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日本のテレビ情報番組(1964-1993、2015-) ウィキペディアから
『モーニングショー』(英語: Morning Show)は、1964年4月1日から1993年4月2日(第1期)までは月曜日から金曜日の8:30 - 9:30(JST)、および2015年9月28日(第2期)からは月曜日から金曜日の8:00 - 9:55(JST)に、いずれもテレビ朝日[注 2]系列において生放送形式で放送されたもしくはされている、ワイドショー・情報番組である。
実際に存在したもしくは存在する番組名のリダイレクト(例:羽鳥慎一モーニングショー)の作成はすべて認められていますが、実際に存在しない番組名のリダイレクト(例:渡辺宜嗣モーニングショー)や「○○のモーニングショー」(○○にはMC名が入る)のリダイレクトの作成は認められていません(議論はノート参照)。(2017年3月) |
モーニングショー | |
---|---|
ジャンル | ワイドショー番組 |
製作 | |
制作 | NETテレビ→テレビ朝日 |
放送 | |
映像形式 | 第1期:白黒放送( - 1970年3月20日)、カラー放送(1970年3月23日 - )[1] 第2期:ハイビジョン放送、リアルタイム字幕放送(2019年4月より)[注 1] |
音声形式 | 第1期:モノラル放送。但し、1979年8月8日及び1980年8月8日は、ステレオ放送[2]。 第2期:ステレオ放送 |
放送国・地域 | 日本 |
公式ウェブサイト | |
第1期(1964年4月から1993年3月まで) | |
出演者 | 木島則夫 長谷川肇 奈良和 竹中陽一 溝口泰男 江森陽弘 美里美寿々 (現:田丸美寿々) 武見敬三 内田忠男 渡辺宜嗣 |
放送期間 | 1964年4月1日 - 1993年4月2日 |
放送時間 | 月曜 - 金曜 8:30 - 9:30 |
放送枠 | テレビ朝日系列平日午前のワイドショー枠 |
放送分 | 60分 |
第2期(2015年10月以降) | |
プロデューサー | 小川覚司(CP) |
出演者 | 羽鳥慎一 松岡朱里ほか |
オープニング | milet『Wake Me Up』 |
エンディング | 同上 |
放送期間 | 2015年9月28日 - |
放送時間 | 月曜 - 金曜 8:00 - 9:55 |
放送枠 | テレビ朝日系列平日午前のワイドショー枠 |
放送分 | 115分 |
公式サイト |
日本で初めて放送されたワイドショー番組である。便宜上、1993年までを第1期、2015年以降を第2期とする。
日本におけるワイドショーの草分けで、『TODAY』(アメリカのNBCで1952年から早朝に放送されている情報・ニュース番組)をヒントに制作されたため、日本国内のテレビ局が制作するニュースショーとしても初めて成功を収めた[注 3]。
放送時間は毎週月 - 金曜日の8:30 - 9:30(JST、以下略)で、1992年までは、年末年始も休まずにレギュラー放送を続けた[注 4]。
テレビ黎明期の民放テレビ局が1、2局しかない地域、一部を除くクロスネット局、テレビ朝日系列局がない地域でもネットされていた。そのため、番組オープニングではタイトル表示に続き、テレビ朝日(1977年3月まではNET)を先頭に各地のネット局の略称をテロップ表示する演出があった。また、テレビ朝日系列の新局に本番組の放映権が移行した後もテレビ朝日系列の新局の受信環境が未整備などの理由で1地域2局同時放送を実施していた地域もあった(後述)。
この第1期の開始当初は白黒放送だったが、1970年3月23日からカラー放送となった。[1]
音声はモノラル放送であるものの、例外として、1979年8月8日及び1980年の同日は、大阪の朝日放送から、阪神甲子園球場での「全国高等学校野球選手権大会」の開会式を番組内で生中継で放送することから、ステレオ放送を行った[2]。尚、1979年の同日は、電電公社(当時、現・NTT)の東名阪及び北陸(金沢)回りに於いての、テレビ中継回線のステレオ化工事が完了したことで[3][4]、テレビ朝日に於いての朝日放送からの初のステレオ生中継となった[注 5][注 6]。
2015年9月28日から第2期として復活した。放送時間は毎週月曜から金曜までの8:00 - 9:55であり、放送尺は第1期と比べ55分長い。
教育番組専門局として1959年2月1日に開局した日本教育テレビ(NET)では、当初からスポンサーの獲得などで苦戦を強いられていたため、当時の郵政省から放送の比率を指定されていた「教育番組」や「教養番組」の解釈を拡大しながら事実上の総合編成化を進めていた[注 7]。そこで、『TODAY』をヒントに、1961年2月から主婦向けの情報番組として『東京アフタヌーン』を平日の14:00 - 14:45に関東ローカルで放送。プロデューサーの浅田孝彦は、ラジオで定着しているDJのスタイルで、総合司会に進行やいわゆる「生コマーシャル」へ臨ませるなどの新機軸を打ち出した[5]。また、当番組の成功を受けて『アフタヌーンショー』を立ち上げた江間守一は、NETの開局直後にプロデューサーとして『○月○日』(○は放送月・放送日を示す洋数字)と称する番組を制作した。放送時間がわずか12分間というミニ番組ながら、全曜日にわたって帯番組として編成された。もっとも、当時のNETにとって死活問題であった営業面では振るわず、『東京アフタヌーン』とともに短命に終わっている[6]。
