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北海道旅客鉄道が運行している特別急行列車 ウィキペディアから
北斗(ほくと)は、北海道旅客鉄道(JR北海道)が函館駅 - 札幌駅間を函館本線・室蘭本線・千歳線経由で運行する特別急行列車である。
北斗 | |||
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特急「北斗」(2022年9月 大沼駅) | |||
概要 | |||
国 | 日本 | ||
種類 | 特別急行列車 | ||
現況 | 運行中 | ||
地域 | 北海道 | ||
前身 |
急行「すずらん」 特急「おおぞら」「おおとり」 | ||
運行開始 | 1965年11月1日 | ||
運営者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) | ||
旧運営者 | 日本国有鉄道(国鉄) | ||
路線 | |||
起点 | 函館駅 | ||
終点 | 札幌駅 | ||
営業距離 | 318.7 km (198.0 mi) | ||
平均所要時間 | 約3時間50分 | ||
運行間隔 | 11往復 | ||
列車番号 | 号数+D・6000D+号数[注釈 1] | ||
使用路線 | 函館本線・室蘭本線・千歳線 | ||
車内サービス | |||
クラス | グリーン車・普通車 | ||
身障者対応 | 2号車 | ||
座席 |
グリーン車指定席:1号車 普通車指定席:2 - 5号車 | ||
技術 | |||
車両 | キハ261系気動車(函館運輸所) | ||
軌間 | 1,067 mm | ||
電化 |
交流20,000 V・50 Hz(函館 - 新函館北斗、東室蘭 - 札幌間)[注釈 2] 非電化(新函館北斗 - 東室蘭間) | ||
最高速度 | 120 km/h (75 mph) | ||
備考 | |||
2018年3月17日 - 2020年3月13日は全列車「スーパー北斗」として運転 | |||
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特急「北斗」は、1965年(昭和40年)11月1日に函館駅 - 旭川駅間を函館本線・室蘭本線・千歳線経由(東室蘭駅・苫小牧駅経由)で運行開始[1][2]。1971年(昭和46年)7月1日には1往復が函館駅 - 札幌駅間に縮小され[2]、1972年(昭和47年)3月15日からは全列車が函館駅 - 札幌駅間の運行となった[2]。その後、急行「すずらん」との統合や、別経路で並行して運行されていた特急「北海」(倶知安駅・小樽駅経由)などの代替により、1986年(昭和61年)11月1日からは最大8往復が運行されていた。
1988年(昭和63年)3月13日の津軽海峡線開業以降は「おおとり」の廃止により函館駅を発着する昼行特急列車が「北斗」に統一された。1994年(平成6年)3月1日には車体傾斜式車両であるキハ281系の投入により1日11往復運転に増発され、気動車初の最高速度130 km/hでの営業運転を開始した[注釈 3]。以後、従来のキハ183系気動車を使用する列車および臨時列車は「北斗」、キハ281系気動車やキハ261系気動車を使用する列車名を「スーパー北斗」として運転された。2018年(平成30年)3月17日ダイヤ改正ではキハ183系気動車が定期運用から離脱したことにより、全ての定期列車が「スーパー北斗」となったが[資料 1]、2020年3月14日のダイヤ改正で全列車が元の「北斗」に改称された。
「北斗」の名称は北斗七星に由来する[2]。北斗七星が北極星を指し示す星座とされることから、「北都 = 札幌行きの列車」とのイメージが重なり、青函連絡船からの旅客を受けて北へ向かう特急列車の愛称として採用されたといわれる。ただし、当初の運行区間は函館駅 - 札幌駅 - 旭川駅間であり、純粋な函館駅 - 札幌駅間の特急列車には、当初「エルム」と別名称を与えた[3]。
