小島一慶

日本のアナウンサー ウィキペディアから

小島 一慶(こじま いっけい、1944年昭和19年〉10月2日[1] - 2020年令和2年〉4月23日)は、日本フリーアナウンサー。元TBSアナウンサー、司会者。俳人(「玉藻」同人[6])。

概要 こじま いっけい小島 一慶, プロフィール ...
こじま いっけい[1]
小島 一慶
プロフィール
本名 小島 一慶
こじま かずよし[2]
出身地 日本の旗 日本 長崎県[1]長崎市[3]
生年月日 (1944-10-02) 1944年10月2日[1]
没年月日 (2020-04-23) 2020年4月23日(75歳没)
血液型 O型[4]
最終学歴 日本大学芸術学部放送学科卒業
所属事務所 フリーランス[5]
職歴 TBSアナウンサー→テレビ朝日専属契約
活動期間 1968年 - 2008年
2014年 - 2020年
ジャンル バラエティ・情報・ニュース・テレビショッピング番組
出演番組・活動
出演経歴 どうぶつ奇想天外!ナレーションなど
備考
玉藻」同人
閉じる

本名の漢字表記は同じだが、名前の読みは「かずよし」である[2][4]長崎県[1]長崎市出身[3]

faviconfaviconfavicon
4 sources

来歴

母子家庭育ちで[3]、本人曰く「貧しかった」[7]。一家には、旅回りの役者だった祖父、博打打ちで「明烏のおはつ」と呼ばれていた祖母もいた[7]。祖父が時折酒乱で暴れていたことから母は耐えられず別居して、子供のころの小島も身に危険を感じると母の元へ逃げ込んでいたということもあった[7]

幼稚園時代から演劇に熱中するようになり[3]、また浪曲が好きで、子供の頃は浪曲師役者になりたいと思っていた[7][8]。中学入学後はすぐに演劇部に入部[3]長崎県立長崎東高等学校に在学していた高校生時代も部活は演劇部で、高校で生徒会長になった時には演劇部の予算を4倍にしたことがあった[9]

しかし高校3年生のある日に東京に出て来た時に、芸術座菊田一夫の右腕として[8]演出の仕事をしていたある先輩に会った時に「役者になっても、10年は食っていけないぞ」と言われた時に、貧しかった家庭で育った自分の境遇を考えて「これは辛い」と思い方向転換を決意、「サラリーマンになろう。なるにしても、面白いことが出来るサラリーマンになる」と思うようになる[10]ラジオドラマの『鞍馬天狗』で芥川隆行のナレーションに魅了されたことがあったことからナレーターになることを考え付いたが、ナレーターがサラリーマンの何物かその時はわからず、更に考えて思い付いたのが、舞台中継もナレーションも出来るだろうとしたアナウンサーだった[10]。アナウンサーを目指すようになったのは、少年時代よく聴いていた『コーセー 今週のベストテン』や『ラ・セーヌ ヒットソングアワー』(ニッポン放送)のことも頭にあったという[10]

日本大学芸術学部入学後はアナウンス研究会に入会[9]。就職活動ではTBSの他NHK日本テレビフジテレビニッポン放送など総なめにするつもりで受験するも全て不合格[10][8]卒業論文の単位だけ残して留年することにし、留年中はTBSでアシスタントディレクターのアルバイトをしていた[9][8]。そして次の年はTBSだけを受験、合格して入社に至る[9][8]

1968年(昭和43年)4月、TBSにアナウンサー13期生として入社(同期には松永邦久池田園子石井和子見城美枝子郷司淑子菅原牧子[11][12]。深夜放送『パックインミュージック』の火曜日を担当したほか、『一慶・美雄の夜はともだち』のパーソナリティを先輩アナの林美雄と交替で務めたりと、ラジオにおいて精力的に活躍していた。先輩アナの久米宏が『ぴったし カン・カン』を降板した際には小島が引き継いだ。

