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千葉中央バス株式会社(ちばちゅうおうバス)は、千葉市緑区に本社を置くバス事業者。京成電鉄完全子会社であり、京成グループの企業である。略称は「千葉中央」「中央バス」。千葉市や市原市北部の郊外住宅路線を主力として路線バスを運行するほか、高速バス・貸切バスの運行、千葉市コミュニティバス[2] やいすみ市デマンド交通[3] の運行受託などを行っている。また、千葉市中央区や市川市・茂原市にて不動産賃貸業を営んでいる[4]。
種類 | 株式会社 |
---|---|
本社所在地 |
日本 〒266-0011 千葉市緑区鎌取町273-4 |
設立 | 1935年12月31日 |
業種 | 陸運業 |
法人番号 | 7040001004824 |
事業内容 | 一般乗合旅客輸送事業、一般貸切旅客輸送事業、広告事業、土地建物の売買及び賃貸借事業、旅行業 |
代表者 | 代表取締役社長 新井 靖彦 |
資本金 | 1億円 |
純利益 |
3億838万8,000円 (2024年3月期)[1] |
総資産 |
25億576万円 (2024年3月期)[1] |
従業員数 | 259名(2022年3月現在) |
主要株主 | 京成電鉄株式会社 100% |
外部リンク | https://www.chibachuobus.co.jp/ |
路線バスの営業エリアは千葉駅から大網駅にかけてのJR外房線沿線を中心に、市原市や若葉区にも路線が乗り入れており、運行範囲は千葉市中央区・緑区・若葉区、市原市、大網白里市の3市3区に及ぶ。JR外房線と並行する大網街道にも多数の路線を走らせており、大網街道と外房線を東西方向の中心軸とし、そこから南北に放射状に路線が広がっている。
千葉市周辺が東京都心部のベッドタウンとして開発が進むとともに、千葉市・市原市のニュータウンであるおゆみ野・ちはら台(日本住宅公団)、あすみが丘(東急不動産)などへ路線を広げていった。
1990年代末以降は道路網の充実により、各エリアから羽田空港へ向かう空港連絡バス、千葉駅から房総半島(鴨川市)方面に向かう高速バス路線にも力を入れている。
千葉中央バスの前身は、千葉県議会議員(のち参議院議員)・木島義夫らによって設立された千葉郊外自動車という会社である。路線の歴史は、木嶋個人が大正時代末期から誉田を起点に、南の瀬又(現在の市原市)方面と西の野田(千葉市緑区誉田町一丁目の野田十文字付近)に向けて運行していた2つの路線に始まる。
木嶋はその後、積極的に路線の拡張を進め、昭和初期に誉田 - 野田線を鎌取へと延長したのち、1934年に本千葉駅(現在の千葉中央駅の場所)への乗り入れを開始する。これには路線の重複する千葉市街自動車(京成バス千葉市街路線の前身)から大きな反発があったが、それを押し切っての延長であった。一方、瀬又側は、木嶋の郷里である国府里(現在の長柄町)を経て茂原方面に伸びていくこととなり、1935年に本千葉 - 誉田 - 東国吉 - 茂原という直通運転が開始された。これとともに同年、木嶋らによって千葉郊外自動車が設立され、以後同社の経営となった。千葉郊外自動車はこのほかにも、1939年の時点で潤井戸周辺、土気 - 大網間でも運行していたことが『千葉県史』[5] に記されている。
1944年には戦時下の交通統制の流れの中で、小湊鉄道バス部の前身である袖ヶ浦自動車に統合されることとなっていたが、直前に回避され独立経営が維持された。
本千葉駅を起点に運行していた千葉郊外自動車であったが、1948年から千葉駅を発着できるようになった[6]。その後、昭和20年代半ば頃までに、宅地化の進んだ蘇我駅東側の白旗地区への乗り入れ(千葉駅 - 星久喜台 - 今井町(現・白旗)線)、茂原から上市場・国吉方面(正確な終点が不明)路線の開通、千葉 - 大網間の直通運転を開始するなどし、さらに千葉 - 茂原間の運行も復旧した。
新規区間の開通や休止路線の復旧だけでなく、千葉駅を発着できるようになったこと、市街地が仁戸名・白旗方面にも拡大したことを背景に、千葉市側での運行回数が増えることとなった。こうしたことを受け、千葉郊外自動車は1953年に千葉市の中心部に近い長洲に本社を移転して社名を東洋交通に改めた。
長洲に本拠ができたことで千葉市側での路線拡張が急速に進んだ。昭和20年代末から昭和30年代初頭にかけていずれも千葉駅を起点に、下総療養所線、今井町(白旗)経由の川鉄線、大宮町方面に至る坊谷津線、大巌寺・大森方面へ運行する大巌寺線、辺田を経て平山に至る平山終点線、鎌取の都職員保養施設に至る生浜荘線が開通した。
一方、本線の大網街道上では、この時期千葉駅 - 千葉寺、千葉駅 - 松ヶ丘、千葉駅 - 療養所(現・千葉東病院)など、比較的短距離で折り返す便が多かった。
また時期不明だが、誉田駅から高田方面、および誉田駅・土気駅から中野方面に向かう線も開通し、最盛期にはそれぞれ野呂、本郷台まで足を伸ばしていた。前述の坊谷津線と平山(終点)線も、のちに宮田まで延長運行されている。このように、この時代には大網街道側から東金街道に至り、京成の停留所と接する路線が複数存在した。
1963年には大宮団地(現:千葉市若葉区)の入居が本格的に始まった。これを受け、東洋交通は大網街道経由で千葉駅 - 大宮団地間の輸送を開始したが、団地の人口は予想を上回るペースで増え、入居開始数年で輸送量が限界に達したため、1966年には京成電鉄(現:京成バス)と共同で団地の北側を走る東金街道経由の新路線を開設した。
この時期に東洋交通は当時東京都北区に本社を置いていた東都自動車グループの傘下にあった。当時、東都自動車の社長であった宮本市郎(現会長)が木嶋から買収したもので、その後、親交のあった小佐野賢治(国際興業創業者)の仲介で、東洋交通を京成グループに売却したことを東都自動車の社史に記している。廃止された旧本社営業所や誉田営業所の改築、鎌取車庫の用地買収などは宮本が手がけたものである。1969年に京成電鉄の子会社となると、大宮団地のバス輸送は東洋交通に全面移管されることになり、京成の坊谷津線(千城局経由)も譲渡のうえ大宮団地へ延長された。こうして現行路線の基礎となる3系統のネットワークができあがった。
また昭和30年代末から40年代にかけて、向台線(千葉駅 - 末広街道 - 向台)、松ヶ丘線(千葉駅 - 矢作 - 蘇我駅東口)、市役所線(千葉駅 - 市役所)なども運行を開始し、小湊鉄道との競合や共同運行が増えるようになった。
大網街道上ではこの頃、千葉駅 - 療養所などの短距離系統が整理され、新たに千葉駅 - 鎌取車庫(現:鎌取インター)系統が運行を開始している。また、千葉郊外自動車時代から続いた千葉駅 - 茂原駅線は1971年限りで直通運行を終了し、誉田駅 - 茂原駅間に短縮された。
1974年、東洋交通は同じ京成系列のブルーバス(水郷観光交通の貸切部門)と合併し、千葉中央バスとなった。
昭和50年代に入ると、現在の千葉市緑区の各地で新しい住宅地の造成が相次いだ。これに伴いまずは大椎台団地への乗り入れが行われ、続いて1980年頃に千葉東角栄団地(現:越智はなみずき台)、1984年に千葉・市原ニュータウン(おゆみ野)、1988年にあすみが丘への路線がそれぞれ開設された。
平成に入ってからも団地路線の拡張が続き、1989年には京成電鉄と共同で都賀線(都賀駅 - 大宮市民の森)が、1990年には小湊鉄道と共同で八幡原団地線(茂原駅 - 八幡原団地)が新設されている。また、緑区側のニュータウン路線は宅地造成の進行に応じて順次延長され、千葉・市原ニュータウン線はちはら台へ、あすみが丘線はあすみが丘南方面へ運行されるようになった。
一方、外房線の本数が増加したことで、これと競合する大網街道の路線では乗客の鉄道への転移が起こり、特に千葉駅からの通し利用者が減少した。これに伴い路線の再編成を実施し、平山線、千葉・市原ニュータウン線のほとんどは鎌取駅、角栄団地線は誉田駅起点に変更、千葉 - 大網間の直通運転は土休日の1往復を残して運行終了した。
