株式会社福島放送(ふくしまほうそう、英: Fukushima Broadcasting Co., Ltd.)は、福島県を放送対象地域とし、テレビジョン放送事業を行っている特定地上基幹放送事業者である。
略称はKFB(K.K. Fukushima Broadcasting)。コールサインはJOJI-DTV。ANN系列。
福島県におけるテレビ朝日(ANN)系列局。福島中央テレビ(FCT)開局前後に起こった郡山を中心とした「県民テレビ運動」(新免テレビ運動)に、朝日新聞社は一貫して深く関わっていたため、その流れで福島放送の本社・演奏所は郡山市に設置されている。
イメージキャラクターは、『ときまる』。
社名の由来
福島県第3局の申請の際は多くの申請があった中[注釈 1]で、実質テレビ朝日系列の「株式会社福島放送」とTBS系列の「福島放送株式会社」の2社に集約された。その際は、4局目のTBS系列の局名を「福島放送」にするという条件で、テレビ朝日系列が3局目ということになった。テレビ朝日系列の3局目には、「福島朝日放送」「福島テレビ朝日」「福島朝日テレビ」といった社名が候補に挙がったが、郵政省(当時)から局名に「朝日」と入れるのは好ましくない[注釈 2]と指摘されたため、テレビ朝日とTBSの話し合いの結果、結局3局目を「福島放送」で、4局目をTBS系列の新局(後の「テレビユー福島」)で開局した[3]。
また、福島県内では唯一、社名に「放送」が入っている放送局でもある。都道府県名に「放送」を加えて放送局名としているのはラテ兼営局(例:北海道放送、青森放送[注釈 3]など)が多く、テレビ単営局(例:長野放送、福岡放送など[注釈 4])やラジオ単営局(例:栃木放送、和歌山放送など)は少数である。なお、ANN系列局で社名に「○○(都道府県名)放送」と名乗る放送局には、この福島放送と鹿児島放送(フルネット局に限る)の2局が該当しなおかつ(双方とも)テレビ単営局という共通点もある。
ANN系列の変遷
従来、福島県のANN・テレビ朝日系列は、1970年(昭和45年)開局の福島中央テレビ(FCT)だった。当時、朝日新聞社が全国朝日系テレビネットワークを構築するため全国各地にUHF新局の開局申請を行い、その結果他系列と相乗りになる形で朝日系のテレビ局が開局した。福島中央テレビも読売新聞などの相乗りながら、朝日系のテレビ局としてANNにも加盟していた。
しかし1971年(昭和46年)に、福島中央テレビと地元の二大新聞の一つである福島民友新聞との関係が強化されることになり、テレビネットも従来のフジテレビとのクロスネットから、日本テレビとのクロスネットに変更された。福島民友の親会社・読売新聞と日本テレビとの関係が強化されたことによるものだった。相対的に福島中央テレビに対する朝日新聞・テレビ朝日の発言力は弱まり、朝日新聞・テレビ朝日は新局開設申請に動くことになった。
このような経緯で福島放送は、1981年(昭和56年)10月1日、福島県では3番目でUHF局では2番目の テレビ朝日系列局として開局。福島県では開局当初からの、10番目のテレビ朝日系フルネットとなった。移行された番組の割合はテレビ朝日制作分では福島中央テレビ:10、朝日放送(現在の朝日放送テレビ)(ABC)制作テレビ朝日全国ネット分では福島中央テレビ:2、福島テレビ:8。これは1975年(昭和50年)3月31日、腸捻転(ネットワークのねじれ現象)解消以降も福島テレビが番組販売という形で、朝日放送制作分のネットを継続していたためである。なお福島テレビでは、テレビ朝日制作分も番組販売扱いで一部放送していた時期があったが、移行直前は編成から外れていた。民間放送教育協会制作分は、福島テレビが同協会から脱退していないため移行されなかった。
ロゴマーク
開局前の1981年(昭和56年)3月19日に制定されたもので、「福島の青い空」から「空」を多用し、ロゴマークは青の配色となっている[4]。
翼や福島県の「F」をモチーフにした大きなFマークが存在する。開局からしばらくは、局名告知(初代オープニング・クロージング「BIG SKY」が使用されていた時期のみ)、試験電波時のテストパターン(マスターを改修する2006年(平成18年)3月31日まで)、そして新聞広告などに多用されたが、1990年代後半からは使用する機会が減っていったが、現在でも正式な社旗や一部地域の送信所などで現在も使用している。
