ラムシュタイン

ドイツのロックバンド ウィキペディアから

ラムシュタイン

ラムシュタイン(RAMMSTEIN)は、ドイツのロックバンド。全員が東ドイツ出身。1970年代後半から続いてきたノイエ・ドイチェ・ヴェレと、ハードロックや電子音楽を組み合わせ、ウームフ!と並び「ノイエ・ドイチェ・ヘァテ(Neue Deutsche Härte、訳:新ドイツ・ハード)」の先駆者となった。コンサートでは、大量の火薬や火炎放射器を使った過激な演出でも知られている。ロゴの形から「R+」と略されることもある。

概要 ラムシュタインRAMMSTEIN, 基本情報 ...
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概要 Rammstein Official, YouTube ...
Rammstein Official
YouTube
チャンネル
活動期間 2015年 -
ジャンル 音楽
登録者数 860万人
総再生回数 66億3463万9951回
チャンネル登録者数・総再生回数は
2025年2月2日時点。
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概要

要約
視点

1994年に結成。バンド名は1988年西ドイツラムシュタイン=ミーゼンバッハにあるラムシュタイン空軍基地航空ショーで発生したラムシュタイン航空ショー墜落事故から取られた(バンド名はMが一つ多いが、これは後にラムシュタイン空軍基地のスペルはMが2つと勘違いしていたと後年にパウルが語っている)。

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火炎放射器を使ったコンサート
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宙吊りパフォーマンス - フランス・ニーム公演 (2017年7月)

デペッシュ・モードの「Stripped」をカバーした際、ミュージック・ビデオにレニ・リーフェンシュタール制作の映画『オリンピア』のワンシーンが映っていること[3]、ボーカルのティルのrの発音がヒトラーと同じような巻き舌の発音あることから、ネオナチバンドであると批判された。それに対し『ムター (アルバム)英語版』収録曲「前進 (Links 2-3-4)」で自らが左派バンドであると主張している他、2005年には連邦憲法擁護庁によって「ラムシュタインの背景にあるのは右翼の放火魔ではなく、左翼の花火師だ」と説明されている[4]
2019年のモスクワ公演中には、ロシアの同性愛宣伝禁止法への抗議として、「異邦人 (Ausländer)」演奏中にパウルとリヒャルトがキスをしている[5]

活動初期はインタビューを受けることが多かったが、現在では断る傾向の強いバンドとして有名である。そのため、情報源はニュースやメンバーがライブ後にファンに漏らす形で提供されることが多い。メンバー個人で取材を受けることはあるが、機材などのインタビューが多く、バンド関連の情報は殆どない。

火薬等を使ったライブパフォーマンスはティルがパイロテクニクスの資格を持っているために行うことができる。ギター担当の2人が口から火を噴く(「撃て! (Feuer frei!)」当項目上写真)、窯に入ったフラケに向かってティルが火炎放射を行う(「Mein Teil」)などのパフォーマンスが特に有名である[6]。火炎放射や爆破の規模はキッス以上であり、ライブ会場付近を飛行する飛行機の機内からでも見える。
2016年からはライブの入場曲として、新曲の「Ramm4」が用いられていたが、2019年からはヘンデルの『王宮の花火の音楽』と共にステージ中央上部のエレベーターから降りる形で入場する。
ライブ・ツアーを重視するバンドであるため、"ライブを年内に一切行わない"ことが活動休止と捉えられる。新型コロナウイルスの流行により2020年2021年のライブがすべてキャンセルされた際、新スタジオ・アルバム『時間 (Zeit)』を製作するなど、音楽活動を完全に中止させていなかったにもかかわらず、表面上では活動休止としていた。作曲などの音楽活動の完全な休止は、2013年から2015年の2年間のみである。