これに対して、日本ヴィックス(アメリカのリチャードソン・ヴィックス社と伊藤忠商事の合弁会社でP&Gプレステージの母体企業の1つ)では、アメリカにおける『TODAY』の成功を踏まえて、テレビ界で当時「不毛の時間帯」の1つに数えられていた午前帯への広告の出稿を計画した。NETに対して、視聴率が極めて低かった午前中の学校放送番組の広告枠を、一括で購入することを打診した[7]。この打診がやがて、『TODAY』をモデルに、事件・芸能ニュース・「人間蒸発」などの企画やインタビュー、歌手の生演奏などを織り込んだ[8]単独提供番組を放送する構想に発展した。1962年に博報堂を通じて、NETおよび、当時NET系列の準基幹局だった毎日放送(MBS)に構想を持ちかけた。NETの担当者は浅田で、MBSにも構想を打診したのは、伊藤忠商事や日本ヴィックスと同じく大阪市内へ本社を構えていたことによる。
番組の開始に際しては、当時の日本のテレビ界で主流だったディレクター・システム(ディレクターが絶対的な権限を有する制作体制)に依存せず、浅田を中心とするプロデューサーが全曜日のディレクターを統括する「プロデューサー・システム」を導入した。放送するテーマや内容を制作チーム全体で共有したうえで、同じテーマや内容の企画を複数のディレクターが担当することによって、テーマや内容の柔軟な見直しが可能になった[9][注 8]。
初代総合司会については、高橋圭三(元NHKアナウンサー)を最有力の候補に挙げていた。しかし、高橋のスケジュールの都合が付かずに断念した。そこで浅田は、総合司会を視聴者と同じ立場に置くことを想定したうえで、NHK時代の高橋の後輩に当たる木島則夫に白羽の矢を立てた[8]。
『木島則夫モーニングショー』の番組開始当初は「8時半です。おはようございます…。早速きょうのお客様をご紹介しましょう」とゲストの紹介から始めた[注 9]。
初回(1964年4月1日)はNETテレビ、北日本放送、中部日本放送(CBC)、毎日放送(MBS)の4局で放送。翌週の4月6日(月曜日)からは、中国放送でも同時ネットを開始した。しばらくは上記の5局ネット体制が続いたものの、1960年代の後半から郵政省などの方針で他の地域でも民放テレビ局の開局が相次いだことなどを背景に、徐々に放送地域を拡大していった[注 10]。NET系列局の名古屋テレビが1962年に開局していた中京広域圏で、番組開始当初のネット局がTBS系列局のCBCであったのは、NETの番組区分に沿って当番組を「教育番組」とみなしたことによるとされている[注 7]。ただし、CBCで放送されたのは開始から半年間で、1964年10月1日から放送権を名古屋テレビに移行している。
初代のプロデューサーに就任した浅田は、視聴率の推移から視聴者の欲求を推測し、独自のモニター調査から得られたデータも重視しながら、放送するテーマや内容の細分化(客観的・定量的な選別)に取り込むなど、内容の見直しの高速化を図った。このような手法でディレクターと内容を分離させたことによって、番組は順調なスタートを切った。しかし、1965年9月の人事異動で浅田が(同年4月に始まった『アフタヌーンショー』を含む)「教養番組」全般を統括する職務に就いたことを境に、番組の制作体制を一新した。「5人のディレクターが曜日ごとに責任を持って一般番組と同じように制作する」という縦割り体制の導入によって、ディレクターと内容の分離が維持されなくなったことから、長期にわたる視聴率の低迷を招いた[10]。さらに、企画や娯楽以上にニュースを求める声が視聴者から年々強まったこと[11]から、木島は疲労を理由に1968年3月限りで降板した[注 11]。翌4月から長谷川肇(高橋・木島と同じくNHK出身のアナウンサー)を第2代総合司会に起用したが、1年でNETアナウンサーの奈良和に交代した。奈良は7年半にわたって総合司会を務めた。1976年10月からは「あなたもテレビのキャスターになれる」という一般公募のコンテストで採用された竹中陽一が第4代の司会者に就任した。報道カメラマンやタクシー運転手という経歴を持つ竹中の人生経験が番組に生かされることが期待されたが、「喋らない司会者」と評判になったことでNET側は1977年3月末までの6ヶ月契約を更新しないと1月に通告した。これに対して竹中の妻が番組の内情を明かす手紙を新聞社に送ったために、NET側は契約満了となる3月末を待たずに3月11日で竹中を降板させ、当分はアシスタントの溝口泰男と植木まり子が司会を務めることになった[12][13]。竹中は1977年3月18日に裏番組であるフジテレビの『小川宏ショー』にゲスト出演(初代司会の木島と共演した)[13]。奈良の総合司会時代からサブ司会を務めていた後輩アナウンサーの溝口泰男を、1977年5月から正式に第5代総合司会へ起用したことを機に、ようやく巻き返した。