開局から使われている社名ロゴマークは、既存書体(写研「ゴナE」[5])を使用している。英字ロゴとともに引き延ばしたデザインになっているが、これは社章である前述のFマークがその上に大きく使われたためである。
また昭和時代に開局したテレビ朝日系で唯一、開局以来ロゴを変更していない。
企業・団体は当時の名称。出典:[6][7][8]
2021年3月31日
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自社制作番組
- 県域放送
- シェア!(月曜 - 金曜 15時48分 - 19時00分)
ミニ番組
- KFB・ANNニュース(月曜 - 金曜 11時42分 - 12時00分[注釈 14])
- キラリ★情報パック(火曜 - 木曜 10時25分 - 10時30分)
- ウィークエンドケア(金曜 14時58分 - 15時01分[注釈 15])
- ウィークリー県政トピックス(土曜 17時55分 - 18時00分)
- 福島美少女図鑑のイマコレ(日曜 0時00分 - 0時05分(土曜深夜))
- いわき市からのお知らせ(毎月第2土曜 11時40分 - 11時45分)
- こおりやま市政なう!(隔月第4土曜 14時00分 - 14時15分) - 福島中央テレビと輪番制で制作。
- 郡山市週間トピックス(日曜 17時55分 - 18時00分)
- GO!GO!5チャンネル(番組宣伝番組)
テレビ朝日系列(遅れネット)
制作局の表記のない番組はテレビ朝日制作。
過去の番組
自社制作番組
番組広報番組枠
- こちらKFB
- クイズKFB
- てれびジョン
- ちゃんねるステーション
- えふ☆ビィちゃん
ミニ番組
- 女子アナおしゃべり小部屋 べしゃるーむ
- 暮らしのカタログ[注釈 16]
- 食メキふくしま
タイアップ番組
- ずっとマリパラ
- だいすきサンシティ → Let's GO!エスパルこおりやま+エキナカ
- ワーナーマイカルシネマステーション
- 素敵にティーブレイク - インフォマーシャル番組
- オカンのあらいやだ、いい家じゃな〜い♪ → 母心のいい家み〜つけた♪ → 母心のこの家どうですか?
- くちコミ情報局 ふくラボ!TV
行政広報番組
- 福島県警トピックス
- トピックスうつくしま
- 会津若松情報チャンネル
復興番組
- 再生への一歩
- 未来へつなぐ 福島の希望
- 子どもたちの未来のために
- 未来を見つめて 福島の希望
その他
- ふくしまの空の下
- 福島ずばり放談
- ふくしま自然百景
- Life+
- ちょっと奥さま
- ふたば彩遊記
- なに食べる?
- 東日本大震災の影響により打ち切り。震災後、2012年3月6日に『なに食べる?SPたんぽぽと訪ねる福島の食』として1度のみ復活。
- 未来へ伝えたい ふくしまの情景
- ふくしま経済ナビゲーション
開局時に福島中央テレビから移行したテレビ朝日系の番組
開局時に福島テレビから移行したテレビ朝日系の番組(いずれも朝日放送制作)
- 民教協は引き続き福島テレビが加盟・放送。
男性
- 2007年 内田智之(2009年3月に宮崎放送に移籍のため一時退職、2011年1月再入社)
- 2020年 溝江翔平
- 2024年 新垣海音
退職
男性
- 1981年
- 1986年
- 1992年
- 2002年
- 飯野雅人 - 2008年3月の退職を経て、翌4月に有期雇用契約の専門職員(アナウンサー)として東北放送に入社。
- 2009年
- 2010年
- 2017年
- 坂寄直希 - 2023年1月の退職を経て、翌2月にアナウンサーとして東北放送へ入社。
- 岩崎吉高 - 退社を機に、NHK関連のスポーツ番組でディレクターを担当
- 松元真一郎 - 退職後、中京テレビ → ニッポン放送 → フジテレビ → フリーアナウンサー(ザ・ユニバース所属)
女性
- 1989年
- 1990年
- 1991年
- 1993年
- 奥山美香 - 現姓・織田。
- 平方恭子 - 2003年退職後、現在は仙台でフリーアナウンサー(オリオンズベルト所属)として活躍。
- 1996年
- 1997年
- 石川あき子 - 本名/石川亜紀子、東日本放送(石川亜紀子) → 福島放送(石川あき子) → 退職 → フリーアナウンサー
