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日本の政治家 (1981-) ウィキペディアから
小泉 進次郎(こいずみ しんじろう、1981年〈昭和56年〉4月14日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(6期)、自由民主党神奈川県支部連合会会長。
小泉 進次郎 こいずみ しんじろう | |
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生年月日 | 1981年4月14日(43歳) |
出生地 | 日本 神奈川県横須賀市 |
出身校 |
関東学院大学経済学部経営学科卒業 コロンビア大学大学院修了 |
前職 |
戦略国際問題研究所非常勤研究員 小泉純一郎衆議院議員秘書 |
所属政党 | 自由民主党(無派閥) |
称号 | 修士(政治学) (コロンビア大学・2006年) |
配偶者 |
滝川クリステル (2019年 - ) |
親族 |
小泉由兵衛(高祖父) 宮本央(高祖父) 小泉又次郎(曾祖父) 小泉岩吉(曽祖叔父) 泰道照山(曾祖父) 小泉純也(祖父) 小泉芳江(祖母) 泰道三八(大叔父) 小泉純一郎(父) 宮本佳代子(母) 小泉孝太郎(兄) |
公式サイト | 小泉進次郎オフィシャルサイト |
内閣 | 菅義偉内閣 |
在任期間 | 2021年3月9日 - 2021年10月4日 |
内閣 |
第4次安倍第2次改造内閣 菅義偉内閣 |
在任期間 | 2019年9月11日 - 2021年10月4日 |
選挙区 | 神奈川11区 |
当選回数 | 6回 |
在任期間 | 2009年8月31日 - 現職 |
その他の職歴 | |
第12代 自由民主党選挙対策委員長 (総裁:石破茂) (2024年9月30日 - 2024年10月28日) |
環境大臣(第27・28代)、内閣府特命担当大臣(原子力防災)(菅義偉内閣)、気候変動担当大臣(菅義偉内閣)、内閣府大臣政務官兼復興大臣政務官(第2次安倍内閣)、衆議院安全保障委員長[1]、自民党青年局長、同農林部会長、同筆頭副幹事長、同厚生労働部会長、同国会対策副委員長、自由民主党選挙対策委員長(第12代)を歴任した[2]。
小泉純一郎の次男として神奈川県横須賀市に生まれた(現住所は同市三春町1丁目[3])。産まれて間もなく両親が離婚し小泉家が引き取ったため、多忙な父に代わり、純一郎の実姉で同居する道子に育てられた。純一郎は道子と息子たちの関係(伯母と甥)を進次郎には伝えておらず、進次郎は中学2年生まで伯母とは知らされていなかったため、それまでは伯母・道子を実の母と信じていた。兄の孝太郎は伯母の存在を認識していたが、進次郎には伝えていなかった。中学生の進次郎は少なからずこの事実に驚いたが、2016年8月に道子が他界するまで実の母として大切にした。
2001年(平成13年)4月26日、進次郎が20歳の時に父・純一郎が内閣総理大臣に任命される。
2004年(平成16年)3月、22歳の時に関東学院大学経済学部経営学科を卒業。その後、コロンビア大学大学院に入学のプロセスとしては「例外中の例外」と言われる「条件付き合格」し[4]、条件である「TOEFLのスコアが600点に達するまでコロンビア大学内の語学講座で英語の授業を受ける」に従い1年ほど英語を学ぶ。
2005年9月より知日派で米国要人と太いパイプをもつジェラルド・カーティスに師事して修士課程をスタート[5]。
2006年(平成18年)に政治学で修士の学位を取得した[6]。その後、アメリカ合衆国にある、ロンドンタビストック人間関係研究所配下の戦略国際問題研究所非常勤研究員を経て2007年(平成19年)に帰国し、それ以後は父である純一郎の私設秘書を務める。
2008年(平成20年)に父、純一郎が政界引退を表明して、進次郎を後継候補に指名する。自由民主党の公認を受け、2009年(平成21年)の第45回衆議院議員総選挙に神奈川11区から出馬し、初当選。選挙戦では重複立候補を辞退し、当時の連立与党である公明党からの選挙協力も受けなかった。地元の一部有権者からは世襲を批判されたものの父から受け継いだ強固な地盤と後援会をバックに終始優勢を維持し[7]、投票総数の過半数である150,893票(得票率57.1%)を獲得して初当選した[8]。この総選挙で初当選した5人の自民党の1期生のうちで、政治や行政の経験がない唯一の新人議員である[9]。また、小選挙区で当選した新人議員は小泉、橘慶一郎、伊東良孝の3人のみである。