市街地側では、JR京葉線の開通で蘇我駅の利用価値が上がり、さらに1992年には千葉急行線(現在の京成千原線)が開通したため、千葉駅だけでなくこれらの鉄道に接続する路線の必要性が高まった。これとともに、大森台駅周辺や蘇我駅に近い白旗地区では千葉駅に接続するバスの利用者が減少した。一方、青葉の森公園周辺に住宅地の造成が進み、新たな需要も生まれてきた。
こうしたことから、1990年に蘇我鎌取線(蘇我駅 - 鎌取車庫)が開設され、大網街道と蘇我駅との連絡が強化された。また1999年には、大学線(蘇我駅 - 千葉寺駅 - 大学病院)が開通し、青葉の森周辺への乗り入れを開始した。一方、向台線は2001年限りで廃止され、代替として花輪線を末広街道経由で運行することとなった。また、かつては千葉営業所の主力路線だった白旗線も2004年に大幅減便となり、同時に新設された青葉の森公園線(千葉駅 - 博物館・文化ホール)に余剰車両が振り向けられた。
千葉郊外自動車以来の区間である誉田駅 - 茂原駅間では、過疎化による利用者の減少で運行維持が困難となった。このため1996年に市原市の郡境で系統を分割し、さらに1999年限りで郡境以南を休止している。なお、この1999年の改正では、茂原営業所管内で大幅な整理が行われ、茂原周辺の路線は上市場線だけとなった。
大宮団地では住民の高齢化が進んでおり、北大宮台線の新設や千城局経由の経路変更によるサービス改善で利用者の維持に努めている。また1999年以降、房総方面や羽田空港への高速バス路線の新設が相次いでいる。2009年3月19日には千葉営業所管内の路線においてPASMOが導入された。
2025年4月1日、京成グループにおけるバス事業再編により、千葉交通・成田空港交通・千葉内陸バス・ちばフラワーバス・ちばシティバス・ちばグリーンバスと統合され、京成電鉄バスホールディングス傘下の京成バス千葉イーストとなる予定[7]。
かつては、本千葉駅に程近い千葉市中央区長洲に本社があり、現在の長洲二丁目停留所が「千葉中央バス本社前」という名称であった 。旧本社跡地には京成グループの商業施設「リブレ京成 ミナーレ本千葉[8]」が建設された。
過去の営業所は、本社併設の千葉営業所、緑区誉田町三丁目の誉田営業所、茂原営業所の3か所で、他に鎌取車庫があった。
2009年1月19日、本社および貸切千葉営業所を鎌取車庫の場所に移転し、千葉営業所と誉田営業所を統合した上で現在地へ移転し「乗合千葉営業所」を新設した。これにより千葉中央バス創業の地である誉田からは営業所が消滅した。また、東京都内にも貸切足立営業所があったが廃止された。
同2009年4月1日、茂原駅を発着する上市場線が廃止されたことを受け、茂原営業所も廃止となり、乗合バスの路線はすべて千葉営業所に集約された。
営業所統廃合前の担当路線は以下のとおりであった。
翌2010年9月10日、土気駅を起終点とする路線を集約した「大野台営業所」が新設された。
白旗地区の宅地化を受け、昭和20年代に開通した路線である。戦前からのエリアである大網街道を大きく外れ、近距離の住宅輸送を行ったのはこの線がはじめてである。1955年ころから川崎製鉄(現・JFEスチール)への運行も始まり、最盛期には千葉営業所の中で最も利用者の多い路線であった。
休日ダイヤの際は千葉駅方面行のみ県庁前 - 京成千葉駅経由 - 中央二丁目 - 千葉駅となっていた時期があった。
しかしやがて川鉄発着便の利用者が減少し、昭和60年代に入って一部の便を蘇我駅に振り向けるなどしたがさほど効果はなく、さらに京葉線の蘇我乗り入れ、千葉急行線の開通により、全線にわたって乗客が減少した。その結果、2004年4月16日の改正で大幅減便され、2009年1月19日の改正でもさらに半数近くの便が削減されたのち、2010年1月21日に千葉駅 - 星久喜台 - 白旗 - 蘇我駅東口系統は廃止となった。
「千葉駅〜星久喜台」間は川戸線、「ひまわり幼稚園〜白旗」間は蘇我鎌取線、「白旗〜宮崎公民館」間は花輪線との共用区間となっており、当路線の独自区間は「宮崎公民館〜JFEスチール」間のみとなっている。また現在は、「蘇我駅入口〜JFEスチール」間の路線免許維持等の理由で千葉駅発JFEスチール行きを土休日の朝一便のみの運行を続けている。
東金線は、千葉駅から若葉区にある大宮団地までの旅客輸送の主力路線であり、その路線の大半は国道126号(東金街道)を走行し、ちばフラワーバス千葉線と重複している。
大宮団地のバス輸送は後述する大網街道経由1路線で始まったが、わずか数年でその輸送量が限界に達したため、1966年6月10日から新たに東金街道経由の運行が開始されることとなった。この間に団地では新路線の開通促進運動が起こり、これに対し東洋交通と京成電鉄の2社が相次いで東金街道回りの路線免許を申請した。東洋交通は1956年から大宮団地周辺において、京成は戦前から東金街道において営業しており、互いにそれぞれのエリアへの他社乗り入れは容認できないとの立場であったが、陸運局は団地のバス輸送の改善が急務であるとして競合申請としては異例のスピード処理により免許を両社に下すこととなった。この際の条件は、京成電鉄35往復・東洋交通8往復、東洋交通は東金街道上では2停留所以外を通過するというものである。
その後、1968年から1971年の間に京成が撤退し、東洋交通単独の各停運行となった(これとの関係は不明であるが、東洋交通の京成グループ加入は1969年である)。また当初は団地周辺の道路整備が進んでおらず、現在の北大宮台経由に近いルート(北大宮台の西側を回り込むルート)で運行していたが、昭和40年代後半に現行の坂月橋経由となっている。
ダイヤに関しては、その後大網街道経由とほぼ同数まで増えたのち、1982年の改正で大幅増便されて比率が高くなった。1990年9月17日からは深夜バスの運行も開始した。しかし1990年代後半頃より減便傾向にあり、北大宮台経由便の創設もあってデータイムは1時間に2本程度となっている。
北大宮台線は、東金線の支線的位置づけであり、従来から同線利用者の多かった新大宮や北大宮台の住宅地を細やかに経由していく。2000年6月1日に開設され、東金線はその分が減便となっている。
2023年3月16日より、ちばフラワーバスとの重複区間(千葉駅 - 坂月橋間)での共通定期券制度が開始された[9]。
千城局線は、千葉駅からしばらくは上記2線と同じく東金街道を走り、若葉区に入るとまもなく街道を外れ、大宮町(旧・千城村)の中心部を抜けて団地へと向かう路線である。独自区間である和田新道 - 北大宮台西間では、大変狭い道路を走行するため、下り便はすれ違い可能な道幅の地点で上り便の通過を待つ光景が見られる。
この線はもともと1955年7月15日に、京成電鉄によって坊谷津線として要町 - 千城局 - 坊谷津(現在の坊谷津停留所かは不明)間で開通し、昭和40年代に国鉄千葉駅 - 千城局 - 坊谷津 - 大宮団地に延長されるとともに東洋交通に移管されたものである。その後、2000年6月1日の改正によりこの線も北大宮台側を回るようになり団地への到達時間が短縮された。この改正で終点が大宮市民の森に変更されているが、これは大宮台南側の大宮台三丁目、東山科入口の2停留所からも引き続き利用できるよう配慮したためである。
2006年5月21日の改正で、千葉大宮高校経由便および同校までの折り返し便が新設された。これは2007年度に同校が通信制独立校としてリニューアルするのに備えたルート変更であり、折返所用地には使用頻度の少なくなった運動施設の一部が転用された。通信制独立校のため平日は通学生の姿はほとんど見られないが、休日を中心に行われるスクーリング授業の日は多くの通学生の利用がある。そのため時刻表には掲載されない臨時便ダイヤが設定されている。
2000年の改正以後、東金線は減便が続いているのに対し、千城局線は東金街道の渋滞を一部避けられることからも利用価値が高まり増便傾向にある。2009年1月の営業所移転時のダイヤ改正でも多少の増便が行われた。
川戸線は、大網街道を経由して大宮団地に至る線である。乗客向けには「星久喜台経由」の案内が用いられる。
