Loading AI tools
ウィキペディアから
キハ38形気動車は、日本国有鉄道(国鉄)が製造した一般形気動車である[2]。
国鉄キハ38形気動車 | |
---|---|
八高線色に再塗装された水島臨海鉄道キハ38-104 | |
基本情報 | |
運用者 |
日本国有鉄道 東日本旅客鉄道 水島臨海鉄道 ミャンマー国鉄 |
製造所 | 国鉄大宮工場、郡山工場、長野工場、幡生車両所、鷹取工場 |
製造年 | 1986年 - 1987年 |
製造数 | 7両 |
運用開始 | 1986年7月1日[1] |
運用終了 | 2012年 |
主要諸元 | |
軌間 | 1,067 mm |
最高速度 | 95 km/h |
車両定員 |
0番台:124人 1000番台:138人 |
自重 |
0番台:30.8 t 1000番台:30.3 t (空車重量) |
全長 | 20,000 mm |
車体長 | 19,500 mm |
全幅 | 2,928 mm |
車体幅 | 2,800 mm |
全高 |
0番台:3,995 mm 1000番台:3,925 mm |
車体高 | 3,680 mm |
床面高さ | 1,250 mm |
車体 | 普通鋼 |
台車 | DT22C・TR51B |
動力伝達方式 | 液体式 |
機関 | DMF13HS |
機関出力 | 250 PS / 1,900 rpm |
制動装置 | 自動空気ブレーキ |
保安装置 | ATS-S |
備考 | 交友社『鉄道ファン』1986年8月号巻末形式図参照。 |
八高線で使用されていたキハ35系気動車は1960年代初頭に製造されたもので、初期製造グループは既に製造後25年近くを経過しており、老朽化が目立つようになった。また、周囲の電化線区の冷房化が進み、非冷房の同系列をそのまま使用し続けることは、サービス政策上望ましくなく、八高線への冷房車導入が必要であると判断された。
そこで、キハ35系のうち特に状態の悪い車両について車体更新を実施することになり、1986年(昭和61年)から1987年にかけてキハ35形の改造名義により7両が各地の国鉄工場(大宮工場、郡山工場、長野工場、幡生車両所、鷹取工場)にて、コストダウンを図ると共に国鉄各工場の技術力維持を目的として製造された。台車や変速機などの主要機器にキハ35形からの発生部品を流用し、合わせてバス用の部品を多用することで軽量化と製造コスト抑制を図っている。
トイレ付きの0番台が4両、トイレなしの1000番台が3両の計7両が製造された。いずれも片運転台であるため、最小運行単位は2両となる。なお、0番台のトイレは、久留里線移籍時に閉鎖されている。
番号の新旧対照は、次のとおりである。
|
|
朝夕のラッシュ時に対応する必要があったことから、通勤形気動車として設計されたキハ35系の扉配置が踏襲されている。このため、キハ35系と同じく前面貫通形で、側面に3か所の両開き扉を備える普通鋼製車体であるが、車体構造は1983年(昭和58年)に製造されたキハ37形の設計を基本としており、車体長は19.5 m、車体幅は2.8 mである[3]。
乗降口はキハ35系と同じくステップ付きで、扉は自動・半自動(押ボタンによる開閉操作)の切り替えが可能な構造である。キハ35系の外観上の特徴だった外吊り戸は、車体との隙間が大きく冬期に車内の保温性に難があったことと、ステップと戸袋を設けても車体強度の上で問題がない(補強を加えても重くなりすぎない)と判断されたことから、本形式では外吊り戸を止め、通常の両開き扉となっている。そのため、キハ35系に比べすっきりとした外見となったが、縦形機関(直立シリンダー形エンジンの国鉄での呼称)搭載のキハ37形の構造をそのまま流用したため、新型の横型機関(同じく水平シリンダー形)を搭載しているにもかかわらず、床面高さが高く、腰高な印象となっている。側面窓はバス用のユニット窓(上段下降・下段上昇式)を使用し、戸袋窓は廃止している。
前面には、前照灯・尾灯がケーシング中に水平に並べて配置されている。正面窓には201系電車等と同様のブラックフェイスを採用した。
車体塗装はクリーム10号地に赤15号・灰茶8号の帯とされた。
