Remove ads
アメリカの短編アニメーションシリーズ ウィキペディアから
『トムとジェリー』(英語: Tom and Jerry)は、1940年にウィリアム・ハンナとジョセフ・バーベラによって創作された、アメリカ合衆国のアニメーションシリーズ。
トムとジェリー Tom & Jerry | |
---|---|
ロゴ(1985年) | |
創作者 |
ウィリアム・ハンナ ジョセフ・バーベラ |
初作品 | 上には上がある |
所有者 |
ターナー・エンターテインメント (ワーナー・ブラザース) |
期間 | 1940年 - 現在 |
出版物 | |
漫画 | 多数存在 |
映画・テレビ | |
映画 |
トムとジェリーの大冒険(1992) トムとジェリー(2021) |
短編映画 | 多数存在(1940–1967、2001、2005) |
アニメーション シリーズ | 多数存在 |
テレビスペシャル |
The Mansion Cat(2001) Tom and Jerry: Santa's Little Helpers(2014) |
オリジナルビデオ | 多数存在 |
舞台 | |
ミュージカル | トムとジェリー 夢よもう一度(2019) |
ゲーム | |
コンピュータ ゲーム | 多数存在 |
公式ウェブサイト | |
トムとジェリー|ワーナー・ブラザース |
ネコのトムとネズミのジェリーが巻き起こすドタバタ劇を描いたカートゥーン、ギャグアニメである。映画会社メトロ・ゴールドウィン・メイヤー(MGM)が発表した短編アニメーション映画のシリーズを皮切りに、これまでに166本の短編作品、2本の長編映画、8作のテレビシリーズ、18本のOVAが製作されている(2023年現在)。
略称は「トムジェリ」(ワーナー・ブラザースウェブサイトより)、「TJ」など。
体が大きく短気だが、お調子者でおっちょこちょいでどこか憎めない部分のあるネコ・トムと、体は小さいが狡賢く、追い掛けてくるトムをこともなげにかわすネズミ・ジェリーの戦いを、ドタバタ劇としてナンセンスとユーモアたっぷりに描いている。
1940年の『上には上がある』以降、作者のウィリアム・ハンナとジョセフ・バーベラによって1958年までに114本の短編アニメ映画が公開された。この作品群が成功を収め、頻繁にテレビ放送されるなど根強い人気を持つシリーズとなったことで、1961年から現在まで新作が作られるロングラン作品となった。
アカデミー短編アニメ賞を7回受賞し、これまでに最も受賞したシリーズ作品である[1]。その回数はディズニー作品以上である。
トムとジェリーは会話をすることがほとんどなく、笑いや叫びなど言葉にならない声やジェスチャー、他の登場キャラクターの会話などで物語は進行する(一部の例外作を除く)。
トムとジェリーをはじめとした人間以外のキャラクターによる、現実では大怪我や死に値する過度な暴力(殴打、毒や爆発物の使用、斬首、指詰め、感電、転落、火傷、凍傷、他多数)をコメディに変えるという作風であるが、流血の描写はなく、いずれもあっさりと回復してすぐにドタバタを再開する。
日本では、1964年にTBS系列でテレビ放送されて以来、幾度も繰り返し再放送されている。また、ソフト販売や様々なメディア展開が行われアメリカ文化の象徴とも評されるなど、現在に至るまで幅広い年齢層から愛され続けている[2][3]。
1960年代(ジーン・ダイッチ期)までの作品は、吹き替えがこれまでに複数製作されている。
以降に発売されたDVDなど、現在流通している吹き替えは現行ソフト1・2のものを使用しており、(MGMおよびターナー・エンターテイメント作品を含む)ヘラルド・ポニー版および現行ソフト1・2の版権は、現在ワーナー ブラザース ジャパンが担当している。
上記のLD以降に発表された新作は、基本的に現行ソフト2のキャストで統一。ただし、それ以前に発表されたテレビシリーズ2作に関しては、独自のキャスティングが行われている。
媒体/役 | トム | ジェリー | タフィー ニブルス |
スパイク (ブルおじさん) |
ブッチ | お手伝いさん | 主人 | 婦人 | 魔女 | ナレーション |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
テレビ (TBS版) |
八代駿 | 藤田淑子 | 藤田淑子 | 北村弘一 | 鹿島信哉 | 荘司美代子 | 小林清志 | 荘司美代子 | 不明 | 谷幹一 |
TVシリーズ (大行進) |
高橋和枝 | 太田淑子 | 未登場 | 植木等 | ||||||
TVシリーズ (キッズ) |
