高岡大仏
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高岡大仏(たかおかだいぶつ)は、富山県高岡市大手町の大佛寺にある銅製阿弥陀如来坐像。


概要
台座の内部には回廊があり地獄絵などが展示されていて、中央の部屋には1900年に焼失した木造大仏の頭部が鎮座している。高岡大仏は高岡銅器の職人の技術の結晶と言えるもので、高岡市の象徴的な観光地となっている。高岡市指定有形文化財に指定されている[1]。
奈良大仏、鎌倉大仏に並ぶ日本三大仏を称する[2][3]。また、小杉大仏、庄川大仏と共に越中三大仏の一つ[4]。なお、江戸時代には奈良大仏(像高約14.7m)、鎌倉大仏(像高約11.39m)、方広寺大仏(京の大仏、像高約19m、1973年火災により焼失)の三尊が日本三大仏と称されていた[5]。
1933年、歌人の与謝野晶子が高岡を訪れた際に、高岡大仏を「鎌倉大仏より一段と美男」と評したとも伝わり、端正な顔立ちの大仏と言われる[6][7]。
歴史
- 1221年 - 源義勝によって約4.8mの木造大仏が二上山の麓に建立される[7]。
- 1609年 - 前田利長によって高岡開町。それと共に1221年に建立された大仏を城下に移転。後に焼失[7]。
- 1745年 - 坂下町の極楽寺の第15代住職である等誉上人の手で、高さ約9.7mの金色の木造大仏が再建される[7]。
- 1821年 - 1745年に再建された大仏が焼失する。
- 1841年 - 大仏が再建される。
- 1900年 - 高岡大火が発生し、大仏も焼失する。
- 1907年 - 火に強い大仏の再建を望む声が高まる。松木宗左衛門が発願し、高岡銅器の職人の協力のもと、現在の大仏の建立が始まる。
- 1932年 - 荻布宗四郎などの協力を得て、新しい大仏がほぼ完成。
- 1933年5月3日 - 5月5日 - 新しい大仏が完成。開眼供養が行われる[8]。
- 1958年9月 - 円光背が取り付けられる。
- 1980年 - 補修が行われ、現在の場所に移動(約11m後退)。
- 1981年
- 4月15日 - 「銅造阿弥陀如来坐像」として高岡市指定有形文化財に指定[1]。
- 4月19日 - 修補大工事が竣工[9]。
- 2007年 - 再び補修が行われる。
諸元
交通アクセス
脚注
関連項目
外部リンク
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