キハ35系と同様、全席ロングシートで、1席ずつ区分されたバケットシートとなっている。ただし0番台のトイレ向かい側の座席のみ、横向きのボックスシートである。
本形式では新製時より冷房装置を搭載している。急行形気動車や快速形として製造されたキハ66・67形を別にすれば、国鉄の一般形気動車としては初である。冷房装置はコストダウンのためこれらとは異なり、2階建てバス用の冷房システムを流用したサブエンジン方式のAU34を搭載している。冷却能力は30.23kW(26,000kcal/h)で、通勤用車両としては若干能力が不足気味となっているため、扇風機も併設している[4]。ただし扇風機は車両ごとの一括制御で、乗客が操作することはできない。
暖房装置はキハ37形などと同様の温風暖房である。
走行用機関としては、キハ37形のDMF13Sを横型とした新潟鐵工所製のDMF13HS(250PS/1,900rpm) 過給器付き直噴式ディーゼルエンジン1基を搭載している[5]。従来のDMH17系やDMF15HS系などに比べ小型、軽量、高出力、低燃費で、始動性や整備性にも優れている。
液体変速機は、キハ35形からの発生品である、神鋼造機TC-2Aの機関と干渉する部分を一部改造したTC-2Bおよび新潟コンバータDF115Aで、エンジン出力の向上に対応して、トルクコンバータとクラッチ回りに改良が施されている。
台車についても、キハ35形からの発生品であるDT22C(動台車)・TR51B(付随台車)が流用されている[5]。
落成後は全車両が高崎第一機関区(→高崎運転所。現・ぐんま車両センター)に配置され、1986年(昭和61年)7月1日より八高線運用区間全線(八王子 - 高崎間)で他形式と混結して運用された[1]。
民営化後の1996年(平成8年)、八王子 - 高麗川間の電化と同時に、八高線非電化区間の全気動車をキハ110系に置き換える事が決定した。これに伴って本形式は全車両が幕張電車区木更津支区(→幕張車両センター木更津派出)へ転出し、久留里線で使用される事となった。
転用に際して塗装が変更され、既に同線で運用されていたキハ30形、キハ37形と同様の、東京湾アクアラインをイメージしてクリーム地に青のストライプを施した旧久留里線色となった。キハ38 1・3については同年10月に薄いグレー地に青緑と青の帯を配した新塗装になり[6]、他の車両についても後にこの新塗装とされた。
その後も久留里線で運用されていたが、2012年(平成24年)12月1日をもって同線の全気動車がキハE130形100番台に統一されたため、本形式はキハ30形、キハ37形と同時に定期運用を終了した[7][8][9]。運用終了後は1両が静態保存され、6両が他社もしくは海外へ譲渡された。
2013年(平成25年)7月10日、水島臨海鉄道は久留里線で運用されていたキハ30形2両、キハ37形3両とともに本形式1両(キハ38 1003)をJR東日本から購入し、リフレッシュ工事を行った上で2014年(平成26年)3月より運行を開始すると発表した[10][11]。同年5月12日より営業運転を開始し[12]、2019年(平成31年)3月改正のダイヤでは三菱自工前・水島 - 倉敷市間を平日朝2往復・夕方3往復運行している[13]。
導入に際して「キハ38 104」に改番され[14]、塗装も国鉄標準色(国鉄一般気動車色)に変更された。本形式にこの塗装が施されたのはこれが初めてであり、額縁スタイルでくぼんでいたブラックフェイス部分も国鉄標準色で塗装されていた。
キハ38 2〜4、1001、1002はミャンマー国鉄へ譲渡され、2014年(平成26年)4月に船便でミャンマーに輸送された後、現地で改造を受け、同年8月16日より営業運転を開始した[17]。ミャンマー国鉄では初となるエアコン+自動扉装備車両として、ヤンゴン環状線で2時間に一本程度の頻度で運転している[18]。
機器整備が行われ、イベント時などに警笛吹鳴体験が行われている。2023年8月に現役引退時の新久留里線色から旧久留里線色に塗装変更された。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.