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ベン・フォールズ・ファイヴ(Ben Folds Five)は、ノースカロライナ州チャペルヒルで結成された、ピアノを主体としたスリーピースのロックバンドである。1994年に結成され、2000年11月に解散した。2008年に地元チャペルヒルにて、ベン・フォールズ・ファイヴ名義でライブを行った。
ロックには珍しい、ピアノを中心としたギターレスバンドであった。 解散までに4枚のアルバム、6枚のシングル、解散後に1枚のDVDをリリースしている。1996年2月の初来日公演の大成功や、テレビドラマ『ロングバケーション』の効果もあって、ファースト・アルバム『ベン・フォールズ・ファイヴ』が本国よりも先に日本でヒットした。そのため、日本盤のセカンド・アルバムには「ソング・フォー・ザ・ダンプド」(Song For The Dumped)の日本語バージョン「金返せ」が収録された。
ベン・フォールズ・ファイヴは、1993年にベン・フォールズを中心としてチャペルヒルで結成した。彼らは、バンド名とは異なり3人組だった。ベンはバンド名について「ベン・フォールズ・スリーより響きがよいから」と説明している[3]。ベンはかつて自分達の音楽を「泣き虫野郎のパンク・ロック」と評していた[4]。
彼らの最初のラジオ・シングルは「Underground」で、1stスタジオ・アルバム『ベン・フォールズ・ファイヴ』(1995年発表)に収録されている。『ベン・フォールズ・ファイヴ』は、アメリカでは売上的に成功しなかったが、日本では30万枚以上の売上を記録[5]し、日本のラジオ局J-WAVEからは1996年の年間最優秀新人アーティストに選ばれた[6]。イギリスではシングル「Underground」が全英シングルチャートで37位を記録した[7]。
1997年に発表された2ndスタジオ・アルバム『ワットエヴァー・アンド・エヴァー・アーメン』も、日本では3週間に30万枚の売上を記録する[8]のに続き、イギリスでも全英アルバムチャートで30位を記録し[9]、アルバムからカットされたシングル3曲がトップ40に入った(「Battle Of Who Could Care Less」:26位[10]、「Kate」:39位[11]、「Brick」:26位[12])。「Brick」は本国アメリカでヒットし(ビルボード・アダルトトップ40で11位を、トップ40メインストリームで17位を記録[13])、アルバムも全米アルバムチャートで42位を記録する[13]彼らにとって最も大きなヒットとなった。
未発表音源を寄せ集めたアルバム『ネイキッド・ベイビー・フォトズ』(1998年発表、イギリスで65位[14]、アメリカで94位を記録[13])をはさんで、3rdスタジオ・アルバムは落ち着いたジャズ風のアルバム『ラインホルト・メスナーの肖像』で、1999年に発表された。このアルバムはイギリスで22位[15]、アメリカで35位[13]を記録するも、日本では前々作・前作よりも劣る15万枚の売上を記録した[5]。1998年にはバート・バカラックのトリビュート・アルバム『One Amazing Night』に「雨にぬれても」のカバーを提供[16]、1999年に発売されたコソボ救済チャリティ・アルバム『No Boundaries: A Benefit for the Kosovar Refugees』に、バンドは曲「Leather Jacket」を提供した[17]。
彼らの最後のリリースは、スティーリー・ダンの「Barrytown」のカヴァーで、『ふたりの男とひとりの女』のサウンドトラックに収録された。彼らは『ラインホルト・メスナーの肖像』のワールド・ツアーが続くなか、新アルバムの制作に取り掛かったが、結局2000年10月に友好的にバンドは解散した[18]。
2012年に再結成し、9月18日に『サウンド・オブ・ザ・ライフ・オブ・マインド』を発売した。
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