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毎年夏季に日本で行われるロックフェスティバル ウィキペディアから
フジロックフェスティバル(FUJI ROCK FESTIVAL)は、日本のロック・フェスティバルである。主催はSMASH。フジロックという略称および愛称で知られる。
1997年に山梨県の富士天神山スキー場で初開催された。1999年からは、毎年7月下旬または8月上旬に新潟県湯沢町の苗場スキー場で開催されている[注 1]。
日本のロック・フェスティバルの先駆けであり、世界200組以上のミュージシャンが揃う日本最大規模の野外音楽イベントである。フェスティバル名は富士山近辺で初開催されたことに由来し、ロゴマークも「富士山」をあしらったものが現在に至るまで使われている。
なお、天神山スキー場で開催されたのは1997年の第1回のみで、第2回目の1998年は東京都豊洲地区の東京ベイサイドスクエアで開催され、翌年の第3回目以降、苗場スキー場での開催となった。
ロックフェスと銘打っているが、実際はロックのみならず、ポピュラー音楽全般、和太鼓、ジャズ、民族音楽など、ジャンルはさまざまである。複数のステージで演奏が同時進行するため、すべての出演者を見ることはできない。
現在は苗場スキー場で開催されているため、ライブの参加のみならずアウトドアなどを兼ねた客も多い。
会場の苗場スキー場は最寄のJR越後湯沢駅から開催期間中のみ運行のシャトルバスで約40分、混雑時は約1時間の山間部にある[1]。通常時のアクセス方法についてはスキー場に隣接する苗場プリンスホテル#アクセスを参照。
自家用車の場合、入場券と同時に購入する駐車券に指定された駐車場を利用する[1]。会場直結のみならず周辺一帯のスキー場等の駐車場が指定され、駐車場と会場はシャトルバスにより結ばれる[1]。車をとめるのに必要な駐車券はすぐに売り切れ、競争率が高まっている。
オフィシャルツアーでは苗場会場直結のツアーバスもあり[1]、出発時間の制限はあるが前記シャトルバスを使うことなく会場へ行けるメリットがある。
会場のある湯沢町周辺は冬場のスキー客のためにホテルやペンション、旅館、民宿など多くの宿泊施設があるが、開催期間の前後はその大半がフジロック客で満室状態になるため、例年、駐車券の獲得以上に宿泊先の確保が熾烈である。特に会場に直結している苗場プリンスホテルはその利便性の高さに加え、出演アーティストを始めとするフジロック関係者の宿泊先として一部借り切られているため、一般客向けの客室は少なくなっており、毎年競争率は非常に高く、2010年は団体のみ受け入れるため、一般客はオフィシャルツアーでしか宿泊できなかった。
演奏ステージの数は回を重ねるごとに増え続けており、現在は主なものだけで5つ(グリーン・ステージ、ホワイト・ステージ、レッド・マーキー、フィールド・オブ・ヘブン、ジプシー・アバロン)あるほか、観客数が数十人規模の小ステージも多数ある。さらに別料金となるが会場内を見下ろして東西に進む日本最長のゴンドラ「ドラゴンドラ」がある。メインのグリーンステージ以外は、観客が一定数を越えると安全のため入場制限がかけられることがある。
会場内には各ステージごとに多くの飲食店が出店しており、苗場食堂のある「オアシス」等屋台ブースには、毎年出店している常連の店や名物料理も生まれている。テント設営区画が設けられており会場宿泊も可能だが、単純な野宿は禁止されている(詳しくは下記の「キャンプ・サイト」項を参照)。夜には成年者を対象にカジノやバーがオープンする。
その日の日程が終了すると、レッドマーキーとオアシス以外のエリアはすべて立ち入り禁止となる。そのため開催期間中の中日であっても、夜遅くまで会場内に居座ることはできない。レッドマーキーなども午前4~5時には閉演する。開場は朝の9時以降となる。
以下、主なエリアを入場ゲートから近い順に記す。
苗場プリンスホテル後方、スキー場の広大な斜面を利用して会場宿泊客のためのテント設営エリアが設けられている。毎年、約1万7000人がここでテントを張って宿泊している。女性専用ゾーンやトイレ、シャワー設備、キャンプに関する相談所や食事処も完備されている。キャンプサイト券を購入した客のみ利用可能。テントを建てやすい平らな地面の立地はすぐに埋まる。また開催期間中はスコールなど荒天が多く、キャンプ初心者にはあまり望ましい宿泊手段とはいえない。2010年から新たにPyramid Gardenという和み空間が出現。キャンプサイト利用者限定で楽しめるステージも併設している。