なお、「北斗」の名称は元々1950年(昭和25年)11月8日から1965年(昭和40年)10月1日まで上野駅 - 青森駅間を常磐線・東北本線経由で運行する夜行急行列車に使用されていた[2][4]。これは当時の列車愛称命名方法の基準であった「夜行列車名は天体名にちなむ」が元になっている。
北海道内の特急列車の愛称としては、「おおぞら」、「おおとり」に次いで3番目、現存する列車としては2番目に古い歴史のあるものである[2]。
2021年(令和3年)3月13日現在、11往復が運行されている[資料 2][資料 3]。列車番号は号数+Dだが、閑散期の曜日運休の一部列車は6000D+号数となる[5]。所要時間は3時間33分 - 3時間59分である。
1・22号を除く全列車が、新函館北斗駅で北海道新幹線に接続する[資料 3]。
函館本線の七飯駅 - 大沼駅 - 森駅間については、すべての定期列車が本線(新函館北斗駅・駒ヶ岳駅)経由で運転され、原則として藤城支線や砂原支線(渡島砂原駅)経由で運転されることはない。以前は下り列車が藤城支線経由で運転されていたが、2016年(平成28年)3月26日のダイヤ改正で全列車が新函館北斗駅に停車することになったため、現在の運転経路に変更された。ただし、臨時列車については上り列車が砂原支線経由で運転される[記事 1]ほか、輸送障害が発生した場合などは定期列車が砂原支線を迂回運転することがある[記事 2]。
函館駅 - 五稜郭駅 - 新函館北斗駅 -(大沼公園駅)- 森駅 - 八雲駅 - 長万部駅 -(洞爺駅)- 伊達紋別駅 - 東室蘭駅 -(登別駅)-(白老駅)- 苫小牧駅 - 南千歳駅 - 新札幌駅 - 札幌駅
JR北海道の在来線特急列車で車内販売を営業する唯一の列車であったが、売上の減少や人手不足の影響等により、2019年2月28日をもって客室乗務員による車内販売は全て終了した[資料 4]。
北斗 | ||||||||||
← 函館 札幌 →
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キハ261系気動車(1000番台)が充当されている。かつては自由席も設定されていたが、2024年3月のダイヤ改正以降は全車指定席となっている[資料 5]。
1998年(平成11年)4月11日[記事 3]から2013年(平成25年)10月31日まではキハ283系気動車が「スーパー北斗」2往復に充当されていた。基本編成はキハ281系と同じく7両で、グリーン車指定席、普通車指定席、普通車自由席の配置や車椅子対応座席の有無も同一であった。また、キハ281系で運行する列車に増結車両としてキハ283系が連結されることがあった(その逆はない)[記事 4]。
2018年3月18日まではキハ183系気動車が「北斗」で使用されていた。臨時にお座敷車両を連結することがあり[7]、1999年(平成12年)時点では自由席として連結されていた[7]。指定席として連結された場合は、指定券発売の際の列車名が「北斗座敷(2人)」「北斗座敷(4人)」となっていた。
2022年9月30日まではキハ281系気動車が使用されていた[資料 6]。
基本的に多客期の需要増には定期列車への増結で対応しているため、臨時列車は団体列車も含めてほとんど運転されなかった。[要出典]2013年(平成25年)7月13日から2014年(平成26年)7月31日までは定期列車運休のため[資料 7][資料 8][資料 9][資料 10][資料 11]、2014年(平成26年)のゴールデンウィーク・お盆休み・シルバーウィーク期間には定期列車減便に伴う措置として、それぞれ臨時特急「北斗」が設定された。その後、定期列車が所定通りの運行を再開し、北海道新幹線開業後には12往復に増発されたが、繁忙期を中心に臨時列車が最大2往復設定されるようになった。