高木渉 | ならはしみき | 未登場 | 徳丸完 渡部猛 | 未登場 | 不明 | 未登場 | |||
ソフト (ヘラルド・ポニー版) |
肝付兼太 | 堀絢子 | 滝口順平 緒方賢一 玄田哲章 | 納谷六朗 | 滝沢久美子 | |||||
長編第1作 (大冒険) |
堀内賢雄 | 未登場 | ||||||||
現行ソフト1 | ダン小路 | チマ | 三沢郷 | チマ | 戸田年治 | 戸田年治 | ||||
現行ソフト2以降 | 肝付兼太 ↓ 佐藤せつじ (2016年以降) ↓ 原音版流用 | 堀絢子 ↓ 原音版流用 | 小桜エツコ 前田ゆきえ | 宝亀克寿 島香裕 ↓ 飯島肇 三宅健太 | 宝亀克寿 ↓ 西村朋紘 青山穣 | 片岡富枝 | 坪井智浩 ↓ 武田幸史 | 加藤優子 ↓ 加藤悦子 | 滝沢ロコ 定岡小百合 | 作品による |
とむとじぇりーごっこ[注釈 9] | あらたけめぐみ | 米倉あや | 田中瑛梨 | |||||||
- | TBS版 | ソフト (ヘラルド・ポニー版) | 現行ソフト2 |
---|---|---|---|
演出 | 木村絵理子 | ||
翻訳 | トランスグローバル | 岩本令 | 杉田朋子 桜井裕子 小寺陽子[注釈 10] 野口尊子 |
調整 | 阿部佳代子 | ||
編集 | オムニバス・ジャパン | ||
プロデュース | 今村敬三 (ワーナー・ホーム・ビデオ) | ||
制作 | トランスグローバル | 東北新社 | |
本項目では、1960年代までに公開された以下の短編作品群の概要に関しても記載している。
各作品の詳細や以降の作品に関しては、それぞれの記事を参照。
1930年代後半、当時アメリカのアニメーション(カートゥーン)分野ではウォルト・ディズニー・プロダクションとフライシャー・スタジオの2社がしのぎを削っており、他の映画会社が負けじとカートゥーンを手掛けはじめていた。
当時ハリウッド最大のスタジオであったメトロ・ゴールドウィン・メイヤー(以下:MGM)も例外ではなく、1937年にアニメーション部門(MGMカートゥーン・スタジオ)を設立。責任者となったフレッド・クインビー主導よる人材探しが行われ、同年までにウィリアム・ハンナとジョセフ・バーベラが他社からスカウトされ入社した[5]。
設立後、複数の作品が製作されたものの失敗に終わり、スタジオは常に不安定な状況であった。そんな中、アニメーターとして雇われていたバーベラは、自らの手で新しいカートゥーンを創るべくハンナとチームを組み、ネコとネズミを主役にした話[注釈 11]を思いつく。他のスタッフや同僚からは「ネコとネズミなんて陳腐な題材から、どれほどバラエティ豊かな作品が出来るんだ?」と嘲られ冷笑されたが、二人は「少なくとも、スタジオの他の誰よりも酷い作品を作ることはないだろう」と考え、クインビーにアイデアを持ち込む。クインビーは関心を示さなかったものの、1作のみという条件で短編アニメーションの制作を許可した[5][6]。
1940年2月10日、第1作目となる『上には上がある』が公開。トムは「ジャスパー(Jasper)」、ジェリーは「ジンクス(Jinx)」という名前であり、外見もより本物のネコとネズミに近いなど以降と異なる部分があったが、本作ですでに「猫とネズミの追いかけっこを描いたドタバタギャグ」という現在まで続く作風を確立していた[6]。また、この頃の短編アニメは、アメリカの映画館でニュース映画や予告編とともに実写映画の前に前座として上映されていたものだったため、子どものみならず大人も楽しむために作られた[7]。
作品はヒットしたものの、クインビーは「1つの籠に卵を全部入れたくない」との理由でハンナ=バーベラに「これ以上ネコとネズミの話は作らないように」と指示。二人は不本意ながら、他のアニメ製作に焦点を当てることとなる[6]。しかし、テキサス州の大物劇場経営者であるベッサ・ショートがクインビーへ「我々は、いつになったらあのネコとネズミの話の新作を上映できるのか」と尋ねる手紙を送ったことで状況は一変。シリーズ化が決定した[8]。
シリーズ化に伴いキャラクターの名前も変更されることとなり、スタジオ内でコンペを開催した結果、アニメーターのジョン・カーのアイデアで「トムとジェリー」になった。この名前に関して、バーベラは後に「特に感銘を受けることはなかったが、これくらい単純な名前の方が観客も覚えやすいだろうという結論に達した」と述べている[9]。
