加越能バス
富山県高岡市に本社を置くバス事業者(元・鉄道事業者) ウィキペディアから
富山県高岡市に本社を置くバス事業者(元・鉄道事業者) ウィキペディアから
加越能バス株式会社(かえつのうバス、英: Kaetsunou Bus Co., Ltd.)は、富山県西部を中心に路線バスや高速バスを運行するバス事業者。路線バス・高速バス事業のほか、貸切バス事業や旅行業、保険代理店業、スポーツクラブ事業も行う。富山地方鉄道の連結子会社である。
加越能バス本社 | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
本社所在地 |
日本 〒933-0062 富山県高岡市江尻字村中1243番地1 北緯36度45分33.2秒 東経137度1分39.7秒 |
設立 |
1950年(昭和25年)10月23日[1] (加越能鉄道株式会社) |
業種 | 陸運業 |
法人番号 | 5230001009830 |
事業内容 |
自動車運送事業 国内旅行業 他 |
代表者 | 取締役社長 中田邦彦[1] |
資本金 |
1億円 (2021年3月期)[1] |
売上高 |
17億8452万3000円 (2020年3月期) |
経常利益 |
▲3億6715万2000円 (2020年3月期) |
純利益 |
▲3億1682万6000円 (2020年3月期) |
純資産 |
9885万8000円 (2020年3月期) |
総資産 |
15億9788万8000円 (2020年3月期) |
従業員数 |
191人 (2021年3月31日現在)[1] |
決算期 | 毎年3月31日 |
主要株主 |
富山地方鉄道 80% (2020年3月31日現在) |
外部リンク |
www |
特記事項:上記経営指標は、特記なき限り富山地方鉄道株式会社 第137期(平成31年4月1日 ‐ 令和2年3月31日)有価証券報告書による[注釈 1]。 |
旧社名は加越能鉄道株式会社(かえつのうてつどう、英: Kaetsunou Railway Co.)で、鉄道・軌道を保有・運営する鉄道事業者だった。2002年に万葉線を第三セクターの万葉線株式会社へ譲渡したのを最後に鉄軌道事業から撤退し、2012年に現行の社名へ変更した。
富山県西部の高岡市を中心に氷見市、射水市、小矢部市、砺波市、南砺市にて路線バス事業を展開し、一部は石川県金沢市にも路線を延ばしている。高岡営業所(本社)のほか、氷見営業所、砺波営業所がある。かつては小矢部市などにも営業所を有していた。
北陸新幹線の長野駅-金沢駅間延伸開業に先立つ2015年3月10日より、高岡駅南口-新高岡駅間において、高頻度の運行を行っていた。実際の運行上は、高岡駅と各方面を結ぶ路線において一部の便が当該区間に乗り入れるものが大半であったが、高岡駅の北側から直通する系統は2024年10月1日のダイヤ改正で完全に廃止された[5]。富山県西部6市と両駅を結ぶことや両停留所を毎時06、16、…、56分に発車していたことから、かつては「シャトル6」の愛称が付けられていた[6]。運行経路は、高岡駅南口→新高岡駅方向が
新高岡駅→高岡駅南口方向が
であった。ただし、路線や便によっては高岡駅前-高岡駅南口間、新高岡駅-済生会高岡病院間は運行・経由しなかった。
このほか、2019年6月29日より瑞龍寺線シャトルバスの運行をしていたが、新型コロナウイルスの影響で運休し、2022年4月1日に廃止された。
2021年8月1日から、高岡駅前を発着・経由する路線に系統番号を導入した[7]。下り便の番号は十の位が方面別に振られた行き先ごとの2桁で、上り便の番号は市内側の行き先を示す百の位を加えた3桁で表示される。十の位は1が守山・氷見方面、2が伏木・氷見方面、3が国吉・氷見方面、4が城光寺方面、5が福岡・石動方面、6が戸出・砺波方面、7が中田方面、8が石堤方面である。百の位は1が高岡駅前行き、2が新高岡駅行き、3が済生会高岡病院行き、4がイオンモール高岡行きである。この系統番号はその後付番規則自体が変更された。
「生活交通路線」の注記をした路線は生活交通路線の指定を受け、国・富山県・岐阜県・沿線市町村の補助を受けている[8]。
下記に示す路線名は運賃表[9]によるが、他が存在しない場合の経由地は省いた。また案内上の路線名と異なるものは個別に注記した。
