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日本のジャーナリスト、政治評論家 (1950-) ウィキペディアから
田﨑 史郎(たざき しろう、1950年〈昭和25年〉6月22日[1] - )は、日本のジャーナリスト、政治評論家。姓の「﨑」[2]はいわゆる「たつさき」であるが、JIS X 0208に収録されていない文字であるため、代わりに「崎」を用いて田崎 史郎と表記されることも多い。
福井県出身の政治評論家であり中央大学法学部卒業後、時事通信社に入社する。政治部や編集局の次長を経て解説委員となり、のちに解説委員長も務めた。
定年後も時事通信社において特別解説委員として在籍したが、2018年に退いた。その後はフリーランスの政治評論家として活動を続けている。また、駿河台大学で客員教授として非常勤で教鞭を執った。
福井県坂井郡三国町(現・坂井市)生まれ[1]。福井県立藤島高等学校を卒業後、中央大学法学部に入学する。入学当初は法律家を目指していた[3]。大学2年時に三里塚闘争へ参加、凶器準備集合罪で逮捕のうえ13日間留置(勾留)される[4]。
1973年3月に中央大学を卒業し、同年4月に時事通信社へ入社。経済部を経て、1975年に浦和支局に異動を命じられたが、少数派の労働組合に所属していたことを理由にした左遷で不当労働行為であるとして会社を提訴。その後、3年3か月後に政治部へ異動することを条件に和解。1979年に政治部に異動となり、内閣総理大臣である大平正芳の番記者[5]になる。以後、新自由クラブ、外務省担当を経て、1982年4月人事にて、田中派を担当[6]。以来、ずっと平成研究会を中心に政治記者として活動し、並行して、整理部にて、整理部長、編集局総務としてトータル8年勤務し、解説委員に異動。2006年から解説委員長となり、以後、民放キー局の報道、ワイドショー、バラエティ番組にて政局解説として出演する様になる[7]。
2010年6月30日付人事にて、定年後の再雇用にて引き続き勤務し[8]、再雇用契約が終了後に特別解説委員の肩書で再度、会社と契約[9]。2018年6月末付けにて、内規の68歳に達し、特別解説委員を退職[10]。
時事通信社の特別解説委員を退いてからは、フリーランスの政治評論家として、メディアでの言論活動を継続している。2019年1月15日より、駿河台大学にて客員教授を務めた(退任時期不明。2024年2月時点で大学HPに名前がない[11])。浅野健一が在職の件について大森一宏学長と田崎に問い合わせたところ、両人からは応答なし、「質問には答えない」という返信のみが大学総務課名で返って来たという[12]。
全て番組が終了している。
いずれも、立憲民主党衆議院議員・小川淳也のドキュメンタリー作品
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