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福島県の地方 ウィキペディアから
会津(あいづ)は、福島県の西部に当たり、西に越後山脈と東に奥羽山脈に挟まれた日本海側内陸の地域である。福島県は2つの山地(奥羽山脈と阿武隈高地)によって区切られており、西から順に会津地方と中通りと浜通りの3地域に区分される。
福島県を奥羽山脈と阿武隈高地の2つの尾根線の概ねの境界で分けた、「会津地方」「中通り」「浜通り」の3つの地域の内の1つ。会津盆地を中心として、東は奥羽山脈、西は越後山脈、南は下野山地(帝釈山脈、大佐飛山地を含む)、北は飯豊山地に囲まれた山岳地帯である。地方中心地は会津若松市。
『古事記』によれば、古くは相津と書いたという。崇神天皇の時代、諸国平定の任務を終えた四道将軍大毘古命と建沼河別命(たけぬなかわわけのみこと)の親子が、この地で合流したことに由来する。会津美里町の伊佐須美神社縁起にも同様の伝承がある。
東北地方の内陸盆地と太平洋沿岸のほとんどを含む旧陸奥国に含まれるが、会津地方は分水嶺である奥羽山脈の西側に位置しているため、川は日本海に注ぎ、気候も日本海側気候を呈する。
冬は豪雪地帯となるため、商店街に雁木が設置されるほどであるが、一方でスキー場に多くの来客がある。逆に夏季はフェーン現象で昼間は高温となるため、会津高原や裏磐梯などの高原での避暑、猪苗代湖の湖水浴が盛んとなり、アウトドアレジャーに訪れる観光客で賑わう。
盆地を中心に稲作が盛んで、コシヒカリ等が栽培されていてる穀倉地帯である。盆地の周辺では蕎麦の生産が多く、喜多方市山都町や猪苗代などに代表される蕎麦所もある。
特産物として会津漆器や赤べこ、粟饅頭、観光名所として会津五薬師、会津五桜などが知られる。また近年は白虎隊などのサムライ文化を観光の目玉とする動きも見られる(詳細は観光史学#戦後会津の観光史学を参照)。
1914年に磐越西線が開通する前は、阿賀野川の舟運が下越地方(新潟県北部)への交通手段として利用されていた。当時から磐越西線・磐越自動車道沿線では下越地方に、只見線沿線では中越地方(新潟県中部)に、会津鉄道会津線沿線では日光・鬼怒川へ行く会津地方民は多い。しかし、東京への交通網が西の新潟(下越地方)からではなく、東の郡山(中通り中部)から順に整備されたことや、東京へ行くには郡山経由や山王峠経由の方が山越えが少なくて済む点から、東京へ行くのに便利な中通り中部との交流が最も深い。
観光面では、尾瀬を共有する群馬県や新潟県との協力体制が以前からあったが、国道121号を通じて米沢(山形県置賜地方)や日光国立公園(日光・鬼怒川地域)との交流も有る。那須連峰の麓に位置する那須・白河地域(栃木県北東部~中通り南部)へのルートは、2008年以前は三依で分岐する国道400号を経由するルートであった。しかし、2008年に国道289号甲子峠トンネルが開通してからは、那須・白河地域とも観光ルートの形成や協力体制が作られてきている。
律令制度下で陸奥国が設置され、その中の郡の一つとして会津郡が設置された。その後、平安時代に入ってから耶麻郡が分離され、更に大沼郡と河沼郡が分離され、以後は会津郡とこれら3郡を総称して会津四郡と呼ばれることとなる。
現在の会津地方は、律令体制下では陸奥国会津郡である[要出典]。
『古事記』によれば、会津の地に初めて入った中央豪族は、孝元天皇の皇子・大彦命とその子・武渟川別命で、2人が出会ったために「相津」という地名がついたという。
伝承によれば、欽明天皇元年(540年?)に、南梁から青巌(青岩とも)という僧侶が越後の浜に漂着し、阿賀野川を遡って会津の地に至り、庵を結んだのが恵隆寺の始まりとされる。欽明天皇6年(545年?)に青巌は入滅し、舒明天皇6年(634年)、青巌の孫弟子・恵隆が渡来し、斉明天皇4年(658年)には、蓮空が寺名を「石塔山恵隆寺」と改称した[1]。
神護景雲3年(769年)には、称徳天皇の時代に、陸奧大国造の道嶋宿禰嶋足の申請により、会津郡人の外正八位下・丈部庭虫と大伴部某に阿倍会津臣の姓が与えられている[2]。
岐阜県揖斐川町にある華厳寺の伝承によれば、約1200年前の会津には「大口大領信満」という豪族がいたという[3]。
平安時代の会津地方は、僧兵数千人を擁する慧日寺が勢力を持ち、寺院統治下の様相を呈していた[要出典]。
平安時代末期には越後国の城氏が勢力圏としていたが、横田河原の戦いでの敗戦後に奥州藤原氏によって会津の地を追い出されたという。
会津で勢力を誇っていた慧日寺は、源平合戦のときに平氏側に付いたため一時衰退することになる。