この直後、ハンナがMGMから離れようとする事態が発生。ハンナは入社以前、ルドルフ・アイジング(MGMと外部契約を結び『上には上がある』のプロデューサーも務めた)のスタジオで働いており、アイジングには忠誠を誓うほど慕っていたため、悩んだ末に彼のもとへ戻ろうとしたのである。だが、クインビーはアイジングと対立関係にありハンナという才能も手放したくなかったため、これを機にバーベラを含む三人で話し合いを行った結果、ハンナ=バーベラ監督、クインビー製作による『トムとジェリー』製作班がスタジオ内に独立して立ち上げられることとなった[5]。
クインビーは元から作品内容に一切干渉しない性格だったため、「君たちは君たちのやり方でやりなさい」と二人に告げた。自由な創作環境を与えられたハンナ=バーベラは、シリーズの製作に力を注ぐと同時に、生涯にわたるパートナー関係を築くこととなる[5]。
1940年から1958年まで製作。全作がテクニカラー作品。アカデミー賞受賞・ノミネート作品が多く並ぶ。全114作。
フルアニメーションと呼ばれる動きのなめらかな作画が特徴である。また、徐々にテックス・アヴェリーの作品に触発されており、テンポが速くエネルギッシュでドタバタ要素の強い作風となっている[10]。キャラクターデザインも徐々に変化し、ハンナとバーベラいわく「優雅に年を重ねる」ようにしたという[10]。
メインスタッフは、上述の経緯から監督がハンナ=バーベラ、製作がフレッド・クインビーで長年固定された[注釈 12]。1955年公開の『素敵なママ』以降はクインビーの定年退職に伴い、ハンナ=バーベラが製作も兼任している。クレジットでハンナの名前が先に来るのは、コイントスの賭けでハンナが勝ったからといわれている。
音楽は、一作を除きスコット・ブラッドリーが担当。映像のあらゆる細かい動きにタイミングを合わせてふさわしい音楽を付けていくという、緻密な構成を備えたフルオーケストラ曲をそれぞれの作品のために書いている。同じ作品内でも場面によってジャズ風からクラシック風まで曲調がめまぐるしく変化する独特の伴奏音楽は、この時期の作品群の大きな魅力の一つである。
ディズニー作品に対抗意識を持って作られた一種のディズニー短編へのパロディ作品が複数ある。第二次世界大戦時の作品には『勝利は我に』など戦時色(国威発揚)の濃い作品も見受けられ、ヒトラーらの枢軸国側を揶揄する表現も登場する。
製作予算は基本が50,000ドル(当時)ほど。通常の制作期間は約6週間で、その方法は当時の典型的なものであった。事前にスクリプトは用意せず[8]、ハンナ=バーベラの二人でアイデアを思いついた後、バーベラは絵コンテを描くことで物語を具体化、キャラクターデザインとレイアウトを提供していた。ハンナはアニメーションのタイミング調整を担当。アクションが発生するタイミングなど場面と音楽が合うよう1カットの秒数などを計画後、アニメーターにシーンを割り当て作画作業を監督した[11]。ちなみに、ハンナはトムの叫び声をはじめ多くの役で声優として出演もしていた[11]。
オープニングは実写映画と同様に「レオ・ザ・ライオン」であり、アニメ作品に使われるもの(下に“CARTOON”の文字が入る)が使用された[注釈 13]。その後、タイトルカード、サブタイトルカード、クレジット1、クレジット2が表示され本編となる。エンドカードは、基本は赤地に筆記体で「The End」の立体金文字の統一デザインとなっている。エンドカードの統一デザイン化以降、実写映画の著作権表記とエンドカードに入るMGMの社章は入らない。
1950年代になると、テレビの普及と撮影所システムの崩壊でMGMの経営は傾き始め、本作も予算は削られた。しかし人気は依然高かったことから、MGMは当初、それまでスタンダードサイズからシネマスコープ化して対抗しようとした(第一弾は1954年『いそうろう』)。だが、MGMは旧作の再公開のほうが新作よりも儲かる事実に気付いたことで、1957年にアニメーション部門の閉鎖を決定[8]。1958年8月公開の『赤ちゃんは知らん顔』が最後となった[10]。ハンナとバーベラはMGMを去って独立し、ハンナ・バーベラ・プロダクションを設立する[10]。
1961年、MGMは新作の再開を決定。チェコスロバキアの首都プラハに拠点を置くレンブラント・フィルムと契約して、ジーン・ダイッチ監督、ウィリアム・L・スナイダープロデュースによる短編シリーズを1961年から1962年まで製作した[12][13][14][15]。メトロカラー作品。全13作。
ダイッチは当初、本作のファンではなく「不必要に暴力的」だと考えていた。しかし、製作を始めると彼はすぐ「観客は誰も“暴力”を真剣に受け止めていない」「これは誇張された人間の感情のパロディーだ」と気付き、考えを改めたという[16][17]。ほとんどの作品の脚本はダイッチ自身によって書かれた[18]。順調に製作は行われたが、1962年に制作責任者のジョー・ヴォーゲルがMGMから解雇されたことを機に、契約・シリーズも終了となった[13]。
