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ぐんま車両センター(ぐんましゃりょうセンター)は、群馬県高崎市双葉町に所在する東日本旅客鉄道(JR東日本)の車両基地である。同社首都圏本部の管轄。
2022年(令和4年)までの名称は高崎車両センター高崎支所。その他旧称として、高崎機関区(初代)、高崎第一機関区、高崎客車区、高崎運転所などがある。
高崎線倉賀野駅 - 高崎駅間の線路北側に位置する。八高線(高麗川駅以北)や事業用列車で用いられる気動車や、高崎地区やその他の地区で臨時列車として運用される客車、臨時列車や事業用列車を牽引する蒸気機関車、ディーゼル機関車、電気機関車が配置されている。
1884年(明治17年)に開設された日本鉄道高崎機関庫を源流とし、高崎機関区(初代)、高崎第一機関区、高崎客貨車区などを前身に持つ[4][5]。国鉄分割民営化直前の1987年(昭和62年)3月に高崎第一機関区と高崎客貨車区が統合して高崎運転所となり[6][7]、同年4月にJR東日本に継承され、高崎車両センター(初代)[8][9]、高崎車両センター高崎支所を経て[9]、2022年(令和4年)にぐんま車両センターとなった[9][10][11](詳細は後述)。
敷地は高崎駅に隣接する客車庫エリア、高崎駅南東の車両留置線群・検修庫エリアおよびSL検修庫エリア、本センター南の日本貨物鉄道(JR貨物)高崎機関区に隣接する電気機関車留置エリアと大きく3つに分かれている[12]。出入庫は全て高崎駅側のみから行われる[12]。
客車庫エリアでは所属客車の留置[12]、車両留置線群・検修庫エリアおよびSL検修庫エリアでは所属車両および他区所所属の電車などの留置、所属車両の仕業検査、交番検査などの車両検修や臨時検修、車体修繕、車両清掃など[12]、電気機関車留置エリアでは所属電気機関車の留置[12]が主な業務となっている。これら業務の一部は協力会社(JR高崎鉄道サービス)に委託している[13]。
蒸気機関車や客車は車齢が60年を超える車両であるため、部品が破損した場合には本センターの旋盤を使用して新たに製作したりすることがあるほか[12]、乗降扉が手動である旧型客車に対して、戸閉装置と走行中の開放を防ぐ電磁石を用いたロック装置を開発し取り付けた実績がある[12]。
設備面では、かつて蒸気機関車が全盛であった高崎第一機関区時代は、車両留置線群・検修庫エリアに大規模な給炭設備があり、SL検修庫エリアの転車台には多くの線路が繋がり、扇形機関庫も備えていた[14][15]。しかし、それらの設備は蒸気機関車廃車とともに廃止・縮小され、現状の車両留置線群・検修庫エリアには事務所庁舎、車両検修庫、車両清掃台、機械洗浄機、車両留置線が[12]、SL検修庫エリアには転車台が残るものの、繋がる線路は縮小され、SL検修庫は扇形から個別型の3棟に変わっている[12]。また、客車および電気機関車留置エリアは留置線のみである[12]。
本センターは1884年(明治17年)5月1日に日本鉄道によって設置された「高崎機関庫」を源流とする[4][5]。これは日本鉄道第一区線(現・高崎線ほか)の高崎延伸にあわせて設けられたもので、機関車、客車、貨車[注 1]が所属した[16]。
1906年(明治39年)11月1日に日本鉄道が買収・国有化され、官営鉄道管轄となった後、1922年(大正11年)6月1日に客貨車の検修業務が現在の客車庫エリアに新設された「高崎検車所」(客貨車の車体部門の検修を担当[17])および「高崎列車電灯所」(客貨車の電気装置の検修を担当[17] 1928年に「高崎車電所」に改称[注 2])に移管され、高崎機関庫は機関車のみを担当するようになった[17]。1936年(昭和11年)9月には、現業機関の呼称統一のため[18][注 3]、機関車部門の高崎機関庫と客貨車部門の高崎検車所・高崎車電所がそれぞれ「高崎機関区」(初代)、「高崎検車区」・「高崎車電区」に改称された。
1943年(昭和18年)10月1日、高崎操車場開設[19]に伴い、現在本センター電気機関車留置エリアおよびJR貨物高崎機関区となっている敷地に高崎機関区・高崎検車所・高崎車電所の貨物部門が設置された。
