東北本線優等列車沿革(とうほくほんせんゆうとうれっしゃえんかく)では、東北本線・常磐線を運行していた特急列車・急行列車などのうち、青函連絡船あるいは津軽海峡線を介して本州対北海道輸送に資していた東京 - 青森 - 北海道間輸送列車、東京対東北都市間輸送に資していた東京 - 東北都市間輸送列車の沿革を記載する。
以下の各項目(特に2023年時点で運行されているもの)については、単独の記事にあるため、本項では記述しない。
- 1959年2月1日 福島 - 盛岡間準急「やまびこ」を新設。
- 同年12月1日 仙台(陸羽東線経由)・米沢 - 秋田間準急「たざわ」、仙台(陸羽東線経由)・米沢 - 酒田間陸羽西線経由準急「もがみ」を臨時列車として新設[注 41]。
- 1960年6月1日 ダイヤ改正より以下の変更を実施。
- 「やまびこ」郡山まで運転区間を延長。
- 仙台 - 盛岡間準急「くりこま」運行開始[注 42]。
- 1961年10月1日 「やまびこ」青森まで運転区間を延長。
- 1962年7月15日 仙台 - 青森間北上線・奥羽本線経由急行「あけぼの」運行開始。
- 1963年10月1日 ダイヤ改正により以下の変更を実施。
- 「くりこま」2往復増発の3往復運行。
- 「やまびこ」仙台を境に運行系統を分割。仙台以南を451・453系電車化し、名称を「あぶくま」に変更。運行区間を白河 - 仙台間とする。仙台以北は急行「むつ」に変更。
- 1965年10月1日 「くりこま」1往復廃止で2往復運行。「むつ」は運行区間仙台 - 青森 - 秋田間に延長。
- 1966年3月5日 準急行制度の見直しに伴い100km以上運行の準急列車は急行列車に昇格。これにより「くりこま」「あぶくま」急行列車に昇格。
- 1966年10月1日 「くりこま」1往復廃止で1往復運行。
- 1968年10月1日 白紙ダイヤ改正により以下の変更を実施。
- 「くりこま」は「むつ」の東北本線部分を吸収。1往復を増発し運行区間を青森まで延長。2往復が仙台 - 青森間の運行となる。
- 「あぶくま」は郡山以南を普通列車化[注 43]。
- 「あけぼの」は「きたかみ」に改称。
- 1970年8月2日 - 15日 臨時特急列車「とうほく」が仙台 - 青森間を運行。
- 当列車は、同月16日より臨時「はつかり」で上野 - 青森間常磐線経由で運行するが、同年の年末・年始運行時には「常磐はつかり」に愛称を変更。
- 1970年10月1日 ダイヤ改正により以下の変更を実施。
- 「くりこま」1往復の運行区間を盛岡までに短縮し「ひめかみ」に愛称変更。
- 上野 - 弘前間東北本線・花輪線経由の「みちのく」を仙台 - 秋田間に運転区間を短縮して「よねしろ」に愛称変更[注 44]。
- 1971年3月20日 キハ181系で運行されていた特急「つばさ」の間合い運用として、仙台 - 秋田間北上線経由特急「あおば」を毎日運転の臨時列車として運転開始。
- 当初は普通車のみの付属編成が投入されたが、同年10月1日からグリーン車・食堂車込みの基本編成に変更。
- 1972年3月15日 ダイヤ改正により以下の変更を実施。
- 「あおば」定期列車に昇格。
- 「きたかみ」仙台 - 秋田間1往復を増発し2往復運行。
- 「ひめかみ」再び「くりこま」に吸収され愛称消滅。457系電車化され2往復に増便。うち1往復は北海道連絡を目的として停車駅を特急並みに少なくしたうえで全車指定席とし、仙台-青森間を4時間台で運転した。
- 「あぶくま」車両担当を仙台運転所から勝田電車区(現・勝田車両センター)に移管。運行区間を再び白河 - 盛岡間とし「もりおか」と共通運用とする。
