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出囃子 (落語)

落語家が高座に上がる際にかかる音楽 ウィキペディアから

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落語における出囃子(でばやし)は、落語家高座に上がる際にかかる音楽であり、寄席囃子のひとつである。寄席や落語会では、落語家に限らず、芸人が登場する際の音楽全てを指すことがある。出囃子 (お笑い)も参照。

概要

元は上方落語のみで出囃子を用いたが、東京でも大正期に睦会が取り入れるようになった。それまでは片シャギリのみであった。

演奏に使用されるのは主に三味線太鼓当り鉦など。演奏する人のことを「下座」、「お囃子」と言う。上方、東京とも、三味線は専門の下座演奏家(「三味線方」という。全員女性)[1][2][3] が、笛と太鼓は前座の落語家(「鳴り物方」という)が演奏する。太平洋戦争前の上方落語では、落語家なのに落語をせずに下座でお囃子演奏のみを行う者を「ヘタリ」と呼んでいた。

落語家ごとに使われる曲目が異なっている。通は曲を聴いただけで、どの落語家が出てくるかを知る。たとえば「野崎」の出囃子がかかると、上方では「春團治や」、東京では「黒門町だ」と期待する。春風亭柳好(野ざらしの柳好)が存命時、「梅は咲いたか」の出囃子が流れると「柳好だ」「柳好だ」とざわめきが起こり、拍手があがった。このように寄席の雰囲気を作り出す効果がある。

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寄席囃子奏者の歴史と育成

東京

井上りち落語協会所属お囃子)の調査によると、東京の寄席で出囃子が使われるようになり、寄席に様々な前歴を持つ三味線奏者の女性がお囃子として常駐するようになったのは落語協会が発足した1924年前後の大正時代だという[4]。1960年代にお囃子の高齢化と人材不足が深刻になり、1979年に落語協会で「おはやし教室」を開催したところ200人以上の参加者があり、翌年の1980年(昭和55)年以降、国立劇場において大衆芸能(寄席囃子)の募集・研修が行われるようになった[4]。現在、落語協会落語芸術協会の寄席囃子奏者は太田その(落語協会所属、東京芸術大学邦楽科卒業)を除いて研修を経た者のみとなった[4]

寄席囃子研修生の応募資格は、中学卒業以上原則として年齢45歳以下で長唄三味線の素養がある女子。作文や実技・面接による選考を経て、全日制で2年間の研修を受ける。研修修了後は落語協会・落語芸術協会どちらかの所属となり、寄席や落語会で寄席囃子として演奏する[5]。寄席番組表に名前が掲載される際には、寄席囃子担当者は落語協会は「名字+ひらがな二文字(もしくはひらがな二文字のみ)」(例外あり)の表記、落語芸術協会は「本名+社中」の表記がされている。

寄席囃子研修生から協会に所属、のちに芸人門下に入り直して寄席での前座修業を経た後に色物芸人になった者には檜山うめ吉桂小すみ (共に落語芸術協会)がいる。

両協会所属の寄席囃子奏者の定年は70歳、更新は73歳まで可能[4]

なお、円楽一門会には上記とは別に専属のお囃子担当者が複数名いるが[6]落語立川流には創立以来お囃子担当者は存在せず(2019年現在)、必要な場合は他団体の演奏者に委嘱する形となる。

大阪

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出囃子の曲について

一般的には、落語家自身の雰囲気や芸風にあわせて下座が決める。長唄を元とする事が多い。出身地に因むものや、自身の歌っている曲を元とする事もある。前者の例として林家こん平の『佐渡おけさ』、後者の例として月亭方正の『ヤマザキ一番』がある。また、八代目橘家圓太郎蝶花楼桃花が二人の師匠である春風亭小朝がオリジナルで作曲した出囃子を使用するようなケースもある。

近年では、二つ目に昇進する時に、落語家の側から出囃子の曲をリクエストすることもある。出囃子を持つことが出来るのは二つ目以上である。

著名な名跡を襲名する場合、それまで使用していた出囃子を変え、先代の出囃子を引き継ぐ事が多い。例として三遊亭歌之介が、師匠の三遊亭圓歌の名跡を四代目として襲名した際にそれまでの『われは海の子』から先代が使用していた『二つ巴』に変えた例などがある。

