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八代目 三升家 小勝(みますや こかつ、1938年(昭和13年)12月6日[1] - )は、東京都出身の落語家。本名∶小林 守巨。落語協会に所属していたが、2016年に退会。出囃子は『井出の山吹』。
1957年3月、六代目三升家小勝に入門し、三升家 勝二(みますや かつじ)で初高座。1960年3月、二ツ目昇進。1971年に師匠小勝没後は初代林家三平一門に移り、1973年3月に三升家勝彌、橘家圓平、三遊亭さん生、三代目吉原朝馬、柳家小のぶ、柳家かゑる、桂小益、林家枝二、柳家さん吉と共に真打昇進。
1992年に1歳年上の兄弟子である勝彌改め七代目小勝が亡くなり、1994年9月に八代目三升家小勝襲名。
2016年、落語協会からプロフィールが削除される。脱会の詳細について落語協会からはアナウンスがされなかったが、それ以降も落語会などの活動は継続している[2]。なお弟子の右女助は落語協会に残留している。
本名の読みが五代目柳家小さんや四代目桂三木助と同じ「こばやし もりお」(2人は「小林 盛夫」のため、表記違い)であり、小さんからよく稽古をつけてもらったという。
三升家勝二時代は、1969年から1年ほど『笑点』の大喜利レギュラーを務め[3]、一時期、弟弟子の三升家勝松も出演していた。林家こん平とはほぼ同年代で、仲が良かったという[3]。
また、北海道のHBCラジオで、毎週土曜日午後の時間帯に『ダイナミック・サタデー』(1970年5月 - 1985年10月)と『夢いろ土曜日・これがラジオだ』(1985年10月 - )『夢いろ土曜日・晴れた顔して多恵子です』( - 1988年9月)の中継レポーターを長年務めていた[3]。
特に『ダイナミック・サタデー』での『勝二の5人ピック』のコーナーでは競輪の予想なども行っていた[3]。1988年9月に『夢いろ土曜日・晴れた顔して多恵子です』の番組終了と共に、長年務めたHBCラジオの中継レポーターを卒業した。
かつて税務大学校の札幌研修所で長く特別講師を務めており[3]一時期北海道に居住していた。現在では各地で人生と修業、交通安全、リサイクル、福祉、人権などに関する講演も行っている。
趣味は釣りで「落語釣り落としの会」の初代会長も務めた[3]。競輪にも精通しており、1980年代には常時特別競輪(現在のGI)中継のゲストとして呼ばれていた。そのため中野浩一とも交友があり、1994年の小勝襲名披露興行の際には、中野本人名の花輪が飾られていた。
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