1966年のテレビ(1966ねんのテレビ)では、1966年(昭和41年)の日本におけるテレビジョン放送全般の動向についてまとめる。
この年は、電電公社のテレビネット回線のカラー対応の高規格化整備が奄美地域を除く全国に於いて3月20日に完了し、これにより、全国のカラーテレビジョン放送のネット中継網が完成した[1][2]。これを受け、国内の数多くの地方局で、カラー放送が相次いで開始された。NHKでは同日に、一部の離島を除き、総合及び教育テレビのカラー放送が全国で観れるようになり[3]、地方の民放局でもカラー放送未実施の局が、相次いでそれを開始。10月には、NHK総合テレビと日本テレビにおいて、ニュースのカラー放送が始まり、カラーフィルムを使った報道取材を開始。放送業界のこれらの動きにより、カラーテレビの普及に弾みがかかるようになる。
また民放のネットワークも、TBSをキー局とするJNNに続き、この年の4月に日本テレビ系・NNN、10月にフジテレビ系・FNNがそれぞれ発足した。
TBSがこの年の年間視聴率で、ゴールデンタイム(19〜22時)において首位となる(1963年から4年連続)。また、NHKはこの年の年間視聴率で、全日帯(6〜24時)において首位となる(こちらも1963年から4年連続)。
- 1月
- 2日
- 3日 - 日本テレビが月 - 土曜18時台の編成をこの月から大幅に変更、それまで18時15分 - 18時45分に放送されていた箱番組枠を18時00分 - 18時30分に繰り上げ、18時00分 - 18時10分の帯番組を18時35分 - 18時45分に繰り下げ、そして18時10分 - 18時15分のミニ番組枠は18時30分 - 18時35分に移動し、ヤンマー一社提供の『ヤン坊マー坊天気予報』を、関東地区で初めて開始する。
- 23日 - NET(現・テレビ朝日)系で、ドラマ『氷点』開始。朝日新聞1000万円懸賞小説当選作。原作は三浦綾子。新珠三千代、芦田伸介、内藤洋子らが出演。殺人事件の犯罪者の娘を、娘を殺された被害者夫婦が養女として育てる「汝の敵を愛せ」は実践できるか、という衝撃的な内容にもかかわらず、娘の秘密が明らかになる最終回(4月17日)の視聴率は42.7%(ビデオリサーチ関東地区)を記録するほど人気に。
- 25日 - 日本テレビ、大相撲中継を初場所をもって中止。
- 31日 - NET系『ただいま正午 アフタヌーンショー』の司会に桂小金治を起用、『桂小金治アフタヌーンショー』としてリニューアル。小金治は持ち前のショーマンシップを発揮し「怒りの小金治」という異名をとる。また田村魚菜や浪越徳治郎らによるヒット企画も連発。劣勢だった番組を人気番組とした。
- 2月
- 3月
- 4月
- 1日
- 4日
- 東京12チャンネル、経営再建のため放送時間を5時間30分に短縮。通信制工高講座中心となる。200人の人員整理なども実施。
- NHK、新年度の番組編成を開始。
- 日本テレビ系で、「明治百年」関連風刺バラエティ番組『気まぐれ百年』の放送を開始するが、わずか4回( - 同年5月3日)で打ち切られる。
- 5日 - 日本テレビ・よみうりテレビ系『11PM』の金曜日の新司会者に、放送作家でジャズ評論家の大橋巨泉がこの日から就任した。「野球は巨人、司会は巨泉」のフレーズで巨泉が司会者として活動するきっかけとなり、1985年9月に降板するまで番組の顔として親しまれた。
- 7日、NHK総合で『ふるさとの歌まつり』開始。司会は宮田輝(NHKアナウンサー、当時)( - 1974年3月28日)。
- 10日 - NHK総合で、 イギリスの空想冒険人形劇『サンダーバード』を日本初放送( - 1967年4月2日)。[8]
- 17日 - NHK総合で放送されている「NHK競馬中継」が、この日に放送された「皐月賞」(中山競馬場)の中継から、カラー放送となる。[9]
- 5月
- 6月
- 7月
- 9月
- 16日 - TBSがGスタジオに、オランダ・フィリップス社製の最新型プランビコン式カラーカメラ(型番:PC-60)4式を日本で初導入。それまでのカラーカメラに比べ、大きさ、重さ共に約3分の1となり、かつ美しい自然な画質と安定した性能を持ったのが功を奏し、これを契機に、同局がスタジオカラーカメラでの本格的な番組制作を開始する様になる。[17][18]
- 29日 - TBS系の視聴者参加型音楽番組『10人抜きのど自慢』が、4年の幕を降ろす[19]。
- 10月
- 11月
- 12月
(※関東地区、ビデオリサーチ調べ)
- 第17回NHK紅白歌合戦(NHK総合、12月31日)74.0%
