日本体育大学
日本の私立大学 ウィキペディアから
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日本体育大学(にっぽんたいいくだいがく、英語: Nippon Sport Science University)は、東京都世田谷区深沢七丁目1番1号に本部を置く日本の私立大学。1893年創立、1949年大学設置。大学の略称は日体(にったい)、日体大(にったいだい)、NSSU(旧略称NCPE)。
日本体育大学 | |
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大学設置 | 1949年 |
創立 | 1893年 |
学校種別 | 私立 |
設置者 | 学校法人日本体育大学 |
本部所在地 |
東京都世田谷区深沢七丁目1番1号 北緯35度37分18.40秒 東経139度38分57.30秒 |
キャンパス |
東京・世田谷(東京都世田谷区) 横浜・健志台(神奈川県横浜市青葉区) |
学部 |
体育学部 スポーツ文化学部 スポーツマネジメント学部 児童スポーツ教育学部 保健医療学部 |
研究科 |
体育科学研究科 教育学研究科 保健医療学研究科 |
ウェブサイト | https://www.nittai.ac.jp/ |
1891年(明治24年)に日高藤吉郎により東京・牛込区原町の成城學校(現・成城中学・高等学校)内に設立された「體(体)育會」(翌1892年に「日本體育會」と改称)を起源とする。
1893年(明治26年)日本體育會體操練習所(当初国民体育「社会体育等」の体育指導者養成を目指すがのちに体育教員養成にも幅を広げる)、日本體育會體操學校(当時の略称-体操学校)(「高等科・高等師範科・女子部高等科」)を経て、専門学校令による日本體育専門學校(本科・師範科・女子師範科)となった。体操練習所時代から教員養成には実績・定評があり、全国からスポーツの指導者・体育教員志望者・スポーツ好き・運動能力の高い受験生が殺到した。
幻となった1940年(昭和15年)東京オリンピックには多くの在校生(日本代表選手・競技役員・補助員「ボランティア」等)の参加が見込まれていたが、戦争の勃発は「敵性スポーツ」を悉く禁止に追い込んだ。いつしか「体育」も「軍事教練」に名を変え、在校生の多くが戦地に倒れていった(戦死學生の碑、日體生「戦死400名弱」-学徒の碑が本部世田谷深沢キャンパス西に有る)。この過去を忘れることなく第二次大戦後の1949年(昭和24年)、「民主体育」をスローガンに日本体育大学が開学した。
日体大はオリンピックと日本で最初に折衝を持った大学としても知られている。體操練習所が開設されたのは、国際オリンピック委員会(IOC)が結成された1894年のちょうど1年前。第2回のオリンピック競技大会がパリで開催されたのは1900年である。その年のオリンピック総会(当時、万国体育会議、今のIOC総会)に、日本代表として招待されたのが日本體育會體操練習所(現日体大)だった。以来、日体大はオリンピックと深い関係を保ちながら日本のスポーツの振興に貢献し、今に至っている。創設133年(2023年)アジア最古の歴史を持つ体育大学である。
建学の精神に創設者日高藤吉郎による「全国民が強健な体力を保持しなければ、国家の発展は望めない。」との信念を持つに至り「體育富強之基」(たいいくふきょうのもとい)を掲げている。
国民体育の振興、真に豊かな国家・社会を実現するため、体育・スポーツの普及・発展を積極的に推進し、健全な心身を兼ね備えた全人格的な人間を育成することを建学の理念としている。そのような校風は、「質実剛健・団結和協」「知徳兼修・体育奉公」と校歌の詞にも謳われている。校歌は、日本を代表する作曲家呉泰次郎(ごうたいじろう)が作曲し、国文学者の近藤忠義が作詞した。現在の校歌は、知徳兼修・体育奉公の2番・4番は割愛され、1番・3番を1・2番として歌われている。
