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日本ハンドボールリーグ

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日本ハンドボールリーグ(にほんハンドボールリーグ、: Japan Handball League)は、日本トップリーグ連携機構に加盟する一般社団法人日本ハンドボールリーグが主催する日本のハンドボールリーグである。1976年に創設された。2024-25年シーズンよりリーグHを愛称とする。同シーズンは、男子14チーム、女子11チームでともに1部のみのリーグで構成される(2部リーグに相当する下位リーグはチャレンジ・ディビジョンだが、昇降格制度はない)。

概要 日本ハンドボールリーグ Japan Handball League, 競技 ...
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歴史

要約
視点

日本リーグ開幕 1970年代

全日本実業団ハンドボール選手権1974年から開催地を転々するサーキット方式の「日本実業団リーグ」として開催されていたが、1975年に全日本実業団ハンドボール連盟が「日本リーグ」への改称を検討[1]。同年10月には準備委員会(日本ハンドボール協会・全日本実業団ハンドボール連盟)が開かれ、全日本実連側が男女各8チームの春・秋2回戦総当たりで行うことを説明。日本協会・全日本実連の共催として全国代議員会へ提案することが決まった[2]。しかし、11月の日本協会月例常務理事会で荒川清美理事長が「日本実業団リーグを日本リーグと改称するだけでは、前向きの検討にはならない」と不満を表し、日本協会側で再検討されることになった[3]。その後12月の月例常務理事会で「日本リーグ基本構想」を全国代議員会や理事会へ提案することが決まった。「日本リーグ」は日本協会の新事業として発足することも決定。加盟チームについては日本協会が定めるランキングによって候補をノミネート(男子77チーム、女子70チーム。いずれも延べ数)し、加盟意思のあるチームを最高8チームまで選出。ノミネートは荒川理事長の「日本リーグは全国関係者の支持によって実施されなければならない」という考えによって、実業団以外にも学生チームや教職員チームも候補となった[4]が、学生勢は「学業との両立」や「財政面」などの理由から全校不参加となった[5]

1976年3月から加盟候補チームの手続きが行われ、同年9月4日の開幕予定や1回総当たりで行うことが決定[5]4月15日に加盟申し込みが締め切られ、男子10チーム、女子9チームがエントリーした。そのうち男子は7チーム(大同製鋼湧永薬品本田技研鈴鹿、大阪イーグルス、三景、大崎電気、三陽商会)、女子も7チーム(日本ビクター、立石電機ブラザー工業、東京重機工業、大崎電気、東北ムネカタ、日立栃木)の加盟が決定[6]。残りの1枠は男子が3チーム(日新製鋼呉、トヨタ車体、神戸製鋼)、女子は2チーム(ジャスコ、大和銀行)で第8チーム決定戦が行われ[7]、男子は日新製鋼呉[8]、女子はジャスコが日本リーグ入りを決めた[9]。また、運営委員会の委員長に日本協会の徳永陸繁が選出された[10]

1976年9月4日に日本ハンドボールリーグ開幕。4節10日間の男女各28試合が行われ、男子は大同特殊鋼、女子は立石電機が優勝。リーグ終了後に行われた運営委員会で第2回リーグの試合方式(2回総当たり)や、1976年度の「2部大会」の実施が決定された[11]。2部大会の上位2チームが日本リーグの下位2チームと入れ替え戦を行う予定だったが、エントリーが男子は三菱レイヨン大竹、神戸製鋼の2チーム、女子は大和銀行のみにとどまったため、2部大会の開催を中止し、そのまま入れ替え戦を行うこととなった[12]。リーグ側は7位の日新製鋼呉と8位の三陽商会が参加。女子は8位の東北ムネカタが参加した。男子の結果は日新製鋼呉がリーグ残留、三陽商会が降格し、三菱レイヨン大竹のリーグ加盟が決定。女子は大和銀行が東北ムネカタに勝利し、リーグ加盟を決めた[13]

1977-78年シーズン終了後の入れ替え戦では、男子7位・日新製鋼呉の残留が決定。8位の三菱レイヨン大竹が公式戦を辞退したため、三陽商会が2年ぶりに復帰を果たした。女子は7位・東京重機と8位・大和銀行が降格し、東北ムネカタと北國銀行のリーグ入りが決まった[14]

1978-79年シーズンの入れ替え戦は女子8位の北國銀行が残留。7位の東北ムネカタが降格し、大和銀行の復帰が決まった[15]。また、運営委員長の徳永陸繁が任期満了に伴い退任し、後任に安藤純光が就任した[16]