この時期のオープニングは実写映画と同じ「レオ・ザ・ライオン」で始まり、タイトルカード、サブタイトルカード、クレジットとなる。BGMは『ごきげんないとこ』で使われたものを流用。後にTBS版で使われる統一版となる(ただし『やきもちやき』はトムとジェリーのテーマのスティールパンアレンジとなり、『新カルメン物語』のみ、カルメン序曲となる)。
スタッフは、オリジナル(ハンナ=バーベラ期)の短編を一部しか見たことがない状態で製作。予算は通常が10,000ドル(当時)と厳しいもので、ハンナ=バーベラ期と比較するとアニメーションの動きはぎくしゃくしており、撮影にはモーションブラーが多用された。後年にはこれがシュルレアリスティックと評されたこともあるが、これは本来の意図でなかったという[13][16]。背景の作画は単純化され、アール・デコ風のスタイルとなった。音楽は電子音楽を多用している。
この期は冷戦の影響を大きく受けている。シリーズ中で数少ない、ラストに「メイド・イン・ハリウッド、USA」が付いていないシリーズだが、これはスタジオが当時アメリカと敵対関係にあった東側諸国のチェコスロバキアに所在したためである。また、スタジオ所在地もクレジットからは完全に省略され、チェコ出身のスタッフ名はローマ字読みに変換された[16]。
ハンナ=バーベラ期と比べ厳しい条件で作られた作品群だが、商業的には成功。製作した1961年と1962年はその年において最高の興行収入を上げた短編アニメ映画シリーズとなり、約16年間その地位にいたルーニー・テューンズを打ち負かした[14]。
後年には否定的な意見もあり、ダイッチは「チームの経験不足と低予算のために成功するチャンスはほとんどなかった。批判もよく理解している」と述べる一方、「『もっとよくできたはず』ともいわれるが、これは1960年代初頭の作品ということを理解してほしい」という趣旨のコメントもしている[19]。なお、一部のファンからは、その独特のシュールな作風が高く評価されている[20]。
ダイッチ製作分の最後の1本が公開されたあと、MGMは『ルーニー・テューンズ』などで名高かったチャック・ジョーンズを起用し、1963年から1967年まで34本の短編を製作した。メトロカラー作品。
ジョーンズは当時、1933年から30年在籍したワーナー・ブラザースのアニメーションスタジオを辞し、自らのスタジオである「シブ・タワー・12プロダクションズ」をレス・ゴールドマンと立ち上げたところだった。そのため、すべての作品にジョーンズの独特のスタイルが反映され、同時期のサイケデリックブームの影響も見られることが特徴的である。
ジョーンズは、トムとジェリーのブランドに自分のスタイルを当てはめようとした。ストーリーラインやキャラクターの個性はあまり変わらないが、トムの眉毛が太くなるなどキャラクターデザインが大きく変わった。
この期には音楽担当が3人おり、話の雰囲気や制作時期などに応じてユージン・ポダニー、ディーン・エリオット、カール・ブラントが起用されている。ポダニーは弦楽器や管楽器を中心とした明るめでメロウな曲調を、エリオットはブラスが幅を利かせた、時に軽快、時に激しい曲調の楽曲を、ブラントは金管や木管を基調としたジャズおよびロックンロール調の楽曲を得意としており、3人それぞれ強い個性を放っているが、音楽と映像がシンクロした繊細かつ流麗な劇伴音楽を書くという意味では共通している。
オープニングは以前の作品と同じ「レオ・ザ・ライオン」が使われているが、ライオンの登場する部分には後半になるとトムが現れ、それがそのままTOMの“O”になり、そのあとJERRYの“Y”の上にジェリーが降りてくる、という特殊形態となっている。。この後、サブタイトルカード、クレジット1、クレジット2となり『ルーニー・テューンズ』と同じフォーマットが採られた。
ここまでに紹介した作品は、劇場用に作られたため上映時間が6分から9分の間で一定しない。
1965年以降、ハンナ=バーベラ期の作品がCBSで放映され人気を博した。1本目はトムとジェリーの作品、2本目はドルーピーまたはクマのバーニーの作品、3本目はトムとジェリーの作品という構成であった。一部の作品では「話の途中で暗転し、コマーシャルに入り、終わると続きが始まる」というものがあった。1945年の作品は放送されていない。いくつかの作品は修正が行われ、一部の差別的、暴力的とされたシーンも編集で削られており、「こわいお手伝いさん」や「南の島」なども放送されなかった。(#論争を参照)、1972年まで放送した。放映された作品は、メリー・クリスマス、共同作戦、楽しいボーリング、命の恩人、猫はやっぱり猫でした、捨てネズミ、仲間割れ、変な魚釣り、ピアノ・コンサート、あべこべ物語、海のバカンス、透明ネズミ、なかよし、仲良し同盟、強敵あらわる、やんちゃな生徒、お掃除はこうするの、いたずらきつつき、海の底はすばらしいなど。