終点の脇で、北鉄能登バス脇線(七尾駅方面)に接続している。生活交通路線の指定を受けており、自治体の補助により維持されている。氷見市街地を抜けると日本海沿いに走る路線で、晴天時には、立山連峰を望む絶景が楽しめる。途中、上記の温泉街も経由するため生活路線と観光路線の双方を併せ持っている[独自研究?]。
国分から雨晴付近にかけては、日本海・富山湾沿いを走行し、晴天時には立山連峰を望む絶景が楽しめる[独自研究?]。
国分から雨晴付近にかけては、日本海・富山湾沿いを走行し、晴天時には立山連峰を望む絶景が楽しめる[独自研究?]。
早朝に矢田神社前始発、深夜に矢田止まりの運行がある。
伏木循環線が高岡ふしき病院経由になったものである。
小牧より庄川遊覧船に乗り換えることができる。なお、庄川中央-庄川中学校口間および庄川水記念公園前-上金屋間は、自由乗降区間になっており、バス停以外でも乗降可能である。この路線は、かつて、国道156号をそのまま南下して、西赤尾まで延びていた。
平日のみの運行で、土休日と休校日には運行されない。高岡駅前-大島分庁舎前間は富山地鉄バスの路線と重複するため、この区間のみの利用はできない。
庄川町 - 城端駅前のみの利用はできない。
運行期間 | 2012年11月17日 - 2013年3月31日 | 2018年10月6日 - 2019年9月29日 | 2020年8月7日 - |
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運行日 | 土休日 | 土曜・日曜 | 毎日 |
1日の運行回数 | 2往復 | 1往復 | 5往復 |
共同運行会社 | 濃飛乗合自動車 | (無し) | イルカ交通・ 濃飛乗合自動車 |
高岡駅前・高山BC以外の停留所※ | 五箇山合掌の里・白川郷 | 瑞龍寺口・新高岡駅・ 能作前・合掌の里(菅沼) | 高岡BT・新高岡駅・ アウトレット・砺波駅南口・ サンコー砺波・白川郷 |
白川郷での乗降扱い | 高岡方面との利用のみ可 | 経由せず | 両方向とも利用可 |
※高山BC = 高山濃飛バスセンター、高岡BT = 高岡バスターミナル(イルカ交通)、アウトレット = 三井アウトレットパーク北陸小矢部
前述の通り北陸新幹線延伸開業に先立って大規模なダイヤ改正があり、路線の廃止も行われた[4]。その後も乗客の減少により収支状況が悪化して運行継続が困難[49]となった路線を順次廃止している。特に2019年3月期には営業キロ数を約1割削減した。これは訪日外国人観光客などからの需要増加に伴う乗務員不足を解消する目的もあり、捻出した人員は貸切バスなどに振り向けている[50]。
以下の路線はすべて2015年3月10日のダイヤ改正で廃止された[4]。
長らく三菱ふそう・日野自動車の2社だったが、2004年に日産ディーゼル(当時、現「UDトラックス」)、2011年にはいすゞ自動車製が加わり現在は4社体制になっている。三菱・日野で8割を占め、日産ディーゼル・いすゞは少数派である。また、全体の約9割が中型車であり、大型車は2010年現在5台のみである。また、前述のとおり瑞龍寺線シャトルバスにはワゴン車を用いている。車種はトヨタ・ハイエース[69]。
低床型バスを積極的に導入している。1997年から1999年にワンステップバスを5台導入し、2000年以降日野HR 9m車を中心にノンステップバスを増備している。2011年8月現在コミュニティバスを含め36台である。
1999年の新車よりLED式方向幕を採用しているほか、ワンステップバス4台もLED式に改造している。
2007年には保有する一般路線車すべてにデジタルタコグラフを導入している。
カラーリングは1998年までに導入された車両および後述の中古車両(低床型バスを除く)にはクリーム色をベースに赤色と青緑色のラインを用いた西武バスに似たデザインを採用していたが、1999年に導入された新車よりライトグリーンをベースに白色と緑色のラインを用いた現在の意匠に変更された。また、2015年8月1日から南砺 - 金沢線において、南砺市に本社があるピーエーワークスが制作したテレビアニメ作品のキャラクターが描かれたラッピングバスが運行している[70]。
同社はかつて、氷見営業所が日野車、砺波営業所が三菱車に統一されていたが、最近は氷見営業所にも三菱車・日産ディーゼル車が在籍するなど崩れつつある。なお、高岡営業所(本社)は以前より4メーカーが揃っている。