2009年12月13日、自民党が小泉による海上自衛隊横須賀基地(神奈川県横須賀市)見学ツアーを実施した際には、50人の定員に約5,200人の応募が殺到するなど、「スター不在」とされる自民党内で際立った存在と見られている[10][11]。
2010年1月の時点で衆議院では内閣委員会、総務委員会、安全保障委員会に所属し、自民党では遊説局長代理、青年局次長、外交副部会長、財務金融副部会長、環境副部会長などの役職を兼務して、外交、財務金融、環境の、3つの部会に所属していた。同年10月には自民党学生部長、新聞出版局次長にも併せて就任した。
2011年10月に自民党青年局長、国会対策委員会委員に就任した。
2012年4月、郵政改正法案に造反[12]しても処分されなかった。同年6月26日の消費税増税法案には賛成票を投じた。同年8月9日、国民の生活が第一など野党6党が提出した野田内閣不信任決議案の採決では、棄権方針の自民党執行部に造反し、元幹事長の中川秀直などとともに賛成票を投じた。同年9月26日の自民党総裁選挙で青年局主催の候補者公開討論会を自民党青年局長として仕切る立場であり、当初は9月19日の公開討論会後に支持候補を表明すると明言していた[13]が、人気や知名度の高い小泉の支持表明は党員票や議員票として総裁選に影響を与えると目されるとして報道が過熱したことから、「衆議院1回生の私の1票が影響を与えるのは不本意。身の程をわきまえて行動する」と述べ、総裁選が終わるまで支持表明を行わない方針を示した[14][15]。総裁選終了後に石破茂に投票したことを発表した[16]。
同年12月の第46回衆議院議員総選挙で再選し、党職では本人の希望もあって2期目の青年局長続投となった。この選挙で自民党が大勝した結果、青年局所属議員は82人となった[17]。
2013年9月30日、青年局長を退任し内閣府大臣政務官(経済再生、経済財政、環太平洋経済連携協定(TPP)等担当[18])兼復興大臣政務官に就任した。
2014年12月の第47回衆議院議員総選挙で3選。
2015年10月23日、自民党農林部会長に就任[19]。同年12月、政府が2015年度補正予算案に、低所得の年金受給者に1人あたり3万円を支給する臨時給付金を盛り込む方針について、「軽減税率対策として6000億足りない。一方で臨時給付金の4000億は簡単に出る。これが国民にどう思われるか。」と主張[20]、これらがきっかけとなり、2016年2月、若手議員の視点からの議論を期待して、自民党財政再建に関する特命委員会の下に、「2020年以降の経済財政構想小委員会」が設置され、小泉は事務局長に就任した[21]。
同年8月、2020年以降の経済財政構想小委員会の委員長代行に昇格しつつ[22]、自民党農林部会長に留任。党部会長の人事では小泉のみ留任となった[23]。9月に第3次安倍第2次改造内閣下で設立された内閣府規制改革推進会議から、11月に「農薬などの資材を農家に売る事業からの撤退」や「農産品の委託販売の廃止」などの組織改革を早期に行うよう迫る厳しい提言があったが、党内で話合いの末に全農による自主的な組織刷新を行うという政府・自民党の農業改革案が了承されている[24]。「全農の体制こそ農家の経営の自由を奪う存在だ」と主張し、自民農林部会長として農業改革を主導している[25][26]。
2017年8月より柴山昌彦とともに自民党筆頭副幹事長[27]。
同年の第48回衆議院議員総選挙で4選。
2018年10月9日、自民党筆頭副幹事長を退任した[28]。同月から自民党厚生労働部会長。
2019年9月11日、第4次安倍第2次改造内閣で環境大臣として入閣。男性としては戦後最年少(38歳)で閣僚となった(女性には1998年に37歳で小渕内閣で郵政相に就任した野田聖子や、2008年に34歳で麻生内閣少子化担当大臣になった小渕優子がいる)[29]。
2020年9月16日、菅義偉内閣で環境大臣に再任。この内閣の閣僚では唯一の首相経験者の子女だった。自民党総裁経験者だが首相経験のない者の子女としては河野太郎(父:河野洋平)もいた。
2021年3月に自民党有志が結成した「選択的夫婦別氏制度を早期に実現する議員連盟」に参加し、同連盟の顧問に就任した[30]。
同年9月の自民党総裁選挙では河野太郎を支持し、石破茂とも連携し、3人の頭文字から「小石河(こいしかわ)」という造語ができて話題になったが[31]、岸田文雄に敗北。小泉は「全力で河野さんを応援して負けました。完敗に近い。負けは負けです。ルールの中でやって負けたんです」と語った[32]。
2021年10月31日、第49回衆議院議員総選挙で5選[33]。
