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五街道 雲助(ごかいどう くもすけ)は、落語家の名跡。当代は六代目。「五海道」「五海堂」、「雲輔」と書かれた文献が多い。
明確な資料が残っておらず代数がはっきりしていないため、当代の師匠である十代目金原亭馬生が当代を勝手に六代目とした。
六代目 Gokaidô Kumosuke the 6th | |
六代目五街道雲助定紋「裏梅」 | |
本名 | |
---|---|
生年月日 | 1948年3月2日(76歳) |
出身地 | 日本・東京都墨田区 |
師匠 | 十代目金原亭馬生 |
弟子 | 三代目桃月庵白酒 四代目隅田川馬石 三代目蜃気楼龍玉 |
名跡 | 1. 金原亭駒七 (1968年 - 1972年) 2. 六代目五街道雲助 (1972年 - ) |
出囃子 | 二上り箱根八里 |
活動期間 | 1968年 - |
配偶者 | あり |
所属 | 落語協会 |
公式サイト | https://www.asahi-net.or.jp/~cq1t-wkby/ |
受賞歴 | |
第2回 にっかん飛切落語会努力賞(1979年) 文化庁芸術祭優秀賞(2009年) 芸術選奨文部科学大臣賞大衆芸能部門(2014年) 紫綬褒章(2016年) 重要無形文化財保持者(2023年) 墨田区名誉区民(2024年) 浅草芸能大賞(2024年) | |
備考 | |
落語協会役員(退任) 重要無形文化財保持者(人間国宝、2023年 - ) | |
六代目五街道 雲助(ごかいどう くもすけ、1948年3月2日 - )は、東京都墨田区出身・在住の落語家。落語協会所属。出囃子は『箱根八里』。本名∶若林 恒夫。重要無形文化財保持者(人間国宝)。
明治大学商学部中退後1968年2月1日、十代目金原亭馬生に入門。前座名は「金原亭駒七」。
1972年11月に柳家さん喬、柳家さん治、金原亭駒三、三遊亭梅生、立川談十郎、三遊亭楽松と共に二ツ目昇進。「六代目五街道雲助」と改名。二ツ目昇進時、師匠の十代目金原亭馬生にお願いをして、手拭いの柄を描いて貰った時に「六代目でいいやなぁ」と言われ、そのまま「六代目」と描かれたので、その後「六代目」と名乗っているとのこと。
1979年に「第2回 にっかん飛切落語会」努力賞を、1980年に「第3回 にっかん飛切落語会」若手落語家奨励賞受賞。
1981年3月、柳家さん喬、三遊亭歌司、七代目むかし家今松、二代目金原亭馬の助、橘家竹蔵、三遊亭圓龍と共に真打昇進。
2009年、文化庁芸術祭優秀賞受賞。2014年、芸術選奨文部科学大臣賞大衆芸能部門受賞。
2023年7月21日、文化審議会が重要無形文化財保持者(人間国宝)に五街道雲助を含む12名を認定するよう答申した。落語家の人間国宝は五代目柳家小さん(1995年)、三代目桂米朝(1996年)、十代目柳家小三治(2014年)に次ぐ4人目の認定となる[2][3][4]。
2017(平成29)年1月13日の皇居での歌会始の儀に、陪聴者として列席している[8]。
林家時蔵とは生年月日(1948年3月2日)が一緒であり、両国中学校で同じクラスだった。
浅草にあった飲み屋「かいば屋」を、自身の落語の原点としている。
真打昇進の時の口上書は野坂昭如が書いている。
二ツ目時代、武智歌舞伎塾に入りいくつかの公演に出演している[9][10]。
1998年に自身で立ち上げたホームページのアドレスと基本デザインが、2022年現在で20年以上変更・移転せずに現役で利用され続けている。
六代目古今亭志ん橋、柳家喜多八と「九識の会」(く(もすけ)・し(んきょう)・き(たはち))を開催していた。会は後に「のれん噺」とタイトルを変更。
2023年9月17日放送のNHK Eテレ「カラーで蘇る古今亭志ん生」[11]において、駒七時代に師匠から、長女である志津子(池波志乃)の前で「一緒になる気はないか」と結婚を打診された事があると明かした。
ほか
ほか
自身が珍しい名前を名乗っていることから、弟子には真打昇進と同時に珍しい名前を名乗らせている。
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