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ドイツの大学 ウィキペディアから
ルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘン(ルートヴィヒ・マクシミリアンだいがくミュンヘン、ドイツ語: Ludwig-Maximilians-Universität München、ラテン語: Universitas Ludovico-Maximilianea Monacensis、略称: LMU München)は、ドイツ・バイエルン州の州都ミュンヘンにある総合大学である。1472年に設置された。通称、ミュンヘン大学。2019年のTHE世界大学ランキングにおいて32位にランクインした、ドイツ、そしてヨーロッパを代表する名門大学の1つである。また「人文科学部門」で16位(国内1位)、「物理科学部門」で23位(国内1位)、「教育部門」で36位(国内1位)、「医学部門」で40位(国内2位)に位置している。
Ludwig-Maximilians-Universität München | |
ラテン語: Universitas Ludovico-Maximilianea Monacensis | |
別名 | LMU München |
---|---|
種別 | staatlich |
設立年 | 1472年 |
学長 | Bernd Huber |
学生総数 | 50,913(2017/18年度) |
所在地 |
ドイツ バイエルン州ミュンヘン |
スクールカラー |
緑と白 |
ヨーロッパ研究大学連盟(LERU), EUA, ERASMUS, Exzellenzinitiative, European University Alliance for Global Health (EUGLOH), German U15, VIU | |
公式サイト | Ludwig-Maximilians-Universität München |
1472年に下バイエルン=ランツフート公ルートヴィヒ9世によってインゴルシュタットにインゴルシュタット大学として創設されたが、北のプロテスタント系ライプツィヒ大学と対立して長らくイエズス会の支配下におかれ、ナポレオン戦争の後の1826年にバイエルン王ルートヴィヒ1世によってミュンヘンに移転再創設された。このとき、現在の名であるミュンヘン大学(Ludwig-Maximilians-Universität München)となった。ドイツ国内では、継続する大学のうち6番目に古く、世界でも最も古い大学に数えられる。
ナチ時代には、反ナチ抵抗運動である「白バラ」の拠点となった。白バラは、ミュンヘン大学の学生で構成されており、ハンス・ショルとその妹ゾフィー・ショルを筆頭に、他にもクリストフ・プロープスト、ヴィリー・グラーフ、アレクサンダー・シュモレルの3人の学生、およびクルト・フーバー教授らが活動に参加していた。
大学は南ドイツのバイエルン州の州都であるミュンヘンに位置する。
ミュンヘンは科学や研究の先進地で、1901年にノーベル物理学賞を受賞したヴィルヘルム・レントゲン(1900-1920年までミュンヘン大学に在籍)から2005年のテオドール・ヘンシュ(ミュンヘン大学教授)のノーベル物理学賞の受賞まで100年以上の長い研究地としての歴史がある。また、ルートヴィヒ4世の時代から既に精神的な中心地としてパドヴァのマルシリウスやオッカムのウィリアムなどの哲学者は王室の庇護の下にあった。
マックス・プランク研究所関連の研究機関がミュンヘンには多く立地している他、フラウンホーファー協会など他の研究機関も様々なものが立地している。
街については「ミュンヘン」を参照。
最寄り駅
・大学駅 (U3/U6)
ミュンヘン地下鉄3号・6号線に大学(Universität)という名の駅がある。これはミュンヘン大学本館の前に位置する駅である。
ミュンヘン大学は、キャンパスを持たない大学都市型のスタイルを採っているため、学科や大学施設などは街の至るところに点在している。しかし、大学施設が集まった地区があり、塀によって区切られたキャンパスは見られないものの、そこを便宜上キャンパスと呼ぶことができる。
市街地キャンパス(Innenstadtcampus)
ミュンヘンの中心(シュヴァービング地区)にある位置し、ミュンヘン大学の歴史的な本館がある。主に、社会科学と人文科学が収容されている。 本館の南棟には大学図書館があり、その所蔵には他の13の場所と合わせて470万冊以上の蔵書が含まれている。 バイエルン州立図書館のほか、多くの重要な博物館やアーカイブにも近接している。 これにより、研究と教育に最適なインフラが確保されている[1]。 キャンパス周辺の駐車場は非常に限られているため、アクセスは公共交通機関(バス・地下鉄・トラム)の利用が勧められている。
ハイテクキャンパス(HighTechCampus Großhadern/Martinsried)
