上野駅
東京都台東区にある東日本旅客鉄道・東京地下鉄の駅 ウィキペディアから
東京都台東区にある東日本旅客鉄道・東京地下鉄の駅 ウィキペディアから
上野駅(うえのえき)は、東京都台東区上野七丁目および東上野三丁目にある、東日本旅客鉄道(JR東日本)・東京地下鉄(東京メトロ)の駅である。
1883年(明治16年)に日本鉄道の駅として開業。山手線北東部のターミナル駅であり、北関東や東北地方・北陸地方へ至る列車が数多く集結することから、古くから東京の北の玄関口として機能してきた[1]。
1925年(大正14年)の東北本線電車線(現在の京浜東北線)東京駅延伸までは東京市内から北へ向かう路線の正式な起点であったほか、1928年(昭和3年)の東北本線列車線東京駅延伸まで、および1973年(昭和48年)から2015年(平成27年)までの東京駅 - 上野駅間列車線分断期間は東北本線(東北線、1990年〈平成2年〉以降は宇都宮線)・高崎線や常磐線の実質的な起点となる駅で、上野駅から北へ向かう多数の寝台列車や急行列車が発着していた。1927年(昭和2年)に開業した東京地下鉄道(現:東京メトロ銀座線)浅草駅 - 当駅間は東洋初の本格的な地下鉄路線として知られる。
1991年(平成3年)に東北新幹線が東京駅まで延伸、さらに2015年(平成27年)に上野東京ラインとして東京駅 - 上野駅間の列車線が復活したことでそれまで当駅止まりだった宇都宮線・高崎線・常磐線が東京駅を経由して東海道本線(東海道線)に直通運転を行うようになり、当駅は通過駅としての側面が強まった。在来線は全定期列車が停車するが、新幹線については東京駅に至近であることから、各路線の最速達列車を中心に当駅を通過する列車も存在する[注 1]。寝台列車も次々と廃止となり、現在では団体専用列車の「カシオペア紀行」「TRAIN SUITE 四季島」が不定期に発着するのみとなっている。
南側の御徒町駅方面にJRの高架に沿ってアメヤ横丁(通称:アメ横)と呼ばれる商店街が位置しており、駅周辺は繁華街が広がる。山手線の繁華街の中でも今なお下町情緒を残す。駅西側には広大な面積をもつ上野恩賜公園(上野公園)が所在しており、公園内には東京国立博物館などの複数の著名な博物館・美術館や恩賜上野動物園、不忍池が位置し、これらを目当てに国内外から多くの観光客が訪れる。
当駅は、JR東日本の新幹線と在来線各線、および東京メトロの路線が乗り入れている。
新幹線は、線路名称上は東北新幹線のみであるが[2] 、東北新幹線経由で上越新幹線、北陸新幹線、北海道新幹線、山形新幹線、秋田新幹線が乗り入れている。JR東日本の在来線に関しても、線路名称上は東北本線のみであるが[2]、以下のように多岐にわたる各線が乗り入れている。
JR東日本公式サイトにて記載されている当駅の「所属路線」は、京浜東北線、常磐・成田線、常磐線、高崎線、東北本線、山手線、秋田新幹線、上越新幹線、東北新幹線、北陸新幹線、山形新幹線の11路線となっている[3]。なお、スリーレターコードとして「UEN」が付与されている。
原則として各系統毎に専用の線路が割り当てられているが、宇都宮線・高崎線と常磐線の一部列車は線路を共有している。これは上野東京ラインの開業に伴い、常磐線が乗り入れるために平面交差を行うようになったためである。
日本鉄道は上野 - 熊谷間の開業に先立ち、1882年(明治16年)11月に寛永寺の子院跡約29,800坪(約98,512平方メートル)を東京府より借り受けて上野駅の用地とした。1883年(明治16年)7月28日に同線の仮開業に伴い上野駅を開設し、8月から貨物、10月より郵便物の取り扱いを始めた。1884年(明治17年)6月28日に仮駅舎で開業式が行われ、1885年(明治18年)に煉瓦造りの237坪(約783m2)の本駅舎が竣工した。この初代駅舎は三村周が設計、毛利重輔が監督を行い、中央の平屋部分に出札広場とコンコース、両翼に待合室を設置したH型平面の構造で、当時の汐留駅や横浜駅を踏襲した形となっている[5]。
1885年(明治18年)に大宮駅から宇都宮駅に至る区間が開通すると、上野駅は東京側のターミナルとして繁盛した。当初は1つの駅構内に旅客・貨物・車両基地の機能を併設していたが、次第に鉄道輸送の需要が伸びると構内が手狭になった。駅周辺の道路が狭隘で、旅客を輸送する馬車鉄道や貨物を輸送する大八車が輻輳したために、旅客と貨物の機能を分離することが計画された。1890年(明治23年)11月1日に南方に地上の貨物線を開通させ、新たに設置された秋葉原貨物取扱所へ貨物取扱を移転した。1896年(明治29年)12月25日に開業した隅田川駅にも荒荷の扱いなどを分散移転して、上野駅は12月1日に旅客専用駅となった[2]。1900年(明治33年)に日本鉄道が駅前広場に110坪(約364平方メートル)で2階建ての上野待合店を建設し、飲食店、喫茶店、雑貨販売店、理髪店などが入居したが、1922年(大正11年)に撤去された[6]。
1905年(明治38年)4月1日に常磐線の三河島 - 日暮里間が開通し、それまで田端駅で折り返して運転していた常磐線の列車が直接上野駅へ乗り入れた。この年に新橋 - 上野間の高架旅客線の建設とそれに伴う上野駅の改築が決議されている。1906年(明治39年)に、日本鉄道の国有化に伴い上野駅も国有化され、1909年(明治42年)10月に秋葉原 - 上野 - 青森間が東北本線と定められた。12月16日に山手線の烏森 - 品川 - 新宿 - 池袋 - 田端 - 上野間で電車の運転が開始され、上野駅はその一方の端となった。
上野駅の利用者は増加を続け、1917年(大正6年)の駅構内は事務所9棟、倉庫10棟、その他売店などが44棟が立ち並んでいた[7] 。1923年(大正12年)9月1日の関東大震災で初代駅舎が焼失し、23日に仮駅舎で営業を再開した[8]。1923年から鉄道省東京改良事務所が上野駅周辺の改良工事を開始し、1925年(大正14年)3月1日に東京駅 - 上野駅間の東北本線電車線が開通。現在の京浜東北線に当たる路線が接続された。併せて上野駅と新橋駅とを結ぶ高架旅客線が開通して山手線の環状運転が始まり、東京の都市内交通である山手線と、東北・常磐・高崎など長距離幹線を接続する駅として機能した。また、1928年(昭和3年)には現在のJR宇都宮線にあたる東北本線列車線の上野駅 - 東京駅間が開通し、東京の都市内交通の電車だけでなく、列車も含めて東北本線の途中駅となった。
1930年(昭和5年)3月1日に地鎮祭が行われて改築工事が始まり[8]、1932年(昭和7年)4月2日に2代目の駅舎が落成、5日から営業を開始した[8]。この駅舎は利用者の安全を配慮して、乗車客は1階の車寄せから列車ホームへ、降車客は地下1階の車寄せへ、それぞれの動線が設計された。外壁は多胡石と小松石の砕石が入ったモルタル塗りで、臍壁は花崗岩が用いられた。本屋の中央に設置した30×20.3×13.25メートルの広間空間が構造上の特徴で、正面玄関の機能を有し、2階部に業務エリアの移動のための回廊が設けられていた[9]。秋葉原の貨物取扱設備が高架上に移転したことを受け、東西交通を遮断するなど難点が多かった地上の貨物線は、駅舎完成後の7月1日に廃止されている。