なお、番組開始当初からのネット局だったMBSは、1975年3月31日(月曜日)の近畿広域圏におけるネットチェンジによってNET系列からTBS系列へ移行した。このネットチェンジによって、TBS系列局だった朝日放送(ABC)がMBSと入れ替わる格好でNET系列へ加わったため、同日放送分からはABCが近畿広域圏向けの同時ネットを担った。
長谷川肇時代から江森陽弘時代までは一般視聴者(主に主婦)にも開放し、司会者の立ち位置(または司会者席)の後ろが観客席となっていた。[要出典]
1970年代後半には青少年の自殺などが社会問題化していたことを受けて、当時教育、心理などの分野で活動していた坂東義教による「子育て講座」も織り込まれるなど、人気コーナーもあったが、坂東は著書『坂東先生の教育講座』を執筆直後の1978年11月に死去し、コーナーも自然消滅となった。[要出典]
1979年4月には、同年3月まで香川県のみを放送エリアにしていた瀬戸内海放送が岡山・香川の電波相互乗り入れに伴い岡山県[注 12]での放送を開始し47全都道府県での放送となった。しかし同年12月に、当時日本テレビ系列とテレビ朝日系列のクロスネット局だったテレビ岩手が当番組を打ち切ったことで、1980年1月1日からは9か月ぶりに47全都道府県での放送ではなくなった。
1981年4月に当時フジテレビ系列・テレビ朝日系列とのクロスネット局である新潟総合テレビが、新潟放送[注 13]から移行を受ける形でメイン系列の番組であった『小川宏ショー』を打ち切って当番組のネットを開始した(1983年10月の新潟テレビ21開局まで)[注 14]。
1983年4月には総合司会が溝口泰男(サブ、メインを含め14年間出演。歴代の最長寿レギュラー)から、江森陽弘へバトンタッチした[14]。江森が総合司会に就任した2年半後の1985年10月には『アフタヌーンショー』の「やらせリンチ事件」が発覚し、本番組も同事件が引き金(トリガー)となって信頼失墜に陥る。
1986年10月に総合司会が江森から、元フジテレビアナウンサーの美里美寿々[注 15]に、サブ司会も1980年4月から6年半務めてきた柴田美保子、八波一起から高井正憲(当時テレビ朝日アナウンサー)に交代するという総合司会の総入れ替えを実施した。硬派路線に舵を切ったが、芸能情報を扱わない番組内容が不評となり、視聴率(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)で苦しむこととなると同時に[15][注 16]、本番組終了まで総合司会が1、2年で交代する等低迷してしまう。1987年1月には、サブ司会を3か月で高井から寺崎貴司に交代した[注 17]。
同年10月には、総合司会が美里美寿々から武見敬三に交代。芸能情報を復活させたものの美里時代と状況は変わらず、月 - 金曜正午枠と合わせてテレビ朝日系ワイドショー全体が更に低迷してしまう事になる。この事態を受けて、武見に総合司会が交代した半年後の1988年4月にはテレビ朝日制作ワイドショーを本番組に集約したり、同年10月には1年で内田忠男が総合司会に交代すると同時に八波をサブ司会に復帰させる等のテコ入れを図る。
内田が総合司会に就任した1年後の1989年9月29日には日本海テレビが本番組を打ち切った事により1地域2局同時放送の地域は無くなった。
1991年4月のリニューアルでは、当初は総合司会を内田から当時テレビ朝日と専属契約を結び、昼の番組『ホットライン110番』に出演していた小島一慶(元TBSアナウンサー)を総合司会に登用して立て直しを図ろうとしたが、小島が不倫騒動を起こしたため、テレビ朝日側はその登用予定を急遽中止した上で同番組終了と同時に小島との専属契約を解除し、総合司会を渡辺宜嗣(当時テレビ朝日アナウンサー)に急遽変更した。同時にサブ司会が篠田潤子(当時テレビ朝日アナウンサー)からロザンナにバトンタッチした。八波一起は最終回まで出演した。
内田から渡辺時代になると、テレビ朝日系新局開局による本番組の放映権移行で、放映権移行が行われた地域では旧ネット局の番組である『ルックルックこんにちは』・『モーニングEye』に苦戦する様になり、長年続けてきた正月3が日の放送も日本テレビ『新春スポーツスペシャル箱根駅伝』や、日本テレビ・フジテレビの元旦特番に視聴率(ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイム)で敗れるようになったため、1992年をもって正月3が日の放送を終了した様に本番組の苦戦傾向がさらに加速した。更に同年9月の朝日放送『素敵にドキュメント』のやらせ発覚によるテレビ朝日系列の更なる信頼失墜も止めを刺す形となり、1993年4月2日に第1期としては終了し、29年間の歴史に一旦幕を下ろした。同年4月5日からの当該枠は放送開始時間を8:00に前倒しし、9:55まで放送時間を拡大した『スーパーモーニング』となった。
また、テレビ朝日系列では『モーニングショー』終了と同時に月 - 金曜並びに土曜日のワイドショーの改編を実施し、これにともない『海江田万里のパワフルサタデー』が本番組終了の6日前に終了した。さらに月 - 金曜正午枠の『人間探検!もっと知りたい!!』も本番組と同日に終了したが、月 - 金曜正午枠のテレビ朝日系列外局への時差ネットも本番組終了の前日・前々日に廃止されたため、テレビ朝日系列外局で放送されるテレビ朝日制作ワイドショーは『スーパーモーニング』のみとなった。