日体スピリット(日体魂)「チャンス(Chance)の像」(1954年-昭和29年建像)の云われ、世田谷深沢キャンパス正面左側に競技者の銅像がある。ちょうどラガーメンが前方の体育館にパスをしようとしているシーンを表現したもののようである。この像はチャンスと命名(命名者は初代学長 栗本義彦)されている。「ポイントゲッターになるよりも、チャンスメーカーになれ」、「トライゲッターであるよりも、チャンスメーカーたれ」という言葉はラガーマンのためのキャッチフレーズだが、ラグビー以外のスポーツウーマン・スポーツマン一般(ラグビー部員以外一般学生)生にも当てはめた標語を通して、日体大が目指そうとしている教育理念を表明しょうとしたものである。真のチャンスメーカーに徹する生き方こそが日体スピリット(日体魂)である。※大学案内要綱一部抜粋、元日本体育会総裁閑院宮載仁親王直筆の建学の精神「體育富強之基」の額と肖像画が本部世田谷深沢キャンパスに掲げられている。
日本の中核をなす体育・スポーツ科学 (Sport Science) の専門大学という位置づけにあり、その歴史(体育大学系・スポーツ学科系で最古)の中で、数多くのオリンピック代表選手、世界選手権代表選手、体育教諭(スポーツ指導者「監督・コーチなど」)、養護教諭、更にはスポーツ科学者(スポーツ研究家)を輩出している名門体育大学、近年は国際的に活躍する指導者の育成にも力を入れている。
伝統的に保健体育の教員養成(養護教諭を含む)を目的としていることもあり、同校出身のプロスポーツ選手[1] は他大学と比較しても多くはない。むしろ、プロ組織を持たない比較的マイナーなアマチュアスポーツにおいて世界レベルの選手を数多く育成しており、日本スポーツ界の底上げを担っている。2012年ロンドンパラリンピックにおいては、井田朋宏・石田直章・江黒直樹など監督・コーチとして8名の卒業生が参加した。
2012年ロンドンオリンピックにおいては選手23名(日本のメダル獲得数38個の内の10個獲得[2])、2008年北京五輪においては26名、2006年アジア競技大会(カタールドーハ大会)においては51名の選手を輩出している。1912年(大正元年)スウェーデンストックホルムオリンピック初出場から第29回北京オリンピックまでの日本代表選手団のメダル獲得数の4分の1を日体大(在校生・学部院卒業生)関係者が獲得している。その実績などから実技の日体大(体育・スポーツ「科学」の日体)と云われる所以は今なお受け継がれている。
東京・世田谷キャンパスは「体育・スポーツ科学の総合大学」にふさわしい都市型・高度情報型キャンパスに再開発(2011年完成)され、これに伴い教育・研究カリキュラムの抜本的な改革に着手している。世田谷キャンパスの設計は久米設計により行われた。
体育・スポーツの殿堂、明治時代中頃に創設された體(体)育會の下に設置された体操練習所(のち体操学校)からスタートした体育系(体育学・体育科学・スポーツ科学)大学の老舗である。そして、体育学から波及した色んな学科をいち早く取り入れた。例えば健康学科を体育系大学で初めて設置し、保健分野(養護「保健」学・生理学・健康学・公衆衛生学)でもよく知られ、伝統の体育指導者(体育教員‐高等学校教員、中学校教員・スポーツ指導者・スポーツ科学者等)輩出のみならず、養護教員・小学校教員・特別支援学校教員・医療関係従事者のOG・OBも多く輩出している。現在、健康学科ソーシャルサポート領域(旧社会福祉コース)においては、在学中(または卒業後)に社会福祉士の国家資格を取得し、福祉関係の仕事に就く学生もいる。