- プロボクシング・世界バンタム級タイトルマッチ「ファイティング原田×エデル・ジョフレ」(フジテレビ、5月31日)63.7%
- ザ・ビートルズ日本公演(日本テレビ、7月1日)56.5%
- 連続テレビ小説 おはなはん(NHK総合、9月19日)56.4%
- ニュース(NHK総合、12月31日 21:00-21:05)55.9%
- プロボクシング・世界フライ級王座決定戦「ホラシオ・アカバロ×高山勝義」(フジテレビ、3月1日)50.7%
- てなもんや三度笠(TBS、10月2日)49.4%
- ゆく年くる年(NHK総合、12月31日)47.9%
- スタジオ102(NHK総合、2月5日 7:30-8:00)47.4%
- ニュース(NHK総合、2月5日 8:00-8:15)46.7%
- ニュース(NHK総合、4月26日 7:00-7:15)46.2%
- スター千一夜「王貞治・小八重恭子」(フジテレビ、12月2日)45.9%
- 統一スト現場中継(NHK総合、4月26日 7:15-7:35)45.5%
- ザ・ガードマン(TBS、9月23日)44.7%
- カメラリポート(NHK総合、6月28日)44.4%
-
- そっくりショー(日本テレビ、2月8日)43.9%
- 氷点(NETテレビ、4月17日)42.7%
- 三菱ダイヤモンドアワー・プロレスリング(日本テレビ、5月13日)41.9%
テレビドラマ
- NHK
- 日本テレビ
- TBS
- フジテレビ
- NETテレビ
子供向けドラマ
- 日本テレビ
- TBS
- フジテレビ
- NETテレビ
「NHK大河ドラマ大全 50作品徹底ガイド」(NHK出版、2011年)81頁。
日本放送協会総合放送文化研究所放送史編修部『NHK年鑑'66』日本放送出版協会、1966年、50頁。
このうち『あけてくれ!』は放送されなかったが、1967年12月24日に再放送で第28話として初放送された。
朝日新聞 1966年4月17日 朝刊P.9 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチで閲覧)
現在『笑点』の開始5分前に放送されているミニ番組『もう笑点』で、死去前日の2018年7月1日放送分まで出演した。なお、没後に生前の功績を称え「永世名誉司会」の称号を与えた。
株式会社東京放送『TBS50年史』株式会社東京放送、2002年1月、254頁。
株式会社東京放送『TBS50年史 資料編』株式会社東京放送、2002年1月、338頁。
日立グループが提供を参加するのは放送開始から6年半後の1973年4月から。
日本テレビ50年史編集室(編集)『テレビ夢50年 番組編2 1961〜1970』2004年、22頁。
フジテレビ系は1971年より『ゆく年くる年』に参加。ちなみに当時、フジテレビの時報スポンサーはリズム時計工業(CITIZENブランド)だった。
札幌地域のみでの開始。道内の全局カラー化の完成は、翌年の12月21日。
札幌地域のみでの開始。道内の全局カラー化の完成は、1968年。
RKB毎日放送株式会社社史編纂小委員会 編『放送この十年 RKB毎日放送創立30周年記念』RKB毎日放送、1981年12月15日、191頁。NDLJP:12275378/118。
「青森放送二十五年史」245頁『第五章 ラ・テ兼営時代』から。
朝日新聞 1966年12月15日 名古屋版朝刊 P.9 テレビ欄 番組表 及び 記事「名古屋テレビ カラー放送開始記念」(朝日新聞クロスサーチにて閲覧)
1984年4月まで18年にわたり放送され、大川版終了後も、同じくフジテレビで北大路欣也主演で数回制作されている(これ以外にも、大川版終了から3年後の1987年には日本テレビで風間杜夫主演で制作された。また2004年にはテレビ朝日で村上弘明主演で制作された)。
朝日新聞 1966年6月6日 朝刊9ページ テレビ欄(朝日新聞クロスサーチで閲覧)
朝日新聞 1966年4月10日 朝刊9ページ テレビ欄(朝日新聞クロスサーチで閲覧)
朝日新聞 1966年4月6日 朝刊9ページ テレビ欄(朝日新聞クロスサーチで閲覧)
朝日新聞 1966年5月15日 朝刊9ページ テレビ欄(朝日新聞クロスサーチで閲覧)
1966年10月28日 朝日新聞朝刊 P.9 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチで閲覧)
1966年11月5日 朝日新聞朝刊 P.9 テレビ欄(朝日新聞クロスサーチで閲覧)
朝日新聞 1966年4月8日 朝刊9ページ テレビ欄(朝日新聞クロスサーチで閲覧)
朝日新聞 1966年12月20日 朝刊9ページ テレビ欄(朝日新聞クロスサーチで閲覧)