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ブリヂストンオープンゴルフトーナメント(Bridgestone Open)は、日本の大手タイヤメーカーのブリヂストンの主催、日本ゴルフツアー機構(JGTO)公認の男子プロゴルフトーナメントの一つで、毎年10月第2週に千葉県千葉市緑区の袖ヶ浦カンツリークラブ袖ヶ浦コース[5]を舞台にして開催されていた。
1972年に「ブリヂストントーナメント」としてスタートし、1991年より「ブリヂストンオープン」に名称が変更となった。2021年の実績は賞金総額1億5000万円、優勝賞金3000万円[1]。しかし2021年の開催をもって終了することとなった[6]。
開催年 | 開催回 | 優勝者 | 優勝スコア | 備考 |
---|---|---|---|---|
2021年[7] | 第49回 | 杉山知靖 | 265 (-19) [4]。 | 新型コロナの影響で一般非公開 |
2019年 | 第48回 | 今平周吾 | 131 (-11)[8] | 「ZOZO CHAMPIONSHIP」を行うため、この年から開催時期を2週間繰り上げ[9]。 令和元年東日本台風(台風19号)による悪天候により3日目及び最終日が中止。2日間競技に短縮[8]。 |
2018年 | 第47回 | 268 (-16)[10] | ||
2017年 | 第46回 | 時松隆光 | 133 (-9)[11] | 悪天候のため、初日と最終日が中止となり2日間競技。 |
2016年 | 第45回 | 小平智 | 270 (-14)[12] | |
2015年 | 第44回 | 松村道央 | 275 (-9)[13] | |
2014年 | 第43回 | 小田孔明 | 269 (-15)[14] | |
2013年 | 第42回 | 丸山大輔 | 203 (-10)[15] | 大会3日目が中止。54ホールに短縮して施行。 |
2012年 | 第41回 | 谷口徹 | 272 (-12)[16] | |
2011年 | 第40回 | 269 (-15)[17] | この年からパー71に変更して施行。 | |
2010年 | 第39回 | 池田勇太 | 265 (-23)[18] | |
2009年 | 第38回 | 270 (-18)[19] | ||
2008年 | 第37回 | 矢野東 | 267 (-21)[20] | |
2007年 | 第36回 | 片山晋呉 | 270 (-18)[21] | |
2006年 | 第35回 | 手嶋多一 | 266 (-22)[22] | |
2005年 | 第34回 | デビッド・スメイル | 272 (-16)[23] | |
2004年 | 第33回 | 谷口徹 | 272 (-16)[24] | |
2003年 | 第32回 | 尾崎直道 | 267 (-21)[25] | ポール・シーハンとのプレーオフを制す。 |
2002年 | 第31回 | スコット・レイコック | 272 (-16)[26] | |
2001年 | 第30回 | 伊澤利光 | 274 (-14)[27] | |
2000年 | 第29回 | 佐藤信人 | 272 (-16)[28] | 2年ぶり2度目 |
1999年 | 第28回 | 丸山茂樹 | 268 (-20)[29] | 3年ぶり3度目 |
1998年 | 第27回 | 佐藤信人 | 275 (-13)[30] | 尾崎健夫とのプレーオフを制す。 |
1997年 | 第26回 | 尾崎将司 | 273 (-15)[31] | 9年ぶり2度目 |
1996年 | 第25回 | 丸山茂樹 | 272 (-16)[32] | |
1995年 | 第24回 | 274 (-14)[33] | ||
1994年 | 第23回 | ブライアン・ワッツ | 274 (-14)[34] | |
1993年 | 第22回 | 白浜育男 | 271 (-17)[35] | 5年5ヶ月ぶりのツアー制覇 |
1992年 | 第21回 | 倉本昌弘 | 271 (-17)[36] | 7年ぶり3度目 西川哲とのプレーオフを制す。 |
1991年 | 第20回 | 青木功 | 134 (-10)[37] | 雨の影響により2日間競技に短縮。 |
1990年 | 第19回 | 藤木三郎 | 274 (-14)[38] | 横山明仁とのプレーオフを制す。 |
1989年 | 第18回 | ロジャー・マッケイ | 277 (-11)[39] | |
1988年 | 第17回 | 尾崎将司 | 273 (-15)[40] | |
1987年 | 第16回 | デビッド・イシイ | 282 (-6)[41] | 芹澤信雄、 牧野裕(英語版)とのプレーオフを制す。 |
1986年 | 第15回 | 尾崎健夫 | 276 (-12)[42] | |
1985年 | 第14回 | 倉本昌弘 | 273 (-15)[43] | 最終日上がり3連続バーディーを奪い、 最終ホールで青木功を逆転、大会連覇を達成 |
1984年 | 第13回 | 279 (-9) | 岩下吉久、陳志忠、 サム・トーランスとのプレーオフを制す | |
1983年 | 第12回 | 出口栄太郎 | 274(-14) | |
1982年 | 第11回 | 謝敏男 | 279(-9) | 10年ぶり2度目 新井規矩雄とのプレーオフを制す |
1981年 | 第10回 | ヘール・アーウィン | 275(-13) | |
1980年 | 第9回 | ボブ・ギルダー | 283(-5) | |
1979年 | 第8回 | ラニー・ワドキンス | 277(-11) | |
1978年 | 第7回 | 石井裕士 | 280(-8) | 5年ぶり2度目 |
1977年 | 第6回 | 小林富士夫 | 278(-10) | |
1976年 | 第5回 | 村上隆 | 282(-6) | 草壁政治、謝敏男とのプレーオフを制す |
1975年 | 第4回 | 山本善隆 | 283(-5) | |
1974年 | 第3回 | グラハム・マーシュ | 278(-10) | この年から袖ヶ浦カンツリークラブ袖ヶ浦コースでの開催となる |
1973年 | 第2回 | 石井裕士 | 275(-13) | 東京よみうりカントリークラブで開催 |
1972年 | 第1回 | 謝敏男 | 水海道ゴルフクラブ(茨城県常総市)で開催 | |
なお、これに先立つこと2年前の1970年に、佐賀県鳥栖市のブリヂストンカンツリー倶楽部で「ブリヂストンゴルフトーナメント」として始まった。[44]当時は、ブリヂストンタイヤ、ブリヂストンカンツリー倶楽部、西日本新聞社、テレビ西日本の4社共同主催で、11月第1週の2日間開催された。参考までに、優勝者を以下に記す。
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