- 1998年
- 1999年
- 2000年
- 2002年
- 2003年
- 2004年
- 2006年
- 2007年
- 2010年
- 2013年
- 2015年
- 2021年
- 大河原千佳子 - 当時/クロステレビから派遣
- 多田友子
- 坂口伊識
- 吉田美香子 - ハイブリッヂコミュニケーション所属[75]
- 北岡由子
- 有賀佐知子 - 退社後、結婚
- 高倉光子 - 退職後、富山テレビアナウンサー → 上京して結婚 → 共同テレビフリーアナウンサー → 退職
- 福田浩子 - 退職後、FMヨコハマでニュース・天気担当(2000年から声優養成学校講師も兼務)
- 服部京子 - 新潟テレビ21 → テレビ金沢 → 琉球放送アナウンサー → フリーアナウンサー
- 開局 - 「テレビは ― 福島放送」「個性あざやか」
- 不明 - 「情報ステーション」
- 1983年(昭和58年) - 「Let`s Love`83」
- 1991年(平成3年) - 「あなたのハートに震度10」(開局10周年)
- 1997年(平成9年)頃 - 「が、いいね!」[注釈 27]
- 1998年(平成10年)頃 - 「ごらくだ」[注釈 27]
- 2001年(平成13年)頃 - 「Think21」(開局20周年、環境キャンペーンとして)
- 2011年(平成23年)頃 - 「キラキラ フクシマ ボクトキミ」(開局30周年[注釈 28])
- 2016年(平成28年)4月 - 「OPEN!35th」(著作・制作にも表示)
- 2017年(平成29年)3月 - 「イッシンゴチャンネル」
- 2021年(令和3年) - 「未来へ5いっしょに!」(開局40周年)
- 1981年(昭和56年)9月15日 - 1997年(平成9年)3月
- 「BIG SKY」 作詞・伊藤アキラ、作曲・瀬尾一三、歌・須藤薫
- 開局当時に集められたキャンペーンガール・ギャルKFB[77]が「Bigsky Big tomorrow」と書かれたTシャツに白い帽子と青いラインの入ったスカートを着ている。オープニングでは前述のキャンペーンガールの他に、ラグビー選手たち、地元のバスガイドたちや漁師たち、野球部員、女子バレーボール部員などがジャンプしている内容。
マスコットキャラクターを合成した映像。なお、クロージングでは、インストゥルメンタルとして使用。
- KFBスキースノーボードスクール - 毎年2月上旬に数日間、グランドサンピア猪苗代リゾートスキー場で行われていた。
- 12月ごろに入るとステーションブレイク枠を中心に告知・募集のCMが多く流れていた。
- かつては「KFBふれあいフリーマーケット」として、5月下旬に開成山公園で開催されていた。
- KFBスキースノーボードスクールのCMの放送期間が終わると、マンモスフリーマーケットの募集・開催のCMが主に流されるようになる。
- 2011年(平成23年)は開局30周年記念として5月と10月の2回開催される予定だったが、開催予定地のビッグパレットふくしまが東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)で使用不可能となり中止。その後、郡山カルチャーパーク駐車場にて11月19日から20日まで「再生!ふくしま KFBマンモスフリーマーケット」と題して行われた。また、2012年(平成24年)4月28日から30日までにも2011年と同場所・題で行われた。題は2011年(平成23年)以降のままだが、2013年(平成25年)には通常通りに戻った。なお、2016年(平成28年)[81]以降開催されていない。
- KFBテニススクール
- グランフェスふくしま 〜情熱文化祭〜
- KFBまつり(2016年(平成28年) - )
注釈
その中には既存のラジオ単営局であるラジオ福島もあったが、結局実現できなかった。
福島放送が開局した時点でも局名に「朝日」と入れた放送局は存在した(テレビ朝日(当時は全国朝日放送)、朝日放送テレビ(当時は朝日放送)、九州朝日放送)。また、会社設立時に存在したテレビ朝日系フルネット局でも広島ホームテレビのように「朝日」を入れずに先行局と名称を区別した事例もあった。
東北・北海道の「(都道府県名)放送」と名乗る局では唯一、アナログ親局がUHFかつ、テレビ単営局だった。