2部リーグ開幕 1980年代

1979-80年シーズンは男子が6チームに縮小。女子は1回総当たりへ変更された[17]。この年から2部リーグ(アダルト・リーグ)が発足され、男子は前シーズン下位2チームの大崎電気と三景が加わった[18]ほか、自衛隊勝田、セントラル自動車トヨタ車体、日鉄建材の計6チームが参加。女子は入れ替え戦で降格したムネカタのほか、東京重機工業と和歌山県商工信用組合の3チームが参加した[19]。シーズン終了後の入れ替え戦では、男子は1部5位の大阪イーグルス、6位の三陽商会がそれぞれ残留を決めた。女子は1部7位の北國銀行が残留。1部8位の大和銀行が2部へ降格し、2部1位の東京重機が3年ぶりの昇格を果たした[20]

1980-81年シーズンは男女ともに1回総当たりへ変更。女子1部の日本ビクターはリーグ初となる女性監督に池田二三恵が就任した[21]。シーズン終了後の入れ替え戦では、男子は1部5位の大阪イーグルス、同6位の三陽商会が前年に引き続き残留。女子は1部7位の北國銀行が残留を決めたが、同8位の東京重機の降格が決まり、2部1位のムネカタが1部へ昇格した[22]1981年4月の役員改選で安藤純光委員長の留任が決定[23]

1981-82年シーズンから男子2回総当たり、女子1回総当たりへ変更。2部リーグに中村荷役運輸と大阪ガスが加盟した[24]1982年1月には初のオールスターゲームとなる「第1回日本リーグオールスターゲーム・男女東西対抗戦」が行われた[25]。入れ替え戦では男子6位の三陽商会が2部へ降格し、2部1位の大崎電気が4年ぶりに1部へ復帰。女子は1部8位のムネカタが2部へ降格し、2部1位の大和銀行が1部へ昇格した。また、男子2部の自衛隊勝田が「チームの補強ができず、日本リーグで戦うチーム力がない」との理由で、このシーズン限りで離脱[26]

1982-83年シーズンは女子1部の立石電機にリーグ初の欧州出身選手となる、ユーゴスラビアのカティツア・イレシュとドルベェニャク・ベリツアが加入[26]。入れ替え戦では男子1部の大阪イーグルスが2部へ降格、2部1位の三陽商会が1部復帰を果たした。このシーズン限りで男子2部のセントラル自動車がリーグを脱退した。

1983-84年シーズンは男子2部にトヨタ自動車と本田技研熊本が加入[27]。シーズン終了後に女子1部の8位・北國銀行が2部へ降格し、2部1位の東京重機が1部へ昇格した。

1985-86年シーズンは男女ともに2回総当たりへ変更。女子は6チームへ縮小され、前シーズンの1部下位2チームである東京重機とブラザー工業が2部へ降格した。女子2部にはシャトレーゼ、ソニー国分が参入。開幕当日の深夜に大同特殊鋼の選手2名が暴行事件によって逮捕された[28]ため、大同特殊鋼がリーグ途中の2日目で棄権[29]。シーズン終了後に大同特殊鋼の2部降格が決まり、2部1位の三景が1部への自動昇格が決まった[30]

1986-87年シーズン終了後の入れ替え戦で男子1部5位の三陽商会、同6位の三景が2部へ降格。2部1位の大同特殊鋼と同2位のトヨタ自動車が1部へ昇格した。

1987-88年シーズンはソウルオリンピックのアジア予選が開催されたため、日程が大幅に変更された。前期リーグが中止となり、1987年9月に代替大会として1部・2部混成の第1回JHLカップが開催[31]。リーグ戦は1988年1月に開幕され、男女1回総当たりへ変更された[32]。同シーズンは男子2部に豊田自動織機が新たに加入。シーズン終了後の入れ替え戦では、男子1部5位の大同特殊鋼が残留を決めたが、同6位のトヨタ自動車が2部へ降格、2部1位の三陽商会が2年ぶりの1部復帰を決めた。女子は1部5位の日立栃木が残留。同6位のジャスコが2部へ降格し、2部1位のシャトレーゼが1部へ昇格した[33]

1988-89年シーズンは2回総当たりで運営された。入れ替え戦では女子6位の日立栃木が2部へ降格し、2部1位のジャスコが1部復帰を果たした。同シーズン限りで男子2部7位の大阪ガスと8位の日鉄建材がリーグを離脱。