1975年、テレビシリーズ『新トムとジェリー』がABCにて約1年間放送。MGMとハンナ・バーベラ・プロダクションの共同制作で、再びハンナとバーベラが製作にあたることになった。テレビの暴力描写の規制のため、トムとジェリーが喧嘩をせず一緒に冒険に出るなどストーリーは大きく変わった。これ以降の短編作品群はテレビでの放送を考慮して収録時間がきっちり7分となった[注釈 14]。
1980年には『The Tom and Jerry Comedy Show』の題でテレビ向けに短編作品群が制作され、1983年までCBSで放送された。日本では『トムとジェリー大行進』内で放送。これが、MGMで制作された最後の作品となった[注釈 15]。
1986年、CNN創業者テッド・ターナーがMGMを一時的に買収し、「トムとジェリー」の権利もターナー・エンターテイメントの手に移った。それにより、以後のシリーズはターナー・ブロードキャスティング・システム系列の会社で製作されるようになった。以降、ハンナとバーベラは「エグゼクティブ・プロデューサー」として死去するまですべての作品に関わるようになった[1]。
1990年、当時の「クラシックなトゥーンキャラを大人から子供に変えて再利用する」という風潮に伴いトムとジェリーも子供バージョンが作られ、テレビシリーズ『トムとジェリーキッズ』がハンナ・バーベラ・プロダクションとターナー・エンタテインメントの製作で放送。
1992年、初の劇場版長編作品となる『トムとジェリーの大冒険』が公開。
1996年、ターナーがワーナーメディア(タイム・ワーナー)に買収されたため、以降の作品からMGM表記が完全に消滅し、ワーナー・ブラザース作品となった。
2000年、生誕60周年記念として、約34年ぶりとなる短編作品『The Mansion Cat』が公開。タイム・ワーナーとハンナ・バーベラ・プロダクションの共同制作。シリーズ初のデジタル製作で、以降の作品はすべてデジタル製作となった。日本ではカートゥーン ネットワークで2001年4月20日に初放送。
2002年、初のOVA長編作品である『トムとジェリー魔法の指輪』が発表。前年に死去したウィリアム・ハンナの遺作となった。この作品以降、アニメ制作はワーナー・ブラザース・アニメーションが行っている(ワーナー傘下となっていたハンナ・バーベラ・プロダクションは2001年にワーナー・ブラザース・アニメーションに併合された)。
2005年、空手を題材とし、劇場用短編作としては現時点で最終となる『The KarateGuard』が公開。アニー賞ノミネート。日本ではカートゥーン ネットワークで2006年1月27日に初放送。
2006年、テレビシリーズ『トムとジェリー テイルズ』がCWテレビジョンネットワークで放送。約30年振りに短編作品群の製作を再開した。全作品デジタル・ハイビジョン製作。この作品では、バーベラがエグゼクティブ・プロデューサーおよび一部作品の脚本を担当している。
2007年、OVA長編作品5作目となる『トムとジェリーのくるみ割り人形』を発表。前年に死去したジョセフ・バーベラの遺作となった[21]。以降、ハンナ=バーベラは「キャラクター創造」としてクレジットされている。
2014年、『トムとジェリー テイルズ』以来8年ぶりの短編作品シリーズ『トムとジェリー ショー』がカートゥーン ネットワークで放送された。2016年からはシーズン2(日本では『もっと!トムとジェリー ショー』と改題[22])が始まり、2021年まで続いた。同年には、OVAでは初となる短編作品『サンタの小さなお手伝いさん』が発売された。
2021年、劇場版長編第2作『トムとジェリー』が公開。本作は人間の関係を描いており、先に撮影された実写映像にアニメーションを合成する形で制作され、日本では2021年3月19日に劇場公開された[23]。
1964年のテレビ放送で初公開後、様々なメディア展開が行われている。
2020年に日本リサーチセンターが行った「第7回NRC全国キャラクター調査」では、91%の高い認知度を記録[24]。ファンの年齢層も幅広く、「3世代キャラクター」と呼ばれることもある[2]。
