万葉線 (企業)

富山県高岡市にある鉄道会社 ウィキペディアから

万葉線 (企業)map

万葉線株式会社(まんようせん)は、富山県高岡市と同県射水市において万葉線を運営する第三セクター方式の鉄道会社である。

概要 種類, 本社所在地 ...
万葉線株式会社
Manyōsen Co., Ltd.
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本社
本社(2014年9月)
種類 株式会社
本社所在地 日本
933-0073
富山県高岡市荻布字川西68番地
北緯36度46分22.4秒 東経137度2分19.9秒
設立 2001年平成13年)3月30日(登記は4月5日)
業種 陸運業
法人番号 6230001011348
事業内容 鉄軌道事業
代表者 代表取締役社長 中村 正治
資本金 4億9900万円(2018年3月31日時点)[1][2]
売上高 1億9395万円(2018年3月期)[1]
営業利益 △1億3099万円(2018年3月期)[1]
経常利益 △1億2978万円(2018年3月期)[1]
純利益 △2932万円(2018年3月期)[1][2]
純資産 4億3275万円(2018年3月31日時点)[1][2]
総資産 6億9879万円(2018年3月31日時点)[1][2]
従業員数 34人[3]
決算期 3月31日
主要株主 高岡市 30.06%
射水市 30.06%
富山県 30.06%
(2019年3月31日時点[4]
外部リンク https://www.manyosen.co.jp/
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概要

万葉線は、正式には高岡駅停留場から六渡寺駅までが軌道法による軌道である高岡軌道線、六渡寺駅から越ノ潟駅までが鉄道事業法による鉄道である新湊港線の2路線に分かれているが、一体の直通路線「万葉線」として運行されている。

かつて越中国守として高岡の伏木に赴任した大伴家持が、『万葉集』の編集をはじめ、数多くの歌を残したことにちなんで[5]、高岡軌道線・新湊港線を加越能鉄道(現在の加越能バス)が経営していた時代の1980年昭和55年)に「万葉線」という愛称が付けられた。

加越能鉄道が、利用客の著しい減少と経営環境の悪化を理由に廃止とバス代替の意向を示したため、存続を願う高岡市と旧新湊市が中心となって2001年平成13年)に第三セクター会社の「万葉線株式会社」を設立した[5]2002年(平成14年)2月に、加越能鉄道から事業譲渡され、同年4月1日から新会社にて正式に運行が開始された[6]。路面電車運営のための第三セクター方式の会社設立は日本初であった。

2004年(平成16年)1月21日より、新形の超低床車両「MLRV1000形」を導入した。

観光客を主とした乗客誘致のため、2008年7月から土・日・祝日は沿線の新湊出身の落語家である立川志の輔の声で車内アナウンスと沿線案内を行っており、ユニークなアナウンスを聞くことができる[7]。なお、このアナウンスは「ドラえもんトラム」(後述)では放送されない[7]。 また、2018年からトミーテック鉄道むすめとのタイアップにも取り組み、地元以外から鉄道ファンや萌え系愛好者の集客にも役立てている。イメージキャラクターに設定されている「吉久こしの」の等身大イラストが、万葉線本社の窓口にあるほか、スタンプラリーやグッズ販売なども実施している。

路線

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路線図

運行形態

ほぼすべての列車が高岡軌道線と新湊港線を相互直通しており、高岡駅 - 越ノ潟間全線を運行する系統が15分(早朝夜間は30分)間隔で設定されている。朝夕ラッシュ時には米島口発着列車や朝と夜に米島口 - 中新湊間および高岡駅 - 中新湊間の区間列車が設定されている。高岡駅発23時の最終は日曜日運休である。

2018年10月より金曜シンデレラ便が新設され、金曜日のみ終電を繰り下げた。上りは越ノ潟22:52発→高岡駅23:35着、下りは高岡駅0:00発→中新湊0:37着となり日付が変わる0時を過ぎて運行されている[8][9]

交通系ICカードへの対応

交通系ICカードについては、2013年7月30日に「新幹線戦略とやま県民会議」の席上で夏野元志射水市長があいの風とやま鉄道へのICOCA導入に併せた“相乗り”構想を明らかにし、あいの風とやま鉄道や高岡市との調整を進めて2015年度以降の導入を目指したいとしており、富山県知事(当時)の石井隆一も県として導入を支援する方針を示していた[10]。その後しばらくは具体的な進展は無かったが、富山県が2020年(令和2年)度当初予算案に「地域公共交通ネットワークの充実」施策の一環として「富山地方鉄道の安全対策や万葉線のICカード導入準備等に対する支援」として1億5千万円あまりの予算を計上しており、今後県による支援が予定されている[11]。その後2024年秋の導入が明らかにされ[12]、9月28日の導入が発表された[13]。紙式の回数券を廃止し、定期券もICOCAに移行予定。