過去においては代表的な帰省客の玄関口であり、1965年(昭和40年)の例では8月10日から8月14日までの5日間に約90万人が利用した。お盆や年末年始の多客時には押しかける乗客を駅構内だけではさばききれず、駅舎に隣接して大型テントを連接したテント村を設営。待機列を整理、誘導する時代が続いた[新聞 1]。
JR 上野駅 | |
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公園口(2020年6月) | |
うえの Ueno UEN | |
所在地 | 東京都台東区上野七丁目1-1 |
所属事業者 | 東日本旅客鉄道(JR東日本) |
電報略号 | ウエ←ウヱ |
駅構造 | |
ホーム |
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乗車人員 -統計年度- |
(新幹線)-2023年- 11,559人/日(降車客含まず) (合計)-2023年- 162,555人/日(降車客含まず) |
開業年月日 | 1883年(明治16年)7月28日 |
乗入路線 | |
所属路線 |
■東北新幹線 (■山形新幹線・■秋田新幹線・北海道新幹線・上越新幹線・北陸新幹線直通を含む) |
キロ程 | 3.6 km(東京起点) |
所属路線 |
■宇都宮線・高崎線[* 1] (東北本線列車線) |
駅番号 | JU02 |
キロ程 | 3.6 km(東京起点) |
所属路線 |
■京浜東北線[* 1] (東北本線電車線) |
駅番号 | JK30 |
キロ程 | 3.6 km(東京起点) |
所属路線 |
■山手線[* 1] (東北本線電車線) |
駅番号 | JY05 |
キロ程 | 3.6 km(東京起点) |
◄JY 06 鶯谷 (1.1 km) (0.6 km) 御徒町 JY 04► | |
所属路線 | ■■常磐線(快速) |
駅番号 | JJ01 |
キロ程 | 日暮里から2.2 km |
備考 | |
中央改札上に1951年(昭和26年)展示の猪熊弦一郎作の壁画『自由』があり、当駅を代表する光景ともなっている(1951年〈昭和26年〉12月製作[8]、1984年〈昭和59年〉6月修復、2002年〈平成14年〉12月修復)。下部にLED式発車標が設置され、新幹線開業前は、東北・奥羽・磐越西線は緑(杜の都・仙台をイメージ)、高崎・上越線は黄(越後平野の稲穂をイメージ)、高崎・信越線はピンク(信州のりんごをイメージ)、常磐線は青(太平洋の海をイメージ)、東北新幹線大宮開業時に設定された「新幹線リレー号」はクリーム色と、方面別に色分けされた木製の発車案内板が使用され、ホームにも後から幕式の発車標が設置されていた。
グランドコンコースの中央改札内に朝倉文夫作のブロンズ像『つばさの像』、改札外広小路口に朝倉作の『三相』がある。『つばさの像』は1958年(昭和33年)10月10日に初の東北特急「はつかり」運転開始と駅開業75周年を記念して台東区が寄贈したもので、当初は広小路口に設置された。『三相』は、1958年(昭和33年)10月10日に駅開業75周年記念式に列席した朝倉が、駅が朝倉自身と誕生を同じくしていることを知り、深く喜懌になり、記念に台東区を通じ贈られたもので、三相は知、情および意である。券売機上壁面に、東北上越新幹線上野駅開業を記念して制作された平山郁夫原画・制作のステンドグラス『ふる里日本の華』(1985年〈昭和60年〉)がある。豊かな水と緑を背景に四季折々の美しさを屏風絵ふうに配し、沿線各地の代表的な花・まつり・風物をあしらいふる里への思いを表現した、きわめて日本的なモチーフと構成に特徴がある。
バブル期に磯崎新設計による地上300.3メートルの超高層駅ビルに建て替える構想があったが、1992年(平成4年)にJR東日本は「この高さでは効率的な利用ができない」として計画の見直しを発表した[新聞 12]。
コンコースは、地上と(旧)公園口通路(3階南側。かつて公園口改札が西端にあったためそう呼ばれていたが、後述の通り公園口が移転され、その頃から公園口通路とはあまり呼称されなくなった)、大連絡橋通路(3階北側)、大連絡橋連絡通路(公園口通路と大連絡橋通路を連絡する)、新幹線地下コンコース(地下)がある。新幹線コンコースは、地上の中央改札から入場して右側の新幹線改札を経て向かう。
改札は、中央改札(1階)、不忍改札(中2階)、公園改札(3階・大連絡橋通路西端)、入谷改札(3階・旧公園口通路東端)の計4か所である。このうち、不忍改札と公園改札にはお客さまサポートコールシステムが設置されており、一部の時間帯はインターホンによる案内となる[25]。かつては、期間・時間が限定された臨時改札として、Suica専用(簡易Suica改札機設置)の公園臨時改札があったが[報道 19]、2020年(令和2年)3月20日に新しい公園口駅舎が供用開始され、公園改札が(旧)公園口通路西端から大連絡橋通路西端の公園臨時改札跡地へ移設された[報道 18]。改札内改札として先述の新幹線改札があり、以前はそれに加え、在来線特急乗換(16・17番線入出場)改札が地上および3階にそれぞれあったが、元々寝台特急は13番線などを利用していたほか、2014年(平成26年)3月15日のダイヤ改正から高崎線特急が14・15番線に、2015年(平成27年)3月14日の改正(上野東京ライン開業)から常磐線特急のうち東京方面に乗り入れる列車が8・9番線を発着するようになり、特急列車の発着ホームが分散されたため、2015年(平成27年)3月13日をもって廃止され、自由に出入りできるようになった(8・9・14・15番線ホーム上に高崎・常磐線の当日分専用指定席券売機が設置された)。
出口は、地上の中央改札正面の「広小路口」「正面玄関口」や同左手の「浅草口」、中2階の不忍改札からは地上の「不忍口」「山下口」、3階の入谷改札からは2階の「東上野口」、3階の「パンダ橋口」、地上の「入谷口」などが利用できる。同じく3階の公園改札からは3階の「公園口」に直結していて、上野恩賜公園へ歩行者空間が直結されている(公園改札移転と同時に外の広場も再整備され、駅舎と公園の間に通っていた車道を南北でそれぞれロータリー化して分断し、歩行者空間が作られた)。正面玄関口および広小路口の出口からは、国道4号(日光街道)などを跨ぐ歩道橋が利用できる。2000年(平成12年)10月には、駅を東西に跨ぐように「上野駅東西自由通路」(長さ220メートル、幅20メートル)が架けられ[19]、自由に歩くことができようになり、2001年(平成13年)に、愛称が「パンダ橋」に決まり、2002年(平成14年)に橋の西端下に「パンダ橋」と彫られた、高さ1.3メートル、幅2.5メートルの稲田石(白御影石)の石碑が建てられた。駅構内にはジャイアントパンダの像が2つあり、実物の倍の大きさはある巨大なジャイアントパンダ像はパンダ橋口を出て右の所に、もう一つの小パンダ像は、大連絡橋コンコースにあったが、2017年(平成29年)12月に小パンダ像も大パンダ像のある場所に移設された。