初日の前夜には地元の住民たちとの交流を深め、共に盛り上がる恒例の前夜祭が開かれる。盆踊り、抽選会、大食い大会といったベタな夏祭りイベントもフジの開幕とあって盛り上がりをみせる。最後は打ち上げ花火大会でフェスティバルの成功祈願と開会が宣言される。他にもレッドマーキーが開放され、DJ達によるオープニングパーティが催され時には出演バンドによるサプライズライブが行われることもある。過去に少年ナイフやBRAHMAN、ザ・クーパー・テンプル・クロースなどが前夜祭ライブを行っている。
一番上に表記されているバンド名が、ヘッドライナー(グリーン・ステージ)である。以下、他のステージの出演者も含む。
会場:山梨県富士天神山スキー場地区(台風の影響などの混乱により2日目は開催せず)
1997年に、富士山のふもとの天神山スキー場で初めて開催された。2日間の予定であったが、台風の直撃により1日目から豪雨に見舞われる。会場内で雨をしのげる場所は少なく雨や寒さに対する備えが不十分な参加者が多かったこともあり、会場内やその周辺では体力を奪われて倒れる者が続出した。死者はでなかったものの、フェスは惨状を呈した。
会場へのアクセス道路は1本しかなく、駐車車両などによる渋滞によって交通は麻痺状態となり、移動に多くの参加者が徒歩で数時間も歩いた。トイレもない道路では多くの人々が周辺の私有地に立ち入って用を足したり、別荘地内で勝手にキャンプをしたりと会場周辺も混乱を極めた。2日目は朝から晴天となったものの、警察、地元自治体などからの要請や会場とその周辺の荒廃により、これ以上のイベント続行は不可能と判断した運営側が全てのプログラムを中止し、日本初の野外ロック・フェスティバルは、崩壊の状態となった。
また、駅と会場を結ぶ送迎バスが機能しなかったことにより、駅や荒天の会場で数時間にわたり立ち往生を余儀なくされたこと、案内スタッフが少数かつ不親切であったことなど多くの課題を残し、フェスの運営にも批判が集中した。
会場:東京都豊洲地区・東京ベイサイドスクエア
前年度の批判を受け、主催のスマッシュは翌1998年、会場を一転して東京の豊洲地区に変更して開催する。前年の失敗を踏まえて会場へのアクセスや救護体制などが改善されたが、2ステージのみの会場であることから、多くの観衆が1ヶ所に密集する状態は避けられず、特にthee michelle gun elephantのステージでは、モッシュ過多による圧死危険のために何度か演奏が中断された。
そうした2年間の試行錯誤を経て、やはり会場は東京ではなく「自然の中でのロックフェス」という、当初のコンセプトに回帰する結論に達した。
会場:新潟県苗場スキー場地区、この年以降、現在に至るまで同地で開催されている
1日目(7月30日) | 2日目(7月31日) | 3日目(8月1日) |
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1999年は夏期の集客を目指した苗場プリンスホテルと地元の浅貝地区が開催地として協力することとなり、会場は新潟県の苗場スキー場に再度変更された。
英国のグラストンベリー・フェスティバルを参考に、再び大自然の中での開催となったが、参加者の雨や寒さに対する意識が向上したことや、苗場・浅貝地区は周辺に一般住民がほとんど居ない山間部の独立した地域ということもあり、大きな問題は起こらず終了した。
これ以降は、毎年苗場での開催になった。開催期間も1999年以降は3日間となっている。
2000年は、1日目と2日目のトリを日本人バンドが務めるという、初の試みが行われた。初日のトリを務めたBLANKEY JET CITYは同年5月に解散を表明しており、ラスト・ツアー終了後の出演となったため、実質これがラスト・ライブとなった。
1日目(7月27日) | 2日目(7月28日) | 3日目(7月29日) |
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ニール・ヤング、オアシス、エミネムがヘッドライナーを務めた2001年は、取材に訪れた国際プレス群から「様々なフェスのヘッドライナーが一つのフェスに集まっている。これは最強のラインナップだ」と絶賛され、後に「世界のフジ・ロック」と呼ばれるきっかけとなった。特に、トラヴィス~マニック・ストリート・プリーチャーズ~オアシスという、UKロック・アンセムのトップランナーを揃えた初日グリーンの流れは、以降のフジのブリティッシュ志向が高まるきっかけともなった。