利用状況

要約
視点

輸送実績

さらに見る 運 営 主 体, 年度 ...
運 営
主 体
年度 輸送実績(乗車人員):万人/年度 輸送密度
人/1日
特記事項
通勤定期 通学定期 定 期 外 合  計
加越能鉄道 1975年(昭和50年) 110.0 92.1 176.1 378.2 3,640  
1976年(昭和51年) 89.1 64.0 146.2 299.3 3,265  
1977年(昭和52年) 75.4 48.1 120.8 244.5 3,133  
1978年(昭和53年) 77.6 56.9 139.7 274.3 2,956  
1979年(昭和54年) 73.1 56.1 140.1 269.4 2,855  
1980年(昭和55年) 68.1 48.8 139.0 256.0 2,842  
1981年(昭和56年) 62.3 45.5 125.6 233.4 2,591  
1982年(昭和57年) 55.5 36.6 118.8 210.8 2,327  
1983年(昭和58年) 54.6 35.4 124.1 214.1 2,366  
1984年(昭和59年) 49.6 33.2 113.0 195.8 2,171  
1985年(昭和60年) 47.3 34.0 110.5 191.8 2,147  
1986年(昭和61年) 43.4 31.5 105.1 180.0 2,024  
1987年(昭和62年) 39.7 33.7 100.9 174.3 1,969  
1988年(昭和63年) 35.7 32.4 96.8 164.9 1,870  
1989年(平成元年) 33.2 28.8 91.7 153.7 1,724  
1990年(平成02年) 31.7 29.9 90.0 151.6 1,706  
1991年(平成03年) 29.7 28.3 87.2 145.2 1,682  
1992年(平成04年) 27.8 25.8 83.5 137.1 1,603  
1993年(平成05年) 30.5 24.8 89.3 144.6 1,699  
1994年(平成06年) 28.2 24.8 84.1 137.1 1,637  
1995年(平成07年) 26.0 26.9 87.4 140.3 1,655  
1996年(平成08年) 25.7 27.5 85.3 138.5 1,644  
1997年(平成09年) 23.4 23.3 75.5 122.2 1,446  
1998年(平成10年) 22.0 21.2 72.5 115.7 1,363  
1999年(平成11年) 19.6 18.3 70.5 108.4 1,264  
2000年(平成12年) 18.0 17.5 67.8 103.3 1,205  
万葉線 2001年(平成13年) 15.5 17.5 65.8 98.8 1,154 万葉線株式会社による運営開始
2002年(平成14年) 14.2 16.7 69.4 100.3 1,158  
2003年(平成15年) 13.6 16.9 73.1 103.6 1,188 新形の超低床車両導入
2004年(平成16年) 14.3 18.9 73.4 106.6 1,237  
2005年(平成17年) 13.9 23.3 75.8 113.0 1,331  
2006年(平成18年) 14.7 25.8 74.3 114.8 1,369  
2007年(平成19年) 14.5 27.1 73.1 114.7 1,372  
2008年(平成20年) 15.1 26.9 72.0 114.0 1,370  
2009年(平成21年) 14.4 30.1 70.5 115.0 1,413  
2010年(平成22年)    
2011年(平成23年) 15.4 37.4 70.2 123.0    
2012年(平成24年) 15.4 37.9 71.1 124.4 4,534 輸送密度は明らかに誤記(旅客人キロを365日12.9kmで除すと1,535)
2013年(平成25年) 15.8 36.4 72.6 124.8 7,311 輸送密度は明らかに誤記(旅客人キロを365日12.9kmで除すと1,531)
2014年(平成26年) 15.8 35.4 74.1 125.3 7,142 輸送密度は明らかに誤記(旅客人キロを365日12.9kmで除すと1,534)
2015年(平成27年) 16.2 30.3 72.0 118.5 3,766 輸送密度は明らかに誤記(旅客人キロを366日12.9kmで除すと1,427)
2016年(平成28年) 15.3 29.2 71.0 115.5 3,661 輸送密度は明らかに誤記(旅客人キロを365日12.9kmで除すと1,391)
2017年(平成29年) 17.5 31.6 70.4 119.5    
2018年(平成30年) 20.2 29.4 69.6 119.2    
2019年(令和元年)       113.6[14]    
2020年(令和02年) 37.4[14] 43.2[14] 80.4[14]    
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管内鉄軌道事業者輸送実績(国土交通省北陸信越運輸局)より抜粋[15]