1964年5月13日から1966年9月27日まで、TBS系列で放送された[25]。サンスターシオノギ(サンスター歯磨=現:サンスター)の一社提供。配給と吹き替え制作はトランスグローバル。開始当初はモノクロでの放送だったが、1964年8月26日からカラー放送へと移行した[26]。
チャック・ジョーンズ期(一部)までに公開された作品を放送。最初に放送されたのは「白ネズミは人気者」、「くたびれもうけの魚釣り」、「ワルツの王様」であった。吹き替えにナレーターとして谷幹一を起用したり、各作品のオープニングはオリジナルで作成したものに統一するなど独自の編集が施されている。放送終了後も長期にわたり、全国の地方局などで再放送されていた。
1971年以降の再放送では、30分の放送枠内で『トムとジェリー』を2作品放送し、その2本の間にテックス・アヴェリー作品をはじめとする他のキャラクターを主人公としたアニメーション(通称「真ん中の話」)が1作品挿入されて放送するという放送形態になった。挿入された作品はこちらを参照。
主題歌はエンディングに使用。オープニングは実写のライオンとタイトルを使用、サンスターのCMソング『ペンギンさん』(歌:いしだあゆみ)をBGMに使用した[27]。
1990年頃に版権がトランスグローバルから権利元のターナー・エンターテイメント(当時)へ返還されたため、以降は再放送が行われずソフト化もされていない。また、それに伴い使用された吹き替えも公式な手段では視聴できない状態となっている[28]。ただし、主題歌は引き続き使用されており、各作品の邦題もこの時のものを流用している。
初回放送のみ記載。日本テレビ系列の青森放送、秋田放送、山形放送、北日本放送、および放送当時は日本テレビ系列単独加盟だった福井放送以外は当時TBS系列。
放送地域 | 放送局 | 放送日時 | 備考 |
---|---|---|---|
関東広域圏 | TBS | 水曜 19:30 - 20:00 | 制作局 |
北海道 | 北海道放送 | 水曜 19:30 - 20:00[29] | |
青森県 | 青森放送 | 日曜 18:00 - 18:30[30] | |
岩手県 | 岩手放送 | 水曜 19:30 - 20:00[29] | |
秋田県 | 秋田放送 | 金曜 18:15 - 18:45[31] | |
山形県 | 山形放送 | 水曜 18:15 - 18:45[32] | |
宮城県 | 東北放送[33] | 水曜 19:30 - 20:00 | |
福島県 | 福島テレビ[33] | 当時はオープンネット。 | |
新潟県 | 新潟放送[33][34] | ||
長野県 | 信越放送 | ||
静岡県 | 静岡放送 | ||
中京広域圏 | 中部日本放送[35] | ||
富山県 | 北日本放送 | 日曜 18:00 - 18:30[36] | |
石川県 | 北陸放送 | 水曜 19:30 - 20:00[37] | |
福井県 | 福井放送 | 日曜 19:30 - 20:00[38] | |
近畿広域圏 | 朝日放送 | 水曜19:30-20:00 | |
岡山県 | 山陽放送 | 当時の放送免許エリアは岡山県のみ。 | |
島根県 | 山陰放送 | 当時の放送免許エリアは島根県のみ。 | |
広島県 | 中国放送 | 1967年まではラジオ中国。 | |
福岡県 | RKB毎日放送 | ||
長崎県 | 長崎放送 | ||
熊本県 | 熊本放送 | ||
大分県 | 大分放送 | ||
宮崎県 | 宮崎放送 | ||
鹿児島県 | 南日本放送 | ||
琉球政府 | 琉球放送 | 当時はまだアメリカ合衆国の統治下だった。 |
1970年代後半、『新トムとジェリー』がNET系列で放送。再放送は度々行われたがソフト化はされていない。なお、日本で1992年にビデオ発売された「新トムとジェリー」は『トムとジェリーキッズ』のビデオ化であり、本作とは別物。
1980年から1981年には、日本テレビ系列『木曜スペシャル』で『おかしなおかしな トムとジェリー 大行進』として単発で放送。ここでは、TBS版で放送されず当時未公開だったチャック・ジョーンズ期の作品[注釈 16]も放送。その後、同じく日本テレビ系列で1981年から1982年までレギュラー番組として『トムとジェリー大行進』を放送した。ここまでの作品は、すべてトランスグローバルが配給を行っている。