上司から営業部門への異動が打診されたが[13][14]1990年3月にTBSを退社[15][16][13][14]

TBS退社後はテレビ朝日専属契約を結び、テレビ朝日専属キャスターとして『ホットライン110番』の司会を務める。しかし1991年、不倫騒動で全番組を降板し[1][17]、長期休養する[18]

その後はTBSを中心に他局の情報番組・ニュース番組・テレビショッピング番組などにも出演。また、TBSテレビの『どうぶつ奇想天外!』のナレーション、TBSラジオの『明日も元気!』にも出演していたが、婦女暴行容疑で刑事告訴されたことを受け、2008年12月31日で両番組の出演を降板、所属事務所の佐藤企画[4]からも契約満了と同時に退職した[19][5]。本件は示談が成立し告訴は取り下げられている[20]

2014年に復帰。3月には赤坂BLITZで『パックインミュージック』のイベントを白石冬美と行った[21]。その後も、古巣のTBSラジオを中心に活動していた。

2020年4月23日午後5時55分、肺がんのため、東京都内の病院で死去[22]75歳没

faviconfaviconfaviconfaviconfavicon
17 sources

人物

妻はTBSアナウンサー同期の池田園子[3]

趣味は麻雀で、大学生の時にアルバイト先で麻雀を覚えて以来病み付きのようになったとのこと。若手の頃は、ディレクターやスタッフ、TBSの在る赤坂の町内会の人達ともよく雀卓を囲んでいたという[3]。また、パチンコ好きなところもある[23]

俳句も趣味で[24]、俳句結社「玉藻」の星野高士に師事[6]、カルチャー教室で講師もしている[6]

faviconfaviconfavicon
3 sources

出演番組

TBS

テレビでの出演番組

さらに見る 期間, 番組名 ...
期間番組名役職
1971年 モーニングジャンボコーナー随時出演
1974年4月10日 寺内貫太郎一家 第14話『広沢道彦』役でのゲスト出演
1977年10月1979年3月 飛べ!孫悟空案内役
1977年1979年9月 ロッテ 歌のアルバム 千と一慶生放送[25]司会
時期不明 ザ・ベストテンラジオベストテン情報TBSラジオ担当
1979年10月1980年3月 ペア対抗クイズ合戦司会
1982年10月1983年3月 社長ゲームハイ&ロー
1983年 ザ・チャレンジャー
1984年1989年9月 情報デスクToday
1984年6月1985年9月 ぴったし カン・カン[26]
1988年4月1989年1月 新まんがなるほど物語ナレーター
閉じる

ラジオでの出演番組

フリー転身後の出演番組(テレビ朝日専属契約→フリーとして)

さらに見る 期間, 番組名 ...
期間番組名役職
1990年4月1990年9月 CNNデイブレイクメインキャスター兼『ANNニュースフレッシュ』担当キャスター
※いずれも金曜日担当
1991年3月 ホットライン110番月・火曜日担当司会
こだわりTV PRE★STAGE月曜日レギュラー出演
閉じる
以下はフリー転身後の出演番組

報道・情報番組

さらに見る 期間, 番組名 ...
期間番組名役職
1994年4月1995年9月 ニュースもぎたて朝一番テレビ東京キャスター
1999年10月2007年9月 ともちゃん家の5時山梨放送北口家の父『いっけい』を肩書きでのレギュラー出演
閉じる

バラエティ・紀行関連・ラジオ番組・その他

favicon
2 sources

出演映画

音楽

出演映像作品

ビブリオグラフィ

著書

  • 僕も人前ではしゃべれなかった : 口のきき方、つき合い人間学(1988年、文化創作出版〈マイブック〉)
  • 結婚ショートスピーチ集 : 心にのこる!すぐに使える実例110 90秒・120秒(1991年、徳間書店〈トクマのP&Pブックス〉)

関連項目

favicon
1 sources

脚注

参考文献

外部リンク

Wikiwand in your browser!

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.

Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.