一方で、3日目のグリーンにはUSの実力派をヘッドラインにすえるラインナップを実現させるなど、総じて若手から大御所までを取り揃えた年となっている。
そんな中でトピックとなったのは、ニール・ヤングが演奏するその裏のホワイト、14年ぶりの来日となったニューオーダーの一大パーティに多くの観衆が詰めかけ、苗場で最初の大規模な入場規制が敷かれたことであった。
1日目(7月26日) | 2日目(7月27日) | 3日目(7月28日) |
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2002年は、初年度に台風の中ライブを行ったレッド・ホット・チリ・ペッパーズのリベンジ出演が目玉であった。同じく出演していたジョージ・クリントンをサプライズゲストに招いた。また一方、今やフジの名物のケミカル・ブラザーズがヘッドライナーとして出演した。
最終日にはスピリチュアライズドが、ブラス隊からパーカッションまでを大動員したサイケ・アンサンブルをホワイトに繰り広げた。
1日目(7月25日) | 2日目(7月26日) | 3日目(7月27日) |
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初のチケット完売を達成し、入場者数を10万人の大台に乗せたこの年、フィールド・オブ・ヘブンのさらに奥にオレンジコートが新設され、会場最深部へとつながる木道「ボードウォーク」が各地から参加したボランティアの手作りによって開通した。これによってほぼ現在の会場体裁となり、さらなる多様な音楽を展開するようになった。
初日は、ジョン・メイオール~ダーティー・ダズン・ブラス・バンド~G・ラヴ&スペシャル・ソースという濃厚な流れで、その夜はピークタイムにサシャを迎えたオールナイト・フジでも大盛況を収めたオレンジコートが、その初お披露目を飾った。一方で、アンスラックスやイギー・ポップまで終日にわたり爆音の猛者を揃えた2日目ホワイトのラウドなコンセプトブッキングも見られた。
最終夜には、開演からアンコールまで全て日本語表記のデジタルVJを駆使して、音と視覚双方に最大限の情報量で迫ったマッシヴ・アタック、バンド自ら過去最高のライヴと自賛したモグワイが、それぞれ重層なパフォーマンスで苗場の山間を彩った。
この年、2日目レッドのトリが予定されていたザ・コーラルのキャンセルを受けて前日のグリーンに出演したザ・ミュージックが急遽代理で2日連続の登場となり、レッドのトリを務めた。この出来事によって以降のフジでは、他の出演者がキャンセル組の「穴埋め代打」をする前例になった。
1日目(7月30日) | 2日目(7月31日) | 3日目(8月1日) |
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2004年は実験的な試みとして、チケットは3日通し券のみで販売が行われたが結果的に継続されることはなかった。この年は、初日のホワイトのトリを務めたベースメント・ジャックスと、3日目のレッドマーキーのトリを務めたアッシュが、それぞれフジの歴史に残る圧倒的なパフォーマンスを披露して、各誌からベストアクトと絶賛された。また、再結成を果たしたピクシーズや、昼間14時台にしてグリーンを満杯にしたフランツ・フェルディナンドも話題を集めた。2日目のフィールド・オブ・ヘブンでは、ジャック・ジョンソンが兄貴分のベン・ハーパー、盟友ドノヴァン・フランケンレイターと共演した。最終日はモリッシーの出演キャンセルによって、急遽、ザ・ホワイト・ストライプスが実質上のヘッドライナーを任されるという一幕もあった。なお、当初ヘッドライナーを務めるはずだったモリッシーの枠には、ジーズ・チャーミング・メンという解散するまでモリッシーがフロントマンを務めていたザ・スミスそっくりさんによるトリビュートバンドが起用された。
また、初日にはグリーンステージにてジャパニーズ・ロック史の中でも重要なバンドの1つであるルースターズが、17年振りにオリジナル・メンバーで再結成、ケジメとなるラスト・ライブを行った。
1日目(7月29日) | 2日目(7月30日) | 3日目(7月31日) |