2000年10月1日から2001年6月24日までは、日曜日の7:00から7:30にテレビ東京系列で『トムとジェリーとゆかいな仲間』が放映。配給はワーナー・ブラザース テレビジョンとアサツー ディ・ケイ(現:ADKマーケティング・ソリューションズ)。主題歌はTBS版で使われた「トムとジェリー」をそのまま使用している。放送形態が特殊で、1話目と3話目が『トムとジェリー』で、2話目に『トゥイーティー』が挿入されたり、1話目のみが『トムとジェリー』で、2話目が『チキチキマシン猛レース』で3話目が『偉大なるケンケン劇場』(Magnificent Muttley)だったり、また3話総てが『トムとジェリー』だったこともある。番組冒頭のナレーション(ナビゲーター)は長浜満里子が務めた[39]。
以降、各地方局などでレギュラー番組として再放送される際は、ソフト収録された吹き替えを使用し、チャック・ジョーンズ期までの作品を編成したものが放送されている。配給はワーナー・ブラザース テレビジョンが担当。また、OVA作品は単発で放送されることがある。その他テレビシリーズに関しては、各作品の項目を参照。
アニメ専門チャンネルのカートゥーン ネットワークでは、開局当時から頻繁に放送を行っている。放送プログラムはランダムで、DVD未収録作品も放送されるほか、吹き替えが入らない作品もまれにある。
2010年6月1日からは生誕70周年を記念してフィルム製作の作品はHDリマスター版で放送されている[40]。
2005年に放送された『トムとジェリーの大冒険』以降、不定期で長編作品とOVAも放送している。
1964年、ハンナ=バーベラ期の作品から11作をまとめて『トムとジェリーの大行進』の題で劇場公開した。配給は松竹映配。
1985年公開の『サンタクロース』などで併映作としてハンナ=バーベラ期の作品が公開されている他、長編映画2作が劇場公開されている。
2016年、OVA長編作品13作『トムとジェリー すくえ!魔法の国オズ』がローソン、HMVにてDVD独占先行販売され、ユナイテッド・シネマとシネプレックスにて劇場公開(独占記念上映)された[41]。興行収入は1320万円[42]。翌2017年には、OVA長編作品14作『トムとジェリー 夢のチョコレート工場』も劇場で公開される予定だったが、諸事情により中止となった[43]。同作には、ゲスト声優として横山だいすけが出演している。
1987年以降、日本では数多くのソフトがリリースされている。本項では、チャック・ジョーンズ期までの短編作品を中心に記載。新作などそれ以外の作品は各作品の項目を参照。
2001年以降、上記の『スペシャルBOX』と『ドルーピーといっしょ』の仕様を基にしたDVDが何度か発売されている。
1940年から1953年までの作品は日本で著作権の保護期間が終了したものと考えられており(1953年問題も参照)、複数のメーカーがパブリックドメインDVDを発売している。
そのほか、東京都練馬区の遊園地「としまえん」では、2018年度から2020年8月31日の閉園までコラボレーション企画が行われ、多数のイベントが展開されていた。園内にはトリックアートや顔出しパネル、正門には多数の風船で作られたトムの顔が設置されていた他、年間フリーパス「木馬の会」もトムとジェリーデザインのものが販売されていた。
※日本国内のみ記載。
※一作を除きすべて長編作品。
番号 | タイトル 原題 | 公開年 | 備考 |
---|---|---|---|
1 | トムとジェリー魔法の指輪 Tom and Jerry: The Magic Ring | 2002年 | ウィリアム・ハンナの遺作 |
2 | トムとジェリー 火星へ行く Tom and Jerry: Blast Off to Mars | 2004年 | |
3 | トムとジェリー ワイルドスピード Tom and Jerry: The Fast and the Furry | 2005年 | |
4 | トムとジェリーの宝島 Tom and Jerry: Shiver Me Whiskers | 2006年 | |
5 | トムとジェリーのくるみ割り人形 Tom and Jerry: A Nutcracker Tale | 2007年 | ジョセフ・バーベラの遺作 |
6 | トムとジェリー シャーロック・ホームズ Tom and Jerry Meet Sherlock Holmes | 2010年 | 作者死後初作品 |
7 | トムとジェリー オズの魔法使 Tom and Jerry and the Wizard of Oz | 2011年 | |
8 | トムとジェリー ロビン・フッド Tom and Jerry: Robin Hood and His Merry Mouse | 2012年 | |
9 | トムとジェリー ジャックと豆の木 Tom and Jerry's Giant Adventure | 2013年 | |