車両はキハ183系[記事 5][記事 6]、キハ283系[記事 7]、キハ261系[記事 1]のいずれかが充当され、キハ261系を除きグリーン車は連結されない(261系5000番で運行される場合を除く)。なお、キハ183系はノースレインボーエクスプレス[記事 7]などのジョイフルトレイン編成が充当されることもある。 キハ261系5000番台で運行される場合は、停車駅は基本的に定期列車と同じだが、上り列車は砂原支線を経由するため、大沼公園駅には停車しない。
列車番号は2016年3月25日まで9000D+号数だったが、同年3月26日からは84号が8032D、91号が8031D、86号が8036D、95号が8033Dとなる[8]。
1991年(平成3年)に運行を開始した臨時特急列車。1990年代、函館空港が道内第2の空港として輸送力を増加させていること、札幌駅 - 函館駅間には道内有数の観光地を有しており、旅行需要の大きな伸びが期待できることから、同区間にリゾート列車の運行を計画した[9]。初年はキハ183系5000番台「ニセコエクスプレス」で運行し、8往復の「北斗」を補完した。当列車が好評を博したため翌年からは5200番台を使用し、1992年(平成4年)7月 - 12月は暫定3両編成で運行された。当時はまだ「ノースレインボー」の愛称はなく、JR北海道が愛称を公募していた段階だったため[10]、運転台脇などの虹色のロゴには「NORTH RAINBOW」ではなく、筆記体風の白抜き文字で「Resort Express」と表記されていた。車体のテーマカラーも1号車のラベンダー色(紫)を除き相違があった[注釈 4]。1992年(平成4年)12月からは5200番台に愛称が付いたことに合わせ、「ノースレインボーエクスプレス」として運転された[9]。
1992年(平成4年)10月10[10]より、主に本州の北東北と北海道を結ぶ全席指定席の臨時特急列車が、同年11月8日にかけて計19本が運転された[11][注釈 5]。当時JR北海道の車両が客扱いしながら直接本州の青森以遠に乗り入れたケースは「北斗星」(JR北海道所属車)以外になく、臨時列車ではあるがJR北海道の昼行列車では初めての出来事であった[注釈 6]。JR東日本管内で気動車による特急列車が運転されたことも珍しい。号数は8号まであり、行先はロングランとなる札幌駅 - 盛岡駅間11本(上り5本下り6本)をはじめ、函館駅発三沢駅折り返し札幌行(2往復4本、このパターンのみ1日2本1往復運転)のほか、「はこだてエクスプレス」と同様の札幌駅 - 函館駅間も4本(上り3本下り1本)設定されるといった、複数の運行パターンがあった[10][注釈 7]。
リゾートエクスプレス北海道 | |||||||||||
← 盛岡・函館 青森・札幌 →
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使用車両はキハ183系5200番台(後の「ノースレインボーエクスプレス」)3両の暫定編成のみを使用し、1編成しかないため行先を変更しながら1日1本運転された。3両すべて喫煙車で禁煙車は設定されていなかった[12][注釈 8]。津軽海峡線では車両が海峡線区間のATC車内信号に対応しないため、ED79形で牽引された客車列車扱いとなった。万一の機関の過熱や排煙の問題のため走行用機関は停止され、電源用機関のみ稼働して運転した[12]。エンド交換を行なう青森駅や函館駅のほか、蟹田駅では運転停車して運転手が交替した[12][注釈 9]。青森駅では盛岡運輸区の車掌から函館車掌所の車掌に交替した[12]。車内販売は営業しており、ワゴンや手持ちの篭を使用して車内を巡回するのではなく、冷蔵庫を備えた乗務員室を利用した売店方式であった。車内販売員は乗務していたが、制服や腕章を着用していないため、一般客とは見分けがつかなかった[11]。 東北本線区間を担当したJR東日本の運転士は気分よくインタビューに応え、「展望がよくてパワーがある」とこの車両を称賛していた[12]。