自然科学と生命科学のほとんどは、グロースハーデン・マーティン通りにあるハイテクキャンパスに集中している。 マックス・プランク研究所およびミュンヘン・ヘルムホルツ・センターに近接しているため、革新的な基礎研究をネットワーク化することができる。 IZBインキュベーターとBioMAGにより、優れた研究結果のアプリケーション指向技術への移転もハイテクキャンパスで促進することができる。
大学設立当初は、哲学部・法学部・医学部・神学部を備えていた。現在では、18学部に700人の教官を擁する学生数44,000人の総合大学となっている。学部は下記の通り組織されている。
公式のナンバリングでは06と14が欠番となっている。このうち06であった林学部 (Forstwissenschaftliche Fakultät) は1999年にミュンヘン工科大学に移転されており、14は13に併合された。工学系学部がないのは工学教育がミュンヘン工科大学で行われているからである。
ミュンヘン大学の本館(メインビルディング)はミュンヘン中心地の北側に位置し、すぐそばにはGeorgianum(神学校)、ルートヴィヒ教会、勝利の門 、バイエルン州立図書館がある。建物内部には多数の講堂、ゼミ教室、Audimax大講義室、大講堂、白バラ記念館、大学行政の一部がある。建物の前は、白バラ運動にちなみ「ショル兄妹広場」と名付けられ、地面には当該ビラのレプリカが見えるように埋められている。地下鉄3号線・6号線の大学(Universität)駅に直結している。
Lichthof(光の間)
本館に入った正面にある広い空間。白バラでショル兄妹がビラをばら撒いた場所である。
本館とそのすぐ周囲には、数多くの施設と主にカトリック神学部、福音主義神学部、法学部、経営学部、経済学部、史学・芸術学部、哲学・科学哲学・宗教学部、言語学・文学部、文化学部、 数学・情報学・統計学部の研究所がある。エングリッシュガーテンの東側に位置する研究棟には、情報学研究所の大部分と、政治学研究所が入っている。また、日本センターとその他の小さな施設もここに見られる。
本館の南棟には大学図書館があり、その所蔵には他の13の場所と合わせて470万冊以上の蔵書が含まれている。それとは別に各学部付属図書館にて専門書が収集されている。また、レオポルト通りには教科書を集めた図書館があり貸出可能となっている。図書館に入るためには、カバンをロッカーに預ける必要があり、飲食物の持ち込みも禁止である。
ミュンヘン大学の大学病院は、市街地キャンパスと市内南部のグロースハーダーンの2か所に設備を持っている。
学食(Mensa)は、Studierendenwerk Münchenによって運営されている。レオポルト通りメンザは、地下鉄Giselastraße駅を出てすぐの場所にある。
大学公式グッズが販売されている。校章入りのマグカップ、パーカー、文房具などを購入することが可能である。Giselastraße駅直結の建物の中にあり、学食 (Leoportstraße) の建物の隣に位置する。
ミュンヘン大学は、ハイデルベルク大学やベルリン大学と並ぶ国内最高水準の教育と研究力を誇り、世界各国から多くの留学生や研究者が集まる最も権威のある学術機関の一つである。この点、各世界大学ランキングにおいて、ミュンヘン工科大学やハイデルベルク大学等と国内首位の座を常に争っている。また、ヨーロッパ研究大学連盟(LERU)に加盟している。
ミュンヘン大学は、学士・修士・博士の課程において約150の専攻を提供している。ドイツでは、伝統的なディプロームやマギスターから国際的な学士・修士へのシステムへの移行であるボローニャプロセスが進行している。ミュンヘン大学では100以上の専攻で主専攻と副専攻の組み合わせによる学位取得プログラムが提供されている。
ドイツ連邦政府による「エクセレント・イニシアチブ」に指定されている。すなわち、エリート大学という評価を受け、多くの研究資金を得ている。2006年の開始以来、継続して選出されていて2019年にも再選出された。
学費(Studiumgebühr)はドイツ人・外国人に関係なく無料である。そのため、世界各国の優秀な学生を獲得するのに成功している。
これまでに、42人の大学関係者がノーベル賞を受賞している。
日本人留学生も少なくなく、ミュンヘン大学博士号取得者の中で、過去現在日本で活躍している人文社会科学思想理科系の学者としては、
などが挙げられる。
協定校(日本)[2]
第二次世界大戦中、ドイツ国内における反ナチス運動の一つである白いバラの活動がミュンヘン大学を中心として行われた。メンバーは大学の医学部生であり、大学内でのパンフレット配布の際に逮捕され、その後、死刑に処されている。一方で、ミュンヘン一揆が発生した土地柄、ニュルンベルク裁判において絞首刑となったヘルマン・ゲーリングやハンス・フランク、ヴィルヘルム・フリックといったナチス・ドイツの幹部を多く輩出した。また、トゥーレ協会の一員で、ナチ党にも深く関わっていた地政学者、カール・ハウスホーファーがその教鞭をとったこともある。
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