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イアン・ブラウン(Ian Brown、1963年2月20日 - )は、イギリス、マンチェスター出身のシンガーソングライター。1984年、ストーン・ローゼズでデビュー。1996年に解散後、1998年にソロデビュー。
Ian Brown | |
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基本情報 | |
出生名 | Ian George Brown |
別名 | キング・モンキー |
生誕 |
1963年2月20日(61歳) ウォリントン |
出身地 | マンチェスター |
ジャンル |
マッドチェスター オルタナティブ・ロック |
職業 | シンガーソングライター |
担当楽器 | ボーカル |
活動期間 | 1984年 - 1996年, 1998年 - 現在 |
レーベル |
ポリドール ユニバーサル・ミュージック |
共同作業者 | ザ・ストーン・ローゼズ ノエル・ギャラガー |
公式サイト | http://www.ianbrown.co.uk/ |
「子供の頃は、北部では誰でもビートルズに夢中で、俺も同じだった。次にT・レックスの『メタル・グルー』を聴いたんだけど、あれが地元のマーケットで買った初めてのシングルだったな。9歳になると、ギャリ―・グリッターが好きになった。『ロックンロール・パート1』は素晴らしい曲だよ。今でもスレイドは偉大なバンドだと思ってるし、ノディ・ホルダーはイギリスが生んだ最高のシンガーの一人だよ。ジョン・レノンみたいな歌声で、荒々しく、おそろしく力いっぱい歌うんだ」「アリス・クーパーも好きだった。1976年のクリスマスに彼の『ビリオン・ダラー・ベイビーズ』をもらって聴くまでは、実はアルバムとは何なのかもよく分かってなかった。それまではシングルがすべてだったんだよ。お袋は『サウス・パシフィック』のサントラ盤とペリー・コモのアルバムを持ってた。俺がアリス・クーパーの『スクールズ・アウト』に夢中になったのは12歳の時。それからセックス・ピストルズが起こしたビル・グランディ事件が新聞に載って、パンクが好きになった。アルバムも買ったよ。1977年3月にはピカデリー・ラジオで流れたアドヴァーツを聴いてシングルの『ワンコード・ワンダーズ』を買った。ピカデリー・ラジオはクラッシュの『キャリア・オポチュニティーズ』と『ジェニー・ジョーンズ』も流してたな。ラジオだと曲の途中までしか流れないけど、それをカセットテープに録ってね。ちょうどクラッシュがアルバムをリリースする時だったから、ラジオで曲を宣伝してたんだ」と語っている。
13歳の頃にジョン・スクワイアとつるみ始めたと言う。「近所の空き地に砂場があって、4,5歳くらいの時に、そこで会ってたかもしれないんだ。ジョンは覚えてて、俺は裸になって砂場で遊んでたらしいよ。」「つるみ始めたのは13か14の頃。1977年は、あいつが学校でひどい目に遭ってて、俺が助け出してやったんだ。同じ通りに住んでたのは知ってたけど、まだつるんでなかった。その夜、あいつが何だか可哀想に思えて、レコードを何枚か持ち込んだんだ。俺は『ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン』を買ったばかりの時で、すごく興奮してて、ジョンの家まで行ったのも、きっとその頃じゃないかな。あの時はクラッシュのファーストLPとアドヴァーツの『ワン・コード・ワンダーズ』を持って、ドアをノックしたんだ。あいつが持ってたのは、ビートルズの『ライブ・アット・ザ・ハリウッド・ボール』だった。まともなLPは持ってなくて、コンピレーションアルバムしかなかった。サーファーが一人で写ったジャケットのビーチ・ボーイズの『ゴールデン・グレイツ』とかで、だから俺のレコードをかけたら、すぐに飛びついてきたよ。特にクラッシュが好みになったみたいで、あいつも同じアルバムを買ったんだ。ピストルズの『ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン』も手に入れたね。初めて会った頃のジョンはひたすら美術に熱中してた。ゲームとかは一切やらなくてね。学校の制服にもクラッシュ風にステンシルで文字をあしらってて、俺のシャツにもしてもらったよ。外に出るときはタイトなパンツにサスペンダーそれとスポーツシューズ、それが俺たちの格好だった。それと、安全ピンを刺した黒のジャケットを着るんだ。シャツのロゴは『ユー・ジェネレーション』で、ジェネレーションXとかクラッシュがしたみたいにスプレーで書いたんだ。こんな感じで、まずは目にしたものをまねしながら、次第に自分たち独自のものにしていったんだよ。」
「砂場の出会い」の幼馴染、イアン・ブラウンとジョン・スクワイア。しかしローゼズ末期から関係が疎遠になり、解散後しばらくは互いにメディアを通し批判合戦を行うほどの関係になっていた[1]。しかし最近になってジョンがイアンにデモテープを送り、それを聴いたイアンから称賛のコメントが出るなど関係は改善された模様[2]。
ローゼズ末期のメンバーであるアジズ・イブラヒム、ロビー・マディックス、ナイジェル・イッピンソンやオリジナル・メンバーのマニとレニ(ドラムループのみ提供)が参加して作られたアルバム。ローゼズのためにイアンが書き、ストーン・ローゼズ最後のステージで披露された"Ice Cold Cube"も収録[3]。関係が疎遠になったジョンはもちろん不参加。イアンとマニは2004年のアンクルのシングル"Reign"でも共演している。
なおイアンは世界最高のバンドはストーン・ローゼズであると公言してはばからない。
イアンのニックネーム。ドッジーのマシュー・プリーストが考案したとされている[4]。
1998年2月に飛行機で客室乗務員に暴力をふるったとされ逮捕。本人は否定するも、結局収監され98年12月からのUKツアーは中止となった。この時の体験を元に書いた曲が“Free My Way”(『ゴールデン・グレイツ』収録)[5]。 2005年3月にはサンフランシスコでの公演中に観客と喧嘩になり逮捕[6]。さらに2009年11月には妻へのドメスティック・バイオレンスの容疑で逮捕されている[7]。
オアシスのギャラガー兄弟がストーン・ローゼズのライブを観に行って大きな感銘を受けた話は有名だが、その後2004年にノエル・ギャラガーがイアンに楽曲を提供。"Keep What Ya Got"でコラボレーションを果たす。ノエルが書いた「イアン・ブラウンぽい曲」とはイアンとの作業で、さらにイアン色が強まった。
イアンがジョンとともにローゼズ以前に所属していたバンド。この時イアンはベースを担当していた。
イアンのアディダス好きは有名で、その結果2005年にスーパースター35周年記念としてイアン・ブラウン・モデルのスニーカーが作られた。なおイアンは2005年のサマーソニックにピンクのアディダスのジャージを着てステージに上がり周囲を驚かせた。
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