京成電鉄の京成上野駅へは不忍口を出るように案内サインが設置されている。JRと京成線の連絡は、山手線・京浜東北線で北側に2駅進んだ日暮里駅が通常利用されている。上野駅と京成上野駅の両駅を連絡駅とした定期券は発売している[26]。
地下鉄各線の連絡は、中央改札近くにある階段・エスカレーターを利用するルートが主だが、入谷改札からの動線も案内されている。
在来線のトイレは中央改札口入って正面にある駅弁店・土産物店(洋菓子)の裏側(地上。頭端式ホーム14・15番線ホームおよび16・17番線ホームの延長線上)、3・4番線ホームへの階段と5・6番線ホームへの階段との間(中2階コンコース)、9・10番線ホームと11・12番線ホームとを連絡する箇所(2階)、公園口改札前(3階)、エキュート上野内1階に直結するエスカレーターの向かい側(3階)の計5か所である。なお、2020年(令和2年)3月の公園口駅舎移設後の同年6月17日に公園口改札外(2階)が供用開始されたが[報道 20][注 9]。
2009年(平成21年)3月16日に、上野中央通り地下駐車場および周辺のJR上野駅・御徒町駅、東京メトロ上野駅・上野広小路駅・仲御徒町駅、京成上野駅、都営上野御徒町駅、を結ぶ地下通路が、東京都の整備で供用開始された。この8駅と上野駅は同一駅として扱わないが、東京メトロ上野駅、京成上野駅は定期券の連絡駅として扱う[26]。
東北新幹線の開業に伴い並行在来線の特急列車の大半が廃止されたため、地上ホームの19・20番線が廃止され、長野新幹線開業後の1999年(平成11年)9月には18番線も廃止された。跡地の東京方と東上野口・入谷口には2006年(平成18年)7月19日からフィットネスクラブのジェイアール東日本スポーツ(現・JR東日本スポーツ)が入居している。ホーム中央付近も途中まで取り壊されたが、日暮里方はホームがほぼ原型を留めたままで社員専用通路として使用されている(19番線側に建てられた事務室へ行き来するのに使用)のが、他のホームから確認できる。
東北新幹線開業以前は、北関東、東北・信越・北陸方面へ向かう東北本線、日光線、磐越西線、奥羽本線、高崎線、両毛線、上越線、信越本線、吾妻線、羽越本線、常磐線の各特急・急行など長距離優等列車が数多く発着していたが、新幹線開業のため並行在来線の優等列車は次第に廃止となり、地上ホームは削減されて跡地が新幹線ホームへ向かうコンコースとなり、現在は中距離電車が増発されて、発着列車の大半が宇都宮線、高崎線、常磐線の北関東方面へ向かう近郊・中距離電車となっている。
当初、高架ホームは常磐線各列車主体に使用され、高架ホームを発着する東北・上信越方面各列車はごく一部であった。地平ホームは、常磐線列車の発車が無く東北・上信越方面各列車の専用であった。特急・急行列車が増発されて中距離通勤客が増加すると、地平ホームは特急中心に、高架ホームは各線普通列車中心にそれぞれ運用され、上野東京ライン開業直前の時期は宇都宮線と高崎線の普通列車は5 - 8番線の高架ホームと13 - 15番線の地平ホームのいずれかに、常磐線の普通列車は9・10番線、快速電車は11・12番線に発着したが、9番線に到着する宇都宮線・高崎線列車、8番線や地平ホームに到着する常磐線普通列車もわずかに存在した。以前は8番線発の常磐線列車や9番線発の高崎線列車もあった。
戦後は周辺地域で地下水利用が多く、地盤沈下が発生して周辺の地下水利用が制限されている。地下30メートルに位置する新幹線ホーム周辺の地下水は、建設前の1970年代初期はホームより低い地下38メートルの水位にあったが、地下水の採取規制により余剰となり[27]、1995年(平成7年)には地下14メートルまで水位が上昇した。浮き上がりによる駅構造の変形を防ぐため、新幹線ホームの床下に合計3万7000トンの錘を設置した[27]。2004年(平成16年)には水位が地下12メートルまで上昇したのを受け、全長17メートルのアンカーボルトを、東京駅の横須賀線・総武快速線ホームの約5倍となる約650本陥入した[新聞 13]。地下水を不忍池へ流す導水管も敷設され、不忍池の水質と水量保持、JRの下水道料金負担軽減など波及効果も得た[新聞 14]。隙間からの漏水は対策が難しいため、ビニールチューブで誘導するなど安価な手法で対処している[27]。
同一駅に3種類のホームがある。
番線 | 路線 | 方向 | 行先 | 備考 |
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在来線 高架ホーム | ||||
1 | 京浜東北線 | 北行 | 赤羽・浦和・大宮方面[28] | |
2 | 山手線 | 内回り | 田端・池袋・新宿方面[28] | |
3 | 外回り | 秋葉原・東京・浜松町・品川方面[28] | ||
4 | 京浜東北線 | 南行 | 蒲田・川崎・横浜・関内方面[28] | |
5・6 | 宇都宮線 | 下り | 赤羽・大宮・宇都宮・高崎方面[28] | 品川・東京方面からの列車。主に5番線を使用する。 早朝・深夜の始発列車(一部7番線)。 |
高崎線 | ||||
6 | ■ 常磐線(快速) | 松戸・取手・水戸・成田方面[28] | 品川駅始発の快速電車・中距離列車。 | |
■ 成田線 | ||||
7・8 | 上野東京ライン | 上り (南行) |
東京・品川・横浜・小田原・熱海方面[28] | 大宮方面から(一部当駅始発)の列車。主に7番線を使用する。 |
8 | ■ 常磐線(特急) 「ひたち」「ときわ」 |
下り | 柏・土浦・水戸・いわき方面[28] | 品川駅始発の特急列車。 |
8・9 | 上野東京ライン | 上り (南行) |
東京・品川方面[28] | 常磐線からの品川行き(特急含む)。主に9番線を使用する。 |
9 - 12 | ■ 常磐線(快速) | 下り | 松戸・取手・水戸・成田方面[28] | 上野駅始発の快速電車・中距離列車。 |
■ 成田線 | ||||
在来線 地平ホーム | ||||
13 | 宇都宮線 | 下り | 赤羽・大宮・宇都宮・高崎方面[28] | 平日朝の到着列車、夜の宇都宮線始発1本のみ |
高崎線 | ||||
14 - 16 | 宇都宮線 | 早朝深夜の一部を除く、上野駅始発列車 一部の常磐線終着列車も使用 | ||
高崎線 | ||||
(専用ホーム) [注 13] |
「TRAIN SUITE 四季島」 | (東北本線・高崎線・常磐線方面) | 「新たな旅立ちの13.5番線ホーム」 (発着時以外は常時閉鎖) 13番線と線路を共用 | |
16・17 | ■ 常磐線(特急) 「ひたち」「ときわ」 |
柏・取手・土浦・水戸方面[28] | 16番線は9:00発「ひたち5号」、17番線は8:30発「ときわ53号」のみ | |
新幹線 地下ホーム | ||||
19・20 | 東北・山形・秋田・北海道・上越・北陸新幹線 | 下り | 新青森・秋田・新庄・新潟・敦賀方面[28] | 東北・山形・秋田・北海道新幹線は全定期列車20番線 上越・北陸新幹線は主に19番線 |
21・22 | 新幹線 | 上り | 東京方面[28] | 22番線は一部上越・北陸新幹線の列車が発車 |