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2005年は、この年世界で一番のアルバム売り上げを記録したコールドプレイを準トリに据え、フー・ファイターズをヘッドライナーに起用するという贅沢な初日に始まり、ベックとファットボーイ・スリムを揃え、2003年以来のチケット完売となった2日目、ロイクソップに加えて、モービーとニュー・オーダーで新旧アシッド勢揃いぶみのヘッドラインを形成したグリーンステージに、その裏マーズ・ヴォルタ~シガー・ロスの流れで動と静の音楽宇宙と化したホワイトステージを擁した3日目と、充実のラインナップが実現した。
ギャング・オブ・フォー~ダイナソーJr.という共に同時期に再結成した2バンドを並べた趣向で、ザ・ビーチ・ボーイズや、ザ・ポーグスなど、要所要所でのベテランのパフォーマンスも見られた。また一方で、最終日のクロージングとして登場したプライマル・スクリームの壇上には、ゲストメンバーとしてケヴィン・シールズとJ・マスシスの姿があり、その時ステージ場ではジーザス&メリーチェイン、ストーン・ローゼズ、フェルトの元メンバーに加え、マイ・ブラッディ・ヴァレンタインとダイナソーJr.の現メンバーが一堂に会するというオルタナ・オールスターぶりが話題になる、フェスらしい1コマもみられた。
他方で、第1回のフジに観客として参加して以来、1999年の初出演から徐々にステージ・アップしてきたくるりが念願のグリーン進出を果たす。
1日目(7月28日) | 2日目(7月29日) | 3日目(7月30日) |
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記念する10回目を迎えた2006年は、フランツ・フェルディナンドがフジ史上最速でのヘッドライナーに抜擢された。2日のトリでは、レッド・ホット・チリ・ペッパーズが10周年に華を添えるステージを見せ、その裏ではシザー・シスターズが、入場規制がかかったレッドマーキーには、クーラ・シェイカーのステージが展開された。
一方で、初日のヘヴンでは加藤登紀子が登壇した。
この年から「Very Special Guest」名称となったクロージング枠にはハッピー・マンデーズが登場した。
来場者はそれまでで最多の13万に達し、アニバーサリー・イヤーとなった。
1日目(7月27日) | 2日目(7月28日) | 3日目(7月29日) |
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2007年は天候に恵まれたこともあり、期間中はヘヴン~オレンジといった会場最深部が例年になく混雑したことが特徴的な年であった。
最終日の締めでは、5度目のケミカル・ブラザーズの裏でジュノ・リアクターによる壮大なブードゥー・パーティが異様な盛り上がりをみせ、レッドではドクターストップがかかった昨年のリベンジを果たすべく、主客とも爆発的な盛り上がりに発展したクラップ・ユア・ハンズ・セイ・ヤー、急遽キャンセルとなったフィッシュボーンの代打としてオレンジのトリを務めたフェルミン・ムグルサも会心のパフォーマンスを演じた。
初日ホワイトのトリには初来日が実現したグルーヴ・アルマダが登場したが、話題の中心は23年ぶりの来日となるザ・キュアーのヘッドライナーであった。ダブル・アンコールに応えたフル・タイムセットで演奏は日付を跨ぎ、深夜にまで及んだ。
1日目(7月25日) | 2日目(7月26日) | 3日目(7月27日) |
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2008年は、3日目大トリの忌野清志郎が病気のため急遽キャンセルとなり、代理として2日連続のプライマル・スクリームが発表されたが、開催直前まで「交渉中」として伏せられていた3日目グリーンステージのその他のヘッドラインまで、同じく前日出演組のThe Birthdayとエイジアン・ダブ・ファウンデーションで補填するという発表を行った。
1日目(7月24日) | 2日目(7月25日) | 3日目(7月26日) |
好天続きであった過去数年から一転して、開催期間の苗場は常に雨雲が停滞する不安定な空模様となり、前夜祭からの豪雨に終日見舞われた初日は特に過酷で、会場を流れる河川の増水と足場のぬかるみ拡大等によりオールナイト・フジが中止に追い込まれ、同様に映画上映や岩盤スクエアも含めて多くの屋外深夜イベントが取り止めという初めての事態となった。
