス店が入る地上4階からなるパート2ビルを建設[注 9]。それぞれ1996年春のオープンを予定していた。しかし、1994年11月に西武百貨店は業績不振から出店を撤回した[213][214][215]。その後、再開発はマイカルが進展させ、現在は「イオン新百合ヶ丘店(旧サティ)」「コナミスポーツクラブ新百合ヶ丘(旧「フライツァイト新百合ヶ丘」)」として営業中。[要出典]
- 平塚駅に近い約33,000m2の工場跡地に、娯楽施設を含む複合型商業施設を開設する計画だったが、1993年に出店を撤回した[213]。
- イオン浜北ショッピングセンター(静岡県浜松市(現在の静岡県浜松市浜名区))
- イオンとの連携で郊外型ショッピングセンター店舗の連続出店を行うため設立したミレニアム企画の第2弾として、イオン浜北ショッピングセンターの核テナントとして内定していた。しかし、西武百貨店の経営が悪化と岡崎西武の当初の業績不振や地元におけるイオン出店に絡む当時の浜北市長汚職事件などで立ち消えとなった。[要出典]
- 西武百貨店梅田店として計画されたものの、立地、出店規模を考慮すると百貨店業態よりも適切との判断により、梅田ロフトとして開店。これとは別に、当時同じセゾングループだったパルコと組んで旧大阪鉄道管理局跡地(現在のヨドバシ梅田の場所)の入札に参加していた。[要出典]
- 南海本線の堺駅の高架化に伴う駅周辺再開発計画で南海電気鉄道を事業主体とする南海堺コミュニティーセンターのテナントになる予定であった[217]。しかし、入居条件が厳しいために採算が取れないという理由で断念[218]。その後、ダイエーがテナントになったが、ダイエーも断念[219]。
- 予定地には、2000年(平成12年)7月1日にショッピングセンター「プラットプラット」が開業した[220]。
- 中百舌鳥駅前再開発事業の商業施設として落札したが、そごうとのトラブルや、バブル崩壊などが原因だとして1993年に出店計画を中止。[要出典]
- 1987年12月、広島駅南口再開発事業Bブロック(エールエールB館。A館には現在そごう広島店に次ぐ売上高を誇る地元百貨店の福屋が核テナントとして入居した)の核テナントとして決定。翌1988年出店に関する覚書を締結。1996年のオープンを予定していた。その後西武百の経営悪化でテナント料の引き下げなど出店条件の変更を再開発組合・再開発ビル運営会社に求めていたが変更交渉が難航し、1993年9月に出店断念を表明[221][222][注 10]。当地には事業開始から20年以上経過した2016年にビックカメラ等が入居するシティタワー広島が完成。[要出典]
- 1970年代の市街地再開発による再開発ビル「天神第1名店ビル」のキーテナントに内定していた[注 11] がオイルショックによる建築コスト上昇・それに伴う負担増もあり出店を断念した[注 12]。なお出店予定地にはニチイが出店しており、その後の業態転換によって現在は天神ビブレが営業している[223]。
注
一例として、副都心線開業を記念した「LOVE IKEBUKURO」キャンペーンが両社合同で行われたり、西武百貨店で東武百貨店のマップが配布されたり、東武東上線の電車内に西武百貨店の広告が掲出されるようになった。
日本勧業銀行池袋支店時代から入居。2002年にみずほ銀行池袋東口支店となった後も同地で営業していたが、2003年に池袋支店(旧富士銀行池袋支店)内にブランチインブランチとなる形で移転した(その後、2006年1月16日に池袋支店に統合され廃店)。ATMコーナーは無人店舗「池袋東口支店池袋駅東口出張所」になる形で同地に残ったが、こちらも2004年に地下1階の中央通路沿いに移転した。
マリオンの所在地は「千代田区有楽町」であり、「中央区銀座」ではないにもかかわらず「銀座」の名称を使用しようとしたため。また、同ビルに出店する阪急百貨店のほうは、中央区銀座にある数寄屋橋阪急と区別するために、マリオン出店にあたっては「銀座」ではなく「有楽町阪急」の店名を予定していた。
西武百貨店は西武新宿駅から鉄道を地下化して新南口まで延伸させる計画を提出したとされる。
代替として西友の出店も検討されていたがそれも断念している。[要出典]
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