1960年代までは、5番線から20番線までのホームは通勤列車(出典ママ)と長距離列車が入り乱れて発着する状態にあった。1969年(昭和44年)12月27日から1970年(昭和45年)1月1日の間、帰省客の便宜を図るために上野駅着の通勤列車を大宮駅または日暮里駅で折り返し運転として、長距離列車の発着ホームを行き先別に整理する取り組みが行われた[新聞 15]。このことが契機となって、1970年代以降、発着ホームが行き先別に固定化された。
時期 | 高架1番線 | 高架2番線 | 高架3番線 | 高架4番線 | 高架5番線 | 高架6番線 | 高架7番線 | 高架8番線 | 高架9番線 | 高架10番線 | 高架11番線 | 高架12番線 | 地上13番線 | 地上14番線 | 地上15番線 | 地上16番線 | 地上17番線 | 地上18番線 | 地上19番線 | 地上20番線 | 地下19番線 | 地下20番線 | 地下21番線 | 地下22番線 |
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不明 - | ■京浜東北線(北行) 王子方面 |
■山手線(内回り) 池袋方面 |
■山手線(外回り) 東京方面 |
■京浜東北線(南行) 蒲田方面 |
■宇都宮線・高崎線 大宮方面 |
■宇都宮線・高崎線 大宮方面 ■宇都宮線「ホームライナー古河」 ■高崎線「ホームライナー鴻巣」 ■常磐線 土浦方面(一部) |
■常磐線 土浦方面 ■宇都宮線・高崎線 大宮方面(一部) |
■常磐線 土浦方面 |
■常磐線(快速) 松戸方面 |
■寝台特急「カシオペア」 「北斗星」「あけぼの」 ■宇都宮線・高崎線 大宮方面 |
■宇都宮線・高崎線 大宮方面 |
■高崎線特急「あかぎ」「ウィークエンドあかぎ」 「草津」「水上」 ■常磐線特急「スーパーひたち」「フレッシュひたち」 |
■常磐線特急「スーパーひたち」 「フレッシュひたち」 |
新幹線の改札 | 東北・山形・秋田・ 上越・長野新幹線 新青森・新潟・長野方面 |
新幹線 東京行 | ||||||||
2014年 3月15日 - |
■宇都宮線・高崎線 大宮方面 |
■常磐線 土浦方面 |
■宇都宮線・高崎線 大宮方面 ■高崎線特急「あかぎ」 「スワローあかぎ」「草津」 |
■常磐線特急「スーパーひたち」「フレッシュひたち」 | ||||||||||||||||||||
2015年 3月14日 - |
■宇都宮線・高崎線 大宮方面 |
■宇都宮線・高崎線 大宮方面 ■■常磐線・常磐線(快速) 松戸方面 |
■上野東京ライン 横浜方面 |
■常磐線特急「ひたち」「ときわ」 水戸方面 ■上野東京ライン 横浜方面 |
■上野東京ライン 品川方面 ■■常磐線・常磐線(快速) 松戸方面 |
■■常磐線・常磐線(快速) 松戸方面 |
■臨時寝台特急「カシオペア」 ■宇都宮線・高崎線 大宮方面 |
■常磐線特急「ひたち」「ときわ」 | 東北・山形・秋田・ 上越・北陸(長野経由)新幹線 新青森・新潟・金沢方面 | |||||||||||||||
2016年 3月26日 - |
■宇都宮線・高崎線
大宮方面 |
東北・山形・秋田・北海道・ 上越・北陸(長野経由)新幹線 新青森・新函館北斗・新潟・金沢方面 | ||||||||||||||||||||||
2018年 3月16日 - |
■常磐線特急「ひたち」「ときわ」 ■宇都宮線・高崎線 大宮方面 ■高崎線特急「あかぎ」 「スワローあかぎ」「草津」 |
■常磐線特急「ひたち」「ときわ」 |
在来線の駅から北方向に、西から順に、京浜東北線と山手線の方向別複々線(山手線が内側)、東北本線列車線(宇都宮線・高崎線)の複々線(尾久駅手前の尾久車両センター入出庫部の先まで高架ホーム発が外側、地上ホーム発が内側の方向別)、常磐線の複線の計10本の線路が並行する。このうち、東北本線列車線と常磐線からは高架ホーム、地平ホームのほぼすべてへの発着が可能である[注 16]。このため、シングルスリップスイッチやダブルスリップスイッチを用いた複雑な配線となっている[29]。常磐線の高架線と地平線の分岐・合流点は隣の鶯谷駅付近となるが、これは1968年(昭和43年)に立体交差化されたものである。
南方向に、京浜東北線、山手線の複々線に加えてその東側に留置線群とそれらをつなぐ通路線が秋葉原駅まで続いている。これはかつて東京駅までつながっていた回送線の跡であり、2015年(平成27年)に上野東京ラインとして再び東京駅と結ばれた[30]。これらの線路につながっているのは5 - 9番線であり、10 - 12番線と地平ホームの各線は行き止まりである。下の図は反映されていないが、行き止まりとなっている10番線と11番線の先端(最後尾)部は両ホームを結ぶ通路となっており、9番線から12番線まで平面移動ができる。
東北新幹線上野駅開業時(1985年〈昭和60年〉)の在来線の配線図を以下に示す。基本的に本配線が踏襲されている。主な変更点は1999年(平成11年)に18番線が廃止されている。2015年度(平成27年度)の上野東京ライン開業準備工事で、東京方の下り線路から6番線と、7 - 9番線から上り線路へ両方向同時に転線可能な配線とし、日暮里方で6番線から常磐線下り線路へ進入を円滑にするべく一部付け替えたりなどしている。5番線からも常磐線へ進入可能である。
← 東京方面 |
→ 大宮・取手方面 |
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凡例 出典:祖田(2006) 52頁 水色:京浜東北線 黄緑:山手線 橙:東北本線列車線(高崎線、上信越方面を含む) 青:常磐線 |
5 - 10・13・16・17番線で発車メロディを使用する他は発車ベルを使用している[注 17]。
寝台特急列車が発着する13番線ホームは普通列車4・5号車停車位置付近に、寝台特急の乗客以外も利用可能な、寝台特急の到着待ち休憩所「五ツ星広場」があった。2015年(平成27年)に「北斗星」の定期運行が廃止されて寝台特急列車の定期発着がなくなり、解放機会がなくなり、案内板から消去され、設備等が撤去され、ホームの一部として復元された。代わりに13番線ホームの各所に常時使用可能のベンチが設置された。
開設当初はテーブルが設置されるなどオープンカフェ風であったが、2011年(平成23年)時点で大幅に縮小し、椅子のみを配置して南北2か所に分割されている。北側エリアの壁は13番線から発着する「カシオペア」で使用されるE26系の車体を意識して作られており、同系列車体と同一の5色ラインが配されている。
五ツ星広場で迷惑行為があったため、2012年(平成24年)8月25日から、利用可能時間が制限された。寝台列車発車の約1時間前から列車の発車まで利用可能であり、利用時間は、15時00分 - 16時20分(カシオペア・運転日に限る)、17時50分 - 19時03分(北斗星)、20時00分 - 21時15分(あけぼの)である。これら以外の時間は、伸縮門扉によって閉鎖されていた。これに伴って15番線と16番線との間、石川啄木の歌碑の横にベンチが2脚、設置された。
東京メトロ 上野駅 | |
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4番出入口(2018年1月) | |