団地の入居が本格的に始まる前の大宮地区には、1956年より坊谷津線(千葉駅 - 仁戸名坂下 - 坊谷津)が運行されており、最盛期には佐和・川井十字路を経て宮田に至っていた。大宮団地における最初のバスはこの路線をベースとし、千葉駅 - 星久喜台 - 仁戸名坂下 - 坊谷津 - 大宮団地というルートで昭和30年代後半に運行を開始した。しかしこのルートでは仁戸名付近の道幅が狭いため満足な運行ができず、住民からは増便を望む声がたびたび上がっていた。
1966年に東金街道経由が開通すると団地のバス輸送はようやく改善へと向かい始め、その後、大網街道側においても現行の川戸小学校回りの便においてワンマン運転が開始された。こうして星久喜台経由は、開通当初からのツーマン路線である仁戸名坂下回りと、ワンマン路線である川戸小学校回りの2ルートとなってしばらく運行されていたが、ワンマン化の進展に伴い昭和50年代後半に前者が廃止され、現行の1ルートのみとなった。
現状では利用客数の減少で運行回数も減少傾向であり、土休日ダイヤでは基本的に毎時1本の運行になっている。
千葉市中央区南部の大森・赤井・花輪の各町へ向かう路線である。この地域は古くから農村集落として発展してきたところで、現在も昔のまま道幅の狭い箇所が多い。このため中型車で運行されている。
この線の原型は「大巌寺線」という昭和30年代初頭に開通した路線で、当時は全便が西千葉寺付近から南下する道路を経由し、赤井町経由平山(現・赤井交差点)発着便、赤井町・花輪経由療養所(現・千葉東病院)発着便、大巌寺までの折り返し便があった。また少なくとも1959年の時点においては、平山、療養所発着便にそれぞれ大巌寺経由、大森町経由があった。赤井・花輪地区にとっては初めてのバス路線であり、千葉市街から当時人口増加の著しかった宮崎・白旗地区へのバイパス線の役割も担った。
その後、詳細な経緯は不明だが、昭和40年代までに赤井町 - 平山、および花輪 - 療養所の区間が廃止され、さらに昭和60年頃までに千葉駅 - 千葉寺坂上 - 大巌寺 - 赤井町、千葉駅 - 千葉寺坂上 - 大森町 - 赤井町 - 花輪の2系統で運行されるようになった。前者はほとんどの区間で小湊鉄道の千葉駅 - 淑徳大学大巌寺線と重複する路線であった。
その後、2001年5月16日に末広街道を走る向台線が廃止されたことに伴い、花輪線が末広町経由に変更され、同時に赤井・花輪地区から蘇我駅(東入口)へのアクセス手段となった。一方、赤井町線は従来のルートのまま引き続き小湊鉄道の淑徳大学大巌寺線との競合が続いていたが、同社の路線に比べ本数面で不利な状況であったため、2007年12月28日の運行を最後に廃止となった[10]。
松ヶ丘線は、千葉駅から矢作を経由して蘇我駅東口に至る系統と、千葉駅西口から千葉みなと駅を経由してポートタワーに至る系統からなる路線である。千葉駅 - 蘇我駅東口の系統は小湊鉄道と共同運行している。
この線の大和橋 - 矢作間は、東金街道(国道126号)の旧ルートである。かつてこの区間には京成電鉄が東金、八街などへ向けて多くの路線を走らせていたが、新道の開通により昭和40年代半ば頃に京成の路線はそちらへと移ってしまった。このため旧道に代替路線を走らせる必要が生じたのが松ヶ丘線開通のきっかけのひとつとなっている。この旧道沿線と蘇我側の宮崎地区に住宅が多くあり、利用者も両端部に偏っている。一時期は千葉駅発の最終便が松ヶ丘十字路止まりであった。
しかし最近では路線のほぼ中間に位置する星久喜町周辺で宅地開発が進み、千葉駅・蘇我駅両方面への需要が高くなっていることから、2013年8月24日のダイヤ改正で増便した上で千葉駅・蘇我駅発とも最終便の時刻繰り下げを行った。
ポートタワー側はもともと市役所線として、千葉市役所新庁舎の完成した1970年頃に千葉駅 - 市役所(現・市役所南口)として開通し、その後一部便が県立美術館まで延長されたのち、1986年3月3日の京葉線開通と同時に千葉駅 - 千葉みなと駅 - 県立美術館となった。さらに3ヵ月後のポートタワー開館にあわせ、同年6月16日にポートタワーまでの延長と松ヶ丘線との統合が実施され、一部便で蘇我駅 - ポートタワーの直通運転が始まった。しかしモノレール千葉みなと駅の開通以降は利用者が減少し、千葉中央バスでは直通運転を取りやめた上で最小限の本数での運行となった。 2023年5月1日、小湊鉄道が千葉駅西口 - ポートタワーの系統から撤退したことで、ポートタワー線と松ヶ丘線との直通運転が消滅した。
蘇我鎌取線は、両駅間を白旗、大網街道経由で結ぶ路線である。開通したのは京葉線東京開通から半年が過ぎた1990年10月1日のことである。当初の運行区間は鎌取車庫(現:鎌取インター)までであり、このことからもわかるように、蘇我駅と大網街道の松ヶ丘・仁戸名周辺との連絡に重点が置かれている。2001年5月16日に鎌取駅まで延長された。なお、蘇我駅の乗り場は当初は千葉銀行近くの路上にあったが、駅前の整備によりバスロータリー内に移動している。小湊鐡道の蘇我駅東口 - 千葉南高校(蘇02系統)とほぼ同ルートを通るが、蘇我駅東口と千葉南高校のバス停は共同使用ではなく共通定期券の取り扱いがないため共同運行ではない。
都賀線は、千葉市の政令指定都市化に先立って、若葉総合支所(のちの若葉区役所)への足として1989年4月3日に都賀駅 - 小倉町 - 大宮市民の森間で開通した路線であり、市の補助金によって運行されるいわゆる「区役所バス」のひとつである。当時、坂月橋以北は京成のエリアだったため、当初は同社との2社運行だったが、1997年以降は千葉中央バスが単独で運行している。現在、千城局線と空港連絡バスが使用している大宮市民の森折返場は、もともとこの線のために開設されたものである。
都賀駅 - 大宮市民の森間は、開通当初から1時間に1本弱の運行であったが、1992年に延長された鎌取側の本数は1日数本程度と少なく不便であった。大宮団地の住民からは買い物に便利な鎌取行きの増便を求める声が上がり、2001年ころには大宮台公園 - 鎌取駅間において買い物バスの試験運行も行われた。また2005年には緑区平山町に千葉市斎場が完成し、最寄りの鎌取駅からバスを運行する必要が生じた。これらを背景に同年6月1日より都賀線のルートが斎場経由に変更され、ほぼ全便が鎌取駅に乗り入れる運行に改められた。これにより、大宮団地 - 鎌取駅間は大幅な増便となった。
また同時に、坂月小学校から千城台駅方向への新道が開通したことを踏まえ、坂月小学校 - 小倉台三丁目間を千城台経由で迂回させるルート変更も行われた。その結果、周辺から千城台のコミュニティセンター、図書館などの公共施設や商業施設にアクセスできるようになり、千城台 - 若葉区役所間のバスルートも確保された。一方、土休日の午後を中心に鎌取駅 - 斎場間の折り返し便が設定され、その時間帯には従来終日乗り入れていた都賀駅側の運行が取りやめられた。また、赤井寮(現:赤井交差点)・川戸町南・小倉町停留所にはほとんどの便が通らなくなり、小倉町停留所の代替として近隣に千葉中央バスの西小倉停留所が新設された。
2008年9月1日より、鎌取駅 - 都賀駅間の便は千葉市斎場への乗り入れが中止された。また、2009年2月から鎌取駅 - 大宮団地間の折り返し便が設定されている。
2023年10月1日より、大幅に本数が削減され、鎌取駅 - 都賀駅間の便は早朝1便、鎌取駅 - 大宮団地間の折り返し便は午前11時台に2便、鎌取駅 - 斎場間の折り返し便は午後12時台に1便のみとなる予定[11]。
2024年3月31日、後述する千葉中線とともに路線廃止。
蘇我駅から千葉寺駅、青葉の森に、周辺の新興住宅地を経由して大学病院まで運行する路線である。大学病院の構内に京成以外のバスが入るのはこの線がはじめてである。1999年の開通時は京成・小湊・千葉中央の3社体制であったが、2001年に京成は運行を取りやめている。
この線の開通に際して停留所名の整理が行われた。赤井町線との並行ルート上にあった「川鉄六寮」停留所は、小湊にあわせる形で「川鉄寮前」に改称され(現在は「水道局」)、大網街道上にあった「芸術文化ホール」停留所は、大学線のホールにより近い場所に「芸術文化ホール前」停留所が開設されたため「ハーモニープラザ」に改称された。