日体大生の就職志望は教員が一番多く(高等学校教員採用試験合格者数「現役生卒業生含む」全国大学ランキング第3位2023年度)次に公務員(警察官・消防官・刑務官・防衛省職員自衛官、県「市」職員等)などが多い。進学者は8%程度で日体大大学院・筑波大学大学院・早稲田大学大学院・東京農工大学大学院・各都道府県国立大学大学院等数名が進学している。
スポーツを嗜む大学生(体育会部員)、スポーツ系学部学生には略称の「日体(にったい)」は広く認知されているが、一般学生・一般市民には「日体大(にったいだい)」で全国的によく知られている。特にオリンピック開催年には日体大関係者(学生、学部・院卒選手、コーチ等含む)の活躍により、よく話題になる大学である。学生の大半が運動系・文化系問わずクラブかサークルまたは学外実業団クラブ・スポーツクラブ等に入部し、練習・研究活動に切磋琢磨している。運動系(部・サークル)はインターカレッジ優勝を目指しているクラブが多い。因みにインカレの優勝旗が18旗有り、近年スポーツ学部(学科・コース)などを設置しクラブを強化する総合大学が多い中、単科大学では奮闘している。単科大学でのスポーツの強豪は、数えるしかなく、野球・ゴルフの東北福祉大学など数校である
2013年7月第27回ユニバーシアード競技大会(WORLD UNIVERSITY GAMES)ロシア・カザン大会選手監督関係者75名を派遣、日本の国別メダル総獲得数第2位(84個)に貢献した。日体大関係者のメダル総獲得数20個の内訳は、金メダル5個・銀メダル10個・銅メダル5個。
2016年7月・8月ブラジル開催リオオリンピック日本代表(団体競技・個人競技含む)選手数(大学・大学院在校生・卒業生含む) 1位日体大28名 2位早稲田大学18名 3位日本大学17名 4位筑波大学10名 明治大学10名 6位国士館大学9名 山梨学院大学9名 8位東洋大学8名 9位順天堂大学7名 東海大学7名 法政大学7名 中京大学7名であった。
卒業は通常の単位取得のほか、過去に中途退学した学生でも「3年以上の在籍で100単位以上の取得。その後の社会的な活躍や貢献によって、特別卒業認定証を授与する」という規約の適用を教授会が認めれば卒業となり、千葉真一が2013年3月10日に特別卒業認定証第1号として承認されている[3][4][5][6][7]。翌2014年3月10日には前年度の千葉に引き続き、本田大三郎と松木安太郎が同認定で卒業した[8][9][10]。
エッサッサとは、日本体育大学で伝統的に行なわれている応援スタイル及び運動のこと。大学生活において、新入生特別活動(前期授業の一環)で教えられ、習得した後は各部祝勝会等で凱歌として披露されることが多い。新入生特別活動においては、エッサッサ(女子学生は荏原体育)を初め学校体育(行事)等で必要な集団行動の訓練、校歌指導なども行われている。荏原体育(えばらたいいく)とは、伝統的に行われている女子学生による応援スタイル運動のこと、体育研究実演発表会での「集団行動の演技」は、エッサッサほどではないが、教育界では著名である。
エッサッサは大正時代後期に各学校でスポーツ応援が盛んとなり、東京高等商船学校(現東京海洋大学)の応援歌「錨をあげて」や[11]、東京農業大学の「青山ほとり」[12]、などに対抗するスタイルのものを求めて、前身の体操学校在校生であった平井一が考案した。
当時、アメリカから導入された「ピストン・ロッジ・アームモーション走法」を参考に、掛け声を「エッサッサ」と定めたことに始まる。また、そのエッサッサという雄たけびを上げるのと同時に己の想いを乗せて体外に放出するといわれ、現在の諸手の拳を交互に前方へ押し出すモーションも初期のピストン・ロッジ・アームモーション走法から進化して気持ちを乗せることから現在の形になった。
日体大卒業生が体育教師として着任した全国の一部の高等学校や中学校にも広まり、体育祭・運動会などで男子のマスゲームの一環として披露されることがある。