盛岡駅発着の場合、乗車時間は6号の9時間34分が最速であるが、その多くは10時間以上で、中には11時間近くにもおよぶ便(1号)もあり[注釈 10]、これはキハ183系で運転された末期の「おおとり」(9時間21分:上り)や、函館直通時代末期の「おおぞら」(9時間10分:4号)よりも長かった。走行距離も盛岡駅発着の場合、下りは683.0 km、上りは695.8 kmにも達し[注釈 11]、これは上下とも「おおぞら」の667.2 km[注釈 12]、上りでは道内最長距離を走行した特急である「おおとり」の693.2 kmをも上回る[注釈 13]。最大25.0パーミルの奥中山越えを含む東北本線内は並行する「はつかり」と遜色ないダイヤであったが、津軽海峡線では相次ぐ運転停車で「海峡」よりも遅く、道内ではノースレインボーよりも最高速度が低い定期列車よりも遅めで、停車駅が少ないにもかかわらず、静狩駅で運転停車[注釈 14]して後続の「北斗11号」(キハ183系基本番台車)を待避していた[12][注釈 15]。青森駅・函館駅のほか、長万部(1号のみ)や南千歳駅(3号のみ)では10分以上の長時間停車を行なった。なお、上りでは「はこだてエクスプレス」の時刻を踏襲する8号は森駅 - 大沼駅間は本線を経由したが、それ以外の4・6号(2号は函館駅始発)は同区間で砂原支線を経由した。下りでは通称藤城支線を経由したが[12]、時刻表では仁山駅経由で誤記されている列車もある[注釈 16]。
翌年以降も春季および秋季に運転され、1993年(平成5年)春では4月23日から5月30日まで運転された。号数は6号まで設定され、1・2号は弘前駅 - 札幌駅、3・4号は弘前駅 - 函館駅、5・6号は盛岡駅 - 札幌駅であった。盛岡駅発着は2往復から1往復に統合され、「はこだてエクスプレス」と重複する札幌駅 - 函館駅間の列車や、三沢駅折り返しは取りやめとなり、弘前駅折り返しに変更されて時刻も全体的に若干修正された。途中停車駅に変化は無かった。使用車両も本来の5両編成となり、1992年秋に当列車に乗車レポートした種村直樹が、長時間乗車であるため指摘していたビュッフェやフリースペースの拡充[12]も実現した。3号車(2階)には禁煙車も設定され、各席のオーディオサービスも開始された。種村はミステリー小説「JR最初の事件」を執筆しており、その書面に登場する架空の列車の「レジャーエクスプレス」が形を変えて実現したと、当列車の思い入れを述べている[12]。
1993年秋では10月1日から11月14日まで運転された[13]。号数は4号まで設定され、1号は弘前駅発函館駅行、2号は札幌駅発弘前駅行、3号は盛岡駅発札幌駅行、4号は函館駅発盛岡駅行であった。下りは盛岡駅からは札幌駅に直通するが、弘前駅からは函館駅止まりとなり、上りは札幌駅発弘前駅行きの方は存続されたが、札幌駅発盛岡駅行きの方は函館駅始発に短縮された[13]。弘前駅発函館駅折り返し盛岡駅行といった、1日2本運転の日も計7日間あった。
スーパー北斗の運行を開始した1994年(平成6年)春では4月22日から5月29日まで運転された[14]。号数は4号まで設定され、全て函館駅止まりとなり札幌駅直通は消滅した。また、5月5日まで運転された弘前駅発着の方は変化がなかったが、盛岡駅発着の方は、スーパー白鳥と同等の八戸駅発着に短縮され、5月7日以降より運転された[14]。
春の大型連休期間中に函館駅 - 札幌駅間を中心に運転された臨時特急で、2011年(平成23年)に運転を開始した。車両は最高速度130 km/hで運転可能なキハ183系5200番台「ノースレインボーエクスプレス」車両を使用する。なお、函館行きは森駅 - 大沼駅間で砂原支線を経由する。停車駅は「北斗」「スーパー北斗」とほぼ同等であるが、運転停車して「スーパー北斗」6・13号を待避するダイヤを組んでいる。
