北海道大学
北海道札幌市北区にある国立大学 ウィキペディアから
北海道札幌市北区にある国立大学 ウィキペディアから
北海道大学(ほっかいどうだいがく、英語: Hokkaido University)は、北海道札幌市に本部を置く日本の国立大学である。1876年(明治9年)創立の札幌農学校を前身とする。国内の旧帝国大学7校の一つであり、THE大学ランキング日本版2022では国内第6位、社会貢献の取り組みを示すインパクトランキングでは世界10位・国内1位に数えられる[2]。略称は北大(ほくだい)[注釈 1]。
北海道大学 | |
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大学設置 | 1918年(大正7年) |
創立 | 1876年(明治9年) |
学校種別 | 国立 |
設置者 | 国立大学法人北海道大学 |
本部所在地 |
北海道札幌市北区北8条西5丁目 北緯43度4分29秒 東経141度20分27秒 |
学生数 | 17,541 |
キャンパス |
総面積(その他含む) 660,177,464 m2[1] (2022年4月1日時点) |
学部 | |
研究科 |
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ウェブサイト |
www |
札幌農学校の源流は1872年(明治5年)設立の開拓使仮学校(東京府芝)および同校が北海道札幌郡に1875年(明治8年)に移転・改称した札幌学校であるが、北海道大学の歴史で「前史」とされており、両校の開校日は、現在の北海道大学の創立記念日と位置付けられていない[4]。大学全体としては学制(明治5年太政官布告第214号)の規定に基づく学士の称号の授与権限が付与された1876年(明治9年)を北海道大学の創基(創立)[注釈 2]年としている。
札幌農学校はその後東北帝国大学農科大学(1907年)、北海道帝国大学(1918年)、太平洋戦争敗戦に伴い改組された新制大学である北海道大学(1947年)を経て、現在の国立大学法人北海道大学(2004年)に至る。現在の国立大学法人北海道大学は、創基以来4番目の組織再編とされており、北海道大学の時代区分においても、国立大学法人化以前の北海道大学とは区別されている。
2021年の時点で、北海道大学の卒業生で教員の鈴木章と教員ベンジャミン・リストの2名がノーベル化学賞を受賞している。2010年ノーベル賞受賞者根岸英一も北海道大学触媒科学研究所の特別教授として務めた。
フロンティア精神、実学の重視、全人教育、国際性の涵養などが建学理念であり、現在も基本理念として掲げられている[6]。
札幌農学校初代教頭(事実上の校長)[7]であるウィリアム・スミス・クラーク(米国マサチューセッツ農科大学前学長)が、米国帰国にあたり札幌近くの島松(今の恵庭市と北広島市境界付近)で馬上から叫んだという「Boys, be ambitious.」(少年よ、大志を抱け)は、現在でも北海道大学のモットーとして受け継がれている[8]。クラークは、札幌農学校の開校式において、「lofty ambition」(高邁なる大志)との言葉を発しており、開校および帰国に際していずれも大志との語を使っていることから、その信念が一貫していたことが分かる[注釈 3]。
クラークが説いたキリスト教精神により、官立学校にもかかわらず学生の間で「イエスを信ずる者の誓約」が行われ、内村鑑三などのクリスチャンを生んだ。彼らは札幌バンドと呼ばれ、日本におけるプロテスタントの先駆者として活躍した。札幌農学校1期生の伊藤一隆は1876年(明治9年)、着任わずか2日後のクラーク立ち合いのもと、クラークの宿舎において英国国教会(CMS)の宣教師ウォルター・デニングが洗礼を授けた[10][11]。キリスト教に関しては後に衰退していくが、伊藤一隆や内村鑑三らが引き継いでいくこととなった。現在でも北海道大学の校歌の旋律はキリスト教の賛美歌と同一である等、国立大学でありながらキリスト教の文化が残る一面も見受けられる。
このような札幌農学校の精神が、同大の基本理念に引き継がれている。「アイヌの父」として知られる英国聖公会宣教協会(CMS)の宣教師ジョン・バチェラーの邸宅も北海道大学植物園内に移築され、登録有形文化財になっている[12]。
男女共同参画社会基本法に基づくポジティブ・アクションに取り組んでおり、全研究者の中の女性研究者比率が2020年までに20%になるよう努めるとする数値目標を掲げ推進している。北東アジア地域との連携を重視しており[13]、大韓民国、台湾、中華人民共和国などの大学とも相互協定を結んでいることだけではなく、2005年4月12日に連携協力協定を締結した青年海外協力隊(JICA)へも定期的に隊員を送り出し[14]、研修員を受け入れている[15]。これは、同大学の建学の精神にも謳われている、国際性豊かな若者を育成することを重視しているためである。