宮尾すすむがリポーターを務めた「宮尾すすむのああ日本の社長」[注 18]は『スーパーモーニング』になってからも1999年8月まで続いた。
2015年9月28日に、同年9月25日で終了した『モーニングバード』(『スーパーモーニング』の後継番組)の総合司会・羽鳥慎一(元日本テレビアナウンサー)をそのまま本番組11代目の総合司会に起用し、『羽鳥慎一モーニングショー』(月 - 金曜8時[16])として22年半ぶりに復活した[17][18]。アシスタントは当時テレビ朝日アナウンサーの宇賀なつみ(テレビ朝日と大多数の系列局で前時間に放送の『グッド!モーニング』から移動)[19]。『モーニングバード』の路線を引き継ぎ、コメンテーターは石原良純、高木美保、長嶋一茂、島谷ひとみらが『モーニングバード』から引き続き日替わりで出演する。玉川徹も続投するが、毎日出演することとなった。
なお、2015年7月29日にスポーツ新聞において、『モーニングバード』で羽鳥と共に総合司会を務めていた赤江珠緒の降板が報じられ、宇賀を後任に起用する形で『モーニングバード』を継続すると報道されていた[20]。
同局としては「いま何が起きているかにこだわり、人間ドラマを見せるのがワイドショー。その原点に立ち返りたい」「羽鳥慎一という“人の心”を第一に考えてニュースを捉えるキャスターで、新たなワイドショーに挑戦したい」と語り、『モーニングバード』のリニューアルではなく歴史ある番組名を冠した新しい番組であることを示唆している。
2018年から2021年の『徹子の部屋』の年間最終ゲストとして羽鳥と玉川が揃って出演していた。2019年はドラマ『Doctor-X』にゲスト出演[注 19]した当時のエピソードを語った(前半では役柄の衣装で出演し、後半でスーツに着替えた)。
2019年4月1日よりリアルタイム字幕放送をレギュラー実施した[注 1]。
2017年10月2日より、テレビ朝日が筆頭株主であるAbemaTV(AbemaNEWSチャンネル)への配信を開始した(後述)。
なお、第2期の開始からアシスタントを担当してきた宇賀は、テレビ朝日からの退職(2019年3月31日)を前に同月29日(金曜日)放送分で卒業した。4月1日(月曜日)からは、元乃木坂46の斎藤ちはる(同日付でアナウンサーとして同局へ入社)をアシスタントに抜擢した[21]。
2020年4月に日本政府が新型コロナウイルスに関する緊急事態宣言を発するのに前後し、コメンテーターは段階的にスタジオ出演ではなくモニター越し(ワイド!スクランブルと同様に、テレビ朝日が用意した別室か、自宅や事務所等出演者本人が用意した部屋から出演する形式)での出演に移行したが、4月13日から6月26日まで、MCの羽鳥と斎藤、白鷗大学教授の岡田晴恵の3人を除くすべてのコメンテーターはモニター越しでの出演となったが、6月29日から、ほぼ通常の体制に戻った(6月26日にコメンテーターがスタジオ出演に戻ることが羽鳥から発表された)。
その後、2020年6月20日に宣言が解除されたことを受け、翌21日より通常の体制に戻った[22]。また、同日よりソーシャルディスタンスの一環で机が拡張され、これにより、出演者の間隔もより拡げられることとなった[23]。
2021年1月7日に首都圏1都3県に新型コロナウイルスに関する緊急事態宣言が再発出された事を受け、8日からはコメンテーターがモニター越しでの出演に変更された。その後、同年3月21日に宣言が解除され、翌日の22日からは通常の体制に戻った。その際、アクリルボードの強化、高性能空気清浄機の設置を伝え、より一層新型コロナウイルス予防に取り組んでいると伝えた。しかし、4月25日に再度緊急事態宣言が発令されたことを受け、翌26日からは再びコメンテーターはモニター越しでの出演に変更されたが、このスタイルはその後も繰り返し、2022年3月21日の新型コロナウイルスに関する蔓延防止等重点処置解除まで続いた[24]。
2024年10月1日よりTVerにて見逃し配信が開始された。当日の配信ではなく、数日前の「羽鳥パネル」が配信された[25]。
視聴率はいずれも第2期時代で、ビデオリサーチ調べ、関東地区・世帯・リアルタイムのもの。
開始当初は6%程度で推移し、時間帯順位は民放2位を記録することもあった[26][27]。2016年9月第3週では平均7.7%を記録、初めて週間を通じて時間帯民放1位となった[28][29][30]。同年11月では平均8.1%を記録、初めて月間を通じて時間帯民放1位となった[31]。以後も民放視聴率月間首位を保持している(2017年4月ではフジテレビ『情報プレゼンター とくダネ!』と同率首位)[32][33]。2016年度では初めて時間帯民放年度1位を記録[34]、翌2017年度も1位を獲得[35]。2017年4月第1週では『とくダネ!』に視聴率首位の座を再び譲った[36]。2017年10月前半では、日本テレビ『スッキリ』がリニューアルし、『とくダネ!』を抜く日も出てきたが、本番組を抜くことはできなかった[37]。2017年には初めて年間民放1位を記録[38]。翌2018年以降も年間民放1位となっている[39][40]。