青葉の森公園に沿って走り、千葉寺を経由したのち千葉駅に向かう路線であり、白旗線が大幅減便された2004年4月16日の改正時に開通した。千葉駅から中央博物館へは、すでに京成バスやちばシティバスの路線が通っており、この線はそれらに比べ若干遠回りではあるが、博物館により近い場所に停留所が設けられている。終点付近には、芸術文化ホール、中央博物館、博物館・文化ホールと、紛らわしい名前の停留所が並んでおり、方向幕やバス停における行先案内は「中央博物館」としていた。
2007年9月29日のダイヤ改正で、日中30分間隔から60分間隔に減便された。2013年4月16日のダイヤ改正で平日1往復と土休日の1往復半(中央博物館から千葉駅方面に2本)のみになり、さらに現在では土休日に博物館・文化ホール発千葉駅行きが1本運行されるだけとなった。
大網線・千葉リハビリ線は、主に大網街道上を運行する千葉中央バスの本線格の路線である。鎌取駅 - 大網駅間を結ぶ便(誉田駅・土気駅で折り返す便を含む)を大網線、千葉駅と千葉営業所および千葉リハビリセンターを結ぶ便(鎌取駅で折り返す便を含む)を千葉リハビリ線と称している。以前は土休日の早朝1本のみ、大網駅 → 小食土 → 土気駅 → 村境 → 誉田駅 → 鎌取駅 → 星久喜台 → 千葉駅間を直通する快速バスを運行していたが、2018年7月21日のダイヤ改正において廃止となり系統消滅した[12]。
誉田駅 - 野田十文字間は大正時代から営業している区間であることから、大網線は同社の中で最も古い路線の1つということもできる。ただし戦前は本千葉 - 誉田 - 茂原という運行が主であり、千葉 - 大網間がつながったのはそれより後のことである。その時期は千葉市の資料から1948年以前ということしかわからないが、土気 - 大網間は1939年の時点で千葉郊外自動車の路線が通っていたことが『千葉県史』にて確認できる。
現在、最も本数が多いのは千葉駅 - 鎌取駅 - 千葉営業所間の便で、日中でも毎時 5 - 6 本程度の運行が確保されている。現在はこれが千葉駅側の最も短い折り返し便であるが、1950年代頃にはさらに千葉寄りで折り返す便があり、その中で療養所(現:千葉東病院)発着便は本数が多く、昭和30年代頃までの市街地側の輸送の主な部分を担っていた。しかし昭和40年代に入る頃からさらに鎌取側へと市街化が進み、川鉄仁戸名寮・赤井寮のような大規模住宅も建設された。これに応じて運行区間を拡大した鎌取車庫(現:鎌取インター)発着便ができ、さらに2006年3月27日の改正で鎌取車庫 - 鎌取駅間が、2009年1月19日の改正で鎌取駅 - 千葉営業所間が延長された。
誉田駅 - 大網駅間は利用者が少なく、近年は徐々に本数が減らされている。2009年1月19日に営業所が鎌取へ移転したことから、鎌取駅 - 誉田駅、鎌取駅 - 大網駅の便が新設された。さらに2011年9月7日の改正では鎌取駅 - 土気駅の便が新設されると同時に、日中は定時性の確保から鎌取駅で運行を分離し、千葉駅 - 千葉営業所と鎌取駅 - 誉田駅・土気駅・大網駅とした。現在では鎌取駅 - 土気駅は、平日は1日8本、土休日は1日5本の運行、土気駅 - 大網駅間は1日2本の運行となっている。
大網線にはかつて、ルートから一部外れる便がいくつかあった。1980年代に廃止されたものとして、京成千葉駅(現・千葉中央駅)経由便、厚生年金休暇センター(敷地内)経由便がある。また越智町にある靴下団地内に立ち寄る便もあり、誉田 - 大網間の便において長らく運行されていたが、こちらは協議の結果2003年7月1日に廃止されている。
千葉リハビリセンター発着便は、1954年頃に千葉駅 - 下総療養所(現:下総精神医療センター)として開通した路線が、袖ケ浦特別支援学校の誉田への移転と千葉リハビリテーションセンターの設置に伴い、リハビリセンター開業1年後の1982年3月に同センターまで延長されたものである。特筆すべき点として、昭和30年代の旧・国鉄駅発着時代に、大和橋から一高(現在の県立千葉高校)前を経由して葛城町へショートカットする便が存在したことが上げられる。
2009年1月19日の改正で鎌取駅起点の折り返し便が新設されたが、これは大網街道の渋滞による定時性悪化の対策によるものである。千葉駅 - 千葉リハビリセンター直通便は平日はもとより土休日ダイヤにおいても漸次減便となっているが、鎌取駅 - 千葉リハビリセンター折り返し便の設定により、利便性の確保がなされている。
千葉市と市原市の東部にまたがる千葉・市原ニュータウン(おゆみ野・ちはら台)を走る路線である。ほとんどの便は、小湊鉄道との共同運行による鎌取駅 - ちはら台駅間の便である。
ちはら台線は、もともと千葉・市原ニュータウン線と称し、ニュータウンにおける最初のバス路線として、おゆみ野地区入居開始直後の1984年4月1日に開通した。当時の終点は現在のおゆみ野南停留所付近に位置し、線名と同じ「千葉・市原ニュータウン」という停留所名であった。開通当初は鎌取駅を起点とする便のほかに、千葉駅から直通する便が7往復運行されていたが、鎌取駅で外房線に乗り継ぐ利用者が大半であったため、この便は平日・土休日とも早朝に上り1本までに減らされたのち、2002年9月5日の改正で平日の便は鎌取駅南口発に短縮となっている。なお、この直通便をわずか1本でも運行しているのは、独自の運行区間である鎌取駅南口 - 鎌取市営住宅間の路線を維持する役目を担っているからである。その後、平日の便は廃止され、2021年時点では土休日日中に片道1本のみの運行となっている。
路線開業後、ちはら台地区の入居開始に応じて1990年7月5日にちはら台中央まで、千葉急行電鉄(現:京成千原線)開通に伴い1995年にちはら台駅まで延長された。ちはら台乗り入れ後、公団のタイアップカラーをまとった専用車で運行していた時期もあるが、現在は小湊便も含めて一般色に戻されている。
沿線の開発は、おゆみ野とちはら台の境界において今なお進行中であり、2000年代に入ってからも停留所の新設などの動きがある。2007年3月18日には、同じ2社の共同運行によるちはら台東線が新設され、宅地化の進むちはら台東地区への乗り入れが開始されるとともに、おゆみ野側では実質的な増便となった。また同年10月16日より、鎌取駅発・ちはら台駅行き深夜バスの運行が開始された。
2009年3月2日より、鎌取駅と泉谷南の間はちはら台線、ちはら台東線と同じルートを走り、そこからおゆみ野駅に至るおゆみ野駅線が運行を開始した。この路線も小湊鉄道との共同運行である。その後、2011年4月8日よりちはら台南北線が運行開始し、ちはら台駅 - ちはら台東交差点間は小湊鉄道との競合区間となっており、共通定期券も設定されている。
2014年8月20日よりおゆみの中央病院線が運行開始した。この路線も小湊鉄道との共同運行である。おゆみの中央病院線の新設の際におゆみ野駅線は一日2往復に大幅に減回された。また2016年4月1日をもって、誉田駅北口-ちはら台駅は運休となる。
大膳野町線は、鎌取駅からおゆみ野東北部の第一団地・第二団地を経由して、大膳野町(だいぜんのちょう)に至る路線である。
この路線の原型は、1984年4月1日の千葉・市原ニュータウン線開通と同時に設定された鎌取駅 - 小谷 - 誉田駅間の路線であるが、これは出入庫の一部を営業運行としただけのもので本数は大変少なく実用的ではなかった。沿線は比較的早い時期から入居が開始されていたが、すぐ近くの大網街道に大網線が運行されていることもあり長らく本数増には至らなかった。しかし商業施設や公共施設の増加により鎌取駅南口へのアクセス需要が増加したことから、1999年に鎌取駅からおゆみ野第一団地・第二団地を循環する路線(おゆみ野団地循環線)を新設して本格運行を開始した。
