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日本国有鉄道の交流電気機関車 ウィキペディアから
ED75形電気機関車(ED75がたでんききかんしゃ)は、日本国有鉄道(国鉄)が1963年(昭和38年)に開発した、交流用電気機関車である。
国鉄ED75形電気機関車 | |
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基本情報 | |
運用者 |
日本国有鉄道 東日本旅客鉄道 日本貨物鉄道 |
製造所 | 日立製作所、東芝、三菱電機、三菱重工業 |
製造年 | 1963年 - 1976年 |
製造数 | 302両 |
主要諸元 | |
軸配置 | Bo-Bo |
軌間 | 1,067 mm |
電気方式 | 交流 20,000 V・単相50 Hz (300番台のみ60 Hz) |
全長 | 14,300 mm (基本番台) |
全幅 | 2,800 mm (基本番台) |
全高 | 4,017 mm (基本番台) |
運転整備重量 | 67.2 t (基本番台) |
台車 | DT129系 |
動力伝達方式 | 1段歯車減速吊り掛け式 |
主電動機 |
直流直巻電動機 MT52系×4(MT52A形×4) |
歯車比 | 16:71 (4.44) |
制御方式 |
無電弧低圧タップ切換 (シリコン整流器・磁気増幅器) 弱界磁制御 |
制動装置 | EL14AS自動空気ブレーキ(増圧装置付き) |
最高速度 | 100 km/h (基本番台) |
定格速度 | 49.1 km/h |
定格出力 | 1,900 kW (1時間) |
定格引張力 | 14,100 kg |
番台によって相違あり。詳細は主要諸元を参照のこと。 |
1963年に常磐線が平駅(現・いわき駅)まで交流電化開業するのに伴い、それまでのED71形の後継車として、広汎な運用に備えるため汎用性を重視して設計された機関車である。
投入開始以来、当初構想の東北・常磐地区のほか、北海道や九州にも投入され、事実上の標準型として1976年までに302両が製造された。特急列車から一般貨物列車まで幅広く運用されたが、1980年代以降はEF81形の運用拡大、夜行客車列車や貨物列車の削減、普通客車列車の電車化・気動車化などによって運用が減少し、JR移行時には初期車を中心に大量の廃車が発生した。その直後、廃車となった一部の車両が日本貨物鉄道(JR貨物)の輸送量増大に対応するため車籍を復活して運用に就いたが、その後はEH500形の増備によって淘汰が進み、JR貨物では全車両が廃車された。
先にシリコン整流器を搭載して製造されたED74形を基本に、下記のような変更点がある。
ED74形は整流変圧器の1次側に置いた単巻変圧器で巻線比を切替える高圧タップ制御を用いたが、電流を連続的に制御できないシリコン整流器の問題点を解決できず、従来の水銀整流器搭載機と同等の粘着力をいかに確保するかが技術的課題であった。変圧器の2次側で巻線比を切替える低圧タップ制御とすれば、起動時に先天的に定電圧特性が働き、理論上この問題は解決できる。低圧側の制御は高圧側に比べ大電流を扱うため電流ピークが発生しやすいが、磁気増幅器により流通角制御するタップ間連続電圧制御で連続制御が可能となり、電気的粘着力の問題は解決した。その他の制御方式の電気機関車と区別するため、磁気増幅器(magnetic amplifier マグネティック アンプリファイアー)の略称からM形と呼ばれている。磁気増幅器は重量が大きいため、将来サイリスタ位相制御が実用化された際に換装が可能[注 1]な設計とされた。主電動機は国鉄新形電気機関車の標準形式である直流直巻電動機MT52形を4基搭載する。
台車はED74形と同様、引張棒で牽引力を伝達する(ジャックマン式)仮想心皿方式を採用し、力点をレール面まで下げ機械的な粘着力を確保している。1エンド側にDT129Aを、2エンド側にDT129Bを装着する。
