大館市
秋田県の市 ウィキペディアから
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大館市(おおだてし)は、秋田県北部に位置する市。市の北境で青森県と接している。1951年(昭和26年)市制施行。
おおだてし 大館市 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 東北地方 | ||||
都道府県 | 秋田県 | ||||
市町村コード | 05204-3 | ||||
法人番号 | 3000020052043 | ||||
面積 |
913.22km2 | ||||
総人口 |
64,331人 [編集] (推計人口、2024年10月1日) | ||||
人口密度 | 70.4人/km2 | ||||
隣接自治体 |
北秋田市、鹿角市、鹿角郡小坂町、山本郡藤里町 青森県:弘前市、平川市、 南津軽郡大鰐町、中津軽郡西目屋村 | ||||
市の木 | 秋田杉[1] | ||||
市の花 | キク[2] | ||||
他のシンボル | - | ||||
大館市役所 | |||||
市長 | 石田健佑 | ||||
所在地 |
〒017-8555 秋田県大館市字中城20番地 北緯40度16分18秒 東経140度33分55秒 大館市役所・本庁舎 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
ウィキプロジェクト |
市域の大部分は山間部であり、米代川とその支流の流域に沿って集落が点在する。大館城址および市役所、裁判所、検察庁などが建ち並ぶ旧市街地は長木川と米代川に挟まれた大館盆地の中心にある。
全国の一般的な主要都市と異なり、主要駅の大館駅よりも東大館駅の方が市役所に近い。
県庁所在地の秋田市および県南部への交通の便は悪く、娯楽や観光・商業・医療の面では秋田県内の各都市とのつながりよりも、奥羽本線・東北自動車道などが通っていて距離も近い弘前市や中南津軽地域とのつながりが強い[注釈 1][3][4]。
秋田県の北部に位置する。北境で青森県と県境を接し、東境で鹿角郡小坂町と鹿角市、南境で北秋田市、西境で藤里町と接する。2005年(平成17年)、西部の田代町、北部の大館市、南部の比内町が合併し、面積がほぼ2倍となった。
秋田三大河川の1つである米代川が東から西に向かって中央部を貫き、南から流れてきた犀川と引欠川、北東から流れてきた長木川、岩瀬川、早口川が次々と合流する。大館市は、四方を山に囲まれた盆地である。北部の山々は、白神山地の東端に位置する田代岳を主峰とする1000メートル級の峰が連なり、東部には鳳凰山に代表される500メートル級の山々に樹海が広がっている。南部には、竜ヶ森を主峰とする比内連峰が屏風のように聳え、東部には魔当山などのなだらかな山並みが続いている。大館盆地の中央(米代川南側)には、霊峰として知られる達子森がピラミッドのような山容で聳えている。
秋田県内では、経済・医療・教育・気象など分野により、大館市と北秋田市・北秋田郡を含む地方を北秋(ほくしゅう)、さらに北秋地域と鹿角市・鹿角郡をまとめて北秋鹿角(ほくしゅうかづの)または北鹿(ほくろく)、大館市と鹿角市・鹿角郡を大館鹿角[注釈 3]と分類し、区分する場合が多い。
寒暖の差が大きく気温の年較差、日較差が大きい顕著な大陸性気候である。降雪量が多く、周辺の自治体と同様に特別豪雪地帯に指定されている。
冬季は-15℃前後の気温が観測されることが珍しくなく、近年でも2012年1月28日に-17.6℃、2012年1月29日に-19.0℃、2014年1月18日に-17.6℃、2018年2月2日に-17.4℃、2022年1月5日に-16.1℃を観測している。
大館(1991-2020)の気候 | |||||||||||||
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月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年 |
最高気温記録 °C (°F) | 10.8 (51.4) |
20.2 (68.4) |
23.9 (75) |
30.8 (87.4) |
33.2 (91.8) |
35.1 (95.2) |
37.5 (99.5) |
38.8 (101.8) |
37.0 (98.6) |
28.6 (83.5) |
23.8 (74.8) |