2006年9月16日より、鎌取駅 - 八幡神社間はおゆみ野団地循環線と同じルートを走り、その先で大膳野町に至る大膳野町線が運行を開始した。これにより両線の重複区間の運行本数はほぼ倍に増加した。その後2008年9月30日より、おゆみ野団地循環線と大膳野町線のルートが統合され、鎌取駅からおゆみ野第一・第二・市営一丁目団地を経由して大膳野町に至る路線となった。
平山線は、鎌取駅から千葉市緑区北部の平山町へ向けて走る路線である。終戦直後までは平山町の中を走るバスはなく、大網街道の赤井交差点停留所が「平山」という名称で、この町への玄関口となっていたが、昭和30年代初頭に現在の平山坂下付近に「平山終点」という停留所ができた。これにより、千葉駅 - (大網街道) - 平山終点というルートで開通したのがこの路線の原型である。
その後、熊野神社経由で東金街道の宮田まで運行していた時期を経て、水砂、熊野神社の2地点を終点とするようになった。その後も長らく千葉駅からの運行が続けられたが、沿線は農村地域で人口が少なく、旧・誉田営業所管内では利用者の少ない路線だったため、1998年の改正で起点が鎌取駅に変更されることにより事実上路線が短縮され車両も小型化された。また2009年2月の改正では、それまで水砂と熊野神社へ向けてそれぞれ運行されていた便が統合され、原則として水砂経由で鎌取駅と熊野神社の間を運行する路線となり、さらなる運行の合理化が図られた。
2010年3月20日からは、土休日の一部の便が若葉区多部田町にある千葉市平和公園の中を経由して運行されるようになった。これは墓参者による平和公園周辺道路の渋滞を分散させる目的で公園に南門が新設され、バスの乗り入れができるようになったからである。公園内には全部で11箇所の停留所が設置されており、平和公園南門 → 平和公園正門 → 平和公園南門間は循環運行となり折り返し運行ではない。彼岸と旧盆には鎌取駅 - 平和公園間の臨時便が増発運行される。
2015年8月1日ダイヤ改正から、平日ダイヤのみ熊野神社終点から高根町整形外科まで延伸された。ダイヤ改正日は土曜日であったため、実際に運行を開始したのは8月3日からである[14]。
2022年7月15日をもって、路線廃止。鎌取駅~平和公園循環のみ、臨時運行する[15]。
定期運行終了直前の運行系統は以下の通り。
千葉中線は、誉田駅・土気近辺から北へ向けて走るローカル路線の総称である。2008年9月30日より新設された誉田駅北口ロータリーを発着するようになった。もともと、誉田 - 高田方面、誉田 - 千葉中方面、土気 - 千葉中方面の3系統がそれぞれ別々に運行されていた。
このうち千葉中方面に向かう便は、かつて誉田・土気両駅から東金街道の本郷台まで運行しており、平川や下大和田で折り返す便もあった。また高田方面の便は、泉公園の前を通って東金街道の野呂まで運行されていたことがあり、下新田入口、千葉東霊苑入口、千葉東霊苑と、たびたび終点が変わっている。現在は誉田駅を出ると西側の踏切を渡っているが、かつては東側にあった踏切を渡り、八幡前(現・誉田東小学校付近)から西にルートを変えて高田方面に向かっていた。
2016年4月1日の運行をもって、『千葉東霊苑 - 高田 - 誉田駅北口』便はお彼岸やお盆の多客期のみの臨時便となり、2017年3月の春の彼岸より、季節限定で無料送迎バスの運行を開始したため当社便は運行されなくなった(千葉海浜交通が受託)。
2022年7月15日の最終便をもって、誉田駅北口・土気駅北口始発千葉中行きの運行を終了し、大椎台団地~土気駅のみ運行となった。これにより、誉田駅北口を発着する路線バスは全便廃止となった[15]。
2023年10月1日より、大椎台団地~土気駅の便は1日1.5往復のみとなる予定[11]。
2024年3月31日、前述の都賀線とともに路線廃止。
土気南部の新興住宅地・あすみが丘と土気駅南口を結ぶ路線である。創造の杜、そよかぜ通り経由のA線と、駅からまっすぐに続くあすみ大通りを経由するB線があり、A線の沿線には東急不動産が開発分譲した高級邸宅街ワンハンドレッドヒルズ(通称「チバリーヒルズ」)がある。
1988年4月の開通時には創造の杜までの運行であったが、住宅の増加に伴い1989年10月1日にそよかぜ通り中央へ、1991年4月16日にあすみが丘南へと順次延長された。1993年4月26日より折返所のある大椎町南まで営業運行するようになり、同時にあすみ大通り経由のB線を開通させた。なお、行先表示による案内はその後も引き続き「あすみが丘南」としている。また当初は写真のような塗装の異なる車両によって運行されていた。
2009年1月19日より、A線とB線のルートをつなげた循環線の深夜バスが運行を開始した。
土気駅東方に造成中で2002年に一部の入居が開始されたあすみが丘東住宅地(ホキ美術館そば)を経由して、あすみが丘中心部のあすみが丘ブランニューモールに至る路線であり、2005年9月28日の開通である。
4月~11月に限り、一部のバスは昭和の森停留所を経由していたが、2023年4月のダイヤ改正より休止となり、9月12日に廃止予定[16]。
あすみが丘ブランニューモールは2011年に開店したカスミをキーテナント(開業時は東急ストア)とするショッピングセンターで、終点となるあすみが丘ブランニューモール停留所は、あすみが丘B線の「あけぼの通り東」とまったく同じ場所にある。
土気工業団地線は2006年12月18日に開業した、土気駅(北口)と千葉外房有料道路大木戸インター近くに広がる千葉土気緑の森工業団地を結ぶ路線である。土気緑の森工業団地内では道路を時計周りに循環するものの土気駅には戻らず、土気駅発は循環部の終わりの停留所である石油エネルギー技術センター(現・ヤマナカ前)で終点となり、土気駅行きは循環部の最初の停留所である大野台中央公園(「大野台営業所」所在地近辺)が始発となる。年末年始など工場が稼働していない期間中は運休。
2008年3月31日より、大野台二丁目の工業団地東に至る工業団地東線が新たに運行開始した。
越智はなみずき台は、誉田と土気のほぼ中間地点に位置する住宅地であり、2001年以前は千葉東角栄団地と呼ばれていた。1980年頃に路線が開通しており、1985年12月16日からは誉田駅 - 千葉東角栄団地で深夜バスの運行も開始した。当初は千葉駅からの直通便もあったが、2000年のダイヤ改正時に廃止されて全便が誉田駅発着となった。
その後の営業所の統合・移転に伴い、2009年1月19日より一部の便が鎌取駅発着となった。2013年4月16日より蘇我駅発着便が設定されたが、平日朝の蘇我駅行き1本のみの運行になったのち、2023年8月12日のダイヤ改正にて廃止された。この路線のみ千葉営業所と大野台営業所の共管である(日中便のみ千葉営業所の担当がある)。
なお同住宅地内の中学生の通学便として、1981年4月5日から千葉東角栄団地(現・越智はなみずき台) - 土気中学校を結ぶ路線が1往復半運行されていたことがあるが、1984年の越智中学校の開校によりわずか数年で廃止となっている。
さらしなバスは、千葉市若葉区東部の交通空白地帯の解消と公共施設の連絡を目的とした、千葉市コミュニティバスの第1号路線である。1998年(平成10年)に北谷津園 - 農政センターの間で運行を開始した。「田園都市更科線」とも呼ばれる。
もともとこの地域には、京成によって開通し、のちにちばフラワーバスに継承された新八街線、宮田線の2路線があったが、いずれも本数は少なかった。特に宮田線は1便のみとなって実用性が著しく低下していたため、さらしなバスのルート設定に当たっては、同線の独自運行区間である県道浜野四街道長沼線を通ることに重点がおかれている。開通後数年のうちに総泉病院や千葉酪農協に立ち寄るルート変更など細部の改良が加えられていった。
千葉市はこの間、コミュニティバスはこの1路線のみとし、周辺過疎地域では支援を行うことによりできるだけ一般路線バスの運行を維持させてきた。しかし2003年(平成15年)に退出意向路線については支援をやめる方針に転換し、以後の協議の結果、2005年(平成17年)8月限りでちばフラワーバスの千城台駅を発着する3路線(小間子線(旧・新八街線)、宮田線、千城台線)が廃止されることとなった。これを受けてコミュニティ路線の拡充が図られることとなり、さらしなバスは従来のルートと千城台線の廃止区間(一部は大広地区へ迂回)をあわせた循環線として再出発した。
