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団体客のみ乗車可能な列車 ウィキペディアから
団体専用臨時列車(だんたいせんようりんじれっしゃ)とは、一般客が乗車出来る多客臨時列車とは異なり、学校・企業・組合など多人数の団体が乗車する際、貸切運転されるJRの臨時列車のこと。一般的な表現は「貸切列車」であるが、国鉄およびJRの旅客営業規則では貸切列車と団体専用列車は別物とされており、団体乗車券で発券された場合には「団体専用臨時列車」と呼び「団臨」と略称される。
団体列車は形態別に、以下のように分けられる。これは国鉄→JRの旅客営業規則に貸切乗車券(貸切列車)の制度があるため、これと区別するためである。
かつて、日本国有鉄道(国鉄)では主に修学旅行用途として団体専用車両を保有していたが、現在のJR旅客各社はジョイフルトレイン以外に特に専用車両を用意していない。 営業距離の長い近畿日本鉄道(近鉄)は、以前から団体専用車両を保有し、現在も保有・運用している。他の鉄道事業者でも、車両を貸し切って団体専用列車を仕立てる場合がある。
JRグループの場合、個人や少人数といった小口グループが利用する団体専用列車を運行させるのはかなり難しく、大手旅行会社が編成単位で1次買取を行い、中小旅行会社に小口分割で再販売(リセール)を行うビジネスモデルも盛んでない。
クルーズトレインなどの観光列車も、多くは旅行商品(パッケージツアー)の形で販売されることから、団臨扱いとなる。
近畿日本鉄道、阪神電気鉄道、阪急電鉄など一部には「団体 Organization」ではなく「貸切 charter」表示を使用する事業者も存在する。
昨今では少なくなっているが、かつては専用の車両・列車も多く設定され、さらには予め時刻が決められていた。定期列車に準ずる「ひので」・「きぼう」などといった「修学旅行集約臨時列車 」の設定も見られた。
選抜高等学校野球大会(センバツ、春の甲子園)または全国高等学校野球選手権大会(夏の甲子園)で、阪神甲子園球場へ向かう観客の輸送を行うもの。国鉄末期に増収活動の一環として大規模に設定されるようになり、多くは出場する高校周辺の駅などで、JR支社主催旅行の形で募集される。その性格上輸送客量が多くなるため専用列車が仕立てられることが多い。総称して「甲子園臨」と呼ばれる。
行先は駅設備などの関係から大阪駅がほとんどで、その場合には二次交通として阪神大阪梅田駅から阪神電鉄線あるいは貸切バスで甲子園球場へ向かうことになる。甲子園口駅(同駅から球場まではバスで10分、約2km程度)へ向かうものも少ないながら設定され、列車の折り返しに使用できるホームも同駅にある。
1990年代以降は貸切バスで地元から直接甲子園に向かうケースや、新幹線や航空機を利用するケース(この場合は新大阪駅や大阪国際空港などから貸切バスで甲子園に向かうことが多い)が多くなり、さらに2015年の北陸新幹線・長野 – 金沢(2024年より敦賀まで延伸)開業後は並行する北陸本線・金沢 – 直江津が第三セクター鉄道[注釈 1]に移管されたことから、この区間での専用列車運行が困難になった事情もあり、専用列車の運行は年々減少傾向にある[要出典]。
各地の団体初詣客を、神社・仏閣などの最寄駅まで輸送するもの。このうち高尾山薬王院への初詣客を高尾駅に輸送するものを「高尾臨」、成田山新勝寺への初詣客を成田駅に輸送するものを「成田臨」、鎌倉の鶴岡八幡宮などへの初詣客を鎌倉駅へ輸送するものを「鎌倉臨」と呼ぶ。専用列車の設定が多く、その使用車両にバラエティーがあるのが特色。やはりJR支社や旅行会社による主催旅行の形で募集される。通常の初詣臨時列車とは異なり、ツアー参加者以外の乗車は出来ない。
なお私鉄でも運行例があり、代表的な例として東武鉄道が自社子会社である旅行会社東武トラベルのツアーの形で、東武本線沿線から京成本線京成関屋駅に連絡する東武伊勢崎線牛田駅発着で運行されている。また、この列車に連絡する形で京成本線でも団体専用列車が運行される。
1961年(昭和36年)より国鉄が旅行会社と提携して、あらかじめ定められたモデルコースを専用の優等列車で巡る観光ツアーを募集し始め、同年3月1日からその初の観光団体専用列車となる「南紀観光団体専用列車」が運転を開始した。同年10月1日の「サン・ロク・トオ」と呼ばれるダイヤ改正では、東京・大阪を中心に全国各地に設定区間が拡大され、その中には特徴ある運転区間のものもあった。当時の時刻表に掲載されていたものを下に記す。
1964年(昭和39年)10月、この東海道新幹線が開業したときのダイヤ改正辺りが観光団体専用列車の最盛期で、前記の列車の内「京都観光団体列車」は「関西第2観光団体専用列車」と改称し往復とも「金星」に併結となり、「南紀観光団体専用列車」は下りが東京駅 - 多気駅間で急行列車「那智」と併結に、上りは白浜口始発となって奈良駅 - 東京駅間で急行列車「大和」と併結に、それぞれ変更となっている。「信濃・日光観光団体専用列車」も「信越・日光観光団体専用列車」と改称された。また、下記の様な列車が新しく設定された。
翌1965年(昭和40年)10月1日のダイヤ改正では、下記のような列車の新設や名称の変更、運転区間の変更などが見られた。さらにこのとき「○○観光団体専用列車」の表記も、時刻表上では多くが「○○観光団体列車」に改められている。
しかしながら、次第に団体旅行でも新幹線使用が一般的となったことから、これらの観光団体専用列車は廃止されるか一般の列車に転換されるかのいずれの道を歩んでいくことになった。まず1967年(昭和42年)10月1日のダイヤ改正で、下記のような列車の廃止・一般列車への転換などといった動きがあった。
そして、1968年(昭和43年)10月1日に「ヨン・サン・トオ」と年月をとって呼ばれるほどの大規模なダイヤ改正が行われ、その際再び下記のような整理がなされ、「観光団体列車」と称する列車は消滅した。
戦後の高度成長時代に、東北など地方の中学・高校新卒者の集団が、東京など都市部の工場などに就職するために運行された専用臨時列車。1954年(昭和29年)から1975年(昭和50年)3月24日まで運行された。北海道・東北・信越地方からは東京(上野駅)、九州・中国・四国・北陸地方からは大阪・名古屋へ向かう列車が多かったと言われる。
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