さらに2018年4・5月には、それまで時間帯1位を記録していたNHK総合テレビ『あさイチ』を抜き去り、時間帯1位を獲得[41][42]。しかし、同年6月から2020年上期頃は再び『あさイチ』に時間帯1位を譲っていた[43][44]。
2019年2月4日 - 8日には全て2桁視聴率を記録[45]。
2020年1月から一時期、『スッキリ』に民放1位を譲ることもあった[46]。
2020年中期以降、『あさイチ』を抜いて再び時間帯1位を記録するケースが増える[47][48]。2020年11月以降はビデオリサーチの週間高世帯視聴率番組で『あさイチ』が10%を大きく超えており、時間帯1位を本番組と分け合っている[49]。同年、初めて『あさイチ』を抜いて時間帯年間1位を記録した[50]。
しかし、年齢・世代別での視聴率調査では苦戦している放送日も発生しており、2021年9月13日放送分ではF1層(女性の20歳から34歳を指す)においての視聴率が韓国ドラマを放送しているテレビ東京を含め、在京民放5局の中で最下位となっている[51][52]。
2022年11月以降。
2022年10月現在、上記のリポーター(主に齋藤、中谷、岡安、松田)が取材したVTRが『スーパーJチャンネル』(主に17時台)でも放送されている。
総合司会の名前を被せた冠番組『○○モーニングショー』と称した時期の司会者の名前は、太字で表記。
○印は放送当時、NETテレビ・テレビ朝日所属のアナウンサー。
期間 | 総合司会 | サブ司会 | ||
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第1期 | ||||
1964.4.1 | 1968.3.29 | 木島則夫〇1 | 栗原玲児2 ↓ マイク眞木 ↓ 小椋克己3 | 井上加寿子 |
1968.4.1 | 1969.3.31 | 長谷川肇 | ばばこういち | 下重暁子 |
1969.4.1 | 1976.10.15 | 奈良和○ | 溝口泰男 | 菊池敏恵 ↓ |
1976.10.18 | 1977.3.11 | 竹中陽一5 | 植木まり子 | |
1977.3.14 | 1977.4.29 | (溝口泰男、植木まり子を中心とする複数司会体制) | ||
1977.5.2 | 1980.3 | 溝口泰男[54][55] | 井村千鶴子 | 荒木憲 |
1980.4 | 1983.3.31 | 柴田美保子7[54][55] | 八波一起7[54][55] | |
1983.4.1 | 1986.9.30 | 江森陽弘6 | ||
1986.10.1 | 1986.12 | 美里美寿々1・8 | 高井正憲○ | |
1987.1 | 1987.10.2 | 寺崎貴司○ | ||
1987.10.5 | 1988.10.7 | 武見敬三 | 飯干恵子9 | 藤井暁○ |
1988.10.10 | 1990.3.30 | 内田忠男[56] | 横山悦子[56]10 | 八波一起[56] |
1990.4.2 | 1991.3.29 | 篠田潤子○ | ||
1991.4.1 | 1993.4.2 | 渡辺宜嗣○ | ロザンナ | |
第2期 | ||||
2015.9.28 | 2019.3.29 | 羽鳥慎一 | 宇賀なつみ○ | |
2019.4.1 | 2022.4.1 | 斎藤ちはる○ | ||
2022.4.4 | 2024.3.29 | 森山みなみ○ | ||
2024.4.1 | 現在 | 松岡朱里○ | ||
期間 | 歌手名・曲名 | |
---|---|---|
1964年4月1日 | 1969年3月31日 | 本番組独自のオリジナルテーマ曲を使用 |
1969年4月1日 | 1985年3月29日 | |
1985年4月1日 | 1986年9月30日 | チャーリー・リッチ『I Feel Love(『ベンジー』のテーマ)』 |
1986年10月1日 | 1988年10月7日 | 本番組独自のオリジナルテーマ曲を使用 |
1988年10月10日 | 1991年3月29日 | |
1991年4月1日 | 1993年4月2日 | |
1993年4月5日 | 2015年9月25日 | (『スーパーモーニング』→『モーニングバード』放送に伴い、一旦打ち切り) |
2015年9月28日 | 2021年3月26日 | 葉加瀬太郎『Morning Show』[57] |
2021年3月29日 | 現在 | milet『Wake Me Up』[58] |
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 放送時間 | 備考 |
---|---|---|---|---|
関東広域圏 | テレビ朝日(EX) | テレビ朝日系列 | 月曜 - 金曜 8:00 - 9:55 | 【制作局】 |
北海道 | 北海道テレビ(HTB) | |||
青森県 | 青森朝日放送(ABA) | |||
岩手県 | 岩手朝日テレビ(IAT) | |||
宮城県 | 東日本放送(khb) | |||
秋田県 | 秋田朝日放送(AAB) | |||
山形県 | 山形テレビ(YTS) | |||