うえの Ueno | |
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所属事業者 | 東京地下鉄(東京メトロ) |
電報略号 | ウエ |
駅構造 | 地下駅 |
ホーム | 各2面2線(計4面4線) |
乗降人員 -統計年度- |
180,282人/日 -2023年- |
開業年月日 | 1927年(昭和2年)12月30日 |
乗入路線 2 路線 | |
所属路線 | ●銀座線 |
駅番号 | G16 |
キロ程 | 2.2 km(浅草起点) |
所属路線 | ●日比谷線 |
駅番号 | H18 |
キロ程 | 5.3 km(北千住起点) |
備考 |
銀座線は相対式ホーム2面2線を有する地下駅。エスカレーターは設置されていないが、ホームから改札口までのエレベーターはホーム浅草方の端に設置されており、浅草側に改札口からJR連絡階へ通じるエレベーターがある。銀座線は上野検車区が駅の至近に位置し、ラッシュ時に当駅を始発・終着とする電車がある。これは大晦日から元旦にかけての終夜運転も同様で、当駅 - 浅草駅間は7.5分間隔、当駅 - 渋谷駅間は15分間隔で段差がつけられている[注 18]。1987年(昭和62年)にホームの拡幅工事が行われ、渋谷方面のホームに、日本最初の地下鉄開業を告知するポスターのレプリカが煉瓦壁とともに設置されている。
日比谷線は相対式ホーム2面2線を有する地下駅。出口階段はホームの前後にあるが、ホームから改札口へ通じるエレベーターは中目黒方面が中央に、北千住方面が仲御徒町寄りにある。中目黒方面は別に改札口が設置され、前述のホームへのエレベーターに通じている(平日朝の通勤時間帯のみは階段も使用できる)。同じくホームから改札口へ通じるエスカレーターは、中目黒方面は北千住寄り、北千住方面は中目黒寄りに設置されている。中目黒方面ホーム中央に、発車標とは別に電車位置の現示装置が設置されている。定期ダイヤでの当駅始終着列車の設定はないが、輸送障害発生時には隣駅の仲御徒町駅にある片渡り線を使用する形で、当駅での折り返し運転を行う場合がある。
銀座線の渋谷側改札口から地下の連絡通路を経由して、京成電鉄の京成上野駅、上野中央通り地下駐車場と中央通りの地下連絡通路に接続している。
両線の改札口は各々独立しており、改札内で連絡していないため、普通乗車券や回数券で銀座線と日比谷線を乗り換える際は、改札を出る際に乗車券が回収されずに出口に戻る乗り換え専用のオレンジ色の自動改札機を通る必要がある。PASMO・SuicaなどのICカードでの乗り換えはどの自動改札機からもタッチできる。いずれも、60分の時間制限がある。
従来あった駅ナカ商業施設「メトロピア」は改装され、「エチカフィット上野」として2009年(平成21年)2月20日に開業した。リニューアル工事のため、2015年(平成27年)3月に営業を一時終了したが、2017年(平成29年)12月に再オープンした。
日比谷線駅構内に、東京メトロのお忘れ物総合取扱所が設置されていたが、2015年(平成27年)3月29日に南北線飯田橋駅へ移転した。
駅務管区所在駅であり、上野駅務管区として上野地域、秋葉原地域、茅場町地域を管理する[35]。
東京メトロの路線同士はホーム番号(番線表示)を連続することが多いが、当駅での銀座線と日比谷線のホーム番号は連番ではなく、両線ともに1・2番線である。都営地下鉄浅草線および大江戸線の蔵前駅も当駅と同様で、それぞれ1番線・2番線である。
全ホームでスイッチ制作の発車メロディ(発車サイン音)を使用している[報道 8][21]。
銀座線ホームでは、2012年(平成24年)10月30日から森山直太朗の「さくら(独唱)」をアレンジしたメロディを使用している[注 19]。
番線 | 路線 | 曲名 | 作曲者(編曲者) |
---|---|---|---|
銀座線ホーム | |||
1 | 銀座線 | さくら(独唱)(サビ) | 森山直太朗(塩塚博) |
2 | さくら(独唱)(Aメロ) | ||
日比谷線ホーム | |||
1 | 日比谷線 | Toy garden | 大和優子 |
2 | さあ、行くよ! | 福嶋尚哉 |
埼玉県・千葉県北西部・北関東方面に直通する主要鉄道路線のターミナル駅であるが、東京駅と同様にJR路線間の乗り換え客が主体であることからその規模の大きさに対して統計上の乗車人員は少ない。特に新幹線の乗車人員は全列車停車の仙台駅、さらには最速達種別が一切停車しない宇都宮駅や高崎駅よりも少ない。改札を通らない乗客は乗降人員に計上されないが、実際は朝夕を中心に乗換客で慢性的に混雑が見られる。
平日朝は当駅止まりの宇都宮線・高崎線・常磐線の列車から降車後に3・4番線ホームに流れる人の波が絶えず続き、同ホームを発着する山手線・京浜東北線電車に一斉に乗り込む[注 20]。山手線と京浜東北線の上野 - 御徒町間は、ラッシュ時に平均乗車率が常時200%余で国内最高の混雑区間であったが、2015年(平成27年)3月14日に上野東京ラインが開業すると当駅の乗換客は大幅に減少し、上野 - 御徒町間の混雑も170%程度に緩和した。
2017年度(平成29年度)の各社合計の1日平均乗降人員は約61万人、年間に約2億2300万人である。京成上野駅を含めた場合1日平均乗降人員は約66万人、年間で約2億4100万人である。
2023年度(令和5年度)の1日平均乗車人員は162,555人である[JR 1]。
各年度の推移は以下のとおりである。
1日平均乗車人員推移(日本鉄道/国鉄) (1880年代 - 1930年代) | ||
---|---|---|
年度 | 乗車人員 | 出典 (東京府) |
1883年(明治16年) | [※ 1]528 | [府 1] |
1884年(明治17年) | 635 | [府 2] |
1885年(明治18年) | 566 | |
1886年(明治19年) | 579 | [府 3] |
1888年(明治21年) | 1,655 | [府 4] |
1890年(明治23年) | 1,990 | [府 5] |
1891年(明治24年) | 1,985 | [府 6] |
1893年(明治26年) | 2,002 | [府 7] |
1895年(明治28年) | 2,481 | [府 8] |
1896年(明治29年) | 2,863 | [府 9] |
1897年(明治30年) | 3,502 | [府 10] |
1898年(明治31年) | 3,958 | [府 11] |
1899年(明治32年) | 3,989 | [府 12] |
1900年(明治33年) | 4,347 | [府 13] |
1901年(明治34年) | 4,373 | [府 14] |
1902年(明治35年) | 4,229 | [府 15] |
1903年(明治36年) | 4,052 | [府 16] |
1904年(明治37年) | 4,179 | [府 17] |
1905年(明治38年) | 5,076 | [府 18] |
1907年(明治40年) | 7,337 | [府 19] |