各所に20 ‰超の勾配区間が散在しながら、1,200 t 牽引が要求される東北本線でも使用するため、重連総括制御が可能な設計とされ、前面に貫通扉を持つ。車体構造も、1号機以外は、外板を別組して後から台枠と接合する方式を採用したため、車体の裾が一段引っ込んでいる。運転台側窓前部や側面明かり取り窓のHゴム支持化、側面エアフィルターのプレス成形品採用などで構造の簡易化・軽量化を図っている。外部塗色は交流機関車標準の赤2号である。
列車暖房装置は電気暖房方式[注 2]を採用し、車体側面に暖房電源動作確認のための表示灯を設置する。パンタグラフは電気機関車としてばね上昇式(PS101)を初めて採用した。
本形式は用途や使用区間によって細かい番台区分があり、以下に詳述する。
本形式唯一の 60 Hz 仕様機である。ED73形の増備機として九州地区で使用されたため、1965年に10両(301 - 310号機)、1968年に1両(311号機)が製造された。外観上は一般のM形機とほぼ同一であるが、正面には高速貨車用のジャンパ連結器とブレーキホースを持ち、屋根上のヒューズやスノープラウ(雪かき器)は省略された。九州地区用でありながら電気暖房(EG)が搭載された。またパンタグラフも九州地区の他の交流機と異なり、M形と共通のバネ上昇式のPS101を搭載した。
1965年製の301 - 310号機は、基本的な部分はM形の40 - 46号機と同仕様で、60Hz対応のため、主変圧器の3次巻線の巻数が異なり、電動空気圧縮機のプーリー比の変更、電動送風機の羽根の変更などがされている。製造当初、高速対応装備を持たず、1966年10月改正対応のため、電磁ブレーキ対応及びKE72ジャンバ連結器、運転台への連絡電話を取り付けている。
1968年製の311号機は主電動機が改良型のMT52A形になるなど、基本的な部分はM形の132 - 160号機、P形の1001 - 1015号機と同仕様で尾灯、スカートなどが年式相応のものに変更された。ただし在来機との互換性から、重連総括制御用のジャンパ連結器はM形が101号機以降採用したKE77ではなく、301 - 310号機と同じKE63のままとなった。暖地向けのため、順次強化された耐寒耐雪構造及び屋根上のタイフォンの増設がなく、パンタグラフもPS101を継続して搭載した。また当初から電磁ブレーキ対応及びKE72ジャンバ連結器を装備して製造された。
本番台は20系客車との連絡電話用KE59形ジャンパ連結器が装備されておらず、運転台の連絡電話もKE72ジャンバ連結器内に連絡電話用の回路は10000系貨車牽引対応のためで、応速度ブレーキ増圧装置も機関車側のみに作用する、いわゆる単機増圧仕様となっている[注 3]。
軸重の関係から北部九州地区に運用が限定され、おもに高速貨物列車と寝台特急列車等蒸気暖房不要な客車の牽引に使用されたが、九州地区の一般形客車(旧形,50系共)は蒸気暖房を使用するため冬季の客車列車に充当できないなど、ED74形と同様に運用効率は良いものとはいえなかった。製造は11両で終了し、国鉄末期にはヘッドマークが復活した寝台特急列車の牽引も増えて居たが、それ以外の客車優等列車や客車普通列車の電車化、貨物列車の削減などで、機関車が大量に余剰になり[注 4]、九州内で汎用的に使用できるED76形に淘汰される形で1986年3月に全機が一斉廃車となり、区分消滅した。
北海道交流電化用の試作機として、1966年に三菱重工業で1両(501号機)が製造された。
制御方式は故障防止の観点から無接点制御を図り、1965年製造のED93形で採用されたものを基礎として全サイリスタ位相制御とされた。M形の低圧タップに代え、変圧器の二次側巻線を4分割してサイリスタとダイオードブリッジを配置したもので、磁気増幅器による位相制御とタップの切換をすべてサイリスタで行う。タップ切換と異なりすべてを無接点で制御でき、機器の小型化・軽量化およびメンテナンス性に優れる。これは本機の大きな特徴で、このことから1両のみの存在であるにもかかわらずS形と呼ばれる。一応M形とは重連可能であるが、当面は北海道内のみの運用にとどまる存在であったことから総括制御用の機器は一部省略されて竣工している。
酷寒地用としてとくに耐寒装備が強化され、凍結防止の観点から特別高圧機器を室内に収納、空気遮断器や避雷器は主変圧器に内蔵し主整流器も大容量化された。ブレーキ装置にはヒーターを設け、車側フィルタからの雪の進入を抑えるため、冷却風は床下より取るよう設計されている。