2012年(平成24年)に開催された北海道デスティネーションキャンペーンの終了に合わせて、函館駅 - 札幌駅間で運行された臨時急行列車。札幌発函館行きは9月28日に夜行列車として、函館発札幌行きは9月30日に昼行列車として運行された。
車両は札幌運転所所属の14系客車(座席車)3両と24系客車(B寝台車)2両の計5両編成で、全車指定席で運転された。牽引は、函館運輸所所属のDD51形ディーゼル機関車が担当した。
なお、札幌行きは礼文駅で「スーパー北斗」13号を待避するダイヤを組んでいた。
2014年(平成26年)12月14日に札幌ドームで開催されたコンサートと、北海道新幹線開業準備に伴う急行「はまなす」運休日が重なり、観客輸送の為、札幌 - 函館間を臨時特急「北斗88号」として運転[記事 8]。
この節の加筆が望まれています。 |
1946年(昭和21年)2月11日に、上野駅 - 札幌駅間を直通する連合軍専用列車1101・1102列車(上野駅 - 青森駅間)および8003・8004列車(函館駅 - 札幌駅間)が運行開始。青函連絡船による寝台車の車両航送を行い、青森駅 - 函館駅間を直通させる方式であった[16][4]。同年4月22日には、上野駅 - 札幌駅間を常磐線経由で運転される連合軍専用列車のYankee Limited(ヤンキー・リミテッド)が運行開始される[4][17]。
当初は小樽経由だったが、米軍からの要求を受けて同年11月5日から千歳経由に変更。同時に運行区間も横浜駅 - 札幌駅間とされた。サンフランシスコ平和条約の署名を機に1952年(昭和27年)3月31日に扱いが特殊列車に変更され、列車番号1201・1202列車となり、利用制限があるが[注釈 17]、日本人も乗車できるようになった[16]。同時に、「Yankee Limited」の名称も使用されなくなった。
なお、「Yankee」とは英語で「北部」を指す蔑称である。
急行「洞爺(とうや)」は、特殊列車であった1201・1202列車を通常の急行列車に変更する形で1954年(昭和29年)10月1日に運行を開始した[3][18]。同時に日本人の利用制限も完全に撤廃された。青函連絡船を介して青森駅で「十和田」と接続していたが、1等寝台車の車両航送は同年9月26日に発生した洞爺丸事故の影響で中止となった[16]。これにより「洞爺」の編成は2・3等車のみとなった。
1956年(昭和31年)11月19日には名称を「すずらん」に変更[3][18]。1960年(昭和35年)7月1日にはキハ55系が導入され、気動車による運行となった[19]。1980年(昭和55年)10月1日に臨時列車へ格下げされると、1985年(昭和60年)3月14日に特急「北斗」に統合され、廃止となった[18]。
「たるまえ」は函館駅 - 旭川駅間を函館本線・室蘭本線・千歳線経由で結ぶ夜行準急列車として、1961年(昭和36年)10月1日に運行を開始[3]。1962年(昭和37年)5月1日には運行区間を函館駅 - 札幌駅間に縮小した。
「アカシヤ」は、函館駅 - 札幌駅間を函館本線・室蘭本線・千歳線経由で結ぶ急行列車として、1962年(昭和37年)10月1日に運行を開始。
「石狩」は函館駅 - 札幌駅間を函館本線・千歳線・室蘭本線経由で結ぶ不定期急行列車として、1958年(昭和33年)10月1日に運行を開始した[3]。
1964年(昭和39年)10月1日に「摩周」・「オホーツク」を統合し[20][21]、函館駅 - 網走駅・釧路駅間を函館本線・室蘭本線・千歳線経由で結ぶ特急列車として運行を開始した[1][22][23][24]。北海道の特急列車としては、「おおぞら」に次いで2番目に古い列車名である。
1970年(昭和45年)10月1日に釧路発着編成が廃止されて函館駅 - 網走駅間のみの運行となり[24]。1988年(昭和63年)3月13日の津軽海峡線開業に伴い、札幌駅を境に「北斗」と「オホーツク」に系統分離され、廃止された[24]。
画像外部リンク | |