(沿革節の主要な出典は大学概要[16])
本節では、北海道大学が発行する大学概要に準拠し、1876年(明治9年)以降の沿革を「札幌農学校時代」「東北帝国大学農科大学時代」「北海道帝国大学時代」「北海道大学時代」「国立大学法人北海道大学時代」に分けて記す。
[31]。
北海道大学は、国立大学としては最多の12学部・19大学院を設置し、大学の総敷地面積としては国内最大の規模(660平方キロメートル[1])であり、全国の大学が所有する土地面積の4割超を有する。
校章はキャンパス内に自生するオオバナノエンレイソウ(ユリ科トリリウム属の多年草)を図案化したもの[32]。1950年(昭和25年)の公募による入選作を、創基120周年を機に修正を加え、1996年(平成8年)9月にシンボルマークとして決定された[32]。起源について、恵迪寮のシンボルマークから発祥説と、ラグビー部のシンボルマークから発祥説がある。
従来より北大の緑豊かなキャンパスを表すグリーンがスクールカラーとして慣例的に使用されていたが、2009年(平成21年)9月に、詳細な色指定をもって正式にスクールカラーとして定められた[32]。プロセスカラーはシアン80%、マゼンタ10%、イエロー100%、ブラック30%[32]。
校歌は『永遠の幸』(とこしえのさち)と題し、札幌農学校時代に作られた。作詞者は有島武郎。米国人作曲家ジョージ・F・ルートが1863年に作曲した "Tramp!Tramp!Tramp!" が原曲。この曲はアメリカ合衆国が南北戦争の時代に北軍の行進曲として歌われ、南軍でも歌われていた。歌詞を変えてアイルランドでも流行した。南北戦争後、米国の各大学でも学生歌に用いられていたものを納所弁次郎が選曲したといわれている。旧制の国立学校校歌としては特異な成り立ちであり、旧帝大においては唯一の「校歌」である。
歌詞は大和田建樹が校閲したため、作詞者の欄に有島とともに併記されることもある。
有島が作詞をしたのは1900年(明治33年)頃であり、1900年(明治33年)に行われた創立25周年記念祝賀会で歌われたとする資料がある。当時有島は農学校の学生であったため、現在でも校歌作詞者を記す時には「有島武郎君作歌」というように「君」付けで表記されることが多い。
原曲の"Tramp! Tramp! Tramp!"は、キリスト教の賛美歌にも使われ、日本においては、日本福音連盟『新聖歌』(2001年版)の186番、救世軍歌(1997年版)の108番などにその例が見られる。
"Tramp! Tramp! Tramp!"を原曲とする曲としては、同志社大学の応援歌『若草萌えて』や童謡の『船乗りの夢』、アイルランド準国歌『神よアイルランドを守り給え』も該当する。
北海道大学には現在も『都ぞ弥生』(みやこぞやよい)をはじめとする寮歌が歌い継がれている。大学の公式の寮である恵迪寮では、1907年から2018年現在まで原則、年に1曲ずつ寮歌が作成されている[注釈 5]。
学校の花はオオバナノエンレイソウで、校章のモチーフとなっている。
21世紀COEプログラムの採択数は12件だった。
グローバルCOEプログラムの採択数は7件である。
もともと課外活動に関する学生団体として札幌農学校時代に文武会が存在し、その後、予科の教官と学生の懇親と団結を目的とした桜星会が誕生した。これがスポーツ中心の活動となった組織が北海道大学体育会である[44]。2018年7月30日時点公認の体育系団体は67団体(その内53団体が体育会に所属[45])あり、文科系団体は52団体がある[46]。
北海道大学の体育会団体の中には、他大学生の受け入れを認めている団体があるほか、近隣大学と合同練習する団体も見られる。 (2019年1月時点の公式サイト掲載団体)
上述の体育系団体と同様、文化系団体においても他大学生の在籍を認める団体が多く見受けられる。
北海道大学は札幌駅徒歩圏内という立地条件に加えて、近隣に複数の大学が所在するという事情もあり、多くのサークルにおいて他大学生の受け入れを認めている。特に藤女子大学や北海道武蔵女子大学・短期大学の学生が多く在籍する傾向にある。
北海道大学では、ほとんどのサークルが常設の「部室」というものを与えられていない。このため、校内各所に設けられた会議室・サークル会館等の部屋を時間指定で借りて、活動を行う。常設の部室が無いため、備品も同じく各所に設けられたロッカー等に保管される。
文化系団体のYOSAKOIソーラン北海道大学"縁"はYOSAKOIソーラン祭りに北海道大学"縁"として出場。2009年から2016年まで8年連続でファイナル進出。2013年、2014年の2年連続で準YOSAKOIソーラン大賞を受賞[47]。演舞の途中で男性陣が「赤いふんどし」になる。