福島県 | 福島放送(KFB)[59] | |||
新潟県 | 新潟テレビ21(UX) | |||
長野県 | 長野朝日放送(abn) | |||
静岡県 | 静岡朝日テレビ(SATV) | |||
石川県 | 北陸朝日放送(HAB) | |||
中京広域圏 | 名古屋テレビ(メ〜テレ/NBN) | |||
近畿広域圏 | 朝日放送テレビ(ABC TV)[注 41] | [注 42] | ||
広島県 | 広島ホームテレビ(HOME) | [注 43] | ||
山口県 | 山口朝日放送(yab) | |||
香川県・岡山県 | 瀬戸内海放送(KSB) | |||
愛媛県 | 愛媛朝日テレビ(eat) | |||
福岡県 | 九州朝日放送(KBC) | |||
長崎県 | 長崎文化放送(ncc) | |||
熊本県 | 熊本朝日放送(KAB) | |||
大分県 | 大分朝日放送(OAB) | |||
鹿児島県 | 鹿児島放送(KKB) | |||
沖縄県 | 琉球朝日放送(QAB) | |||
福井県 | 福井放送(FBC)[注 44] | 日本テレビ系列 |
放送局名と略称と系列は放送当時のもの。
放送対象地域 | 放送局 | 系列 | 放送時間 | 備考 |
---|---|---|---|---|
関東広域圏 | NETテレビ(NET)→ テレビ朝日(ANB)〇 | テレビ朝日系列 | 月曜 - 金曜 8:30 - 9:30 | 【制作局】 (1977年3月31日までNETテレビ) |
北海道 | 北海道放送(HBC) | TBS系列 | 開始時期不明。北海道テレビの開局後である、1969年3月28日まで | |
北海道テレビ(HTB) | テレビ朝日系列 | 1969年3月31日から | ||
青森県 | 青森放送(RAB) | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 | 青森放送①:1966年1月6日[68] - 1973年3月[69] 青森テレビ:1971年4月1日[70] - 1975年3月28日 青森放送②:1975年3月31日[71] - 1991年9月30日(ANN加盟に伴う) (1971年4月1日 - 1973年3月、2局同時放送[69]) | |
青森テレビ(ATV) | NETテレビ系列 TBS系列 | |||
青森朝日放送(ABA) | テレビ朝日系列 | 1991年10月1日開局当日から | ||
岩手県 | 岩手放送(IBC) (現・IBC岩手放送) | TBS系列 | 開始時期不明 - 1969年11月28日まで | |
テレビ岩手(TVI) | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 | 1969年12月1日開局当日 - 1979年12月31日 | ||
宮城県 | 仙台放送(OX) | フジテレビ系列 日本テレビ系列 | 開始時期不明 - 1965年3月 | |
東北放送(TBC) | TBS系列 | 1965年4月 -不明 『おはよう・にっぽん』(TBS)を同時ネットしていた1968年9月までは録画時差ネットで放送 ミヤギテレビ開局後もしばらく2局同時放送 | ||
ミヤギテレビ(mm34) | 日本テレビ系列 | ミヤギテレビ:1970年10月1日開局当日 - 1975年12月 (ミヤギテレビは1975年9月まではNETテレビ系列とのクロスネット局) 東日本放送:1975年10月開局より。 (1975年10月 - 12月、2局同時放送) | ||
東日本放送(KHB) | テレビ朝日系列 | |||
秋田県 | 秋田放送(ABS) | 日本テレビ系列 | 1965年10月1日[72] - 1992年9月30日まで | |
秋田朝日放送(AAB) | テレビ朝日系列 | 1992年10月1日開局当日から[注 49] | ||
山形県 | 山形放送(YBC) | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 | 1965年10月[73] - 1993年3月31日 (1980年4月からクロスネット局) | |
山形テレビ(YTS) | テレビ朝日系列 | 1993年4月1日・2日のみ放送 1993年4月1日のフジテレビ系列からテレビ朝日系列へのネットチェンジによる[注 50] | ||
福島県 | 福島テレビ(FTV) | オープンネット局 | 1965年10月1日 - 1970年1月30日 | |
福島中央テレビ(FCT) | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 | 1970年2月2日(サービス放送開始) - 1981年9月30日 (1971年9月まではフジテレビ系列・NETテレビ系列とのクロスネット局) | ||
福島放送(KFB) | テレビ朝日系列 | 1981年10月1日開局当日から | ||
山梨県 | 山梨放送(YBS) | 日本テレビ系列 | 開始時期不明 | |
新潟県 | 新潟放送(BSN) | TBS系列 | 1968年9月 - 1981年3月27日[注 51] | |