パンタグラフは一般機と同一のPS101形で、凍結防止用のヒーターが設置され、電源として前頭部に一見避雷器に見える提灯形の絶縁変圧器が設置されていた。1968年に耐雪性に優れた下枠交差式のPS102A形に換装され、ブレーキのヒーターや絶縁変圧器を撤去している。これらの特殊装備の関係により全長は他のED75形より300 mm長い14,600 mmとなっている。
一方、サイリスタ位相制御では出力電圧波形が乱れ(右図下段)、高調波を発することが課題であった。本機の試験運用では高調波による通信・信号に対する誘導障害が著しいことと列車暖房の必要から、実際の量産は蒸気発生装置 (SG) を搭載したED76形500番台とされた。
本機はSG非搭載のためED76形500番台と共通運用が組めない事や札幌都市圏での誘導障害を避け、岩見沢駅以北の貨物列車に専用された。JR移行直前の1986年10月に廃車されている。
奥羽本線・羽越本線用の耐雪・耐塩害対策装備機として、1971年から1976年までに91両[注 5](701 - 791号機)が製造された。
基本番台(M形P形)と性能は同じで、主電動機はMT52Aを採用し歯車比も同一で、重連総括制御用も可能であるが、大幅に設計変更されている。
東北日本海側の電化にあたっては、冬季の強い北西風による塩害が懸念された。屋根上に配置した特別高圧機器を室内配置に変更し、これの艤装空間確保のため機器室内の電装系部品は小型軽量化され、内部の機器配置は基本番台とは異なる。 主変圧器とタップ切換器はED76形500番台のものを基本にユニット化及び変圧器への電気暖房用の4次巻線の追加がなされた。シリコン整流器は新設計で油冷化され、屋根上にあった遮断器を従来の空気式から真空式に変更し室内に取り込み、交流回路用単位スイッチ・継電器などは無接点式に変更して重量増加を抑えた。これにより無接点・無電弧化も進み、メンテナンスフリーが図られた。
車体は正面下部の通風孔を廃止し、飾り帯は塩害などによる腐食対策のためメタリック塗装に、尾灯は電球交換の容易な外ハメ式に変更された。パンタグラフは耐雪性を考慮し、小型の空気上昇下枠交差式PS103形を採用した。屋根上の碍子は塩害対策がされたものを採用し、前後のパンタグラフを詰めて車体中央側に配置することにより、碍子数も基本番台に対して半減している。運転席の操作機器類は人間工学の考え方を採り入れ、黒色の計器盤にメーター類を横一列に配置するなど、視認性や操作性を重視したものに一新された。
1972年製の735号機以降は単機増圧ブレーキが追加され、同年製の738号機以降はパンタグラフの断路器を変更している。745号機以降は、車体と一体構造で室内から電球交換を行う新設計の電暖表示灯が採用された。1975年製の760号機以降は、機器の完全非PCB化が行われ、ナンバーがクロムメッキから梨地メッキへ、電暖表示灯が縦2灯式から横2灯式に変更になった。
製造当初から全機を秋田機関区(現・秋田総合車両センター南秋田センター)に配置し、奥羽本線と羽越本線で使用した。後年のEF81形増備や老朽化したED71形置換え用として1980年から一部が福島機関区に転属し、東北本線でも使用されるようになる。1986年には青函トンネル専用機のED79形に34両が改造された。1986年11月の改正で、一部が青森機関区に転属し、「ゆうづる」運用で常磐線でも運用されるようになる。
特別塗装機としてジョイフルトレイン「オリエントサルーン」用に塗装変更したものが5両存在したが、2005年の767号機の入場・一般色化に伴って消滅した。
東北本線全線電化に合わせ、1968年から1976年までに39両(1001 - 1039号機)が製造された。高速貨物列車および20系寝台特急客車牽引に対応した高速運転用の区分である。
コキ10000系コンテナ車や20系客車が標準で装備する電磁ブレーキを操作するため、元空気溜引通しと電磁ブレーキ指令回路を追加し、ブレーキ増圧装置を搭載している。10000系貨車が装備するTR203形台車の空気ばねに圧縮空気を供給することも可能である。さらに20系客車との連絡用電話回路が設置されている。