源頼朝による奥州合戦後、三浦氏一族の佐原氏(後に蘆名氏に改名)に会津地方が恩賞として与えられ、慧日寺に代わって安土桃山時代まで会津地方は黒川(現在の会津若松)を本拠地とする蘆名氏の勢力下に置かれた。この蘆名氏は、常陸太田(後に水戸)を本拠地とする佐竹氏と手を結んで、米沢を本拠地とする伊達氏と対立していた。やがて、蘆名氏が伊達氏に敗れると、会津地方は伊達氏の領土となった。
室町時代には多数の堂宇が建ち並び門前町を形成するまで回復していた慧日寺は、蘆名氏と伊達氏の争いに巻き込まれて、伽藍の殆どを焼失し、勢力を完全に失った。
新たな支配者となった伊達氏も、蘆名氏との合戦が豊臣秀吉の発した惣無事令違反とされ、奥州仕置により会津地方を没収された上、米沢から岩出山に移転させられ、代わって会津地方は蒲生氏郷に、次いで上杉氏の統治下に置かれた。
明治時代には、鶴岡県(庄内地方)や山形県を経て転任した三島通庸が福島県令となり、自由民権運動では会津地方と中通りが「民権派政治家vs明治政府」の舞台となった。自由民権運動下の会津地方を象徴する出来事として、会津三方道路が有名である。
豪雪地であることから、20世紀前半には、会津地方内にダムや水力発電所が建設された。第二次大戦後には日本発送電の分割により、東北電力と東京電力の両社が建設・保有することとなった。会津地方の水力発電所として、東北電力の宮下水力発電所、東京電力の小野川水力発電所などが代表的である。
観光ガイド形式に、会津地方をJR磐越西線沿線、会津鉄道会津線沿線(会津高原)、JR只見線沿線の3つのエリアに分けて、順に紹介する。冬には、積雪により峠付近が通行止めになる道路もあるので、注意を必要とする。
自治体 ('80) |
1980年 | 1990年 | 1995年 | 2000年 | 2005年 | 2010年 | 自治体 (現在) |
広域圏 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
西会津町 | - | - | - | - | - | - | 西会津町 | 喜多方 広域行政圏 |
高郷村 | - | - | 喜多方 都市圏 6万3413人 |
- | 会津若松 都市圏 24万6056人 |
会津若松 都市圏 23万2992人 |
喜多方市 | |
北塩原村 | 喜多方 都市圏 4万5780人 |
喜多方 都市圏 6万0818人 |
喜多方 都市圏 5万9701人 |
北塩原村 | ||||
熱塩加納村 | 喜多方市 | |||||||
喜多方市 | ||||||||
山都町 | - | |||||||
塩川町 | 会津若松 都市圏 19万7672人 | |||||||
磐梯町 | 会津若松 都市圏 19万7213人 |
会津若松 都市圏 19万7316人 |
会津若松 都市圏 18万8686人 |
磐梯町 | 会津若松 広域行政圏 | |||
河東町 | 会津若松市 | |||||||
会津若松市 | ||||||||
北会津村 | ||||||||
湯川村 | 湯川村 | |||||||
会津坂下町 | 会津坂下町 | |||||||
会津高田町 | 会津美里町 | |||||||
本郷町 | ||||||||
新鶴村 | ||||||||
柳津町 | - | - | 柳津町 | |||||
猪苗代町 | - | - | - | - | - | - | 猪苗代町 | |
三島町 | - | - | - | - | - | - | 三島町 | |
金山町 | - | - | - | - | - | - | 金山町 | |
昭和村 | - | - | - | - | - | - | 昭和村 | |
下郷町 | - | - | - | - | - | - | 下郷町 | 南会津 広域行政圏 |
檜枝岐村 | - | - | - | - | - | - | 檜枝岐村 | |
只見町 | - | - | - | - | - | - | 只見町 | |
田島町 | - | - | - | - | - | - | 南会津町 | |
舘岩村 | - | - | - | - | - | |||
伊南村 | - | - | - | - | - | |||
南郷村 | - | - | - | - | - |
国土交通省の「全国幹線旅客純流動調査」の生活圏間流動において、会津地方を出発地とする目的地は以下のようになっている。ただし、同調査では同じ都道府県内の生活圏へのデータがないため、それらを除く。
国政選挙では、会津地方だけで衆議院小選挙区(福島県第4区)を構成していたが、2017年の法改正で中通りにある西白河郡西郷村が加わった。
会津ぐるっとカード - エリア内の鉄道・バスに2日間自由に乗降できる。
コミュニティ放送のFMラジオ局が2局ある。
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