同時に千城台・御成台のルート上にある京成バスの全停留所での客扱いが開始された。一方、ちばフラワーバスの廃止停留所のうち、ちばシティバスが並行する南四丁目 - 温水プールの間は停留所が設置されていない(運行開始当時)。富田新田 - 千葉酪農協間を経由する便はなくなり、停留所は同時に開通したおまごバスに引き継がれた。
運賃は、100円均一だったものが200円均一に値上げされている(前乗り・中降り)。
循環便の大半は千城台駅をまたいでの乗車が可能であり、各停留所にもそのように記されている。農政センターをまたいでの乗車も可能であるが、10 - 20分程度の時間調整があるため、こちらは案内されていない。一部の便は若葉いきいきプラザを経由しない。第1便はさらに泉市民センター・コミュニティセンターも経由せず、農政センター→(126号)→千城台駅→(大広)→農政センターと運行する。
2013年10月19日より千葉中央バスに移管され、始発着を農政センターから千城台駅に変更し、富田町2番 - 農政センター間をおまごバスに集約し、農政センター - (126号) - 宮田間、白井小学校入口/泉公園入口 - (大広) - 高根間、原口医院前 - 大草台間をいずみバスに移管した。高根 - 泉市民センター間は廃止し、富田町2番 - 古泉町 - 宮田間、総泉病院 - 金親 - 大草台間を新設し、おまごバスのルートだった原口医院前 - グリーンタウン東 - 富田入口間を移管した。また、谷当町1番 - 下田町3番間と富田町1番 - 子安神社間にフリー乗降区間が設けられた。
おまごバスは、千城台駅と若葉区東部を結んでいたちばフラワーバスの3路線が廃止されたことにより、その代替運行を目的として2005年9月1日に開通した千葉市・コミュニティバスの第2路線である。開通当初は平和交通が受託事業者であった。
路線はちばフラワーバス小間子線の全区間と、宮田線、千城台線の一部をカバーしているほか、これまでさらしなバスが運行していた富田町の千葉酪農協周辺も担当する。この地区と小間子との間ではわずかながら八街市内を走行する。
千城台駅を起点に小間子地区、農政センター、泉市民センターを回る循環線(両回り)として開通したが、小間子側に本数の重点が置かれており、約半数の便が千城台駅〜内小間子〜農政センターの間で折り返し運行をする。さらに短い千城台駅〜小間子公民館の折り返し便も運行されていたが、この便は2006年10月23日の改正より八街市の沖十文字(転回場)まで延伸された。また同改正では農政センターや東金街道側を経由しない小回りの循環便が新設され、このうちの一部が千葉市・いずみグリーンビレッジ事業の拠点施設がある富田町原田池に乗り入れることとなった。
千城台駅を通しての乗車も可能ではあるが、小間子方面〜千城台駅〜泉市民センター方面のように走る便は少数で、大半は元のルートへ引き返す形となる。また、早朝の便はコミュニティセンターを経由しない(運行開始当時)。
2013年10月19日より千葉中央バスに移管され、農政センター - (126号) - 泉市民センター間をいずみバス、宮田 - グリーンタウン東 - 富田入口間をさらしなバスに移管、富田町1番 - 農政センター間にフリー乗降区間が設けられた。
いずみバスは、千城台駅を発着する3番目の千葉市コミュニティバス路線であり、2008年3月1日に運行を開始した。開通当初は平和交通が受託事業者であった。
ちばシティバスいずみ台線の廃止に伴う代替運行を目的としたもので、同路線の全区間と大草、南二丁目を通る新設区間を合わせた両回りの循環線となっている。また、千城台駅-若葉いきいきプラザ間を結ぶ折り返し便も運行される(運行開始当時)。
2013年10月19日より千葉中央バスに移管され、北谷津-若葉いきいきプラザ間を廃止、さらしなバスのルートだった農政センター - (126号) - 宮田間、白井小学校入口/泉公園入口 - (大広) - 高根間、原口医院前 - 大草台間を移管し、北谷津 - 高根間、宮田/川井団地前 - 川井町/川井交差点間を新設した。また、川井町 - 高根十字路間に熊野神社停留所を設置した。また、高根十字路 - (大広) - 白井小学校間、ならびに昌晴園 - 農政センター間にフリー乗降区間が設けられた。
2024年4月1日、運用開始。 前述の旧「平山線」・「都賀線」廃止に伴って導入されたコミュニティバス路線である。
カピーナ号は、千葉と鴨川の間を館山自動車道、久留里線沿線を経由して結ぶ高速バス路線である。日東交通、鴨川日東バスとの共同運行により1999年に開業した。千葉 - 鴨川間ではJR外房線よりも所要時間が短く、往復乗車券を利用した場合には運賃も安くなることから、開業以来高い利用率を維持している。沿線には、鴨川シーワールドや東京ドイツ村などのレジャー施設もあり、一部の便が乗り入れる。
2001年2月9日運行開始[18]。JR外房線・大網 - 鎌取駅および大宮台と羽田空港を東京湾アクアライン経由で結ぶ空港連絡バス。東京空港交通と共同運行。羽田空港では、空港行きが旅客ターミナルを第1→第2→第3の順、大網行きは第3→第2→第1の順に回る。
利用者の増加に伴い、開業翌年の2002年と2007年10月の2度にわたり増便が行われ、2007年10月16日改正では新たに鎌取駅経由・大宮台発着便が新設された。
大網駅発着便の停車停留所は、大宮台(大宮市民の森折返場、一部非経由)、鎌取駅北口、誉田駅、土気駅南口、大網駅で、一部の便は千葉外房有料道路(誉田区間)を経由し誉田駅に停車しない。
車両は三菱ふそう製を使用する。開業当初は観光バス車両の格下げ仕様であったが、君津線(千葉駅 - 東京湾フェリー)廃止後は同線で使われていたエアロバスを使用するようになった。近年は日野・セレガトイレ付きを新車で導入、羽田空港線と共通運用している。エアロバス初期車は化粧室が付いていないため、乗客のリクエストにより市原SAで休憩を取ることもある。東京空港交通では三菱ふそうまたは日産ディーゼル製の直結クーラー・トイレ付き車両を充当している。
もとは京成バスが運行していた路線を、2010年7月15日発便より継承したもの。千葉中央バスの路線では唯一、首都圏外のエリアに向けて運行している路線でもある。
1989年10月20日の開業以来、京阪バスと京成電鉄(当時)の共同運行で開業し、京阪バスの高速バスの愛称「きょうと号」のまま案内されていた。2006年1月10日より京阪バスが撤退し京成バスの単独運行となるが、京都側の運行支援業務は京阪バス洛南営業所が撤退後も引き続き行う。
京成バスの単独運行になるとともに「きょうと号」の愛称を廃止し、車両のグレードも3列シートから4列シートに変更して値下げした。さらに2009年5月11日より毎日運行を取りやめ運行日を限定するようになったが、京成から千葉中央バスへの移管に伴い毎日運行に戻っている。2013年4月19日にダイヤ改正が行われルートが一部変更され、鎌取駅・千葉駅を発着するようになった代わりに千葉中央駅への乗り入れが廃止された。
2013年11月15日の鎌取駅出発便から、新型車両を導入して再び4列シートから3列シートに変更し、あわせて運賃も改定した。新型車両導入後は利用者数は堅調であり、年末年始・盆など繁忙期には増便も運行される。増便は従前の使用車である4列シート車が充当され、運賃も割安の設定となっていたが、2015年5月のゴールデンウィークからは京成バスから移籍した3列シート車が充当されるようになり、運賃も定期便と同額設定となった[19]。
鎌取インターチェンジ停留所前には千葉中央バス本社(旧:鎌取車庫)があり、京都線利用者のためにパークアンドライド用の駐車場が用意されている。2019年5月15日、三条京阪-京都駅八条口間に四条烏丸停留所を新設した[20]。
※直通マーク付きは一般乗合バス、貸切マーク付きは貸切バスとして運行している。
