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九代目 桂 文楽(くだいめ かつら ぶんらく、1938年9月21日 - )は、落語家。落語協会所属、同協会相談役。出囃子は『桑名の殿様』。本名∶武井 弘一。「桂文楽」の当代である。
1957年4月、八代目桂文楽に入門。師匠の本名(並河益義)より一字を取り、桂小益を名乗る。
1959年に二ツ目昇進。1971年12月に師匠八代目桂文楽死去、兄弟子七代目橘家圓蔵の預かり弟子となる。
1973年4月に三升家勝彌、橘家圓平、三遊亭さん生、三代目吉原朝馬、柳家小のぶ、柳家かゑる、三升家勝二、小益、林家枝二、柳家さん吉の十人で真打昇進。
1975年よりまるか食品「ペヤングソース焼きそば」のコマーシャルに出演開始。その後、1992年まで17年間出演[注 2]した。1981年に文化放送賞受賞。
東京都台東区浅草出身。タレント活動における過去の所属事務所はハブ・マーシー。タレント活動については、現在はフリーで活動している。先代の文楽が八代目を名乗ったため、当代は九代目を名乗る(本来の代数については、桂文楽を参照)。
若い時分より「四角い顔」で名を売り、テレビコマーシャルやラジオ番組のリポーター、テレビ朝日『日曜演芸会』のレギュラーなどとして活躍した。
名人であった先代と比較して陽気な芸風であり、先代と区別するために「小益文楽」などと呼ばれることもある。七代目立川談志などからは「セコ文楽」とも揶揄された[注 3]。
上述の「四角い顔」を買われ、小益を名乗っていた頃にまるか食品より『四角い容器で焼きそばの新製品を出しますので』と依頼を受けてメーンキャラクターとして「ペヤングソースやきそば」のテレビコマーシャルに起用され、文楽を襲名する1992年まで出演していたため、CM出演終了後から年月を経ても「ペヤング」「ペヤングの人」「ペヤングのおじさん」、或いは「焼きそばの人」と呼ばれる場合もある[1]。
夫人[注 1]の父は、太神楽の家元二代目海老一海老蔵(海老一染之助・染太郎の師匠)である。
桂ひな太郎、三遊亭鬼丸と共に池袋演芸場特選会で「落語会さきがき」を開催している。
テレビタレントとしても知名度が定着し、師匠の本名(並河益義)から一字を貰ったことへの思いから、入門以来、前座名の「桂小益」を名乗り続けており、名跡襲名は特に意識していなかった。
しかし、大看板と呼ばれる名跡が数多く塩漬け状態となっていることを危惧した席亭や落語協会から文楽襲名話が持ち上がる。兄弟子に六代目三升家小勝や七代目橘家圓蔵がいたが、すでに故人となっていたため、系譜から見て桂文楽を名乗るのに最も近い立場にあった。襲名を打診されてから半年程悩んだ末、1992年9月に「文楽」の名跡を継いだが、一部の落語ファンなどからは「大看板の安易な襲名だ」と批判された。
騒動が起きたことを謝罪するために落語協会会長五代目柳家小さんのもとを訪ねると、小さんからは「これからもっと辛いことがあるというのに、ここで挫けてどうする」と叱咤激励されたという。
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