2022年2月10日に告示された自民党神奈川県連の会長選に立候補。自身が唯一の立候補者であったため無投票で選出され、その後の県連総務会で了承された。3月26日の県連会合で正式に会長就任が承認された[36]。
2024年9月6日、記者会見を行い、同月27日投開票の自民党総裁選挙への立候補を表明した[38]。会見では「長年議論ばかりを続け、答えを出していない課題に決着をつけたい」と訴えた。自らが当選し、首相・総裁に就任した場合、できる限り早期に衆議院を解散することを明言した[39]。1回目の投票で議員票1位を獲得するも、党員票が伸び悩み、党員・議員の双方から安定した人気を得ていた、石破茂、高市早苗の2人の後塵を拝す結果となった。
同月30日、自民党選挙対策委員長に就任した[40]。しかし、同年10月1日に第1次石破内閣が発足してから27日後に行われた総選挙で自民党と公明党が過半数に届かなかった責任を取る形で、翌28日に総裁である石破に辞表を提出し、受理された[41][42]。
小選挙区比例代表並立制が導入された当初は重複立候補を辞退した議員も多数存在したが、近年は安倍晋三元総理や石破茂元自民党幹事長ですらも重複立候補を行っている中で、小泉は父の純一郎とともに現職総裁および党の内規により重複立候補が出来ない73歳以上の候補者を除く自民党公認候補の中で[注釈 1]唯一重複立候補を辞退し、公明党からの推薦も受けていない[注釈 2]。
当落 | 選挙 | 執行日 | 年齢 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 | 定数 | 得票順位 /候補者数 | 政党内比例順位 /政党当選者数 |
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当 | 第45回衆議院議員総選挙 | 2009年 8月30日 | 28 | 神奈川11区 | 自由民主党 | 15万893票 | 57.09% | 1 | 1/5 | / |
当 | 第46回衆議院議員総選挙 | 2012年12月16日 | 31 | 神奈川11区 | 自由民主党 | 18万4360票 | 79.86% | 1 | 1/5 | / |
当 | 第47回衆議院議員総選挙 | 2014年12月14日 | 33 | 神奈川11区 | 自由民主党 | 16万8953票 | 83.28% | 1 | 1/2 | / |
当 | 第48回衆議院議員総選挙 | 2017年10月22日 | 36 | 神奈川11区 | 自由民主党 | 15万4761票 | 78.02% | 1 | 1/4 | / |
当 | 第49回衆議院議員総選挙 | 2021年10月31日 | 40 | 神奈川11区 | 自由民主党 | 14万7634票 | 79.17% | 1 | 1/2 | / |
当 | 第50回衆議院議員総選挙 | 2024年10月27日 | 43 | 神奈川11区 | 自由民主党 | 12万9779票 | 72.3% | 1 | 1/3 | / |
日本経済新聞社と米国戦略国際問題研究所CSISとで設立された日経・CSISバーチャル・シンクタンクに民主党に在籍していた前原誠司・長島昭久・近藤洋介・玄葉光一郎、みんなの党に在籍していた浅尾慶一郎、自民党の林芳正・西村康稔・齋藤健・岩屋毅等と共に、政治フォーラムとして在籍している。上級アドバイザーは石破茂が務めている。CSIS上級顧問兼日本支部長であるマイケル・グリーンはCSIS在籍時に秘書として従事した上司であり、直接指導を徹底的に施して小泉を親米派として作り上げることに成功した人物であると評論家の中田安彦は解説している[75]。
2011年1月10日にまちおこしを目的とするグループ「TEAM YOKOSUKA」を立ち上げた。Tourism(観光)、Eco & Environment(エコと環境)、America、Merchant & Manufacture(商業と工業)の頭文字から成る[76]。
これらの文章は、ネット上では「小泉構文」や「進次郎構文」などと揶揄されている[96][97]。こうした「小泉構文」には、同じような言葉の繰り返しが多く、トートロジー(同語反復)とも解釈できそうだが、言語学者の尾谷昌則は、「何らかの含意を持つ反復とは思えませんね。主語が省略されていたり、修飾語が足りなかったりしていて、意味が分かりにくい。要するに言葉足らずということでしょう」という見解を示している[98]。
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