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『淋しいのはお前だけじゃない』(さびしいのはおまえだけじゃない)は、TBS系列の「金曜ドラマ」枠で、1982年(昭和57年)6月4日から8月27日まで放送された全13話のテレビドラマである。主演は西田敏行。
2年前の『港町純情シネマ』に続く、市川森一のファンタジックなドラマで、玄人評は高いが、視聴率は概ね1ケタで推移し、編成部や制作にも、冷ややかな反応が多かった[1]。 視聴率の不振を知った山田太一は、市川に激励の手紙を送った。すると市川はそのエールに応え、第12話で修理したテレビに映る映像に山田が脚本を担当した『想い出づくり。』を指定したのだという。
ところが、1982年9月10日の『朝日新聞』夕刊文化欄に作家で文芸評論家の丸谷才一が、紙面の半分を使い、『淋しいのは~』を賞賛した[2]。テレビドラマは、当時は放送当日の試写評が中心で、放送後も作品として正当な批評を受けることは、極めてまれだった[3]。この反響は大きく、低視聴率のゆえの雑音はピタリと止み、「自分も、もともと評価していたんだ」と急に擁護派を装う向きもいた[4]。そして結果的に市川は、本作で第1回向田邦子賞および第15回テレビ大賞を受賞した[4]。
取り立ての名手のわりにウダツが上がらない沼田(西田敏行)は、妻のよし江(泉ピン子)とほそぼそと暮らしていた。ある日、太陽ローンズの影のオーナー・国分(財津一郎)からお声がかかり、面倒を見ていた女(木の実ナナ)が旅役者(梅沢富美男)と駆け落ちしたので、慰謝料2000万円を取り立てて欲しいと頼まれる。さっそく沼田は、四万温泉にある演芸場へ向かうが、ふとしたことから旅芝居の一座へ足を踏み入れることになる。義理と人情が時代を超えて呼吸している大衆演劇の世界で、沼田はやがて少しずつ変わっていく。
話数 | 放送日 | サブタイトル | 演出 | 視聴率[7] |
---|---|---|---|---|
1 | 1982年6月4日 | 一本刀土俵入り | 高橋一郎 | 13.5% |
2 | 1982年6月11日 | 任侠・吉良の仁吉 | 5.5% | |
3 | 1982年6月18日 | 札吹雪白浪十人衆 | 浅生憲章 | 8.1% |
4 | 1982年6月25日 | 土蜘蛛 | 高橋一郎 | 6.0% |
5 | 1982年7月2日 | 名月赤城山 | 6.7% | |
6 | 1982年7月9日 | 沓掛時次郎 | 浅生憲章 | 6.9% |
7 | 1982年7月16日 | 雪の渡り鳥 | 赤地偉史 | 8.2% |
8 | 1982年7月23日 | 雪之丞変化 | 高橋一郎 | 8.3% |
9 | 1982年7月30日 | 切られ与三郎 | 浅生憲章 | 9.2% |
10 | 1982年8月6日 | 四谷怪談 | 高橋一郎 | 9.0% |
11 | 1982年8月13日 | 瞼の母 | 6.5% | |
12 | 1982年8月20日 | 忠臣蔵・刃傷松の廊下 | 浅生憲章 | 7.7% |
13 | 1982年8月27日 | 勢揃い清水港 | 高橋一郎 | 7.6% |
2002年3月にキングレコードから4枚組のDVD-BOXが発売された(品番:KIBF-5049〜5052)。こちらでは現在欠番となった第7話も収録されており、全話視聴可能[9]。
2011年6月17日から26日、「TBS名作ドラマシリーズ第一弾」として、赤坂ACTシアターにおいて舞台版が上演された[10][11]。翌7月上旬には御園座、兵庫県立芸術文化センター、りゅーとぴあ新潟市民芸術文化会館にて地方公演も順次上演された。
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