- 1975年11月24日 「つばさ」485系電車化に伴い特急「あおば」廃止。急行「きたかみ」に格下げとなり都合3往復運行。
- 1978年10月2日 ダイヤ改正により以下の変更を実施
- 「くりこま」仙台 - 盛岡間1往復を増発し3往復運行。「いわて」の仙台での系統分割に伴う増発。
- 1982年11月15日 白紙ダイヤ改正により以下の変更を実施。
- 「くりこま」の盛岡以北を「はつかり」に発展的解消とし、仙台 - 盛岡間の快速列車に格下げ。2往復増発され、5往復となる。
- 「あぶくま」「きたかみ」廃止。
- 1985年3月14日 快速「くりこま」廃止。
- 1978年10月改正時の「あぶくま」停車駅※( )は下りのみ停車
- 白河駅 -(各駅停車)- 郡山駅 - 本宮駅 - 二本松駅 - 松川駅 - 福島駅 - 伊達駅 - 白石駅 - 大河原駅 - 船岡駅 - 岩沼駅 - 仙台駅 - 塩釜駅 - 松島駅 - 小牛田駅 - 瀬峰駅 - 石越駅 - 花泉駅 - 一ノ関駅 - 平泉駅 - 前沢駅 - 水沢駅 - 北上駅 - 花巻駅 -(石鳥谷駅)-(日詰駅)- 盛岡駅
- 1982年11月改正時の「あぶくま」廃止後、継承された愛称のない快速列車停車駅
- 白河駅 - (各駅停車) - 郡山駅 - 本宮駅 - 二本松駅 - 松川駅 - 福島駅 - 伊達駅 - 白石駅 - 大河原駅 - 船岡駅 - 岩沼駅 - 長町駅 - 仙台駅
- 1978年10月改正時の「くりこま」停車駅※列車によって停車駅は異なる
- 仙台駅 - 塩釜駅 - 松島駅 - 鹿島台駅 - 小牛田駅 - 瀬峰駅 - 石越駅 - 花泉駅 - 一ノ関駅 - 平泉駅 - 前沢駅 - 水沢駅 - 北上駅 - 花巻駅 - 盛岡駅 - 好摩駅 - 沼宮内駅 - 一戸駅 - 北福岡駅 - 三戸駅 - 八戸駅 - 三沢駅 - 上北町駅 - 野辺地駅 - 浅虫駅 - 青森駅
- 1982年11月改正時の快速「くりこま」停車駅
- 仙台駅 - 塩釜駅 - 松島駅 - 鹿島台駅 - 小牛田駅 - 田尻駅 - 瀬峰駅 - 新田駅 - 石越駅 - 花泉駅 - 一ノ関駅 - 平泉駅 - 前沢駅 - 水沢駅 -(金ケ崎駅) - 北上駅 - 花巻駅 - (二枚橋駅(現:花巻空港駅)) - (石鳥谷駅) - (日詰駅) - (矢幅駅)-(仙北町駅)- 盛岡駅
注釈
上野発の1番列車は、23時間25分で青森駅に到着した。(『青森駅ものがたり 鉄道100年記念』の28~29頁から。これに「上野(1891年8月31日)17:45発、青森(9月1日)17:10着」と記載がある。)
201・202列車は戦前の東北本線・常磐線を代表する列車となり、さらに1935年10月からは1934年12月のダイヤ改正で東北・北海道の各線から廃止された1等寝台車の代用として2等寝台車の一角に「特別室」と呼ばれる1等寝台車に準じた設備を持つマロネ37480→マロネ38形を連結したが、ダイヤ改正で同列車に連結されていた洋食堂車は東北本線経由103・104列車および奥羽本線経由405・406列車と同じ和食堂車に変更され、東京以北から洋食堂車の連結列車が消滅した。 2等寝台車・和食堂車も連結、急行列車並みの停車駅で急行料金不要の速達列車として運転された。
1958年(昭和33年)の特急「はつかり」登場までの18年間破られない所要時間記録であった。
東京発着もしくは経由して東北方面行き旅客列車の運行は、この時が初めてである。