東京ドイツ村ウィンターイルミネーション開催期間中(毎年11月下旬から翌年4月上旬まで)に運行される直行の臨時バスで、原則として日東交通の単独運行だが、繁忙期に限っては当社と小湊鉄道も運行に参画する。
2016年4月29日・30日に幕張メッセで開催された『ニコニコ超会議2016』より、大規模イベントが開催される日に臨時便として新宿駅行きの片道のみ運行される。運行日および時刻表は千葉中央バスならびに京成バスのホームページで告知される。新宿駅の降車場所はバスタ新宿ではなく西口28番(京王バスの『中央通り』停留所)である。
ZOZOマリンスタジアムにてプロ野球開催日に運行される臨時バス。2014年より運行に参入。
毎年9月に開催される氣志團万博来場者専用のシャトルバス。乗車には予め前売乗車券を購入しなければならない。
朝はカンデオホテルズ千葉発千葉みなと駅行き、夜は千葉みなと駅発カンデオホテルズ千葉行きのみの片送り運行となっている。
千葉市蘇我スポーツ公園にて開催されるロッキング・オン主催の『ROCK IN JAPAN FESTIVAL』・『JAPAN JAM』やJFEスチールが主催する『JFEちばまつり』開催日のみ運行。
千葉中央バスは、路線沿線にゴルフ場が多数存在し、またその内のいくつかのゴルフ場で男女のプロゴルフツアーが開催される縁もあり、毎年千葉県内で開催されるプロゴルフツアーのギャラリー送迎バスの運行を受託している。また同じく受託している小湊鐵道の傭車としても運行を行なっている。
2018年まで毎年5月上旬に開催されていた「ザ・レジェンド・チャリティプロアマトーナメント」開催日のみ運行。
2019年より毎年4月最終週に開催される「パナソニックオープンレディース」開催日のみ運行。
毎年6月中旬に開催されるニチレイレディスの開催日のみ運行。方向幕は千葉中央バス便のみ「ニチレイレディス」と書かれた専用幕が使用される。千葉中央バスは都賀駅便と臨時駐車場便(2018年度開催をもって廃止)を担当。小湊鉄道と九十九里鉄道は鎌取駅便を担当している。
毎年6月下旬に開催されるアース・モンダミンカップの開催日のみ運行。
毎年10月中旬に開催される富士通レディースの開催日のみ運行。方向幕は千葉中央バス便のみ「富士通レディース」と書かれた専用幕が使用される。多客日には他の京成グループから応援が入ることもある。
毎年10月下旬に開催されるブリヂストンオープンゴルフトーナメントの開催日のみ運行だったが、2021年に大会が終了となった為、2022年からは隔年で従来の中京ゴルフ倶楽部 石野コースと併用してブリヂストンレディスオープンの開催コースとして、袖ケ浦カンツリークラブ袖ケ浦コースが使用される事となった。 千葉中央バスは鎌取駅南口発着便、小湊鉄道と九十九里鉄道は鎌取駅北口便を担当する。
10月下旬に開催される「ZOZO CHAMPIONSHIP」の開催日のみ運行。
毎年11月上旬に開催される伊藤園レディスゴルフトーナメントの開催日のみ運行。
向台線は、1960年代に国鉄千葉駅から末広街道を経由して向台に至る路線として開通した。小湊鉄道の千葉駅 - 白旗線、同 - 厚生年金センター線と同じようなルートを走る路線であった。千葉急行電鉄の開業時に大森台駅まで延伸されたが、同鉄道開業による客離れの影響などから、2001年5月16日に廃止された。この路線の廃止後は、赤井花輪線の花輪発着便をルート変更することで、末広街道上の運行を維持している。
上市場線は、茂原営業所が唯一最後まで運行していた一般路線であり、茂原駅から県道茂原夷隅線を南下し、睦沢町の上市場までおよそ8kmを結んでいた。沿線は人口の多い地域ではないものの、企業の工場がいくつか点在しており通勤者の足ともなっていた。通勤時間帯の1便のみが日立ディスプレイズ茂原事業所(旧・日立製作所茂原工場、現・ジャパンディスプレイ茂原工場)の前を経由していたが、これはもともと茂原駅 - 日立正門 - 双葉電子(以前は日立寮まで)として独立していた路線を統合したものである。
茂原から国鉄木原線(現・いすみ鉄道)にかけての一帯は、大正末期から昭和初期にかけて、いくつもの事業者による乗合自動車路線が入り乱れていた。これらは戦時の事業統合により、袖ヶ浦自動車(小湊鉄道バス部の前身)に統合されたが、戦後になって千葉郊外自動車や都自動車によって、その間を縫っていくつかの路線が開設された。この上市場線の原型となる路線については、睦沢町史に1951年の開通と記されているが、「茂原夷隅線に東洋バスが走った」(正確には千葉郊外自動車当時のこと)とあるだけで、詳しいルートや終点は不明である。「茂原市史」によれば、1966年頃には、国吉経由で大多喜まで路線が通じており、松丸で分岐して桑田に至る線もあったようである。
その後、茂原駅 - 国吉(実際の終点は国吉駅東側の苅谷橋)となったのち、1999年2月の改正で利用者の少ない上市場以南が休止され、線名も国吉線から上市場線となった。これにより、国吉から茂原へのバスがなくなってしまったため、ルートは異なるが、いすみ市が主体となって「いすみシャトルバス」を増田橋 - 茂原駅間に走らせている(小湊鉄道が受託)。
上市場線は、2009年4月1日に全線が廃止され、これにより、1935年の千葉郊外自動車設立時から営業していた千葉中央バスの茂原駅発着路線はすべて廃止となった。代替路線として、同日より小湊鉄道が平日に限って茂原駅 - 上市場間の運行を開始した。
この路線はちばシティバスとの共同運行で、平日のみ1日2往復運行されていた。
従前は、大宮団地から千葉大学病院や市立青葉病院方面まで路線バスのみを用いる場合、中央二丁目またはJR千葉駅を経由し、大きく迂回し乗り継がなければならなかったが、この路線の運行開始によって乗り換えることなく直接移動できるようになった。 しかし、利用客数は伸びることはなく、1年あまりで廃止となった [24] [25]。 なお、この路線の運行開始にあたり、「大宮団地 - 川戸東」間は千葉中央バスの川戸線の停留所を使用し、「川戸都苑 - 千葉大学病院」間は、ちばシティバスの星久喜線の停留所を使用する事となったが、両事業者共に、「川戸都苑」の隣の停留所名が「川戸」停留所となる事案が発生し、混同を避ける為、千葉中央バス側の停留所名は「川戸東」停留所へ、ちばシティバス側の停留所名は「川戸西」停留所へと改称を行ったが、路線廃止後は両事業者とも、元の「川戸」停留所へと再改称を行なっている。
潤井戸線は、誉田駅から茂原街道上の潤井戸に至る路線である。沿線の市東第一小学校の通学路線としても利用されており、通学時間帯に学校の正門前まで乗り入れる便がある。誉田発のローカル線の中では、比較的住居の多いところを走っており、戦前にも千葉郊外自動車が潤井戸を終点とする路線を運行していたとの記録がある。現在、潤井戸の終点は茂原街道のバイパス上にあり、折返場は人目につかない林の中にひっそりと設けられている。
2010年12月20日に瀬又三叉路 - 向井間でちはら台南地区を経由して潤井戸へと向かうちはら台南線が新設された。潤井戸線と比べ大回りな経路を取ることから潤井戸までの所要時間はこちらの方が長くなっている。
2012年10月より住宅団地「グリーンヒル」を経由するルートに変更される。
ちはら台の造成後、小湊鉄道がちはら台団地 - 五井駅線を開通したため、永吉入口 - 向井間は2社の並行区間となった。なお、小湊にも潤井戸という停留所があるが、この線の終点とはやや離れている。
2016年4月3日の運行をもって、全路線休止となった。
郡境線および火の見線は、誉田駅から瀬又倉庫まで潤井戸線と同じルートを走り、そのまま南下して市原市市東地区へ向かう路線である。郡境線は誉田駅と金剛地火の見の間を郡境を経由して結び、火の見線は誉田駅と大椎台団地の間を金剛地火の見・土気駅経由で結ぶ(郡境は経由しない)。ただし、火の見線のうち全線を通して運転するのは、大椎台団地発の早朝1便のみである。いずれも利用者は少ないが、沿線小中学校の通学手段として不可欠なこともあり、自治体の補助を受けて運行を維持している。なお、誉田駅 - 東国吉間は、千葉中央バスの中でも特に古い営業区間であり、東国吉停留所の前には千葉郊外自動車時代の車庫兼宿舎が店舗に転用されて現存する。