毎年6月上旬に北18条ロータリー(高等教育推進機構前)から農学部前までのメインストリートを使った「北大祭」が盛大に開催される。「北大祭」とは、期間中に開催される各祭りの集合体であり、主に学部・学科・ゼミを中心とする「学部祭」(例:獣医学部祭)、留学生を中心とする IFF (International Food Festival)、1年生やサークルを中心とする「楡陵祭」(ゆりょうさい)などによって構成されている。北大祭は日祝日にかけて行われるため訪れる観光客や市民も多い。このほか10月から11月にかけては恵迪寮祭も行われる。
北海道大学の卒業生が組織する各学部や地区別に存在していた同窓会をとりまとめるため、2004年4月に北海道大学連合同窓会が発足した。 2016年6月に大学、在学生との連携をさらに強化することを目的として連合同窓会は解散し、北海道大学校友会エルムが発足した[48]。
以下は校友会エルムにおいて「基礎同窓会」と位置づけられている組織[49]。
大学内では通称「エルムの杜」とも呼ばれ、札幌市中心部に所在している。敷地面積は177万m2[注釈 42]
キャンパス内は南北約1.5キロメートルのメインストリートの左右に各施設が並ぶ配置。キャンパスのすぐ東を南北に延びる札幌市営地下鉄南北線さっぽろ駅付近から北12条駅を抜け、北18条駅を過ぎる辺りまでキャンパスが広がっている。付属農場の部分も加えると、その北端は北24条駅の辺りにまで達する。目的の施設・学部・研究科などによって最寄駅は大きく異なる。札幌キャンパスの多くの施設では、住所に「番」および「号」が付与されていない全国的にも珍しい住所表記となっている[注釈 43]。
札幌キャンパスでは通行車両を必要最小限に抑えるため「車両通行規制」が施行されており、観光・通り抜け・通学目的の車両入構禁止、最高速度25km/hなどの規制が敷かれている。キャンパスの西側(石山通・桑園地区)と東側(北大通・地下鉄南北線沿線)の往来は不便であったが、2001年(平成13年)にキャンパスの北部を東西に貫く地下道路トンネル「環状通エルムトンネル」が開通したことにより従来より利便性が向上した。
正門を入って北側の大学事務局(本部)は、北海道帝国大学予科時代に校舎として使用していた建物。西に進むと広い芝生の「中央ローン」がある。中央ローンを流れる小川はサクシュコトニ川で、現在は人工の川であるが、かつては鮭も遡上した天然河川であった。
中央ローンの北には、旧制東北帝国大学農科大学以来の木造の教室である「古河記念講堂」が残り、西には同じく明治建築の「旧昆虫学及養蚕学教室」と「旧札幌農学校図書館読書室・書庫」、南には「クラーク像」、その西には時計塔がある「農学部本館」と、北大の象徴が集まっている。メインストリート南端にあるクラーク会館は、国立大学初の学生会館である。「旧昆虫学及養蚕学教室」の北の広場は「エルムの森」と呼ばれ、その北に総合博物館がある。
絵はがきなどで有名なポプラ並木は、メインストリートから理学部と工学部の間を西側に入った農場近くにあり、約300 mの並木が続く。かねてより倒木の危険性があり、立ち入りは禁止されていたが、2004年(平成16年)9月の台風の影響で51本のうち27本が倒壊してしまった。その後、再生を目指して若木の植樹を行うなどして整備し、80 mほどまで散策可能となった。
理学部敷地内の旧理学部本館は1999年(平成11年)から北海道大学総合博物館となり、農学部など学内各学部に分散して管理されていた明治時代以来の各種学術資料の集中的な管理体制が構築されつつある。
札幌キャンパスは国指定重要文化財・登録有形文化財が複数登録されており、札幌市を代表する観光スポットの一つ[注釈 44]として毎年多くの観光客が訪れている。
キャンパス北地区に位置する重要文化財・北海道遺産である札幌農学校第2農場はクラークの構想によるモデルバーン(模範家畜房)を中心にした明治期の建築物であり、現存する北大の建築物の中では最古である。旧校地である北1条西2丁目に、旧札幌農学校演武場(通称:札幌時計台)が保存されており、キャンパス移転前の趣が色濃く残されている。
正門近くの中央ローンに「クラーク像」(胸像)があるが、これは札幌市豊平区のさっぽろ羊ヶ丘展望台にある「丘の上のクラーク」(全身像)とは別物[54]である。
キャンパスから少し離れた南側の北海道庁赤レンガ庁舎隣接地に北海道大学植物園(13万 m2)があり、こちらも観光客が多く訪れる。