1989-90年シーズンから男子2部に日本電装と竹芝精巧が加入。入れ替え戦では女子1部5位のジャスコが2部へ降格。2部2位の北國銀行が7年ぶりに1部へ昇格した。

プレーオフ導入・経済不況でチーム減少 1990年代

1990-91年シーズンはリーグ再編で男子2部1位の中村荷役運輸と同2位のトヨタ自動車が1部へ自動昇格。2部には日鉄建材と大阪ガスが復帰した。シーズン終了後、女子1部6位の日本ビクターが休部し、2部1位の日立栃木が1部へ昇格。男子は入れ替え戦で1部8位のトヨタ自動車が1年で降格し、2部1位の三景が1部へ昇格した。

1991-92年シーズンの入れ替え戦では男子1部8位の三景が2部へ降格し、2部1位のトヨタ自動車が1年で1部復帰を果たした。女子は1部6位の日立栃木が2部へ降格し、2部1位のジャスコが1部へ昇格。男子2部の日鉄建材が再びリーグを離脱した。

1992-93年シーズンからプレーオフ(ステップラダー方式)を採用[34]。女子2部に日本ビクターが復帰。男子2部には北陸電力が加入した。入れ替え戦では男子8位のトヨタ自動車が2部へ降格し、2部1位のトヨタ車体が初昇格を果たした。女子は1部5位の大和銀行と同6位の大崎電気が2部へ降格し、2部1位の日立栃木と同2位のブラザー工業が1部へ昇格した。

1993-94年シーズンの入れ替え戦で、男子1部8位のトヨタ車体が1年で2部へ降格。2部1位の本田技研熊本が1部へ初昇格した。女子は1部6位のブラザー工業が2部へ降格し、2部3位のJUKI(東京重機)が1部へ昇格。同シーズン限りで女子2部の日本ビクターが活動休止のため離脱、男子2部の竹芝精巧がセレクションマッチ2位の徳山曹達(トクヤマ)に敗れ、リーグを離脱した[35]

1994-95年シーズンから女子のリーグ再編により、前年2部1位の大崎電気と同2位の大和銀行が1部へ昇格した。男子2部にトクヤマ、女子2部にイズミが参加[36]。同シーズンの入れ替え戦では男子1部8位の本田技研熊本が1年で2部へ降格。日本電装が昇格した。女子は1部7位のジャスコが2部へ降格。同8位のJUKIは活動規模の縮小のためリーグから撤退を発表[37]。2部1位のイズミ、同2位のブラザー工業が昇格した。

1995-96年シーズンは女子2部に立山アルミが加入。入れ替え戦では1部8位の日本電装が2部へ降格。2部1位のトヨタ車体が1部へ昇格した。女子は1部7位の大和銀行と同8位のブラザー工業が2部へ降格。2部1位の立山アルミと同2位のジャスコが1部へ昇格した。男子2部の豊田自動織機が同シーズン限りで撤退[38]

1996-97年シーズンは男子2部にアラコ九州が参入。入れ替え戦では1部8位のトヨタ車体が再び1年で2部へ降格。2部1位の北陸電力が1部へ昇格した。女子は1部8位のシャトレーゼが2部へ降格し、2部1位の大和銀行が1部へ昇格。8年ぶりにセレクションマッチが行われ、2部8位の大阪ガスが離脱。次シーズンからケー・エフ・シーが参入することとなった[39]

1997-98年シーズンの入れ替え戦では男子1部8位の北陸電力が2部へ降格、2部1位のトヨタ車体が1部へ昇格した。女子は1部8位のジャスコが2部へ降格。2部1位のシャトレーゼが1部に復帰した。

1998-99年シーズンは男子2部に日鉄建材工業と大阪ガスが復帰。同シーズン限りで男子1部の中村荷役と日新製鋼、2部の三景、日鉄建材工業、ケー・エフ・シーが離脱し、2部の西地区1位の本田技研熊本と東地区1位のデンソーが1部へ自動昇格。女子は2部リーグの廃止が決まり、2部の全4チーム(ソニー国分ブラザー工業、ムネカタ、ジャスコ)が1部へ自動昇格となった[40]

1999-00年シーズン限りで女子のOSAKI OSOL、大和銀行、ジャスコが離脱[41]