歌詞については、ノイエ・ドイチェ・ヘァテというジャンルに違わず、殆どがドイツ語で歌われている。一部の歌詞をロシア語(「モスクワ (Moskau)」)や英語(「Amerika」「Pussy」)、スペイン語(「愛してるぜ、姉ちゃん (Te Quiero Puta!)」)で歌うこともある。
近親相姦(「プレイ・ウィズ・ミー (Spiel mit mir)」、「ビースト (Tier)」)、子どもの性的虐待(「ビースト」、「ハレルヤ(Halleluja)」)、屍姦(「Heirate mich」)、同性愛(「男対男 (Mann gegen Mann)」)、カニバリズム(「Mein Teil」)、性病(「OK」)など、過激な題材を扱ったものが多い。その一方で、ゲーテの詩を題材にした曲(Dalai Lama-「魔王」, Rosenrot-「野ばら」)があるなど文学的な側面も持つ。
引用も多く、「ドイツ (Deutschland)」ではドイツの歌の本来公的な場では流れない1番、「ジグザグ (Zick Zack)」ではドイツのの1つ「美しくなりたければ、苦しまなければならない (Wer schön sein will, muss leiden.)」や「ナイフ・フォーク・鋏・ライトは子どもの物ではない (Messer, Gabel, Schere, Licht Sind für kleine Kinder nicht.)」をもじったものとなっている。

公式オンラインショップの他、ベルリンパンコウ区ヴィルヘルムスルー英語版には公式ショップもある。CDなどの音楽関連商品やアパレルグッズの他、類やステージを再現したペーパークラフト、写真集といった小道具類から、ロゴを模したテーブルや折り畳みストーブといった大道具類も販売されている。

2019年に公式スマートフォン用アプリ「Rammstein」がGoogle PlayApp Store向けにリリースされている[7]

公式ファンクラブ名はLIFAD。年会費制となっている。チケットの優先発売や、LIFAD限定ライブも行っている。

メンバー

要約
視点

結成以降、一度もメンバー変更や脱退がない。ティルがフロントマンとしてメディアに出演することが多いが、リーダーとして決まっているわけではなく、全員が対等な立場であることが分かる。一方で、結成者はリヒャルトであるため、彼がリーダーであるという声もある[8]

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氏名 パート 生年月日・出身地 在籍期間 他の所属グループ
リヒャルト・Z・クルスペ
(Richard Z. Kruspe)
リードギター (1967-05-24) 1967年5月24日(57歳)
東ドイツの旗 東ドイツブランデンブルク州プリーグニッツ郡・ヴィッテンベルゲ
1994年1月1日 - First Arsch英語版
(?-1993年)
Emigrate英語版
(2005年-2008年、2011年-)
ティル・リンデマン
(Till Lindemann)
ボーカル (1963-01-04) 1963年1月4日(62歳)
東ドイツの旗 東ドイツザクセン州ライプツィヒ
1994年1月1日 - First Arsch
(1986年-1993年、1995年)
LINDEMANN
(2015年-2020年)
パウル・ランダース
(Paul Landers)
リズムギター (1964-12-09) 1964年12月9日(60歳)
東ドイツの旗 東ドイツ東ベルリン・バオムシューレンヴェーク地区
1994年1月1日 - Die Firmaドイツ語版
(1986年-1991年)
First Arsch
(?-1993年)
Feeling B英語版
(1983年-1993年、2007年)
オリバー・リーデル
通称:オリー
(Oliver "Ollie" Riedel)[注釈 1]
ベース (1971-04-11) 1971年4月11日(53歳)
東ドイツの旗 東ドイツメクレンブルク=フォアポンメルン州シュヴェリーン
1994年1月1日 - The Inchtabokatables英語版
(1991年-1993年)
クリストフ・シュナイダー
通称:ドゥーム
(Christoph "Doom" Schneider)
ドラム (1966-05-11) 1966年5月11日(58歳)
東ドイツの旗 東ドイツ・東ベルリン・パンコウ区
1994年1月1日 - Die Firma
(1988年?-1993年)
Feeling B
(1990年-1993年、2007年)
クリスティアン・ロレンツ
通称:フラーケ
(Christian "Flake" Lorenz)[注釈 2]
キーボード (1966-11-16) 1966年11月16日(58歳)
東ドイツの旗 東ドイツ・東ベルリン
1994年1月1日 - Feeling B
(1983年-1993年、2007年)
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来歴