一般的(公式)に頭に長めの白鉢巻を巻き上半身裸、白い短パンを着用し、裸足のスタイルで行う。肉体の美、精神の美(雄たけび等)、集団の集合離散の美を追求する。なお、横浜健志台キャンパスには井上久照作の「エッサッサ像」が建立されている。
2013年9月に行われた東日本大震災復興支援 スポーツ祭東京2013(第68回国民体育大会兼第13回全国障害者スポーツ大会)の総合開会式で、応援パフォーマンスとして「エッサッサ」が演じられた[13]。
過去、学校の体育祭プログラムで定番だった組体操(組み立て体操)・騎馬戦・棒倒しなどが、重大な怪我の発生などにより、プログラムからなくなりつつあるが、そうした中、地域に拠っては怪我の少ないエッサッサ・集団行動が再び見直されプログラムに組み込まれることがある[14]。
集団行動の訓練(女子大生編)が2011年11月8日・15日・22日、12月13日にテレビ朝日系番組トリハダ(秘)スクープ映像100科ジテンで紹介された。集団行動のメンバーの称号はNTF45(エヌテイエフ フォーティーファイブ)で、NはNIPPON(日本)、TはTAIIKUDAIGAKU(体育大学)、Fは(FAIRY)妖精を表す。女子大生45人が美しい演技をする妖精の様になって欲しいという願いから生まれた。
(沿革節の主要な出典は公式サイト[15])
世田谷本館、横浜・健志台分館に約48万冊の蔵書をもつ。国内外の体育・スポーツに関する文献が特に充実している。一般公開され広く一般人にも利用されている。
「設置機関」(学則第7条)のひとつ。日本体育大学におけるスポーツ科学研究活動の推進・支援を目的に設立された。電子ジャーナルの 『日本体育大学スポーツ科学研究』 を刊行している。学則の第7条の3によると当センターに「体育研究所、オリンピックスポーツ文化研究所及びスポーツ危機管理研究所を置く」とされている。
スポーツ科学、スポーツ医学に関する計測機器を多数そろえる。学外にも保有機材の利用に門戸を開いている。
「設置機関」のひとつ(学則第7条)。「アスレティックデパートメントにハイパフォーマンスセンター、コーチングエクセレンスセンター及びスポーツ・トレーニングセンターを置く」(学則第7条)とされている。
通称トレセン。トップアスリートの競技力向上などを目的とした施設。国内指折りの充実したトレーニング施設には学外からの利用もある。
学則第7条の2によると「スポーツキュアセンター(保健医療学部附属整骨院)」となっている。
当機構内に「スポーツプロモーションオフィス」が置かれている。
学生・教職員等の心身両面の健康管理に携わっている。
これまで教員養成やスポーツ選手育成を大学教育の主眼としてきたこともあり、教員・学生(大学院生)共に充分な研究環境が整っているとはいえない状況にあった。そのため、大学院博士後期課程の設置から10年を経た2008年、研究活動の振興を図るための基本事項を定めた「基本計画(5ヶ年計画)」が策定された。
2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会に向けて、文部科学省が実施する「スポーツ・アカデミー形成支援事業」の委託先大学(Bタイプ)に採択された[29]。オリンピズムの普及とスポーツ医科学研究の推進を図るため、同じく採択を受けた筑波大学及び鹿屋体育大学と連携し、各国の体育・スポーツ系大学とのネットワーク構築を目指している。
バスケットボール部
玄関横には「八田一朗」の銅像が建てられている。
学術・スポーツ交流協定締結校
外務省が渡航自粛を求めいてる北朝鮮に運動部員を遠征させている。遠征の理由について大学側は「政府間の状況は十分に理解しているが、合同練習を通じて友好関係を深めたい」と説明している[38]。松浪理事長コメント「スポーツ交流が目的、全ての国と仲良くする。平和を求める日本国だとアピールしなければ、オリンピック(東京)の招致もうまくいかないと思う。今回の遠征は北朝鮮からの招待という形で実現した。その経緯は外務省も理解している。」