2000年代

2000-01年シーズンは男子2部に豊田合成が参入。同シーズン限りで1部の三陽商会とデンソーが離脱。2部1位の北陸電力と同2位のアラコ九州が1部へ自動昇格した。

2001-02年シーズンから男子2部にインテックス21が復帰、クラブチームのHC東京が新規参入した。入れ替え戦では1部8位の北陸電力が2部へ降格、2部1位のHC東京が1部へ昇格した[42]。同シーズン限りで日立栃木、立山アルミ、ムネカタが離脱。

2002-03年シーズン限りで男子2部のインテックス21とトクヤマが離脱。

2003-04年シーズン終了後、リーグ再編で男子1部8位のHC東京が2部へ降格。女子のシャトレーゼが同シーズン限りで離脱した。

2004-05年シーズン限りで男子2部の大阪ガスが離脱。

2005-06年シーズンで男子2部リーグが廃止。男子2部全3チーム(豊田合成北陸電力トヨタ自動車)が1部へ自動昇格。

2006-07年シーズンから女子に三重花菖蒲が参入。同シーズン限りで男子のホンダ熊本が離脱。

2008-09年シーズンから男子に琉球コラソンが参入。同シーズン限りで男子のHondaトヨタ自動車が離脱。

2010年代

2012-13年シーズンから男子にトヨタ自動車東日本が参入。

2013-14年シーズンから女子に飛騨高山ブラックブルズ岐阜が参入。

2017-18年シーズンから女子に大阪ラヴィッツプレステージ・インターナショナル アランマーレが参入[43]

2019-20年シーズンから男子にゴールデンウルヴス福岡が参入。

2020年代

2020-21年シーズンから男子にジークスター東京が参入。

2021年4月に一般社団法人化され、併せて代表理事に元Bリーグ執行役員の葦原一正が就任[44]

2021-22シーズンから女子にザ・テラスホテルズが参入[45]

2022-23シーズンから男子にアースフレンズBM[46][47]、女子に香川銀行シラソルが参入[48][47]

2021年12月20日、2024年開幕のプロリーグ構想を発表[49]。2022年10月21日、新プロリーグに男女各9チーム(計18チーム)が内定したことを発表した[50]ものの、翌年3月15日新リーグ運営を見直し、現行のすべてのチームが参入することになり[51]、新リーグ移行は事実上とん挫した[52]。2023年10月には、翌24年9月から計画されていた新リーグ移行に対して、時期についてはこだわらない姿勢を示した[53]

2023-24シーズンから男子に富山ドリームスが参入[54]

2024-25シーズンよりリーグ名を「リーグH」とする[55]アルバモス大阪が新規加盟。同様に申請していた「堺 LIASON OSAKA」は認められなかった[56]

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試合期間

日本代表チームの活動期間中、または国民体育大会ハンドボール競技(国体)、日本ハンドボール選手権大会が開かれる間、リーグは開催されない。そのため、試合期間は毎年異なり、また中断期間も発生する

試合方式

レギュラーリーグ(予選)は総当り制で開かれ、リーグ戦の成績上位チームによって順位決定トーナメント(プレーオフ)が行われる(男女とも)。

レギュラーリーグ(予選)
  • 男子は13チームで、2回戦総当り制のリーグ戦を行う。上位4チームがプレーオフ進出。
  • 女子は11チームで、2回戦総当り制のリーグ戦を行う。上位4チームがプレーオフ進出。
  • 予選リーグの勝ち点配分は、勝利 2点、引き分け 1点、敗戦 0点とする。
順位決定トーナメント(プレーオフ)
  • 予選上位4チームがステップラダー方式の順位決定トーナメント戦で優勝を争う。そのため、4位と3位のチームは連続して3勝、2位のチームは連続して2勝、1位のチームは1勝で優勝となる。
  • 正規の競技時間(30分ハーフ)で勝敗が決定しない場合、
    • 1stステージは延長を行わず、レギュラーシーズン上位チームの勝利。
    • 2ndステージ、FINALは第1延長(5分ハーフ)を行う。第1延長で勝敗が決定しない場合、
      • 2ndステージは7mスローコンテストで勝敗を決定する。
      • FINALは第2延長(5分ハーフ)を行い、それでも勝敗が決定しない場合は、7mスローコンテストで勝敗を決定する。[57]

役員一覧

2023年[58]

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参加チーム

要約
視点

現在の参加チーム

2024-25 リーグH

男子リーグ

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女子リーグ

さらに見る チーム名, 愛称 ...

過去の参加チーム

男子リーグ

さらに見る チーム名, 所在地 ...

女子リーグ

さらに見る チーム名, 所在地 ...