長らく日産ディーゼル(富士重工業または西日本車体工業製車体)に統一されていたが、2008年には三菱ふそうからのOEM車種であるスペースアローAが導入されたほか、同年以降は日野・セレガも増備されている。また、2006年頃には西武バスから車両1台(日産ディーゼル・スペースウイング)が移籍してきた。
いすゞを除く3社になっているが2002年以降は三菱ふそうをメインとして導入しているため、三菱車の比率が上がっている。
三菱車においては親会社の富山地方鉄道と同様、1992年までは呉羽自動車製ボディーで導入されていた。エアロバスKを所有しているほか、かつてはキュービックスタイルのサンシャインデッカーやエアロクイーンKも稼働していたが、2000年代前半ごろまでに全車引退している。前述のとおり2002年以降はエアロバスをメインに三菱車を多く導入し、2008年には新型エアロクイーン、2009年にはエアロエースが増備されている。
2006年・2007年にはリフト付き大型バス(日産ディーゼル・スペースアロー)を2台導入し多様化するニーズに応えている。
カラーリングは富山地鉄と同様、クリーム色をベースにオレンジ色と茶色のラインが入ったデザインだったが、2002年から2007年に導入された車両は独自のデザインを採用している。これは火の鳥をモチーフにしたフェニックスカラーと呼ばれるもので、スーパーハイデッカーではピンク、ハイデッカーではイエロー、中型・小型車にはパープルを採用し、在来車の一部も塗り替えられていた。なお、高速路線車も2003年の新車より同様のデザインを採用したが、こちらはオレンジ色である。
2008年4月に同社及び富山地鉄、富山観光バスと共に貸切バス受注部門を統合したことを契機に、同年の新車2台(車種は前述)より白色とピンクを基調とした新グループ共通カラーが採用された。フェニックスカラーを含む既存の車両も順次塗り替えを進め、2011年ごろまでに完了させる予定である。
同社はこれまで積極的に新車を導入してきたが、2006年以降は大手事業者からの中古車も導入されている。一般路線車では2008年秋より神奈川中央交通を中心に西武バス・ライフバスからの中古車を導入していて、2009年には明石市交通部からの日産ディーゼル・RMノンステップが導入された。また、貸切車でも2006年以降は新車と同時に他事業者からの中古車も導入している。
方向幕は前述のLED化される前は幕式が採用されていたが富山地鉄とは異なり色分けはされておらず、すべて白地で系統番号が表記されていないほか、一部を除き経由地は青字、行き先は黒字で表記されている。
加越能バス保険部が運営している。
加越能鉄道の本来の設立目的である加越能高速鉄道計画は、富山 - 金沢、高岡 - 七尾の2つの路線の計画があった。富山 - 金沢については既に北陸本線(現在のあいの風とやま鉄道線とIRいしかわ鉄道線)があったが、加越能鉄道の計画は両都市を直線状に結び、かつ北陸本線が非電化の時代に電車を使用し、国鉄の半分の時間で走るというものであった。
1953年(昭和28年)2月27日に両路線の免許を申請し、1954年(昭和29年)5月に免許が下りたが、免許されたのは富山 - 金沢のみで、高岡 - 七尾については保留とされた。富山 - 金沢間の経由地を高岡に変更した上で1959年(昭和34年)12月に工事認可が下り、電鉄富山駅 - 太閤山(小杉町(現・射水市)) - 地鉄高岡駅の路線について用地買収を開始した。
1965年(昭和40年)頃までに予定の半分まで用地買収が終わっていたが、モータリゼーションの急速な進行により加越能鉄道・富山地鉄ともに乗客が減少したことや、北陸本線が複線電化されスピードアップが行われたこと、高度経済成長による地価の高騰など情勢の変化により、1970年(昭和45年)に計画中止、翌1971年(昭和46年)に起業廃止を申請した。買収された線路用地は財団法人富山県民福祉公社に買い取られ、中央サイクリングロード(富山県道370号富山庄川小矢部自転車道線の一部)として転用されている[71]。
予定では、電鉄富山駅を起点として、富山市街地を松川右岸の高架線、安野屋を経て神通川を渡り、新富山、富山大学の南側、下野、寺町を経て呉羽丘陵をトンネルで抜け、呉羽町、花ノ木、中老田、塚越、黒河、太閤山、水戸田、庄川を渡り、蓮花寺、大野、新高岡駅[注釈 7]というルートとなっていた。
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