出囃子を専門にして長い下座は、落語家の所属団体に関係無く、出囃子を一通りこなすことが可能である。しかし下座を担当して間もなかったり、あるいは地方の落語会で地元の人に演奏を頼む場合になると、あまり有名でない曲や、その落語家しか使っていない長唄や、洋楽やポップスなど長唄以外の曲を出囃子にしている落語家は、有名な長唄を代用曲として演奏してもらうことなる。前者の例として三遊亭好楽が普段は『づぼらん』だが代用に『元禄花見踊』、後者の例として三遊亭小遊三が普段は『ボタンとリボン』だが代用に『春はうれしや』などがある[7][8]。その下座が演奏可能な範囲から別の選択をする場合もある。

また、NHKラジオ第1放送の『真打ち競演』では、出番順に出囃子が固定されており、トリ(主任)を務める3番手の出演者は必ず『東京音頭』が演奏されていたが、2021年頃から出演者のオリジナルの出囃子が用いられるようになっている。

演じる演目に合わせて出囃子の曲を使い分けている落語家もいる。例として林家たい平が普段は『ぎっちょ』だが、「ドラ落語」を演じるときは『ドラえもんのうた』を使用している。また柳家喬太郎は普段は『まかしょ』だが、ウルトラマンが題材の落語を演じるときは『ウルトラマンの歌』、また自作の新作落語を演じる時は『東京ホテトル音頭』が用いられる。

所属団体が異なっていたとしても、落語会などでは稀に同じ出囃子を使用している演者が共演する場合もあり得る。その場合は話し合いなどにより一方の演者が別の出囃子を代用するケースがみられる。例として十一代目桂文治三代目古今亭圓菊は『武蔵名物』(どちらも先代も同じ出囃子であった)を使用しており、先代同士がトラブルになった経緯も理解していたため、落語会で共演した際に当代文治は『武蔵名物』、当代圓菊は二ツ目時代に使用していた『鉄道唱歌』を代用した事例がある。

主な出囃子

要約
視点

寄席で落語と同じ体裁を取る色物の出囃子も一部表記する。太字は現役の芸人。

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出身地にちなんだ選曲

名前にちなんだ選曲

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出囃子の聴ける主な音源

  • CD「寄席囃子」(全2巻、NHKサービスセンター/1994年発売)落語芸術協会企画。
  • CD「決定版 寄席ばやし」(キングレコード/2003年発売)落語協会企画。
  • CD「寄席ばやし」(キングレコード/2005年発売、但しジャケットが変わったのみで中身は「決定版~」に同じ)
  • 4代目桂文我著 書籍+CD4枚組「上方寄席囃子大全集」(燃焼社・2004年発売)ISBN 4-88978-048-3、ISBN-13:978-4-88978-048-2
  • CD-ROM「ご存じ古今東西噺家紳士録」(エーピーピーカンパニー丸善/2005年発売)ISBN 4-901441-40-X、ISBN-13:978-4-901441-40-7
  • CD「上方落語寄席囃子集」(コロムビアミュージックエンタテインメント/2008年発売)1956年に発売されたレコードの復刻。三味線方は林家とみと滝野光子。鳴り物方は4代目桂文枝、2代目文の家かしく(オリジナル版であるレコードの発売は3代目笑福亭福松襲名後だが、CDはかしく名義になっている)、初代桂南天
  • CD「決定版!寄席囃子100」(3枚組、ソニー・ミュージックダイレクト/2009年発売)実際の収録曲数は一番太鼓、二番太鼓、追い出し等を含め121曲である。
  • 林家染丸著 書籍2冊+CD4枚「上方落語 寄席囃子の世界」(創元社/2011年発売)CDでの演奏は一曲ずつが短く、研究・記録用のものである。書籍編には譜面有り。
  • CD「四派花形・若手寄席囃子」(スロウボール/2017年発売)オフィスまめかな企画[9]
  • CD「定番!寄席囃子集」(2枚組、日本コロムビア/2024年発売)桧山うめ吉監修。日本コロムビアから発売された「寄席囃子集」と「上方落語寄席囃子集」の一部[10]と新規収録の音源をまとめてある。
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参考文献

外部リンク

脚注

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