1908年(明治41年) | 7,310 | [府 20] |
1909年(明治42年) | 7,325 | [府 21] |
1911年(明治44年) | 9,987 | [府 22] |
1912年(大正元年) | 10,250 | [府 23] |
1913年(大正 | 2年)10,078 | [府 24] |
1914年(大正 | 3年)10,748 | [府 25] |
1915年(大正 | 4年)9,650 | [府 26] |
1916年(大正 | 5年)11,357 | [府 27] |
1919年(大正 | 8年)18,608 | [府 28] |
1920年(大正 | 9年)21,790 | [府 29] |
1922年(大正11年) | 29,213 | [府 30] |
1923年(大正12年) | 33,212 | [府 31] |
1924年(大正13年) | 35,035 | [府 32] |
1925年(大正14年) | 34,299 | [府 33] |
1926年(昭和元年) | 35,155 | [府 34] |
1927年(昭和 | 2年)37,920 | [府 35] |
1928年(昭和 | 3年)43,519 | [府 36] |
1929年(昭和 | 4年)39,398 | [府 37] |
1930年(昭和 | 5年)33,580 | [府 38] |
1931年(昭和 | 6年)30,976 | [府 39] |
1932年(昭和 | 7年)30,326 | [府 40] |
1933年(昭和 | 8年)31,884 | [府 41] |
1934年(昭和 | 9年)32,662 | [府 42] |
1935年(昭和10年) | 33,039 | [府 43] |
1日平均乗車人員推移(国鉄/JR東日本)(1953年 - 2000年)[※ 2] | ||||
---|---|---|---|---|
年度 | 乗車人員 | 順位 | 出典 | |
JR | 東京都 | |||
1953年(昭和28年) | 88,169 | [都 1] | ||
1954年(昭和29年) | 93,880 | [都 2] | ||
1955年(昭和30年) | 99,196 | [都 3] | ||
1956年(昭和31年) | 104,409 | [都 4] | ||
1957年(昭和32年) | 105,830 | [都 5] | ||
1958年(昭和33年) | 108,753 | [都 6] | ||
1959年(昭和34年) | 115,233 | [都 7] | ||
1960年(昭和35年) | 126,742 | [都 8] | ||
1961年(昭和36年) | 127,495 | [都 9] | ||
1962年(昭和37年) | 137,716 | [都 10] | ||
1963年(昭和38年) | 149,958 | [都 11] | ||
1964年(昭和39年) | 160,820 | [都 12] | ||
1965年(昭和40年) | 160,204 | [都 13] | ||
1966年(昭和41年) | 163,538 | [都 14] | ||
1967年(昭和42年) | 167,358 | [都 15] | ||
1968年(昭和43年) | 175,062 | [都 16] | ||
1969年(昭和44年) | 173,364 | [都 17] | ||
1970年(昭和45年) | 169,951 | [都 18] | ||
1971年(昭和46年) | 181,489 | [都 19] | ||
1972年(昭和47年) | 176,186 | [都 20] | ||
1973年(昭和48年) | 185,496 | [都 21] | ||
1974年(昭和49年) | 186,732 | [都 22] | ||
1975年(昭和50年) | 174,495 | [都 23] | ||
1976年(昭和51年) | 172,244 | [都 24] | ||
1977年(昭和52年) | 165,279 | [都 25] | ||
1978年(昭和53年) | 163,608 | [都 26] | ||
1979年(昭和54年) | 162,409 | [都 27] | ||
1980年(昭和55年) | 161,178 | [都 28] | ||
1981年(昭和56年) | 158,986 | [都 29] | ||
1982年(昭和57年) | 154,460 | [都 30] | ||
1983年(昭和58年) | 154,743 | [都 31] | ||
1984年(昭和59年) | 157,912 | [都 32] | ||
1985年(昭和60年) | 171,044 | [都 33] | ||
1986年(昭和61年) | 169,534 | [都 34] | ||
1987年(昭和62年) | 170,792 | [都 35] | ||
1988年(昭和63年) | 224,962 | [都 36] | ||
1989年(平成元年) | 205,066 | [都 37] | ||
1990年(平成 | 2年)216,899 | [都 38] | ||
1991年(平成 | 3年)216,593 | [都 39] | ||
1992年(平成 | 4年)216,244 | [都 40] | ||
1993年(平成 | 5年)217,734 | [都 41] | ||
1994年(平成 | 6年)210,636 | [都 42] | ||
1995年(平成 | 7年)207,735 | [都 43] | ||
1996年(平成 | 8年)207,636 | [都 44] | ||
1997年(平成 | 9年)201,602 | [都 45] | ||
1998年(平成10年) | 195,482 | [都 46] | ||
1999年(平成11年) | 195,654 | 10位 | [JR 2] | [都 47] |
2000年(平成12年) | 189,388 | 10位 | [JR 3] | [都 48] |
1日平均乗車人員推移(JR東日本)(2001年度以降)[※ 2] | |||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | 計 | 新幹線 | 出典 | ||||||||
定期外 | 定期 | 合計 | 前年度比 | 順位 | 定期外 | 定期 | 合計 | 前年度比 | JR東日本 | 東京都 | |
2001年(平成13年) | 185,661 | 10位 | 非公表 | [JR 4] | [都 49] | ||||||
2002年(平成14年) | 186,147 | 10位 | [JR 5] | [都 50] | |||||||
2003年(平成15年) | 186,401 | 10位 | [JR 6] | [都 51] | |||||||
2004年(平成16年) | 182,196 | 10位 | [JR 7] | [都 52] | |||||||