『福島民報』の紙面上や『福島放送の二十年』の年表欄(211頁)では「試験放送」と表記。
音声多重放送の開始日を、県内の先発2局(福島テレビ、福島中央テレビ)と合わせるため、開局までは、放送時間外の試験電波以外、同放送は実施していない。
デジタル放送ではCMを除く放送中、画面右上に半透明白色の「KFB」のロゴマーク(ウォーターマーク)が常時表示される。
テレビの視聴者に対し、今テレビを観ている所の天気を4択のカラーボタンでインターネット経由にて送信してもらうもの。福島放送本社では、データ放送の天気地域を認識する郵便番号の送信により位置を認識して、福島県の地図の上に天気状況をピンポイント式で表すもの。よって、個人情報の送信は郵便番号のみである。この「みんなでソラをライブ」は、テレビ朝日のフルネット局各局でも、同年2月頃から相次いで開始している。ただし、当局と秋田朝日放送では、「ソラをライブ」は終了している。
テレビ朝日系列局以外の企業ではかつて「NETニュース」を制作していた朝日テレビニュース社の合弁会社の一つである東映もテレビ朝日ホールディングスの持分法適用関連会社、かつ筆頭株主であると同時に、同社も東映の持分法適用関連会社、かつ第二位株主である[24]。
『ドミソラ』 → 『ドミソラ2』では、この名称が使用されていた。
地元校が出場時、朝日放送テレビからネット。2010年までは、応援実況もしていた。
ふくしまスーパーJチャンネル内のコーナーの一部であったが、東日本大震災の影響により、一時番組扱いとして放送。その後、再びコーナーとして戻った。
2009年7月3日から2010年3月26日まで遅れネットで放送していたが、途中打ち切り。2015年4月9日から再開したが、再び2016年9月29日で途中打ち切り。
2007年3月までは福島中央テレビで放送していた。
メタルファイト ベイブレード(第1シーズン)は未ネット。
2015年3月31日から9月15日まで福島テレビで放送されていた。
2011年3月に途中打ち切りになったが、2013年4月から再開。
9月15日の「ドクターゼロとミー」から、9月30日の「その時天使は歌った」まで。
10月1日は第1話「ゆめの町ノビタランド」、10月2日は「変身ビスケット」。
初めて担当した福島放送の情報番組「小玉みい子の朝はいきいき!」第1回放送において、会津若松市出身と自己紹介した。
実際は東日本大震災が発生し、開局記念事業ができなかったことから、ホームページなどで表示されるのみになった。
出典
日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2023』コーケン出版、2023年11月30日、282頁。
「余滴」『福島放送の二十年』福島放送、2001年10月、17頁。
『福島放送の二十年』福島放送、2001年、19,211頁。
日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2021』コーケン出版、2021年12月10日、277頁。
日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑'92』コーケン出版、1992年11月、215頁。
日本民間放送連盟『日本民間放送年鑑2003』コーケン出版、2003年11月、221頁。
『福島放送の二十年』福島放送、2001年、16,211頁。
「第3の民間テレビ実現へ 県内出願社、話合いまとまる」『福島民報』1980年12月14日、朝刊(『福島民報縮刷版昭和55年12月』239頁)、1面。
「福島放送に予備免許」『福島民報』1980年12月20日、朝刊(『福島民報縮刷版昭和55年12月』337頁)、1面。
『福島放送の二十年』福島放送、2001年、17,211頁。
“概要”. 福島放送. 2018年5月19日閲覧。
『福島放送の二十年』福島放送、2001年、18,211頁。
『福島放送の二十年』福島放送、2001年、211頁。
『福島放送の二十年』福島放送、2001年、19-20,211頁。
『福島放送の二十年』福島放送、2001年、212頁。
『福島放送の二十年』福島放送、2001年、127頁。
『福島放送の二十年』福島放送、2001年、128-129頁。