郡境線は、かつて誉田駅 - 茂原駅間を結んでいた茂原線を1996年に郡境で分割してできた路線である(郡境 - 茂原駅間は、その後1999年に休止)。当初は誉田駅 - 郡境間を往復していたが、2008年9月30日より郡境経由金剛地火の見発着に改められた。茂原線は、1935年の千葉郊外自動車設立と同時期に本千葉 - 誉田 - 茂原間で運転を開始した路線で、戦時休止をはさんで1971年まで千葉からの直通運転が続けられた。1987年には自由乗降制度が導入され、現在も金剛地二軒家 - 郡境間が対象区間となっている。
吉野谷線は、金剛地火の見発が片道のみ運転されるだけである。
2015年10月のダイヤ改正で土休日の運行が取りやめとなり、いずれの路線も平日のみの運行になった。
2016年4月1日の運行をもって、土気駅-大椎台団地以外の全ての区間が休止になった。
千葉駅東口エリア循環バスは、千葉市中心市街地東口エリア循環バス運行協議会が主体となり、2017年4月1日から2020年11月30日まで運行していたコミュニティバスである。
千葉市が策定した「千葉駅周辺の活性化グランドデザイン」に則り、千葉市の補助金交付決定事業に指定されている[26]。愛称は千葉市(Chiba)・中心部(City Center)・循環(Circulation)の頭文字を取って「C-bus」と命名された。
2016年11月30日、それまで千葉市中心街を賑わせていた千葉パルコが閉店し、千葉駅東口からパルコまで運行されていた無料送迎バスも廃止された。その後、地元商店街を中心としてバスの運行継続を求める声が相次いだことから、2017年1月に運行協議会が立ち上がり、同年4月1日より運行開始となった[27][28]。
しかし、2020年初頭より世界各地で蔓延した新型コロナウィルスに起因する緊急事態宣言発令により、C-bus利用者数も激減し、5月1日より運行休止[29]となり、運行を再開しても利用者数の回復が見込めない事から、11月30日をもって路線の廃止となった[30]。
東金線の深夜バスを延長する形で、大宮団地から外房有料道路を経由し、土気地区へと向かう路線。外房有料道路(平山IC~誉田IC)を経由するため、鎌取駅、誉田駅は経由しない。
2004年12月22日に運行を開始した路線で、千葉駅を起点に京葉道路、館山道、君津バスターミナルを経て金谷港の東京湾フェリーまで結び、便数の3分の1は途中の君津バスターミナル止まりであった。日東交通、天羽日東バスとの3社共同運行であったが、利用者は少なく、2005年9月16日に廃止された。わずか9ヶ月という短命の路線であった。
2012年12月13日開業。成田空港交通との共同運行。2014年3月31日限りで運行休止。
2012年8月5日運行開始[34]。松ヶ丘停留所を出発すると千葉駅には向かわず、京葉道路松ヶ丘インターチェンジから首都高速7号線錦糸町ランプに向かっていた。2015年1月16日に伸び悩む乗客数改善を目的にダイヤ改正を行い、同時に千葉県がんセンター・県庁前・千葉駅を経由するルート変更も実施された。バスタ新宿 - 東京スカイツリータウン間の乗車も可能であるが、千葉県内バス停相互間の乗車はできない。トイレ付き車両で運行している。
2019年2月28日より日中の土気駅発スカイツリータウン経由便を廃止し、千葉営業所発の1便のみに減便。復路は大網駅まで延長した上で深夜急行バスとして新たに系統を新設した。
路線再編前の経路は以下のとおり。
京王バス側の路線名は「新宿土気線」[34]。2012年の開業当初は、京王バス東・調布営業所、京王バス南・南大沢営業所との共同運行であった[34]。京王側では2013年に京王バス南が撤退して京王バス東のみの担当となった。
2016年4月4日のバスタ新宿開業までは、新宿駅西口のヨドバシカメラ本店前に存在した新宿高速バスターミナル発着であった[34]。2016年9月30日をもって京王バス東が運行から撤退し[35][36]、千葉中央バスの単独運行となった。
同社では、路線用に主にいすゞ自動車の車両を導入している。車体は純正(いすゞバス製造)のほか、平成14年度までは富士重工業製も導入していた。
高速用・貸切用はかつては三菱ふそう製のエアロシリーズで統一されていたが、近年においては高速車に日野・セレガ、貸切車にいすゞ・ガーラの導入があり、今後も導入が見込まれる。京都線夜行バス専用のエアロエースのみスーパーハイデッカー、あとはすべてハイデッカー車となっている。高速車は夜行用と一部を除いて乗降扉が折戸仕様で、貸切車はスイングドアである。また夜行用のエアロエースと予備車のエアロクィーン、および一部の高速車はトイレ装備となっている。2016年11月12日にリフト付き観光バスが1台導入された。
その他、千葉市から受託しているコミュニティバス専用車として三菱ふそう・エアロミディMEが所属している。
また市原臨海地区に所在する企業の企業輸送専用車については、2017年4月からそれぞれの企業において管理されることとなったため当社所属ではなくなった(運行乗務員は当社が担当)。
一般路線用大型車は、富士重工製の生産終了後はノンステップ車、ワンステップ車ともにホイールベースが短いL尺とホイールベースが長いN尺が導入されている。千葉営業所配置のノンステップ車については千城局線や川戸線、リハビリ線など狭隘路線での運用を考慮しL尺のみ、大野台営業所配置車は管内の道路事情が良好であるためN尺が導入されている。ワンステップ車は千葉営業所にN尺が配置されており、その収容能力から通勤通学の利用客が非常に多く、運行ルートの道路が整備されたちはら台路線用に導入されて優先的に配車されている。
一般路線用の中型車は全車いすゞ・エルガミオに統一されており、比較的利用者が少なく狭隘路を走行する路線で使用している。ワンステップとノンステップの双方が導入されているが、特に運用に限定はされていない。かつてはいすゞ・ジャーニーKが多数所属していた。
一般路線用小型車は、いすゞ・ジャーニーJ(車椅子乗降リフト付き)が2005年から導入されており、誉田駅を起点としたローカル各線や平山線など特に利用客の少ない路線で運用されている。さらにその代替と千葉駅東口エリア循環バス開業に伴い日野・ポンチョが導入され今後も増備される見込みである。2001年にマイクロバス(三菱ふそう・ローザ)が千葉・誉田各営業所に数台配置され、特に利用者の少ない都賀線、松ヶ丘線の千葉駅 - ポートタワー間、平山線などで使用されていたが、老朽化や乗降扉が運転席から離れているなど運行上の不都合もあり、現在はエルガミオとジャーニーJに置き換えられた。
特定輸送用は日産・シビリアン、三菱ふそう・ローザが在籍しており、両車ともカタログカラーである。一時期は日野・メルファが在籍していたことがあるが、これは東京ベイシティ交通からの移籍車で、塗装もベイシティ交通時代のままで使用されていた。
最近の導入車両では、希望ナンバーにより登録番号と車号を同一にしているため、登録番号が希望番号の車両は比較的新しい車両であることが分かる。
一般路線バスのボディカラーは、もともとクリーム色に水色、濃紺、赤を配した東洋バスのかつての塗装と同じものであったが、東洋交通時代の末期にアイボリーに紺色の帯を巻いた直線的なデザインに変わった。またこの間のわずかな期間ではあるが、アイボリー、水色、青の3色を用いた東京の志村観光バスとよく似た塗り分けの車両が使われていたこともある。さらに1990年代に入るころから、現行の白地にパープルブルーのストライプを大胆に配したデザインに順次塗り替えられた。なお、あすみが丘線を走る車両の一部には独自のカラーリングが施されていたことがあったが、現在は廃車され見ることはできない。
観光バス、高速バス車両のデザインには、当初は京成グループ共通のいわゆる「KaNaCカラー」が採用されていたが、その後ニューカラーが制定された後は既存車も塗り替えたため、現在はすべてニューカラーとなっている。
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