16.2 (61.2) |
38.8 (101.8) |
平均最高気温 °C (°F) | 1.6 (34.9) |
2.9 (37.2) |
7.1 (44.8) |
14.8 (58.6) |
20.8 (69.4) |
24.7 (76.5) |
27.6 (81.7) |
29.0 (84.2) |
24.9 (76.8) |
18.2 (64.8) |
10.9 (51.6) |
4.0 (39.2) |
15.5 (59.9) |
日平均気温 °C (°F) | −2.0 (28.4) |
−1.4 (29.5) |
2.0 (35.6) |
8.2 (46.8) |
14.4 (57.9) |
18.8 (65.8) |
22.5 (72.5) |
23.6 (74.5) |
19.0 (66.2) |
12.0 (53.6) |
5.7 (42.3) |
0.2 (32.4) |
10.2 (50.4) |
平均最低気温 °C (°F) | −5.9 (21.4) |
−5.8 (21.6) |
−2.7 (27.1) |
2.3 (36.1) |
8.7 (47.7) |
13.9 (57) |
18.6 (65.5) |
19.4 (66.9) |
14.5 (58.1) |
7.0 (44.6) |
1.3 (34.3) |
−3.1 (26.4) |
5.7 (42.3) |
最低気温記録 °C (°F) | −19.0 (−2.2) |
−17.9 (−0.2) |
−14.9 (5.2) |
−8.5 (16.7) |
−2.1 (28.2) |
4.6 (40.3) |
9.4 (48.9) |
9.9 (49.8) |
2.7 (36.9) |
−2.1 (28.2) |
−8.0 (17.6) |
−15.8 (3.6) |
−19.0 (−2.2) |
降水量 mm (inch) | 108.2 (4.26) |
92.6 (3.646) |
106.1 (4.177) |
118.5 (4.665) |
126.4 (4.976) |
121.6 (4.787) |
216.6 (8.528) |
214.0 (8.425) |
164.8 (6.488) |
163.2 (6.425) |
162.0 (6.378) |
139.2 (5.48) |
1,741 (68.543) |
平均降水日数 (≥1.0 mm) | 19.8 | 17.0 | 15.7 | 12.7 | 12.4 | 10.4 | 13.0 | 11.7 | 12.3 | 14.8 | 17.2 | 20.2 | 176.7 |
平均月間日照時間 | 59.2 | 82.7 | 132.0 | 165.9 | 185.6 | 174.9 | 147.4 | 176.4 | 145.9 | 131.2 | 91.1 | 57.9 | 1,541.5 |
出典:気象庁[5] |
大館市周辺の北秋鹿角地方は縄文時代の遺跡が多く残る地域で、大館市内にも170か所におよぶ遺跡が確認されている。8 - 9世紀ころまでは蝦夷の地であり、当時は大館市周辺は火内(=比内)と呼ばれる大和朝廷の勢力の及ばない地域であった[6]。
大館地方が文献に初めて登場するのは『日本三代実録』元慶2年(878年)条の元慶の乱の記事で、秋田城下の村の一つとして「火内」と記され、大館地方は古来から比内郡の一部であった。
1590年(天正18年)に豊臣秀吉の朱印状により比内郡が秋田郡に編入され、以後、1878年(明治11年)に旧比内郡のほぼ全域が北秋田郡となるまで秋田郡に属していた。
関ヶ原の戦い以後、常陸国から佐竹氏が移封され、大館城には現在の常陸大宮市から佐竹氏に従って移った小場義成(佐竹西家)が城代として入城して、江戸時代には久保田藩の大館城下として栄えた。
しかし戊辰戦争のおりに十二所の戦い・大館城攻城戦などの激しい戦闘が行われて大館城などの中心部を含む市内の広範囲の部分が焼失した。とくに中心部は町屋29軒しか残らなかったほど焼き尽くされ、その後も大正・昭和期に中心部が幾度となく大火にみまわれ、歴史的な建造物や城下町だった面影はほとんど残っていない。
近世では、1885年(明治18年)に花岡村で黒鉱などが発見されたことを初め、広範囲で鉱山が開山された。鉱石の運搬などのため秋田県でもいち早く鉄道網が整備され、1980年ころまでは秋田県の都市圏の中では秋田市に次ぐ規模として人口も増加し周辺が発展していった。しかし、昭和時代後半には資源の枯渇にともない鉱山の閉山が相次ぎ、人口が流出すると同時に鉄道の廃線や商業施設の衰退など市として一時の勢いがなくなり、秋田県の都市圏としても2000年以降6位まで下落している。