水産学部は札幌農学校水産学科として発足したが、1935年(昭和10年)に函館高等水産学校として函館に独立し、1949年(昭和24年)の新制大学制度の施行に伴い、函館水産専門学校は北海道大学に包括され、農学部水産学科と併せ水産学部となった。その経緯から現在でも水産学部のみ函館のキャンパスを使用しており、卒業式も同キャンパスで開催される。面積はおよそ89,000 m2[注釈 45]2006年度より共同研究を目的とした一部の研究室が札幌に移転(環境科学院へ)している場合もあり、各学部間との協力体制も見直されてきているため、一部の学生は函館に移行した後、再び札幌に戻るケースもでてきている。平成23年度より総合入試が導入されたため、従来は2年生後期に函館キャンパスに移行となっていたが、3年生前期からのキャンパス移行へと変更がなされている。したがって水産学部生の中には、最短で1年間だけ函館で生活し、4年生から札幌に戻る学生もいるため、慌ただしいキャンパスライフを送ることになる学生もいる。
有珠火山観測所、厚岸臨海実験所(厚岸町)、静内研究牧場(新ひだか町[55])、生物生産研究農場余市果樹園(余市町)、洞爺臨湖実験所、各研究林など北海道内に20施設。パラダイス・ヒュッテ[注釈 46]、ヘルヴェチア・ヒュッテ、無意根小屋などの山小屋もある。水産学部は1,300トン級の練習船「おしょろ丸」など船舶数隻[注釈 47]を所有している。
北海道以外にも和歌山県古座川町に約429万 m2の研究林[注釈 48]、東京都千代田区丸の内にある「サピアタワー」内(東京都港区の新高輪プリンスホテルから2007年3月に移転)に東京オフィスを持つ。日本国外にも韓国の首都ソウル、フィンランドの首都ヘルシンキ、アフリカ大陸にあるザンビアの首都ルサカの各地にオフィスも所有する。
大学公式の寮として札幌キャンパスの大学敷地内に学部学生の男子および女子と男子大学院生、外国人男子留学生を対象とした「恵迪寮」(けいてきりょう)がある。札幌キャンパスには女子学生対象の「霜星寮」(そうせいりょう)と「北大インターナショナルハウス北23条2号棟」がある。函館キャンパスの水産学部・水産科学院生の男子および女子を対象とした「北晨寮」(ほくしんりょう)がある[56]。
加えて、外国人学生向けの寮として「北大インターナショナルハウス北8条」「北大インターナショナルハウス北23条」「北大インターナショナルハウス伏見」がある。日本国外からの学生は原則、入国直後は寮に入寮する。期間は原則6か月間とされている。代々木ゼミナールの学生寮として使われていた建物を北海道大学が借り上げ、同様の趣旨で使用していた「北大インターナショナルハウス北8条東」は、契約期間満了のため2021年8月31日をもって閉寮した。
年は締結時期を示す。
北海道大学では18か国48校の大学と大学間の留学協定を結んでいる[59]。また海外に8箇所のオフィスを設け、留学希望者に対する情報提供と具体的な手続きのサポートを行う。インバウンドの留学希望者向けの広報と手続きの支援を行う事務所を韓国(ソウル)、中国(北京)、フィンランド(ヘルシンキ)、ザンビア共和国(ルサカ)に置く。これらと並行してリエゾンオフィスという連絡先を現地の大学構内に設けているのは、2017年(平成29年)5月よりタイ(カセサート大学カンペンセンキャンパス 農学研究院棟内)[60]、2017年(平成29年)6月よりインドネシア(ボゴール農科大学ダルマガキャンパス内)[61]、2018年(平成30年)3月よりフィリピン(フィリピン大学ディリマン校)[62]および中国(中国科学院大学内)[63]である。
学生交流協定を結ぶ海外の大学等174機関(約47カ国・地域)[64]とは、本学の学生が誰でも志望できる「大学間協定大学」と、当該の部局の学生に限定される「部局間協定大学」からなっている[65]。
2020年には法政大学との連携プロジェクトである「オンラインSDGs人材育成プログラム」をスタートした[66]。対象は北海道大学および法政大学の学部生と院生である。
外国人留学生(研究生・聴講学生等を除く)は、2022年(令和4年)5月1日時点で1,696人であり、うち女性は789人である。所属別留学生数を見ると、学部学生は183人(78人)、大学院学生のうち修士課程(博士前期)は712人(361人)、専門職学位課程は16人(7人)、博士課程(博士後期及び博士一貫)は785人(343人)である(カッコ内の人数は女性の内数)[67][68]。
2022年度(5月1日時点)の国・地域別外国人留学生数[注釈 49] を見ると、出身の内訳は、中国が全体の6割にあたる1,232人、次いで韓国が107人と多く、アジアからの学生が全体の85.4%を占めている。そのほかヨーロッパからの学生が6.0%、アフリカからの学生が4.4%などとなっている。この年は、99の国・地域から2,024人の学生を受け入れている[68]。
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かつて、附属学校として北海道大学工業教員養成所という3年制の各種学校が存在した。現在は閉鎖されている。
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