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横浜発着当時の「Yankee Limited」の時刻表 |
停車場名 | 着 | 発(通) |
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函館 | ・・・ | 18.4600 |
五稜郭 | ⇂ | .4930 |
桔梗 | ⇂ | .5215 |
大中山 | ⇂ | .5315 |
七飯 | ⇂ | .5500 |
大沼 | ⇂ | 19.0215 |
大沼公園 | ⇂ | .0315 |
赤井川 | ⇂ | .0530 |
駒ヶ岳 | ⇂ | .0800 |
東山 | ⇂ | ⇂ |
姫川 | ⇂ | .1345 |
森 | ⇂ | .1745 |
桂川 | ⇂ | ⇂ |
石谷 | ⇂ | .2115 |
本石倉 | ⇂ | ⇂ |
石倉 | ⇂ | .2415 |
落部 | ⇂ | .2630 |
野田生 | ⇂ | .2930 |
山越 | ⇂ | .3145 |
八雲 | ⇂ | .3415 |
鷲ノ巣 | ⇂ | .3545 |
山崎 | ⇂ | .3800 |
黒岩 | ⇂ | .4100 |
北豊津 | ⇂ | .4300 |
国縫 | ⇂ | .4515 |
中ノ沢 | ⇂ | .4745 |
長万部 | ⇂ | .5045 |
旭浜 | ⇂ | ⇂ |
静狩 | ⇂ | .5615 |
小幌 | ⇂ | ⇂ |
礼文 | ⇂ | 20.0300 |
大岸 | ⇂ | .0515 |
豊浦 | ⇂ | .0845 |
洞爺 | ⇂ | .1145 |
北入江(信) | ⇂ | .1330 |
有珠 | ⇂ | .1500 |
長和 | ⇂ | .1745 |
伊達紋別 | ⇂ | .1945 |
北舟岡 | ⇂ | .2130 |
稀府 | ⇂ | .2315 |
黄金 | ⇂ | .2530 |
崎守 | ⇂ | ⇂ |
陣屋町(貨) | ⇂ | ⇂ |
本輪西 | ⇂ | .2930 |
東室蘭 | 20.3315 | 20.3430 |
鷲別 | ⇂ | .3645 |
幌別 | ⇂ | .4030 |
富浦 | ⇂ | ⇂ |
登別 | ⇂ | .4415 |
虎杖浜 | ⇂ | .4600 |
竹浦 | ⇂ | .4815 |
北吉原 | ⇂ | ⇂ |
萩野 | ⇂ | .5045 |
白老 | ⇂ | .5330 |
社台 | ⇂ | .5615 |
錦岡 | ⇂ | .5915 |
糸井 | ⇂ | 21.0145 |
青葉 | ⇂ | ⇂ |
苫小牧 | 21.0445 | 21.0515 |
沼ノ端 | ⇂ | .1015 |
植苗 | ⇂ | .1315 |
美々 | ⇂ | .1700 |
南千歳 | 21.1945 | 21.2015 |
千歳 | ⇂ | .2230 |
長都 | ⇂ | ⇂ |
サッポロビール庭園 | ⇂ | .2515 |
恵庭 | ⇂ | .2630 |
恵み野 | ⇂ | ⇂ |
島松 | ⇂ | .2845 |
北広島 | ⇂ | .3200 |
西の里(信) | ⇂ | ⇂ |
上野幌 | ⇂ | .3600 |
新札幌 | ⇂ | .3730 |
平和 | ⇂ | ⇂ |
白石 | ⇂ | .4015 |
苗穂 | ⇂ | .4215 |
札幌 | 21.4500 | ・・・ |
「北斗」は、北海道旅客鉄道が商標として登録している[95]。
登録項目等 | 内容等 |
---|---|
商標 | 北斗 |
称呼 | ホクト |
出願番号 | 商願平04-270857 |
出願日 | 1992年(平成4年)9月29日 |
登録番号 | 第3021045号 |
登録日 | 1995年(平成7年)1月31日 |
権利者 | 北海道旅客鉄道株式会社 |
役務等区分 | 39類(旅客車による輸送) |
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