共に横浜市青葉区を支援している。
AOBA Baseball Festa 毎年交流戦が実施される。年度・大学事情によって参加校は変わる。
2014年6月、名城大学と学校法人同士の立場から包括連携協定を締結している。
2011年5月から、学生と教職員によるチームが東日本大震災の被災地を訪れて支援活動を行っている。2012年は、福島・宮城・岩手の各県で「日体大スポーツキャラバン」と題して体育研究発表実演会も開催した。
教育研究の成果等を広く開放し、地域・社会に貢献するために「地域・社会貢献推進委員会」を設置し、行政と連携しながら、世田谷区や横浜市の小・中学校での教育活動支援など、地域密着の地域・社会貢献活動に取り組んでいる。また、学生による地域・社会貢献活動も盛んで、ゼミ生によるプロジェクトや、クラブによる子供も向けスポーツ教室の開催、日体フェステバル・体育実演発表会等での地域住民との交流など、多様に展開されている。
2016年1月、日体大3年のボクシング部員が東京都渋谷区の路上で警視庁の警察官から職務質問を受けた際、「減量の時に使う利尿剤です」と説明し、警察官が運転免許証を確認中に免許証を奪い取って逃走。その後、渋谷署が5月末、川崎市の自宅で大麻約7グラムを所持していたとして、大麻取締法違反容疑で現行犯逮捕した。東京地検が6月に起訴した。[39][40]保釈後自ら退学願いを提出。自主退学。
2009年3月23日、陸上競技部所属の学生が横浜市青葉区内にある同部跳躍ブロック合宿所内で大麻を栽培、関東信越厚生局麻薬取締部から取り調べを受けていたことが発覚。このリークに引きずられる形で、大学は同月5日付で3年生1人を退学処分とし、陸上競技部の部長・監督・コーチを解任したことを明らかにした。
その後26日、当時の学長が記者会見に出席し、退学処分を科した学生と同じ競技グループ(跳躍ブロック-棒高跳び、走り幅跳び、三段跳び等)に属していた男子46名もの選手に無期限の活動停止処分を科したと発表した。陸上競技部全体には当初、事件が発覚した翌日から10日間の活動停止処分を下したが、間近に迫っていたユニバーシアード夏季大会の代表選考会に選手(跳ブロック以外の選手)を派遣するため、これを5日にまで短縮していたことも明らかになった。
さらに、跳躍ブロック合宿所が大麻取締法違反容疑で関東信越厚生局麻薬取締部の捜索を受けた際、カラーコピー(裏が白紙の紙幣等も含まれていた)偽札数枚が見つかっていたことが25日になって発覚する。これを受けて神奈川県警が通貨偽造容疑で捜査を進める事態となった[41][42]。
これら一連の犯罪発覚を受け、関東学生陸上競技連盟は陸上競技部全ブロック-「長距離ブロック(駅伝部)」を含む箱根駅伝・全日本大学駅伝・出雲駅伝のシード権はく奪、3ヶ月の出場停止、関東インカレ2部校への降格などの処分の裁定をした。しかし日体大は、「大麻の問題はまだ起訴されていない」「紙幣のコピーは紙幣偽造で起訴されるような事件ではない」「当該学生を退学処分としており、陸上競技部の学生(約400人)に連帯責任を負わせるのは筋違い」との主張を展開、処分撤回を求めた反論文を学長名で提出した[43]。これに対し連盟は処分を変更せず、日体大を厳罰に処する姿勢を明らかにした[44]。
2009年9月、レスリング部所属の男子学生が強姦致傷容疑で逮捕された。のち退学処分。日体大は10月15日になって、レスリング部に対して無期限の活動停止処分を科し、部長と監督を解任することを発表した。2010年9月27日、活動停止処分をおえた。その後9月27日以降の公式戦出場を日本レスリング協会も容認、出場が許可された[45]。
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