新潟総合テレビ(NST) (現・NST新潟総合テレビ) | フジテレビ系列 テレビ朝日系列 | 1981年3月30日 - 1983年9月30日[注 52] | ||
新潟テレビ21(NT21) | テレビ朝日系列 | 1983年10月3日(開局3日目)から | ||
長野県 | 信越放送(SBC) | TBS系列 | 1965年10月1日[74] - 1980年9月30日 | |
テレビ信州(TSB) | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 | 1980年10月1日開局当日 - 1991年3月29日 | ||
長野朝日放送(ABN) | テレビ朝日系列 | 1991年4月1日開局当日から | ||
静岡県 | 静岡放送(SBS) | TBS系列 | 1965年7月 - 1978年9月29日 | |
静岡けんみんテレビ(SKT) (現・静岡朝日テレビ) |
テレビ朝日系列 | 1978年10月2日から (1979年6月までは日本テレビ系列とのクロスネット局) | ||
富山県 | 北日本放送(KNB) | 日本テレビ系列 | 初回から放送[75] | |
石川県 | 北陸放送(MRO) | TBS系列 | 1965年11月1日[76] - 1991年9月30日 | |
北陸朝日放送(HAB) | テレビ朝日系列 | 1991年10月1日開局当日から | ||
福井県 | 福井放送(FBC)[注 44] | 日本テレビ系列 | 1966年から | |
中京広域圏 | 中部日本放送(CBC) (現・CBCテレビ) | TBS系列 | 初回 - 1964年9月30日 | |
名古屋テレビ(NBN) | テレビ朝日系列 | 1964年10月1日から (1973年3月までは日本テレビ系列とのクロスネット局) | ||
近畿広域圏 | 毎日放送(MBS) | NETテレビ系列 | 初回 - 1975年3月27日[注 53][77](腸捻転解消に伴う移行) | |
朝日放送(ABC) (現・朝日放送テレビ[60][63][62]) | テレビ朝日系列 | 1975年3月31日から(腸捻転解消に伴う移行) | ||
鳥取県 | 日本海テレビ(NKT) | 日本テレビ系列 | 日本海テレビ:1966年1月5日[78] - 1989年9月29日 山陰放送:1972年9月22日から (鳥取・島根相互乗り入れによる) (1972年9月22日 - 1989年9月29日、2局同時放送) | |
山陰放送(BSS) | TBS系列 | |||
島根県 | 山陰放送(BSS) | 山陰放送:1966年4月4日から 日本海テレビ:1972年9月22日 - 1989年9月29日 (鳥取・島根相互乗り入れによる) (1972年9月22日 - 1989年9月29日、2局同時放送) | ||
日本海テレビ(NKT) | 日本テレビ系列 | |||
広島県 | 中国放送(RCC) | TBS系列 | 中国放送:1964年4月6日 - 1971年4月2日 広島ホームテレビ:1970年10月1日サービス放送開始当日から[79] (1970年10月1日 - 1971年4月2日、2局同時放送) | |
広島ホームテレビ(UHT→HOME) | テレビ朝日系列 | |||
山口県 | 山口放送(KRY) | 日本テレビ系列 テレビ朝日系列 | 1966年4月4日から (1978年10月からクロスネット局) | |
徳島県 | 四国放送(JRT) | 日本テレビ系列 | 1966年7月4日から 小川宏ショー(フジテレビ)からネット切り替え[80][81]。 | |
香川県 | 西日本放送(RNC) | 1965年3月1日ネット開始[82] 瀬戸内海放送でのネット開始後もしばらくの間2局同時でネット継続[83][注 54] | ||
香川県 →香川県・岡山県 | 瀬戸内海放送(KSB) | テレビ朝日系列 | 1970年3月30日から、当初は香川県のみ放送 1979年4月2日から相互乗り入れに伴い岡山県でも放送[83] | |
愛媛県 | 南海放送(RNB) | 日本テレビ系列 | 1965年11月1日から[84] | |
高知県 | 高知放送(RKC) | 1966年1月10日から | ||
福岡県 | 九州朝日放送(KBC) | テレビ朝日系列 | 1964年10月のNETテレビ系列フルネット化時から放送 (1964年9月まではフジテレビ系列とのクロスネット局)[85] | |
長崎県 | 長崎放送(NBC) | TBS系列 | 1965年6月1日[86] - 1990年3月30日 10月7日はこの日に開催される長崎くんち中継の特別番組を放送のため、平日がこの日に当たった場合はネット返上 | |
長崎文化放送(NCC) | テレビ朝日系列 | 1990年4月2日(開局2日目)から | ||
熊本県 | 熊本放送(RKK) | TBS系列 | 開始時期不明 - 1989年9月29日 | |
熊本朝日放送(KAB) | テレビ朝日系列 | 1989年10月2日(開局2日目)から | ||
大分県 | 大分放送(OBS) | TBS系列 | 1968年9月から | |
宮崎県 | 宮崎放送(MRT) | 1968年から | ||