1957年10月1日のダイヤ改正で「あさかぜ」用食堂車のオシ17形への置換えによる余剰車。
博多 - 吉塚 - 香椎 - 酒殿 - 志免 - 吉塚 - 博多で方向転換に1時間16分を要した。
当初は一方向き固定クロスシートを回転式クロスシートへ改造して「かもめ」へ戻す予定であった。
1列車(下り「はつかり」)牽引のC62は尾久から別途回送。
「北斗」の愛称は函館 - 旭川間昼行特急列車に転用。詳細こちらを参照。 C62が牽引する最後の特急列車として鉄道撮影家から人気を集め、後年に興る「SLブーム」のはしりとなった。 1967年10月以降は水戸 - 盛岡ED75・盛岡 - 青森DD51重連に変更。
キハ81系の転用改造日程の都合によりダイヤ改正に先立ち9月9日から「はつかり」に投入。
昼行は「三陸」時代に引き続いて支線区直通列車を併結。
上野 - 青森間運行列車の愛称としては一旦消滅するが、1970年(昭和45年)9月まで、上野 - 原ノ町 - 陸中花輪 - 弘前間等を運行する列車に転用。 青森運転所所属の485系は当初は青森発着の「いなほ」や一部の「やまびこ」の青森への季節延長(季節列車としての設定がない時は回送列車扱い)で青森運転所への出入庫を行い、「やまびこ」・「ひばり」に運用していた。 『東北線に「変な特急」』 - 東奥日報昭和50年3月8日付け朝刊11面記事より
車掌補が廃止され、寝台のセット解体が外部に委託されたため。
当時の上野駅発着の定期急行列車に使用された車両は昼夜問わず普通車が「4人掛け固定クロスシート」の車両ばかりだったので季節列車=準定期列車に該当する本列車への「2人掛け簡易リクライニングシート」を装備する特急用14系客車投入は衝撃的であった
これにより「十和田」2号(下り・上り)は北海道の「狩勝」下り4号・上り3号、山陰の「だいせん」下り2号・上り3号と共に寝台車の比重が高い全車全席指定の編成となり、市販の時刻表でも「寝台列車」という表記がされるようになった。後に20系使用の「十和田」(1978年10月以降は下り3号・上り4号)は下り3号は盛岡まで普通車は全車指定席で、下り3号の盛岡以北と上り4号の普通車は全車自由席で運転された。
事例として「はつかり1号」が30分程度所要時間が延伸。
ただし、車両運用・故障・検査時には在来型客車が投入されたケースがある。
1・4号は八戸 - 青森間、3号は一ノ関 - 青森間、2号は一ノ関 - 青森間と宇都宮 - 上野間でそれぞれ立席特急券乗車が実施された。
1968年10月1日ダイヤ改正以来26年ぶりにブルートレインとして復活となった。また、同時期に廃止した「あさかぜ1・4号」から転用した1人用個室A寝台「シングルデラックス(DX)」を連結。同時に一ノ関・水沢・北上・花巻が通過となるとともに、立席特急券利用区間を下り・上りとも八戸 - 青森間に短縮。 1号車(上野側)イラストマーク、6号車(青森側)文字マーク。
表定速度は89.7km/hで、1978年まで在来線最速を誇った。
共通運用となる奥羽本線特急「やまばと」での板谷峠通過対策上MT比2:1ならびに磐越西線特急「あいづ」でのホーム有効長の制約による。 「みやぎの」はこれ以降臨時列車で運行されたことが数回ある。
西那須野・黒磯・須賀川・本宮・二本松・岩沼・水沢・花巻が対象。
下りは同日夜の上野 - 仙台間急行「新星」で運行。
出典
“さよなら夜行急行「八甲田」”. 岩手日報 (岩手日報社): p.17 (1993年12月2日 朝刊) 外山勝彦「鉄道記録帳2002年11月」『RAIL FAN』第50巻第2号、鉄道友の会、2003年2月1日、20頁。