10 | トムとジェリーと迷子のドラゴン Tom and Jerry: The Lost Dragon | 2014年 | |
11 | トムとジェリー サンタの小さなお手伝いさん Tom and Jerry: Santa's Little Helpers | 2014年 | 唯一の短編作品 |
12 | トムとジェリー スパイ・クエスト Tom and Jerry: Spy Quest | 2015年 | 『J.Q』とのクロスオーバー作品 |
13 | トムとジェリー すくえ!魔法の国オズ Tom and Jerry: Back to Oz | 2016年 | 一部で劇場公開 第7作の続編 |
14 | トムとジェリー 夢のチョコレート工場 Tom and Jerry: Willy Wonka and the Chocolate Factory | 2017年 | |
15 | トムとジェリー カウボーイ・アップ! Tom and Jerry: Cowboy Up! | 2022年[53] | |
16 | トムとジェリー スノーマウスと雪の魔法 Tom and Jerry: Snowman's Land | 2022年 | |
※いずれもMGM作品。
1964年に発表。TBS版放送時に製作されたもので、日本オリジナルの主題歌である。作詞と作曲は三木鶏郎。歌唱は梅木マリとフォー・コインズ。
TBS版の放送終了後も、ソフトに特典映像として映像を変更した上で再収録されるなど引き続き主題歌として使用されている。
歌詞にある「なかよくケンカしな」は、「トムとジェリー」を象徴するフレーズとして公式をはじめ様々な場で使用されている[2][3][45]。
最初に発売されたのはソノシートのみ。その後、以下のCDアルバムに収録されている。
2019年、翌年の誕生80周年記念の一環として、日本初となる音楽劇『トムとジェリー 夢よもう一度』が公演された。ワーナー・ブラザース監修のもと、『夢よもう一度』を基した作品である[55]。
1953年(昭和28年)12月31日までの作品は日本で著作権の保護期間が終了しており、これまでに非公式の廉価版ソフトが以下をはじめとする複数のメーカーから発売されている。
1954年(昭和29年)1月1日以降の作品は、すべて日本で著作権の保護期間中である。
過去作品は、現在の観点では不適切とされる描写があると批判されることがある。
第1作『上には上がある』から頻繁に登場していた黒人であるお手伝いさんに関しては、全米黒人地位向上協会による「ステレオタイプな黒人描写」との批判を受けたため、1952年公開の『人造ネコ』を最後に登場しなくなった[4]。ただし、黒人当人だった担当声優のリリアン・ランドルフはこの件に「大切な持ち役を失う」と激怒したといい、ハンナとバーベラは登場しなくなった経緯に関して「彼女はテレビに出演するため役を降板したが、声優の変更は考えられずキャラクターの登場自体をやめた」と述べている[4]。
ハンナ=バーベラ期の作品は1965年にCBSでテレビ初放送された際、チャック・ジョーンズ期のスタッフによって「お手伝いさんの登場場面をマスク処理で白人女性に描き直し、ランドルフによるステレオタイプな黒人訛りの声もジューン・フォーレイによるアイルランド訛りの声に差し替える」などの作業を行っていた[56]。また、必要以上に暴力的と判断された場面の修正も行われている。そのため、複数の作品は初公開版と修正版の2種がある。近年の再放送は、カットされるかオリジナルを尊重して修正前の映像が使われることが多い。また、黒人のお手伝いさんに関してはオリジナルが復活しているが、声はテア・ヴィデールによって新たに録りなおしたのものが使われている。
2006年、イギリスの子供向けテレビチャンネルで放映された際は、喫煙シーンが視聴者からの苦情を受けてカットされることになった[57]。
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Every time you click a link to Wikipedia, Wiktionary or Wikiquote in your browser's search results, it will show the modern Wikiwand interface.
Wikiwand extension is a five stars, simple, with minimum permission required to keep your browsing private, safe and transparent.