鹿児島県 | 南日本放送(MBC) | 開始時期不明 - 1982年9月30日 | ||
鹿児島放送(KKB) | テレビ朝日系列 | 1982年10月1日開局当日から | ||
沖縄県 | 琉球放送(RBC) | TBS系列 | 1968年12月23日から[注 55] |
上述以外の特番などによる放送休止・放送時間変更などは以下の通り。
放送対象地域 | 放送局 | 後番組 | 後番組の 開始時期 |
備考 |
---|---|---|---|---|
青森県 | 青森テレビ | モーニングジャンボ奥さま8時半です (TBS) |
1975年3月31日 | ○ANN脱退・JNN正式加盟に伴うネット開始 本番組は青森放送へ放映権再移行 |
青森放送 | ルックルックこんにちは (日本テレビ) |
1991年10月1日 | ◎青森朝日放送開局に伴うNNSフルネット化でネット開始 | |
岩手県 | 岩手放送 (現:IBC岩手放送) |
小川宏ショー (フジテレビ) |
1969年12月1日 | ○テレビ岩手開局に伴いネット開始 |
テレビ岩手 | ルックルックこんにちは (日本テレビ) |
1980年1月7日 | ●(1980年3月まで)◎(1980年4月から) 本番組打ち切り(メイン系列への番組に変更)に伴い 時差ネット(9:30 - 10:25)からフルネット(8:30 - 10:25)に変更 | |
宮城県 | 仙台放送 | 小川宏ショー (フジテレビ) |
1965年5月1日 | ▲(1970年9月まで)△(1970年10月から) フジテレビ系列朝のワイドショー枠設立に伴う変更 本番組は東北放送へ放映権移行 |
秋田県 | 秋田放送 | ルックルックこんにちは (日本テレビ) |
1992年10月1日 | ◎秋田朝日放送開局に伴い 時差ネット(9:30 - 10:25)から日本テレビとの同時ネット(フルネット、8:30 - 10:00)に変更 |
山形県 | 山形放送 | 1993年4月1日 | ◎山形テレビのネットチェンジに伴うNNSフルネット化でネット再開 | |
福島県 | 福島中央テレビ | 1981年10月1日 | ◎福島放送開局に伴うNNSフルネット化で 時差ネット(9:30 - 10:25)からフルネット(8:30 - 10:25)に変更 | |
山梨県 | 山梨放送 | ZIP!・第2部 (日本テレビ) DayDay.(月 - 木曜第1部・金曜全編) (日本テレビ) |
2023年4月3日 | ◎本番組打ち切りに伴う変更 |
新潟県 | 新潟放送 | モーニングジャンボ奥さま8時半です (TBS) |
1981年3月30日 | ○新潟総合テレビへの本番組の放映権移行でネット開始 |
新潟総合テレビ (現:NST新潟総合テレビ) |
おはよう!ナイスデイ (フジテレビ) |
1983年10月3日 | △新潟テレビ21開局に伴うFNN・FNSフルネット化で フジテレビ系列朝のワイドショーの2年半ぶりのネット再開 | |
長野県 | 信越放送 | モーニングジャンボ奥さま8時半です (TBS) |
1980年10月1日 | ○テレビ信州開局に伴うネット開始 |
テレビ信州 | ルックルックこんにちは (日本テレビ) |
1991年4月1日 | ◎長野朝日放送開局に伴うNNSフルネット化(NNS加盟)で 時差ネット(9:30 - 10:25)から日本テレビとの同時ネット(フルネット、8:30 - 10:00)に変更 | |
静岡県 | 静岡放送 | モーニングジャンボ奥さま8時半です (TBS) |
1978年10月2日 | ○本番組の静岡県民放送への放映権移行に伴いネット開始 |
石川県 | 北陸放送 | モーニングEye (TBS) |
1991年10月1日 | ○北陸朝日放送開局に伴いネット開始 |
近畿広域圏 | 毎日放送 | モーニングジャンボ奥さま8時半です (TBS) |
1975年3月31日 | ○腸捻転解消に伴い朝日放送から放映権移行 |
鳥取県 →鳥取県・島根県 |
日本海テレビ | 朝の連続ドラマ (読売テレビ) ルックルックこんにちは (日本テレビ) |
1989年10月2日 | ◎本番組打ち切りに伴う変更 『朝の連続ドラマ』は時差ネット(10:25 - 10:50)から読売テレビとの同時ネット(8:30 - 8:55)に変更 『ルックルック』は時差ネット(9:30 - 10:25、一部コーナーをカット)から時差ネット(8:55 - 10:25、読売テレビと同一編成並びにフルネット)に変更 |
広島県 | 中国放送 | モーニングジャンボ (TBS) |
1971年4月5日 | ○広島ホームテレビへの一本化に伴いネット開始 |
長崎県 | 長崎放送 | モーニングEye (TBS) |
1990年4月2日 | ○長崎文化放送開局に伴いネット開始 |
熊本県 | 熊本放送 | 1989年10月2日 | ○熊本朝日放送開局に伴いネット開始 | |
鹿児島県 | 南日本放送 | モーニングジャンボ奥さま8時半です (TBS) |
1982年10月1日 | ○鹿児島放送開局に伴いネット開始 |
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