参加チーム変遷

男子

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女子

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スポンサー

2023-24年シーズン[59]

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歴代優勝チーム

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記録

要約
視点

第43回大会終了時[60]

チーム (男子)

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個人 (男子)

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チーム (女子)

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個人 (女子)

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テレビ放送

以前はスカイ・Atvkにて注目カードの中継を行っていたが、2007-08シーズンは開催地の地元放送局にて数試合中継するだけである。しかし2008年・2009年のプレーオフは全試合J SPORTS ESPNにて録画中継された。

2007年の男子プレーオフ決勝はBS-iでも中継された。

2010年から2013年までプレーオフはTwellVにて生中継された。2014年はJ SPORTSで生中継される。

一部地域の試合は放送されており、広島における湧永レオリック及び広島メイプルレッズの試合はNHKにて生中継されている。

2013-2014シーズンから2015-2016シーズンはUstreamにて配信もされていた(湧永レオリックを中心に各チームが配信)。

2016年1月に公式動画サイトJHLtvを開設。全試合の生中継・VOD配信を行う。

2022-2023シーズンからplayground株式会社が提供する「スーパーDXプラットフォーム『HANDBALL+NET』(ハンドボール・プラネット)」にて配信[61]

プロ化構想

要約
視点

主催者である日本ハンドボールリーグは、2021年12月20日、「次世代型プロリーグ構想」を公表し、2024年の旗揚げを目指して1部リーグのプロリーグへの移行を目指すと発表した。

参加チームの申し込みは2022年3月ごろから募集し、同7月にプロリーグへの参加チームを発表するとしている。具体的な参加案件としては

  • プロ選手契約を1チームにつき11名以上
  • 1500人以上収容の本拠地となる体育館を保有する
  • 12歳以下の育成型下部組織を持つこと
  • チーム名に都道府県・市区町村などの地域名を入れる

ことなどを求めている。

また安定した収入を得られるようにするため、ホームゲームで得た収益をリーグで一括管理する「シングル・エンティティー制度」を採用することも一つの目玉になっている。日本ハンドボールリーグ代表理事の葦原一正は「各参加チームの支出は年2億円程度、収入は約1000万円程度」であることを踏まえ、他のプロ野球、サッカーやラグビー、バレーボールなどのプロ・セミプロ型のリーグのようなチームが直接興行収入を得るやり方ではプロ化が難しいということで、収益の一括管理を実施してリーグの底上げを図るところから始めるとしている。[49]

2022年8月29日、日本ハンドボールリーグはプロリーグの開幕を2024年パリオリンピック後の同年9月とすることを発表した[62]。3日後の9月1日、日本ハンドボールリーグの会見で新プロリーグに男子9チーム、女子10チームが参入を申請したと発表した[63]。しかし、男子新リーグへの参戦が有力視されたジークスター東京、大崎、湧永など5チームと、女子の1チームは初年度の新リーグへの参加を見送る形となり、2024年度シーズンの男子リーグは現行のアマチュアリーグと新プロリーグの実質的な2部リーグ制で分裂した形で始まることが濃厚となった。これにはプロリーグの参加登録料が現在の日本リーグの600万円の5倍に当たる3000万円が必要であることがネックとされた。ただ、2025年度以後も新規参入を希望するチームの募集は行う予定であり、「ほぼ全チームが新リーグに賛成する意向だが、落とし込みという部分で、リーグやチームの両者で準備不足だった」ことを認めている[64]

その後、新リーグの参加審査の撤廃と、審査委員会の解散、シングルエンティティーの見直しなどを行うことにより、当初新リーグ初回の参加見送りとされたクラブを含め、2023年秋に開幕予定の2023-24年度シーズンへの参加を予定する24クラブ(男子:13、女子:11)がそのまま2024-25年度の新リーグへ参加することが承認された。なお新リーグへの参加を希望し、加入申し込みを行った「TeToTeおおさか堺(後に堺 LIAISON OSAKA)」については、改めて正式な加入審査を行った上で参入可否を判断する予定[65][66]

2023年5月、新たに新リーグの審査基準の決定が公表[67]。後に「アルバモス大阪」のみ加入が認められる。堺 LIAISON OSAKAは新リーグの加盟条件の「財務要件」と「契約・資格要件」の2項目が未充足であるという理由で、2024-25年度の参加は見送りとなった[68]

10月25日に理事が新に選任された後のメディアブリーフィングで、新リーグについて時期は問わないという発言もなされた[53]

2024-25シーズンより前述の通りJHLはリーグHに改編された。

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脚注

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関連項目

外部リンク

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