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落語家や講談師の身分のひとつ ウィキペディアから
真打(しんうち)
語源に関しては諸説あるが、寄席は当時、灯が全てロウソクだったため、トリで出演する芸人が最後にロウソクの芯を打った(=火を消した)事から転じてそう呼ばれるようになった、というのが最も有力。(例)「お待ちかね!ついに真打登場」。
落語においては、現在は江戸落語(東都)の落語協会、落語芸術協会、五代目円楽一門会、落語立川流の4団体がそれぞれ真打制度を導入している。
上方落語では、現在は明確な身分制度は存在しておらず、入門後に何年かの修行期間を務める「年季奉公」の体裁をとっている。なお、内規により「入門から15年目以上」が真打相当として扱われる。以前は大正期までは真打制度が明確に存在し、戦後に上方落語協会で部外秘扱いで復活したが、すぐに有名無実化した。その後、1970年代後半に当時の同協会会長である六代目笑福亭松鶴が真打の復活を提唱するも、複数の芸能事務所などから反対されて頓挫した[18]。さらに天満天神繁昌亭の開設を控えた2005年に、当時協会会長だった桂三枝(現:六代目桂文枝)が真打制度を復活させる計画を提案したが、慎重な対応を求める意見が多く実現しなかった[19]。このため、上方落語家(前述の笑福亭鶴光、一時落語協会客分として参加していた生前の露の五郎を除く)は東日本で江戸の落語家と競演する場合、ごく一部の例外[注釈 5]を除いて基本的に大物や重鎮でも主任(トリ)を務めることができない。
その後、同協会会長が2018年に笑福亭仁智に代わり、2024年になり、上方落語の活性化を図る目的から「上方版の真打」制度を創設する事ととなった(名称は公募で決定される)。この制度では同協会所属の落語家246人の中から、入門から15年程度の若手中堅落語家を対象としていて、実績を評価したうえで初年度は4~5人程度を認定する。認定された落語家は定席興行の天満天神繁昌亭などで1週間主任(トリ)を勤める披露興行を実施できるとしており、同年8月の披露興行実施を目指すとされる。ただし、江戸落語と異なり「前座」「二ツ目」にあたる階級は設けないとしている[19]。
その後の協会内での協議の結果、「上方版の真打」制度については反対意見が多く議論が難航したため継続審議となり、代わって入門から15年目を迎えた同協会所属落語家が定席で1週間主任を務める「
近年の落語協会・落語芸術協会の両団体では、入門順により真打昇進が運用されているが、特に優れたものに関しては「抜擢真打」として入門順を配慮せず、真打昇進が図られる場合がある(下記いずれも、本人記事参照)。この場合、香盤も先に入門した落語家を追い抜くため「~人抜き」と強調される。
真打昇進を決定する基準の一つとして、落語協会では五代目柳家小さん会長の下で、1980年から1987年まで「真打昇進試験」が導入されたことがあった。試験導入の背景には以下のようなものがあった。
騒動後、大量昇進路線による真打濫造の批判もあった事で協会内でもその問題を補正するべく「抜擢真打」と併用して1980年より導入されたのが「真打昇進試験」(正式名称は「真打審査会」)であった。第1回(1980年11月)の試験は16名が受験し11名が合格した。この11名は翌1981年春に7名[注釈 17]、秋に4名[注釈 18]と分かれて昇進披露を行った。
しかし、昇進試験の導入は、真打昇進の基準としていた「入門から約12年」を満たしても試験に落第して真打に昇進できない事で若手落語家を中心に不満の意見が出たほか、協会側も「試験の受験は必須ではない」という姿勢であったことから、僅かながらも昇進試験の受験を拒否する者が出る[注釈 19]など、運用面に課題を残す事となった[32]。
問題が発生したのが1983年春の昇進認定試験で、10名受験者のうち6名が不合格(秋に追試が決定)となっているが、この中に談志の弟子であった2名[注釈 20]が含まれており、運用面に不満を抱いた談志とその一門の集団離脱を生む事態となった(落語立川流#誕生)[注釈 21]。談志一門以外からも二ツ目を中心に試験制度を継続する執行部に対する批判の声が上がり、改善を求める「要望書」を若手育成担当の幹部であった志ん朝に手渡す一件に発展しており[33]、さらに同年秋の試験では受験者6名全員が不合格となり、翌1984年春の認定試験実施が見送りとされるなど、試験の運用の一貫性が担保されず、試験制度に対する不満がくすぶり続けた。
その後も試験の運用は続いていたが、真打昇進認定試験の意義を問う面で決定的となったのが、1987年5月に受験した古今亭志ん八(後の古今亭右朝)の不合格を巡る混乱であった。志ん八は多数の受賞歴があるなど、席亭や他の落語家などの関係者からも合格が有力視されていたが、不合格決定に対し席亭などの関係者から協会へ強硬に異議を申し入れる事態に発展した[注釈 22]ため、慌てた協会は急遽志ん八の追試を決定し、結果は一転して合格となり、翌1988年5月に真打に昇進した。
この年の試験直前の理事会でも、制度を巡る不満の噴出や圓生時代と比較して真打の数も増えてきたことから「真打昇進認定試験の廃止」が検討されていたが、この一件が決定打となり1987年限りで真打昇進認定試験を廃止し[36]、導入前の年功序列と一部の抜擢による真打昇進に改めている。
女性の落語家の真打は、2024年9月現在で落語協会が12名、落語芸術協会が4名所属しており、2023年5月に落語立川流でも初の女性落語家の真打が誕生した。円楽一門会では女性落語家の真打はまだ誕生していない。
江戸落語の4団体では、真打昇進を披露するための興行が定席の各寄席を中心に行われる。
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