1945年(昭和20年)2月1日には、高崎機関区が旅客部門(車両留置線群・検修庫エリアおよびSL検修庫エリア)の「高崎第一機関区」[12]と貨物部門(電気機関車留置エリアおよびJR貨物高崎機関区)の「高崎第二機関区」[20]とに改組・分離された。しかし、両区の分担は1947年(昭和22年)10月1日の上越線全線電化[21]に伴って変更され、高崎第一機関区が内燃機関車(蒸気機関車、後にディーゼル機関車や気動車も配置[22][23][24])を、高崎第二機関区が電気機関車[23][25][26](後に電車も配置[27][28][29])を受け持つこととなった。また、1949年(昭和24年)1月1日には高崎第一機関区渋川支区(1967年廃止)が設置されたほか[23]、時期不詳ながら桐生機関区[注 4]が高崎第一機関区桐生支所に改編されている[23]。
1951年(昭和26年)4月1日には客貨車部門の組織改編が行われ[注 5]、高崎検車区と高崎車電区が統合されて「高崎客車区」が発足するとともに、高崎操車場に隣接して「高崎貨車区」が設けられた[18][30]。この時分割された客車部門と貨車部門は、1986年(昭和61年)3月14日の組織改正により「高崎客貨車区」として統合された[6][7]。
1987年(昭和62年)3月1日、国鉄分割民営化に備えた現業機関改編の一環として[31][注 6]、高崎第一機関区と高崎客貨車区が統合して「高崎運転所」が発足した[6][7]。この際、高崎第一機関区の乗務員が高崎電車区に移籍し、高崎第二機関区[注 7]から敷地の一部(本センター電気機関車留置エリア)とEF55形やEF60形などの一部の電気機関車が高崎運転所に移管された[7]。なお、高崎客貨車区の配置車両のうち、貨車についてはトラ90000形[注 8]、ホキ800形、チキ6000形、ヨ3500形のみが高崎運転所に移管され、それ以外の貨車はJR貨物に引き継がれた[注 9][32]。同年4月1日の民営化では、高崎運転所はJR東日本に継承された。1989年(平成元年)3月29日には、足尾線の第3セクター化に伴い、高崎運転所桐生支所(1987年高崎機関区桐生支所から改称[33])がわたらせ渓谷鐵道に移管された[33]。
2004年(平成16年)4月1日、高崎運転所は「高崎車両センター」(初代)に改称された[8][9]。2005年(平成17年)12月10日には、新前橋電車区の検修部門が高崎車両センター(2代)に改編され、旧・高崎車両センターは「高崎車両センター高崎支所」となった[9]。
2022年(令和4年)3月12日、高崎車両センター高崎支所は「ぐんま車両センター」として独立した[9][10][11]。
配置車両には、定期運用に就く八高線のキハ110系気動車および事業用のGV-E197系気動車、高崎地区やその他の地区で臨時列車などとして運用されている12系客車およびスハ43系などの旧型客車、動態保存されている蒸気機関車、臨時客車列車や事業用列車などを牽引するディーゼル機関車および電気機関車がある。
このうち、ディーゼル機関車と電気機関車は2024年秋を最後に営業運転を終了[34]。
電車 | 気動車 | 機関車 | 客車 | 合計 |
---|---|---|---|---|
0両 | 27両 | 17両 | 13両 | 57両 |
キハ110系(21両)
GV-E197系(6両)
D51形(1両)
C61形(1両)
C58形(1両)
在籍する3機のうちEF64 1001号機は旧型客車電気暖房用のMG[注 12]を搭載している。
EF64形(2両)
EF65形(1両)
すべてSG未搭載機である。
DD51形(2両)
DE10形(9両)
DE11形(1両)
12系客車(6両)
旧型客車(7両)
上記の7両は蒸気機関車牽引列車(SL列車)および波動用で、いわゆる旧型客車である。これらの「旧型客車」は、2011年に下記の整備が行われた[39]。
これらの旧型客車は2019年(令和元年)10月28日を最後に一旦営業運転から離れ[41]、翌2020年(令和2年)4月から同年6月にかけて行われる予定だった群馬デスティネーションキャンペーンに向け、大規模なリニューアル工事が施工された[42]。
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