最終日には、中止を味わった1997年第1回を経て以来のウィーザーが登場した。
また、2日目グリーンにおいて、同年5月に亡くなった忌野清志郎を追悼する呼びかけの下、1夜限りの「スペシャル・メッセージ・オーケストラ」が急遽結成され、仲井戸麗市、Char、泉谷しげる、CHARA、UA、Leyona、トータス松本、甲本ヒロト&真島昌利、YO-KING、浜崎貴司などが顔をそろえた。ライブ終盤には、生前のライブ映像と当日の演奏をシンクロさせる演出が行われ、「キング・オブ・フジロック」こと忌野清志郎は“最後のフジロック出演”を果たした。
2010年は、初日ゼム・クルックド・ヴァルチャーズ、2日目ワン・デイ・アズ・ア・ライオン、最終日アトムス・フォー・ピースと、各日のヘッドラインに大物ミュージシャンから成るスーパーグループが名を連ね、高い話題性をともなってそれぞれで多くの観衆を動員した。
2日目では、フィッシュボーン~フロッギング・モリーに至る流れで怒涛の盛り上がりに発展したレッドトリの他、昼下がりのグリーンを緩急自在に演じたジェイミー・カラムとジョン・バトラー・トリオ、ヘヴンの夜をスリリングな演奏で掌握したデレク・トラックス&スーザン・テデスキ・バンドの抜群のパフォーマンスも絶賛を受けた。2日目ではホワイトステージのトリであったMGMTが会場の定員をオーバーし、ホワイトステージには入場制限が設けられた。
1日目(7月29日) | 2日目(7月30日) | 3日目(7月31日) |
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1日目(7月27日) | 2日目(7月28日) | 3日目(7月29日) |
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2012年は、前年までオレンジ・コートの奥に設置されていたオートキャンプ専用の施設であるムーン・キャラバンが、砂埃や雨天時の水はけの悪さから[6]、苗場プリンスホテル後方にあるPyramid Gardenの奥に設置されることになった[7]。
1日目(7月26日) | 2日目(7月27日) | 3日目(7月28日) |
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1日目(7月25日) | 2日目(7月26日) | 3日目(7月27日) |
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1日目(7月24日) | 2日目(7月25日) | 3日目(7月26日) |
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2015年は、2003年以来フィールド・オブ・ヘブンの奥に設置されていたオレンジ・コートが会場の水はけや、フィールド・オブ・ヘブンとの音の干渉の問題から設置されなかった[14]。それに伴い、金曜の深夜に開催されていたオールナイト・フジも中止となりレッドマーキーの深夜枠に融合した形で、ブライアン・バートンルイスらが出演した。 レミー・キルミスターがこの年の12月に逝去したため、モーターヘッドは最後の来日公演となった
1日目(7月22日) | 2日目(7月23日) | 3日目(7月24日) |
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2016年は20回目の開催を記念して、2日目に「FRF 20th SPECIAL G&G Miller Orchestra」と題し、総勢18名のスペシャルジャズオーケストラ(JUMP WITH JOEY/FRONT PAGE ORCHESTRA)にゲストシンガー(加藤登紀子/曽我部恵一(サニーデイサービス)/中納良恵(EGO-WRAPPIN'))を迎えた公演があった。
1日目(7月28日) | 2日目(7月29日) | 3日目(7月30日) |
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1日目(7月27日) | 2日目(7月28日) | 3日目(7月29日) |