1980年代後半からは大手医療機器メーカーニプロが進出し[7]、秋田県内では最大規模の工業団地を形成している。
大館市と全国の年齢別人口分布(2005年) | 大館市の年齢・男女別人口分布(2005年) | |||||||||||||||||||||||||||||||||
■紫色 ― 大館市
■緑色 ― 日本全国 | ■青色 ― 男性 ■赤色 ― 女性 | |||||||||||||||||||||||||||||||||
大館市(に相当する地域)の人口の推移
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総務省統計局 国勢調査より |
三次医療は、北秋鹿角地域では当初の計画で北秋田市民病院に救命救急センターを開設する予定であったが、計画通りの医療機関になっておらず、計画が白紙にもどされ、また秋田市の秋田赤十字病院から大館市は120分以内で到達できないため、空白地域になっている[27]。現状では、大館市立総合病院が弘前大学と専門医養成ネットワークに関する協定を締結していて、また弘前市への到達時間が秋田市よりも短いことから、三次医療は高度救命救急センターのある弘前大学医学部附属病院に搬送されることが多い[4]。
大館鳳鳴高等学校は、1898年に秋田縣第二尋常中學校として開校する。のちに大館工業高等学校・大館商業高等学校・大館南高等学校が分離独立する。
交流都市として、忠犬ハチ公生誕90周年の節目の2013年からゆかりのある各自治体が集まりハチ公サミットを開催している[32][33]。
米代川やその支流の周辺では、稲作が盛んで市街地以外は田園風景が広がる。また名産品が多く、秋田犬、比内鶏、きりたんぽ、大館曲げわっぱ、天然鮎が、大館の5大名産品として知られている。中世の時代から、森林資源と鉱山資源に恵まれ、花岡鉱山、釈迦内鉱山や旧比内町地区には大谷、大葛、立又、大巻、大沢、藤原の鉱山があった。森林資源では天然秋田杉が、鉱山資源では良質の黒鉱や、金銅などの貴金属を多く産出したが、天然林の枯渇や鉱山の経営悪化により衰退した。現在では、花岡鉱山跡地周辺には、花岡鉱山を運営していた藤田組(同和鉱業を経てDOWAホールディングスに改称)の施設が並んでいる。また、二井田地区には大手医療機器メーカーニプロのマザー工場があり、県内でも最大規模を誇る工業団地を形成している。
奥羽本線・国道7号が秋田市方面から青森市方面に西から北へ延び、東へは花輪線・国道103号を経由し国道282号が盛岡市方向へ延びる、交通の分岐点となっている。
県庁所在地秋田市への交通は、北秋田市より西へ通じる路線バスや高速バスが運行されていないため、移動手段は車か鉄道しかない。車での移動は大館能代空港IC、秋田県道325号大館能代空港西線、国道7号を経由して二ツ井白神ICから秋田自動車道を利用するか、国道285号を利用する。また、鉄道は特急を併せておおむね1時間に1本程度、所要時間1時間30分から2時間程度かかる。盛岡市へは東北新幹線への接続のため開設された高速バスが1時間に1本運行されており、長距離移動の主要手段となっている。
鉄道は秋田県の中でいち早く整備されたが、私鉄は1994年までにすべての旅客営業が廃止され、その後は東日本旅客鉄道だけが現存する。
車での遠距離の移動には東北自動車道を利用することが多く、十和田IC・小坂IC[注釈 12]・碇ヶ関ICの各ICを経由するか、秋田自動車道(大館西道路)から小坂JCTを経由する[注釈 13]。
市外局番は0186で、大館市単独で1つの単位料金区域 (大館MA) となっている(北秋田市・郡、鹿角市・郡も同じ市外局番だがMAがそれぞれ違う)。
なお、回線はNTT東日本が敷設するメタリックと光ケーブル、KDDIのメタリック、大館ケーブルテレビによるケーブルテレビ網をつかった回線などであったが、2012年度からKDDIが光ケーブルによるサービスを開始し、選択肢が増えた。
ほか
大館八景は大館市を代表とする8つの景観や施設を選定したもので、1762年(宝暦12年)から中国の瀟湘八景になぞらえて指定したのが始まりである[37]。
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