Loading AI tools
日本の女優 (1949-) ウィキペディアから
たじま れいこ 田島 令子 | |||||
---|---|---|---|---|---|
本名 | 田島 令子[1] | ||||
生年月日 | 1949年2月17日(75歳) | ||||
出生地 | 日本・東京都新宿区四谷[2] | ||||
出身地 | 日本・神奈川県横須賀市[3][4] | ||||
身長 | 164 cm[5] | ||||
血液型 | B型[5] | ||||
職業 | |||||
ジャンル | |||||
活動期間 | 1970年 - | ||||
事務所 | アルファエージェンシー | ||||
公式サイト | 所属事務所によるプロフィール | ||||
主な作品 | |||||
映画 『喜劇・頑張らなくっちゃ!』(1971年) テレビドラマ 『分校日記』(1978年) アニメ 『ベルサイユのばら』オスカル 役 『クイーン・エメラルダス』エメラルダス 役 洋画吹替え 『地上最強の美女バイオニック・ジェミー』ジェミー・ソマーズ 役 | |||||
|
日本大学藝術学部[1]演劇学科卒業[2][3][4][8][9]。所属事務所は劇団欅、劇団昴[1]、野間事務所[10]を経て、アルファエージェンシーに所属[3]。
小さい頃は、ひとり遊びをしたり、読書をしたりしていることが多く、一人っ子だったため、人と接するのが苦手な子供だったという[2]。
高校時代に素人劇団のようなところに所属していた同級生に誘われ、1回だけ舞台に立つ[2]。その時に「ちょっとおもしろいわね」と思ったが、受験勉強に入ってしまったことから、1回だけだったという[2]。大学時代、サークルは所属しておらず、大学2年の時に日大闘争で学校が閉鎖され、1年間学校に行けなかった[2]。その時に突然、藝術学部の校門に椅子や机が積み上げられ、バリケードで封鎖されてしまって驚いていた[2]。それで、同期の男子学生の紹介で、ニッポン放送の制作のアシスタントディレクターのようなアルバイトを1年くらいしており、弁当を配ったりしていた[2]。大学4年の時に卒論だけになったため、「就職しなければ……」と思い、母が知り合いからくれた入団資料があったため、受けることにしていた[2][9]。その日がちょうど学期末テストと重なっていたため、現代演劇協会にに電話して伝えていたところ、「何時になってもいいです。待っていますからいらしてください」と言われた[2]。行ったところ合格し、大学在学中に劇団雲(現代演劇協会)の研究生として俳優活動をスタート[2][4][9]。
1971年、松竹映画『喜劇・頑張らなくっちゃ!』でデビュー[3][4]。1974年『ゴジラ対メカゴジラ』では、ポスター序列が女優一番手の準主役を演じる。1977年から放送のアメリカ合衆国製作のSFドラマ『地上最強の美女バイオニック・ジェミー』の主役を吹き替え以来[2]、声優としても活動[9]。『タケちゃんの思わず笑ってしまいました』、『踊る!さんま御殿!!』など、バラエティ番組への出演も多い。『世界一受けたい授業』では、天海祐希とのコンビで『魔王』の劇を演じた[注釈 2]。1986年、『人間の約束』でただ一度のヌードシーンを演じている[4]。『3年B組金八先生』では第3・5シリーズにて共依存の母親役を演じて話題になった[11]。
アニメでは『ベルサイユのばら』でのオスカル・フランソワ・ド・ジャルジェ[12]、『クイーン・エメラルダス』でのエメラルダスなど、強い女性キャラクターで当たり役を得る[4](2009年の『派遣のオスカル〜少女漫画に愛をこめて』においても劇中でオスカルの声を担当)。洋画吹き替えでは、フェイ・ダナウェイやキャスリーン・ターナーを持ち役としている。
『バイオニック・ジェミー』が好評だったため、日本版次回予告のBGMとして使用された「ジェミーの愛」という歌を吹きこんでおり、シングルレコードも発売された。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.