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アン=マーグレット(Ann-Margret)の芸名で知られるアン=マーグレット・オルソン(Ann-Margret Olsson、1941年4月28日 - )は、スウェーデン系アメリカ人の女優・歌手・ダンサー。『バイ・バイ・バーディー』(Bye、Bye Birdie)、『ラスベガス万才』(Viva Las Vegas)、『シンシナティ・キッド』(The Cincinnati Kid)、『愛の狩人』(Carnal Knowledge)、『トミー』(Tommy) などが代表作。
アン=マーグレット Ann-Margret | |||||||||||||||
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1960年 | |||||||||||||||
本名 | Ann-Margret Olsson | ||||||||||||||
生年月日 | 1941年4月28日(83歳) | ||||||||||||||
出生地 | スウェーデン・イェムトランド県ヴォルソビン | ||||||||||||||
職業 | 女優、歌手 | ||||||||||||||
活動期間 | 1961年 - | ||||||||||||||
配偶者 | ロジャー・スミス(1967年 - ) | ||||||||||||||
公式サイト | ann-margret.com | ||||||||||||||
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備考 | |||||||||||||||
北極星勲章第三位コマンダー(KNO) |
ゴールデン・グローブ賞を通算5回受賞したほか、アカデミー賞、グラミー賞にそれぞれ2回、全米映画俳優組合賞1回、エミー賞6回のノミネートを誇る。
2010年8月、『LAW & ORDER:性犯罪特捜班』へのゲスト出演で自身初のエミー賞受賞。
スウェーデン・イェムトランド県ヴォルソビンで生まれる。両親は共にスウェーデン人。1946年11月、5歳の時に母親とともにアメリカに移住。すでにアメリカで職を得ていた父と家族3人でのアメリカ生活が始まる。幼少時は主にイリノイ州で育つ。
1949年に米国籍を得て、マージョリー・ヤング・スクールで最初のダンスレッスンを受ける。レッスン開始当初から才能を発揮した。
まだ10代だった1958年、アイドル発掘番組「ジ・オリジナル・アマチュア・アワー」(The Original Amateur Hour)に出演。
ノースウェスタン大学中退後、パフォーマンス・グループ、サトルトーンズの一員としてラスベガスのステージに立っていたところをジョージ・バーンズに見出され、彼のショーのオーディションを受けるチャンスに恵まれる。
1961年に舞台でデビュー、同年に『ポケット一杯の幸福』で映画初出演。1963年にはヒロインを務めたミュージカル映画『バイ・バイ・バーディー』でその歌と踊りとコケティッシュな魅力で人気を博した[1]。1971年の『愛の狩人』でゴールデングローブ賞 助演女優賞、1975年の『トミー』でゴールデングローブ賞 主演女優賞 (ミュージカル・コメディ部門)を受賞。また、前者でアカデミー助演女優賞、後者でアカデミー主演女優賞にもノミネートされた。
1972年にはネバタ州レイク・タホーのホテルのショーに出演中舞台から転落して重傷を負い、UCLAメディカルセンターで顔面手術を受けた[1][2][3]。
1967年にロジャー・スミスと結婚。スミスはドラマ『サンセット77』などが有名な俳優だったが、後にマーグレットのマネージャーへ転身。
1961年にRCAレコードからデビュー。デビューアルバム And Here She Is は、ギターにチェット・アトキンス、コーラスにはエルビス・プレスリーのバックシンガー・チーム The Jordanaires とアニタ・カー・シンガーズを迎えた豪華な布陣で制作され、RCAは彼女のセクシー・ヴォイスをエルビスになぞらえ、「女エルビス」としてプロモーションした。
1961年の8月には、セカンド・アルバムからのシングルカット I Just Don't Understand がビルボードTop40にランクインする中ヒットを記録した。この曲は後にビートルズのライブでもカバーされた。1962年にはアカデミー賞授賞式で、ノミネート曲 Bachelor in Paradise を歌った。アルバムで唯一チャートインしたのは、トランペッターのアル・ハートと共演した1964年のBeauty and the Beard。
RCAとの契約は1966年に終了したが、1970年代後半から1980年代前半までの間、ディスコ・ダンス・チャートにいくつかの曲を送り込んだ。特に8位まで上昇した「ラヴ・ラッシュ」(Love Rush)(1979年)が最大のヒットである。
歌手として13枚のアルバムをリリースしており、その歌唱力を引っ提げて前述のような多くのミュージカル映画に出演し、存在感を遺憾なく発揮している。
2000年公開の映画『フリントストーン2/ビバ・ロック・ベガス』では、自身も出演した『ラスベガス万才』の同名主題歌(Viva Las Vegas)の替え歌「Viva Rock Vegas」を歌唱している。
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