営業成績

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運 営
主 体
年  度 旅客運賃収入:千円/年度 運輸雑収
千円/年度
営業収益
千円/年度
営業経費
千円/年度
営業損益
千円/年度
営業
係数
通勤定期 通学定期 定 期 外 手小荷物 合  計
加越能鉄道 1975年(昭和50年) 87,429 ←←←← 126,021 2,319 215,769 7,233 223,002 231,438 △8,436 103.8
1976年(昭和51年) 88,053 ←←←← 120,866 1,762 210,681 5,137 215,818 251,732 △35,914 116.6
1977年(昭和52年) 79,969 ←←←← 113,264 1,989 195,223 5,254 200,478 252,380 △51,902 125.9
1978年(昭和53年) 102,292 ←←←← 155,151 2,183 259,627 5,988 265,616 328,774 △63,158 123.8
1979年(昭和54年) 102,037 ←←←← 162,284 2,139 266,460 7,201 273,662 379,159 △105,496 138.6
1980年(昭和55年) 105,387 ←←←← 175,996 1,539 282,922 6,441 289,363 330,142 △40,778 114.1
1981年(昭和56年) 99,969 ←←←← 167,557 1,296 268,822 8,978 277,801 324,243 △46,442 116.7
1982年(昭和57年) 96,293 ←←←← 174,971 853 272,117 9,469 281,586 326,352 △44,766 115.9
1983年(昭和58年) 97,808 ←←←← 192,314 39 290,161 9,202 299,363 307,202 △7,839 102.6
1984年(昭和59年) 96,299 ←←←← 186,122 282,421 9,520 291,941 302,888 △10,947 103.7
1985年(昭和60年) 97,198 ←←←← 189,769 286,967 9,075 296,042 311,417 △15,375 105.2
1986年(昭和61年) 94,097 ←←←← 188,785 282,882 8,774 291,656 314,289 △22,633 107.8
1987年(昭和62年) 55,605 38,055 186,977 280,637 8,335 288,972 311,608 △22,636 107.8
1988年(昭和63年) 52,098 37,787 186,707 276,592 7,814 284,406 308,836 △24,430 108.6
1989年(平成元年) 48,484 34,325 176,772 259,581 9,445 269,026 300,249 △31,223 111.6
1990年(平成2年) 47,961 37,637 180,774 266,372 10,005 276,377 310,837 △34,460 112.5
1991年(平成3年) 45,036 35,801 175,240 256,077 13,440 269,517 310,649 △41,132 115.3
1992年(平成4年) 44,118 34,150 175,594 253,862 9,237 263,099 297,326 △34,227 113.0
1993年(平成5年) 50,534 32,947 188,111 271,592 12,071 283,663 324,303 △40,640 114.3
1994年(平成6年) 48,932 34,743 183,551 267,226 11,032 278,258 310,188 △31,929 111.5
1995年(平成7年) 45,009 37,143 189,892 272,044 11,780 283,824 320,437 △36,613 112.9
1996年(平成8年) 44,640 38,285 185,360 268,285 14,388 282,673 320,672 △37,999 113.4
1997年(平成9年) 42,721 33,580 169,438 245,739 14,562 260,301 314,958 △54,657 121.0
1998年(平成10年) 39,808 30,583 161,559 231,950 9,680 241,630 304,339 △62,709 126.0
1999年(平成11年) 35,281 26,266 154,562 216,109 7,778 223,887 302,404 △78,517 135.1
2000年(平成12年) 32,176 24,982 143,932 201,090 7,378 208,468 275,854 △67,386 132.3
万葉線 2001年(平成13年) 28,202 25,331 138,675 192,208 5,850 198,058 264,085 △66,027 133.3
2002年(平成14年) 24,611 21,439 145,985 192,035 8,139 200,174 236,500 △36,326 118.1
2003年(平成15年) 20,643 16,918 126,366 163,927 12,386 176,313 255,810 △79,497 145.1
2004年(平成16年) 22,113 18,727 128,812 169,652 10,439 180,091 255,088 △74,997 141.6
2005年(平成17年) 21,153 22,113 132,554 175,820 10,170 185,990 259,638 △73,648 139.6
2006年(平成18年) 21,818 24,090 129,933 175,841 15,962 191,803 258,768 △66,965 134.9
2007年(平成19年) 21,554 24,973 126,967 173,493 17,545 191,038      
2008年(平成20年) 22,299 25,354 125,195 172,848 20,498 193,346      
2009年(平成21年) 20,784 27,035 122,130 169,949 19,468 189,417      
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車両