要約
視点

結成~Motor Music時代 (1993年~2003年)

1993年、前身である「Tempelprayers」が結成。結成当初のメンバーはリヒャルト、ティル、オリバー、クリストフの4人だけであった。資金不足だったため、クリストフの所属していたパンク・ロックバンドFeeling B英語版の収益を使い活動していた[9]。Feeling BのリーダーであるAljoscha Rompe英語版が不法占拠していた建物でデモ曲を4曲録音してコンテストに出場し、優勝。このデモ曲を聴いたパウルが関心を持ち加入。後に同じくFeeling Bのメンバーであるフラーケを勧誘し、フラーケが加入する[10]

1994年、Tempelprayersからラムシュタインに改名。しばらくはインディーズとして活動し、年内にMotor Musicドイツ語版に加入。プロデューサーはヤーコブ・ヘルナー英語版が就いた。翌年に初アルバムとなる『ヘルツェライト』発売。

1995年より約2年間、Clawfinger英語版Eskimos and Egypt英語版ラモーンズらと共同してツアー活動を行いつつ、単独でもドイツ語圏のツアーも行っていた。

1996年デイヴィッド・リンチPV制作を依頼するが、リンチが多忙だったため実現せず、しかし翌年公開の『ロスト・ハイウェイ』で「Heirate mich」と「Rammstein」の2曲が起用された上、「Rammstein」はPVも制作された。

1997年5月17日オランダピンクポップ・フェスティバル参加。
同年にはアルバム『渇望英語版』発売。日本でも発売される。11月からはアルバム発売記念ツアーを行い、KMFDMをサポートメンバーとしてアメリカ進出を果たした。

1998年コーン主催のファミリー・ヴァリューズ・ツアー98参加。

1999年キッスラテンアメリカツアーにサポートメンバーとして参加。同年、ライブ・アルバム『ベルリン・ライヴ英語版』発売記念ツアーを行う。

2000年フジロックフェスティバル参加[注釈 3]。翌年には日本ツアーを行い、大阪・BIG CATと東京・LIQUIDROOMの2公演が行われた。
その後、2005年6月3日の神奈川・CLUB CITTA'での公演を最後に、日本公演は行われていない[注釈 4][注釈 5]

2001年、『ムター (アルバム)英語版』発売。翌年、映画『トリプルX』で収録曲「撃て! (Feuer frei!)」が主題歌となり、映画も彼ら自身のライブシーンから始まり銀幕デビューも果たした(ライブシーンは映画の為に撮影した擬似ライブ)。
同年、ヨーロッパツアーを行い、プラハ公演ではAC/DCとの共演も果たした。

2003年、PVやメイキング映像、2002年までのライブ映像を纏めたDVD『ラムシュタイン的変態シネマ英語版』発売。

ユニバーサルミュージック時代~活動休止 (2004年~2013年)

2004年ユニバーサルミュージックへ移籍。移籍後初のアルバム『ライゼ・ライゼ~南船北馬』発売。発売記念ツアーを2年間行う中で、翌年には『ローゼンロート英語版』も発売される。翌年にはこの2年のツアーを纏めたDVD『Völkerball英語版』が発売された。

