尾久車両センター
日本の東京都北区にあるJR東日本の車輛基地 ウィキペディアから
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尾久車両センター(おくしゃりょうセンター)は、東京都北区上中里二丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)首都圏本部の車両基地である。当センター敷地全体は尾久客車操車場と呼ばれ、その構内に存在している。
尾久車両センター | |
---|---|
尾久車両センター南側 | |
基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 | 東京都北区上中里二丁目 |
鉄道事業者 | 東日本旅客鉄道 |
帰属組織 | 首都圏本部 |
所属略号 |
都オク(旅客車) 尾(機関車)[1] |
最寄駅 | 尾久駅 |
管轄車両 |
E655系電車 E001形EDC方式寝台車 E493系電車 キヤE195系気動車 24系客車 E26系客車 皇室用客車 ホキ800形貨車 国鉄EF65形電気機関車 国鉄EF81形電気機関車 |
旧称 | 尾久客車区 |
開設 | 1926年 |
車両基地概要 | |
敷地面積 | 61,543 m2 |
構内線路延長 | 2,202 m |
留置線本数 |
着発線17本 出発線11本 |
検査線本数 | 4本 |
洗浄線本数 | 10本 |
その他設備 |
到着線4本 組替線4本 回転線2本 引上線など |
配置両数 | |
機関車 | 8両 |
電車 | 19両 |
気動車 | 67両 |
客車 | 24両 |
貨車 | 18両 |
合計 | 136両 |
備考 |
2024年4月1日現在のデータ[2] 敷地面積は有価証券報告書の値[3] |
1916年(大正5年)7月に開設された上野検車区を前身とし、1926年(大正15年)10月10日に現地に貝塚操車場が新設されて移設した車両基地である。1929年(昭和4年)6月20日に尾久客車操車場と改称され尾久客車区が発足し、2004年(平成16年)6月1日に現名称に改称した[4]。
宇都宮線(東北本線尾久支線)の尾久駅に隣接していて、列車密度、速度共に高い東北本線(宇都宮線・高崎線列車)の運行に支障を来たさずに数多くの回送列車を安全にさばくため、上野駅から当センターへの分岐点を超えて尾久駅手前までの東北本線列車線は複々線となっている。この間の客車列車の回送には、推進運転と呼ばれる特徴的な方法が採用されており、推進運転が本線上で行われているのは全国でもここだけである。
旧称の尾久客車区が示すようにかつては客車、それも上野駅発着の夜行列車が数多くあったため寝台車が多数配置されていた。また、特急「はつかり」の81系気動車置換え後は、首都圏唯一の特急形気動車の検修基地となったこともある。
構内南西には田端操車場への連絡線がある。以前は、構内西側に尾久機関区も設置され、転車台・扇形庫の設備や、扇形庫の裏手にも、田端操車場へ通じる連絡線があった[注 1]。1964年(昭和39年)3月1日に田端機関区(旧・田端運転所)に統合される形で廃止され、残された設備も1966年(昭和41年)1月までに撤去された[5]。なお、2022年(令和4年)4月1日に、連絡線付近に併設されていた田端運転所と当センターが統合し、同運転所所属の機関車は当センター所属となった[6]。
当センターは、南北に2,202 m、東西に249 m、敷地面積が約29万6000 m2である[7]。
構内は、到着線4線、着発線17線、出発線11線、洗浄線10線、組替線4線、回転線2線、引上線などが配線されている[8]。その他、北東側には検修庫と転車台が設置され、その周囲にも通路線や予備線などが配線されている[9]。構内の大部分は直流電化されているが、検修庫付近の線路は非電化である[7]。
当センターでは、宇都宮線・高崎線、常磐線、東海道線[注 2]などの通勤形・近郊形電車の滞泊や留置を行っている[10]。以前は、上野駅を発着する「北斗星」や「カシオペア」などの客車列車を担当していたが、それら客車列車の運行廃止に伴い、2023年(令和5年)4月現在では、E655系やE001形「TRAIN SUITE 四季島」と、元「カシオペア」用E26系客車の仕業検査・機能保全検査などを担当している。また、当センターの入換機としてぐんま車両センター所属[注 3]のDE10形が常駐している[11]。
上野駅の開業後の1916年(大正5年)7月に上野検車区が開設され、東北方面への客車車庫は同駅構内に置かれていた。しかし1923年(大正12年)2月からの東京 - 上野間高架線新設に伴う構内大改良工事の開始により、旅客設備以外の施設を他に移転することになった[13]。客車操車場は尾久地区に新設されることになり、1924年(大正13年)8月に貝塚信号所として開設し、貝塚信号所 - 王子間に回送線が新設され、王子経由で回送列車が運転された。また、当初は王子駅の管轄下とされた[14]。