要約
視点

万葉線に在籍している車両および過去に在籍した車両は以下の通り。*印は冷房車。

現有車両

  • デ7070形
    • デ7071*、デ7073*、デ7074*、デ7075*、デ7076*
    1967年製造。7000形や7060形とほぼ同じだが、設計の変更で側面中間部の車掌小窓がなくなり、すっきりした窓配置になっている。デ7073は2009年12月26日から2016年夏まで車体正面にネコ、側面に十二支の動物の絵が描かれた「アニマル電車」として運行[16]。その後2017年公開の映画『ナラタージュ』の撮影のため旧加越能鉄道カラーに塗り替えられ[17]、2020年4月5日まで走行した。この間2019年5月から10月まで、令和改元記念を施した万葉「令和」号として運行していた[5][18]
    デ7071、デ7073、デ7074、デ7075、デ7076の全車が2023年までに冷房化改造を終了した。
  • MLRV1000形(アイトラム)
    • MLRV1001-a・b*、MLRV1002-a・b*、MLRV1003-a・b*、MLRV1004-a・b*、MLRV1005-a・b*、MLRV1006-a・b*
    2003年 - 2004年2006年 - 2009年製造。超低床構造の2車体連接車。2012年から1編成が「ドラえもんトラム」として運行されている[19][20][21]
  • 6000形(MCP300)(プラウ除雪車)
    • 6000
    2012年新潟トランシスで製造。凸型をした内燃機関動力車であり、ディーゼルエンジンを越ノ潟側に搭載している。本形式の導入に伴い、一部の運転士が軌道線での運転免許である「乙種内燃車」の動力車操縦者運転免許を取得している。

除籍車両

  • デ7000形
    • デ7051、デ7052、デ7053
    1961年製造。富山地方鉄道7000形電車とほぼ同型だが、乗降扉が車端にある。設計を流用したため、中央扉を最後部に移設しただけのような外観で、車掌小窓もそのまま残された感じになっている。なお、当形式の番号が50番台から始まっているのは、当時富山地方鉄道射水線との乗り入れを行っていたことから先の7000形と番号が被らないようにしたためである。「7050形」と記述されることもある。
  • デ7060形
    • デ7061、デ7062
    1965年製造。富山地方鉄道7000形電車とほぼ同型だが、かつては射水線乗り入れ時に連結運用するための連結器があり、総括制御可能であったことから区別されている。
  • デ7070形
    • デ7072
    1967年製造。初代アニマル電車。加越能鉄道時代の1994年に存廃問題で揺れていた渦中に、一般応募で、当時小学校5年生の女の子が描いた十二支とネコの作品が選ばれ、夢のある存続のシンボルとして運行された。
  • デ5010形
    • デ5022
    1950年製造[22]。かつては射水線の主力車両でもあり、高岡駅前から富山市内まで直通運転していた。1966年射水線切断時に5022も含む14両が加越能籍で移っていたが、1967年デ7070形6両が竣工すると、デ5027 - 30、37 - 40の8両が富山地方鉄道に戻り、5021 - 26の6両が加越能鉄道に残った。1971年伏木線が廃止されると余剰となり、5022を除き全車廃車となった。残された5022は同年に除雪専用車に改造され[22]、電動機を2基追加して出力を38kW×4基と増強、車内に凍結防止剤(塩化カルシウム)を散布する機械を設置、前後にスノープロウを装着した。1992年に車両としては車籍廃車となり移動機械の扱いとなっていたが、車齢が製造から60年以上経っていることから老朽化は避けられず、2012年の稼働が最後となった。しかし最後のデ5010形の生き残りであることから産業遺産として保存されることが決まり、復元工事ののち2018年10月13日より高岡市吉久の『TEKリトルパーク』に展示されることになった[22][23]

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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