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2日目となる7月28日のスクリレックスのステージに、YOSHIKIがゲスト参加した。クリスタルピアノで『ENDLESS RAIN』を演奏し、スクリレックスの代表曲『Scary Monsters And Nice Sprites』ではドラムで参戦するなど、EDMサウンドにクラシックとロックを融合させたステージを披露した。なお、今回のサプライズコラボは、スクリレックスからのオファーをYOSHIKIが快諾したことにより実現した[20]。
ボブ・ディランは、初めて日本のロックフェスティバルに出演した。
1日目(7月26日) | 2日目(7月27日) | 3日目(7月28日) |
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2020年8月21日から23日に予定していたが、新型コロナウイルス感染拡大による来日アーティスト入国制限により海外ミュージシャンの招聘に困難が生じたことなどから開催が中止され、2021年8月20日から22日の1年延期となった[21]。これまで悪天候での一部中止はあったものの、完全な中止は初となる[22]。2020年8月21日から23日に「フジロックフェスティバル'20 ライヴ オン ユーチューブ」というタイトルによりYouTube上にて2019年度のライブ映像が再配信され、YouTubeのスーパーチャット機能の投げ銭を使った寄付を募集し、寄付金は国境なき医師団とミュージッククロスエイドへ寄付された[23]。
予定されていたヘッドライナーは、テーム・インパラ(21日)、ザ・ストロークス(22日)、忌野清志郎 Rock'n'Roll FOREVERと電気グルーヴ(23日)。23日の2組は2000年のBLANKEY JET CITY、THEE MICHELLE GUN ELEPHANT以来となる日本人ヘッドライナーとなる予定だった[24]。
史上初めて、国内アーティストのみで構成されたラインナップとなった。中止となったFUJI ROCK FESTIVAL'20の購入チケットはそのままFUJI ROCK FESTIVAL'21で有効[25]となるので、チケット販売は昨年中止となった2次先行販売(4月16日より販売開始)からとなり、限定枚数により規定枚数に達し次第販売は終了となる[25]。
新型コロナウイルス流行下の公演であり、感染状況を鑑みてアーティストが申し出た出演キャンセル、事前PCR検査で陽性が確認されたためなどでの出演キャンセルが相次いだ[27][28][29]。イベント前日の8月19日には新潟大学小児科学教室が公式Twitterで新潟県内での医療逼迫を理由に参加予定者に対して「フジロック中に体調が悪くなっても充分な対応ができない可能性が高い」「今からでも参加は辞めた方がいいでしょう」と異例の呼びかけを行っている[30][31]。
主催者は、来場者数を例年の半分以下(3日間で延べ3万5千人)に削る、酒類の販売・持ち込み禁止、マスク着用の義務化、立ち位置指定などによるスタンディングエリアの人数制限などの対策を掲げた[32]。さらに、来場者には体温や体調などの事前登録が求められた[32]。他方、会場までの道のりの路上で飲酒をする客や、生ビールを販売する店もいくつか見られた[32]。朝日新聞の記者で実際に現地で取材をした宮坂知樹は、主催者側の対策は万全であったと評した観客の声を紹介しつつ、「主催者側がどれだけ対策を講じても、来場者の行動次第で穴が開く可能性はある」とした[32]。
終演から2日後の8月24日、主催者は「会期中の会場においては、ひとりの陽性者も確認されていない」と発表した[33]。しかし、「陽性者なし」を発表するには早すぎる段階であると一部メディアからは批判された[34]。8月27日、小泉進次郎環境大臣は定例の記者会見で、ウイルス蔓延下での開催を環境省が後援したことは不適切だったとの認識を示し、今後は見直す考えを明らかにした[35]。主催者は、今後も情報収集に努め結果を公表するとしている[33]。
1日目(7月29日) | 2日目(7月30日) | 3日目(7月31日) |
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【キャンセル】
1日目(7月28日) | 2日目(7月29日) | 3日目(7月30日) |
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