2009年、『最愛なる全ての物へ英語版』発売。国内盤は同年12月16日に、未発売だった『ローゼンロート』の国内盤と共に発売された。また、前々作『ライゼ・ライゼ〜南船北馬』もオリジナルジャケットに戻された上で再版されている。
同年より断続的に、5年間に及ぶツアーを行った。2010年のアメリカでのツアー中、「ベンド・ダウン (Bück dich)」の演奏中にティルとフラーケがステージで行っているディルドなどを使った擬似行為やSM的なパフォーマンスが猥褻行為にあたるとされ、二人は逮捕された。この北米ツアーはDVD『Rammstein in Amerika英語版』に収録され、2015年に発売された上、2024年にはアマゾンプライムにて期間限定配信もされた。

2011年、アメリカのHR/HM専門アワードRevolver Golden God Awardでベスト・ライヴ・バンドに選出される。
同年、ベスト盤『メイド・イン・ジャーマニー 1995-2011』をリリース。

2012年3月、Echo Awardでマリリン・マンソンと共演し「The Beautiful People英語版」を披露。
同年、DVD ビデオ『Videos 1995-2012』をリリース。

2013年のツアーを最後に、「休暇」という形で活動休止。

活動再開~2度目の活動休止 (2015年~2024年)

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2019年から使用されている特設ステージ。中央のロゴマークがあるディスプレイの裏側にエレベーターが隠されており、メンバーが乗ることもある。(2022年7月、ネイメーヘンにて)

2015年に活動再開。新曲「Ramm4」と共に翌年から復帰ツアーも行った。

2017年Preis für Popkulturドイツ語版ライブ・パフォーマンス部門、UK Music Video Awards英語版ライブ・コンサート部門を受賞した。

2018年ベルリンパンコウ区ベルクマン・ボルジヒドイツ語版工場の廃墟を改装し、公式ショップを開店。文化財の保護に尽力したとして、Ferdinand von Quast medailleドイツ語版を受賞した[13]
同年、ドイツ音楽作家賞ロック/メタル作曲賞を受賞した[14]

2019年、『タイトルなし[注釈 6]を全世界同時発売。初めて全英チャートでトップ10入りを果たした他[15]、日本のオリコンでも総合チャートで39位[16]、洋楽チャートで7位を記録するなどの成功を収めた(欧州と比べると下の方ではあるが、初めてトップ40入りを果たしている)。
また、ステージを一新し、5年間に及ぶツアーを行った。

2020年、ツアーを計画していたものの、新型コロナウイルスによるロックダウン等により、翌年のツアー諸共キャンセルとなる。その間に急遽としてアルバム『ツァイト』制作に取り掛かった。

2021年東京パラリンピックに出場するドイツ選手団の応援映像に「欲望 (Ich will)」を提供した[17]

2022年、『ツァイト』発売。4月にはツアーも再開される。

2023年5月22日リトアニアでの公演後、ティル主催のアフターパーティーにて酒にドラッグを入れられ、性的暴行を受けたと北アイルランド人女性が告発した[18]。しかし、事前に女性がTwitterにてティルに一切指を触れていないと投稿していた事(投稿は削除済み)、パーティー後に女性がリトアニア警察で調書を書いていなかった事から、「酒にドラッグ」「性的暴行」という言葉が一人歩きした。後に女性が投稿を撤回し暴行を受けたと主張。また、第三者である俳優カイラ・シックスYoutubeにて同様の暴行を受けそうになったと主張した[19]。6月、ティルは性犯罪と麻薬配布の容疑で家宅捜索を受けるも、無実であるとして8月に捜査は打ち切られた[20][21]。これらに対し、ティルはカイラとシュピーゲルを名誉棄損として訴え、勝訴した。

2024年7月31日ゲルゼンキルヒェン公演を最後に、最低でも2年以上の活動休止を行うこと、2016年の初披露以降、音源化されていなかった「Ramm4」をリリースすることを発表した[22][23]
同年、"Metal Awards 2024"メタル・バンド部門に34,072票のうち34.38%と、2位のアイアン・メイデンに3倍近くの差をつけ1位となった[24]。また、ティルが男性歌手部門を受賞した[25]