1926年(大正15年)10月10日に貝塚操車場と改称し独立、上野検車区を現地に移設し、同時に貝塚操車場 - 日暮里間に回送線を新設、翌1927年(昭和2年)11月に回送線が上野まで延長された[14]。さらに1929年(昭和4年)6月20日に尾久操車場と改称し、操車場内に尾久客車区が設置され、同時に旅客線を分離して尾久駅も新設された。約6万坪の敷地は「東洋最大のヤード」と呼ばれた[15]。また、操車場建設と並行して東北本線列車線の経路付替えが行われ、翌21日から列車は同駅経由で運転された[16]。
1934年(昭和9年)5月10日には、田端機関庫上野分庫が廃止され、尾久分庫に業務移管。さらに1939年(昭和14年)10月1日には尾久機関区に昇格し、その後長期にわたり、基本的に田端区は貨物列車、尾久区は旅客列車の担当となった[5]。
上野 - 尾久客車操車場間の列車線と回送線は、1931年(昭和6年)4月10日から複々線となったが、当初は上野駅高架ホームからは尾久操車場に、地平ホームからは大宮方面につながる構造であり、地平ホーム⇔操車場ならびに高架ホーム⇔大宮方面の列車は日暮里駅構内の渡り線で転線を行う必要があった。これがダイヤ編成上の支障となっていたため、1968年(昭和43年)10月1日ダイヤ改正を控えて操車場への分岐点改良が行われ、同年9月29日からは高架ホーム側・地平ホーム側双方の線路から出入区できるように改められた[16]ほか、増発された列車本数に対応するため、1969年(昭和44年)4月25日より大宮(1983年〈昭和58年〉10月1日から土呂) - 東大宮間に東大宮操車場を新設し、尾久客車区東大宮派出が設置された[17]。
1994年(平成6年)12月1日には品川運転所(現・廃止)の車両無配置化に伴い、同所配置車両が転入した。また、2004年(平成16年)6月1日の組織変更で尾久客車区から尾久車両センターに改称された[12][4]。
2015年(平成27年)3月14日に上野東京ラインが開業、東海道線の宇都宮線・高崎線との相互直通運転[注 4]が行われるようになったが、東海道線の上野駅発着列車も設定されており、この回送列車は当センターに留置されるようになった[注 5]。
2024年(令和6年)4月1日現在の配置車両は以下のとおり[2]。
電車 | 気動車 | 機関車 | 客車 | 貨車 | 合計 |
---|---|---|---|---|---|
19両 | 67両 | 8両 | 24両 | 18両 | 136両 |
E655系電車(5両)
E001形EDC方式寝台車(10両)
E493系電車(4両)
キヤE195系レール運搬車(67両)
EF65形電気機関車(4両)
EF81形電気機関車(4両)
24系客車(3両)
E26系客車(13両)
皇室用客車(8両)
ホキ800形貨車(18両)
12系客車(座席車)
14系客車(座席車)
推進回送(推回)とは、機関車牽引の列車を通常とは逆向きの、客車を先頭、機関車を最後尾とした推進運転で回送する方法である。1934年6月にそれまでの機関車付け替え方式に代わって導入された[14]。
当センターが受け持つ寝台特急に代表される客車列車は上野発着であり、同駅での転向(折り返し)が必須となる。しかし、これらの発着に使われる列車ホーム[注 6]は、頭端式ホームという行き止まりの構造であるため機回しができない。そのため機関車の付け替えを行わず、推進回送が行われている。
つまり推進回送とは、当センターの場合、上野駅を出発する下り客車列車は、車庫である当センターで車内準備を整え、大宮方に機関車を連結し客車を先頭車として上野駅に向けて回送され、上野駅で乗客を乗せた後、機関車の付け替えを行わずに今度は機関車を先頭として出発する。逆に、上野駅に到着した上り客車列車は、機関車の付け替えを行わずに上野方に機関車を連結したままの状態で客車を先頭として当センターに向けて回送することを指す。
推進回送で実際に運転を担当するのは最後部の機関車に乗務する運転士であるが、運転台のない先頭の客車には正規の運転装備に代わるものとして、可搬式のブレーキ弁、警笛、前照灯、無線が用意され、非常時のブレーキ操作を行う推進運転士が乗り込み、後部の運転士と連絡を取りながら運転される。なお、この区間の回送運転は田端運転所所属の運転士が担当する[注 7]。推進運転の際の速度は45 km/h以下、推進運転士のない場合は25 km/h以下に制限されている[注 8][14]。特殊な運転扱いにもかかわらず現在まで続いている理由は、回送が約11分間程度と短距離および運行量の多い区間のため、機関車付け替えに比較して、時間的、経済的に有利との判断からとされている。
当センターでは、2001年から毎年11月中旬の土曜日に「みんな集まれ!ふれあい鉄道フェスティバル」という題名の、一般公開イベントを開催している[30]。
主なイベント内容は[31]、
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