2005年(平成17年) | 179,978 | 10位 | [JR 8] | [都 53] | |||||||
2006年(平成18年) | 178,007 | 11位 | [JR 9] | [都 54] | |||||||
2007年(平成19年) | 181,099 | 13位 | [JR 10] | [都 55] | |||||||
2008年(平成20年) | 181,244 | 13位 | [JR 11] | [都 56] | |||||||
2009年(平成21年) | 178,413 | 13位 | [JR 12] | [都 57] | |||||||
2010年(平成22年) | 172,306 | 13位 | [JR 13] | [都 58] | |||||||
2011年(平成23年) | 174,832 | 13位 | [JR 14] | [都 59] | |||||||
2012年(平成24年) | 96,155 | 87,455 | 183,611 | 13位 | 8,635 | 2,060 | 10,696 | [JR 15][新 2] | [都 60] | ||
2013年(平成25年) | 93,692 | 88,188 | 181,880 | 13位 | 8,857 | 2,060 | 10,917 | [JR 16][新 3] | [都 61] | ||
2014年(平成26年) | 95,235 | 87,233 | 182,469 | 13位 | 8,909 | 2,033 | 10,943 | [JR 17][新 4] | [都 62] | ||
2015年(平成27年) | 96,145 | 85,443 | 181,588 | 13位 | 9,677 | 1,956 | 11,633 | [JR 18][新 5] | [都 63] | ||
2016年(平成28年) | 97,395 | 85,298 | 182,693 | 0.6% | 13位 | 9,870 | 1,909 | 11,779 | [JR 19][新 6] | [都 64] | |
2017年(平成29年) | 101,702 | 85,833 | 187,536 | 2.7% | 13位 | 10,052 | 1,888 | 11,941 | [JR 20][新 7] | [都 65] | |
2018年(平成30年) | 101,428 | 86,741 | 188,170 | 0.3% | 13位 | 10,453 | 1,884 | 12,337 | [JR 21][新 8] | [都 66] | |
2019年(令和元年) | 95,193 | 87,511 | 182,704 | −2.9% | 13位 | 9,936 | 1,965 | 11,902 | [JR 22][新 9] | [都 67] | |
2020年(令和 | 2年)45,644 | 68,419 | 114,604 | −37.6% | 14位 | 3,649 | 1,507 | 5,157 | −56.7% | [JR 23][新 10] | [都 68] |
2021年(令和 | 3年)57,534 | 64,550 | 122,085 | 7.0% | 14位 | 5,180 | 1,471 | 6,651 | 29.0% | [JR 24][新 11] | [都 69] |
2022年(令和 | 4年)81,554 | 66,222 | 147,777 | 21.0% | 13位 | 7,954 | 1,605 | 9,560 | 43.7% | [JR 25][新 12] | [都 70] |
2023年(令和 | 5年)93,888 | 68,666 | 162,555 | 110.0% | 13位 | 9,897 | 1,661 | 11,559 | 121.2% | [JR 1][新 1] |
2023年度(令和5年度)の1日平均乗降人員は180,282人である[メ 1]。
なお、各年度の推移は以下のとおりである。なお、乗降人員については、東京メトロ線内の乗降人員の数値は含まない。
1日平均乗車人員推移(営団)(1956年 - 2000年) | |||
---|---|---|---|
年度 | 乗車人員 | 出典 (東京都) | |
銀座線 | 日比谷線 | ||
1956年(昭和31年) | 104,409 | 未開業 | [都 4] |
1957年(昭和32年) | 105,830 | [都 5] | |
1958年(昭和33年) | 108,753 | [都 6] | |
1959年(昭和34年) | 115,233 | [都 7] | |
1960年(昭和35年) | 30,617 | [# 1]6,656 | [都 8] |
1961年(昭和36年) | 36,099 | 4,333 | [都 9] |
1962年(昭和37年) | 45,952 | 18,692 | [都 10] |
1963年(昭和38年) | 37,557 | 16,826 | [都 71] |
1964年(昭和39年) | 44,833 | 23,784 | [都 12] |
1965年(昭和40年) | 43,637 | 27,556 | [都 72] |
1966年(昭和41年) | 40,536 | 26,251 | [都 14] |
1967年(昭和42年) | 42,894 | 29,549 | [都 73] |
1968年(昭和43年) | 65,373 | 47,633 | [都 74] |
1969年(昭和44年) | 74,023 | 51,163 | [都 17] |
1970年(昭和45年) | 77,964 | 53,493 | [都 18] |
1971年(昭和46年) | 76,732 | 54,555 | [都 19] |
1972年(昭和47年) | 75,066 | 57,419 | [都 75] |
1973年(昭和48年) | 74,255 | 54,838 | [都 76] |
1974年(昭和49年) | 93,329 | [都 77] | |
1975年(昭和50年) | 93,697 | [都 78] | |
1976年(昭和51年) | 53,553 | 38,942 | [都 79] |
1977年(昭和52年) | 54,197 | 39,063 | [都 80] |
1978年(昭和53年) | 53,737 | 38,477 | [都 81] |
1979年(昭和54年) | 55,607 | 38,822 | [都 82] |
1980年(昭和55年) | 57,945 | 39,137 | [都 83] |
1981年(昭和56年) | 59,595 | 39,885 | [都 84] |
1982年(昭和57年) | 59,868 | 39,753 | [都 85] |
1983年(昭和58年) | 59,781 | 41,213 | [都 86] |
1984年(昭和59年) | 62,860 | 42,792 | [都 87] |
1985年(昭和60年) | 64,540 | 42,438 | [都 88] |
1986年(昭和61年) | 66,693 | 44,540 | [都 89] |