ディスコグラフィ

要約
視点

シングル

全て日本盤未発売。邦題はユニバーサルミュージック・ジャパン公式からの引用。
表題曲は一部例外を除き、ミュージックビデオが付属DVDに収録されているか、テレビ放送されていた。また、ベスト・アルバム『メイド・イン・ジャーマニー 1995-2011』のデラックス・スペシャル・エディションまたはベストDVD『Videos 1995 - 2012』にも収録されている。メイキング映像はその曲の背景やミュージックビデオを製作することになった経緯、撮影の裏話をインタビュー形式で答えている。 現在はメイキング映像含め、YouTube公式チャンネルから視聴可能[注釈 7]
ドゥー・リーヒスト・ゾー・グート」から「燃える心」までのメンバー個人や他バンドによるリミックス・アレンジ音源やカバー音源は全て纏められ、2020年に『Remixes』としてSpotifyとApple Musicにてストリーミングリリースされた[26]。なお、2025年現在もこのリストは更新され続けている。

オリジナル・アルバム

  • 1995年 Herzeleidヘルツェライト(日本盤発売2020年)
  • 1997年 Sehnsucht渇望英語版(日本盤発売1998年)
  • 2001年 Mutterムター (ラムシュタインのアルバム)英語版(日本盤発売2001年)
  • 2004年 Reise, Reiseライゼ・ライゼ~南船北馬(日本盤発売2005年、2009年再版)
  • 2005年 Rosenrotローゼンロート英語版(日本盤発売2009年)
  • 2009年 Liebe ist für alle da最愛なる全ての物へ英語版(日本盤発売2009年)
  • 2019年 タイトルなし(世界同時発売)
  • 2022年 Zeitツァイト(世界同時発売)

ライヴ・アルバム

  • 1999年 Live aus Berlin – ベルリン・ライブ(日本盤発売2000年)
  • 2006年 Völkerball – (日本盤未発売ライヴ盤)
  • 2017年 Rammstein: Paris – (日本盤未発売)

コンピレーション

  • 1998年 Rammstein Original Single Kollektion(シングルBOX 日本盤未発売)
  • 2011年 Made in Germany 1995–2011メイド・イン・ジャーマニー 1995-2011(日本盤発売2011年)
  • 2015年 XXI (LP盤BOX 日本盤未発売)[注釈 10]
  • 2020年 Remixes (デジタル・ストリーミング配信)

DVD

  • 1999年 Live Aus Berlin – ベルリン・ライヴ(日本盤発売2001年)
  • 2003年 Lichtspielhaus – ラムシュタイン的変態シネマ(日本盤発売2005年)
  • 2006年 Völkerball - (日本盤未発売。東京での公演が一部収録。)
  • 2012年 Videos 1995 - 2012 - (日本盤未発売)
  • 2015年 Rammstein In Amerika - (日本盤未発売。ただし、日本語字幕に対応した設定が存在する。)
  • 2017年 Rammstein: Paris - (日本盤未発売)

サウンドトラック

参加コンピレーション

  • 1998年 For The Masses
  • 1999年 Family Values Tour 98

リミックス

  • 1997年 Faith No More・Last Cup Of Sorrow - Rammstein Mix
  • 1999年 Korn・Good God
  • 1999年 Rob Zombie・Spookshow Baby
  • 2002年 Slick Idiot・Xcess [Remixed By Schneider Of Rammstein]
  • 2003年 Marilyn Manson・mOBSCENE - Sauerkraut Mix

メンバーによる著書

関連項目

参考文献

  • フラーケ『きょうは世界の誕生日』訳:小林和貴子 東宣出版 2022, ISBN 978-4-88588-106-0
  • 小林和貴子 (2023).『歴史の観察者から歴史を記述する行為者へ:ラムシュタインの描くドイツ・イメージの変遷』.学習院大学,学習院大学ドイツ文学会研究論集 (27), 61-88

脚注

外部リンク

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