「デジタル放送へ 新システム稼働」朝日新聞(朝日新聞社)朝刊 福島版、2006年4月1日。
「新システムの安全祈願 福島放送、デジタル放送対応で」福島民友(福島民友新聞)朝刊、2006年4月1日。
『福島放送の二十年』福島放送、2001年、130-131頁。
『福島放送の二十年』福島放送、2001年、162頁。
『福島民報』1981年9月18日付朝刊、テレビ欄。
『福島民報』1982年12月15日 - 1983年3月2日付朝刊、テレビ欄。
『福島民報』1981年9月19日、1981年9月26日付朝刊、テレビ欄。
『福島民報』1984年5月15日 - 1984年7月31日付朝刊、テレビ欄。
『福島民報』1981年9月19日付朝刊、テレビ欄。
『福島民報』1983年3月30日 - 1983年6月24日付朝刊、テレビ欄。
『福島民報縮刷版昭和56年6月号』(福島民報社)、514頁(1981年6月30日『福島民報』朝刊8面、テレビ欄より)。
『福島民報縮刷版昭和56年7月号』(福島民報社)、117頁(1981年7月7日『福島民報』朝刊7面、テレビ欄より)。
『福島民報縮刷版昭和56年9月号』(福島民報社)、473頁(1981年9月27日『福島民報』朝刊11面、テレビ欄より)。
『福島民報縮刷版昭和56年10月号』(福島民報社)、11・31頁(1981年10月1日朝刊11面、1981年10月2日朝刊11面、テレビ欄より)。
『福島民報縮刷版 昭和56年8月号』(福島民報社)、434頁(1981年8月25日『福島民報』朝刊8面、テレビ欄より)。
『福島民報縮刷版昭和56年9月号』(福島民報社)、9頁(1981年9月1日『福島民報』朝刊9面、テレビ欄より)。
『福島民報縮刷版 昭和55年10月号』401頁(『福島民報』1980年10月23日付朝刊9面、テレビ欄。)
『福島民報縮刷版昭和56年9月号』(福島民報社)、251頁(1981年9月15日『福島民報』朝刊9面、テレビ欄より)。
『福島民報縮刷版昭和56年9月号』(福島民報社)、530頁(1981年9月30日『福島民報』朝刊8面、テレビ欄より)。
『福島民報縮刷版昭和56年9月号』(福島民報社)、399頁(1981年9月23日『福島民報』朝刊11面、テレビ欄より)。
『福島民報縮刷版昭和56年9月号』(福島民報社)、531頁(1981年9月30日『福島民報』朝刊9面、テレビ欄より)。
『福島民報縮刷版昭和56年10月号』(福島民報社)、11頁(1981年8月25日『福島民報』朝刊11面、テレビ欄より)。
『福島民報縮刷版昭和56年10月号』(福島民報社)、434頁(1981年10月3日『福島民報』朝刊8面、テレビ欄より)。
『福島民報縮刷版昭和56年9月号』(福島民報社)、448頁(1981年9月26日『福島民報』朝刊10面、テレビ欄より)。
『福島民報縮刷版昭和56年9月号』(福島民報社)、449頁(1981年9月26日『福島民報』朝刊11面、テレビ欄より)。
『福島民報縮刷版昭和56年10月号』(福島民報社)、215頁(1981年10月11日『福島民報』朝刊11面、テレビ欄より)。
『福島民報縮刷版昭和56年9月号』(福島民報社)、472頁(1981年9月27日『福島民報』朝刊10面、テレビ欄より)。
『福島民報縮刷版昭和56年9月号』(福島民報社)、349頁(1981年9月20日『福島民報』朝刊9面、テレビ欄より)。
『福島民報縮刷版昭和56年9月号』(福島民報社)、472頁(1981年9月27日『福島民報』朝刊11面、テレビ欄より)。
『福島民報』1981年10月13日付朝刊、テレビ欄。
『福島民報』1982年3月28日、4月4日付朝刊テレビ欄。
『福島民報』1977年4月2日 - 1978年6月3日、1981年9月27日付朝刊。
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“吉田美香子” (PDF). ハイブリッヂコミュニケーション. 2017年3月17日閲覧。
「"福島放送"をよろしく フレッシュギャル決まる 郡山」『福島民報』(福島民報社) 1981年(昭和56年)7月29日、朝刊16面。
“Profile”. SennenSatomiHP. 2018年8月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年10月24日閲覧。