1987年(昭和62年) | 70,120 | 45,940 | [都 90] |
1988年(昭和63年) | 73,532 | 49,666 | [都 91] |
1989年(平成元年) | 75,677 | 52,559 | [都 92] |
1990年(平成 | 2年)79,200 | 54,940 | [都 93] |
1991年(平成 | 3年)77,566 | 55,626 | [都 94] |
1992年(平成 | 4年)78,200 | 54,332 | [都 40] |
1993年(平成 | 5年)77,619 | 53,252 | [都 41] |
1994年(平成 | 6年)75,452 | 52,405 | [都 42] |
1995年(平成 | 7年)75,019 | 52,019 | [都 43] |
1996年(平成 | 8年)74,063 | 51,058 | [都 44] |
1997年(平成 | 9年)73,589 | 48,159 | [都 95] |
1998年(平成10年) | 71,699 | 45,918 | [都 46] |
1999年(平成11年) | 68,926 | 44,413 | [都 47] |
2000年(平成12年) | 67,085 | 43,827 | [都 96] |
1日平均乗車人員・乗降人員推移(営団/東京メトロ)(2001年以降) | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
年度 | 乗車人員 | 乗降人員 | 出典 | |||||
銀座線 | 日比谷線 | 合計 | 増加率 | 順位 | メトロ | 東京都 | ||
2001年(平成13年) | 64,595 | 43,419 | [都 97] | |||||
2002年(平成14年) | 62,647 | 43,340 | [都 98] | |||||
2003年(平成15年) | 62,462 | 42,484 | [都 99] | |||||
2004年(平成16年) | 61,438 | 42,074 | [都 100] | |||||
2005年(平成17年) | 60,510 | 41,449 | [都 101] | |||||
2006年(平成18年) | 59,997 | 41,575 | [都 102] | |||||
2007年(平成19年) | 61,464 | 42,519 | 211,749 | [都 103] | ||||
2008年(平成20年) | 61,907 | 42,153 | 213,522 | [都 104] | ||||
2009年(平成21年) | 60,452 | 41,008 | 207,635 | [都 105] | ||||
2010年(平成22年) | 59,655 | 40,586 | 204,449 | [都 106] | ||||
2011年(平成23年) | 58,620 | 40,008 | 201,602 | [都 107] | ||||
2012年(平成24年) | 63,079 | 41,148 | 212,509 | 5.4% | 8位 | [メ 2] | [都 108] | |
2013年(平成25年) | 62,419 | 41,421 | 211,539 | 0.5% | 8位 | [メ 3] | [都 109] | |
2014年(平成26年) | 61,808 | 41,273 | 210,379 | −0.5% | 8位 | [メ 4] | [都 110] | |
2015年(平成27年) | 59,689 | 41,667 | 207,240 | −1.5% | 8位 | [メ 5] | [都 111] | |
2016年(平成28年) | 59,879 | 42,545 | 209,130 | 0.9% | 8位 | [メ 6] | [都 112] | |
2017年(平成29年) | 60,351 | 43,825 | 213,020 | 1.9% | 9位 | [メ 7] | [都 113] | |
2018年(平成30年) | 60,693 | 45,121 | 215,821 | 1.3% | 10位 | [メ 8] | [都 114] | |
2019年(令和元年) | 58,937 | 44,702 | 210,272 | −2.6% | 10位 | [メ 9] | [都 115] | |
2020年(令和 | 2年)34,430 | 30,121 | 130,271 | −38.0% | 8位 | [メ 10] | [都 116] | |
2021年(令和 | 3年)35,715 | 31,578 | 135,927 | 4.3% | 9位 | [メ 11] | [都 117] | |
2022年(令和 | 4年)43,351 | 36,948 | 162,861 | 19.8% | 8位 | [メ 12] | [都 118] | |
2023年(令和 | 5年)180,282 | 10.7% | 9位 | [メ 1] |
入谷口通り沿いに設置されているバス乗降場で、浅草口からも近い。
浅草口及び正面玄関口に面したバスロータリー。
「上野駅」停留所にて発着する。
停留所名 | 運行事業者 | 系統・行先 | 備考 |
---|---|---|---|
上野駅前 | 弘南バス | ||
夜行高速「TOKYOサンライズ号」:新庄 | |||
東北急行バス | 夜行高速「レインボー号」:山形 | ||
|
夜行高速「フライングスニーカー号」:大阪 | ||
|
夜行高速「ままかりライナー」:倉敷 | ||
|
夜行高速「きまっし号」:金沢 | ||
上野駅(降車専用) | 茨城交通 | 常磐高速バス:東京駅日本橋口/バスタ新宿(新宿駅南口)(常陸太田発/常陸大宮発/大子発) |
のりば | 停留所名 | 運行事業者 | 系統・行先 | 備考 |
---|---|---|---|---|
- | 京成上野駅 | 台東区循環バス「めぐりん」 (日立自動車交通) |
東西めぐりん:千駄木駅・浅草駅・新御徒町駅方面 | |
成田空港交通 | 深夜急行:成田空港 | |||
|
夜行高速:長野駅 | |||
|
夜行高速「サウスウェーブ号」:堺・和歌山方面 | |||
夜行高速「やまと号」:五位堂駅 | ||||
千葉中央バス | 夜行高速:京都駅 | |||
6 | 上野公園山下 | 都営バス | 「草39」は平日昼間のみ運行 | |
上野駅 | 東武バスセントラル | 深夜急行:我孫子駅/春日部駅西口 | 土曜・休日は運休 | |
7 | 上野公園山下 | 都営バス | 上46:南千住駅東口/南千住車庫前 | |
8 | 上23・草39:上野松坂屋前 | 「草39」は平日昼間のみ運行 | ||
9 | 上46:上野松坂屋前 | |||
- | 上野公園(都営) |
「JR上野駅公園口」にて発着する。
文学や歌謡曲の分野で、当駅を扱った作品が存在する。
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