1968年製でM形の最終グループの132 - 160号機と同一ロットで、基本的な構造は同じである。
1969・1970年製で、前面窓に熱線入りガラスが採用されデフロスターが廃止されている。ワイパーの強力化やその他計器類も一部変更されている。1020号機以降はTE・EB装置が新設され、一部暖房が強化されている。
1973 - 1974年製で尾灯を外ハメ式に変更したほか、前面飾り帯の素材変更およびメタリック塗装化・前面通風口の廃止・ブロック式ナンバープレートの採用などで、前面形状は700番台に近い意匠になっている。前面通風口の廃止のため、運転室内に扇風機が増設された。列車無線の普及で、運転室内の連絡用電話と、20系客車との連絡用のKE59Hジャンパ連結器が廃止された。電気暖房表示灯は縦長の2灯式が採用された。1974年製の1030号機以降は機器の難燃化が行われている。
1975 - 1976年製で電気暖房表示灯が横長の2灯式に変更になり、機器の難燃化がさらに進められた。また計器用変圧器がシリコンオイルに変更になり、完全な非PCB化となった。1976年製の1038・1039号機は同年廃車になったED71形1・3号機の代替として製造された。
「ゆうづる」「あけぼの」「北星」などの20系寝台特急と10000系貨車で組成された高速貨物列車Aに限定運用されたが、牽引機に特殊な装備を必要としない14系・24系客車の投入や20系客車の改造[注 6]が進むと、寝台特急運用は一般機と区別なく運用されるようになった。
10000系貨車で組成された高速貨物列車Aの限定運用は、同貨車の老朽化によりブレーキを改造し100 km/h走行を可能にしたコキ50000形250000番台が投入されると、この専用編成を牽引するため、当番台に限り1988年に常用ブレーキ促進装置の取付などの対応改造が施工され限定運用が組まれた。JR化後投入された電磁ブレーキを持つコキ100系貨車による高速貨物列車Aも当番台による限定運用が組まれていた。
本区分のうち東日本旅客鉄道(JR東日本)に継承された車両は、東北本線客車列車運用の末期に、使用頻度の低い電磁ブレーキ指令回路を閉塞して、代わりに側扉閉パイロットランプ回路用のジャンパ栓受が設置された。当該車両の一部はのちにJR貨物へ移籍し、その後も運用された。
1977年には1027号機がお召し列車を牽引、1001号機と1003号機は予備機として整備された。なお、1003号機と1025号機は国鉄時代の事故で廃車となっている。一時的に1004号機と1005号機が貨物試験塗装となっていた。
1997年にEF62形が運用を離脱して以降、JRで定期運用を持つ電気機関車としては最も運用開始年が古い形式であるが、1990年代以降、旅客会社では客車列車の廃止、貨物会社でもEH500形の増備により淘汰が進んだ。そして2012年3月17日のダイヤ改正をもって本系列の定期運用が終了した。2019年現在はJR東日本が所持する5両のみが工事列車等を中心に使用されている。
画像 | 番号 | 所在地 | 備考 |
---|---|---|---|
ED75 501 | 北海道小樽市手宮1丁目3-6 小樽市総合博物館(鉄道・科学・歴史館) |
2023年8月以降、PCBを含む機器を撤去予定[7]。 | |
ED75 775 | 埼玉県さいたま市大宮区大成町3丁目47 鉄道博物館 |
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ED75 1 | 宮城県宮城郡利府町利府新谷地脇93 新幹線総合車両センター ※解体済み |
廃車後は福島運転所で保管され、1990年からは利府駅構内で留置されていた。 2002年のFIFAワールドカップの際に再整備のうえで当所に移設されたが、2019年12月に解体された。 | |
ED75 39 | 群馬県高崎市双葉町5-1 JR東日本 高崎運転所(現:ぐんま車両センター) ※解体済み |
1987年から当所で保管されていたが、1998年に解体された。 |
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